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6.天見の系譜 -結-

 宴の後の〈天見塔〉は、恐ろしいほどに静まり返っていた。

 ヴェスパーの手を借りてドレスからいつものアカデミーの制服に着替え、アクセサリーを外し、十二階の観測室に入ってしまうと、数時間前の喧騒が夢か幻ででもあったかのように、まるで普段通りの光景が広がっている。教官もまた、いつもと同じ服装でメインコンソール前のワークチェアに座っていた。

 ただ一つ、違うことがあるとすれば。

「――さて、質問があれば聞こう」

 いつもモニターに向かっているその人が、逆を向いていることだ。

 遅れて観測室に入ってきた格好の私は、教官の視線を真っ向から受け止めることになった。……そう、視線である。平時は頑ななまでに外されることないミラーシェードが、今はそこにない。琥珀の双眸が、じっと私を見詰めていた。

 やや垂れた印象のある、三白眼気味の眼。これまでの推測通り、ミラーシェードの下には整った面差しがあった訳だけれど、今の私にはそちらに気を取られる余裕はない。

 質問。……質問、か。

「教官は、ベウンツ氏とお知り合いだったのですか」

「まあ、そのようなものだ。お互いに利用し合う共犯関係……と評した方が近いやも知れないが」

「共犯、ですか?」

「俺は奴の求める情報を提供し、奴は俺の求める情報を流す」

「情報……というと、祝宴の中で口にされていたような?」

 中将の火遊びがどうとか、議員の振る舞いがどうとか……の、あれだろうか。

 恐る恐る問い返すと、教官はあっさりと頷いてみせた。

「あれらは一端に過ぎんがな。どこのコロニーであろうと、覗き見る手間はさして変わらん。片手間で済む」

 とんでもない発言が飛び出し、唖然としてしまう。

 本当にこの人は規格外なのだと、今また思い知った気分だった。私では到底叶わないことを、易々とやってのける。私が後任で本当に大丈夫なのかと、これまでに何度胸中を過ったかも分からない疑念を抱かずにはいられない。

「ともかく、そういった付き合いがある程度には、シェイクスとは気心が知れている。よって、先刻は一枚噛ませた」

「それは、一体どういった意図で」

「君は俺が君を選んだ経緯や根拠について、未だ理解しきれていない様子であるらしい。よって、それを理解してもらう為に必要だと判断した」

 教官の言葉には、相変わらず淀みがない。けれど、ここまで言われても、私にはどうも事態が今一つ把握しきれなかった。あの会話の、どこの何をもって私が選ばれた根拠が提示されたというのだろうか。

 おそらく今現在の私は怪訝そうな顔をしているに違いなく、すなわちそれは内心が筒抜けであるに等しい。だからこそ、教官は黙る私に言葉を促すことをせず、

「この〈塔〉の運営にまつわる煩雑さの一つを、君は直に目にした」

「それは……はい、確かに容易ではないものとお見受けしました」

「あれらは、時に手段を選ばず蛇のように忍び寄る。それに屈するのでは、この〈塔〉を預けることはできない」

「つまり、ベウンツ氏の誘いに乗らなかったから、私は選ばれた、と……?」

「間違ってはいないが、逆だ。今日目の当たりにしたような有象無象の甘言に乗らぬ人物であろうと判断ができたので、俺は君を選んだ。君は至極現実的な観点を持ち、尚且つ物事の本質を捉える目を持っている。――この〈塔〉を司るということは、世界に指図する権利を持つのではなく、世界に対し限りなく重い責任を負うということだ。君は、それを正しく理解している。俺は君に俺の持ち得る全てを残す気でいる。だが、この心構えばかりは、教えようと思って教えられるものでもないだろう」

 故に、と低く言って、教官は言葉を切る。

「俺は俺の考え得る最善として君を選んだと、今ここで改めて述べよう」

 まっすぐに私を見据える、琥珀の眼。その眼差しは、決して柔和ではない。冷徹怜悧そのものであるかのような、ひどく冴えた光。その眼光に、射抜かれる。

 それは、ぽつりと落ちる雫を思わせた。さながら白紙に落とされた一滴(ひとしずく)が、じわりと沁みてゆくような。そんな静かで確かな実感。

「これで、君の心は晴れたか」

 静かに、教官は言う。私は黙して頷いた。

 教官の言葉は、すなわち先刻ベウンツ氏に対して口にした――これまで考え続けた末に出した答えの、全面的な肯定でもあった。私がこの半月で見出した答えは、間違っていなかった。それどころか、それこそが求められていたものだったのだと。

 希代の天才にここまで言われて、どうしてまた疑いを挟む余地があるだろう。私の資質は、彼の人の目をもって保証を受けた。であれば、私が考えるのは唯一つ。

「お心遣い、感謝致します。教官がそうおっしゃるのであれば、もう迷うことはありません。私は後任に相応しい技能を習得するべく、最善を尽くすまでです」

 胸を張って答えた言葉には、「結構」と満足げな頷き。

「――では、本日現在をもって学習プログラムを再始動する。君に与えられた時間は長いが、どれほどのことを為すことができるかは、君の手腕にかかっている」

 はい、と声に出して頷き返す。

 私に教官と全く同じことはできない。けれど、教官の後を継いで維持させることができるくらいには、早急に能力を上げる必要がある。それこそが何も持たなかった私を見出してくれた教官に報いる術であり、であるからには時間を浪費してなどいられない。

 さあ、まずは滞っていた講義映像を全て閲覧してしまわなければ。

「だが」

 ……だが?

 自分の席に着いた途端、そんな声が聞こえた。何、だろうか。

「横槍とは無粋なものだ。サラ、こちらへ」

 促されて、座ったばかりの椅子から立ち上がる。手招かれるままに教官の隣へと歩み寄ると、

「!?」

 眼前のモニターの一面に表示される、エマージェンシー・シグナル。

「よく見ておくといい。やがて君が継ぐ仕事だ」

 教官は焦る素振りも見せず、コンソールのキーボードに置いていたミラーシェードを掛け直す。そのまま流れるようにキーを操作すると、緊急事態のモニター表示が消え、三つの空域情報がピックアップして拡大される。一つはコロニー・アーセテストから南に二百キロ地点、二つ目はコロニー・エストゥリズから西に百五十。三つ目は――ここ、ルティフィルから百八十!

 背筋の寒くなる思いで、拡大された空域の映像を見詰める。すると、何やら奇妙なものが映り込んでいることに気がついた。

「罅――いや、歪み……?」

「そうだ。二十年の観測の結果、アレは奴らが現れる時に特有の現象だということが発覚した。どのような仕組みによって発生しているのか、どこと繋がっているのかは、未だ判明していない」

 言いながら、教官は手早くコンソールを操作していく。

「あの歪の規模から、出現する〈ガレヴァール〉の種類や数を判別することができる。観測を続ければいずれ覚えるだろうが、覚えなくとも観測システムが自動でデータベースを検索し、該当の候補を選出するので心配は要らない」

 タン、と音を立ててキーが叩かれると、モニターにずらりとデータベースからの検索結果が表示される。想定される出現数はアーセテストに五、エストゥリズに六、ルティフィルに四。不幸中の幸い……と反射的に抱いてしまった所感は、些かどころでなく不謹慎に過ぎたかもしれない。

「これらを、まず第一報として各コロニーに送る」

 手順を説明する声を聞きながらも、私の目はずっとモニターに吸い寄せられていた。

 空を歪めるもの。青色を引き裂いて現れる異形の怪物。天から襲い来ると言われる、我らが人類種の天敵。それが姿を見せる一部始終を。

「我々は空を見る。空を見て、奴らの出現を知らせる。――それだけだと思うか」

 教官の手は休むことなく動き、出現した〈ガレヴァール〉の観測結果を第二報として送信する。コロニー自衛軍でも緊急出撃が発令されているのだろう、街に鳴り響く警報の音が、かすかに聞こえた。

 恐怖はあった。けれど、それ以上に昂揚が私の胸を満たしていた。ああ、線が繋がる。英雄たちとの対話で見え始めていた点が、今ここで線になろうとしている。

「人は我々を『人類最初の砦』という。だが、敢えて言おう。それは誤りだ。――我々は『人類最初の尖兵』である。空を見、敵を探り、この戦いを終わらせるための方法を模索する、第一の兵だ」

 教官が私を見上げる。私は溢れ出しそうな感情を制御しきれないまま、傍らの人を見下ろした。教官の唇が、孤を描く。きっと、私の唇はとっくに同じ形をしていただろう。

「良い表情だ。奮闘に期待している、サラ・レビ」

「もちろんです。必ずや、その期待に見合うだけの成果を。――ベルギル・センタ」


 私は戦うことを決めた。戦う力を与えられた。

 ――見ているがいい、我らが天敵よ。

 いずれ我らは、必ずお前たちを退け尽くす。

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