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3.天見の系譜 -初-

 二十数年前のある日から、人類は苦境に立たされ続けているのだという。

 突如天から現れた怪物――後に〈ガレヴァール〉と名付けられたものによって、かつて世界中に版図を広げていた人類は、たった七つのコロニーに押し込まれるまでに追い込まれてしまった。

 人類に対し一貫して攻撃行動を取る目的も、どこからどうやって出現して来るのかという根本的な情報も。奴らについて欲されている情報の、およそ全てが未だに不明のまま。分かっているのは、ただひたすらに人類という種を殲滅すべく攻め込んでくる、異形のものという事実だけ。おまけに、現時点までいかなる言語をもってしても意思の疎通はできておらず、できそうな兆候も見られていないということで、なんともはや最悪だ。

 そんな未知の天敵種によって、人類は滅びの間際に立たされていた。

 割と死にかけで、どうにか首の皮一枚繋がっている。私の生まれた世界は、どうやらそういう場所だったらしい。お陰様で、日々生きるのにも苦労している。

 物心つく前に亡くなった父――〈ガレヴァール〉の来襲による建物の倒壊に巻き込まれたそうだ――が多少の遺産を残してくれたといっても限りはあり、それほど身体が丈夫でない母と二人きりの暮らし向きは、中々に厳しい。

 そんな境遇にあってアカデミーの試験をパスできたのは、まさに降って沸いた幸運に等しかった。軍人や技術者を筆頭にして、コロニーの維持運営に必要な人材を一括して発掘、育成する教育機関であるアカデミーは、住人に対し門戸を広く開いてはいるものの、実際に入学できるのは一握りという狭き門だ。

 アカデミーの入学試験を突破するには、専門の家庭教師を雇うとか、コロニーの援助が受けられるほど規模が大きく、実績のある塾に通わねばならないというのが専らの見方だ。そこで対策を練り、多種多様な知識を得る必要があるのだと。しかし、生憎と私は母の知り合いが経営している、小さな小さな私塾で読み書きや計算、一通りの学問を習ったくらいで、どう見栄を張ったとしても学があるとは言えない。

 そんなだったから、試験に合格したと通知が届けられた時には、飛び上がって喜んだ。奇跡は本当にあるんだと狂喜したし、正直、ちょっと……いや、結構浮かれた。

 もっとも、やはり現実は甘くはないと思い知るのに、さほど時間はかからなかったのだけれども。入学後も出来る限りの努力はしてみたものの、辛うじて中の上と言える域の成績で頭打ちになってしまった時には、これが身の程かとまざまざ思い知った。落胆がなかったかと言えば、まあ、あれだ。……かなり落ち込んだ。勉学で特筆できるものもなければ、頼れるような伝手もコネも何もない。そんな身分では立身出世など、夢のまた夢だ。淡く抱いていた、それこそ夢物語のような青写真が砕け散った瞬間だった。

 とは言え、アカデミーで学んだという肩書は、街ではそれなりの箔になる。それに期待するしかない、と一抹の諦めと開き直りとが顔を出しかけていた――アカデミー在籍三年目の十六歳のある日のこと。

 私は突然、アカデミーの担当教官に呼び出された。これでも一応、アカデミーでは品行方正な生徒として認知されるよう努めていた――ただでさえ成績がパッとしないのに、素行不良なんかで目をつけられたくはない――ので、何らかの叱責を受ける謂れもないはず。実際、ここ数週間の記憶を振り返ってみたところで、そんな心当たりもまるでないし。

 首を捻り捻り教官を訪ねれば、

「〈天見塔(あまみのとう)〉の主が、お前を後継に指名した」

 そんなことを、いきなりに言われたのである。

 まさに青天の霹靂。あんぐりと口を開けて絶句した私が、どうにか我を取り戻して「何故」と問うてみると。教官はたっぷりと間を取った後に、言ったのだ。あんまりにもあんまりすぎるほど、きっぱりざっくりと。

「知らん」

 そりゃあもう、心の底から頭を抱えた。なんでだよ、と。



 世に七つ残されたコロニーは、それぞれに固有の役割を持っている。

 例えば、人類の天敵を屠る為の兵器の開発、必要資源の発掘や再開発、天敵の分析研究……。それらの中でも、第三コロニーと呼ばれるルティフィルの割り当てられたものは、一際異質であると言えた。

 人は、ルティフィルを「人類最初の砦」と呼ぶ。――正しくは、ルティフィル擁する〈天見塔〉を。

 運用開始以来、片時も休むことなく世界中の空を観測し続けている〈天見塔〉は、要するに見張り番だ。〈ガレヴァール〉が出現した瞬間、その数と規模を測定し、各コロニーに通達する。

 その情報を元に、他の六つのコロニーがどれだけの兵力や武器を運用するか検討し、撃退に乗り出すのだ。いかに被害を少なく〈ガレヴァール〉を討ち果たすことができるかは、〈天見塔〉の観測にかかっていると言っても過言ではない。

 しかし、意外なことに、その〈天見塔〉はたった一人の人物によって管理運営がなされていた。

 塔が建造された当初は、もちろんそうではなかった。優秀な技術者や管制官を結集した、百人を超える大所帯で運営が行われていたらしい。それが劇的に変わったのは、ちょうど二十年のことだという。

 現在の塔の主が当時の〈天見塔〉の内情を知るや、独自に塔の運営システムに干渉、掌握してしまったのだ。その動機と言えば、「非効率的に過ぎ、目に余った」からだとか。現在の塔の主がシステムを再構築して以来、〈天見塔〉はそれまでとは比べ物にならない精度と速度をもって〈ガレヴァール〉を捕捉し続けている。お陰で、コロニーの最高意思決定機関である評議会は、未だに件の塔の主に文句ひとつ言えないでいるどころか、頭が上がらないらしい。

 百人以上もの精鋭を要した〈天見塔〉の一切合財を単独で掌握したばかりか、百人が集っても成し得なかった領域にまで押し上げた鬼才。しかも、当時はわずか十五歳だったというのだから空恐ろしい話だ。

 そんな数々の逸話を持つ現在の〈天見塔〉の主については、アカデミーはおろか街ですら謎の人として畏怖と共に語られている。アカデミーの平凡な学生であるところの私には、もちろん何一つ接点などないし、塔を訪ねたこと自体ありはしない。塔の主が私の存在を認識しているという、その時点で驚きでしかなかった。

 何せ私はあくまでも「中の上」程度の成績しか取れない、平々凡々なアカデミー生でしかないのだから。であるからして、どう考えたって、空前絶後の大天才の後を継げるはずがない。明らかに能力不足だ。何かの間違いではないのか?

 私は必死になって教官にそう言い募ったものの、そもそも〈天見塔〉はコロニー・ルティフィルにおける最重要事項の一つであり、先に述べた通り、その主には評議会ですら干渉を躊躇うほどだ。そんな相手だからか、教官は「決定事項だ」と繰り返すばかりで、取り付く島もない。

 そうして抵抗も空しく、私は通達を受けた翌日に〈天見塔〉を訪ねる羽目になったのだった。


 コロニーの東南地区に用意された広大な空き地――その中央に建造された〈天見塔〉は、巨大な尖塔だ。天を突くかに見える最上部や、その付近にはアンテナらしきものなど様々な機器が見えるが、不勉強の身には何がどういった意図のものなのかは、よく分からない。

 空を見上げていた目線を地面に落とすと、塔の周囲には鋼鉄の塀と金網の柵が二重に巡らされており、いかにも物々しい有り様だった。出入り口は正面の一か所のみで、扉の脇には申し訳程度の通信機器が備え付けられている。取次ぎを頼めるような場所も、人もいない以上、それを使うしかないのだろう。そう判断して近付くと、驚くべきことに通信機を作動させる前に扉は独りでに開いた。

 内心は驚くどころの話ではなかったものの、どうやら誘われているらしいとなれば悠長にもしていられない。金網の柵を、そして鋼鉄の塀を抜けて、塔の根元へと足を進める。その途中、今更に服装や持ち物が気になってきた。

 着てきたのは、手持ちの中で一番使用感が薄く見える――と、思いたい――アカデミーの制服で、持ち物は支給品の通学鞄の中に筆記用具が一式と、役に立つかは怪しいものの情報処理系のテキストを数冊。後は財布だの何だのと、ちょっとした小物。……心許ないにも程があるな、と我ながら思わざるを得ない。

 そんなことを考えていると、いやが上にも不安と緊張が増してくる。いよいよバクバクと心臓がやかましくなり始めた頃、塔の正門前のポーチに到着した。数にして五段分、地上より高い場所にある扉は、一見して何の変哲もない金属製。見るからに重厚で、おそらくは私の考えつかないようなセキュリティも張り巡らされているのだろうけれど、少なくともポーチの外から見る限りでは、ごく一般的なもののように思われた。

 ただ、その中に入ること、その意味を思うと、一転して断頭台のように思えてくるのだから胃が痛い。断頭台へ上がる死刑囚のような心持で、意を決しポーチを上がってみたものの、今度は周囲のどこにも通信機器の類は設置されていなかった。呼び鈴すらもだ。どうしたものか困り、あちこちを見回していると、またしても何の前触れもなく重苦しい音が上がった。

 思わず飛び上がらんばかりに肩を跳ねさせた私の眼前で、地鳴りのような音を立てて、重厚な造りの扉が開いていく。

「サラフィナ・レビだな。よく来た。俺はベルギル・センタ。この塔の管理者だ」

 涼しげな――ともすれば無感動にすら聞こえそうな声は、不思議と騒音の中でもよく通った。

 重々しく開く扉の向こう、そこに佇んでいたのは、すらりとした細身の男性だった。服装はアカデミーでもよく見かけた、コロニーの職員に支給されているアッシュグレイにネイビーのラインがあしらわれた作業服。短く整えられた髪は黒で、体格通りに痩せた面差しは端正な造りであることは分かるものの、笑みの片鱗すら浮かんでおらず、どこか寒々しい。

 ……けれど、そこまでは普通だった。そう、そこまでは。

 私が唖然としたのは、その目元がゆえだ。ゴーグルのような、バイザーのような、大ぶりのミラーシェード。薄青い反射光を湛えた表面に時折数字や記号が流れていく様を見るに、正しくは装着型の端末なのかもしれない。

 それによって目元は完全に窺うことができず、目線が読めないことも相俟ってひどく感情が読みづらい。オマケに、表情も巌よろしくの硬さである。愛嬌という言葉も裸足で逃げ出すような取っ付きづらさ――などとは、思いはしても決して口には出せない素直な所感だ。

 それに、「ベルギル・センタ」という名前は、この塔に来る前教官によくよく聞かされている。他でもない、塔の管理者その人のものとして。くれぐれも機嫌を損ねることのないよう、と耳にタコができるほど言い聞かされた。

 細く息を吐き出して、居住まいを正す。いずれにしろ目の前のこの人こそが、私を呼び出した張本人に他ならないのだ。観察したい気持ちを飲み下して、頭を下げる。一体どのような意図でもって私を呼び付けたのかは理解しかねるものの、無礼な態度を取っていい相手ではないことだけは明白だった。

「大変失礼致しました。ルティフィル・アカデミー二十三期生、サラフィナ・レビと申します。お召しにより参上致しました。未熟者ゆえ、至らぬ点も多いかと思いますが、どうぞ宜しくお願い致します」

 できる限り真面目そうに述べてみせると、意外にも軽い調子で「ああ」と返事があった。ただし、どうにも声音は感情に乏しい。二十年もの間、一人でこの塔にこもっていたと聞くから、その弊害だろうか。

「アカデミーにおける成績は把握している。その上で、横車を押して呼んだ。気にする必要はない」

 それは、フォロー……なのだろうか。出来は分かっているから、気にする必要はない。そう言われて、果たして素直に喜んでしまっていいものか。どうなんだ。

「……お言葉ですが、ならば、何故私を?」

 だからこそ、どうしてもそれだけは確認しておきたくて、恐る恐る言葉に出す。そろりと上目に目の前の男性を見上げると、彼はさも事もなげに――そう、全くもって何でもないことのように、言い放ったのだ。

「後任の育成を考え始めた頃から、アカデミーや街の監視カメラ、街の環境整備ドロイドをハッキングして、学生たちを観察していた。俺は俺の技術や知識を残す気はあるが、人格の矯正まで担当する気はない。その点、君は合格に値した」

 再び唖然とした私の気持ちを、誰か分かってくれるだろうか。

 自分のことは、自分自身が何よりよく分かっているつもりだ。成績が飛び抜けていい訳でもない。特別な技能を持っている訳でもない。その点に関して、期待をされているはずはなかった。だから、ずっと分からなかったのだ。どうして私が選ばれたのか。

 ――けれど。

 これはないだろう、と思わざるを得ない。

 まさか、アカデミー生が秘密裏に監視されていて。その結果、「人格の矯正」をしなくて良さそうだから選んだ、だなんて。恐るべき堂々たるプライバシーの侵害だ。……そんなことがあるのか。あっていいのか。いや、あるから、今こうなっているのだろうけれども。ああ、訳が分からなくなってきた。

「つまり……アカデミーの生徒を観察した結果、私が最も扱いやすいであろうと判断された?」

「いや。扱いやすいかどうかは、現時点で判断することはできない。俺は俺に見えた部分でしか君を知らないからな。俺が観察し得た部分において、君の人格的傾向は俺の求めるものと近しかった、ということだ」

 どこまでも平然として、希代の鬼才は言う。もうあれだ、天才すぎて余人の理解の及ぶ人ではなくなってしまったのかもしれない。何を言っているのか、割と結構かなり全くもってサッパリ分からない。分かりたくない、とまでは言わないけれど。

「しかし、〈天見塔〉の後継者となれば、その責任は極めて重大です。成績や技能については、最大限加味して人選を行うべきではないのですか。性格に問題があっても有能な者ならば何がしかの役に立ちますが、人が好いだけの無能では、ただの役立たずでしかありません」

「君は無能と評すには値しないが」

 あっさりと切り返す声。反射的に息を呑み――そして、緩みかかった口元を努めて引き締める。「無能ではない」という、消極的な言葉ではあるにしても、かの〈天見塔〉の管理者に評価されるのは、単純に誇らしく思えた。

「仮に現時点で不足があるとしても、時間はある。幸い君は真面目で、頭の回転も遅くはない。それがアカデミーの成績に反映されきらないのは、おそらく効率のいい学習方法を知らないからだ。必要なことは、これから俺が全て教える。さすれば、俺が使い物にならなくなるまでには、君も後を任せるに足る人材に育つだろう。矯正しきれるかも分からない人格問題児を扱うよりは、その方が明らかに効率がいい。何より、俺のストレスも少なく済む」

 立て板に水を流すように滔々と語れる言葉に、三度言葉を失う。そんな私を見下ろして、人類最初の砦の主は、至極何でもないことのように告げた。

「だが――君がどうしてもやりたくない、嫌だというのなら、強制はしない。だが、荷が重いと気が引けることを理由にするなら、その意見は考慮に値しないと言わせてもらう。君が荷を負えるようなるのは今ではない未来の話で、そうする為にこれから育てるのが俺だからだ」

 分かったか、と念を押すように問い掛けられ、頷いたのは半ば以上考えて理解してのことではなかった。ただ、直感してしまったのだ。

 ――ああ、きっと選ばれたその時から、退路などありはしなかったのだろう、と。

 軽く息を吐いて、これから長く師と仰ぐになるのであろう人を見上げる。ただでさえドロイドじみた無感動な声音で喋り、目元を覆い尽くすミラーシェードで表情も読めない――有体に言えば、怪しげな風体ですらある御仁。

 けれど、二十年間、ひたすらに敵の出現を観測し、〈天見塔〉を最初の砦と機能させ続けた正真正銘の偉人であることに間違いはない。偉大なる人類の守護者の一人。

 そんな人に、私は選ばれた。選ばれてしまった。

 息を吸って、大きく吐き出す。それでどうにか、ばくばくと高鳴る鼓動は喋るに邪魔でない程度にまで落ち着いてくれた。早鐘を打っていること自体に変わりはないけれど。

 そも、私が今ここで決断する必要はない。初めからその権利は与えられていなかった。だから、私がするのは一つだけ。……腹を括る。覚悟をすること、だ。

「一つ、確認させて頂いても宜しいですか」

「構わない」

「私を育てて下さるというあなた様を、私はなんとお呼びすれば?」

「ベルギルと呼べ。君をこの場に迎えるにあたって、上下関係や主従関係の構築を望んではいない」

「では、ベルギルさ」

「ベルギル。蛇足は必要ない」

 様、と呼びきるよりも早く、遮られた。

 きっぱりと断じる声は、それ以外の呼び方は許さないと言外に告げているようでもあった。つまり、このコロニー・ルティフィルにおける最重要人物の一人に数えられる御仁は。あろうことか、自分を呼び捨てにしろと、そう言っているのだった。

 いきなり別の意味でハードルを上げ過ぎだろう、と軽い眩暈を覚えてしまったのも無理からぬことであると、私は切に主張したい気持ちでいっぱいである。やはり、この人はどこか一般庶民と大きくずれた世界に生きてらっしゃるのではなかろうか。

 二十年前、十五歳にして〈天見塔〉を掌握したと伝わっているからには、今現在御年三十五であられる訳だ。つまり、私より十九も年上で。重ねて述べるように、コロニーでも指折りの重要人物である人だ。それを。呼び捨てにしろなどと。……無理難題にも程がある。

「申し訳ございません、そのお言葉は了承致しかねます」

「教官の命に逆らうのか」

「教官であればこそ、呼び捨てにはできません」

「では、俺も君を『サラフィナ』と呼ばなければならないな」

 さらりと言われた台詞に、ひくりと頬が引き攣ったような感覚を覚えた。たぶん、気のせいであると思いたいけれど。

 何を隠そう、私は私の名前が苦手だった。今は亡き父と母が私を想い、考えてつけてくれたものであるからには、嫌いだなどとは言わない。言えようはずもない。ただ、何と言うか――座りが悪いのだ。

 だって、「サラフィナ」だ。天使(サラフィナ)。天使だぞ。大仰すぎて困る。だから、私の名前を呼びうる人には、一貫して「サラ」と略称で呼ぶようにお願いしてきた。さりとて、それはアカデミーの成績表やら内申評価に記載されるようなものではない。サラフィナと呼ばれても返事をしないとかいう訳でもないから、日常生活や学生生活に支障もないし。

 だというのに、アカデミーの生徒を独自に監視し、天秤にかけていたというお師匠様は、そのこともすっかり把握済みだったという訳だ。素晴らしき用意周到。もう笑いも諦めも出てきやしない。

「……了解致しました」

 観念しました、と降参する代わりに軽く息を吐いて、答える。

「ご命令とあらば、従わざるを得ません。ご指導ご鞭撻のほど、宜しくお願い致します――教官」

 指定された名前ではなく、肩書で呼んだのは最後の抵抗だった。これまで封じられてしまえば、本当に手も足も出ない。

 けれど、意外なことに追及はなかった。

「ああ、こちらこそ宜しく頼む」

 乾いた声に、わずかな揺らぎ。意外に思って、分厚い壁のごとく装着者の内情を覆い隠すミラーシェードを見上げると、

「期待している」

 そう言った教官の唇は、ほんのりと弧を描いていた。



 かくして、アカデミーではなく〈天見塔〉に通う日々が始まった。

 天才とは往々にして自分の論理で物事を捉え、それを他人に理解させることに対して不得手なことが多い――とは、娯楽作品などでも良く見られるテンプレートである。けれども、意外にも当代きっての鬼才は、教官役が非常に上手かった。

 難解なことを難解なまま伝えるのは容易だが、難解なことを平易に伝えるには少なからぬ技術が要るという。教官はそれを平然とやってのけたばかりか、分からないことばかりで、あれやこれやと質問を投げかけてしまう――おそらく教官から見れば馬鹿馬鹿しいようなものまで――私に面倒がる風を一切見せず、逐一丁寧な答えをくれた。正直に言えば、これが一番嬉しかったし、助かった。

 何もかもを一から教えてもらっている現状で、しかも教官とは一対一。これで気軽に質問もできないのでは、一人前になる前に潰れてしまう自信しかなかった。そうならずに済みそうだと信じられるのは、間違いなく良いことだろう。

 そのようにして日々の学習は着実に進んでいったものの、問題がまるで無かったかと言われれば、決してそうではない。

 二つ隣の区にあり、辛うじて徒歩で通えていたアカデミーと異なり、〈天見塔〉は自宅からかなり距離がある。アカデミーまでの距離の倍ではきかないくらいだ。自動車も二輪車もない我が家での移動手段は極めて限られており、つまり公共交通機関――コロニー内の各地区を繋ぐモノレールを用いるしかない。

 初めは想定外の出費に内心で頭を抱えたものの、後日あった通達によると、私の移動にかかる費用は全てコロニーで支給してくれるという。これもまた嬉しい計らいだった。

 よって、問題とはそこではなく――

《サラ、雨降るっテ!》

 帰り道の空が曇れば、足で傘を掴んだ鳥型のドロイドが飛んできて。

《サラ、不審者警戒情報が流レた! 今日はおれが一緒ニ帰る!》

 少しでも不穏な情報が流れれば、少年型のアンドロイドが護衛につき。

《サラ、忘れ物ダ》

 出先で忘れ物があれば、丁寧に口にくわえた犬型ドロイドが届けにきてくれるのだ。因みに、その時は気まぐれを起こしていつもの帰り道から逸れた、小さな書店に寄っていた。何故ここにいることが分かったのか、とはとても訊ねる気になれなかった。

 そんなことが、毎日のように発生するのである。おそらく、きっと、全て善意によるものなのだろう。私を気にしてくれているのだろう。――けれど、私は声を大にして言いたいのである。

「……嬉しくない訳じゃないけど、そうじゃない……」

 覗き見は、どうかほどほどにして頂きたい。

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