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罰と熱

「え? ウェディングドレス着ないの?」

 恋する乙女が目を丸くして小首を傾げる。

「うん。ウェディングドレスみたいなワンピースにしようと思って。そういうのもカタログにあったの。見る? 一緒に選んでもらおうと思って持ってきたんだ」

 見る見る! とはしゃいでいる彼女に、結婚への準備を始めた彼女から手渡されたカタログはそれなりに分厚い。付箋のついているページを開き、これ、と指さされたページを一緒になってのぞき込む。確かにドレスというよりは豪華なワンピースが淡い色を中心に色とりどりに並んでいた。中には妖艶な真っ赤なドレスもあり、さすがに結婚式でこれは……と三人で顔を見合わせて笑い、誰が着るのかを面白おかしく想像し合う。


 木枯らしが吹き荒ぶ窓の外。ハロウィンが終わり、もうすぐクリスマスが来て、慌ただしくお正月を迎え、そしてセンター試験が始まる。

 勉強疲れが積み重なっている教室の空気は重い。それでもどこかで息抜きをしようと考えているのはみんな同じで、親友の声が聞こえた周りの女子がわらわらと集まり始めた。


「これね、半分オーダーメイドみたいな感じで、色々選べるんだよ。色とかレースの種類とか」

「へーえ。すごいね」

「でしょ。これならウェディングドレスをレンタルするのとそんなに変わんないし、あんまり派手な感じじゃなきゃ記念日の度に着られるかなって」

「うわー! いいね、それ! 私の結婚式の時にも着て!」

 照れくさそうでいて嬉しそうに笑っている親友に、うっとりとした笑顔を向けるもうひとりの親友。


 周りの友人たちも、どこか羨ましそうに目を細めている。結婚なんてまだまだ考えられず、目先の現実に溺れないよう必死にもがく中、一人先を行こうとする彼女への羨望とわずかな妬みが入り交じった眼差しの上に、未来の自分を重ねている。


 二人に向けた笑顔は本物。けれど、心のどこかが息苦しさにのたうち回る。

 わかってはいたことだけれど、未来のない私に彼女たちは眩しい。

 覚悟を決めて、それが最善と選んだ道。それでも、その先を夢見ることはやめられない。

 くるしくて、にがくて、しめつけられて、あえいで──。時々、小さな小さな箱の中に閉じ込められているような気がしてしまう。


「二人のところにも招待状が届くと思うから、できたら式に参列して?」

「もちろん」

 嬉しそうに笑って答える親友。同じ言葉を笑顔で答える。上手く笑えている自信はある。



 

「どうかした? 何かあった?」

 それなのに、この人には通用しない。呼吸の仕方を忘れそうなほどの閉塞感を持て余したまま家に帰る気にもなれず、気が付けば天使の言葉で描かれた結界を抜けていた。


「先生の顔が見たかっただけ」

 かつての夫は、顔を真っ赤にしてあわあわと狼狽えた。手にしていた本を取り落とし、かけていた眼鏡をずり落とし、中途半端に腰を浮かせては落とすを繰り返し、回転椅子がぎしぎしと耳障りな音を立ている。

 わずか一年だけとはいえ夫婦だったのに、ここまで照れられるとこっちまで恥ずかしい。恥ずかしさを誤魔化すように声を上げて笑った。


 先生のそばはいつだって楽に息ができる。気付けば身体がほっと息をついて、いつの間にか入っていた余計な力が抜けている。心を締め付けていた何かが綻んでいく。


 もう何もかもすっ飛ばして、残り一年のカウントダウンを始めてしまいたくなる。

 その手に触れたい。抱きしめられたい。キスしたい。素肌で触れ合いたい。内側に触れてほしい。そのままの先生がほしい。


「先生。手、繋いでもいい?」

 狼狽えていたはずの先生は、その瞬間、急に真面目な顔になって軋む回転椅子から立ち上がり、その胸に引き寄せてくれた。白衣に隔てられても微かに香るのは、変わらない先生の匂い。


 窓の外はいつの間にか風がやみ、かわりに霧のような細かい雨に煙っている。日が暮れていく。


「どうした?」

「なんでもない。ちょっと淋しくなっただけ」

 緩くふんわりと抱きしめられる。それは、子供の頃にしてもらっていたのと変わらない。かつて幾度もぶつけられた熱を感じることのない、温度のない抱きしめ方。


 先生はきっとわかっている。私が何をしたか、きっと知っている。


 稀代の大魔術師を誤魔化せるとは到底思えない。術の痕跡は極力残さなかったはずだけれど、そんなもの、先生にかかれば一目瞭然だ。

 それなのに、私の自分勝手な行動を責めることなく、黙したままこうして抱きしめてくれる。くすぶる熱を伝えないように。私が持て余している熱は伝わってしまっているだろうに。

 私はいつまでたっても子供のままだ。いつだって身体だけが大人になっていく。

 頭を撫でる指先は、子供の頃から変わらず優しさだけを伝えてくる。熱がほしい。どうしようもなく熱がほしい。それでも、そのうち熱は鎮まり、心も静まる。私が持て余していた熱は、先生の胸に腕に指先に吸い取られ、中和されてしまう。

 それが、淋しい。




 淋しさを抱えたまま月日は惰性のごとく流れていく。

 私も彼女も志望大学に合格した。もうひとりの彼女は人知れず自らの命運を変遷させ、未来を手に入れた。

 純粋に嬉しくて、ともに喜んで、ともに笑った。


 嬉しくて喜ばしいはずなのに、一人になると同じくらい無性に淋しかった。淋しさが生み出す澱んだ熱にじわじわと侵食されていく。


 魔女には勿体ないくらいの今がある。家族がいて、親友と呼べるような友達がいて、寄り添ってくれる相棒がいて、恋しい人が傍らに存在する。

 それなのにどうしようもなく淋しさを感じる。贅沢だとわかっている。わかってはいても、淋しさはなくならない。濁った熱が冷めることはない。


「欲張りになっちゃったな」

『もっと欲張ればいいのに』

 ぐりぐりと鼻先を腕に押しつけてくる相棒の目が優しい。

「これ以上欲張ったら罰が当たりそうだよ」

『もう当たってるでしょ。これ以上当たらないよ』

 思わず相棒の目を凝視する。くりっとした濃い茶色が光を反射してガラス玉のように見えた。


「罰?」

『罰でしょ、どう考えても。魔女にされる以上の罰なんてないよ』

 そうなのだろうか。そんなふうに考えたことなんてなかった。

「だったら、なんで罰せられたんだろう……」

『ただの確率の問題でしょ。あなた自身に罪があったわけじゃない』

「そうなの?」

『違うの? だから、あの男に出会えたんでしょ。罰の代わりに』

「そうなの?」

 驚きのあまり同じ言葉しか出てこない。


『そうじゃないの? 私にしてみれば踏んだり蹴ったりだと思うけど。あんなのより力を欲しがればよかったのに。一途を通り越したあんな変態に出会うなんて最悪』

 ほんのわずかに首を傾げながら、ふんと鼻を鳴らした彼女の目はそれでも優しい。

「じゃあ、あなたと出逢えたこともご褒美だね。前は相棒には出逢えなかったから」

 耳がひくっと動く。しっぽの先が小さくぱたぱたと揺れる。思わず笑うと、ふんと鼻を鳴らされた。


 うららかな陽射しが窓硝子を通り越して、ふてくされるようにベッドに寝転がっていた身体を温めてくれる。寄り添う真っ白で大きな身体が心を温めてくれる。手触りのいいそのフィラメントをゆっくりと撫でていると、心が浄化されていくような気がする。指の間をくすぐる絹糸が泣きそうになるほど心地いい。


「生活が変わるからかな。なんかちょっと不安定かも」

『変わるようでいて変わらないよ』

「そうかな」

『そうだよ。通う学校が変わるだけ』

「そっか。そうだね」


 あと四年と最後の一年。存分に生きよう。

 後悔なんてするに決まっている。未来をうらやむに決まっている。その先を夢見るに決まっている。

 それでも、今を精一杯生きて、そして、最後に笑おう。それがどれほど淋しい笑顔だったとしても、絶対に笑ってやる。たとえ涙を流しながらでも、幸せだったと高笑いしてやる。


『卒業旅行はどこに行くか決めたの?』

「ん。公園でお花見かねてピクニックすることにした。健全でしょ?」

 むくっとその頭をもたげた相棒の目が輝く。垂れ耳が期待で浮き上がる。

『もしかして、私も一緒?』

「もちろん。彼女たちも相棒連れてくるって」

 しっぽが大きくせわしなく揺れる。彼女はわかりやすい。わかりやすく純粋だから安心する。


『かつてのあの地に行ってみるのかと思ってた』

「行かないよ。さすがにあなたを貨物にしたくないもん」

 目を丸めた相棒の垂れ耳が立ち上がりそうなほど浮き上がる。

『私も一緒なの?』

「当たり前でしょ、私の相棒なんだから。相棒とは片時も離れないに決まってるでしょ」

 珍しく頬を舐められた。しつこいくらい舐められた。


 私は、この相棒すらおいていく。

 最善と選んだ道。その覚悟が私自身を責めたてる。






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