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ボルゾイ

「君の相棒のこの不敬な眼差し。なんとかならないわけ?」

「仕方ないですよ、この子は先生が嫌いですから」

「だいたい、どうして君の相棒が犬なのさ。いまだに納得いかん」

「だって、今時魔女の相棒なんて時代おくれよって、黒猫どころか、声をかけた全ての猫に相手にされなかったんだから仕方ないですよ。仔猫にまでバカにされた時は、絶対に猫は相棒にしないって心に誓いましたから」

 この子だけが、いいよと言ってくれた。




 あの日、小学校を卒業したあの日。

 まるで心の底から爆発的に湧き起こったかのような、何がなんでも自分の相棒を見つけなければという使命感にも似た衝動。己が魔女だとはっきり自覚したわけではないけれど、その日突然、どうしようもなく相棒を渇望した。

 近所中の猫に話し掛け、鼻で笑われ続け、最終的にたどり着いたのはペットショップで、そこにいた仔猫たちにすら嘲られた。現代の猫たちの冷たい対応に、幼心が折れそうだった。

 そんな中、明らかに仔犬とはいえない大きさの、けれど間違いなく仔犬が声をかけてきた。


『いいよ』

 たった一言。


 純白の毛に覆われた、細面で妙にりりしい雰囲気の仔犬。じっと見つめたら、じっと見つめ返す。目が離せなかった。どのくらいそうしていたのか。じっと目をそらさず見つめていたら、その子は静かに顔を背け、きっちりとお座りしたあと、まるで騎士が膝をつくように、ゆっくりと伏せをした。


「いいの?」

『いいよ』

 再び交わされたのはそれだけ。


 その子の入れられているケージに、両手とおでこ、鼻の先をべったりと張り付けている私を咎めたのは、もちろんストーカーしていた先生で……。


「まさか、これを相棒にするつもり?」

「するつもり」

「猫じゃダメなの?」

「だめ」

「これ、犬だよ?」

「この子がいい」


 それまで迷惑そうにしていた店員さんが、先生の姿を見た瞬間、それまでの迷惑顔をきれいに隠して、満面の愛想笑いを振りまきながら近寄ってきた。

 この子がいかに珍しい犬種か、チャンピオン犬から生まれているどれほど貴重な仔犬か、そんな割とどうでもいいことを一生懸命先生に説明している。


「どうしても、これなの?」

「どうしてもこの子」

「でもこれ白いよ?」

「白がいい」

 先生を見上げれば、ものすごく嫌そうな顔をしていた。


「ジェイは嫌?」

 当時は、ジェイと呼んでいた。そのジェイは嫌そうな顔をしたまま、はっきりと頷いた。

 まあ、先生の姿が現れた瞬間から、ずっと呻り声を上げられていたのだから、第一印象は最悪だっただろう。

 けれど、子供に対して大人げなくそれを言うのは、今でもどうかと思う。


「これはかわいげがない」

 それを聞いた私は、かわいげなく返した。


「相棒にかわいげは求めてないもん」

 ぐうっと声をつまらせた先生の横から、店員さんがたたみかけるようにセールストークを割り込ませてくる。


 そのとき私は、生まれて初めて先生に何かを望んだらしい。それがこの相棒であることを彼はいまだに愚痴る。


「いくらだ?」

 それを聞いた瞬間、仔犬の呻り声がぴたりと止み、私は稀に見るほどの満面の笑みを見せたらしい。ことあるごとにそのときのことをちくちく言われる。

 それ以上にいい笑顔を見せていたのは店員さんだったと思う。


 ケージの中から連れてこられた真っ白な仔犬は、私が腕に抱くには少しばかり大きかった。


「仔犬でこの大きさなら、成犬になったらどれほど大きくなると思う?」

 あからさまに嫌な顔をする先生を見た店員さんが、慌てたようにこの子のすばらしさを語り出した。この子のすばらしさは、店員さんがしきりに繰り返すその珍しい種類でも親がチャンピオン犬でもない、この子の存在そのものだ。


「じゃあジェイはどの子がいいの?」

「どの子もいらん。だいたいね、相棒なんて必要ないでしょ?」

 その一言は、小さな私の心を深く深く傷つけた。


「なっ、なにも泣くことないだろう。もっとほかに探してみてからでも遅くないと思うよ?」

「この子がいいの。相棒は必要なの。だって私はま──」

 ぼろぼろと涙をこぼし、ひっくひっくとしゃくり上げながら、魔女なんだから、と続けようとしたその口は、先生の手でふさがれていた。鼻水までその手についたのは、いきなり口をふさいだ方が悪いと今でも思う。

 ただ、当時子供だったとはいえ、魔女などと口走ろうとしたその浅慮が恥ずかしい。子供だから仕方ないといえば仕方ないけれど。


 で、先生がポケットから金塊を取り出し、支払いに充てようとして店員さんを思いっきり困惑させた。


「お客様、当店のお支払いは現金かカードでお願いしておりまして……金でのお支払いは……あの、金ですよね、それ」

 目を白黒させていた店員さんが、少しだけ気の毒だった。


 大人げなく舌打ちしながら先生が両親に電話し、現金を持ってこさせた。どう考えても金の大きさと釣り合わない現金との交換に、店員さんが心配そうな顔で耳打ちしてきた。


「おじいちゃん、あの人たちに騙されてない? あの金の塊、どう考えてももっと価値があると思うんだけど」

 当時金の高騰が連日ニュースになっていたからか、金の価値への理解があったのだろう。そんな店員さんですら、それがまさか錬金だとは思わなかっただろう。


「あれ、両親です」

 ああ、そうなんだ。そう呟いて勝手に何かを納得した店員さんが、両親からお金を受け取っていた。嘘は言ってない。両親は私の両親だ。先生が祖父ではないだけで。しかもそれが聞こえていたのか、先生が思いっきりむくれていた。

 どうやら店員さんには「ジェイ」が「じい」に聞こえていたらしい。


 その翌日からだ。先生が無駄に若い姿をとるようになったのは。

 そのせいで、それまではおじいちゃんと孫という穏やかな関係に見られていたのに、若い男と少女という穏やかではない関係に眉をひそめられることになる。




「それで? どうして先生が私の部屋に当たり前にいるんですか?」

 ずっと呻り声を上げている相棒の、首の後ろをかいてやる。


「私の部屋と君の部屋を繋ごうと思って」

「先生、このマンションは鉄筋コンクリート造です。お隣の家との壁はコンクリートでできています」

「わかっているよ。その壁にちょーっと穴を開けるくらいいいだろう?」

「ちょーっと穴を開けていいわけないでしょうが」

 この爺さん、バカなのか。うっかりそんな目で見てしまった。傍らでお行儀よくお座りしている相棒が心底馬鹿にしたように、ふんと鼻を鳴らした。


「だって、君は私の家に引っ越してくれないどころか、足も踏み入れてくれないじゃないかぁ」

 情けない顔で、いじいじと指先を弄ぶのはやめてほしい。


「先生、今あなたは私の通っている高校の数学教師になっているんですよ。色々問題でしょう、それは」

 大きな舌打ちが聞こえてきた。無理矢理学校に潜り込んだのは自分なのに。若い姿がとれるなら、どうして同級生にならなかったのか。


「女子高生と教師の禁断の恋とやらに心惹かれたのは失敗だったのか」

 この数学教師は、紛うことなきバカだ。

 相棒が心底呆れたと言わんばかりに、再びふんと鼻を鳴らして足下に伏せた。


「本当に、君の相棒は不敬だな」

『どこに敬うべきところがあるわけ?』

 相棒の容赦ない言葉は、先生の耳にも届いているはずのなのに知らん顔だ。本当に先生は昔から都合のいいことしか耳に入れない。

 おまけに、人のベッドに無断で寝そべり、その匂いを思い切り吸い込んで悶えている変態教師だ。




 その変態教師が渋りながらも自分の家に戻ったあと、同じようにベッドに寝そべり、その残り香を吸い込んだ。あの人の匂い。あの頃から変わらない。


『バカなのはあなたもだから』

「わかってる」

 布団に顔を埋め、薄れゆく彼の匂いをどこまでも自分の中に取り込む。私も十分変態だ。


『あれがいなければ、あなたはここで自由に生きることができるのに』

 私はそれでも彼を求める。それでも彼を想って一生を終える。たとえ記憶がなかったとしても、魂が彼を求める。

 ベッドサイドから聞こえた嘲るような鼻音。ゆっくりと顔を向ければ、おでこを鼻先でとんと突かれた。


『だったら、残り少ない時間をもっと有意義に過ごしないさいよ』

「いいの。こういうなんでもない普通の毎日がいいの。昔はできなかったことだから」

 まるで仕方ないとばかりに鼻を鳴らしながら、彼女もベッドの上にひょいと飛び乗り、すぐ脇に伏せた。まるで私はそばにいるとでも言いたげに。こういうところがかわいいと思う。


「私のところに来てくれてありがとう」

『べつに。どこかの金持ちの付属物にされるよりはマシだと思っただけ』

 憎まれ口を叩きながらもその鼻先を頬に寄せた私(魔女)の相棒は、純白の絹糸を束ねたような美しいしっぽを優雅にはためかせていた。






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