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土曜の夜ということもあって、レンタルビデオ『GETZ=ゲッツ』の店内はよく賑わっている。学生街なので若者の姿が多くカップルもたまに目につく。
美男美女のカップルが仲むつまじげに談笑しながら恋愛映画のDVDを借りていったりすると、哀れなシングル男子学生スタッフなどは、やるせない気持ちになったりする。
「あーあ、俺も彼女欲しいなー」
続けざまに来ていた客足が途絶えると、長瀬は深いため息を漏らした。
「長瀬さん、彼女いないんですか?」
「いたけど半年ぐらい前に別れちゃったんだよ。廉ちゃんの方は、友紀ちゃんとはどうなんだい? 何か進展あった?」
廉ちゃんとは決して女性ではなく、この物語の主人公・栄華廉太郎のことだ。廉太郎の名は、彼の母が某有名作曲家のファンでそれに由来しているのだが、非常にレアな苗字と組み合わさって、結果レンタルビデオ屋で働くのにうってつけな姓名が誕生したのだ。
「えっ、な、何ですか進展って。べつに何もないですよ」
やや早口で答えた。いきなり友紀の名を出されて少し焦ってしまった。
「そうかい? でもいつも仲良さそうにしてるじゃないか。友紀ちゃんて、俺たちには一線引いてる感じだけど、廉ちゃんとはすごい親し気に話してるよな。そう思わないか、斉藤」
「思う思う。廉ちゃんて、実は友紀ちゃんの好きなタイプなのかも知れないぜ。チャンス、チャンス」
斉藤は廉太郎や長瀬と同じ大学の三年生だ。ただ一浪したらしく、本当は長瀬よりも年上らしい。
「チャンスもなにも、べつに……」
廉太郎はほんのり紅く染まりつつある顔を隠すように横にそむける。今まで一度も彼女の出来たことのない彼にとって、川野友紀は高嶺の花、チョモランマのてっぺんに咲く一輪の花で、到底自分の手など届くはずもないというのが本音である。
「絶対彼氏がいると思いますよ。あんな綺麗な人、周りがほっとく訳がない……」
友紀に彼氏がいるのかどうか、もう長い付き合いになる先輩スタッフたちでさえ知らなかった。
うつむく廉太郎の前に青い貸し出し袋が置かれた。DVDを取り出し素早くバーコードを通す。
「はい、全部ですね、ありがとうございました」
返却されたのは、先週入荷した人気海外ドラマ『デスパレートな救急救命プリズン・シーズンⅣ』だった。なんだかワケわからんタイトルだが、とにかく人気のシリーズで、この店では1作あたりDVD5本、ブルーレイ2本を入荷していた。シーズンⅣだけで5巻あるので、計35本入荷したのだ。
「すごい回ってますね、これ」
「ああ、たまにお客さんに戻ってきてないかって聞かれるよ」
返却処理されているが、まだ棚に戻していないぶんもあるので、それはないかと聞いてくるのだ。
「……ああ、いま借りたから……うん。1と2と4があった……うん」
スマホで通話しながら借りている男がいた。先輩スタッフが接客している。
「新作3本で、1080円になります」
まだ若い学生風のその男は会計を済ませ、貸し出し袋片手に店から出ていった。
「また『デスパレートな救急救命プリズン・Ⅳ』が出ましたね」
「そうみたいだね。あ、廉ちゃん、これはもう教えたっけ。もしお客様に在庫を聞かれた時は……」
先輩はPCに『タイトル照会』の画面を出して、数字を打ち込む。画面に『デスパレートな~』の貸し出し状況が表示された。
「タイトルナンバーを打ち込めば、在庫があるかどうかひと目で分かるから。わざわざ店の奥まで見に行かなくても、これを見ればいい」
すべての作品のディスクとパッケージにはタイトルナンバーの数字が記入されたシールが貼られ、タイトルごとに分類されている。
「なるほど、便利ですね……あ、いらっしゃいませ」
その後も『デスパレートな~』は次々と返却され、すぐに貸し出されていく。欲しいものがなくて、たまに嫌な顔をする客もいるようだ。
「何だよもう! さっき電話した時『デスパレートな救急救命プリズン・Ⅳ』の1はあるって言ってただろ!? とっといてくれなかったのかよ!?」
禿げた中年の男が、顔を赤くして怒鳴った。
「いえ、それは在庫をお伝えしただけで、当店では取り置きは致してませんので……申し訳ございません」
「もういい!! じゃあ、この2だけ借りる!!」
客としては1から見たいところだろうが、在庫がないようだ。男は2だけ借りて、でっぷりとしたわき腹を出入口にぶつけながら出て行った。
「要はタイミングなんだよな……運の良かったお客様は借りられるけど。ところで廉ちゃん、本当はもう友紀ちゃんとキスぐらい済ませてるんじゃない?」
「またその話題に戻りますか……」
先輩たちは彼女が休みなのをいいことに、興味深げに質問を浴びせてくる。彼らも本音を言えば彼女に気があるのではと廉太郎は思った。
店の奥から、二十歳前後と思われる若い男がDVDを手に歩いてくる。にこやかな表情でカウンターの上に置いたのは『デスパレートな救急救命プリズン・Ⅳ』の3と5だった。
「よう長瀬、元気?」
いかにも活発そうなその男は、長瀬の知り合いのようだった。
「元気じゃねえよ。バイトでくたびれっぱなしだよ。そっちはこれからDVD観賞かい? いいなあ」
「ああ!! 俺はもう、このシリーズ大好きでさ、今夜は徹夜で観るぜ!!」
「おお、張り切ってるなあ。えーと……新作2本で、7兆2000億円になります」
「たけえよっ!! あははははっ!!」
その客は足取りも軽く去って行った。
「……お友達ですか?」
「ああ、あいつは近藤っていうヤツだ。俺たちと同じ大学だぜ。まあ、そんなに深い付き合いはないんだけど、たまに会ったら話すぐらいかな」
「よく来られるんですか?」
「そりゃもう、常連さ。週に一回は来て新作借りてくぜ。特に海外のテレビドラマが好きみたいだ」
「いま、面白いのいっぱいありますからね!」
廉太郎もたまに自分で借りて見たりもする。従業員割引でもあれば助かるんだが、残念ながらそういう制度はない。
家で友紀とふたりでDVDを観賞しているところを廉太郎は想像してみた。部屋を薄暗くして、小さなソファーにふたり寄り添うように座り、たまに感想を言い合いながら映画を観る───いつか、そんな日が来ればいいなと妄想した。
そして次の日。
いつものように廉太郎は夕方からのシフトに入っていた。カウンター内には友紀の姿もあり、客はまばらにいる程度だ。
「昨日はどうだった?」
友紀は返却されたディスクを丁寧に拭きながら聞いた。
「昨日は……はい、あの……ちょっとお客さん多めでした」
「そう……」
すぐ側に立つ友紀の横顔を廉太郎は横目で見る。聡明さを滲ませる綺麗な額、高く伸びやかな鼻、程良く引き締まった口元。その天女のような美しさに廉太郎はつい見入ってしまう。こんな人と同じ職場で働けるなんて自分はなんて幸せなんだと思う反面、これだけの美女を他の男たちが狙わないはずもないだろう、そんな不安も頭をよぎる。
「お忙しいところ失礼。我々〇〇署の者ですが───」
ぼーっともの思いにふけっていた廉太郎の眼前に、いきなり警察手帳が差し出された。
「ちょっと今、お時間よろしいですかな?」
強面な感じの中年男性のふたり組が眼の前に現れた。ふたり共に、ややくたびれた感じのスーツを着ている。
「何でしょう?」
あまりに唐突で廉太郎は動揺したが、横にいる友紀が落ち着いた態度で応対する。刑事らしきその男は、ちらちらと周りに眼をやりながら、低い声で言った。
「実は……今朝、この近くのワンルームマンションで若い男性の遺体が発見されまして……」
「ええっ……!?」
ちょっと待って下さいと言って友紀は犬山店長を呼びに行きかけた。しかし、彼を呼んだところで何の役にもたたないのは明白なので呼びに行くのをやめた。長瀬や斉藤が何事かと寄って来る。
「そ、そうなんですか……それで……?」
「その、亡くなった方が、昨夜この店でDVDを借りたようなんです。部屋にディスクや伝票、その青い袋もありまして……」
籠に山積みになった貸し出し袋を指さす。
「ちょっと確認しては頂けませんか? 伝票には近藤雄介と書いてありました」
「こ、近藤っ……!」
その名前に一番はっきり反応したのは長瀬だった。
「こ、近藤が、死んだんですかっ!?」
思わず大声を張り上げてしまい、友紀に肩を叩かれる。
「……本当に近藤さんなのかを確認したいのです。現場のマンションはどうやら近藤さんが借りてるようですが、その亡くなった方が本当に近藤さんなのか……あなたは彼のお友達ですか? ならば、こちらを……恐縮ですが」
その男は懐から写真を数枚取り出し長瀬に見せた。
「ああっ……!」
ほんの数秒見ているのも辛い写真だった。長瀬は眉を寄せ顔を歪めながら頷いた。
「あ、あいつ殺されたんですかっ……!? 刑事さん!!」
「まだはっきり断定はしてません。頸部圧迫による窒息死ですが、自殺の可能性もあります。しかしどうやら、近藤さんで間違いなさそうですね。それで……彼が昨夜ここに訪れたようですが……」
友紀が急いでPCに『近藤雄介』と打ち込む。同じ名の人が2名いたが、生年月日ですぐにどちらか判断できた。
「昨日……来られて、DVDを2本借りられてますね……」
「その時応対されたのは? 何か変わった事や、気になったことがあれば、お聞かせ願いたいのですが」
「お、応対したのは僕と長瀬さんですけど……」
長瀬は気持ち悪くなってきたのか、しゃがみ込んで口を手で覆っている。廉太郎は昨夜の事を必死で思い出そうとした。
「ええっと、長瀬さんと少し話してたぐらいで……」
「話を。どんな内容の?」
「……はっきり覚えてないんですけど……でも事件に関係するような、特別な内容じゃなかったと思います。この作品が好きだとか、そんな話だったかと」
「ふむ……近藤さんは、頻繁にこの店に来ていたのですか?」
友紀は急いで貸出し履歴を照会した。
「はい、かなりの常連さんですね。今まで300本近く借りられてます」
「そうですか……分かりました。とりあえず今日はこの辺で。あと、何か思い出したことがあればこちらへ」
その刑事たちは友紀に名刺を手渡し、人目をはばかりながら去っていった。
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