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レンタルビデオ「GETZ=ゲッツ」の事件簿  作者: 佐藤こうじ
廉太郎
5/12

5 

 走って来たのは、この店で働いている吉田という男性だった。


「ああ、びっくりした……怖い人が来るかと思った……」


「吉田さん、どうしたんですか?」


 吉田の顔は青ざめ、ぐっしょり汗で濡れている。大した距離を走ったわけでもないのに息を弾ませているのを見ると、余程の事が起きたのだろうと廉太郎は予想した。


「ちょ、ちょっと来てくれ……」


 彼はこちらの反応も見ずにネットカフェの方に走り出す。その切羽詰まった様子にみな不安を感じずにいられない。女性スタッフひとりをカウンターに残して彼を追った。通路には数人の客が立っていた。異変に気づいて部屋から出て来たようだ。


「な……何かあったのかね?」


「あ、すみませんお客さま。取りあえず部屋の方にお戻り頂けますか? あとでご説明しますので」


 客たちは、首をかしげながら部屋へと戻る。

 吉田は奥へと進み、閉じた男子トイレの前に立ち後ろを振り向いた。


「ヤバいことになっちまった……」


 彼の唇は青っぽく変色している。低い声は震えがちで滑舌が悪い。


「どうしたってんだよ……」


「とにかく見てくれ」


 ドアノブを持ち、そっとドアを押し開く。恐る恐る中を覗くと、壁にもたれるようにして尻もちをついている男性が見えた。


「岩尾さんだ……」


 岩尾は憔悴し切った様子でうなだれ、じっとタイルの床を見ている。スタッフたちがトイレの中に入って来ても何の反応もない。火照った顔、血走った目、乱れ切ったサイドの毛髪は凄惨な出来事の余韻を伝えている。よく見ると全身が小刻みに震えていた。


「あっち見て」


 吉田は岩尾がもたれている壁の対面を指さす。そちらにも男がいた。壁に寄りかかっているが、岩尾よりも体勢が崩れ、座っていると言うより倒れていると言った方がふさわしい。じっと眼を閉じ微動だにせず、半開きの口からよだれが漏れている。頭部をもたれさせている後ろの白い壁にはべっとり鮮血が付着していた。


「キャアッ!」


「たっ、田久保……さんだ……!」


 一見死んだように見えるその男は田久保だった。


「ど、どうなってんだこれ!? よ、吉田さん!! 一体なにがあったんですか!?」


 はあっと深く息を吐き出してから吉田は喋りかけた。


「あ、いや、ちょっと待って下さい!! それより……!」


 廉太郎は急いで田久保の手首をつかみ脈を確かめた。


「大丈夫!! まだ脈はありますよ!! 救急車まだですよね!? 急いで呼びましょう!!」


 吉田は、はっとした顔ですぐ側にある控室に駆け込んだ。


「店長にも連絡しないと……」


 女性スタッフがポケットからスマホを取り出す。


「田久保さん、しっかりしてください!! いま救急車呼んでますから!! すぐ来ますから!!」


 しかし田久保は眼を閉じたまま反応しない。


「揺すったら起きるんじゃ……」


 先輩スタッフが田久保の肩をつかもうとしたが、廉太郎が制した。


「いえ、頭を打ってるみたいなので、このまま動かさない方がいいでしょう。ん? これは……」


 床の上に財布が落ちているのを廉太郎は見つけた。中のお札やカードが半分出かかっている。


「この財布……どっちの人のだろう……」


 うっかり拾ってしまいそうになったが手を止めた。当然、触ってはいけない物だろう。

 程なくして救急車が到着し田久保は搬送された。少し遅れてパトカーも数台到着し、岩尾はすぐに乗せられ警察署へと連行された。


「……はい、そうです。財布の取り合いみたいになってて、揉み合ってるうちに岩尾さんが田久保さんを突き飛ばして頭を打って……」


 控室の椅子に座っている吉田は、奇妙なほどに汗をダラダラと流しながら、上擦った声で警察の質問に答えている。周りには警察の関係者や店のスタッフ、連絡を受けて駆けつけた犬山店長もいる。

 話を聞いていると、どちらかが財布を盗んで喧嘩になって、それをたまたま居合わせた吉田が見ていたという内容なのだが、廉太郎はどこか釈然としなかった。


 事件が起きる前、先輩は岩尾の部屋とトイレを見に行かせた。部屋に岩尾がいると伝えたら、なぜか驚いていた。

 そしていま、吉田さんや中番のスタッフたちはひどく狼狽している。女性スタッフなどは互いに肩を寄せ合いながら泣いている。聞いた限りでは、店側には何の落ち度もないはずなのに。


 頻繁に人の出入りがあるため、控室のドアは開放してある。廉太郎はその付近で腕組みをして考え込んでいる。


「……んっ?」


 急に肩に何かが当たった。びっくりしてそちらに顔を向けると、柔らかいものが頬に当たった。


「な、なに……? わああああっ!!」


 柔らかいものは、川野友紀の頬だった。彼女は後ろから廉太郎の肩に顎を乗せていたのだ。


「かっ、川野さん!! ああ、びっくりしたあ!! びっくりしたあ!!」


 廉太郎は急に赤面し、触れた方の頬を手でさすった。友紀はイタズラっぽい笑みを浮かべ、舌をペロッと出した。


「へへへへっ、ごめんね廉ちゃん!」


 驚いた廉太郎だったが、冴えわたるように美しい友紀の笑顔を見ると、たちまち心が和んでしまう。


「もう、やめてくださいよ。小学生みたいな事するんですね、川野さんって」


 友紀は長い栗色の髪を手でかきあげた。艶のあるしなやかな髪がさらさらと流れ、香水の甘い香りがふわりと漂う。薄いベージュ系のトップスにデニムショーパン、ショートブーツといういでたちで、いつものエプロン姿とは違った新鮮さがある。


「見た目は大人! 中身は子供! さて、私の正体は!?」


「知りませんよ……でもどうしてここに? 誰かから連絡があったんですか?」


 友紀は首を横に振る。


「たまたま店の前を通ったらパトカーが停まってたから寄ってみたのよ。万引きでも出たの? それにしては人が多過ぎるわね」


 廉太郎は起きたことを説明した。友紀は半笑いで聞いていたが、少しずつ真剣な表情に変わっていった。


「ふむ……もうちょっと詳しく聞きたいわね。ちょっと出ましょうか」


 ふたりは控室から出てカウンターの方に向かった。カウンターには女性スタッフがひとり立っている。こういう事なので貸し出しは中断し、返却のみ受け付けている。だからひとりでも十分なのだ。もうしばらくしたら廉太郎が代わる予定だ。


「おつかれー、ちょっと廉ちゃん借りるわね」


 店の外に出るとすぐに自販機とベンチがある。ふたりは温かい飲み物を買って、ベンチに並んで腰かけた。眼の前は駐車場で、その向こうは幹線道路が通っている。もう夜の十時をまわっているので車の通りは少ない。廉太郎はホットコーヒーのタブを引いた。本当はココアの方が好きなのだが友紀の前ではなんとなくコーヒーの方がいいような気がしたのだ。ちょっとカッコつけたかったのかも知れない。


「廉ちゃんはココアとコーヒーどっちが好きなの?」


「えっ!?」


 いきなりそれを聞かれて、廉太郎はひどくうろたえた。友紀の前でココアなんて飲んだ事ないのに、なぜ急にそんな事を聞いてくるのだと思った。


「い、いや、まあ……どっちも好きですよ。でもどうして?」


「ココアの匂いがしてたから、ココアが好きなのかなーって思ったらコーヒー買ったから」


「あ、ああ……匂いか……」


 ココアの後でオレンジジュースを飲んだのに、それでも分かってしまうものなのだろうか。廉太郎は友紀が手にしてる物を見た。ホットレモンのようだ。


「川野さんは、ホットレモンが好きなんですね?」


「うん、好きよ。でも一番好きなのはカルピス。濃ゆいのがいいわ」


 廉太郎はじわっと汗が滲むのを感じた。今の友紀の言葉は深読みすべきなのだろうか。考え過ぎだろうか。天使のように微笑む友紀の後ろに、黒い衣装をまとった小悪魔が見えたような気がした。青いベンチに乗せた、白い陶器のようにつややかな太腿を、ついついチラ見してしまう。


「さあ、さっきの話をもっと詳しく聞かせてくれる?」


 廉太郎は今日の出来事を出来る限りこと細かに話した。四番の部屋の件や、カギのかかったトイレとそこにあったペンキ缶、先輩に勧められてアダルトコーナーに行ったこと。そして何より気になる先輩たちのうろたえた様子。友紀は細かく相づちをうちながら聞いている。


「ふむ……なるほどね……うん、分かったわ」


 友紀は納得したようにうなずく。廉太郎にしてみれば何を分かったと言ってるのかさえ分からない。


「分かったって……?」


「あの人たちがやりそうな事だわ。私に教えなかったのは……たぶん反対されると思ったのね。でもちょっと計画に穴があり過ぎ」


「えっ、計画? 計画って……?」


「迷惑客を追い出そうとしたのよ」


「ど、どうやって……?」


「田久保さんと岩尾さんを喧嘩させて、どちらか、あわよくば両方が来ないように仕向けようとしたのよ」


「ええええっ!?」


「ちょっと確認したい事があるの。中に戻りましょうか」


 ふたりは店のカウンターに入った。ネットカフェ側のレジに友紀が打ち込み始める。


「ええっと、岩尾……幸之助さんだったわね……」


 カタカタカタ……


 カタカタカタ……


 画面には岩尾の利用履歴が表示されている。


「やっぱり。岩尾さんが今日借りたのは二番よ。四番じゃないわ」


「エッ!? で、でも見たんだよ!! 確かに四番に岩尾さんがいたんだ!! そ、それに四番の所に赤い印がついてたし……!」


「廉ちゃん、ネットカフェの部屋の変更の仕方教わった?」


「へ、変更……?」


「借りた部屋が気に入らなくて、他の部屋に変更したいって言ってくるお客様がたまにいらっしゃるのよ。そういう時はこれを操作して部屋を変えて差し上げなきゃいけないの」


 客はただ荷物を持って移動するだけだが、コンピューターの方は移動の処理をせねばならない。


「でもそれは、すごく簡単なのよ。廉ちゃん、ドラッグって知ってる?」


「う、うん、知ってるけど……」


「見てて」


 友紀はマウスを操作して、まだ入室中の部屋にある赤い印をつかんだ。それを移動し、別の空いた部屋の所でドロップする。


「たったこれだけ。これで部屋の移動処理完了」


 友紀は呆気にとられている廉太郎の顔を見て微笑む。


「か、簡単なんだね……」

 

「でしょ。ふふふふっ」


 移動した印を、同じ要領で元に戻す。


「こうやって、スタッフの誰かが岩尾さんの部屋を移動させたのよ。四番の部屋の電気スタンドはあらかじめつけておく。いかにも人が借りてるように見せかけるために。そして廉ちゃんに見に行かせた。」


「どうしてそんなことを?」


「岩尾さんが部屋に居ずに、トイレにいると思わせるためよ」


 なぜそう思わせようとしたのか、さっぱり廉太郎には分からない。


「これは推測だけど、田久保さんがトイレに来た時を狙ってイタズラしようとしたのよ。その犯人を岩尾さんに見せかけたかった。トイレにペンキ缶があったわよね? トイレの個室に潜んでた人が、そーっと出て後ろから田久保さんの頭にペンキ缶をかぶせてダッシュで逃げる!!」


「ああなるほど。俺はトイレの個室にいるのは岩尾さんだと思ってるから、田久保さんにそう教える、と……」


「そうよ。そうするとふたりは喧嘩になるわよね? 結果、もう来なくなることが期待できる、と」


「でも……なんだか随分ずさんな計画のように思えるんだけど……」


「私もそう思う。案の定、失敗してるわ。まず、岩尾さんが四番の部屋に入っちゃったでしょう? あの人いつも酔っぱらってるし、その部屋の電気はついてて人がいなかったから、勘違いしたのよ。多分トイレかドリンクバーから戻る時に間違えたんだと思う」


「じゃあ僕をわざとらしくアダルトの方に行かせたのは……?」


「そのイタズラをした人は、トイレを出て外に逃げる予定だったんじゃない? だけど外に出る時は必ずカウンターから見えちゃうわよね? 廉ちゃんに逃げるところを目撃されたくなかったのよ」


 彼らの計画もさることながら、廉太郎は友紀の聡明さに驚かされている。当事者でもなく、自分の話を聞いただけなのに、よくそこまで推理出来るものだと感服している。


「そのとお────り!!」


 いきなり後ろから言われて廉太郎は飛び上がるほど驚いた。いつの間にか店長と吉田、遅番のスタッフたちもカウンターに入っていた。女の子たちはもう泣き止んでいる。


「いま連絡があって、田久保さん意識が回復したって。あと、財布は岩尾さんのものだったみたい」


 さっきまで興奮していた吉田は、もうだいぶ落ち着いたようで、微笑みながら話した。


「そう、良かったわ。でも、どうしてその計画のこと私に黙ってたの?」


「どうしてって、そりゃあ友紀ちゃん真面目だもん。反対すると思ったんだよ。それにしても、こんなに大きな事件に発展するなんて。俺たち何かお咎めあるかなあ」


「計画は空振りだったんだし、何もないわよ。まあ……事件のきっかけをつくったってのはあるけど、財布を盗んだ人がまず悪いわ」


「その、財布盗んで、トイレで喧嘩になるってのが、いきさつがよく分からないなあ……」


「簡単よ。二番の部屋に、鞄だけあって人がいなかったから田久保さんが財布を抜き取ったのよ。それを持ってトイレに行った」


「なぜトイレに……」


「カギのある部屋に行きたかったのよ。そこで中身を抜いて財布は適当な所に捨てるつもりだった。だけど行ってみると個室には人が入っていた。それが吉田さんね?」


「ああ。俺が隠れてたんだ」


「仕方なくその場で財布の中身を抜こうとした時、盗難に気づいてあちこち探していた岩尾さんが入って来た。そして喧嘩になった」


 友紀の素晴らしい推理にみな驚きっぱなしだ。


「しかし……先輩たちのたてた計画だと、僕は田久保さんに嘘を教えることになってしまいますよね……」


 先輩たちは自分を騙そうとしていたのだと思うと、廉太郎はとても不満だ。


「いやー! 悪い悪い!! 吉田さんが変な計画たてたせいで……!」


「おいおい! 言い出しっぺはお前だろ!!」


「いやいや、確か斉藤が……いや、野村さんだったような……」


「ちょっと! 嘘言わないでよ!!」


 困った先輩たちである。友紀ニコニコしながら、そのい言い争いを見ている。意外とこういう事がよくある職場なのかも知れない。 


「ゆ、友紀ちゃん……」


 背後から声を掛けられ、友紀が振り返る。犬山店長が含み笑いを浮かべつつ、手に持っているDVDのパッケージを差し出す。


「こ、この映画、観ようと思うんだけど、知ってる? 面白いかな……?」


 パッケージには、一糸まとわぬ姿で砂浜にたたずむ女性。タイトルは『ガチンコ海辺ファック』


 店内に乾いた破裂音が響いた。




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