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レンタルビデオ「GETZ=ゲッツ」の事件簿  作者: 佐藤こうじ
廉太郎
4/12

4 

 その日、川野友紀は休みだった。

 午後六時からの中番のシフトには廉太郎を入れて男三人、女三人が入っている。中番のスタッフは学生か二十代の若者ばかりで、早番や遅番には三十代の主婦やフリーターも数名いるらしい。


「川野さんって桜渓おうけい大なんですか。うわあ、やっぱり頭いいんだ……」


 桜渓大学は、この地方では最難関の私立大学である。廉太郎は先輩の男性スタッフから聞いて一瞬驚いた。しかし友紀のいかにも聡明そうな容姿と言動を思い出すと納得できた。


「彼氏いるんですかねえ……」


 この際だからと思って先輩に聞いてみる。


「いやあ、どうかなあ。分からないよ。意外とね、プライベートな事は話してくれないんだよ。仕事の事は色々話すんだけど……」


「あの人は何年ぐらいここで働いてるんですか?」


「一年半ぐらいかなあ。でも一緒に遊びに行ったりとかもしないし、情報は意外と少ないんだ」


 仕事上の付き合いとプライベートは、はっきり切り離しているのだろうか。でもそう聞いてしまうと余計に興味が湧いてくる。


「あ、家はここから割と近いみたいだよ。最近車買って、それで通勤してるよ」


「うわあ、車持ってるんですか。いいなあ。俺なんか免許もまだですよ」 


 まだ高校を出たばっかりの廉太郎は、車を持ってると聞いただけで自分よりずっと大人だなと感じてしまう。自分も早くお金をためて夏休みごろには免許を取りたいと思った。


「昨日の怖い感じの人……また来てるんですね。田久保さんとかいう……」


「ああ、来てるね。大体毎日来るよ。店としては本当に迷惑な客だけど」


 廉太郎は見ていないので中番が入る午後六時には既に入店していたようだ。ネットカフェ側のレジのモニターには、個室の配置図が表示されている。家の間取り図のように各部屋が表示され、現在お客様が入室中の個室には赤い印がついている。全部で二十室あり、今のところ五室が埋まっている。


「この店のネットカフェは設備がイマイチだから、そんなにお客さんは来ないよ。ドリンクバーぐらいしかないからね。あと漫画ぐらい」


 ネットカフェを利用している人は、レンタル用のコミックを個室に持ち込んで読んでもいい。レンタルせずに自由に読めるのだ。しかしサービスと言えばそのぐらいで、よそのネットカフェと比べたら少し物足りない。


「まあ、だから……正直言ってあの田久保さんも、よそのネカフェでは出入り禁止になって、他に行く所がなくてウチに来てるんだと思うよ」


 あんな態度では、よそで出入り禁止になるのも仕方ないなと廉太郎も思った。従業員だけならまだしも、他のお客様にまで因縁をつけられたら放っておくわけにはいかないだろう。という事は彼以外にも問題ありの人が来るのかなと思ったら、その予想はあっさり当たった。


「いようっ! しょ、諸君! グ、グッドイブニングうううっ!!」


 くたびれた感じのスーツを着た中年男性が、よろめきながら入ってきた。酔っ払っているようで、顔が赤く火照り眼が虚ろだ。頭は大部分が禿げ、両サイドに残っている白髪交じりの髪は乱れている。


「いい、岩尾さまの、お通りだいっ……! あ、ちょっと小便するからよっ!」

 

 その岩尾と名乗る太った客は、カウンターの前でズボンのファスナーを下げた。


「わわわわ! ちょ、ちょっと待って下さい、お客さん! ここはトイレじゃありませんから! ダメですよ!!」


「お、おう、そうかい! それを先に言って欲しかったなあ! ワハハハハッ!!」


 あやうくポロンしそうなところで岩尾は手を止めた。すっかり出来上がっているようで、大口を開けて笑い飛ばしている。ぷんと酒の匂いが漂い、スタッフは顔をしかめる。黒い鞄と一緒に持っているポリ袋から缶ビールらしきものが透けて見えた。部屋に入ったら、まだ飲むつもりなのだろう。


「お客様、会員カードをお願いします。いつもの四時間の方でよろしいですね?」


 どうにか手続きを済ませた岩尾は、でっぷりとした体をふらつかせながらネットカフェの個室へと歩いて行った。


「困ったお客様だ。他の人とトラブル起こさなきゃいいんだけど……」


 あれで田久保さんとぶつかりでもしたら、大変なことになるのではと廉太郎も心配になった。


「あ、廉ちゃんは、ネカフェの仕事はまだ……」


 男性スタッフからも、廉ちゃんとよばれてしまっている。


「はい、こっちは後から覚えればいいと言われて……」


「そうか。じゃあ、ちょっとだけでも教えとこう。レンタルと比べると意外と単純だから。まず……」


 先輩は入店、退店の時の操作を丁寧に説明してくれた。レンタルの客も断続的に来ているが、別のスタッフが接客した。返却棚にたまったDVDを戻している人もいるようだ。

 そうこうしているうちに、時刻は午後九時を過ぎていた。若干、客足も途絶えてきたようだ。


「いやあ、疲れるね。意外と疲れるだろ? この仕事」


「疲れますね……神経がすり減るし……」


「そうだね。中番はほら、時間は短いけどお客さん多いし、休憩もないだろ? だから大変なんだよ」


 先輩は後ろの棚に置いてあるコーヒーカップを手に取り、美味しそうに飲んだ。


「だから、仕事の合間にこうしてくつろいでもいいからね。ずっと気を張ってちゃもたないよ」


 普通なら店のカウンターの中で飲み物を飲んだら怒られそうだが、この店の場合はOKらしい。


「ネットカフェの奥にドリンクバーがあるだろ? あそこから自由に飲み物持って来ていいからね。良かったら何か好きなの取ってきなよ」


「はい。それじゃあ急いで取ってきます!」


「いや、ゆっくりでいいから。あ、ちょっと待って。ついでに……」


 先輩はネットカフェのレジのモニターを指さした。廉太郎は画面を見た。


「ほら、ここ……四番の部屋なんだけど、赤い印が入ってるよね? お客さんいるはずなのに、さっき飲み物取りに通った時はいなかったんだ。だからひょっとしたら、奥のトイレにいるのかも知れないんだけど……」


「その部屋かトイレに人がいるか見て来ればいいんですね?」


「そうそう。頼むよ」


「了解です!」


 廉太郎はカウンターから出て、速足でネットカフェの通路を進んだ。整然と並ぶ小さな個室には扉がなく、外から中の様子がうかがえる。『4』の表示のある個室の前で立ち止まった。


「人は……いないな……」


 中には黒いリクライニングチェアとデスクトップ型のPCの乗ったデスク、電気スタンドもある。電気スタンドが薄暗い部屋を照らしているが人は見えない。念のために部屋の中に顔を入れてチェックしたが、やはり人はいない。荷物らしき物も何も見当たらなかった。そして奥の男子トイレの方に入る。


「あ、あれは……」


 トイレには『小』の縦長の便器と、奥にひとつ個室がある。人は見えないが個室のドアノブに赤い表示が出ていた。中から誰かがカギを締めているのだ。


「ああ、大の方をしてるんだな……んっ?」


 個室のドア付近に高さ四十センチほどの白い缶が置いてある。


「これは……ペンキ缶だ。この前カウンターの中にあったやつじゃないか……?」


 缶を包んであった透明な袋は外されている。中を見ると少量だが白いペンキが溜まっていた。おかげでトイレの中にはペンキの臭いが漂っている。 


「これは、どうしてこんな所に持って来たんだろう……まあ、別にいいか!」


 廉太郎はトイレから出てドリンクバーの方に向かった。コーヒーカップにココアをたっぷり注ぎ、軽くひと口すすってからカップを手にしたままカウンターの方に戻った。カウンターの中では先輩たち数人がヒソヒソ話をしていたが、戻って来た廉太郎を見るとにっこり微笑んだ。


「廉ちゃん、どうだった?」


「部屋の方には誰もいなくて……トイレに行ったら個室の方にカギがかかってました」


「ああ、そうか。やっぱりトイレか。それにしても長いトイレだな。便秘かな? あはははっ!」


 別の男性スタッフが急に廉太郎の肩をポンと叩いた。


「それより廉ちゃん、まだ君はカウンターの中ばかりで、店内をじっくり見てないよね……?」


 奇妙に低く抑え気味な声色に、廉太郎は不安を感じた。


「あ、はい。まだあんまり……」


「俺たちは、ちゃんと君の気持ちは理解してるからね……」


「え? え? き、気持ちって……?」


 先輩は廉太郎の手を引っ張り、カウンターのすぐ外にある返却棚の方に連れて行く。返却処理されたDVDはひとまずそこに置かれ、ある程度たまってからパッケージに戻すのだ。そこに伏せて置いてあるDVDを先輩が手に取り廉太郎に見せた。


「これだろ……? 君の真の目的は」


 それは成人男性向けのDVDで、透明なケースに入ったディスクに、そういう写真が載っていた。


「えっ? ど、どういうことですか?」


「いいんだよ、とぼけなくても……ふふふふっ……」


 先輩は十本ほどたまっていたアダルトのDVDをすべて廉太郎に持たせた。


「さあ、心ゆくまで楽しんで来なさい。ゆっくりでいいからね」


 言わんとしている事は一応分かった。廉太郎だって健全で健康な若者なのだから、それに興味がないわけではない。ただ決してそれが目的でこのバイトを選んだわけではなかった。廉太郎は「まあ、これも仕事だし……」とつぶやき、ひとりアダルトコーナーへと向かう。


 店の奥、『18禁』と書かれた暖簾をくぐるとそこがアダルトコーナーだ。しかし廉太郎は、まだ返却は不慣れなので、なかなか所定のパッケージを見つけられない。ちゃんとジャンル分けされているのだが、それでも時間を喰ってしまう。十本戻し終えるのに三十分もかかってしまった。


「ダメだなあ、こんなんじゃ……」


 アダルトコーナーを楽しむ余裕などなかった。廉太郎は急ぎ足でカウンターに戻る。中には二人の男性スタッフと三人の女性スタッフがいた。


「あれ? もう戻ってきたの? もっとゆっくりしてくれば良かったのに」


「さっき取って来た飲み物がもう、冷めてしまってるんじゃないの? また取って来てもいいよ」


 少し喉が渇いたので今度は冷たい物が飲みたかった。廉太郎はココアを一気に飲み干し、カウンターから出た。


「ああ、廉ちゃん。また四番の部屋とトイレ見といてよ」


「OKです!」


 空のコーヒーカップ片手に、しんと静まった薄暗い通路を進む。四番の部屋の中に人の姿が見えた。中にいるのは、さっきの岩尾氏のようである。やや斜め後ろから見ているが、でっぷりとした体型、赤くなった耳、禿げた頭に何より酒臭さで彼だと分かった。椅子に浅く腰掛けPCでアダルトサイトを見ているようだ。


「そうか、あの人の部屋だったんだ……」


 廉太郎はさらに奥へと進み、ドリンクバーにカップを戻してからトイレに入った。


「あれっ……?」


 中はさっきと全く同じ状態だった。個室にまだカギがかかっている。


「今度はまた別のお客さんが入っているのかな……?」


 ネットカフェの客は他にも五人いるのだから、そうだとしても全然おかしくはない。廉太郎は再びドリンクバーの方に行き、透明なグラスにオレンジジュースを注いだ。

 急いでカウンターに戻りスタッフにありのままを告げると、にこやかだった彼らの表情が急に変わった。


「ええっ!? そ、それ本当!?」


 先輩たちは大きく眼を見開いた。正面のカウンターで接客していた女性スタッフまでもが驚いた表情で廉太郎たちの方を振り向く。


「は、はい。いや、本当に岩尾さんだったか、確認したわけじゃありませんけど……」


「バカな……お、おい、誰か、ちょっと見てきてくれよ」


 男性スタッフが弾けるようにカウンターから飛び出しネットカフェの方に走って行く。廉太郎はなぜ彼らが焦っているのか分からず、レジのモニターを見た。個室の見取り図が表示されており、四番の所には赤い印がついている。何も問題はないはずだ。


「ほ、ほんとだ。四番の部屋にあの人いる」


 戻って来たスタッフが息を乱しながら言った。廉太郎以外のスタッフたちは集まってヒソヒソ話を始める。


「想定外だった……」


「中止にしないと……」


 そんな声が漏れ聞こえてくる。廉太郎はひとり蚊帳の外で、少し寂しい気がした。

 その時、ネットカフェの方から声が小さく響いてきた。


「……ォォオオオオオォォォ……」


「……ぁぁぁあああぁっ……」


 怒鳴るような唸るような、ただならぬ声色である。スタッフたちに動揺が走る。


「お、奥の方からだな……」


「そ、そうだな。トイレらへんじゃないか……?」


「見てきた方がいいんじゃないか……?」


「やだ……怖い……」


 スタッフたちはだらだらと冷や汗を流しながら顔を強張らせている。その不気味な声はまだ聞こえて来る。


「あの、俺、行ってきましょうか?」


 とにかく誰か行くべきだろうと思い廉太郎が言った。


「いや、ちょっと待て。声、聞こえなくなったぞ……ん?」


 タタタタタタタと、カウンターの方に駆けて来る足音。


「キャアッ!! く、来るっ!! こっちに来るわよっ!!」


「ヤ、ヤバい!! ヤバいぞっ!! 逃げろっ!!」


「こっちだ!!」


 カウンター内にいるスタッフたちは、ネットカフェとは逆側に走った。先輩たちに廉太郎もついて行く。


「お、押さないでっ!!」


「おお、落ち着いてっ!! みんな落ち着いてっ!! 痛っ……!!」


 カウンターから出入りする部分は狭く、そこに一斉に群がったので腰を打ちつけたり転びそうになるスタッフもいた。


「あれっ!? あの人……!」


 最後尾の廉太郎は駆けて来た人物を見た。若い見覚えのある男が青ざめた顔でカウンターに両手をつき、自分たちの方を見ている。何か言おうと口を動かしているが、息を切らしているのかまともに声が出ていない。


「あの人……早番の人じゃ……」


 いつも早番で入っているこの店のスタッフだった。


「先輩!! 先輩!! この店の人ですよ!!」


 店の出入り口から外に逃げようとしている先輩たちの動きが止まった。


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