1
季節は春。
栄賀廉太郎は、とある地方の私立大学に合格した。
安易な、と言わないで欲しい。作者だって一生懸命考えた末に決めた名なのだ。
入学式を間近に控えた廉太郎は、大学生活より一足先にアルバイトを始める。バイト先はもう決まっていた。家にも大学にもほど近いレンタルビデオ店だ。
なぜその店に決めたのか、それには明確な理由がいくつかある。まずは時給。これに関して言えば、平均ぐらいで良いと考えていた。高い時給にはそれなりの理由があるのだろうし、大変な仕事で長続きしなかったりしたら身も蓋もない。だから八百円というこの地方都市としてはごくごく標準的な時給でも構わなかった。
時給よりも、むしろこだわったのは勤務場所である。大学から一キロほどの場所でひとり暮らしを始める廉太郎には、自転車しか足がない。だから自宅と大学のちょうど中間地点あたりのレンタルビデオ店は、最高の立地だった。
そして三つ目。これが何より重要かも知れない。
それは職場の雰囲気である。面接に行った時、初めてそこを訪れる廉太郎は少し緊張していた。しかし、カウンターにいる数人の店員さんたちの晴れやかな笑顔と、そこに満ちていたなごやかな雰囲気で一気に緊張がほぐれた。その時、直感的にここだと思った。この職場ならきっと長く続けていける、そう感じたのだ。
以上が決めた理由で、要するにレンタルビデオ業界への特別のこだわりがあったわけではない。そして廉太郎はキリの良い四月一日よりレンタルビデオ店『GETZ=ゲッツ』でアルバイトをスタートことになる。夢と希望に満ちた大学生活。その中でも大きなウエートを占めるであろうアルバイト。しかし、それは波乱に満ちた四年間の幕開けであった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「つくしのくーにーのー、あーけー、ぼーのーにぃー」
迎えた仕事初日。
午後六時に店に来てくれと言われていた。
予定時刻よりも少し早めに到着した廉太郎は、従業員の控室兼事務所で、この春卒業した高校の校歌を熱唱している。
「ふーるーきー、れーきしーのー」
廉太郎と共に大きめのテーブルを囲む数人のスタッフは、意味ありげな含み笑いを浮かべつつ歌を聞いている。
直立して歌う廉太郎の後ろ側には店長のデスクがある。店長の犬山さんも、一応顔はパソコンに向けながらもニヤニヤと笑いながら彼の歌を聞いていた。
「いーまこそーはーげめー、てーをつなぎー」
この職場では、新人はまず一曲歌うのが慣例だ、自分たちも皆そうしてきたと言われては、いくら音痴でも歌わない訳にはいかない。
「かーすーがーこうーこうー、そのな、さやーけーしー」
顔を真っ赤に火照らせ、冷や汗をだらだら流しながら、ようやく校歌を歌い終えると、同時にスタッフたちから大きな歓声と拍手が湧いた。
「いやあ、上手い!! 上手かったぞ!!」
「たいしたもんだぜ!! アハハハッ!!」
廉太郎は、はあっと大きく息を吐き出し額を手の甲でぬぐう。初出勤の緊張と、いきなり歌わされた恥かしさのせいで額は考えられないぐらいにじっとり濡れていた。
「いやあ、もう……緊張して。見て下さいよ、この汗……」
それでも何とか歌い切ったという安堵から、廉太郎は汗で濡れた顔で微笑んだ。
「でも、すいません、校歌なんか歌っちゃって……」
「いや、いいんだいいんだ!! バッチリだったよ!! しかし曲は何でもいいと言われて母校の校歌を歌うなんて、なかなかやるねえっ!!」
「今年の新人さんは大物かも知れないわね。あ、座って。コーヒー淹れてあるからどうぞ」
敢えて校歌を歌ったのは、誰も知らない歌だから音程が外れていても分からないだろうという判断からだった。廉太郎は椅子に腰掛け、女性スタッフの淹れてくれたインスタントコーヒーをすすった。
「いやあ、面白かったなあ!!」
「本当。今度から恒例にしようか!!」
廉太郎は口に含んだコーヒーをぶはっと噴き出した。