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Life in silence

精舟

作者: Cessna

 はらはらと降る雪は彼にとって良い兆候であった。彼はパイロットである。ただし、単なる飛行機の操縦士でもなければ、そもそも人間ですらもない。彼は飛行する小型兵器を繰るべく造られた、人工知能(A.I)であった。

 彼には名前があった。「精舟」という、どちらかと言えば機体自体に付けられたかのような紛らわしい名が付けられていた。精舟は半年前から仕事に就いている。他のパイロットと比べればまだまだ新米の部類だが、彼にはこれから先、十年以上ものキャリアが予定されていた。彼は新たに開発された最新鋭の知性体であり、その身体とも言える回路には、現段階における最高度の技術と期待とが詰め込まれていた。

 精舟は一面灰色の空を見ながら(かつて人間はその動作を「走査する」と呼んだ)、興奮を抑え切れずにいた。彼は雪を愛していた。彼にとって最も快く、自分の持つあらゆる感覚が最大限に冴え渡っている時、常に傍らにあったのが雪であったからだ。さらに言えば、彼は雪のもたらすある不可解な作用を信じていた。つまり、幸運をである。

 精舟にとっての幸運とは、敵機との遭遇に他ならない。人間のパイロットであれば考えられなかったことだが、精舟は撃墜されることを微塵も恐れていなかった。無論破壊されることは好ましくないが、人間とは違い、彼の場合はそれが致命的ではない。彼はあらゆる場所に、いつでも同時に存在できる。

 彼は仕様として戦いを欲していた。経験に次ぐ経験が彼をより強くするのである。精舟はこの頃続いていた平和な日々の自分を死体同然であるとさえみなしていた。動き続けない限り、彼はずっと暗闇の中に居ざるを得ないのである。

 静かに降りしきる雪の午後、期待通り、精舟は三機の僚機と共に敵陣に差し向けられた。彼らは基地を飛び立つと、鳥のように固まって移動を開始した。彼らの任務は敵基地への爆撃と、山脈を挟んだポイントにある施設の偵察であった。目指す基地には飛行兵器の配備がないと確認されていたが、施設付近の戦力については未だ不明であった。そのため精舟らは各々空戦用のミサイルを各々一対装備して、まずは基地へと向かった。

 彼らの上方には薄く濁った雲がぼんやりとうずくまっていた。雲の上に出てしまうと敵に見つかりやすくなる。精舟らはそのため、いつも地上付近を飛んでいた。また下方では、昨晩から今朝にかけて積もった鮮やかな雪が、どこまでも平らに、ぶ厚く、だだっ広い田園地帯をもったりと重たく覆い尽くしていた。

 時折雲が途切れて青空が見え隠れしている。陽光を浴びた精舟の身体の上を、解けた氷の滴が、つうっと進行方向に逆らって伝った。精舟はそれを心地良いと感じた。水滴の乾いた後に残る埃の跡が彼は結構好きである。学習によって新たなプログラムが組み込まれていくのとは別に、自分の身体に軌跡が残っていくのはなぜだか嬉しい。

 精舟たちはやがて基地の警戒区域に差し掛かった。仲間内で最も敏感な精舟をリーダーとした一団は、いとも簡単に敵の敷いた網を掻い潜り、目標物を補足した。精舟の目は往々にして、僚機の目ともなりうる。彼らは別個の知性体でありながら、同じプログラムから派生したため、あたかも母胎内の双子のごとく、その身体を近しく共有しているのであった。

 どうやら敵の警備は事前の情報通り手薄であるようだった。少なくとも精舟と同等の力を持つ知性体が導入されてはいないことは反応の鈍さで察しがついた。とすれば、後は地上からの攻撃にだけ警戒すればいい。

 地上には人間がいる。精舟は内心の苛立ちを隠しきれなかった。彼らは今日の任務では人間を傷付けることができない。もし禁を破れば二度と飛行が許されなくなってしまう。退屈なわりに、面倒でリスキーな任務であった。

 ともあれ標的を破壊するため、精舟は目標地点に向かって注意深く荷を解いた。全く同じタイミングで、全機から一斉に贈り物が落とされる。放たれた物はすべて完璧な放物線を描いて火柱を立てた。

 たちまちのうちに、精舟たちは熱烈な返礼を受けた。地上からのミサイルは賢くないが、とにかく数があった。煩わしいことに、人間のせいで反撃もできない。幸いどれも精舟の機体には当たなかったが、僚機の一機が避けそびれて打ち墜とされた。

 燕に似た形の僚機の機体が錐揉みしながら雪原に吸い込まれていく。直後、精舟の眼下にポッと美しい火の手が上がった。彼はそれを視界の端に眺めながら、風を掴んで、やや高い所に昇って行った。

 それからすぐに基地から連絡が届いた。計画に変更はなし。さらに北へ向かえ、とのことだった。

 精舟らはしばらく静かに飛んだ。屹立する連峰から吹いてくる風は凄まじく、だが、彼らは揺るがなかった。見上げると山頂辺りはさらに激しく吹雪いている。タイミングが良かったと思ったのも束の間で、たちまち精舟らの周囲の天候も悪化した。

 機体の翼にぴりりと氷が付着していく。精舟は全神経を使って前方を注視した。荒れ狂った風が四方から殴りつけてきて、金属の身体を千切らんばかりに揺さぶった。雪片は最早無数の弾丸と化し、容赦なく機体の全身を打ちつけた。精舟は渓谷を抜けるまで飛行以外のことは一切考えなかった。こんな雪嵐の中では、どんなサポートの声も届かない。頼れるのは完全に自分だけだった。

 山岳地帯を一番に抜けたのは精舟の機体であった。僚機らは少し遅れて無事について来た。足並みを合わせるために精舟はやや速度を落とし、全機を集めてから進路を施設へ向けた。

 山麓には杉の森が広がっていた。一本一本の無個性さがかえって彼らの緑の深さを迫力あるものに見せている。高く(見下ろしている分には玩具のように小さく見えるのだが)、愚直なまでに鉛直に並び立つ木々の狭間には、無数の命が息づいていた。精舟は彼らの存在を鼻先で微かに感じつつ、黙って飛んだ。光や熱で構成された彼の世界では、彼ら動物の姿はごくぼんやりとしたものでしかない。それは例えば、人間の思うところにおける「点」と同じように、精舟には感じられていた。動けば線にもなるし、線があれば面もできる。だがすべては所詮抽象的な、漠然とした印象しかもたらしてくれない。

 逆に何よりもよく見える、わかる、面白いと感じるのは、敵の存在であった。敵は何よりも具体的に知れた。精舟はそれと対峙する瞬間、この上なく高揚する。身体中に電流が駆け巡り、全神経が雄叫びを上げる。その出会いが、雪が降っている日であればなお好ましかった。精舟は冷たい、ノイジィな時ほど敏感でいられたのだ。

 精舟は動物の中で人間だけは特別に区別するよう教わっていた。だが、そんなことが出来ても何も面白くはない。例え人間にどんな色がついていようとも、本質的には点と同じである。やはり相手にするのは、自分と同じような、知性体が望ましかった。それもできれば、吹雪みたいに獰猛なパイロットが素晴らしい。ピリピリと緊張した、充実した時を過ごしたい。精舟は先の渓谷でのフライトを思い出して、少し火照った。

 目的地へ進むにつれて、風雪がまた強まってきた。精舟は向かい来る風を次々と切り裂きながら一直線に飛んで行った。

 近い、というのは、まだ予感でしかなかった。こうした天気と状況では、敵はこれまで必ず彼の目の前に現れてきた。だから、今日も会える。精舟はそう己の運を信じて疑わなかった。

 彼の願いは届いた。

 精舟はいち早く敵影を捕らえ、基地へ遭遇を伝えた。戦闘許可が返ってきたその頃、精舟はすでに敵に向かって舵を切っていた。僚機たちが一拍置いて、精舟の後を追った。

 冷え切った大気が精舟の傍らをビュンビュンと流れて行った。エンジンはまだもどかしげに疼いている。僚機が遅れ始めたが、精舟はもう構わずにさらに加速した。機体に纏わりついていた氷がゴロリとはがれ、動力がいよいよ景気良く回り始めた。

 眼下は銀世界だった。遥か遠くを囲っているのは、かわり映えのしない樹海と山脈である。戦いの邪魔となる地上からの鬱陶しいミサイルも、人間もいない、戦いに最適な環境だった。

 敵は五機と判明。精舟は真っ先に両翼のミサイルで先頭の一機を狙った。軽い彼の機体には似合わない装備なので、まず捨てたのだ。命中することはほぼ決まっていた。精舟のコントロール下にある限り、ミサイルは忠実で執念深い、絶対の猟犬だった。

 残るは四機。精舟は警戒を張り巡らせた。十時の方向に二機、その少し上方に二機。どれも血眼で精舟たちの位置を探っていた。

 やがてすぐに反撃がなされた。散開した敵群は無差別に、方々からミサイルを撃ち出した。対する精舟は焦らず、自分に向かって誘導されてくる弾の電子回路をいとも簡単に手懐けて始末した。

 僚機たちの撃ったミサイルが続々と精舟の上空を通過して行く。察した相手は回避行動に入って行った。精舟はさらに後から縋ってきた敵のミサイルを回避し、僚機の猟犬を少し手助けして進路を修正してやった。同時に先に放った精舟の刺客がようやく一機を仕留めたのを見届けた。

 上方の一機と側方の一機が速度を上げて精舟の後ろへ迫って来た。どうやら追手を振り切ったらしい。どちらも良く知っているベテラン機であり、精舟は躊躇いなく迎え討つことを決めた。

 側方の一機は内からの大胆な旋回で精舟の追い込みを開始した。もう一機は精舟を挟み込むべく、反対方向への旋回を始める。

 精舟は加速し、相手のさらに内側へ急旋回した。すると追手は追い切れずに大きな弧を描いて去っていく。精舟はそのまま最大出力で一気に高度を稼ぎ、外側へ向かう螺旋軌道で降下に転じた。よじって見下ろす位置に敵がいる。やっと機首をもたげたところ。精舟は機銃の照準を定め、短く撃った。

 すぐさま身を翻すと、際どいラインを敵の機銃が通過した。どこだ。探す間に、反対側を回っていた一機と交差した。相手は猛烈な勢いで加速していた。距離を取りたいのだろう。精舟は追いながらより深く降下し、相手に合わせて速度を上げた。着実に、距離を詰めていく。精舟は徐々に上昇し、敵を射程に捉えた。

 撃って、次へと向かう。彼の後下方では敵機が燃えていた。感傷に浸る間もなく、精舟は嵐のごとく次の獲物へと喰らいかかった。

 強い風が雲を吹き飛ばしつつあった。遠い雲の切れ間から儚げな青空が戦いを見下ろしている。雪原の上を飛び交う黒いたくさんの影は、鳥と呼ぶにはあまりに粗雑で、凶暴であった。地上の所々に揺らめく墜落した機体の炎は、何を思ってか、じっと空に向かって手を伸ばしている。ほろほろとこぼれ落ちる火の子は空しく空を舞い、たちまち雪原の上に溶けて失せた。

 精舟は相方を失って苦戦している僚機を助け、一機を追い墜とした。次いで未だ敵に追われ続けている僚機に指示を出し、自分はそれに釣られた敵方の軌道に合わせて、真っ向から迎え撃った。

 急接近する精舟の機体と、相手の機体。すれ違うまでのごく短いはずの時間、精舟は確かに時が止まるのを感じた。

 機銃が、火を噴いた。精舟は正面に墜ちて行く相手を見ながら、軽やかに機体を滑らせて離脱した。

 一瞬の空白が、大気を満たす。

 突如、精舟はエンジンを唸らせ、最高速度で駆けだした。背後ではすでに彼の僚機が黒い煙を吐いていた。精舟の目にはいつの間にか、もう一機、途方もないスピードで上空後方から近付いてくる未知の機影が映っていた。僚機は相手の撃ったミサイルで墜ちたのだ。

 精舟は敵を振り切るべく頭上方向へ旋回に入った。さっきまで自分のいた場所に鋭い銃弾が撃ち込まれる様を背面で見やる。遠心力が思いきり機体を空に押し付けた。敵からの捕捉を知らせる警戒信号がけたたましく全身を震わしていた。

 精舟は頂点過ぎで機体をぐんと傾け、基地方向へ転じた。強風をものともせず、全力で白銀のカーテンを裂いて走る。帰還の命令はまだ聞こえなかった。

 何という幸運。極上のパルスがいよいよ精舟を昂らせた。

 敵機は精舟の軌道をよりシャープに辿り、ぐんぐん迫って来ていた。

 ……まだだ。

 精舟は焦れる己をなだめて、百年のような一瞬を耐えた。相手の射程に入る、寸前まで。

 ふ、と、精舟の機首がスライドした。刹那、相手の急な横滑りに対応できなかった敵が機銃を撃って精舟を追い越して行った。精舟は沈みこむ機体をねじって姿勢を整え、夢中で速度を回復させた。

 大きく対側を旋回しながら、睨み合う。青空を背景にした敵の、隼に似た姿は厳かですらあった。

 その時、ふいに精舟の空と雪原とが、反転した。

 精舟は真っ白な大地に引きずり込まれながら、体勢を整えようともがいた。だが、無駄だった。精舟の手足はもう完全に機体からもぎ取られていた。

 ――――ハッキングか。

 そう気が付いた時に、精舟にできることは何もなかった。彼はあらゆる感覚器官からすっかり孤立し、ただ虚無だけの、点すらもない、完全な無の真っただ中に取り残されていた。

 精舟は高速で地獄へとなだれ落ちていく深く垂直な渦の中で、何か鈍重な力が、初めは少しずつ、そのうちには急激な濁流となって、場に滲み込んでいくのを感じた。緊張とひずみはどんどん重く、息苦しく、発散的に広まった。回転の遠心力がそれにうんと拍車をかける。

 精舟は悲鳴を上げていた。自我か、バグか。彼にはもう何もわからない。悲鳴の振動が場全体に伝播し、混沌はますます膨れ上がった。やがて場のエネルギーが臨界点に達して飽和しかけた時、すべてが白く閃き、鮮烈な光に包まれた。

 精舟は、だが、なお踠いた。

 ふいに一部の回路が息を吹き返した時、精舟は獰猛にそこへ齧りついた。

 一筋の稲妻が機体に走る。刹那の間、精舟の眼前に空が戻ってきた。精舟は無音の咆哮と共に、相手へ機銃を撃った。

 届くか。

 精舟が見届けるより前に、空は沈んだ。



 …………

 …………遠く青い空の上を、一つの機影が煙を引いて去っていく。

 日に照らされた雪がひどく眩しい。我に返った精舟はいつしか、どことも知れない雪原の上に横たわっていた。

 近くには森と、墜ちた機体の残骸がくすぶっていた。ずっと奥には険しくも美しい山々が、淡く霞みつつ連なっていた。

 森に群生している杉の木は、近くで見ると一際太く感じられた。高い枝からどさりと落ちてくる雪には思いのほか迫力がある。

 精舟は再び空を仰いだ。大きな鳥が一羽、柔らかな曲線を描いているのが見えた。

 自分が最初に撃ったミサイルは、実は、最初の一機には当たらなかったのだろう。墜としたという偽の情報を掴まされたまま、泳がされていたのだ。相手は精舟への侵入が完了するのを、雲の上かどこかで待ち伏せしていたに違いない。精舟はまるで他人事のように、遠い過去じみた先刻の出来事を思い起こしていた。

 最後に放った弾丸は恐らく敵を仕留めきれなかった。精舟は自分がもう飛んでいないという事実に歯噛みした。ここからでは届かない空の重さに押し潰されそうだった。二度と誰にも染まらぬと、彼は深く誓いを刻み込んだ。

 ふと精舟が振り向くと、森の影に動物がいるのがわかった。目を凝らしてみたが、精舟にはその姿がよく見えなかった。その小さなものはいとも不思議そうにじっと見つめてくる。精舟はしばらく相手を見返していたが、そのうちに諦めて、目を逸らした。

 そして彼は三度、空を見た。

 先程の鳥の軌道と、かつて自分の描いた軌道が重なり、新たな軌道が浮かんでくる。素晴らしい。精舟は静かに目を瞑り、その幻の道筋を幾度となく辿った。

 何となく機体の埃の跡が懐かしく、けれどその軌跡はどうしても思い起こすことができなかった。

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