ジネアの町は今
急がず、しかし遅くない程度の速度で街道を駆け抜けること数日、ジネアの町に着くと門番の人と挨拶を交わしてシペアの居場所の心当たりを聞き出す。
「あぁシペアなら今の時間だと厩舎だろう。門を入ってすぐ右に行ったところにある」
「え?前にいた所とは違うんですか?」
門番から聞かされたのは以前シペアが働いていた場所ではなく、まったく別の場所だったため、そんな疑問が口をついて出た。
「前の所は今は別の奴に貸してるって言ってたな。シペアにはザルモスが所有してた厩舎が賠償として譲渡されたから暫くはこっちに移って色々やってみるらしいぞ」
例の事件でザルモスから没収された資産は被害に遭っていた人への返済や賠償に充てられ、その中でシペアにはザルモスの所有する厩舎が引き渡されたのだそうだ。
早速門番に教えられた場所に向かうと、以前シペアが働いていた厩舎の倍以上の大きさのそこには広い馬場が併設されており、そこの一角で馬の体を器用に水魔術を使って洗っているシペアがいた。
俺が前に教えた回転する水流を閉じ込めた直径50センチ程の水球で、体の表面を撫でるように洗われて気持ちよさそうな馬の様子をシペアも笑顔で眺めている。
洗体がひと段落するのを待って近付きつつ声を掛ける。
「久しぶりだなシペア」
「お?…アンディ!お前どこに行ってたんだよ。少し前にべスネー村まで会いに行ったんだぜ?」
「あぁそれは村長に聞いたよ。そうだ、紹介しておこう。彼女はパーラ、訳あって一緒に旅をしている」
洗い終わった馬を馬房に戻しに行くのに同行し、歩きながらパーラのことも紹介する。
この場にいる全員が同じ年齢であることもあり、すぐに打ち解けることができたが、シペアの相談したいことというのが気になった俺は、厩舎を出てシペアの家で話を聞くことにした。
「あれから家も前に父さんと住んでた所に戻れたんだよ。ここの厩舎とは少し離れてるけど、やっぱり父さんが残してくれた家からは簡単には離れられなくてさ」
ザルモスに借金のかたにと取り上げられていた家が返ってきたのを機に、俺が前に見た物置小屋のような家から引っ越したのだそうだ。
シペアに先導されて着いた先は周りの家と比べてもほとんど変わりのないごくごく普通の家といった外見だが、前までシペアが住んでいた家に比べるとずっとマシな環境に思える。
中に入ってテーブルに着くと早速シペアが話し始めた。
「別に今すぐに解決しなきゃって話じゃないんだけど…何から話したらいいかな。あ、そうそう、町の北側に風呂が出来たんだけど見たか?」
「いや、俺達はこの町に来てすぐにお前の所に行ったから、まだ見てないな。というか風呂が出来たのか?」
「地面を掘った所に水を引いただけのやつだけどな」
町長の許可を取ったシペアが風呂を作る場所に選定したのが、鍛冶屋が多く集まる町の北側だった。
日常的に火を使った仕事をしている場所なら湯を沸かす手段を確保するのも簡単だろうと判断してのことだったのだが、これには職人たちが渋い顔をして中々認めてはくれなかった。
特に鍛冶場を取りまとめるドワーフの職人が頑なに首を縦には振らなかったらしい。
というのも、ドワーフは鍛冶を得意とする種族だけあって、鉄を鍛える火を神聖視する傾向がある。
その武器を作っている神聖な火を、どうして湯沸かしに使うのかとどうにも納得できないそうだ。
「そりゃそうだろ。職人ってのは自分の仕事に誇りを持ってるんだ。その仕事から外れた用途に大事な火を使わせてくれってんだから、いい顔はしないだろう」
以前見たテレビでは陶器を焼く職人はとにかく火を大事にしてたと記憶している。
それがこっちの世界でも同じなのは十分納得のいく話だ。
「ああ、そうみたいだな。説得は難しいかと思ったんだが、父さんから以前聞いた話を思い出したら快諾してくれたよ」
「へえ、どんな?」
俺の問いにニヤリとした笑みを浮かべてシペアが言い放つ。
「酒だよ」
シペアの父親からドワーフが何よりも酒を優先するという話を聞いていたおかげで突破口を思いつく。
渋る職人たちにシペアがとっておきの魔法の言葉を囁いた。
『仕事終わりの酒は何よりもうまい。けど、熱い風呂に浸かって汗を流した後の酒はもっとうまい。まるで乾いた土に撒かれた水の様に染みわたる。』
この言葉に一気に目の色を変えたのはドワーフをはじめとした職人達で、彼らは恐るべき速度で風呂の設計に着手し、僅か3日で工房のすぐそばに風呂を完成させてしまったのだ。
湯に浸かる習慣のなかった町の住民は風呂の存在に最初は怪訝な様子だったが、職人たちが喜々として入る姿に、物は試しにと入ってみるとその心地良さに魅了され、住民の間で徐々に入浴の習慣が浸透していった。
風呂を利用する人が増えると風呂場の狭さが問題として挙げられ、拡張工事が行われると段々と風呂も大きくなっていき、始めは大人5人が入れる程度だったのが今では20人は優に入れる大きさにまでなったらしい。
風呂の利用には町の住民にはタダで入浴が出来る木札が貸与され、それ以外の宿泊や通過する旅人からは大銅貨1枚を徴収している。
少し割高ではないかと思ったのだが、よくよく考えるとお湯が貴重なこの世界で風呂に入れるのにこの金額は妥当かと思うし、風呂の維持管理にかかる費用もここから出されるとなれば、むしろ安いくらいかもしれない。
水は基本的に近くの川から引いてくるが、時折シペアが魔術で出す水が疲労回復によく効くと口コミで広まると、週に1度だけシペアが水を張るのが習慣化していったのだそうだ。
正直俺は魔術で集めた水にそんな効果があるとは思わなかったのだが、よくよく考えると魔力が浸透しているお湯に浸かったら体内に存在する魔力が刺激され、強化魔術に似た効果が起こることもあり得るか。
身体強化まではいかなくとも、細胞が活性化されて自己治癒力が高まるか代謝が上がるかなどは水魔術による効果と言えそうだ。
この辺りは普通の魔術師が大量の水を集める事をしなかったために新しい発見となったのではなかろうか。
「ここまで聞くと、特に困ってるようには思えないが?」
「ここまでならな。問題はその後なんだって」
ジネアの町はよく街道を通る人たちが立ち寄っていく町なのだが、風呂を珍しがって利用する人が増えるようになると、その疲労回復を体験した人たちによってどんどん口コミで外へと広まっていくことになった。
風呂を目当てにジネアの町を訪れる人も増えてくると、日によって回復具合に差があることに気付くものが現れ始める。
最初にそのことに気付いたのは、この前見つかった遺跡の調査隊として派遣されてきた人達だった。
よく息抜きにとジネアの町に来ていた隊員の中で、魔術が使える者がお湯に含まれる魔力に気付き、そのことを町長に問い詰めることでシペアに辿り着いたのだそうだ。
「んで、その人―ヘーベオスって名前のペルケティアの調査隊の隊長なんだけど、俺の所に来て学園に行かないかって勧められたんだよ」
ペルケティアには教会が運営する学園が存在し、各国から学問に魔術と幅広い分野の人材を育てる機関として広く門戸が開かれている。
普通の人に比べて魔術師の数が少ないこの世界では、魔術の才能を持った子供というのは国を挙げて保護するのが一般的となっており、癒しの効果を持った水を作り出せるシペアという存在は教会としても確保しておきたい人材と判断されたようで、ヘーベオスからは特別待遇の形で学園に入学の機会を設けると言われたらしい。
「正直俺は文字もろくに読めないし、礼儀だってなっちゃいないから学園でやってけるのかって不安になってさ、そんなわけでアンディに話を聞いてもらいたくなっちまったんだよ」
「なるほどな。それにしても学園か…。シペアはどうしたいんだ?そんな風に誘われたってことは生活の面倒は向こうが見てくれるんだろ?」
「その辺は心配ないって言われた。…けど、俺が魔術を使えるようになったのって最近だろ?それもアンディのおかげだし、俺よりもアンディの方が学園に行くべきなんじゃないかって思ってさ」
シペアの魔術を目覚めさせたのは半ば実験のようなものが切っ掛けだったわけで、どうもシペアは自分で勝ち取ったものというよりも、与えられたという実感でしかないようだ。
そんな自分の魔術に自信を持てと言うのは難しい話のようで、突然降ってわいた学園への推薦というものに腰が引けているようだった。
ただ俺から言わせてもらえば、前世では散々学校で勉強して来た身としては今更学校に行くのも面倒だという気持ちもある。
もちろん、魔術を学ぶ学園というのにそそられるものはあるが。
「なあ、シペア。正直俺は学園に通うなんざお断りだが、誘われたのはお前だし、行く気のない俺なんかよりも行きたい奴が行くのがいいに決まってる。もう一回聞くが、お前はどうしたい?」
行くかどうかを決めるのは完全にシペアの意思に任せるべきだと考え、俺からの助言をなるべく省いて決断させることにした。
「うーん…、行ってみたいって気持ちはある。けど、何をしたらいいのかわからないのに学園に通う意味ってあるのかな?」
「まあいいんじゃないか?そんなことは行ってから見つけりゃいい」
日本でも明確なビジョンを持って大学に行くってのよりも、何となく将来のためというぼんやりとした考えで進学を決めるというのも珍しくなく、興味のあることが後々から見つかるというのも十分にあり得る。
まだ子供のシペアが学園で得るものは多いだろうし、何よりも魔術師として生きていくかどうかの判断が出来るようになればそれだけでも行く価値はあるだろう。
「そんなもんかなぁ。…アンディはなんで学園に行かないんだよ?」
学園に行ったら突然偉そうな奴に絡まれて決闘する羽目になって、しかも何故か新入生が謎の学園主催のトーナメントに出場するという訳の分からん展開に巻き込まれ、挙句に学園長辺りに見どころのある奴だ的な感じで一目置かれて学園対抗の意味わからん大会に出場するというテンプレストーリーだけは御免だからだとは言えず、とりあえずそれらしい理由を言っておく。
「学園ってのは学ぶ場所だろ?正直、今の魔術で十分やっていけてるし、お行儀よく机でお勉強なんてしてる暇あったらもっと世界を見て回りたいんだよ」
我ながら随分と苦しい言い訳だと思う。
この言い方だと勉強が嫌で家出をする子供と変わらなく思えて、知らずに苦笑が漏れ出てしまった。
ただこの他にも当然ちゃんとした理由はある。
シペアやオーゼルがそうであったように、魔術が一切使えなかった人に魔術を使えるようにできるのが俺だけだという可能性を考えると、もしもそれが研究者にでもバレた場合はモルモットにされかねない。
これが国にバレた場合は、強制的に延々と魔術師を量産させられるという魔術師製造機になるのも想像できるし、最悪俺と言う存在が戦争の種に成り得るのも考えられる。
結局シペアは学園に行くつもりのようで、次にヘーベオスが来た時にでもそのことを話すつもりでいるようだ。
相談事が解決されると、次に気なるのがウルカルムの足取りだ。
新しく出来た風呂によって宿場町としての特色が前面に出始めたジネアの町であることも加味すると、商人が素通りするとは思えずシペアに心当たりを聞いてみた。
「んー多分あれかな。10日ぐらい前に大規模の商隊が通ったんだけど、その時にうちの厩舎で馬車ごと馬を預かってさ。ちょっと待ってろ」
そう言ってシペアは部屋の隅にある机の上に置かれていた小箱を漁りだし、ゴソゴソと何かを取り出すと俺に手渡してきた。
「それは預かった日数と料金と個体の特徴が書かれた紙だ。一番下に署名が書かれてるはずなんだけど、俺は文字が読めないからアナンが俺の代わりに作って署名も貰って来た。あぁ、アナンってのは大口の客が来た時に手伝いに来てくれる近所の人で、町長に紹介されたんだ。昔は教会の経理をやってたから、文字が読めない俺にはありがたいよ」
書類には確かにウルカルムの名前が書かれており、この町に立ち寄ったのは確からしい。
預けられた馬車の数が5台、馬の数が22頭とかなりの大所帯での移動をしているようで、その辺りのことをシペアに聞くと結構な数の傭兵が同行していたのが確認できた。
仮にも貴族の息子をハメたとなれば、追っ手を掛けられることも危惧することからこの数の護衛を用意したのだろう。
既に町を離れて時間が経ちすぎているため、どのルートを通ったかが正確にわからないとニアミスの恐れもあるため、やはり当初の予定通りにヒュプリオスの町に向かうのが妥当か。
「そう言えばオーゼルさんってどうしてるんだ?まだ遺跡を調査してんのか?」
方針が決まった所で話はこの町で出会ったもう一人の人物のことに移った。
「ああ、まだあっちにいるよ。最近はしょっちゅう町に来て風呂に入っていくけど、それ以外は何も知らないな。昨日も来てたよ」
町に来る調査隊の人達の言葉によると、新しい発見が続々とあるらしいのだが、ほとんどは研究が先でまだ発表はされないそうだ。
ただ、パルセア語の解読の進捗は既に国内外に伝えられており、今では未解読の書物が次々と解明されていき、古代文明の研究も大幅に進みだしたとのこと。
最近ではソーマルガ皇国の調査団も合流して、オーゼルの指揮のもと合同での調査がさらに加速しているとはシペアがオーゼルから聞かされた情報だ。
どうやら遺跡のある場所は今は厳重に警備が成されており、オーゼルに挨拶をしに気軽に赴くのは難しいようで、今回はタイミングが悪かったと諦めることにした。




