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世の中は意外と魔術で何とかなる  作者: ものまねの実


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愛ゆえに引き裂かれる

 ー二ヶ月前ー


 SIDE:ロイド





 マルスベーラを離れて十日と少し、南東にある村を目指していた商人の馬車は、無事に目的地へたどり着いた。

 これまでの道中、魔物の襲撃は三度ほどあったが、二台の馬車には被害も出さずに俺と姉さんで敵を撃退し、依頼は完璧に果たしたといっていい。


 ここは街道沿いにあるおかげで村というよりは町といっていい大きさがあり、商人も稼ぎになるとみてわざわざ護衛付きでやってきたのだろう。

 日は高いところにありながら、秋もだいぶ過ぎて外は寒さを増している中、やってきた商人の品を求める住民で村の広場は賑わっている。


 村人の手も借りて馬車の荷下ろしが始まったのを横目に、護衛である俺達は件の商人から依頼完了の証明を受け取っていた。


「いやぁ今回は助かった。無事にここまで来れたのもあんたらのおかげだ。ありがとよ!」


「いいのよ、これが私達の仕事なんだから。けど、そっちは災難だったわね。ひいきの傭兵が急に連絡つかなかったなんて」


「まったくだ。ギルド経由で指名依頼の要請は出したんだが、なんの連絡もなくてよ。別の依頼で忙しいって話でもないみたいだが、どこで何やってるのやら。けどまぁ、おかげであんたらと縁ができたんだ。その点は感謝してもいいがな。そんじゃ、また機会があったらよろしく頼むよ」


 姉さんにひとしきり愚痴をこぼすと、商人は他で用事があるのか、馬車を残してどこかへ歩いて行ってしまった。

 従者一人を残すだけというのは流石に不用心かとも思うが、ここがそれだけ彼にとって安心できる場所なのだろう。


 顔見知りも多い村だそうだし、まさか荷物をちょろまかされることなどないとしても、それとなく見守るぐらいはしてもいいだろう。

 ここまで護衛しながら運んだ品なのだから、契約が完遂した後も多少は気にもするのが人の性というもの。


 そうして荷下ろししているのを見ながら、ついでに今後について姉さんと相談する。


「とりあえず依頼はこれで完了したけど、次はどうする?またペルケティアに戻るのかい?」


「んー、それもいいわね。多分もう終わってると思うけど、ウルディオさんの依頼でアンディ達がどうしたかも気になるし」


「あの二人なら上手くやるとは思うけどね。ただ、新設部隊の教導となると、アンディあたりは結構ふざけて遊びそうな気がするかな」


 魔術師の腕と人品に疑うところはないが、それはそれとして若さゆえの弾けっぷりも確かに持ち合わせており、その二人が相手をする魔術師部隊の面々は、さぞかし困難な課題へ立ち向かうことになるだろう。


「あぁ、それはあるかも。あの子、自分じゃ常識人ぶってるみたいだけど、ふとしたときの突飛さは相当なもんよね」


 短い付き合いの中で、何度か垣間見たアンディの非常識さを思い出してか、姉さんは噛みしめるように笑みを浮かべる。

 歳の割には礼儀も弁えており、また冒険者にしては高い教養も備えたアンディは一見するとまともな人間に思えるが、実際は発想が俺達とは根本から違うなにかを持つ、いい意味での頭のいいバカといった感じだ。


 ああいう手合いは目を離すと何をしでかすかわからない怖さとともに、思いもよらない行動を見せてくれる未知への楽しみも持ち合わせており、見ている分には面白い奴と言っていいだろう。

 俺の知る中でも、あの二人はここ最近では一番好奇心をくすぐられる人間でもある。


 今からペルケティアへ戻る楽しみが一つ増えたことで、姉さんと顔を見合わせて笑っていると、村のはずれから誰かがやってくるのが横目で見えた。

 身なりからして村の人間だと思われるその若い女性は、俺達がいる広場まで駆け寄ってくると、縋るような目で辺りを見回し、その視線が俺達へと留まる。


 何かを言い出そうとするのを躊躇う仕草でこらえ、二度ほどそれを繰り返した後、意を決したようにこちらへ声をかけてきた。


「あの!お二人、冒険者ですよね!?」


「そうだけど、私らになにか?依頼ならギルドを―」


「お願い!あの人、夫を助けて!」


 俺達を見て冒険者と判断したのは理解できるとして、それでいきなり助けを求めるとなるとよっぽどの荒事に巻き込まれていると思っていい。

 本来ならギルドを通して正式な依頼で動くところだが、なりふり構わないとでもいわんばかりの取り乱した様子から、どうやら彼女の夫はかなりの緊急事態に陥っているようだ。


「助けてって…あなた、この村の人?あなたの旦那さんがどうしたのよ?」


「薪を拾ってたら魔物に…彼は自分が引き付けるからって、私だけを逃がして!でもあの先は川沿いにしか行けなくて!急がないと魔物に殺される!お願い!助けに行ってあげて!」


 今にも掴みかかってきそうなほどに動揺している女性の言葉をまとめると、夫婦で薪拾いに行ったら魔物に遭遇し、夫が囮になって逃がした妻が急いで村に戻ってきたら、俺達がいたから助けを求めた、というわけか。


「わかったから、まずは落ち着いて。あなたが旦那さんと別れた場所はどこ?それとどれくらい経ってるか、大体でいいから教えて頂戴」


 どこで魔物に襲われたかはわからないが、徒歩でやってきたところを見ると、村からそう遠いところではないはずだ。

 ただの村人が魔物に追われて長く逃げ続けられるとは思えないが、今から急いで助けに向かえれば、もしかすると間に合うだろうか。


「え、ええ。場所は村から出て東に少し行ったところで、歩いて四半刻もかからないと思う。別れてからどれだけ経ったかは…ごめんなさい、分からないわ」


 多少冷静さは取り戻したものの、それでも夫を案じてか早口になる女性から聞き出した場所は、時間から逆算して村の東二キロ弱といったところか。

 冒険者の俺達なら、全力で走ってもさほど時間はかからない距離だ。


「そう。とりあえず場所がわかれば今はいいわ。なんとかするから、あなたはここで待ってて」


「あの、私も一緒に…っ!」


「悪いけど、足手まといよ。せっかく逃がしてくれたのに、また危険な目に合わせたら旦那さんに会わせる顔がないわ。だから、あなたは旦那さんが帰ってきたときに、笑顔で出迎えてあげなさい。いいわね?…あぁそれと、旦那さんの名前を教えてもらえる?」


 姉さんの言っていることは俺も同感で、魔物がいるとわかっている場所へ普通の人間を引き連れて救助に行くのは気が進まない。

 なにより、もし彼女が同行して救助に間に合わなかった場合、魔物に食い荒らされた夫の死体を見てしまえば、心を病んでしまいかねない。


 移動速度も考えれば、彼女抜きで俺達が向かうほうが最も効率がいいのだ。


 姉さんに諭され、村に残ることを受け入れた女性を残し、装備を確認しながら俺達は村の外を目指して歩いていく。


「やっぱり助けに行くのかい?」


「あんな顔で助けを求められちゃね。見捨てられないわよ」


「だろうね」


 とっくに腹は決まっていると分かってはいても、一応どうするかを尋ねてみると、やはり女性の願いを聞き入れるつもりのようだ。

 正式な依頼という体すら求めずに動くのは、女性の必死さに感化されたのも大きい。

 俺達は冒険者として生きてはいるが、それ以前に人として、助けを求められたらなるべく応えてやるのが世の情けというもの。


「聞いた通りなら目的地はそう遠くないとは思うけど、念のため馬を借りるかい?」


「説明の手間と時間が惜しいわ。数キロ程度、私らなら走っていったほうが早いでしょ。ロイド、行けるわよね?」


「ああ」


 俺の返事に小さく頷き、村の門をくぐった姉さんは一気に駆け出す。

 俺もその後に続くと、東を目指して全速力で走る。


 全身にめぐる魔力を一時的に増やし、身体強化によって馬以上の速度で走る俺達は、四半刻どころかその半分にも満たない時間で目的地へたどり着くと踏んでいた。


 当の夫婦が襲われたという場所には特に目印などもないが、人間が魔物に襲われて慌てて逃げたとなれば、そこには必ず痕跡が残る。

 痕跡をたどっていけば、生きていようが死んでいようが見つけることはできるはずだ。

 だからこそ、まず探すのはその痕跡ということになるのだが……妙だ。


「姉さん止まれ!」


 地面を削るような勢いで立ち止まり、先を行く姉さんへ停止を呼びかける。

 すぐに俺と同様、駆けていた足を地面に突き立てて止まった。


「っとと!…なに?どうしたの?」


「そろそろ襲われたって場所だと思うんだが…痕跡が見当たらないんだ。村へ逃げてきたあの女性の足跡も、ここらにはない。おかしいぞ」


「確かに。あの人、夫婦で薪を拾いにって言ってたわよね?そもそも、ここって薪を拾いに来る場所だと思う?」


 俺達が今いるのは冬を前にして枯れた平地であり、大きな木が生えているような環境ではない。

 せいぜい焚き付けに使えるやせた低木がわずかに見えるぐらいで、薪になる枝木など到底落ちていそうにない。


「見たところ、薪どころか食えそうな野草すらない。何かを求めてくるような場所じゃないな。そうなると、あの女が嘘をついて俺達をここに誘き寄せたと考えるべきか?」


「だとしても何のために?…あら、目的はともかく、答えは出るかもしれないわね。ロイド、武器を」


 俺達が陥った奇妙な状況に首をひねっていると、表情を険しくした姉さんが背負っていた戦斧を引き抜いて身構える。

 言われて俺も弓を構えて姉さんと背中合わせになってみれば、その言わんとしたことが分かった。


 いつの間にか俺達の周囲に人影が涌いていた。

 姉さんに言われるまで、姿どころか気配すら俺には感じとれなかったことから、おそらくどこか近くで巧妙に隠れ潜んでいたのだろう。


 ざっと見て十人以上いる全員が揃って赤土色のローブを纏い、顔まで隠していることから、とてもまっとうな生業の人間がするいで立ちとは思えない。

 かといって盗賊の類かというと、それもなにか違う。

 俺自身見たことはないが、暗殺者と言われれば納得できる、そんな印象だ。


 全員が手に剣を握ってこちらへ意識を向けているのだが、それでも殺気が感じられないのが不気味だ。

 こちらを殺すつもりはないのか、あるいはそれすら悟らせないほどに気配の隠蔽に長けているのか。


「何者だ?俺達に用か?」


 わかりやすく剣を持って囲んでいるのだから、狙いは明らかなのだが、相手のことは何もわからないのだからそう投げかけるほかはない。

 すると不気味なことに、殺気のないままに剣を構え、俺達にその切っ先を向けてきた。


 剣を人に向ける際には、なんらかの感情が剣先に見えるものだが、こいつらにはそれが全くと言っていいほど感じられない。

 普通ならありえないことだが、もしも殺気を極端に抑えたまま戦う訓練を積めば、あるいはこういった人間ができあがるのではないだろうか。


 どこぞの貴族が配下にしていた汚れ仕事専門の暗殺者集団が、何らかの理由で野に下った、という筋書きも考えられるが、だとしても俺達を狙う理由がわからない。


「私達、ここで魔物に襲われた人を助けに来たんだけど、何か知ってる?もし魔物に追われた人を見たなら、逃げた方向だけでも教えてくれれば助かるわ」


 まだ魔物に襲われた人間を助けるという体を崩してはいないが、姉さんはこの一連の流れがこいつらの仕組んだことだとは既に気付いている。

 武器を持った集団に囲まれているという、下手に動くことのできない状況だ。

 相手を刺激しないように、可能なら言葉のやりとりで情報を抜き出そうと試みているらしい。


 もっとも、こいつらから情報を聞き出せるか疑問ではあるが。


「…だんまりね。話すつもりはないか、それとも話せないのか」


 もうわかっているが、薪拾いの夫婦など最初からいなかった、俺達をここに誘導したあの女もこいつらの仲間で、こいつらは俺達を殺したい、といったところで、この時点で囲んでいる連中は全員敵だと見なしていい。

 何かを語ることもなく襲い掛かられたら、俺達は躊躇なくこいつらを殺す。

 既にそのつもりなのは、言葉など交わさずとも背中越しの姉さんと意思を通じている。


 そして案の定、姉さんの問いかけに答えることはなく、ローブの連中がこちらへ飛び掛かってきた。

 殺気を消す術にのみ長けているだけで、戦士としての実力はさほどでもないのか、その動きに鋭さはなく、その分だけ数で抑え込もうとこちらにほとんど全員が殺到している。


「ロイド!伏せな!」


「おう!」


 方位の輪が縮まった次の瞬間、姉さんが叫ぶ声に合わせて、俺は地面へ手足をつけて背中を丸める。

 すると周囲に重さのある風切り音が通ったと同時に、水気の多い果物が弾ける音が俺の耳に届いた。


 そのままの態勢で辺りの様子を窺ってみれば、先ほどまで俺達に襲い掛かっていた人間だったものが、血と肉片になって地面へ降り注いでいく。

 姉さんの戦斧が円を描いて振るわれた結果だ。


 立ち上がって改めて見回せば、予想通り、俺達を囲んでいた人間はたったの一撃で全滅していた。

 疾風よりも早く動いた超重量の塊は、直撃を免れたとしてもかすっただけで人を殺せる威力があり、現に何人かは斬るというより、引きちぎれるような死に方をしている。

 痛みを感じる暇もなく死ねたのなら、それが唯一の救いかもしれない。


 最後まで一言も、それこそ悲鳴すら発することなく死んだこいつらに一層不気味さを覚えはしたが、結局正体はわからないままだ。


「…全員死んじゃったか。結局何だったんだ?こいつらは」


「さあね。まったくもう、いっぺんに飛び掛かってこなかったら、何人か残せたのに。狙いが何なのか、わからずじまいね」


 向こうの狙いを探るなら、一人ぐらいは生かしておいてもよかったが、いきなり襲い掛かられてはどうしようもない。

 姉さんは腕っぷしこそいいが、あの一瞬で一人だけ残して他を殺すという芸当ができるほど器用ではないからな。


「そうでもないさ。一応、村にこいつらの仲間がいるだろ。そいつから話を聞けばいい」


「あの女ね。ただ、仲間だとして詳しく知っているものかしら?一時雇いの使い捨てで何も知らないってことはない?」


「その可能性もなくはないが、多分、あの女が何も知らないってことはないだろうさ」


「根拠は?」


「夫が魔物に襲われた妻を演じるのがうまかったろ?俺達がすっかりだまされてたくらいだ。一時雇いにそこまで仕込むほど、暇な人間はいないさ。つまり、知ってる側の人間だろうよ、きっと」


 俺達だって冒険者をやってそれなりに長い。

 こっちを騙そうとした人間も、一人や二人じゃきかないほど見てきた。

 その経験からすると、あの女の演技は全く違和感のない自然なもので、魔物に襲われて逃げてきたという姿は本物でしかない。


 事情を何も知らない人間が、ああまで真に迫った演技で人を騙せるとは思えないので、やはりこいつらと同等の情報は持っていると踏んでもいいはず。


 ただ、そうなるとあの女は間違いなく村の人間ではないため、俺達をここへ向かわせた後、村から立ち去る可能性も十分にある。

 捕まえるなら急いだほうがよさそうだ。


 ―あーぁ、全部殺しちゃって…こんなのでも連れてくるには簡単じゃないんだぜ?


 女を捕まえるべく、村に戻ろうと踵を返した俺達の背中に、軽薄そうな男の声が届けられる。

 再び武器を抜いて警戒しながら声のほうへ振り向いてみれば、顔をしかめて血の滲む地面を見つめる男の姿があった。


 先ほど殺した連中と同じ赤土色のローブを着ていることが、こいつはフードを取り払って顔を隠していなかった。

 年齢は恐らく俺よりもだいぶ上、四十…下手をすれば五十に入るのかもしれない。

 頭頂部で結い上げた青黒い頭髪に幾分か白髪が見えることから、相応の年月の積み重ねを感じさせる。


 服装もそうだが、気配を察知させることなくここまで接近したことからも、今死体となっている奴らの仲間だとは思う。

 武器らしいものを手にしておらず、自然体で目の前にいるというのに、こちらの警戒心は一向に治まらない。

 確かに目には見えずとも、またわずかに感じられるもの以上の脅威が、この男にはあるように思えてならない。


「誰?こいつらの仲間?あんたも私らとやるつもり?」


「あぁ、仲間といえばそうなるかな。ただ、やるかと問われるなら、否と言おうか」


「へぇ?敵じゃないってこと?信用できないわね」


「悲しいねぇ。言葉を交わせるなら分かり合えるというのも所詮は幻想。…が、その判断は正しい。確かに僕は、君達の味方というわけではないよ」


 そう言いながら大きくため息を吐く男へ、俺と姉さんは揃って武器の先を向ける。

 やはりこいつは俺達の敵だったと、格好からしてそうだと判断できるのだから、今更驚きはない。


 敵と分かれば、ここで先手を取って殺してしまうのが正解ではあるが、なにせこの騒動の事情を知っていそうな人間だ。

 可能なら生かしたまま捕らえて、今起きた色々について口を割らせたいところではある。

 姉さんの表情を伺い見れば、向こうも端からそのつもりのようで、目だけで意思の確認をしておく。


 捕縛を前提とするなら、弓矢は動きを制限する役目に徹し、姉さんの戦斧で手足の一本か二本は潰してしまう方が楽でいい。

 口さえ聞ければ、体の方はどうでもいいからな。


 そう決めてからの行動は早い。

 まず弓で男を狙い、最初の一矢を放とうと弦を引き絞ろうとする。

 頭では構えから狙い、発射までを完璧に描いていた。


 だが、現実にそれが起こることはなかった。


 気が付いた時には、弓を握っていた手の感覚がなくなっており、力の入らない指をすり抜けるようにして弓と矢が地面へと落ちていく。


「…くっ!?姉、さ―」


 突然体が痺れていく感覚を覚え、頽れそうになるのを必死に耐えながら隣の姉さんを見れば、そちらも俺と同じように痺れに襲われていた。

 戦斧の柄を地面に突き、縋るようにして何とか立っている姉さんの顔は、初めて見るぐらいに強張っている。


「これ、毒…っね!?」


 歯を食いしばって前を睨み、この痺れの正体を毒と見抜いた姉さんに、男は正解を褒めるように微笑みながら拍手をした。

 そして、男は腰の後ろへ手を伸ばすと、そこから小さな袋をこちらへ見せびらかすように持ち上げる。


「正解だ。痺れがすごいだろう?こいつは最近新しい調合法が見つかった特別な痺れ粉でね、一吸いでどんな猛者も腑抜けになるって代物だ。匂いも色もないから、風上をとってしまえば知られずに相手に吸わせることもできる」


 そう言われてみれば、男は現れてからずっと風上にいたが、あれは俺達にあの粉を浴びせるための位置取りだったわけだ。

 俺達だって毒の類はもちろん警戒するが、匂いも色もない状態で風に混ぜられてしまえば対処は難しい。

 奴が武器も持たずに平然としていたのは、そもそも最初から戦わずに無力化を企んでいたからか。


「あんた…が、吸ったらどう、するつもりだったの…よ!」


「それがこいつのいいところでね。一時的に無効化される薬も開発されてるんだ。それを飲んでれば、誤ってこの痺れ薬を体内に取り込んでも大丈夫なのさ。まぁあまり過信はするなと言われたし、ほどほどにだがね」


 ご丁寧に解毒薬まで用意しているとは、恐れ入る。

 自分も食らうことを前提として毒をばらまくなどと、よっぽど姉さんとの正面対決を恐れていると見える。

 だがまぁそれもわからんでもない。

 姉さんを相手に正面からまともにやりあえる人間などそうそうおらず、勝とうとするなら毒で弱らせるぐらいでようやく勝ちの目が見えるぐらいだ。


 やはりこいつは俺達のことをよく知っている。

 一体狙いは何だ?

 動きが鈍っている今なら、姉さんはともかく、俺程度など楽に殺せるはずだがその気を見せていない。


「随分、手間をかけるじゃないの…私ら、を殺すつもりならっ、さっさ…とやったら?」


 こんな状況でも不敵に笑いながら、姉さんは男へ挑発的な言葉をかける。

 歩くことも困難である以上、男を煽って近づかせたところで、残った力を振り絞って戦斧を食らわせてやるという狙いだろう。


 ところが男は姉さんにそう言われて失笑し、こらえきれないように口元を覆う。


「いやはや、気丈なことだ。そんな状態で言う言葉かね?安心してくれ、僕は味方ではないが、君達を殺すつもりはない。僕の上の人間が君達に用があってね、同行してもらいたい」


 なるほど、狙いは俺達の身柄をどこぞへと運ぶことか。

 だからこそ、痺れ粉などという手間をかけて無力化をしたのも納得はするが、だとすれば最初に俺達に襲い掛かった奴らをどう説明する気だ?


「同行?さっきの…やつらは、問答無用で襲い掛かってきた…が?」


「それに関しては謝罪しよう。これらも直接の配下ではないせいで、今ひとつ統率が甘かったようだ。結局君が全員殺してしまったが、下手に対象に傷をつけられるよりはかえってよかった」


 さっきの奴らの死体を見る目からして、駒以上の価値を見出していないとは思っていたが、直接の配下ではないからこそ惜しくないと、殺した張本人を前にしても平然としていられたのだろう。

 むしろ、勝手な行動で俺達に傷を負わせて、それが原因で命を落とすという結果につながらなかったことを安堵している節もある。


「ただ、こいつらは君達を捕らえた後の運び手も兼ねていたのだが、いなくなってしまっては人手が足りなくなる。僕だけだとせいぜい一人しか運べないから……仕方ないか」


 困ったような顔で溜息を吐き、男が何の感情も感じさせない目で俺達を見て、その視線を俺に留めた。


「…うん、上からは少なくとも一人でいいって言われてるし、男よりは女の方が軽くて持ちやすいよなぁ?だから―」


 ―お前はいらないな


 ゾッとするような冷たい声でそう言われ、男からこれまで感じられなかった殺意が噴き出してきた瞬間、隣で何かが弾ける。

 それが蹴った勢いで地面が爆ぜた衝撃だったと気付いたのは、瞬きの間に男の目の前へ現れた姉さんが戦斧を振りかぶっている姿を見たからだった。


 男の言葉で激昂してか、痺れで鈍いはずの体を強引に動かし、決して短くない距離を一瞬で詰めながら斧を振る。

 当たれば確実に殺せる、掠るだけでも致命傷となるはずの一撃は、しかし男がどこからか取り出した短剣で逸らされ、地面を叩いて終わった。


 あの男、言動と立ち姿で戦闘能力は低いと見立てていたが、今の動きにはそれを覆すのに十分なものがあった。

 万全ではないとはいえ、あの姉さんの戦斧を短剣で捌けるというのは、並大抵の強さではない。


 俺達を捕獲するために回りくどい手を使ったようだが、殺すつもりで来られていたら果たしてどんな結果になっていたのだろう。


「ひゅう~!とんでもねぇな、あんた!なんで動けるんだよ?」


「ロイドに…私の弟に、手を出すなっ…!」


 今の動きが余力を絞り出したものだったのか、力尽きて姉さんが地面に倒れ込むが、それでも男のローブの裾を掴み、視線で射殺すように睨み上げている。

 この痺れを知る身としては、よくあそこまで動けたものだと驚くが、姉さんの言葉に思わず胸が締め付けられた。


「姉さっ…」


 感情のまま動いてしまったのは理解するが、これはまずいことになる。

 痺れに侵されながらあそこまで動いて見せた姉さんを危険とみなし、前言を翻して姉さんを殺す可能性が出てきた。


 俺を助けるためというのは理解するが、それで姉さんが殺されるなど許せるものか。

 なんとかしなければと思うも、体はもうまともに力の入る部位は残っていない。


 倒れている姉さんをジッと見つめる男の様子に、最悪の光景を覚悟しそうになったが、男は一度こちらをちらりと見た後、姉さんの顔を覗き込むようにしゃがみこんだ。


「…俺を殺そうって気の目だな。ギラギラで怖いったらない。よし、一つ提案をしよう。あんた、抵抗せずに僕と一緒に来るなら、弟を殺さないでやる。どうだい?」


「殺…さない?本、当?」


「ああ、勿論さ。上から命じられてるのは一人を生きて連れて帰れってだけだ。あんたがおとなしくついてきてくれるなら、弟に用はない。生かすも殺すもどうでもいい」


 まるで悪霊の囁きのように流し込まれる男の声に、姉さんの目に諦めの感情が見え出す。

 まさか、最初からこれが狙いだったのか?


 俺の命を天秤にかければ、姉さんなら言うことを聞くとわかっていたのだ。

 体の自由を奪って連れていくのがまず一つ、その上で俺の安全を担保に交渉すれば、どこへ行くのかはわからないが同行させるのも手間が少なくて済む。


 実に効率のいいやり口だと、反吐が出る。


「よせっ…姉さんっ……そいつの言う、ことなんかっ!」


「これでも僕は信心深いほうでね。神の名に懸けて約束しよう。さあ、決めてくれ」


 既にどうしようもない状況ではあるが、それでも頭では姉さんの決断を恐れている。

 感情のままに呼びかけるが、当の姉さんはこちらを見ることはない。

 あぁ、だめだ…もう、決めているのか。


「…わかっ、た。約束…して。ロイドに、手を…出さないと」


「約束しよう」


 それだけ言い、倒れている姉さんの体を担ぎあげる男を、ただ睨みつけるだけの俺はなんと無力だろうか。

 怒りを通り越して情けない。

 知らず、口の中に鉄さびの味が広がっていく。


「ロイド君、御覧の通り、交渉は成立した。君を殺すことはしないが、この件はあまり言いふらさない方がいい。生きて姉と会いたいだろう?」


 つまり、ギルドや国に助けを求めれば、姉さんは生きて戻らないという脅しか。

 ふざけた物言いに、頭の中が燃えるように熱くなる。

 今すぐ殺してやりたいが、ありったけの恨みを込めた目で見るしかできない俺を、男は冷めた目で一瞥すると背中を向けて歩き去る。


 その時、担がれている姉さんと目が合う。

 何か声を出さなければと思うのに、どうしてか何も言えない。

 ただ遠ざかる姉さんの目は優しく、まるで最後を惜しむように小さく笑っていた。





 姉さん達の姿が見えなくなり、どれだけ経ったのか。

 気付けば体の痺れが幾分か消えており、体も力が入るようになってきた。

 だというのに、動き出すための気力が湧かない。

 とてつもない喪失感が、膝を突いている姿勢でいることを強いてきているようだ。


 たった一人の家族を、俺は目の前で奪われた。

 親がいなかった俺達は、どんな時も支えあって生きてきた。

 姉さんが父でもあり母でもある、たった一人の家族だ。


 奪われたままでいいわけがない。

 俺が助けなければ誰がやる。


 姉さんを取り戻して、あの男を殺す。

 絶対にだ。


 すぐにでも後を追いたいが、どこに向かったのかがわからないのでは意味がない。

 あの男の脅しに乗るのは癪だが、姉さんの安全を考えると、安易にギルドを頼るのもまずい。

 さしあたり、今ある足跡を辿るとしても、この先整備された道などいくらでもある。

 もっと有力な手掛かりが欲しい。


 だが、そんな手掛かりなど一体……いや、いた。

 俺達をここにおびき寄せたあの女、あれが唯一の手掛かりになるかもしれない。


 最後にあの男が向かった方角は、村とは別の方だった。

 確実とは言えないが、あの女と合流はしないはず。

 なにせ姉さんを担いでいるのだから、そんな状態で村には入れない。


 別の場所で合流する場合も考えられるが、それならそれで村人が女の出ていく姿を見ているかもしれない。

 正確な場所は無理でも、どっちに向かったのかだけでもわかれば今はいい。


 こうして考えると、希薄で曖昧な手掛かりだと言えるが、今はそれを辿るしかないのが腹立たしい。

 もしも女の身柄を押さえることができれば、手段を選ばずに口を割ることもやぶさかではない。

 この事件に加担した罪の報いに、痛みを与えてやろう。




 SIDE:END

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