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世の中は意外と魔術で何とかなる  作者: ものまねの実


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ルガツェン帝国

 遠くソーマルガ皇国の西、荒涼とした岩場と険しい山々が南北へ広がる大地を抜けた先にある、これまた南北へ線を引くように巨大な裂け目となっている峡谷を国境として、ルガツェン帝国は存在する。


 この峡谷は『ヨルバル』と呼ばれており、ルガツェン帝国の古い言葉で『悪霊の噛み痕』という意味だそうだ。

 嘘か本当か、ルガツェン帝国の建国以前よりあった亜神と悪霊の戦いで大地に刻みつけられた傷をそう呼んだという伝説があり、一度落ちたら二度と這い上がっては来れないほどの深さは、これまで多くの命を飲み込んでいったという。


 北の山を起点として伸びるこのヨルバルは、途中で二股に分かれて東西へ伸びていき、しばらくカーブを描いて進んで、南で合流するという形をしており、中州のようになっている中央の広大な土地がルガツェン帝国の領土となる。

 まるで帝国の東西を守るようにあるヨルバルが他国の侵略を防いでいた過去もあって、今でも国民からは恐れとともに敬意の対象として見られているらしい。


 深い谷に守られているのが関係しているかはわからないが、他の国に比べて四季に富み、激しい気候の変化によって動植物は多種多様な姿をとっており、ルガツェン帝国では固有種が非常に多く確認されている。

 肥沃な大地と鉱山資源にも恵まれ、誰が言ったか、もし仮にヨルバルに架かる橋が全て落ちたとしても、帝国は自国民の口を賄うのに百年は困らないというのは有名な噂だ。


 また、他に見られないほど独自に発展した文化はルガツェン様式と呼ばれており、一部の好事家には帝国からもたらされる文物を蒐集することに夢中な者も多いとか。

 農産物から金銀の細工物、見たこともない動物の剥製や特色の強い模様を用いた布織物まであらゆるものを求め、かつては商人達もこぞってルガツェン帝国を目指したと言われている。


 だがこの数十年、ルガツェン帝国は他国との交流・交易をほとんど行っておらず、半ば鎖国状態が続いているため、帝国からの品物をよその人間が手に入れるのは簡単なことではない。

 よほどのコネをフル活用して数少ない交易の枠を奪い取るか、密輸を頼るかしか手はなく、今ではルガツェン産のものというだけでハンカチ程度の布切れが現地価格の十倍近くで取引されることも珍しくない。


 国の体制としては、帝国というだけあって皇帝を頂点にしているという点と、その下に貴族を従えるというので大体の国と同じ形だ。

 ただ、ルガツェンでは貴族の地位は保護されている前提ではあるが、有能な人間は出自・種族に関わらず要職へ抜擢されるのが当たり前となっていて、なんなら法でそれがちゃんと認められているらしい。


 本来文官に向いていないとされるドワーフや鬼人族ですら、個人の才覚によっては参謀待遇で迎えられた前例もあると聞く。

 こうして聞くと実力主義が機能しているように思えるが、かといって貴族が黙って従っているというわけでもなく、大臣や将軍などの重職と呼べるものは、まだまだ貴族が任命権を手放していないそうだ。


 貴族が中枢の権威を独占しているのは、この世界では決しておかしいことではないが、実力主義をうたっておいてのこの体制を欺瞞と訴える人間はかなり多いと聞いた。

 これら不満を持っているのは主に貴族ではない人間なのだが、権力構造に食い込めていない下級貴族にも憂う声は多く、外から見ても明らかに火種がくすぶっている帝国では、クーデターが起きる下地は十分に出来上がっていた。


 そして今から二十年ほど前、ルガツェン帝国で平民と一部貴族の連合による反乱が発生し、帝国軍との武力衝突が発生する。


 弁の立つ扇動者がいたのか、帝国軍に比べて数では勝るも練度で劣っていた反乱軍はなぜか士気が高いまま戦端が開かれた。

 決して圧政を敷いていたわけではなく、致命的な失策もない中で突如発生した反乱は、帝国民の支持を得るには動機が不透明だとされ、当初、反乱軍が早期に制圧されて戦火は収まると見られていた。


 ところが、開戦間もなくして帝国軍の一部が突如反乱軍と呼応し離反、味方の裏切りに混乱している帝国軍を一気に平らげてしまう。

 この時帝国軍の一部が裏切った理由はいまだ明らかとはされていないが、戦力の優位が一日と待たずに逆転した結果、阻まれることなく侵攻した反乱軍によって帝都はろくに抵抗もできずに陥落してしまう。

 攻め入った反乱軍兵士の手によって多くの高位貴族と官僚らは討たれ、皇帝一家も燃え落ちる城とともに運命を共にしたと言われている。


 かくして反乱軍は帝国の腐敗を正し、人民の人民による人民のための国家運営へと乗り出す……となればめでたしで終われたのだが、実際はそうはならなかった。


 もともと貴族の専横を正すという目的のために集まっていただけの軍隊は、帝都陥落後には開戦当初の団結も失われ、戦後の統治にかかる人事や利益を巡って次第に争いをはじめる。

 また帝都陥落の混乱も収めぬうちに反乱軍内部の粛清に出る貴族も出始め、反乱軍は内部分裂や離散でその体制を保てずに、いつしか自然消滅してしまっていた。


 そうして反乱軍を離れた人間の中で、野心と力のある者が各地へ散らばって勝手にその地を治めるようになり、ルガツェン帝国は群雄割拠の時代へと突入していく。

 勝者と敗者、強者と弱者に配役を与えられた人間の怨嗟の声で大地は満ち、争いは長く続いた。


 なお、皇帝の血筋が残っていれば、国外で亡命政権を作ることも可能だが、内乱から現在まで、ルガツェン帝国の正統府を名乗る人間は現れていない。

 つまり、帝都陥落の際に焼け落ちた城で皇帝の一族は死に絶え、その血は完全に途絶えたということになる。


 そして内乱が数年続き、各地の勢力が糾合を繰り返した結果、現在のルガツェン帝国はバーシンプス侯爵による暫定統治で落ち着きを取り戻した。


 このバーシンプス侯爵家はルガツェン帝国で最も古い貴族家の一つで、当時の皇帝との友誼もあって、帝国きっての忠臣との呼び声も高い貴族だった。

 クーデターの際も、旗下の騎士団の指揮を自ら執って帝都の守りへと向かったが、間に合わずに皇帝の居城が落とされ、泣く泣く帝都を後にして自領へ戻ると、群雄割拠の地となった帝国を冷徹にまとめ上げたことで、国民と生き残りの高位貴族に求められて帝国の仮の統治者を任されたそうだ。


 バーシンプス侯爵が皇帝を名乗らずに暫定統治の代表に収まっている理由は、『この身はどこまでいこうとも帝国の臣である。皇帝の座には相応しい人間を戴くべし』と言い張り、帝位を勧める周囲の声にも頑として応じないからだという。


 反乱によって絶えた皇帝の血がどこかに残されているのを信じ、次代への繋ぎに徹しようとするその姿を、流石は帝国一の忠臣だと感心する人間は多い。

 口さがない人間だと、皇帝の危機を見過ごし、労せずして帝国を乗っ取った奸臣が機を窺っているだけだとも囁く。


 真実がどうかはわからないが、いまだにルガツェン帝国の名前が残っているのは、内乱の時代に最後まで帝国を存続させようと戦った、忠義ある貴族の献身の賜物であることに変わりはない。

 壊すよりも残すことのほうが難しい時代で、どんな目的があろうとも国を残そうとした思いだけは本物だと言える。


 こうして帝国は以前の安定した形へと近づいたものの、反乱に加担した人間でも大物小物問わず逃れている者はいまだ多く、国民の不安は完全に解消されたとは言い難い。

 内乱によって国家の運営にかかわる人材が多く失われたことで、現在は国力の回復に努めるという名目により、ルガツェン帝国は国境を閉ざし、鎖国体制はより強固なものとなっている。





 ペルケティア教国から見て、ルガツェン帝国は南西の位置にある。

 地図の上から直線距離だけで見ればソーマルガ皇国よりも近いのだが、間にある山々に荒野、湿地に大河と越えるべき障害は多く、もし徒歩だけで向かうのなら半年の旅程を覚悟しなければならない、それほど遠い国だという。


 そして仮に辿り着いたとしても、鎖国状態の帝国に入るのはまず不可能となれば、行ったところで何もできることはなく、商人はもちろん、冒険者でも向かう理由は見つからない。


 そんな国を目指す時点で変わり者だとされるのなら、まさに俺達は変わり者の人生を歩いているといっても過言ではない。

 冒険者でありながら商人まがいにとある品を求め、入国不可能とされる国を目指すとなると、正気を疑う目で見られることも覚悟のうえで、俺達は一路、飛空艇を飛ばしてルガツェン帝国を遠望できる場所へと辿り着いた。


 飛空艇なら国境警備の兵に見つかることなく帝国本土へ侵入できたのだが、これから向かう先の空気を探るという名目もあって、俺達はまず国境の様子を探ってみることにしたのだ。

 飛空艇を隠し、徒歩でやってきた俺達を出迎えたのは、話に聞いていた以上の絶景だった。


 季節は冬ということもあって、あたりは一面雪景色となっているが、数キロ先に見えているヨルバルと名付けられたクレバスは、雪という半紙に書かれた墨のように存在感を示し、そのせいもあって想像していたものよりも巨大で長いように思えた。

 幅は優に百メートルはあろうか、底の見えない谷がどこまでも続く様は、このまま世界を二分する傷となっているような不安を抱かせた。


 このクレバスが今見えている物のほかにもう一本、帝国領土を挟んで反対側にある事実を思うと、なるほどこれ以上ない国境の守りだと唸ってしまう。

 長年の半鎖国体制が維持できるのも、このヨルバルがあってこそだろう。


 到底人の手では生み出せない雄大な自然の景色の中、大地を荒々しく切り裂くヨルバルに架かる一本の橋が見える。

 あれこそが現在、ルガツェン帝国と他国の地をつなぐ数少ない橋の一つで、普通の人間がルガツェン帝国へ入国できる正式なルートとなる。


 遠目には頼りない糸のような橋に見えるが、それは遠近感のなせる錯覚で、実際は石造りのかなり大きな橋だ。

 形としてはアーチ橋に近く、長さもさることながら幅もずいぶん広い。

 馬車が並んで何台通れるかなど、考える必要がないほど道幅には余裕が見られる。


 起点となる橋の基礎部分は谷の壁面と溶けるように同化しており、土魔術かそれに類する魔術が建築の段階で使われたと推測する。


 他国との交流が制限されていたからこそ、帝国がここまで立派な橋を造った理由も色々と想像はできるが、今では人の往来が完全に途絶えていることに物悲しさを感じてしまう。

 ただ、人の往来は皆無とはいえ、橋の帝国側には鉄格子の門が固く閉ざされており、帝国へやってくる来訪者を拒む空気がここまで伝わってくるようだ。


 以前までは他国からの商人がやってきても小規模の取引ぐらいは許されていたのが、現在はこの橋を渡ることを許されるのは外交官か帝国に認められた一部の特権商人だけという有様で、なかなか情報が外に出ていくことはない。


 帝国に関する情報を得るには外交官経由か帝国の息のかかった商人からのみという、帝国に恣意的なものも多いせいで、やはり謎の多い国という印象はまだまだ強い。


「立ち番はいないね。見張り自体は……あ、高いところの窓に人影。あれが見張りかな?」


「恐らくな。顔やら装備やらは遠すぎてわからんが、関所にいるなら国境の警備だろう」


 地面に身を伏せ、揃ってスコープを手にして見つめる先は、鉄格子の向こうに建つ検問所のような建物の二階、その兵士と思しき人影がいる窓だ。

 国境を守る関所の二階にある窓は、本来見張りというよりも明り取りか換気目的なのか、兵士が顔を出すには少し小さいように思える。


 推測だが、おそらくあの人影は見張りというよりも、特に目的もなくあそこにいるのではなかろうか。

 反乱から国境を閉ざしてもう何年経ったか、国境警備の任こそ与えられたがやることはなく、日々どう過ごすかに悩んでいる、というストーリーをあの兵士らしき人物は抱えているのかもしれない。


「特に張り詰めた雰囲気もないし、国境は安泰ってところだね。予定通り、暗くなってから、ちょっと離れたところで谷を飛び越える?」


「ここから境目は見えるが、俺達にはなにもくれないからな。危険を冒す必要はないか」


「だね。飛空艇でビューンと行こうよ。真っ当にさ」


「密入国を真っ当とは。今更だが」


 これも聞いていた話の通り、国境は閉鎖こそされているが特に緊張もなく、仮に誰かがやってきても平穏のまま追い返されるだけだろう。

 なんの資格も理由もない俺達では国境の門を開くことはできないので、やはり当初の予定通りに夜を待って飛空艇でヨルバルを越えるのが妥当だ。


「パーラ、地図をくれ」


「あいよー」


 パーラの提案通り、関所から離れた場所から裂け目を飛び越えることを想定し、地図を広げてめぼしい場所にあたりをつける。

 ヨルバルを越えたとして、その後に目指す先も決めておきたい。


 俺達の目当てはメノク・スーロンだが、帝国内へただ入っただけでは手に入れられる見込みはないため、取引に必要な情報を得るためにも、現地人から話を聞くのが手っ取り早い。

 なにせ商人ギルドでさえ、最近の帝国内部の情報をろくに手に入れられていないため、地道に足で稼ぐしかないのだ。


「こっからだと、西にちょっとした村があるな。オブレーデって名前だそうだ。飛空艇だと半刻もかからないぐらいか」


「結構近いね。でも大丈夫なの?その地図の情報って結構古いんでしょ?」


「ああ、反乱が起こる前のやつだ。確かに小さい村なら、反乱後のごたごたで消えててもおかしくはないが…行くだけ行ってみるさ」


 この地図は商人ギルドで紹介された商人から聞き取った情報から書き起こしたもので、ルガツェン帝国のおおまかな形と知りうる限りの町や村が書き込まれている、俺達の貴重な情報源だ。

 商人ギルドへの紹介料に商人への情報提供の謝礼と、決して安くない支出だったが、全く前情報がないままでよくわからん国へ乗り込むことの怖さが多少でも和らぐなら、こんなのでも十分ありがたい。


 ただ、その商人がルガツェン帝国へ入れたのは反乱が起こる少し前までだったため、今もこの地図のとおりの町村が存在しているとは限らない。


 なにせ群雄割拠の時代を経ているため、村の一つや二つならなくなっている可能性は十分にある。

 とはいえ、そこに村がないという情報も今の俺達には必要なものなので、まずは向かってみることにしよう。





 陽が落ちてあたりが暗くなった頃、俺達は谷を越えて密かにルガツェン帝国へと入った。

 人目を避けての入国でこの時間になってしまったが、オブレーデ村までは一時間もかからないため、このまま移動を続ける。


 冬は日が落ちるのが早いというが、雪が月や星の光を反射することで夜でも明るさが意外とある。

 飛空艇を飛ばして目的地まで着くと、そこには家々から漏れる明かりが集まった、村と呼べるものが確かに存在していた。

 どうやら地図に修正を施す必要がないことに安堵しつつ、飛空艇が着陸できる目立たない場所を探して旋回していると、眼下にある村のはずれにうごめく何かがいることに気付く。


 夜の闇の中でも分かるほど、それは明らかに平時の人の営みとは思えない険呑な気配を、モニター越しの俺達へと感じさせている。

 かすかに判別できる影の形からして、あれは人間と魔物の戦いで間違いない。


「なんだ?村が襲われてるのか?」


 魔物にとって人間を襲うのは本能であり、それは時と場所を選ばない。

 しっかりとした城壁がある街ならともかく、小さな村ともなれば緊急時に使う防壁の魔道具だけで、魔物の脅威にさらされるのは日常のこと。

 ただ、このオブレーデは村の周りを囲む立派な石造りの壁があるタイプのようで、普通なら魔物が村に攻め寄せてもそうそう陥落はしないはずだが、なぜか壁の外へ人が出てきて戦っているようだ。


「村の周りに石壁はあるけど、あそこだけはないね。壊されたのかな?」


 操縦席についている俺と違い、窓に張り付くパーラには下の様子がよく見えているようで、村の防護壁の一部が欠けていることを指摘する。

 なるほど、壁の一部が崩れたことで、そこを狙う魔物から村を守るために戦っているというわけか。


「魔物は…人型っぽい感じ?あ、大猿系のやつだね。それが三…四匹ぐらい?あれ、一人で相手してない?」


 パーラの見立てでは魔物の方は猿系のようで、遠目には人型にも見えるが、手が長い傾向にあるのでそこで見分けたのだろう。

 大猿と言うぐらいだから、普人種以上、ひょっとしたら鬼人族にも並ぶサイズ感すら考えられる。


 だがそれよりも、たった一人で四体の大型の魔物を相手取っているというのが気になる。

 この世界では個人の戦闘能力ではピンキリの差がとんでもなくあるとはいえ、体格に伴う体重差は戦闘の優劣に大きくかかわってくる。

 おまけに数の差も加わるとなると、一人で正面切って立ち向かうのは蛮勇と言っていい。


 せめて防護壁を上手く使うならともかく、その壁の外に出て戦っているのだからあまりにも無謀だ。


「一人で?なんでだ?他に手助けはいないのか?」


「見た感じはいない。あ、いや、ちょっと離れたところに何人かいる。槍は持ってるけど…見てるだけだね、あれは。ただの村人って感じ。逆に前に出てる人は慣れてる感じで立ち回ってる。弓を射ながらの動きだけでも十分凄腕ってわかるよ」


「多分、その槍を持ってる奴らがとどめ役だな。手練れが注意を引きながら魔物の体力を消耗させて、隙をついてブスリってとこだろう」


 村に常駐する戦力というのは、基本的に村人の中で賄われる。

 武器を手にした若者がまさにそれだが、だからといって自分のサイズ以上の魔物に意気揚々と挑めるかといえば、そんなはずはない。

 むしろ戦いに慣れている人間のサポートをこなすのが一番賢いやり方だ。


 そういう意味では、手練れが魔物をけん制しながら弱らせ、注意から外れた村人にとどめを刺させるという、下でやっている戦いの形は間違いではない。

 弓使いを前に出して動き回らせるのは正解とは言い難いが、戦える人間が敵を引き付けなければならないのが力のある人間の役割だ。


 相応のリスクはあるとしても、その手練れがヘマをしてやられなければ、そのうち魔物を倒せるとは思うが、だからといってただ見ているだけというのは心がない。


 基本的に人間同士の争いはどっちに非があるのか一目ではわからないため避けがちだが、魔物に襲われているのなら別だ。

 須く魔物は人類の敵だと、この世界では決まっているからだ。


「よしパーラ、操縦代われ。俺が下に行く」


「え?アンディが行くの?別に私が行ってもいいけど」


「敵を倒すだけならそれでもいいが、まずは村の防壁を直したい。俺なら土魔術でいけるしな」


 戦力的には俺とパーラ、どちらが下の支援に行ってもなんとかなるだろうが、村の防護壁を塞ぐのなら土魔術で俺がやれる。

 見たところ、下の戦い方は防護壁の穴のせいで強いられているとも思えるので、先に壁を直してしまえば、連中もリスクのある戦い方から解放されるだろう。


 パーラが操縦桿を握ったのを確認し、俺は操縦室を離れて装備を取りに行く。

 後部の貨物室へと入り、リビングの壁に掛けてあった振動剣を身に付けると、外へつながる扉を解放して一気に飛び出す。


 吹き込んできた冬の冷たい風をかき分けるように宙に躍り出た俺は、すぐさま襲ってきた浮遊からの落下に身を任せる。

 冬の寒さが混ざる落下の風は身を切るように鋭く、極寒の空気に体を震わせながら地上を目指して落ちていく。


 眼下の景色は相変わらず暗いものだが、雪が反射する月の明かりはそれなりに見られたもので、戦っている人間の姿が徐々にはっきりしてきた。

 弓を撃ちながら踊るように大猿の群れを翻弄する人影は、マントで身を覆ってはいるもののその動きには見覚えがあるもので、しかしそれが誰かを思い出す前に俺は地上への着地に入ってしまう。


 噴射装置を噴かし、雪をあたりに舞い上げながら降り立った俺に、その場の人間と魔物、全ての目が集まる。

 突然の乱入者に驚きを見せない者はなく、人間にいたっては新手の魔物の登場を警戒したのかもしれない。


 その光景を見て、防護壁修復の優先順位を下げる。

 周囲の注目を集めてしまったが、魔物にも思考の空白時間を生み出したのが最高にちょうどいい。

 噴射装置に残っていた空気を一気に使い切り、その場から飛び出して大猿へと斬りかかった。

 その際、通り過ぎざまに弓使いへも声をかける。


「加勢します!」


「なに!?」


 いまだ呆けている大猿の顔へ剣を突き立て、振動で頭蓋を弾けさせることでまずは一匹を仕留める。

 飛び散る脳漿の向こうに、次のターゲットを見つけてそちらへ電撃を放つ。

 落下していた時から十分に魔力をため込んで発動を待機させていた雷魔術は、生物を殺す目的を違えることなく果たし、二匹目の魔物を丸焦げにして絶命させた。


 一瞬で二匹の仲間がやられたことで、我に返った残りの大猿がターゲットを俺に絞って迫ってくる。

 本来魔物は連携など考えないはずの生き物なのだが、示し合わせたように殴りかかろうとするその動きは、俺の魔術によっぽどの危機感を抱いた結果だ。


 あと一秒もしないうちに俺に拳が当たろうかというところで、横合いから殺到した数本の矢が二匹のうちの一匹に突き刺さる。

 狙いもいいし、威力も十分。

 おそらく、足を止めて弓を射ることができたおかげだろう。


 そのうち目に当たった矢はそのまま脳へと到達したのか、大猿が痙攣するように仰け反って転がると、すぐ傍まで来ていたもう一匹の大猿も巻き込まれるようにして激しく倒れこんだ。

 まったくもっていいタイミングで二匹の足を止めてくれた弓使いには視線で礼を言いつつ、まだ息のある大猿へと駆け寄り、最初の犠牲になったやつと同様、その頭部を振動剣で斬り飛ばした。


 踏み荒らされてなお白い雪に、赤とオレンジ色のまざった体液が飛び散るさまは、お世辞にも綺麗とはいいがたく、また臓物と獣臭が漂う戦いの痕は不快感も覚える。

 ついしかめっ面のままあたりを見回すと、改めて俺に注がれる視線を自覚した。


 脅威が去ったことで安心したこともあってか、今度は不審なものを見る目が多いようだ。

 いきなり現れて、いきなり魔物四匹(うち一匹は俺じゃないが)を屠った人間に対しての感情としては、妥当なものだといえる。


 荒事にはあまり慣れていない村人よりかは、先ほどまで孤軍奮闘していた弓使いの方がまだ肝は太いはずなので、まずはコミュニケーションのとっかかりとしてそちらへ声をかける。


「いい腕してますね。援護、感謝します。怪我などは?」


 なるべく親しみを持たせるべく、穏やかに話しかけると、それまで被っていたフードを取り払い、こちらに応じてくれた。

 ここで初めて顔を見ることになったのだが、そこにあったのは知った顔だった。

 先ほどの弓の腕と立ち回りの妙、既視感の正体をようやく理解する。


「いや、怪我はないよ。しかし、まさかこんなところで君に会うとは…久しぶりだな、アンディ。パーラは一緒じゃないのか?」


 どこか照れたように言う人物こそ、ずいぶん前に仕事を一緒にした黄二級の冒険者の姉弟の片割れ、ロイドその人だった。

 最後に会ったのは、冒険者ギルドでウルディオに紹介してもらったあの時だが、それがまさかルガツェン帝国での再会とは。


「ロイドさん!?なんでここに!?」


「色々あってね。君こそどうして?」


「俺達はちょっとほしいものがあってここまで……そういえばソニアさんはどちらに?」


 別に隠すほどのことではないのだが、なんとなく食い意地を疑われるのも癪なのでぼやかして言いつつ、ここにロイド一人だけというのが気になってソニアのことを尋ねる。

 するとロイドの口が引き締まり、そして初めて見せるほどの険しい、怒りに染まる顔へと変わった。

 その変化は、姉弟になにかあったと言葉にせずとも伝わってくる。


「姉さんは……さらわれた」


 次いでロイドが口にしたのは、衝撃的な言葉だ。

 あのソニアが攫われたなどと、にわかには信じがたい。

 巨大狼の首すら息をするように跳ね飛ばす、アマゾネスよりも恐ろしいあの女を攫う?

 誰が?どうやって?


 俺は言葉も出ず、驚愕に絶句するしかないが、目の前のロイドの様子を見るに、嘘や勘違いなどで言っていないことを察し、妙な汗が背中を伝うのを感じた。

 知らない仲でもないのだし、場合によってはソニアの奪還にも手を貸してやりたいところだが…。


 ロイド達と別れてから二ヶ月半ほど、その間に一体何があったというのか、どうやってこの鎖国状態の帝国へ来たのか。

 いろいろと聞きたいことは山積みで悩ましい。


 パーラが来たら、ロイドからそのあたりの事情も聞いてみるとしよう。


 このルガツェン帝国、もしかしたら色々と波乱が起こる国なのだろうか?

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