森で罠にかかったらもう…ね?
少し時を戻そうー
SIDE:シペア
訓練が開始されてからどれほど経っただろうか。
また一人、二人と、沈んだ顔をした隊員が森の中からこちらへ戻ってきた。
あの様子だと、今回もダメだったようだ。
これで三つの小隊がすべて、死亡判定を受けての途中棄権という結果となる。
前の二つの小隊はいずれも罠にかかったところをアンディ達に急襲されたそうだが、今回の小隊も恐らく同じやられ方をしたに違いない。
魔術を使う暇もなく、戦闘といえるものも経ずに戦闘不能とされたせいか、どいつも不満そうな顔をしているのがその証拠だ。
確かにこれは魔術師部隊の訓練という体裁がある以上、魔術を使う機会も与えられずにただ無慈悲に罠で片を付けられるのには思うところもあるだろう。
しかし実戦を想定しているのならば罠はあって当然、この結果に不満を言う輩は、今後どんな任務に赴いても良い仕事はできないと思えてしまう。
この訓練では全滅した小隊からの教訓を次に挑む小隊が引き継ぐことをルールとして定めており、たった今戻ってきた彼らの口から悔し気に吐き出される、森の中での顛末に耳を傾ける。
予想通り、魔術での戦闘以前にアンディ達の仕掛けた罠にやられたそうで、最終的に二人だけでかなり善戦はしたと豪語してはいるものの怪しいものだ。
あいつの性格と能力を考えれば、森に入ってから罠にかかるまで掌の上だったとしても不思議はない。
これらの話を部隊長はどこか満足そうに聞いていることからも、アンディ達の仕業には一定の成果を認めているようではある。
綺麗な実戦を想定しない訓練は、部隊長としても望むところなのだろう。
それにしても、帰還してきた小隊の話をここまで聞いて思うのは、森の中の罠は随分と種類が豊富だということか。
直接的な物としては落とし穴や足吊り系が多いが、それ以外にも警戒を無駄に促す仕掛けで翻弄してくることもあるそうだ。
訓練だけあって命にかかわる怪我をさせることはないが、楽に突破させるつもりはないという強いこだわりも感じられる。
正直、罠はあると考えてはいたが、ここまで魔術を使わずに隊員達を翻弄するとは、想像通りの悪辣ぶりだ。
魔術を使わずにこれとなると、罠を潜り抜けた先にはアンディという怪物が口を開けて待っているのだから、もう恐ろしくてたまらない。
「よし、行くぞ。平民、お前らはくれぐれも足を引っ張ってくれるなよ?」
順番は部隊長が決めることとなっていたため、その決定に従って今度は俺達の小隊が森へ入る番となった。
貴族の系累である三人のうち、リーダーを気取っている男がことあるごとに平民と俺達を呼ぶせいで、出発の前から隊の空気が悪い。
そいつらは俺ともう一人を見下しており、小隊という枠組みの中だというのにそういう態度ではまともな連携も期待できない。
足を引っ張るのが俺達だと思い込んでいるあたり、自分の実力をちゃんと把握できているのか疑わしい。
先に森の中で全滅した小隊連中の話を聞いて理解しているのなら、このまま森へ侵入したとして本来の力を十全に発揮できるなどと考えるべきではないのだがな。
特に示し合わせたわけではないが、小隊内で不和の匂いがあるせいで自然と隊形が決まる。
貴族三人組が先を行き、俺ともう一人がそれに少し遅れてついていく。
小隊が結成された時点で有無を言わさずリーダーを自任している男がサザーランといい、無駄にはりきって先頭を歩いている。
その後に続くのは、態度からしてサザーランとは旧知の仲で、ここにいる人間の中でも一番小柄な男であるビルグリフだ。
家の格が違うのか、サザーランを上位者として扱う様はまるで従者かと思うほどだが、一方で平民に対する差別意識は人一倍あるようで、俺達を見る目は三人の中で一番冷たい。
そして、三人の中で唯一の女性であるウェイリンは先を行く二人を見守るようにして付き従っている。
彼女に関しては、他の二人に比べると多少態度は柔らかいといえそうだが、それでも身分の差はしっかりと意識しているらしく、仲間を平民と蔑むサザーランを諫めないのがウェイリンの認識だ。
最後に今も俺の背後につき、こんな状況でも不満をかけらも出すことなく大人しくしているのがガラという男だ。
無口な性格か、ここに至るまでほとんど口を開くことはなく、会話らしい会話は名前を名乗った時ぐらいだろうか。
感情を全く顔に出さず、平民呼ばわりされて困惑も憤りも見せないのだから、正直この中では一番考えが読めない。
協調性など端から期待できなさそうな集団で、これからアンディ達の待つ森へ分け入ろうとするなど恐怖しかないが、一応命の保証はあるのが救いではある。
俺とガラなど気にもせずに動くサザーラン達を諦めの感情で見ながら、森の中を進むことしばし。
それぞれが危険な森の中での歩き方を意識しているおかげで、隊としての体裁が守られる程度にはまとまって動けていると奇妙な感心を抱いていた時、不意に微かな違和感を覚えた。
周りの景色に妙なところはないというのに、俺の中から訴えかけてくる何かをじっくり吟味してみれば、違和感の正体が足元から伝わる土の感触にあることに気づく。
ここまで進んできた地面の感触は、例えるならサチサチというものだったのが、ほんの一瞬前からはシャクシャクというものに変わった気がするのだ。
ともすれば勘違いで済まされる程度の、表現するのが難しいほどに微かな違いではある。
だがアンディという非常識な魔術師なら、こんなちょっぴりの違和感でしか見抜けない水準の罠を平然と仕掛けてきても不思議はない。
あいつが土魔術で地面に細工を施したとすれば、この微妙な土の差異も意図せずして起こし、見逃している可能性は十分ある。
「止まれ。罠だ」
よって、俺は小隊の人間にいきなり行軍停止を告げた。
ここまで無言でついてきていた俺が、初めて発した鋭い声にサザーラン達は体をビクつかせていたが、罠という言葉に警戒をさらに高め、周囲を注意深く見まわす。
だが罠の痕跡が何も見当たらないことで、不機嫌そうにサザーランとウェイリンが俺を非難してくる。
目に見えていないだけで実際に罠がある可能性も十分高いのだが、彼らにしてみれば劣っていると見下す俺が先に罠に気付いたことを認めたくないのかもしれない。
その気持ちはわからんでもないが、今大事なのは罠にかかって小隊が全滅する危険性だ。
俺の感覚だけでの指摘となるので、正直にそのまま伝えたとして、根拠が薄いと無視される可能性は高い。
まだ疑う様子のサーザーラン達に、俺の知るアンディという人間ならどうするかを話している時、ふと視界の端に奇妙なものが見えた。
一見すると何の変哲もない大木、しかしその一本の枝の上に濃い緑色の物体が乗っている。
木の枝にある緑色となればただの葉っぱと思うところだが、今の季節を考えると緑が鮮やかすぎるのだ。
森に溶け込む色の服を着た何者かがそこにいる、そう考えるのが自然な不自然さ。
影の膨らみ方からして、ちょうど人が二人肩を寄せ合っているようにも見える。
そうなると、今この時にこの場所でそういうことをする人間は限られる。
まず間違いなく、アンディとパーラだ。
先にやられた他の小隊の連中は、アンディ達の服装について特に語ってはいなかったが、あの二人が森に入るのに目立つ格好を選ぶわけがない。
以前教えてもらったことがあるが、アンディ曰く、森林迷彩というやつだろう。
たまたま見つけることができたのは幸運だ。
違っていたらそれでもいい。
もしもあいつらを相手に先制攻撃ができるのなら、これほど優位なことはないのだから。
俺が気付いたことに勘付かれないよう、ひそかに魔術を発動させる。
こんなこともあろうかと背負っていた水嚢から、コッソリと水を操作して抜き出していき、ある程度の量が手元に集まったところで、アンディ達がいるであろう枝目がけて水を勢いよく発射した。
ーヤパっ!?
無数の水の礫を殺到させたところ、狙っていた場所から女の焦った声が上がった。
あの声には聞き覚えがある。
パーラだ。
すぐさま人影が一つ、森の奥へ向かって飛び出していくのが見えた。
あの速度と独特な空気の抜ける音は、アンディ達だけが使う噴射装置のものだろう。
だが逃げたのは一人で、もう一人は残っているはず。
狙いは変えず、木の枝の上にある影へと水弾を打ち込むと、舌打ちとともに人影が落下してきた。
普通の人間なら勝負ありだが、あいつらならあの程度の高さからの落下でどうにかなるわけがない。
実際その通りで、地面から盛り上がった土が落下途中で人影を包むようにして受け止め、滑らかな着地を決めている。
この時点で、アンディならば土魔術であれくらいの芸当はやることから、あの人影の正体はアンディで確定だ。
さらに人影は落下の勢いを生かす形で、俺達から距離を取ろうという動きを見せた。
せっかく叩き落したのだからこのまま逃がすのも惜しいと、水の礫から捕縛に向いた魔術へと切り替える。
同時に、他の連中の援護も期待してはみたが……だめだな。
突然始まった魔術の応酬に、小隊員達は全員呆気に取られている。
ここで即座に同調して動けないのが未熟さだとはわかっているが、せめてみっともない間抜け面ぐらいはどうにかしてもらいたいものだ。
水嚢から追加で取り出した水で鞭を作り、それを繰り出してアンディを絡めとろうとするも、流石の身のこなしでこちらの攻撃は全て躱されてしまう。
実戦経験の差というのはこういうところでもはっきりわかるもので、あと一歩というところでスルリと逃げられるのがもう何度も続いている。
学園では対人戦も経験しているが、それと比べてもアンディは全ての行動が巧みだ。
ただ、こちらもただ無駄に魔術を操っているわけではなく、徐々にアンディを追い詰める図が出来上がりつつあり、このままの調子でいけばいずれは俺の魔術を命中させることができる。
この森での一番の脅威であるアンディさえ排除できれば、一先ず探索にも希望が持てる。
うまくやれば、アンディを人質にしてパーラを吊り上げることだって不可能ではない。
そうなれば、訓練目標には悠々と迫れるに違いない。
そんなことを考えているうちに、水の鞭の一本をアンディの死角へと上手く配置することができた。
(これでアンディの足を吊り上げれば…いける!勝った!訓練・完!)
そう思った矢先、唐突に俺の背後で大きな破裂音が鳴る。
「うっ!」
衝撃で思わず身が縮こまってしまうが、すぐに背中を伝う冷たい水の感触で水嚢が破裂したことに気付く。
そのせいで、思わず発動中だった水魔術の制御を手放してしまい、水嚢の水と今制御を失った水が、地面へとぶちまけられてしまった。
やや遅れてやってきた突風に、パーラの風魔術が俺の水嚢を破壊したのを察した。
どうやら俺とアンディがやりあっている間に、パーラが戻ってきて俺の水魔術の元を絶つべく動いたらしい。
こちらと違い、ちゃんと互いを援護しあえるのはうらやましい限りだ。
驚いて動きを止めたのは一瞬だったが、それでもアンディにとっては十分な隙になったらしい。
互いに何かを思うものを感じながら視線が交差した後、アンディが噴射装置を吹かして空へと昇っていく。
あっという間に俺の魔術の射程距離を外れてしまい、追攻撃の手段もない俺はただ見送るしかなかった。
そうしてようやく、俺は安堵から深く長い呼吸をすることができた。
森に入るまではどうなるかと思っていたが、いざ遭遇してみると意外や意外、俺にもやれたじゃないか。
アンディを相手に、かなり優位に戦ったと思える。
次も同じようにできるかはわからないが、それでも一方的にやられることはないはずだ。
唯一気がかりがあるとすれば、ここで俺達を倒さずやけにあっさり引き下がったことだ。
その気になれば俺達など簡単に倒せただろうに、いったい何がアンディに撤退を選択させたのか。
もっとも、こちらとしても仕切り直せるのは素直にありがたい。
なにせパーラに水嚢を破壊されたせいで、魔術で扱える水がかなり減ってしまったのだ。
予備の水筒はあるがこれはあくまでも飲料用で、魔術での攻撃に使うのは避けたい。
一応地面に吸われた水分を回収することもできるが、かなり目減りするのは避けられない。
次の遭遇に備えて、川のひとつでも見つけたいところだが。
「…よし、俺達も移動しよう。ここに留まってたら、またあいつら……どうした?」
ひとまず脅威も去ったことで、サザーラン達に出発を提案した俺だったが、振り向いた先でこちらを見つめる真ん丸な四対の目と視線が合う。
先ほどの戦いに驚いているようだが、どうもそこには若干の恐れもあるように感じる。
無理もない。
これから俺達を狙ってくるのが、あれだけの魔術の腕を持ち、さらには特殊な道具で空も飛べる腕利きときたらそうもなろう。
「あ…お前強…い、いや、そう!リーダーはサザーラン様だぞ!勝手に行動を決めるな!」
四人の中でいち早く正気に戻ったのは意外にもビルグリフで、急に声を荒げて俺につっかかってきた。
リーダーを敬愛するサザーランと認めていただけに、俺が隊の行動を指示したのが癪にでも障ったか。
もしくは、見下している人間が地位を脅かされるのを嫌ったのかもしれない。
実に面倒くさいな。
「ならサザーラン、あんたが主導してくれていい。さっさと移動だ。グズグズしてたらあいつらが襲ってくるぞ」
「だから勝手にっ…!」
「少し黙れ、ビルグリフ。言われるまでもない。だが、少し臆病が過ぎるんじゃないか?さっきのを見たが、お前にやられっぱなしだったろう。また襲ってきたなら返り討ちにすればいい」
主導権で揉めるつもりはないと暗に示したことで、鼻息の荒かったビルグリフを手で制したサザーランだが、次にはアンディ達を侮るような言葉がその口から飛び出した。
唯一見せたアンディの土魔術だけでも、まっとうな感覚を持った魔術師ならそんな認識は持たないものだが、あまりにもズレた物言いのサザーランには呆れてしまう。
こんなのが小隊を率いて俺達の上に立つということが恐ろしくなると同時に、友人を貶められたという怒りもあって、その甘い考えに一言言わずにはいられなくなった。
「サザーラン、あんたはわかっちゃいないな。全くわかっちゃいない」
「何がわかっていないというのだ。さっきの奴も、所詮土魔術師。確かに変わった使い方をしてはいたが、それだけだ。正対したなら、俺の魔術で焼き払ってくれる」
学園でもそうだったが、大抵の魔術師は水や土の魔術を軽んじる風潮がある。
突発的な戦闘から今ではもう落ち着きだしたサザーランにとって、アンディは大した魔術師ではないと思われているらしい。
だが俺から言わせれば、その考えがそもそも間違いなのだ。
「そこが勘違いだっつってんだよ。あんた、アンディを土魔術師だと思ってるみたいだが、あいつの使える属性は土以外にもある。おまけに使い方の妙は俺達の常識には収まらない。ただの魔術師や戦士と同格と思っちゃいけない」
あいつは土だろうが水だろうが、凶悪な武器に変えられる知恵と技術を持っているのだ。
侮ったところでつけ込む隙を与えるだけであり、群れの魔物を想定した警戒で丁度いい。
「随分と買ってるのね。知り合いの欲目も入ってるんじゃない?」
アンディへの警戒はそれだけ評価の裏返しだ。
そこに食いついたのはウェイリンで、皮肉気に笑みを湛える様にはやはりアンディを侮るものが見える。
まだ実力の一片しか見ていない彼女にしてみれば、過剰に脅威を見積もっている俺の感覚が疑わしいのだろう。
「欲目なんざ有り得ないな。この際だ、あんたらの認識を正しておくぞ。アンディを人間って括りでみるのはやめろ。人間大のドラゴンだと思え」
「ドラゴンって……言いすぎじゃない?」
「控えめなくらいだ。魔術ひとつとってもブレスに近いものは使えるし、だまし討ちもする。下手をすればドラゴンよりたちが悪いな」
冗談とでも捉えたのか、貴族側の三人は失笑するが、まったくふざけているつもりのない俺が表情を変えずにいると、彼らもようやく理解しだしたようだ。
ドラゴンならその巨体で隠れることは難しいが、アンディは人間だ。
普通にそこらの茂みに隠れられるし奇襲を企てる頭も技術もある。
今は訓練だからいいが、全力であれが殺しにかかれば、俺達はとっくに不意打ちで消し炭にされてる。
「幸い、俺達はあいつらと必ずしも戦う必要はない。目的のものをさっさと手に入れて、森から抜け出しちまえばそれでいいんだ。だからとにかく今は動きまわるぞ。…いいな?リーダーさんよ」
偶然見つけてしまったがためにさっきはこちらから手を出したが、本来俺達は例の布きれを見つけ出すことが最も優先すべきことなのだ。
それをサザーランに念押ししたのだが、なぜかムッっとした顔をされてしまう。
ちゃんとリーダーと呼んでその立場を尊重したというのに、何が気に入らないんだ?
「…いいだろう」
「サザーラン様!?」
もう一反発あるかとひそかに身構えていたが、意外にもサザーランは俺の意見に同意を示した。
その態度には他の人間も驚いたようで、ビルグリフなど悲鳴に近い声を上げたほどだ。
「それの言葉には一考の価値がある。受け入れるのが上に立つ者の度量だ。だが勘違いするなよ?この隊のリーダーは私だ。次からは何をするにも必ず許可を求めろ」
「…へいへい」
「ふんっ、行くぞ!」
最初に比べればこちらの意見にも耳を傾けそうではあるが、その上で依然として態度は差別的なものが抜けきっていない。
なおも高圧的なサザーランには嫌気も差すが、今は隊の不和を避けるためにもひとまず従順な隊員として振る舞う。
相変わらず協調などないサザーラン達はさっさと先に出発し、それを追って俺も歩き出したその時、隣に並んだ人影が低く抑えた声で話しかけてきた。
「…あいつらはああだし、俺はあんたを頼りにするよ。いざという時、あんたに従う。頭の隅にでも留めておいてくれ」
それだけ言い、少し前に出て歩きだしたガラに、俺は思わず呆気に取られる。
無口な男だとは思っていたが、ちゃんと自分の意思を口にすることはできるようで、あえて俺にだけそれを言うのは、やはりサザーラン達に対していい印象を持っていないせいか。
あれだけ見下されても猶従うという卑屈さは持ち合わせていなかったようだ。
いざというときには俺に従うと密かに宣言したとなると、既にサザーランは見限られていることになる。
小隊としてはもう内部崩壊が始まっているとも言えるほどだ。
まだまだ訓練は始まったばかりだというのに、こんな状態で果たして目的を達成できるのか不安になるが、途中棄権で全てを投げ出す気でもない限りはこれでやっていくしかない。
他の小隊は空気は悪くなかったというのに、俺達はこうなのは気も滅入る。
おかげで一歩ずつ、警戒しながらの歩みも重く感じてしまっていた。
「…今、何か聞こえたか?」
突然立ち止まったサザーランが、周囲の音を拾おうと耳に手を当てながら呟く。
「え?いや、特には…」
特に誰かと定めてはいなかったであろう問いかけにビルグリフが真っ先に答えたが、特に不審な音など俺達は聞いておらず、サザーラン以外は揃って首を傾げたり肩をすくめたりといった反応だ。
「草葉の音に紛れてはいたが、あれは話し声だった。私達以外で人の声がするとなれば…奴らだろう」
現在森の中にいる人間は俺達とアンディ達だけで、俺達以外の話し声がするとなればその正体は明らかだ。
「よし、私が様子を見てくる。お前達はここで待て。何かあれば知らせるから、その時はすぐに助けに来い」
「えっ!一人で行くつもりですか!?なにもサザーラン様が行かずとも…この平民どもを行かせては?何かあれば犠牲も少なく済みます」
平然と俺とガラを捨て駒に提案するとは、ビルグリフも大概だな。
戦力としての魔術師が二人減ることの危険性を理解していないのか?
「そいつらでは咄嗟の判断に迷いが出かねん。それに、将が動かねば部下はついてこないだろう?」
妙にキメ顔でそう言い放つサザーランだが、一人でいいところを見せようという魂胆が透けて見える。
今のところリーダーらしいことはほとんどしていないため、ここらで手柄の一つでも欲しいとでも。
声の先にアンディ達がいるとして罠の情報の一つでも得られれば御の字、いっそ隙を見て倒そうとすら考えているのかもしれない。
「俺は反対だ。罠の可能性もある」
というか、まず間違いなく罠だ。
あのアンディが、わざわざ話し声で居場所を知らせるような間抜けな真似はするだろうか?
俺の勘ではかなり怪しい臭いがしている。
サザーランだけに聞こえたのも、恐らく一人ずつおびき寄せるため。
気に食わない人間であっても、今は貴重な戦力として無駄に失うのは避けたい。
しかしサザーランにはそんな俺の思いなど伝わらず、途端に不機嫌そうな顔を見せる。
結果としてリーダーの決定に口を挟む形になったのが、それが気に食わないといった様子だ。
「罠だからなんだというのだ!そんなものを恐れていては先に進めん!お前らはここにいろ!奴らには私の実力を思い知らせてやる!」
やはりというか、激高したサザーランは吐き捨てるようにそれだけ言うと、制止する暇もないほどの素早さで俺達から離れて行ってしまった。
「待ってくださいサザーラン様!一人ではっ!」
「仕方ない!私らも追うよ!」
大胆に立ち去ったせいで反応が一瞬遅れてしまったが、ウェイリンの呼びかけで俺達もサザーランの後を追う。
それにしても罠の可能性を指摘したというのに、なぜ自分からその中へ突っ込もうとするのか。
目的の達成だけを考えれば見捨てるのも手だが、物探しにかかる人手を考えるとそれも躊躇われる。
追いついたら真っ先に説教してやりたい気分だ。
―ギャァウン…!
アンディ達との遭遇も警戒しながらサザーランを追っていくと、進行方向のかなり遠い所で絞められた鳥のような悲鳴が聞こえた。
状況から考えれば、サザーランが挙げた声で間違いないだろう。
自然と全員の走る速さが上がり、声の聞こえた場所までたどり着いたとき、俺達の目の前には無残にも逆さ吊りとなったサザーランの姿があった。
予想通りアンディ達に誘因されてまんまと罠にかかったようで、白目をむいてだらしなく口を開けている様子から、吊り上げられたと同時にきれいに気絶させられたようだ。
「サザーラン様!今お助けー」
「よせ!」
ひどい姿となっているサザーランを見て、真っ先に助けようと近づいたビルグリフを止めるべく、怒鳴りつける勢いで声をかけたのだが、わずかに遅かった。
サザーランへあと数歩というところまで近づいたその時、ビルグリフの足元から弾けるようにして縄が姿を現し、意思を持ったように絡まりながらその体を宙へと引っ張りあげる。
やはり友掛けの罠があったか。
吊られたサザーランをこれ見よがしに放置していた時点で、その可能性は十分にあった。
なにせ俺達の前の小隊がかかった罠に、この手のやつがあったと聞いたばかりで、ビルグリフはまんまとアンディ達の企みに乗せられたわけだ。
「ビルグリフ!?」
「待てウェイリン!まだ友掛けがあるかもしれん!」
反射的にビルグリフへ駆け寄ろうとしたウェイリンだったが、今度こそ俺の制止が間に合い、ウェイリンをその場にとどまらせることに成功した。
このわずかな間でいきなり隊員が二名も罠にかかったのは驚きだが、三人目の被害者を出さなかったことだけが今は幸いだ。
「チッ…どうすりゃいいのよ!?」
「落ち着け、ビルグリフの方はどうにか助ける方法を考えよう。サザーランは諦めろ。あの様子だと途中棄権の対象だ」
ウェイリンとすれば二人を助けたいところだが、自分も罠にかかってしまうのは避けたいだろう。
だがサザーランはもうだめだ。
罠にかかって気絶したということは、戦闘不能とみなして途中棄権の条件に当てはまってしまう。
対してビルグリフはまだ望みはある。
吊り上げられた衝撃で朦朧とはしているようだが、かろうじてまだ気絶はしていない。
どうにか罠から解放すれば、小隊への復帰は許されるはずだ。
「ロープはサザーランのとは違う方向に延びてるな。…向こうの木か。ここからでも切ることは可能だが」
ビルグリフを救出するべく、罠につながるロープの行方を目で追っていたガラが指差す先は、俺達がいる場所から五メートルは離れた場所にある木の枝だ。
随分距離をとって罠を仕掛けたものだと感心する。
ロープ自体は普通のものなので、魔術で切断すればこいつらを地上に下ろすことは可能だが、ちゃんと準備して受け止めないと地面に叩きつけられかねない。
慎重に手順を決めて処理しようと、三人で悩み出したその時、頭上から何かが落下してきた。
さして勢いがあるわけではないが、決してゆっくりとは言えない速さで飛来したそれは、狙い定めていたかのようにビルグリフへと当たると軽い音とともに跳ね返り、地面に突き刺さったものに俺達の目が自然と吸い寄せられる。
それは雑に木を削って形を整えただけの簡単なナイフだ。
当然殺傷能力などなく、直撃したビルグリフも怪我一つない。
なぜこんなものが飛んできたのか首をひねっていると、どこからともなく声が聞こえてきた。
―はーい、ナイフに当たったのでその人は死にました。あとで下ろしてあげるからもうちょっと待っててねー
どこかのんびりとした口調ではあるが剣呑なことを言ったその声は、パーラのものだ。
今のナイフもあいつが投擲したものだろう。
罠にかかって行動不能の上、ナイフがとどめとなって失格というわけだ。
意識を失いかけのビルグリフに聞こえているかは怪しいが、ちゃんと後でおろしてやると伝えて安心感を与える優しさはいっそ白々しい。
「ちょっ…なんでよ!今助けようとしてたところなのに!」
―ダメよぉダメダメ。罠にはまった時点で半死、今の私のナイフで息の根を止めたってわけ。終わりでーす
「ぐっ…ぬぅ」
せっかく助けようとしたビルグリフが僅かな差で脱落させられたことへの抗議か、声だけのパーラに嚙みつくウェイリンだったが、返されたふざけてはいるが納得はできる物言いに言葉を詰まらせるしかないようだ。
しかし真剣に臨んでいる俺達にあの口調は、パーラの性格を知っているので不思議ではないが、それにしてもふざけすぎじゃないか?
絶対俺達のことを煽ってきてるぞ。
「…向こうがそう言うってことは、俺達には覆せないな。仕方ない、行こう」
ある意味ではこの訓練の教官役とも言えるパーラが決めた以上、サザーランとビルグリフはここで棄権が決定した。
いつまでもここに留まるよりは、本来の目的のためにはさっさと移動して探索を続行するべきだ。
不満そうなウェイリンに視線で出発を促し、一応奇襲を警戒しながらその場を後にする。
パーラ達は罠にかかった人間を解放する作業があるため、それが済むまで俺達を見逃すはずだ。
その猶予の間に少しでも探索を進めたい。
誰が言い出したわけでもなく、俺を先頭にしてガラとウェイリンが後ろに二人並んでつくという、三角の隊形に自然となっていた。
あっさりと二人がやられたことで、最初のころの貴族だ平民だといった意識もウェイリンにはもう薄れたらしく、ようやく小隊として様になってきたといえる。
「とりあえず森の深いところを目指すぞ。どこにブツが置かれてるかはわからんが、今は進むしかない」
「なぁに?サザーランがいなくなった途端、あんたが仕切るわけ?」
先頭にいるせいで勝手に俺が行動を決めたが、それに対してウェイリンが皮肉気に口をとがらせる。
とはいえそこまで声に棘があるわけでもなく、追われる緊張を紛らわすためだとはわかっている。
「別にあんたがリーダーでも俺は一向にかまわんが?」
「…三人だけになって今更こだわるのもバカらしい。リーダーは任せるわ。あんたもいいわよね?ガラだっけ?……ガラ?」
リーダーにこだわるのなら俺としては誰に任せてもよかったが、ここにいたってそんなことで揉めるのも彼女は嫌ったらしい。
ウェイリンも異存はないということを、ガラにも同意を求めたのだが返事がない。
無口ではあるが、こういう時に黙っている奴ではないとその姿を探したが、見当たらない。
ほんの一瞬前までウェイリンの隣に並んで歩いていたはずのガラが、まるで煙のように消えてしまった。
「ガラ!どこ行った!?ガ…あ?」
ガラの姿を求めて周囲へ名前を呼びかけたが返事はない。
その代わり、最後にガラが立っていた場所にポッカリと口を開いていた穴に気づく。
人一人を飲み込むのに十分な大きさの穴は、かなりの深さがあるのは確かで、壁面の様子から明らかに人の手によって作られたものとわかる。
恐らくアンディが掘っていた落とし穴だろう。
バカな、罠を仕掛けた痕跡なんざ全く感じなかったぞ?
最初に見破った罠より、ずっと巧妙に隠したというのか?
いや、あるいは…アンディのことだ、森の外縁近くの罠はあえて見つけやすくして、隠蔽の度合いを俺達に誤認させていたのかもしれない。
人を騙すことにかけては一流のあいつならやりかねん。
慎重に穴の中を覗き込んでみれば、光がほとんど差さない暗がりの底に横たわる人影が見えた。
ガラだ。
どこか強く打ち付けたのか、気絶しているようだ。
この状態はサザーラン同様、途中棄権となる姿だ。
先の二人は迂闊だったとしても、その後の俺達は決して油断などしていなかったにもかかわらず、立て続けに三人目の仲間を失ってしまったことにちょっとした恐怖を覚える。
ウェイリンなど、ガラの様子を見て小さく悲鳴を上げていたほどだ。
迂闊さでいえば俺も先の二人を笑えん。
サザーラン達の解放のための手間で一旦追跡はないなどと、あいつらはそんな暢気なタマじゃない。
常にこちらを陥れようと、舌なめずりをしている狡猾な蛇だ。
短時間で三人の仲間が犠牲になったのには、見通しが甘かったというほかない。
これで残るは俺とウェイリンの二人のみ。
ここから迫りくるアンディ達をやりすごし、目的のものを手に入れて森を脱出することを目指すことになるわけだが…。
……無理じゃね?
おいおいおい、死んだわ俺ら。
SIDE:END




