森は生きてる
秋も深まり、近頃は日に日に空気が冷たくなっていく。
早くも木々が冬支度を始める中、未だ青々とした葉を残す森に、藪を裂く勢いで疾駆する黒い影があった。
せわしなく四足を繰り出し、地面を掻きながら走る姿から影の正体が狼であることは分かる。
ただ、周囲の対象物から推測できる狼の体高は二メートル以上、頭から尻までは五メートルを優に超えるかというサイズ感は、ちょっとしたトラックと見紛うほど。
それはパダーブリクと呼ばれる狼型の魔物だ。
全体的にシャープな体型をしており、高速で駆ける姿は黒い流星と見紛うかのようなフォルムをしている。
人によっては機能美を褒めそうな見た目だが、その危険性はやはり魔物に相応しいものだ。
狼を優に超える探知能力で人間を積極的に襲うため、人間の活動範囲内で発見された場合の駆除優先度は並の魔物よりもずっと上に位置する。
通常の生物としての狼にはより大型のものもいるにはいるが、こちらは魔物だけあって狂暴さが段違いに高く、過去にはドレイクモドキを群れで襲ったという事例もあったらしい。
討伐基準は黄1級相当なのだが、個体によっては討伐難易度も変化するため、上振れでは赤級に差し掛かるケースも有り得るそうだ。
そんな危険な魔物が森を走り回っているとなれば、獲物を求めての行動に他ならない。
魔物と言えど食わずには生きてはいけず、こういった姿は普通の動物と大差ない。
ただ、動物も魔物も人間を捕食するために襲い掛かるのは珍しくないのだが、魔物に限れば食べるため以前にただ人間をいたぶる目的で襲うことはよくある。
このパダーブリクもまた、捕食ではなく人間を襲うために動いているという節はあり、現にその追いかける先には逃げる人間の姿もあった。
森の中を走る人間とそれを追う魔物。
狼の見た目に違わない速度では、その人間もそう長くは持たずに爪と牙が届きそうにも思える。
ところがこの二者の距離はつかず離れずを保ちながら、追いかけっこが続いていく。
パダーブリクの足が遅くない以上、人間の足が狼と同等の速さを発揮していると言えるが、果たしてそんな芸当が可能かと言われれば、あの人間に限っては出来ると断言しよう。
なにせ今あそこで走っているのは、身体強化を全て脚力に回し、おまけに噴射装置も併用することで生身の人間としては破格のスピードで移動できてしまっているパーラだからだ。
そして、そのパーラから少し離れて、見失わないように並走している俺。
当然、俺も噴射装置と身体強化の組み合わせでの高速移動だ。
一見すると魔物に追われているパーラを助けずに見守っているように見えるだろうが、なにも意味もなくこんなことをしているわけではない。
パーラはああしてパダーブリクの誘引を、そして同じ速度で動ける俺は何かあった時に囮を引継ぐ役目がそれぞれにあった。
つまり、俺達はパダーブリクと正面切って戦うことは勿論、高空への退避やぶっちぎって逃げ切ることも許されていないわけだ。
なぜこんなことをしているのかというと、このパダーブリクが番を持っているかを確かめるためだ。
もしも番がいたとすれば、一匹目がパーラを追った時点で二匹目も呼び寄せることがあるという。
多少出現に時間差のあるケースも想定し、しばらくはああして引き付けている。
今のところ姿が見えるのは一匹だけなので、一先ず近くに番はいないと判断していいだろう。
そろそろ単純な移動にも飽きてきた頃、遠くの方で甲高い笛の音が鳴った。
こういった場所では自分から居場所がバレかねない音を立てるのはご法度なのだが、今回に限っては意思伝達を優先して笛を使用している。
短く二度、一拍置いて長く三度と吹かれた笛の音は、事前に決められていた合図で、内容は『群れの気配なし、対象は単独』というものだ。
俺達からさらに離れたところからパダーブリクの番の存在を確認していた別動隊から、ようやくGOサインがでたらしい。
パーラにも今のは聞こえていたようで、それまでの当てもなく逃げ回っていた動きが、笛を切っ掛けにしてとある場所を目指して一直線に移動を始める。
そうして明確な目的地と定めた地点へ向かったパーラが、ある程度進んだところで一気に動きを変える。
真っすぐかせいぜい緩旋回程度の動きから突然、噴射装置の向きと地面を蹴る勢いを合わせて鋭角に真横へ飛ぶ。
するとその急な動きの変化に一瞬目標を失ったのか、パダーブリクが首を巡らせる動きと共に速度を落とした。
弾丸のようだったスピードはすっかり失われ、迷うようにその場でぐるりと体を回転させた次の瞬間、パダーブリク目がけて数本の矢が襲い掛かった。
銃弾とは言わずとも、回避が困難なほどの勢いで放たれた矢は、既にほとんど立ち止まったと言っていい狼に群がっていく。
そこから生身の体に矢が突き立つ光景を期待していたが、思いのほか毛皮の防御力が高いらしく、ほぼ全ての矢が弾かれるか滑るようにして逸れていく。
魔物は巨体になればなるほど肉体は頑丈になり、種類によっては体毛が金属に近い硬度を持つものもいる。
この狼の魔物もまた矢を弾く程度には高硬度の毛を纏っているらしい。
ただし、毛皮が頑丈だからと言って必ずしも完璧に刃を防ぐわけではない。
毛の隙間さえ通すことが出来れば、刃物を皮膚まで届かせることはできる。
そして今、その毛の隙間を通った一本の矢がパダーブリクの肩へと刺さっていた。
このたった一本の矢は巨体に比してあまりにも小さな一刺しではあるが、それを無視できるほどパダーブリクも鈍くはなかった。
突如発生した痛みに動きを鈍らせたのか、足を完全に止めて藪へ向けて唸りだす。
意外と頭はいいのか、矢がどこから飛んできたかをちゃんと理解しているようで、藪の向こうに潜む射手へ敵対心を露にし、今にも飛び掛からんばかりの様子だ。
事前の打ち合わせではあの藪には弓持ちの冒険者が待機しており、攻撃開始の合図でパーラがここへ来たのもこのためだ。
意識が弓持ちへ逸れたのをチャンスと見て、一旦距離をとっていたパーラが再び標的目がけて噴射装置を噴かす。
それに合わせて、俺もパダーブリク目がけて一気に飛び掛かる。
噴射装置を全開で噴かす俺達は敵が対応するよりも早く殺傷圏内へと辿り着き、互いに相手の姿を目で捉えて次に取るべき行動を一瞬で理解する。
「合わせろパーラ!」
「あいよ!」
パダーブリクの正面へと迫ったパーラは、その勢いのままバク宙する要領で目の前にあった巨大な顔面を蹴り上げる。
強化した脚力に加え、噴射装置でさらに加速した足が破裂音を奏でて巨狼の体を僅かに浮かせた。
パーラの蹴りを受けて、ナイフのような歯が並ぶ口は噛み合わせが歪み、鼻と目からも血が溢れる。
並の魔物なら鼻先がちぎれ飛んでいただろうが、パダーブリクは体格に見合うだけの頑強さを持ち合わせており、この程度で済んでいる。
もっとも、あれで即死できなかったせいで、苦しみを長引かせるのは不運だという外ない。
ならば次の手で止めを刺してやるのがせめてもの情け。
突如襲い掛かった痛みからか、天を仰いだまま体を硬直させたパダーブリクの頭上へ、俺の一撃が落ちる。
跳躍前に地面から引き上げていた土を足元に集め、巨大な塊を形成する。
図らずもパダーブリクの顔と同等のサイズに仕上がったそれに足をかけ、落下と噴射装置の勢いを乗せて一気に踏み堕とす。
流石に岩に勝るなどと驕る気はないが、それでも圧縮されて十分に固さを増した土は、鈍い音を立ててパダーブリクの頭を殴りつけるように衝突した。
隕石の衝突などと言えば大袈裟だが、規模はずっと劣るもそれに近い光景だろう。
頑強な肉体を誇るとはいえ、顎を激しく蹴り上げられた衝撃と重量物の落下が重なると、さしもの魔狼とはいえタダではすまない。
土塊に伸し掛かられ、まるでシーソーのように地面へ勢いよく叩きつけられたパダーブリクが、甲高い悲鳴と共に倒れ込んだ。
砕けた土が辺りに煙となって舞う中、脳震盪でも起こしたか、魔物は体を痙攣させながら舌をデロリと出して動きを止めている。
これでも死んでいないことには驚くが、得てして体のでかい奴ほどタフなのがこの世の摂理だ。
一応雷魔術なら殺せたが、今回に限ってはそれが出来ない事情がある。
―出遅れたかと思ってたけど、中々いい所で来れたみたいね
パダーブリクから少し離れた地面に着地した俺の耳に、どこか雨に打たれる鉄を思わせる、ややハスキーな女性の声が届く。
その声の主は俺達が来た方向とは逆の、より一層濃く藪の茂っている場所から姿を見せた。
仄暗い森の中でもよく目立つ、まるで質のいい炭が燃えているような赤と白が交互に走った髪をなびかせ、爛々とした目でパダーブリクを見る様には、空腹の果てに肉となる獲物を見つけたようなどう猛さがある。
その髪色と近い赤茶色の瞳は力強さに満ちており、傍目には整っていると言える顔立ちだ。
健康的な褐色の肌というソーマルガ辺りの人間の特徴もあり、恐らくここペルケティアの生まれではないのかもしれない。
180かそこらという、普人種の女性にしては上背がありつつ、纏う鎧も最低限の部位を守る程度と、全体の印象では細身にも見える。
しかし、肩に担ぐ武器を見ればその印象も失せていく。
何気なしに右肩へ乗せられているのは、女性が持つには不親切な重量をうかがわせる戦斧だ。
柄だけでも優に二メートルはあり、斧刃の部分は一メートル弱と、長柄の武器としてはかなり大きい部類に入る。
正直、鬼人族が持って初めて見合うと思えるが、当の持ち主は少し背が高いだけの普人種の女性だ。
とても持ち歩けるとは思えないその武器を、まるでショルダーバッグを背負うかのような気軽さで担ぎ、しかも重量に翻弄されることなく歩けている時点で普通ではない。
先に聞いてはいたが、あの武器自体は特別なものではなく、重量は見た目相応のものだとか。
そうなると単純に彼女の膂力が人並外れているだけなのだが、似たように埒外の膂力の持ち主としては、かの壊し屋ことイーリスと同類ということになる。
「二人ともご苦労さん、ちょっと下がって。あとは私がやるから……っと!」
パダーブリクの傍に立つ俺とパーラを見て、女性は微笑みながら戦斧を構える。
最初はゆっくりと持ち上げられた戦斧が、蚊が短く鳴くような音を残して姿を消した次の瞬間、倒れているパダーブリクの首元へ瞬間移動したかのように姿を見せると、爆音を立てて斧の触れた場所が地面ごと陥没した。
そして胴体から切り離されたパダーブリクの首が、鮮血と共に宙を舞う。
首を失った体が二度三度と一層激しい痙攣を見せた後、完全にその命が潰えたことを周囲へ知らしめた。
「…よーし、討伐完了。みんな、怪我はないね?」
たった今凄惨な光景を生み出したばかりの当人が、魔物の死亡を確認すると満足そうな顔で周囲へ確認の声をかけてきた。
怪我の程度を言うなら森を動き回れば多少の切り傷ぐらいはあるが、致命的といえるものは皆無だ。
ただ、この問いかけはどちらかというと、長くパダーブリクに追い回されていたパーラへのものだろう。
「私は平気。アンディは?」
「俺も特にはない」
互いの体を見て、出血なども見られないことに揃って安どの息を吐く。
俺もパーラもスピードを生かした機動戦には心得はあるものの、今回は色々と制約があって取れる手が限られていた。
怪我の一つも覚悟していただけに、無傷で終えられて一安心だ。
「そう言うソニアさんこそ怪我……はないですよね、わかってます」
「あっはっはっは、当たり前よ。最後にちょろっと首を刎ねただけなんだから。怪我のしようがないわよ」
そう言って戦斧を持った女性、ソニアはカラリとした笑いを返す。
本人は大したことがない風を装っているが、頑強な肉体を持つ魔物の首をあっさりと跳ね飛ばしたのは、間違いなく彼女の腕あってのことだ。
決して楽をしておいしい所をもっていっただけとは思わない。
今回の討伐隊のリーダーも彼女が務めており、立場に相応しい活躍をしたとも言える。
「それにしても、腕のいい魔術師だとは聞かされてたけど、実際はそれ以上ね。まさかこんな近くまで寄って殴り合うなんて、普通の魔術師はやらないんじゃない?腕っぷしだけなら白級とは思えないわよ」
ソニアは切り離されて転がっていたパダーブリクの首に近付き、顎と眉間に刻まれた俺とパーラによる打撃跡を見て感嘆の声を上げる。
魔術師は基本的に遠距離攻撃がメインの、いわば砲台としての立ち回りがセオリーとされる。
勿論接近戦が出来る魔術師もいるがマイノリティであるのは確かだ。
俺とパーラはそのセオリーにははまらず、パダーブリクへも普通に近接戦闘を挑んでいたため、ソニアにはよっぽど見慣れないものだったようだ。
―ついでに言えば、そっちのアンディは詠唱を使わなかったみたいだ。発動した魔術の速度も規模もだけど、そういう所も色々と常識外れだとは思うね
しげしげと死体を見ていたソニアと俺達へ、先程矢が飛び出してきた藪の中から声がかけられる。
藪をかき分けて現れた声の主は弓を担いだ若い男だった。
髪色と肌、なにより顔立ちはソニアとよく似ており、血の繋がりを窺わせるには十分な材料が揃っている。
「あら、ロイド。あんたもお疲れ様…って言いたいところだけど、あんた腕が落ちたわね。矢が一本しかささってないじゃないの」
労いの言葉を口にしかけたソニアだったが、パダーブリクの体に突き立つ一本の矢を指し、呆れたような声を出す。
ソニアは一本しか有効射がなかったことを嘆いているようだが、俺から見れば彼は十分な仕事をしたと思う。
あの時、藪から放たれた数本の矢だが、実はこのロイドが一人で一本の弓から同時に放ったものだった。
命中率に目を瞑れば複数の矢をいっぺんに発射することは不可能ではないが、それでも効果を期待するなら高い技量が要求される。
パダーブリクの毛皮の防御力を考えれば、一人が複数射ったのならその内の一本であっても刺さっただけでも御の字だろう。
「無茶言わないでくれ。姉さんだって知ってるだろ?借り物の武器じゃこんなもんだよ」
姉と呼んだことからわかるように、ロイドはソニアの弟だ。
今回の討伐前の自己紹介でも名乗っていたが、姉弟で冒険者という、この世界ではよく見かける組み合わせだ。
「こーら、武器のせいにするんじゃないの。本物の戦士なら得物は選ばないもんでしょ。私なんて、素手で大蛇を倒したことあんのよ」
ソニアの言うことも一理はあるが、とはいえ荒事に臨むのなら使い慣れた武器であるに越したことはない。
しかしこの女、素手で大蛇を倒した経験があるとは、やはりゴリラタイプか。
「あれは姉さんだからこそだろ。あんなのを引き合いに出してほしくないね。むしろ、今日の俺は馴染んでない弓でも結構やったほうだよ」
困ったようにはにかみ、背負っている弓を軽くつつくロイドの顔は、どこか残念そうな色が見える。
本人としては弓の腕に自信があるようで、本来の自分の弓であればもう少し結果を残せたとでも悔やんでいるのかもしれない。
そのロイドの背にある弓を見てみればなるほど、仄かに青白い木でできた弓はまだまだ真新しさがあり、確かに使い込んでいるとは言い難く、借りものだと言われれば納得がいく。
正直、上等な弓とも思えず、間に合わせの感もある。
パッと見ただけではあるが、ロイドの年齢は二十過ぎといったところで、その年齢で姉と同じ黄二級という実績からすれば、不釣り合いな武器だと言えよう。
何かあって本来の武器を喪失したか、あるいは装備の更新中なのか、いずれにせよそれで討伐に臨むとは大した度胸だ。
そうして秘かにロイドの腕に感心をしていると、新しくこちらへ近付いてくる気配を感じた。
ソニアやロイドが現れたのとはまた別の方から姿を見せたのは三人の男達だ。
いずれも成人男性としては若干背は低く、横に広がるようにがっしりとした体型と巌の様な顔を覆う針金のような髭という特徴は、ドワーフであることを如実に語っている。
彼らは俺達と同じく、パダーブリクの討伐に同行した冒険者だ。
いずれも黄四級の腕利きだが、戦闘能力よりも追跡術の腕を買われ、森の中に散らばる痕跡からパダーブリクの番の有無を確認するための役割を与えられていた。
その仕事の結果として、先程鳴り響いた笛の音も彼らの手によるものだった。
そして番の確認の他にもう一つ、彼らには重要な仕事がこの後に控えている。
男達はまず俺達を見て、次に倒れているパダーブリクに気付くと目を輝かせてこちらへ駆け寄って来た。
「お!もう倒していたか!」
「流石はソニアさんだ、傷は首回りだけだな。これならすぐにでも作業に入れる」
「ああ、早速取り掛かろう」
彼らはパダーブリクの死体へ飛びつく様にして状態を確かめると、すぐさま解体作業へと移っていく。
実は今回の討伐で俺とパーラが使用する魔術を制限されていた理由だが、それはこのパダーブリクの死体を最低限の損壊で確保するためだ。
強力な魔物は人間にとって脅威ではあるが、同時に素材としての利用価値も大きい。
このパダーブリクも素材として見るなら、毛皮から爪や牙、内臓に至るまで利用できるものは多岐に渡る。
そのため、なるべく体を傷つけずに頭を落とすやり方が望まれ、ギルドからの要請がソニアへ白羽の矢を立てたわけだ。
まだ二十代半ばを過ぎた若さにして黄二級という評価は、先程の斧の冴えを見れば明らかだ。
俺達という囮があったとはいえ、刃物を通さない毛皮を無視したかのように一撃で仕留めた実力は、戦闘能力だけなら赤級に差し掛かっているとも思えるほど。
正直、俺とパーラなら振動剣や可変籠手を駆使すればギルド側の希望に沿う結果は出せただろうが、ソニアの冒険者としての信頼と実績が今回は重要視された。
過去に討伐されたいずれのパダーブリクも、激戦となった末にまともに素材として使える部位はかなり減るのが常だと聞く。
討伐を優先するなら魔術による大火力で一気にけりをつけるべきだが、希少な素材のために討伐者側の被害を大きくすることも厭わないのは、いつの世も一部の人間の思惑に踊らされる無常さか。
もっとも、首意外はほぼ無傷といえる結果は喜ばしく、わざわざ危険に身を晒したパーラの苦労も甲斐があった。
「わっ、すごいね。もう毛皮がほとんど剥がされてるよ。え…あそこまで引っ張っていいの!?」
追跡術もさることながら、ドワーフ達は魔物の素材剥ぎも手慣れたもので、丁寧ながら素早く解体されていく死体に、パーラは感動したような声を上げる。
俺達も魔物から素材を取るのは慣れているはずなのだが、彼らに比べればまだまだお粗末だと思えてしまう。
肉から皮を切り離す際の刃物の滑らし方に、内臓摘出のための切り込みを入れる手際まで、まるで一流の料理人が食材を捌くような鮮やかさは、いっそショーにしてもいいぐらいだ。
「相変わらず見事なものね。見世物にしたら稼げそう」
おっと、どうやらソニアも俺と同じ考えのようだ。
「見惚れる気持ちはわかるけど、あっちが忙しい間に俺達は帰還の準備だ。姉さん、拠点の方はどうなってる?回収が必要な荷物は?」
討伐に際し、俺達は森の中に物資の保管と休息場所を兼ねた拠点を設けていた。
追跡術に優れた人間がいるとはいえ、相手は森の中を縦横無尽に駆け回る狼で、捜索にはそれなりに時間がかかると予想しての用意だった。
ただ、今回は想定よりもスムーズに討伐が進み、拠点の出番はなかったが。
「大事なものは持ち出してるし、そのまま放棄でいいでしょ。食料と燃料は惜しいけど、回収の手間に見合うほどじゃないわ」
今回の討伐での必要な品は大半をギルド側が用意してくれたため、物資の放棄への抵抗はほとんどない。
余剰分の返還なども約束していないし、自分の懐が痛まないからなおさらだ。
なにより、森の外周に俺が土魔術で作ったメインの物資保管所があるため、多少の物資を取りに戻る手間より、このままパダーブリクの素材を担いだまま森を抜けてしまう方が効率もいい。
解体の痕跡に吸い寄せられる他の動物や魔物を避けるためにも、さっさと森を離れたいところだ。
「了解、なら俺達はここで警戒して待とう。アンディとパーラ、君達は少し休んでいいぞ。ここまで走りっぱなしだったんだろう?」
撤収の目処は立ち、あとは待機するのみとなったところで、ロイドが俺達を気遣ってそう声をかけてきた。
「いえ、俺もパーラもこいつで飛び回ってたんでそれほど疲れてませんよ。周辺警戒には俺達も立ちます。いいよなパーラ」
腰の噴射装置を軽く撫で、パーラにも確認をとるが、その顔には疲労の色はない。
「勿論。私の魔術は探知も得意だから、こういう時には任せてよ」
「それは心強いな。では無理はしない程度に頼む。もし休みたくなったらすぐに言ってくれよ」
「ええ、勿論無理はしませんが、その時は」
ロイドの気遣いに感謝しつつ、解体作業の場を囲むように周辺警戒のポジションに付く。
周囲に生える木が壁となって、自然とパーラはソニアと、俺はロイドとセットでという組み合わせでの配置となった。
―えー、ソニアさんってそうなの?意外ー
―何がよ、もう。私だって女よ?それぐらい普通でしょ、普通!
見張りとてただ突っ立っているだけではないが、女同士で固めるとすぐに会話が弾むとは大した社交性だ。
あれでしっかり警戒はしているはずなので、ガチガチに気を張るよりはマシだと思おう。
妙に盛り上がっているパーラ達の声を背に、触発されたわけではないがなんとなく俺もロイドと会話をしてしまう。
向こうは何やら女らしいキャッキャとしたものに対し、こちらは色気などない硬い話題だ。
「このあたりだと、パダーブリクの目撃はもう何年もなかったぐらい、今回は珍しいそうだ。もともと生息域はもっと南側だし、ギルド側も随分慌ててたね。すぐ近くに開拓村があったのもまずかった」
俺達が今いるこの森の近くには、新しく村が作られている最中だ。
村作りは本格化してまだ日も浅く、まともな防衛設備もない状態で付近にパダーブリクが目撃され、急遽ギルドが討伐に乗り出し、俺達が差し向けられたわけだ。
なお、その開拓村は現在村民候補者や作業員は避難してほぼ無人となっている。
今あそこにいるのは、討伐隊を支援するためにギルドが派遣した黒級と白級の冒険者だけだ。
俺達がここに来るまでに使った馬も、そこに預けてある。
「ギルド側も本当は黃級をもっと揃えたかったらしいけど、急なことじゃあ中々ね。けど、白級とはいえ手練れの魔術師が二人もいたのは運が良かったよ。君達がいなかったら、討伐にはもっと手間も時間もかかったに違いない」
実は今回、俺とパーラはギルド側の要請でこの討伐隊へ急遽組み込まれていた。
パダーブリクの脅威度からすれば白級の討伐隊加入はありえないのだが、俺達は魔術師ということが参加を認められる材料となった。
「確かに、徒歩で森の中をくまなく歩くよりはよかったでしょうね。魔術の出番はほぼなかったんですが」
「しかしあの特殊な魔道具があってのことだろう?やはり君達で良かったよ」
討伐では主に噴射装置が活躍したわけだが、コソコソと森に罠を仕掛けるより、大胆に囮を動かせたことが素早い討伐に繋がったといっても過言ではない。
もっとも、囮という危険を犯したリターンと考えるなら妥当だとも思えるが。
「それにしても、マルスベーラ近郊での魔物の活発化からそう日を置かずにパダ―ブリクの登場とは。ヤゼス教の司教が病気で引退したのもあるし、今年は厄事が随分湧いているように思えてならないな」
「…そうですね」
深いため息とともに溢したロイドの言葉に、俺は気のない返事を返すしかできなかった。
彼が口にした病気で引退した司教とは俺も浅からぬ因縁があり、ふとそのことへ思いが向く。
あの裁判の日から二日、今日から数えると十日ほど前になるが、その日にシェイド司教の処刑は執り行われた。
当然ながら刑の執行に俺は立ち会うことはなかったが、リエットは遠目ながら恩師の最期を見届けたそうだ。
ヤゼス教でも高位の地位にいる人間以外には、シェイド司教は病で司教位から退いたと公表され、大きな混乱こそなかったものの、未だ後継が決まっていないことへ不安を抱く人間はそれなりに多いとか。
シェイド司教が画策した、主都近郊の魔物の討伐をあえて滞らせるという目論見も相まって、ヤゼス教徒には悪いことが重なったようにも見えているのかもしれない。
その口ぶりからロイドはあまり熱心な信徒というようには感じないが、そのロイドをしても厄年と思わせる程度にはここ最近のペルケティアの情勢は慌ただしい。
ある程度の裏を知っている身としては、ヤゼス教の内部は整理されたとも言え、むしろここからペルケティアは安定に向かうと思えるが、それをロイドに話しては対外工作に動いたボルド司教の労が無駄になりかねない。
軽く口止めもされていることだし、せめて曖昧な笑みと返事で誤魔化すのがよさそうだ。
「ソニアさん、作業が終わったぞ。撤収しよう」
周辺警戒をしながら会話に興じていて俺達に、パダ―ブリクの解体が終わった旨が伝えられた。
振り返ると、すっかり骨だけとなった死体と、梱包された素材をまとめた背負子を背負う男達の姿があった。
傷みやすい内蔵などは特殊な容器に入っているようで、剥いだ毛皮に次いでそれらが荷物の多くを占めているらしい。
「あら、結構早かったわね。ご苦労さま、荷物はそれで全部?私らにも持ってほしいものとかは?」
「いや、大丈夫だ。俺達だけで持てるよう収めた。ただ、この状態だと戦闘は無理だから、安全な所までしっかり守ってくれよ?」
「ええ、それも私らの仕事だしね。森を西に抜けるわよ。隊列は私とロイドが前、荷物持ちは真ん中、パーラとアンディはその後ろについてちょうだい」
この森での作業が全て終わり、あとは危険な森からの離脱を残すのみだ。
森を抜けるのなら西が近く、外周に隠した物資を拾って開拓村に向かうのにも都合がいい。
それをちゃんと織り込んだソニアの指示は的確なものだ。
解体の名残で残るパダ―ブリクの血の匂いを振り切るように、俺達は素材持ちの連中を守るように陣形を組み、その場をあとにする。
「全員準備はいい?忘れ物はないわね?……それじゃあ移動開始。帰るだけだからって気を抜かないように。ギルドにつくまでが討伐よ?」
遠足かよ。




