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世の中は意外と魔術で何とかなる  作者: ものまねの実


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異議なし!この証拠に矛盾していない!

 ペルケティア教国の歴史に残る汚点となりかねなかった聖女誘拐未遂事件。


 深夜、聖女リエットの眠る部屋へと忍び込んだ誘拐犯だったが、かけつけた館の警備兵によって犯人達の身柄は押さえられ、誘拐事件は未然に防がれた、というのが正式な記録として残されたそうだ。

 これは事件の重大さを鑑みたヤゼス教上層部が、国内への影響を考慮して公表する情報に手を加えたものとなっている。


 実際は聖女も一度館の外へ連れ出されているし、犯人も実行犯こそ数は合っているが、その背後にいた大物のことには触れられておらず、当事者の視点からは矛盾と不整合が散見される記録と言える。

 しかし、これも仕方のないことだろう。


 ヤゼス教の司教が聖女の命を狙ったという事実は、組織としての存続すら危ぶまれるほどのスキャンダルだ。

 組織運営に致命的な傷となりかねないそれは、常ならば外へ漏れないように解決したことだろう。

 ところが事件の翌日には兵士達があからさまに平時を超える動きをしていたため、一般市民にもなにかあったと怪しまれていた。


 ならば事件を完全に隠蔽することは不可能として、誘拐事件は未遂で終わったと改竄することを、ヤゼス教のお偉いさん達は考えたわけだ。


 シェイド司教の関与は伏せられ、遡って誘拐も未遂で済み、聖女は怪我一つなく犯人も全て捕縛されたとすれば、ヤゼス教の権威は保てる。

 世間には上手く装飾されたストーリーを流し、罪人は内々で裁くことで事件の本質的な決着としようとしていた。





 以上が俺の知る聖女誘拐事件の顛末だ。

 これは事件の数日後、俺達を尋ねてきたスーリアから聞かされた情報とシペアからもたらされた情報を統合したものになる。


 何分シペアとスーリアでは触れられる情報の方向性が違うため、細部に未だ不明な点が多いのは目を瞑った。

 とはいえ、事件に対する教会のスタンスは予想の範疇に収まるものだったので、特に意外性のある結末というわけではない。


 ある意味、宗教組織らしい幕の引き方とも言える。


 ただ一つ気になったのは、スーリアが俺達へ明かした情報の深度についてだ。

 一般市民どころか、ヤゼス教でも末端程度の人間では明かされないレベルの情報を、あっさりとこちらに寄越したのは素直に驚いた。


 教会から見ると一般人である俺に、こうも裏の事情を明かすのはどういう了見かとも思ったが、そこにはリエットの意思が介在していたらしい。

 誘拐事件の発生直後には問題行動もあったが、聖女の護衛という任を最後まで勤め上げた俺の功績は確かなもので、本来なら正式に褒章の一つも与えたいところを、教会が事件の大部分を改竄して公表しまったためにそれも難しくなった。


 俺としてはパーラの怪我を治してもらったことで十分だとは思っているが、律義にもリエットはそれだけでは済まさず、自分の権限の及ぶ範囲での部外秘並みの情報を提供してくれた。

 やはり手柄を立てた人間に報いてやれないことへの後ろめたさは小さくないようで、出来るだけの配慮をしようという思いはそこはかとなく感じられる。


 なお、そのリエットは保護されてから二日後には館に戻って来れたが、以降は半ば監禁状態に近い警備体制の中に身を置いていた。

 本当なら直接俺を呼びつけて礼を言いたかったそうだが、そんな状況で外から人を招くのは難しく、スーリア経由で言伝を寄越すぐらいしか出来ないとのこと。


 恩賞目当てであればもう少しごねてもいいところだが、こちらとしてはここまで教えてもらえただけで十分だ。

 未だ主都に漂う緊張感を思えば、間接的とはいえ聖女とこれ以上接触を持って教会側から関心を集めるのはあまりよろしくない。


 パーラの治療と情報の提供で礼は果たされたとリエットに伝えてもらい、俺達は教会との関りを終わらせることにした。

 後は次の旅へ向けてのんびり準備に勤しむ日々を送ろうと、そう思っていた矢先のこと。


 誘拐事件から四日経った日の朝、俺達が泊まっていた部屋へ教会の人間が尋ねてきた。

 またスーリアかと思って雑に応対しようとしたところ、現れたのは全く見覚えのない修道士だった。

 思わず首を傾げて誰何をしたところ、その男はボルド司教の遣いだと名乗ったのだから、さらに俺の首の角度が深くなる。


「早朝の急な訪問、無礼とは承知している。アンディ殿へ、ボルド司教猊下からの書簡をお持ちした」


「はあ、ボルド司教が?なんでまた…」


 ボルド司教とは牢で話をしたきりで、よもやまた接点が生まれるなどとは思ってもみなかった。

 リエットやスーリアからならともかく、たった一度会っただけの縁しかない人物の遣いに訝しまない人間などいないだろう。


「私は書簡を預かっただけの身。それ以上のことは分かりかねる。ただ、ボルド司教は詫び料の足しだと仰られていた」


 目の前の人物はメッセンジャーに過ぎず、書簡の送り主の心情を語るのが仕事ではない。

 役目以外のことを口にするつもりはないと態度で示してはいるが、それでも少しは答えをくれたのは俺へ何か思うところでもあるからか。


 ともかく、まずはその書簡とやらを見ようと差し出した俺の手に、質のいい紙の手触りをした封筒が乗せられる。

 司教が使う正式な文書がそうなのか、一辺がおよそ二十センチ弱の正方形という封筒としてはやや変わった形のそれを受け取り、中を検めながら男へ問いかける。


「詫び料というのに心当たりはないんですが、まぁとりあえず拝見します。返事はすぐに?」


「この場でなくても結構。だが、一両日中には返事が欲しいとのこと。内容をよく吟味し、しかるべき場所へボルド司教の名を添えて申し出よ」


「しかるべき場所というと、教会とか?」


「それで構わない。個人を頼るのなら、助祭以上の身分の者になら言葉を託すのも許されるだろう」


 シペアはまだ見習いであり、この場合には当てはまらない。

 スーリアの方は、正式な身分はともかく、今はリエットの側から離れられないため、俺個人の伝手はほぼ使えない。


 聖鈴騎士になら頼るべき人物はいるが、生憎地方へ派遣されたままだ。

 スーリア曰く、聖女誘拐事件の報が届けば、序列上位の聖鈴騎士ならすぐに引き返してくるそうだが、既に解決済みの事件を伝達するのに急ぐ役人はいないので、戻ってくるのはまだ先のことになる。


 まぁ普通に考えて、どこかの教会施設に伝言を頼むべきか。


「…ん?これは?」


 封筒の中を見ていると、ボルド司教直筆であろうびっしりと文字の書かれた紙が数枚の他に、何かの公文書と思しき装丁のついた厚紙が入っているのに気付く。

 取り出してみれば、ヤゼス教のシンボルである円環と十字が組み合わさった独特な十字架が文書の頭に刻まれた、主張が大袈裟な一枚だとわかる。


「それはペルケティア教国による正式な赦免状だ。写しではあるがな。罪状に関して私は存ぜぬが、司教の権限において二等級までの罪を免じた、というものの証明となる」


 ざっと見たところ、ボルド司教の名前が最初に書かれており、その後に何やら難しい言い回しで俺が投獄された罪状を無効にするといった感じのことが書かれている。

 二等級までの罪を赦免というのが今一つはっきりとは分からないが、ペルケティアの基準では司教宅での逮捕からスピード釈放までがそれに含まれるというわけだ。


 思うに、これは誘拐事件の絡みで俺が投獄された際、ボルド司教が後で釈放したことの正当性を文書で残したもののようだ。


 今このタイミングで俺にコピーとはいえ渡されたのは、後追いで釈放に難癖をつけられないよう配慮してくれたのだろう。

 一度牢に入った人間を釈放したのがグレーな噂の多い司教ともなれば、権力争いのネタにされかねない。


 俺のためというより、ボルド司教の保身のためだと考えてみれば、こういう根回しができてこそ、怪しまれながらものうのうと司教の地位に就けていると納得できる。

 この赦免状は正式なものだということなので、一応大事に保管するとしよう。


 そんなことを思っているうちに、書簡を届けたことで役目は終わったと言わんばかりに、修道士は長居することなく立ち去ってしまった。

 向こうも仕事で来ていたので、引き留める理由もなくその背中を見送ると、男が去った先から入れ違うようにしてパーラがやってきた。


「どうしたの、そんなとこで。…ひょっとして、今の人ってアンディの?」


 部屋の前で突っ立っていた俺を見て、先程すれ違った修道士が誰に会いに来たのかなど簡単に想像がつく。


「ああ、わざわざ手紙を届けに来てくれたんだ。そっちはどうだ?なんかいい依頼はあったか?」


 手にしていた書類を目の高さまで持ち上げて振りながら、パーラの方の収穫を尋ねる。

 今パーラが戻って来たのは、ギルドに依頼を見に行っていた帰りだからだ。

 パーラの怪我が治ったこともあって、まずは簡単な依頼で調子を取り戻そうと朝一番にパーラには出張ってもらった。


 なお、俺が一緒に行かなかったのは、単純に寝坊したせいだ。


「今の時期だと、食料の調達か護衛依頼ばっかりだね。近隣じゃ魔物退治はほとんどなかったよ」


「そうか。まぁあんまり面倒なのだとお前の調整にはならんからな。適当な食料調達の依頼でいいさ」


「えー?私、もう完璧で究極の元気体だよ?魔物退治がしたいんだけど」


 また変な言葉を…なんだよ、完璧で究極の元気体って。

 どこで影響受けてきた?


「そうは言うが、その手の依頼はなかったんだろ?諦めろ。地味だが大事な仕事だぞ、食料調達ってのもよ」


 夏が過ぎ、秋という収穫の季節を迎えると、冬に向けた食料の備蓄が始まる時期でもある。

 この世界の食糧生産と管理は未だ未熟であり、無事に秋を越したとしても食料の余剰には気を配らなくてはならない。

 冒険者に限らず、傭兵ですら採取や狩猟へ駆り出されるほど、冬への備えはこの時期の一大イベントと言っても過言ではない。


「分かってるって。…それより、アンディのその手紙ってなんなの?厄介ごと?」


 諭すような俺の言葉に少し唇を尖らせるパーラだが、すぐに興味は俺の手にある書類へと移った。


「さて、どうかな。ボルド司教から俺に指名で送られてきた書簡なんだが、どう思う?」


「怪しすぎ。だってボルド司教でしょ?あの人、あんまりいい噂聞かないんだから。変な頼み事でも押し付けられるんじゃないの?」


 日頃の教育の賜か、権力者からの手紙をノータイムで警戒するのはいい傾向だ。

 同封されていた赦免状はこちらに利があるものだが、直筆の手紙の方はどうなのかまだわからない。

 内容を観測していない現状、厄介ごととそうでないものの事象が重なり合っている状態なので、果たしてどちらの可能性が高いのか。


「今更俺にどんな厄介ごとを頼むかってのは疑問だがな。まぁそうなったら、さっさとケツ捲って逃げりゃいい。まずは手紙を読んでみないと」


「今度はアンディに聖女の誘拐をそそのかしてきたりして」


「滅多なこと言うな」


 底意地の悪そうな笑みを浮かべて怖いことを言うパーラに軽く釘を刺し、部屋へ戻ってからボルド司教の手紙へ目を通す。

 流石は高い地位にいる人間だけあってこの手の書類作成には慣れているのか、言い回しも文章量のバランスも実に読みやすく、枚数の割りにはすぐに読み終えることができた。


 軽く息を吐いて手紙をテーブルの上へ置いたところで、好奇心に目を輝かせたパーラが口を開く。


「ね、どんな内容だったの?やっぱり悪だくみの誘い?」


「何で楽しそうなんだよ。違うわ」


 怪我が治ってからというもの、今まで(比較的)大人しくしていた反動からパーラは全力を振るう機会に飢えている。

 ギルドの依頼でも魔物討伐がないことに不満を覚えるほどだ。


 このボルド司教からの手紙も、トラブルの種と期待しているのはそのせいだが、生憎そういった類の内容ではないのは幸いだ。


「かいつまむと、リエット様の護衛役の労いと感謝が書かれてる。それと、誘拐事件の真相の口止めだな。ご丁寧にも、前にスーリアから聞いた教会側の裏事情もちゃんと説明してくれてる」


 俺達がリエットから既に裏事情を教えられている、ということをボルド司教は知らないため、当事者とも言える俺には業腹なものだと同情する言葉が手紙には添えられている。

 随分こちらに気を使っているように思えるのは気のせいではあるまい。

 あの牢屋での邂逅で一体どんな心境が出来たのか、噂に聞く悪い司教の印象なぞ手紙からは感じられない。


「それだけ?そんなの手紙で言うこと?」


 期待した内容とはまるで違うことに、パーラは首を傾げつまらなそうな顔をする。

 確かにパーラの言う通り、こんなことでわざわざ司教が一平民へ手紙を出すのは奇妙に思うだろう。


「それともう一つ…むしろこっちが本題なんじゃあねぇかな?近いうちにシェイド司教の神前裁判があるそうだ」


「あぁ、前来た時にスーリアも言ってたね。十日もしない内に裁判はあるかもって。それの何が本題なの?」


「その裁判を見に来ないかって誘ってきてる」


「…嘘でしょ?」


「正真正銘、ホントの話。誤認逮捕の侘びとリエット様の件での褒美も兼ねてるそうだ」


 ここにきて初めて、パーラが手紙へ疑いの目を向ける。

 謝罪やら感謝の類はともかく、神前裁判見物への誘いとなると、途端に胡散臭くなるのも仕方がない。

 だが手紙の最後には、シェイド司教の裁判を見物する気はあるならその旨返事をよこせと、しっかり書かれている。


 神前裁判とは、普通の人間では傍聴どころか判決内容を耳にする機会すらないほど、ヤゼス教で最も権威が高い裁判だと聞く。

 俺の感覚だと最高裁判のようなものと思っているが、あらゆる結果が秘匿されるという点では透明性は皆無に等しい。


 それ故、外部の人間、それも貴族ですらない平民が傍聴に臨むことなどまずあり得ない。

 だが、そのあり得ないことを勧めてきているのが、ヤゼス教という組織の中でも大派閥の長であるボルド司教だ。

 きっと彼がそう望めば、俺一人を神前裁判の場にねじ込むぐらいは出来てしまう。


 先程遣いの修道士が返事を一両日中に欲しいと言っていたのは、このせいか。

 ボルド司教といえど、急に開かれる神前裁判の傍聴人の枠を確保するのは相応の根回しが必要なのだろう。


「なーんで神前裁判なんかに誘われるかねぇ……アンディ、行くの?」


「まぁ、せっかくの誘いだしな。逮捕のとどめを作った身としては、裁判の結果ぐらいは見届けてやるよ」


「フーン…それさ、私も一緒に行っていい?」


「多分ダメだ。手紙には俺を名指しで誘ってるんだし」


 一般に公表されない裁判だけに、興味を持つのは分からなくはないが、手紙でボルド司教が誘っている対象はアンディという個人に対してだ。

 パーラのことは一言も書かれていないし、俺以外の同席を認めるような言い回しも当然ない。


「でも頼めば私一人ぐらいは―」


「向こうがどんな思惑でこの手紙を出したのかが今一つ読めん。そんな状態で貸しを作る様なことはなるべくしたくない。諦めろ」


 ボルド司教からの手紙は内容自体はいたって普通なのだが、それだけに神前裁判に俺を誘う理由が読み取れないのが不気味だ。

 誤認逮捕の侘びだとは言うが、果たしてそれ以外の目的がないと疑わずにいられるものか。

 後から高く取り立てられそうな貸しを作るのは避けたい。


 しかし当日の裁判には俺一人で行くとして、その間、パーラには適当な依頼でもやらせた方がいいかもしれない。

 たとえつまらない依頼であろうとも、下手に放置しておくよりはリハビリで体を動かさせてやりたい。

 間違っても神前裁判の場に忍び込むなど、絶対にさせないようにするべきだ。


 好奇心が暴走すれば、それぐらいはやりかねないのがパーラという女だ。

 特段友好的にしたいとは思わないが、だからといって教会に睨まれるにはまだ早い。

 シペアやスーリアとの関係もあることだし、せめてペルケティアにいる間は教会側からの心象は損なわないようしたいところだ。





 格調ある催しごとには相応しい場というものがある。

 神前裁判はその名の通り、神の前で罪人を裁くという名目のため、開廷される場所も神聖なものでなくてはならない。


 ヤゼス教の本部と言える施設の中でも、踏み入ることができる人間が限られた特別な区画の一つ、大裁定の間と呼ばれる場所で今日、神前裁判が開かれる。


 絢爛豪華という言葉がこれほど似合うのかと唸るほど、大裁定の間は立派なものだ。

 贅沢にも部屋の一面はガラスがふんだんに使われた窓で構成されており、差し込む光はともすれば神が齎す祝福を表しているように思えてしまう。


 華美な装飾があちこちに施された室内は、広さ自体はディケット学園の講堂とほとんど同じ広さなのだが、裁かれる者が立つ壇とそれを囲むように半円を成して高い位置に配置された重厚な机のせいで、かなりの圧迫感がある。

 今日が特別そうなのかは分からないが、弁護人や検察官といった立場の人間が着く席はなく、傍聴人席すらない光景は、俺が想像する一般的な裁判からはかなりの違いがある。


 一番高い場所では裁判長を務める人間が座り、一段下がった場所では補佐となる陪審員、あるいは裁判官とも呼ぶべき四名が席についていた。

 神前裁判に限り、これら裁判長並びに裁判官は司教が持ち回りで務める決まりだそうで、その中の一人に、今回はボルド司教が収まっている。


 なお、聖女殺しを企てた大罪人の裁判にしては臨席する司教の数が少ないように思えるが、これにはやむを得ない事情があった。

 当たり前だが司教というのは暇ではなく、事件から日が経ってしまえばそれぞれが仕事やらの事情でこの地を離れなくてはならない者も出てくる。


 本来なら司教や枢機卿ら全てのお偉いさんが傍聴人として居合わせてもおかしくはないのだが、裁判官の席に五人だけとなっているのも、そういった事情では仕方がないことだ。


 裁判官である司教達の背後には祐筆と思しき人間がおり、ほとんどが二人から三人が控えているのに対し、意外にもボルド司教は一人しか連れてきていない。

 その伴っている一人というのが、何を隠そうこの俺だ。


 相応しい服装ということで、ボルド司教が用意してくれた法衣を纏っている俺は、はたから見れば司教付きの修道士としてなんらおかしくはないだろう。

 まさか裁判官の背後から裁判の行く末を見守ることになろうとは、完全に予想外だった。

 てっきり傍聴人席で見学する位を想像していたのだが、蓋を開けてみればまるでボルド司教の側近かのような扱いだ。


 最大派閥の司教がたった一人だけしか伴わずに裁判に臨むのは妙な気もするが、ボルド司教曰く、随行が多かろうと少なかろうと裁判の結果には関わりがない故どうでもいいとのこと。

 一応、部屋の外には裁判官のためのサポート要員が待機しているので、裁判の進行で困ることはないはずだ。


 トップがこの調子では、部下はさぞかし気を揉んでいるとは思うが、むしろ今のボルド司教からはどこか気楽そうな雰囲気が感じられ、部下に囲まれる日常から離れたことによる一種の解放感でも覚えているのかもしれない。

 偉い人間ともなれば、一人になれる機会というのは多くないとも聞くしな。


 そんなことを考えていると、室内で一番高い場所にいる裁判長が裁判の開始を高らかに告げられた。

 開廷と同時に、別室から連れてこられたシェイド司教が被告人席へと立つ。

 普通の裁判と違い、神前裁判には弁護人も検察官も立ち会わず、傍聴人席などといったものも当然ない。


 罪状の確認と被告人自ら異議の申し立てこそ認められているが、この裁判はシェイド司教の有罪と処刑という結果へ向けてひた走るだけだ。

 それを知っての諦めからか、シェイド司教の顔には何の感情も浮かんでおらず、最後に彼女の執務室で見た時の狂ったような様とはまるで違っている。


 罪人とはいえ司教という地位は決して安くないことの証左に、入室からここまで特に拘束らしい拘束もされておらず、連行してきた修道騎士の振舞いもどちらかというと付き従うような印象だ。


 身にまとう衣服も、以前見た時ほどではないが十分に上物と言えるもので、逮捕されてからも罪人にしてはかなり待遇はよかったと思われる。

 あの様子だと、俺と違って牢屋になぞぶち込まれず、お綺麗な部屋で監禁生活を優雅に送っていたに違いない。


 権力者は逮捕されても暮らしぶりが悪くならないのは、いつの世も変わらぬ摂理とも言える。

 とはいえ、司教にまで上り詰めた人間には、不自由を強いられる暮らしが果たして満足できるかは疑問ではあるが。


 身綺麗で疲れた様子もないシェイド司教を観察していると、裁判長が罪状の読み上げを始めた。

 長々と勿体ぶった言い回しではあったが、要約すると次のような内容になる。


『教会を束ねる立場である司教という地位に居ながら、象徴たる聖女の誘拐を図り、私怨紛いに殺害までを企てたことによるヤゼス教そのものへの背信』と。


 これに関してはここにいる全員が事実として疑う余地はないようで、被告人であるシェイド司教からも特に異議が出ることはなかった。

 だが次いで読み上げられた罪状に、俺は思わず首を傾げてしまう。


「また、主都近郊における魔物の討伐を意図的に抑え、混乱の誘発を招いた疑いもある」


 これに関しては初耳だ。

 てっきり聖女誘拐に全てをかけて臨んだとばかり思いこんでいたが、よもや他にも手を回していたとは。


 恐らく、リエットを誘拐した後、主都の守備兵を外に出して捜索の手を減らそうとでも目論んだか。

 実際はリエットの誘拐には俺が割り込み、その捜索の手が減ったのも俺達に利する結果となったわけだ。


 誘拐騒動と前後して主都近郊で魔物が活発化していたとすれば、その対処には冒険者ギルドも動いたはず。

 ここ最近のギルドの依頼に魔物の討伐が少なかったのも、冒険者達が緊急で魔物を狩りまくった影響だとすれば納得だ。


 目的のためとはいえ、よもや司教が街の安全を脅かすなど呆れて物も言えん。

 サニエリ司教の時も思ったが、こいつらは宗教の盾を構え過ぎて倫理の箍が簡単に外れやすくなっているのではなかろうか。


「以上の罪において、意義相違を申し立てるか?」


 罪状に意義があるかを尋ねられたシェイド司教は、微塵も表情を変えることなく首を横に振った。

 減刑を狙うならここでごねるのも手だが、しでかしたことに見合うだけの覚悟は決まっているようで、ただ無言で前を向くのみだ。


 あれだけのことをしておいて、すました顔で被告人席に立てる面の皮の厚さにも呆れるが、しかし同じ司教という立場にある裁判官達は厳しい表情の中にも複雑そうな色が見られる。


「…卿の長きにわたるヤゼスへの献身は誰もが認めるところである。故にこうした帰結は我らにも不徳あってのことと慚愧に堪えない。これは最後の慈悲である。トリシャ・マハル・シェイドを有罪とし、腐溶の刑に処す」


 悔いるような裁判長の言葉に、裁判官達は判決へ同意するべく片手を胸に当てて応えた。

 正に今が、シェイド司教の処刑が決まった瞬間だ。


「腐溶…?」


 ただ一点だけ、裁判長の口にした腐溶の刑という言葉に耳馴染みが無く、思わず疑問符付きで呟いてしまった。

 そして、それを俺の目の前にあったボルド司教の後頭部は聞き逃さなかったらしい。


「腐溶の刑とは、生きながらにして肉体を腐り溶かすこと。ヤゼス教でもめったにない処刑方だ」


 僅かに顔を後ろへ向けたボルド司教の口からは、かなりグロい説明が飛び出した。

 それはつまり、強酸に漬けて殺すということだろうか?

 死体を溶かすならまだしも、生きた状態でそんなことをするなど、残酷極まりない。


「それは…かなり惨い死に方では?」


「言葉だけならそう思えるかもしれんが、実際は痛みや苦しみを覚える前に死ぬそうだ。特別な魔道具と薬剤で、あっという間に肉体は溶け切るらしい」


 人体が溶けるという表現には悍ましい手段しか思い浮かばなかった身としては、ボルド司教の言葉には素直に納得はしかねる。

 とはいえ、この世界には未知の魔道具や毒がまだまだ多くあるため、それらを使えば可能なのかもしれないが。


「それが、慈悲だと?」


「左様。苦しまずに死ねる処刑などそう多くはなかろう。確かに重罪人ではあるが、これまでの功績も並々ならぬものがある。肉体は主の下へ還らぬが、魂は雪がれよう」


 少し理解に苦しむ言い回しではあるが、罪は罪として魂の浄化を期待のために腐溶の刑へ処すことが、シェイド司教の生前の功績に報いる教会側の配慮なのだろう。

 ボルド司教も口調こそ平坦ながら、そこには同情が籠っているようにも思える。


 判決として出された刑の宣告に、シェイド司教は天を仰ぐようにして息を吸い、静かに口を開いた。


「…聖女を害そうとした私の罪、その裁きは正当なものとして受け入れよう。しかし、あのような者を聖女に据えていた卿らの驕りと怠慢もまた罪であろう。死出に立つ私にはもはやいかんともしがたいが、教徒を真に導かんとするならば、選定を過たぬように心がけなさい」


 ここにはリエットの秘密を知らない人間もいるのだが、おかまいなしで聖女の資質を口にしたシェイド司教に裁判官達は渋面で睨みつけている。

 一方でシェイド司教の言い分にも思う所はあるのか、非難をするようなことはせず、控えていた修道騎士を呼んで被告人を外へ連れ出させた。


 もし本当に彼女が完全なる悪であるのならば、あの場で他の司教達が諭すなり叱責するなりしたはずだが、それをしなかった以上、今回の件ではシェイド司教へ対する負い目を自覚していることだろう。

 なにせリエットの体のことを知ってしまえば、シェイド司教の言い分は間違っていないのだから。


 だがそれを今更公にしてしまうには、ヤゼス教が積み上げてきた実績と信頼は、虚飾こそあれど決して小さくはない。

 保身は多分にあれど、多くの信徒を守るためにも、リエットにはこのまま聖女で居続けてもらいたい、というのがヤゼス教のお偉いさん達の願いというわけだ。


 シェイド司教が退廷し、残された裁判官達は刑の執行に必要な手続きをいくつか話し合い、全ての同意が揃ったところで裁判は終了となった。


 大裁定の間を後にする裁判官に混ざり、俺もボルド司教の後についていきながら、ようやく誘拐事件が全て片付いたという実感に、つい小さくため息を漏らす。

 終わってみれば、随分と長い事件だったと思う。

 あれから一ヵ月も経っていないはずなのだが、体感ではその三倍の日数は過ごした気分だ。


 全てを見届けたという爽快感はあれど、何よりもやはり疲れたというのが本音だ。

 肉体的にはともかく、精神的に負担がかかる日々を過ごしたせいで、心がささくれ立つのを覚えてしまう。

 ここらで一旦、温泉にでも浸かって、英気を養いたい。


「アンディよ。其方、この後はいかがする?」


 無心で歩きながら温泉旅行を考えていた俺に、ボルド司教が唐突に尋ねてきた。

 その声は何気なさを装っているが、返答は一つしか許さないという凄味もある……気がする。


 この爺、まさかまだ俺に何かさせようというのだろうか。

 普段ならNoとはっきり言う所だが、生憎今日の俺はボルド司教付きの修道士を装っているため、返答は丁寧にしなければならない。


「何もないのなら、少しわしに付き合え」


 権力者というのはいつもこうだ。

 こちらへ投げかけた言葉に答える暇も与えず、初めから決まっていたように物事を勧めやがる。


 とはいえ、ある種慣れたやり取りでもあるので、下手に逆らって機嫌を損ねるよりはさっさと済ませてこれっきりにしてしまった方がよさそうだ。

 果たしてどこに連れていく気なのか、華美な廊下に寒々しさを覚えながら、俺は黙って付き従うという選択肢を選ばざるを得なかった。

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