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世の中は意外と魔術で何とかなる  作者: ものまねの実


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牢屋暮らしも乙だねぇ

 SIDE:パーラ




 アンディ達と別れた後、聖女の館へ向かった私は、剣呑としていた門番に見咎められ、あわや一悶着といった寸前でスーリアに助けられた。

 一見すると平穏でありながら、誘拐騒動の名残からか空気が鋭い中、スーリアに与えられた私室へと向かい、そこで色々と話をすることが出来た。


 最初は突然訪れたことに驚き、次にすっかり怪我が治って元通りとなった私の腕を見て泣いて喜び、そして聖女の誘拐騒ぎに私とアンディが一噛みしていることを知ると動揺と怒りからかなんとも言えない顔色に変わる。


(あぁ、これはまずいやつだ)という勘は的中し、私はスーリアが零す愚痴に付き合う羽目になってしまった。






「まったくもう!あの後大変だったんだから!リエット様がいなくなってから、屋敷は大騒ぎだし、賊の一人はいつの間にか逃げちゃうし!誘拐なんて大っぴらに言えたもんじゃないのは分かるけど、私にぐらいはなんかあるかもって教えてくれてもよくない!?」


「まぁまぁ。アンディも考えがあってのことだからさ。スーリアには知らせない方が、万が一の時に巻き込まないで済むかもしれないし」


 プリプリと怒るスーリアを宥めながら、コッソリと溜息を吐く。

 敢えて今はアンディを庇ってはいるが、私からしてもスーリアの気持ちはよくわかる。

 聖女の誘拐現場に居合わせ、むざむざと目の前で攫われるのを許してしまった無念さがまだ残る内に、まさかその誘拐犯の内の一人が知り合いだと知ればこうもなろう。


 アンディが聖女の身の安全のために止むを得ず身柄を攫ったというのは説明したが、それですぐに納得できるかは別問題。

 しばらくはスーリアの機嫌が直るのに付き合う時間が続きそうだと思っていたところに、部屋の扉を叩く音が響く。


 ―スーリア、いますか?


 外から室内にそう呼びかける声は聞き覚えのない女性のものだ。

 場所を考えれば聖女の館で働く誰かだとは思うが、ここの人間と面識がほぼ無い私には、若干の警戒心を抱かずにはいられない。


「あ、はい。今開けます」


 部屋の主であるスーリアが扉を開けるために立ち会がったのに合わせ、秘かに私は可変籠手を装着する。

 この館には聖女誘拐の手引きをした内通者がまだ潜んでいるかもしれないのだ。

 警戒なんてのは、いくらしたっていい。


 部屋の扉が開かれると、そこにいたのはやや歳のいった女性だった。

 そこそこ立派な法衣を纏っているところからして、館の中でもそれなりに偉い立場の人間だと分かる。


「あぁ、ケリーさんですか。どうされました?」


「ええ、頼まれていた件についてわかったことがありましたので」


 出迎えたスーリアに微笑みを向ける温和そうな女性は、聖女の側仕えである双子の片割れだろう。

 聖女から名前は聞いていたのですぐに分かった。


「もうですか?随分早いような…」


 ケリーの報告にスーリアは驚くが、同時に安堵の表情も浮かべている。

 この館に来た際、スーリアには聖女の側にアンディが付いていることと所在を伝えており、それを確認するために人を動かした結果が、こうしてケリー直々に足を運んでの報告となったようだ。


「おかしくはないでしょう?リエット様のことは、皆が探し回っていたのですから」


 そこそこ偉い立場であろうケリーがわざわざやって来たあたり、私からスーリアに渡した情報の重さが分かる。


「まぁそうですけど。それで、リエット様はやはりシェイド司教の所に?」


「それは間違いないようです。ただ、どうも事情が変わったらしく」


「…事情と言うと?」


 なにやら言いよどむケリーが、私の方を見て躊躇うような仕草を見せる。

 その様子は、部外者である私にはあまり知られたくない話を胸に含んでいると感じた。

 スーリアもケリーの視線から意図を察したようで、どこか申し訳なさそうな目を向けてきた。


「スーリア、私外行ってようか?」


 私がいては話し辛いのなら、席を外すのが手っ取り早い。

 これも思いやりだ。


「そうしてくれる?ごめんね」


「いいって。じゃあ廊下の隅っこにでもいるから、終わったら声かけて」


 スーリア達の横を通り、廊下へ出た私は部屋から少し離れた場所の壁に背を預けて佇む。

 ほどよくスーリアの自室から距離もあるため、室内の会話が聞こえることもないと言いたいところだが、私に限ればこの程度では障害ともならない。


 実は先程、部屋を出る前に外に通じる窓を少しだけ開けておいた。

 今いる廊下の窓を開ければ、間接的にではあるがスーリア達のいる場所とは一繋ぎになる。

 早速風魔術を使い、私の耳元へ室内の音を繋ぐ。


 盗み聞きなどと行儀が悪いのは承知の上。

 バレなければ誰も困らないし、私も別にこれで得た情報を言いふらすつもりはない。

 ちょっと知りたいだけ。


 するとすぐに途切れ途切れながらスーリアとケリーの声が聞こえてきた。

 聞き取り辛さを魔術の出力で調節しつつ、鮮明になった二人の会話に耳を傾ける。


『シェイド司教が今回の主犯って…まさかそんな。本当ですか?』


 集中してすぐ、スーリアが放った険しい声を拾えた。

 前後の会話は分からないが、その一言だけで私も静かに驚いてしまう。


 まさか聖女が頼ったはずの司教が、実は誘拐事件の黒幕だったとは誰が想像しようか。

 聖女からの受け売りとはいえ、てっきりボルド司教が黒幕だったばかり思いこんでいただけに衝撃は大きい。


『確かです。先程、衛士隊の方がいらっしゃってそう報告をしていきましたから。彼らも、シェイド司教のことは予想外だったのでしょう。随分動揺しているようでした』


『そりゃあ動揺もするでしょうね。衛士隊なんて、よくシェイド司教が慰問してたんですから』


 主都に詰めている兵士の中で、一部を精鋭として選抜した者達を衛士と呼び、それらをとりまとめているのが衛士隊だと聞く。

 隊員の数はそう多くないが、兵としての質は聖鈴騎士に次ぐと言われており、ペルケティア教国全体で見てもこの衛士達は特に練度も高い。


 必然、多くの重要な仕事を任されるこの衛士達は、時に司教の慰問を受けるほど期待もされているというわけだ。

 そんな衛士隊が、シェイド司教の犯罪を知ったとなれば、さぞ動揺していることだろう。


『シェイド司教の身柄はもう?』


『既に捕縛しているそうです。ただ、ことがことだけに調べは慎重に行う必要があります。まず間違いなく、神前での裁判もあるでしょう』


 普通の人間なら問答無用で首を刎ねられるような罪であっても、身分に守られた人間なら形式だけの罰で済まされることも珍しくはない。

 司教ともなれば、例え犯罪で捕まっても命までは取られないとは思われるが、今回に限れば聖女を狙ったという背信が重く効いてくる。


 聖女誘拐及び殺害の企てともなれば、たとえ司教であってもヤゼス教と言う組織に守られることはまずない。

 裁判の結果によっては蟄居謹慎は妥当なところだが、悪ければ地位の剥奪、最悪の場合は不名誉な処刑の目も十分見えてくる。


 以前、サニエリ司教がアンディをハメた罪で司教位から追放された前例がある。

 あの時も裁判は開かれたと聞くが、他国からの突き上げもあった上で、ヤゼス教の醜聞を嫌った上層部が動いてあの結果だ。


 そもそも、裁判というのは高い身分にある人間にだけ与えられる特権だ。

 法の下に罪状の照会や事実確認がされ、情理に量刑の加減が決められるのは贅沢ですらある。

 平民が罪を犯して捕まったとしても、軽い取り調べで罰が与えられて終わるが、特権が認められる身分があれば取り調べの後に裁判が手順として加わる。


 シェイド司教とやらも高貴な身分である以上、裁判の結果は軽い刑が科されて終わるのが本来の流れだっただろう。

 ところが、現役の司教が聖女の命を狙ったとなれば、ヤゼス教という組織が分裂しかねないほどの大事件だ。

 身内であろうと―いや、身内だからこそ甘い処罰で済ませるわけがない。


 果たしてシェイド司教にどんな未来が待っているのか見ものではある。


『…先年のサニエリ司教に続き、シェイド司教も失脚ですか。次の司教が選ばれるまで、教会は荒れますね』


 スーリアとしては、偉い人間の行く末よりは組織全体の混乱が気になるらしい。

 聖女を狙ったという所に驚きこそすれ、その結果としてシェイド司教がどうなろうとあまり思う所はなさそうなのが、身分の壁が遮った縁の薄さを感じさせる。


『仕方ありません。未だサニエリ司教の後釜が定まっていない上に、今度はシェイド司教です。どう繕ったところで綻びは隠せないでしょう。枢機卿団が上手く差配するのを期待したいところですが』


 司教が立て続けにいなくなれば、ヤゼス教全体の混乱はかなりのものになるだろう。

 末端の人間は司教不在への不安を抱き、ある程度地位が高い者達は次の司教へ自分の息のかかった人間を送り込むべく暗躍を謀る。


 ヤゼス教ほどの規模となれば、混乱こそすれ崩壊には至らないとは思うものの、失うものは決して少なくない。

 聞こえてきたスーリアとケリーが揃って吐く息が、分かりやすく憂いを孕んでいるのも当然か。


『シェイド司教のことはもういいでしょう。それよりも、リエット様はどうされたのですか?ケリーさんのその様子だと、大事はないと思いますけど』


 これから訪れる教会の暗雲から意識を逸らす様に、スーリアが聖女のことを尋ねるとケリーもそれに乗っかり、やや明るい口調で答える。

 気が滅入る話の次には、口直しに希望のある話もしたかろう。


『ええ、勿論無事です。怪我一つなく、今は衛士に保護されているそうです』


『それは何よりです。ではアンディ君…リエット様の護衛についていた人間も一緒ですよね?』


 分かりやすく安堵の息を吐くスーリアは、アンディのこともケリーに尋ねてくれた。

 私も聖女本人がどうなったかというのは気にならなくはないが、それ以上にアンディのことは気になっていた。


 何となくの流れを思い浮かべると、シェイド司教の館でアンディが一働きしたのは間違いなく、衛士隊に保護された聖女と今も一緒にいると予想できる。


『アンディ、ですか?そう言えばあなたが言っていた護衛がそのような名前でしたね。その護衛については特に聞いていませんが』


 しかし困惑気味の口調のケリーは、アンディに関しては知らないと言う。

 確かにアンディは聖女に付き添ってシェイド司教の館まで行った。

 現に今も聖女が無事だと言うのなら、アンディは護衛としての仕事を全うしたわけだ。


 まだ情報が錯綜しているという可能性もあるが、衛士がケリー達に聖女の無事を報告した際に、それだけ貢献した人間についての情報を添えないものだろうか?


『そんなはずは…』


『ただ、現場に突入した衛士が、現場に居た誘拐の実行犯らしき男なら捕まえたと言っていました』


『…実行犯?』


 ケリーの明かした誘拐の実行犯らしき男と言う言葉に、スーリアが訝しそうな声を上げる。

 私からは見えないが、おかしな顔をしてそうだ。

 ただ気持ちは同じなので、きっと私も同じ顔をしているかもしれない。


『ええ。シェイド司教の執務室で武器を手に立つ不審人物だったとかで、すぐさま取り押さえたそうです。ひょっとすると、そのアンディが誘拐犯に間違われたという可能性も…』


 変わることなく淡々としたケリーの言葉を聞いているうちに、私の中では嫌な予感がこみあげてきた。

 もし仮に、シェイド司教が聖女に危害を加えようとしたところにアンディが飛び込んだとしよう。


 見たところ戦う心得がなさそうな聖女だ。

 のこのことシェイド司教の下へ顔を出したところで襲われたしよう。

 アンディのことだから、それを察して撃退したちょうどその瞬間、衛士がなだれ込んできて逮捕されてしまったとすればどうか。


 目を閉じてその光景を思い浮かべてみれば、不思議と妙にしっくりくる。

 日頃の行いの成果、アンディはよく勘違いから人に疑われることが多い。

 今回もそうだったするならば、きっと今頃は世の無常を嘆いているだろう。


 もっとも、既に聖女が衛士に保護されているというならば、そこからアンディに対する誤解が解けるのはそう遅くないはず。

 まさかいきなり監獄送りにはされないとは思うが。


 しかしヤゼス教には私達にとって因縁めいた前例がある。

 理不尽にもアンディがあっさりと監獄送りされたことを思うと、じわじわと嫌な予感がこみ上げてきた。

 果たしてここは私が動くべきか、それとも事態がしっかり落ち着くまで待つべきか、判断が難しい。


『ケリーさん、アンディ君が捕まったのには誤解があったはずです。できればすぐに釈放を。それが無理でも、せめて面会の機会を…』


『まぁ釈放はともかく、面会ならどうにか―静かに』


 縋るようにアンディの釈放を頼み込むスーリアだったが、ケリーは承諾するような素振りを一瞬出しかけ、しかしそれを引っ込めた。

 スーリアを制するように息を潜めたケリーは、次の瞬間、大きな声を上げる。


『あなた!聞いていますね!?』


「ぶひっ!?」


 話を聞き逃すまいと音をより拾いやすように魔術の出力を上げたのを見計らったかのように、ケリーの鋭い声が私の耳を襲う。


『ケリーさん?急に何を―』


『スーリア、先程外に出したあなたの友人が聞き耳を立てていますよ。恐らく、そこの窓から』


(嘘でしょ!?)


 魔術としては音を拾うという点に特化させているだけに、私のこの手法が初見で看破されたことはなかった。

 しかしどういうわけか、ケリーは私が窓から音を拾っていたのを見抜いたらしく、その声には確信した者だけが持つ力強さが籠っている。


 よっぽど魔力探知が上手ければあるいはとも思えるが、だとすればもっと早い段階でケリーにはバレていたはずだ。

 魔力以外のなにかを嗅ぎ取る才能をケリーが持っていて、それが微かな違和感を拾い上げて看破に至った、というのは流石に考え過ぎだろうか。


『えぇ!?あ!パーラちゃん!?さては盗み聞きしてたでしょ!』


 スーリアは当然、私の能力を知っているので、ケリーの指摘からすぐに答えを導き出す。

 すぐさま部屋の窓を全開にした音が聞こえてくる。

 あれでスーリアも魔力探知は人並みに出来るので、そうとわかってじっくり探れば、窓に糸程度の細さで繋いである私の魔力には気付きそうだ。


 そうなれば完全に私は言い逃れは出来ないので、盗み聞きを咎められる未来は免れられない。

 いつもなら怒られる前に逃げ出すのが最善だが、アンディのことで気になる情報を耳にしてしまった以上、ここは素直に出頭するのが正しい。


 今アンディがどうなっているのか、ケリーからそれを聞きだすためにも、礼儀を欠いた行動の上手い言い訳の一つも考えて、できれば話の続きを私にも聞かせてほしいものだ。

 スーリアの友人という立場は私もアンディも同じなので、そこを汲んでもらえれば幸いではあるが、果たしてどうなるか。




 SIDE:END







 シェイド司教の館で兵士達に捕まった俺は、すぐさま牢屋の中へと放り込まれた。

 律義にも武器の類は没収され、可変籠手すら手元にない、まさに身一つの状態だ。

 一応服までは取られなかったが、それでも肌着同然の恰好の俺としては、陽のほとんど差さない暗い牢屋の空気には肌寒さを覚える。


 牢とは言うが、実際には個室タイプの留置場とも言える。

 四畳もない狭い室内には、腐りかけの木の板が壁際に置かれており、恐らくそれがベッドとして使われているのだろう。

 衛生的にいいとは言えないが、唯一体を休めることが出来そうなそれに横たわり、今の状況に考えを巡らせる。


 先程逮捕された際に耳にした兵士達の会話から、彼らが確かな情報の下にリエットを助けに来たのは間違いない。

 あのタイミングで司教の館に押し込みまがいでやってきたぐらいだ。

 パーラ経由で聖女の館に齎された情報から、ドリーあたりが兵士を動かしたと見ていい。


 聖女が誘拐事件と言う緊張感もあってか、ほとんど即興に近い形での命令が下って駆け付けた兵士達では、司教を押さえつけていた俺を真っ先にターゲットとしたのは仕方のないことだ。


 あれから取り調べもされることなく牢に放置されて随分経つが、一体今はいつ頃だろうか。

 見える範囲には外に繋がる窓がないため、体感でしか時間は分からないが、そろそろ夜が来てもおかしくはない。


 リエットが保護されてから俺の無実を証言してくれていたとしたら、流石にもう釈放されていてもいい頃だ。

 何らかのトラブルか聖女以外の力が働いているのか分からないが、捕まってからただの一度も牢屋番ですら様子見にも来ないようでは、座して情報を手に入れる機会がまるでない。


 そろそろこうしているのも飽きてきたし、腹も減ってきた。

 牢屋に入れられてからパンの一欠けら、水一滴すら与えられないのはいくらなんでもあんまりだ。


 別れ際の様子からリエットが俺をここから出してくれるのは十分期待できたため、それまでは大人しくしているつもりだったのだが、流石にもういいだろう。

 コンビニへ肉まんを買いに行く感覚で、少し出かけてまた戻ってくればバレはしまい。


 外へ通じる扉は施錠こそされているが、所詮木製でしかないため、魔術で破ることは難しくない。

 よく見れば蝶番も貧弱なもので、そこを壊せば楽に外へ出れそうだ。


 それぐらいなら道具はなくとも、魔術でどうとでもなる。

 俺を牢に押し込めておくなら、魔術封じの首輪をつけておくべきだったと後悔するがいい。


 体を起こして扉の方へと近付き、蝶番に触れるや否やのタイミングで、ゆっくりと扉が開いていく。

 呼びかけもなくいきなり扉が開くのは、看守の抜き打ち検査か釈放の時ぐらいだ。

 出来れば後者であることを祈りつつ、扉の向こうに立つ人影を見てみれば、そこにいたのはとても看守とは言い難い身なりの老人だった。


 明らかに上質な布だと分かる法衣を纏う6・70歳ほどと思われるこの老人は、ヤゼス教のかなり行為に位置する人間だと分かる。

 背後に引き連れる一人の若い修道士ですら、そこそこの品質の服を纏っていることから、少なくとも司教クラスではなかろうか。


「…ふむ、取込み中かね?」


 その老人は扉へ触れようとして変な体制で固まった俺を見て、怪訝そうに気遣ってきた。

 よもや脱走しようとしていたと馬鹿正直に言うわけにはいかず、俺は軽く咳払いをして居住まいを正す。


「ゲフンゲフン、大したことじゃない。ちょっと扉の立て付けが気になっただけだ。それよりあんた、何者だ?わざわざこんなとこに来てるんだ。徘徊老人ってわけでもないんだろ」


「無礼者!こちらにおわすお方をどなたと心得る!」


 今日の俺は教会関係者には少し嫌な目にあわされているため、目の前の老人にも少し辛らつに応対したのだが、それが気に食わなかった若い修道士が歯を剥く勢いで俺を咎めてきた。

 なんだ?水戸黄門ごっこか?


「恐れ多くもヤゼス教会司教位にあらせられるボルド司教猊下であるぞ!」


 時代劇の終盤を思わせる口上に冷めた目をしていた俺だったが、老人の正体が分かると思わず目が大きく開かれる。

 そうか、この老人がボルド司教か。


 名前こそリエットから聞いていたが、まさかこんなところで姿を拝むことができるとは。

 ペルケティアでも策謀に長けた人間と聞く通り、なるほど、細められている目から見える眼光は鋭いものがあり、俺が知る中でも食わせ物と言える老人と比べてもまるで劣ってはいない。


「下賤な罪人如きが!跪かぬか!」


 正体を知っても畏まることのない俺に焦れたのか、修道士がこちらへ掴みかからんばかりに近付いてくる。

 そのもの言いも振舞いも癪に障るものがあると気付かないまま、無警戒に接近してくる男を殴り倒してやろうかと拳を構えたが、それが煌めくより早くボルド司教が手で修道士を制して止めてしまった。


「これ、そう騒ぐでない。この者はまだ罪人と決まったわけではないのだ。頭ごなしに決めてかかるなど、愚か者のすることだぞ」


「はっ、ですが…」


 困ったような顔で諭すボルド司教の言葉に、修道士は先程の剣幕から一転して、借りてきた猫のように大人しくなる。

 囚人に対する姿としてはさっきの修道士のものは決して常識外れではないが、それでもたった一度諫められただけでこうも態度が変わるとは、この男のボルド司教へ対する忠誠度がいかに高いかうかがえる。


「…もうよい、お前は外で待っておれ。話しはわしとこの者だけでする」


「なりません!このような者の前に御身をただ置くだけなどと!いかな危害を与えてくるか分かったものではありませぬ!」


「心配いらん。この者はそこまで愚かではない。また無為に人を害する程の心根でもなかろう」


 全てを見通すような目で見てくるボルド司教は、まるで俺の為人をよく分かっていると言わんばかりに不安そうな気配がまるで感じられない。

 確かに俺は何もしてこないのならこの老人を害するつもりなどないが、だとしても牢屋に放り込まれた人間と二人っきりになろうなどと、不用心を通り越して無謀も過ぎる。


「しかし!」


「わしの命令だ。聞けぬか?」


 なおも言い募る修道士に、ボルド司教が少し低くした声でそう言葉をかけると、その迫力に押されたのか、修道士の男はたじろぐようにしてその場から後退り、静かに部屋から出ていった。

 釘をさすという意味も込めてか、こちらを睨みつけながらというおまけ付きで。


「…騒がしくしてすまぬな。あれも愚かではないのだが、少し頭が固くてのぅ。これでゆっくりと話しができる」


 俺と老人の二人だけが残され、少し空気が悪くなったところで、好々爺とした雰囲気に変わった老人が困ったような笑みを浮かべてそう言葉をかけてきた。


 先程の人を喰いかねない凄味から、息をするような気安さで穏やかな顔に切り替わるその様は、策謀渦巻く中を泳ぎ回って来た老獪さのなせる業か。

 只者ではないと思ってはいたが、この一点だけでも相対するのに覚悟がいる相手だと理解した。


「別に気にしちゃいない。それより、俺と話がしたいってのはどういう了見だ?そうしたいってんなら、さっさと釈放して温かい食事を囲みながらってのはどうだ?」


「はっはっはっは、それはいいな。だが生憎、わしにそれを許すほどの権限はない。ここで話しをさせてもらう」


「司教なのにか?罪人の一人ぐらい、どうにか出来るだろ」


 前になんの罪もない人間を監獄送りにしたのはどこの司教だったかね?

 それが出来たのなら、逆もまた出来そうなものだが、ボルド司教は首を横に振る。


「平時ならばそれも叶おう。しかし、今は聖女様の事件で警戒が厳とされておる。衛士隊に横から口を挟んでの罪人の釈放など、今すぐにはできぬよ。こうして其方と会うのにも、色々と手を回してようやくだからのぅ」


「そうかよ」


 まぁあまり期待はしていなかったので失望はないが、それはそれとして暢気に牢屋まで来て話しをしようというこの老人には呆れてくる。


 リエットの誘拐から無事に保護されたという一連の流れは、ペルケティアという国に緊張を強いるには十分な材料だ。

 一般市民にまで知られているかはともかく、こうして司教ですら牢屋に忍んで来るのにも苦労しているのが、今のこの国の警戒感の現われと言えるだろう。


「それで、話ってのはなんだ。この際だ、手っ取り早く終わらせよう。お互い、あまり長く顔を合わせていてもいいことはなさそうだ」


 俺としては特に話すことはないが、好奇心で目を輝かせているボルド司教と長く付き合うのも面倒なので、さっさと用事を済ませてご退場を願うのが手っ取り早い。


「ふむ、そうかね?わしとしてはできればじっくりと其方と語らいたいところだが」


「そんなのんびりしてたら、あんたのお供が乗り込んでくるぞ。さっきの態度を見れば、長引くとあんたの首根っこ掴んででも引き挙げるだろ」


 確かな忠誠心があり、司教の意を尊重するよりも身の安全を考えて動けるのがあの手の人間だ。

 長く蚊帳の外に置かれていては、痺れを切らして強引にこの面談を切り上げさせることもある。

 別に俺自身はそれでも構わないが、それを待つよりは老人の好奇心を満たす方が時間はかかるまい。


「ないとも言えんな。わかった、では何から聞こうか」


 話す内容を考えているのか、喉元を撫でるような仕草のボルド司教が鋭い目をこちらへと向けてきた。

 この世界で生きてきた経験上、こういう目をする老人こそ、なによりも油断がならん。

 一体何を聞いてくるのか一抹の不安を覚えつつ、体は自然体のまま、胸の内では身構えるように警戒心で満たしていった。

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