風雲急を告げる
新たな畜産動物がべスネー村に来てから暫く経った。
シペアは俺がバイクでジネアの町まで送り届けたが、その際にオーゼルの近況も聞いたところ、ペルケティアとアシャドルの合同調査団に無事に加わることが出来、暫くは放牧地で暮らすことになるそうだ。
ちなみに例の放牧地は調査団の結成を期に、シペアから町に所有権が完全に移され、同程度の広さがある代替地が与えられたシペアだが、まだそこを整備することが出来ないので、当分は放っておくことになるらしい。
米作りの方は水田に水を張り、大凡の作業の流れを実地で行い、本格的な田植えの前に試験的に行ってみようという話になった為、既に整備が終わっている田んぼの一部を使って先行して田植えを行うことになった。
ビニールハウスのないこの世界では苗ができるのに時間がかかると思っていたのだが、この地方の安定した気候のおかげで意外と順調に苗が育っていった。
この世界の米が俺の知っている方法で育てて問題ないのかも調べる必要があるので、今回の田植えは試験も兼ねている。
俺が指導をしている村人を集めて早速田植えを行い、生育具合を見ながらの経過観察をしていく必要があるが、早くて三ヵ月で結果が分かると思うので、それまでは追肥のタイミングと草取りに気を付けていくことになる。
その辺りは他の人とも連携して教えながらの作業になるので、追々考えることにした。
田んぼ以外にも住民が育てている野菜類にも俺が分かる範囲で助言をしていく。
こっちの世界でも俺が知る名前の植物は殆ど一緒で、多少は違うのもあるのだが大体は同じものだ。
ただ俺が知っている物と完全に同じとは断定できず、何かしらの違いが後々の育成に大きな問題になることも考えられるので、慎重に植生を調べることも並行して行っていく必要があるかもしれない。
それらの名前の由来を尋ねると、『農業を教えた神の御使い』という伝承が残っており、その伝承から今あるほとんどの植物の名前を神の使いから教えられたと言われている。
少し気になったのでより詳しい話を聞こうと思ったら、村長の所に昔話が書かれた書物があると言うので、早速村長に頼み込んだ。
快く貸してくれた本は辞書ぐらいの厚みのある物で、聞くとこっちの世界の伝承や英雄譚のような物がまとめて収められている物らしく、農業の神の御使いについての記述は村長に口頭も交えて教えてもらった。
その昔、人々が暮らしていた土地は獣の跋扈する危険な場所だった。
日々の狩りによって多くの命が失われていくのを嘆いた人々は食料を得るために農耕に挑戦したのだが、その土地に合った作物が分からず、収穫したものは成長も悪いため味も見た目もよくなかった。
困り果てた人々は神に助けを求めるために祭壇を組み、火を焚いて3日3晩その周りで踊り続けた。
すると神はその望みに応え、人々の前に5人の御使いを遣わされた。
見たことも無い道具を携え、見たことも無い乗り物に乗って現れた彼らに訥々と自分たちの状況を説明し、地に伏して救いを求めた。
それに応えた5人の御使いは、土の耕し方を教え、そこに蒔く種の時期や育て方を指導し、さらには粗末な家を建て直すことまでしてくれたのだ。
人々が何年も掛けて何とか形に出来ていた物を、御使いはたったの1年で見違えるように発展させていった。
食料が増えると家の周りに囲いを作り、国としての形が出来上がり始めた。
人々は御使いを王として迎えようとしたが、すでに役割を果たしたとして神が御使いを呼び戻してしまった。
光の柱に飲み込まれるようにして天に戻っていく様はまさに奇跡の光景だった。
突然の別れに悲しむ人々だが、その中から一人の若者が立ち上がり、御使いの姿を像にして残すために動き始めた。
それに続いた人々の助けも借り、その国の中心には5人の御使いの像が立ち、それぞれに名前が彫り込まれた。
そして御使いの行いを後世に伝えるために、歌や詩に残したと言われている。
鋼の竜を操り、大地に根付く大樹ですらその場を退かせる『ジョーシマ』
折れた木を繋いで蘇らせる大工『タチヤ』
最初に木から炭を生み出した者『コ・クブン』
あらゆる食材の調理をした『マツォーカ』
キノコを生み出す手を持つ者『ナ・ガセ』
この5人の功績にあやかって彼らがよく口にしていた言葉を貰い、国の名前を『ダーシュ・ジマー』とし、長い繁栄の時を刻むこととなる。
今に伝わる作物の多くが彼らの名づけによるもので、その言葉の由来は未だにわからずにいる。
一説によると神の国の言葉だと言われているが、真実は明らかになっていない。
パタンと本を閉じて、気持ちを落ち着かせるために深呼吸をする。
「どうかな?中々面白い話だと思わんかね?この伝承に書かれている時期と農耕が始まった時期が一緒だということが学者の調べで分かったみたいでな、そうなるとここに書かれた神の御使いという言葉もあながち作り話と言えないことになる」
村長の若干興奮気味の声が聞こえるが、耳には入っても頭には響かない。
これってアレだよな?
アイドル5人組が村を一から作ったり、無人島を開拓したりする例のヤツ。
少し前までは究極のラーメンを作るのに夢中だった彼らが、まさかこっちの世界に来ていたとは。
だがおかしなこともある。
この伝承が残されのが今から約千年前、それだと俺が今いる時代との開きがありすぎるのだ。
御使いが口にした言葉から俺が前世で見ていたテレビの時期とあまりズレは無いのにこっちの世界では千年の差がある。
2つの世界間では時間の流れが違うのか、それとも呼び出される時代が違ったのか。
いずれにしても彼らがこっちの世界に来ていたのは確かだ。
伝承によると、役目を終えた御使いは神の下に帰ったとあるが、これは恐らく元の世界に戻してもらえたということか。
つまり、彼らは一時的にこっちの世界に助力を請われる形で何らかの超常的な存在、あるいは神といっていいものに呼び出されたということになる。
しかも天に戻っていったという話から、いつのまにかこっちの世界に転生した俺とはかなり違うケースということだろう。
そういうことが出来る神的な存在ならこっちの世界の記憶を消すぐらいのことはしてから元の世界に戻すぐらいは出来るだろうから、問題は無い…のか?
思いがけない元の世界との繋がりに郷愁の念をくすぐられながらも野菜の名前に関する謎が何となく解けて、すっきりした気持ちになった。
これなら俺の前世での知識が生かせる場面も多いだろうから、安心して指導できる。
それからは考えつく限りの改良案をこっちの世界に即したものに摺り寄せることで導入し、希望者に次々と教えていくと、目に見える変化はごく小さなものだが、確かに変わってきたものに気付き始める。
いつもよりも成長が早い気がする、害虫の駆除にかかる手間が減った気がするといった体感ではあまりない、だがしっかりと変わったと分かるだけの結果が村人の間に広がると、徐々にではあるが実践する人達も増え始めた。
「害虫を寄せ付けない方法としては匂いの強い花やハーブを作物の近くで育てるといいでしょう。ミントやローズマリーといったものは意外と色んな害虫に効果があるのでお勧めです」
青空教室さながらに、村の外にある畑に集まった村人に虫除けの講義を行っている。
こっちの世界でもハーブの類はそこらで手に入るが、地球と全く同じ種類とは限らなくとも、似ている以上はある程度効果を期待してもいいだろう。
これらを使った害虫対策の方法を説明しているが、相当熱心に聞いている村人の様子には講師役をしている俺もやりがいを感じる。
「おい、アレ見ろよ。ヘクター達の馬じゃないか?」
早速ハーブの植え付けをしようと思った時、村人の一人が街道から村の入り口に駆けて行く馬の姿に気付いた。
「本当だ。もうこっちに来る時期だったか?いや、でもあの馬、荷台を牽いてないぞ」
馬を指さしてヘクター達の馬だと確認した一人がそんな疑問の声を上げると、別の村人からさらに疑問の声が重ねられる。
「随分速足だな。誰か先回りして―いや待て、背中に誰かしがみ付いてる?…パーラちゃんだ!」
ただならぬ様子から村人の何人かと一緒にすぐにその場を駆けだしていき、馬の前に回り込んで落ち着かせる。
「ドウドウ!ドウ!落ち着け!…よーし、いい子だ」
両手を広げて馬の前に立ち塞がり、しっかりと目を合わせて声を張り上げることで、馬を停止させると手綱を村人に任せてその背中に乗っているパーラの様子を確認する。
何があったかを聞こうとしたが、どうやら気絶しているらしく、目を閉じているが、手綱の端をしっかり握りこんだ手は掌に爪が食い込むほどに固く締められ、意識をなくしてもなお馬から落ちまいとするパーラの執念のような物がそこにはあった。
固く握られた指を一本一本解す様にして開いていき、馬から降ろすことが出来たころには他の村人も集まってこちらの様子を窺っていた。
とりあえずマントを広げた地面にパーラを横たえると、怪我がないかを軽く見ていく。
すると左肩に突き刺さっている矢じりに気付く。
矢木は折れていたが、鉄製の矢じりだけは深く肩の肉に食い込んでおり、触った感触からすると刺さってからまださほど時間は経っていない。
このまま放っておくと矢じりの周りの筋肉が硬くなって摘出が困難になる。
摘出するには意識が無い今しかないと咄嗟に判断し、力任せに一気に引き抜いた。
肩から発生した激痛によって覚醒したパーラが叫びのような呼吸を吐き出したのに合わせて、すぐさま水魔術で生み出した水で傷口を覆い、細胞一つ一つに浸透させるように送り込んでいく。
感覚としては生理食塩水に似ているが、俺の作った水は魔力をふんだんに含んでいるため肉体の活性化を促し、傷口の細胞の再生を速める効果がある。
特別な水だけあって生成するのにかなりの魔力を消費するが、生きている限りは回復は保証できる。
何度か自分の体で試したので効果は自信があるが、人の体に使うのは初めてなので少々緊張してしまう。
徐々に傷口からの出血が落ち着いていくにつれて、パーラの顔から苦痛の色が消えていき、体調も問題ないと判断して治療を終える。
まだ完全には傷口は塞がっていないが、これは段階を分けて治療するためだ。
一度に皮膚の再生までしてしまうと、そこだけ色が違う場所になってしまうため、ある程度傷痕が定着した頃に皮膚の再生を行うことで傷痕が残りづらくなる。
女の子の肌にあまり傷を残したくはないからな。
「パーラ、何があった?一人で馬に乗ってここまで来て、しかも何でお前に矢が刺さってんだ?ヘクターはどうした!」
一応最初は怪我人に対する配慮の気持ちはあったのだが、徐々に問い詰める口調が強くなっていき、最後の方は怒鳴るような声だった。
「アンディ落ち着け!パーラちゃんは怪我してたんだぞ。まだ無理は―」
村人の一人が俺を制止しようとした時、パーラが手振りで何かを伝えようとしてきた。
俺にはその内容は分からなかったが、一人の女性がそれを理解できたようで、通訳してくれた。
「兄さんが危険…盗賊…少し違う…兄さん残った…私を逃がした…ウソ!?」
今の言葉は『ヘクターが少し妙な盗賊に襲われて、パーラを逃がして自分だけ残った。』という風に理解できた。
その言葉を聞いた瞬間、その場から全速力で村まで戻り、バイクに乗って街道を駆けていく。
村人の制止の声は聞こえていた。
ただそれを受け入れるつもりはなかっただけだ。
感情のままに開けられたアクセルによって加速するバイクは稲妻のように走り抜けていく。
ヘクターがどこにいるのかはわからない。
だが襲撃を受けたのならそれなりの痕跡が残るはずだ。
それを辿って必ず見つける。
それだけだ、それだけでいい。




