「お主も悪よのぅ」「司教様こそ」のヤツ
シペアの女装強要を経て、改めて今後のことを四人で話し合う。
聖女の館に潜入して無事に戻ってこれたことをパーラ達は喜んでくれたが、それはそれとして聖女に治療してもらうところまではこぎつけられなかったことで落胆もされてしまった。
とはいえ、ダメで元々というのもどこかにはあったため、その落胆も絶望的というほどでもない。
「そっか…まぁそうなるよね。いくらなんでも、都合よくは行かないか」
この中では一番落ち込んでもおかしくはないパーラだが、それでも多少苦笑いを浮かべるだけに留まっている。
スーリアが危ない橋を渡り、そして俺がしたくもない女装で潜り込んだ上でのこの結果に、こいつなりに気を使った態度というところか。
「ごめんね、パーラちゃん。私の伝手じゃこれが精一杯だったよ」
しかしそんなパーラの様子に空元気に似た何かを察してか、スーリアが本人以上に落ち込んでいるのは、やはり発案者としての責任でも感じているのだろう。
意気揚々とまでは言わないが、それでも成功の目があるとして臨んで何の成果も得られなければ、誰だってこうなる。
「もー、そんなこと言わないで。スーリアは頑張ってくれたよ。少なくとも、聖女様に直接お願いは出来たんだから。ね?アンディ」
「ああ、そうだな。ちゃんとパーラのことも話したら、治療の機会は教会の偉い人と相談するって言ってくれたし」
もっとも、あまり期待はするなという厳しい言葉もついていたがな。
聖女といえど組織での立場からは外れられず、あの時の言葉が彼女自身の自由に約束できる範疇となる。
確約は得られなかったが、今はこれが精一杯だとするリエットの配慮は、こちらが頭を下げるに相応しいものだ。
「聖女様がそう言ったってのは小さくないがよ、あんまし先行きがいいとは言えないぜ?どの道、司教の許しが無きゃ、パーラの怪我は治せないってことだぞ。パーラ一人を治したところでヤゼス教には何の利益にもならん、つってな」
「シペア君、そんな言い方…」
「俺だってこんなこと言いたかねぇよ。けど、今のヤゼス教の司教って大体そんな考えだろ」
中々に辛辣なことを言うシペアだが、教会関係者の言葉だけあって、教会内での聖女の扱いも改めて繊細さがうかがえる。
教会全体でも最上位の格付けとなる聖女だが、それはあくまでも象徴としての話だ。
実務実利で考えれば、やはり司教や枢機卿、教皇といった連中が実権を握っている。
奇跡の技ともいえる癒しの術を持つ聖女、その聖女の力をどう使うかを決める司教という、ある意味では役割をしっかりと分けているとも言えよう。
見方が変われば、聖女が搾取されているか、あるいは司教がマネージメントをしているかのどちらとも取れるため、一概には良し悪しを判断し辛い。
とはいえ、現状で言えるのはパーラが治療してもらう許可が下りるのは中々難しそうだ。
「せめて司教達の会合とかに割り込める、誰か適当な人がいればいいんだが。心当たりは今も遠くにいるしな」
シペアのいう条件に合う人物となると、やはりキャシーあたりか。
聖鈴騎士の序列も高く、人間も出来ている彼女なら、俺達との友好も加味してあるいはと思えてしまう。
使えるコネとしてはかなり大きいのだが、現在は主都から出払っているため頼るのは難しい。
今回俺は聖女側にアプローチをしたわけだが、この様子だとどうにか司教側にも接触するべきだったかもしれない。
それこそ、堂々とコッソリ司教の屋敷へ潜入するぐらいの気概でだ。
深夜、ナイフ片手に枕元へ立てば、多少の頼み事なら喜んで首を縦に振ってくれるに違いない。
しかし、俺はヤゼス教の指導者層には色々と因縁もあるため、上層部へ接近して騒がれるのもつまらない。
結局、リエットが司教達に要請を出し、どうにか上手いこと幸運が働いてパーラの治療の許可が下りるのを待つしかないわけだ。
それを理解した俺達は、示し合わせたように揃って深い溜息を零す。
世の中ままならぬことも多いとは分かっているが、険しい障害が過ぎて乗り越えるのも困難ともなれば、特大の溜息の一つも許されるだろう。
「とりあえず、俺の方でもパーラの腕を治せる方法が他にないか探してみよう。三局には教会お抱えの医者や薬師が行った治療の記録もそれなりにある」
未だにシペアの勤める第三局の実態はよく分からないが、少なくとも医療関係の記録を扱う部署のようだ。
「そうだね、私の方もそれとなくリエット様に進捗を尋ねておくよ」
地の利のある人間だけに、シペアとスーリアの言葉が実に頼もしい。
法術が一般に知られているヤゼス教において、医者や薬師は恐らく主流ではないのだろうが、教会では法術に頼らない医療を扱うことがある。
法術士が全国全ての教会に常駐しているわけではないので、応急的にも補助的にもこれらの医術は日常の中で出番が多い。
長い期間、国を跨いで活動しているヤゼス教には、さぞ多くの情報が収集されているに違いない。
俺やパーラが開示請求したとしても断られる場合でも、身内であるシペアなら全てとは言わずともある程度の情報を知ることは出来そうだ。
「二人とも、すまんな。面倒をかける」
友のためとはいえ、シペアとスーリアはかなりの労力を払って今日まで俺達を助けてくれている。
特にスーリアは、築き上げた信頼を放り投げる覚悟で聖女の館に招き入れてくれたほどで、下手を打てば処刑されても不思議ではなかった。
職と命を懸けてくれたそんな二人へ、感謝の思いから頭が下がる。
「私からもお礼言わせて。ありがとね」
パーラもまた、俺と同様に感謝の言葉を口にし、倣って頭を下げた。
「いいさ、俺達はやりたいからやってんだ。頭なんか下げんなって。な?スーリア」
「そうそう。それにまだいい結果で終わるとも限らないんだから」
面と向かって礼を言われたのが照れくさかったのか、シペアとスーリアは互いに顔を見合わせて小さく笑う。
打算などなく、ただ友情のためにと動ける二人の精神性はまさに黄金の価値がある。
現状で頼れる人間が他にいない以上仕方のないことだが、ここのところ二人には世話になりっぱなしだ。
いずれ何かの形で恩返しをしたいとは思うが、それもパーラのことが片付いてからだろう。
「…もうこんな時間か。スーリア、そろそろ帰らないか?」
「そうだね、長居しすぎちゃった。二人とも、私達もう行くよ」
木窓から漏れる光は赤みを濃くしており、時刻はとっくに夕方を迎えていた。
長々と話したつもりはなかったが、思ったよりも時間が経っていたらしい。
「え、そう?せっかくだし泊まってけば?」
同じ街にはいるが、教会関連の施設で寝起きをするシペア達、とりわけスーリアとは気軽に会うのも難しく、パーラもまだ暫くは一緒の時間を過ごしたいようだ。
生憎この部屋は二人用なので、シペア達が泊まるとすれば新しく四人部屋を借り直す手間はあるが、俺としても修学旅行気分が味わえるとするなら吝かではない。
「ごめんね、私もそうしたいところだけど、明日早くて。準備もあるし、今日は帰らなきゃ」
「俺も上役から明日の朝一番の仕事を頼まれてるんだ。悪いが、泊ってくのは無理だ」
スーリアもシペアも、新入りの割りには教会の人間として忙しくしているようだ。
もっとも、今日までこの二人は俺達のために色々と動いてくれていたため、そのしわ寄せで仕事が立て込んでいるのかもしれないが。
ともかく、仕事があるというのに引き留めるのはよろしくない。
宿を後にする二人を見送り、ついでに少し早めの夕食を済ませて部屋に戻った。
寝るにはまだ少し早いため、日課となっているパーラのリハビリを漫然と見守る時間を過ごす。
相変わらずのこんがらがった可変籠手の復元をさせているのだが、最初に比べれば大分進んではいるものの、再び使い物になるまではまだまだ遠い。
片手でやっているのだからなおのこと。
「ふぁー…っふ、もう無理ー。今日はこの辺にしとくよ」
集中して作業に臨んでいたパーラだったが、しばらくすると疲労が限界に来たのか、欠伸をしながらベッドに身体を投げだした。
可変籠手の復元の進捗具合ではまだまだだが、これはあくまでもリハビリであり、無理をしてもいいことはない。
気力が萎えるほど疲れたなら、そこが丁度いい止め時ということになる。
「おう、お疲れさん。寝る準備しとけよ。片付けはやっといてやるから」
「あんがと。…あのさ、アンディ」
「なんだ?」
多少スクラップよりましになりつつある可変籠手を保管用の袋へしまっていると、パーラが神妙そうな声で話しかけてきた。
「シペア達が聖女の力以外の治療がないか調べる、ってさっき言ってたじゃん」
「ああ、それが?」
「いや、なんかさ、久しぶりに会ったけど、二人とも頼もしくなったなって」
二人と学園で最後に会ったのもそれほど昔のことでもないはずだが、懐かしむパーラにつられて俺もなんだか随分歳をとった気分になる。
「そうだな。人ってのは三日経つだけでも目を見張る成長をするって言うが、二年近くともなれば別人ぐらいに立派な人間が出来上がるんだろうよ」
『男子三日会わざれば刮目して見よ』という諺があるように、人間というのは短い時間でも大きく成長をする生き物だ。
特に大人への階段に片足を乗せた若者ともなれば、一体何段飛ばしで成長するか読み切れるものではない。
「あはは、三日は早すぎでしょ。でも、確かにそうかもね。ほんと、立派になっちゃって…お姉さんは嬉しいよ」
「そう歳は変わらんだろ。急に姉ぶるな」
何故か姉貴風を吹かしたのはともかくとして、立派になったシペア達を嬉しく思う気持ちは共感できる。
少し前まで洟垂れ坊主だったのに、今じゃ苦境に喘ぐ俺達を救うべく立ち回ってくれている。
それに比べて、俺は一体何が出来たか。
精々女装して聖女に直談判するぐらいで、成果と呼べるものは今のところほとんどない。
…そう考えると、色々とまずいな。
これではシペア達の俺に対する敬意が薄れてしまうのではなかろうか?
頼れる兄貴分、逆境を跳ね返す男とシペア達に思われている俺の評価が、『相棒のピンチに何もできなかった無能』へと変わってしまう恐れもある。
『パーラの腕を治す別の手段?あー、まぁアンディじゃ無理なら、俺がやってやんよ。なんせ、俺はやれちまう男だから!プークスクス』
ふと俺の中でシミュレーションされたシペアが、小ばかにした笑い声で煽ってきた。
シペアはそんな奴じゃねぇと否定したい気持ちはあるが、全くないとは言い切れない今日までの俺の情けなさで、急激に危機感が増してくる。
「アンディ?どうしたの?怖い顔して」
「パーラ、明日はちょっと出かけるぞ。お前も手伝え」
「え、何急に。出かけるってどこ?」
「それは明日決める。とにかく、今日はさっさと寝て明日に備えるぞ。いいな」
急に言われて戸惑っているパーラをよそに、俺はベッドにもぐりこんで目を閉じる。
しばらくパーラは俺に纏わりついて話しかけていたが、無視して眠る姿を見せているとやがて諦めたようで自分のベッドへと潜り込んでいった。
するとすぐにパーラの方から寝息が聞こえてくる。
元から寝つきのいい奴だが、今日はシペアの手伝いをしたのと、先程のリハビリの疲労がダブルで重なっていたのかもしれない。
その寝息に誘われるように俺も全身から力が抜けていき、滲むように意識が闇に溶けだす感覚と共に眠りへと落ちていった。
「教会の施設を探るって?あのさ、教会が関わってる建物ってマルスベーラだけでいくつあると思ってんの?」
「さてな。百は超えてんじゃねぇか?でもまぁ、全部を見ようってんじゃあない。司教あたりの偉い人が生活してる建物ぐらいだ」
「ふーん、それぐらいならあんまり多くはないね。でもなんで?」
一夜明け、宿の近くにある大衆食堂店で朝食を摂りなら、これからの行動についてをパーラと話し合う。
食いかけの皿を行儀悪くスプーンでつつきながら、胡乱気な顔のパーラの言葉は当然の疑問を含んでいる。
「そりゃあお前、取引材料に使えるなにかを見つけて、それをネタに聖女の治療への後押しをもらうつもりだからだよ。いいも悪いもな」
聖女が司教にパーラの治療を頼んだとしても望みは薄いし、シペアも他の治療法を探してはくれるが見つかるという保証はない。
そうなると、俺達は正攻法で司教に働きかけるのがてっとり早い。
だからこそ、お願いがよく耳に入るよう、司教のことを探って交渉に仕える材料を手に入れたいのだ。
「それって、弱みを握って脅すってこと?私らが悪者みたいじゃん」
確かに今の俺の言い様はパパラッチ根性が透けて見えそうなものではあったが、それにしても随分とネガティブな受け取り方をされたものだ。
「人聞きの悪いこと言うなよ。仮に司教が悪事を働いてるのなら、そいつにバレてるってことを忠告して、見返りに聖女にお前を治療してもらう許可を出してもらうんだよ」
「大っぴらにバラされたくなければ言うことを聞けってんでしょ?それを脅しって言わなきゃなんなのさ」
「何か困ってることがあるなら、助けになってやれば恩も売れる。それを足掛かりにして頼みごとをするって寸法だ。ただ恐喝するのとはわけが違う」
ヤゼス教における司教位には、大司教を含めて四十人が現役で就いているそうだ。
ペルケティアの各地にある教区と呼ばれるエリアを統括しているのがこの司教という職なのだが、マルスベーラには現在、それらの教区から訪れた司教の六人ほどが滞在中だ。
そのいずれもが、それぞれ専用に与えられている館で生活を送っている。
聖女の治療の許可を下すのがこれら司教なら、どんな形であれ俺達の頼みを聞くしかない形を作り上げてしまえばこっちのものだ。
困りごとの解決の手助けで貸しの一つでも作れればそれでいいし、もしも悪いことをしているなら、その証拠の一つや二つを叩きつけてこちらのいうことを聞いてもらうとしよう。
「なにも本格的に敵対しようってんじゃない。友好的に力を借りれるならそれでいい。だがそうならなかった時のために、俺達は備えるべきじゃないか?」
かなり無理のある言い様ではあるが、手段を選んでいられるほど俺達は状況に恵まれてはいない。
それはパーラも分かってはいるようで、しかめっ面で悩みながらも、最後には同意をしてくれた。
「目標確認。距離は…百メートル強ってとこかな。二階右から三つ目の窓の部屋」
手にしているスコープを覗き、大まかな距離を口にするパーラに倣い、俺もスコープを覗き込んで指摘された場所の様子を窺う。
街中で少し聞けばすぐに司教の屋敷は見つけることができ、早速足を運んではみたものの、やはり警備は厳重だ。
間違いなく要人が住まう所という証拠でもある。
聖女の館に比べれば慎ましいが、それでもペルケティアの要人が暮らすには格が足りぬことのない立派な屋敷では、貴重なガラス窓をほぼ全ての部屋に使われているおかげで、外からでも室内の様子がよく見える。
俺達は少し離れた建物の屋根からスコープを使って覗いているが、他よりも高さのある館の二階の部屋を見ようとすれば、今いる場所でちょうど目線の高さが揃う。
そこでは豪華な修道服を身に纏う老人といっていい男性が、執務机越しに立つ商人らしき壮年の男性といやらしい笑みを浮かべて話し込んでいる。
その二人の間にある執務机の上に、小さな袋がいくつか積まれており、そこから金貨がいくつか零れているのが見えた。
小奇麗な身なりの男が二人、密室で金貨袋を挟んで話す光景。
言葉にすれば何らかの商談でもしていると思えるものだが、片方が教会の人間、それも司教ともなれば怪しく思えてしまう。
「三人目にしてようやくか。やっと聖職者らしい悪人と出会えたな」
この館に来る前に、別の司教が暮す館も偵察はしたのだが、前の二人の司教は小癪にも不正を働かないまともな聖職者だった。
ひょっとしたら慎重に悪事の匂いを消しているだけかもしれないが、それでもとっかかりになる何かが見つからない以上、渋々引き上げるしかなかった。
しかし三人目にしてようやくそれらしき聖職者を引き当てることができた。
俺の目に映っているのは、悪代官と越後屋というタイトルがこれほど相応しいかと思うほどによくできた光景だ。
「普通、聖職者って悪いことはしないと思うんだけど」
「金と権力を持った人間は絶対に腐る。聖職者ほど金にがめつく、変態的な性癖を持った生き物はいない」
「変態的って…それ偏見じゃない?」
「まともな性癖で聖職者を務めてる人間などいない。絶対にだ」
「なんで断言するのさ」
「反動ってやつだよ。ヤゼス教では一応妻帯も認められてるが、大っぴらに性欲を曝け出すのを良しとはしてないだろ?権力を手にして自由に振舞えるようになれば、押さえつけられた性欲がこじれて変態性を誘発する場合もある。時として、人の欲は想像を超えて発展するものだからな」
徳の高い坊主や清廉な政治家といった者は、少なくとも地球では有史以来一瞬でもいた例はない。
どんな宗教組織であっても、上位にいる人間ほど異常性欲者と相場が決まっている。
末端の方がまともなのは良くある話だ。
そういった狂った性癖を満たすには、宗教というのは都合がいいシステムではある。
あのガラスの向こうで悪い笑みを浮かべている司教も、きっとそういった堕落した宗教家と程度は同じ人間だろう。
「ふーん、そういうもん?」
「そういうもんだ。それより、お前の魔術で室内の音は拾えないか?話してる内容の一部だけでも知れるなら上出来なんだが」
「んー…ちょっと無理っぽいかな。窓もしっかり閉まってるし、何より距離がありすぎる。今日みたいに風が強いと、これぐらい離れた場所から音を拾うのは難しいね」
音を操るという点では並外れた能力を持つパーラだが、流石に強風による音の妨害と遠すぎる距離は無視できない障害のようだ。
まぁ空気の振動が音の正体である以上、物理的な距離の制約はどうしてもついて回る。
期待はしていたが、完全に頼るつもりはなかったのでこの答えに失望することはない。
「となると、目で見える情報だけで推測するしかないか。こりゃあ骨が折れるな」
スコープ越しに見ることが出来るのは、窓から覗く室内の様子だけだ。
司教がいる部屋には商人の男しかいないようだが、それ以外の情報となると執務机の上に置かれた金貨の袋ぐらいか。
正直、ほとんどわかることはない。
「こうして見て分かる事って言ったら、司教と対面してるのがお酒を扱う商人ってぐらいだね」
しかし俺とは違い、パーラにはもう一つ情報を手にすることが出来たようだ。
商人の方を見て、酒を売るタイプの人間と見抜けたのは元商人としての経験だろうか。
「そりゃ確かか?」
「うん。腰にぶら提げてる茶褐色の鈎は、商人ギルドが認める酒売り専業の証だよ」
確かにあの商人の腰には小型のバール状の物体が見える。
「特権商人ってやつか」
商人の中には特別な商品を扱う者がいて、それらは税金や身分の照会などの点で優遇されることから、特権商人とも呼ばれる。
商人ギルドが認めた一握りの商人だけが特権商人に任命され、世間に出回ることのないレベルの希少な品や危険な薬品など、普通の商人なら持つだけで罪に問われかねないものでも特別に扱うことが許されているという。
「あの鈎が酒売り専業の証明ってのはなんでだ?」
「元々はお酒の入った樽の蓋を開ける鈎を、ああして身に着けてたのが始まりだったって聞いたね。お酒を専門で扱う商人を許可制にした時代に、そのまま鈎が許可証の代わりにされて今もその名残で使われてるんだって。だからあの鈎はほとんど飾りだね。実際に樽の蓋を開けるのには使わないらしいよ」
「なるほど、時代の名残ってのは面白いもんだ。やっぱり、普通の商人とは扱う品が違うんだろ?」
「まぁ普通の商人でも、そこそこ高いお酒は扱うけどね。特権商人のお酒ってなると、最高級品なのは当たり前、特別な由来を謳った渡り物なんかも売ったりするらしいよ」
「特別な由来?」
「嘘かほんとか、『飲めば一年寿命が延びる』とか」
「嘘くせぇな」
この世界なら、不思議な力でそんな酒が存在してもおかしくはないが、残念ながらこの手の寿命を延ばせる飲食物の九割九分は偽物だ。
ましてや特権商人とはいえ、普通の人間が商売に出来るほどの品となれば猶更だ。
養〇酒の方がまだ信用できる。
「あとは王族とかへの献上品としてのお酒なんかもそうだったはず」
「献上品か。少し前にマルスベーラに運ばれた時の涙なんかがそうだな。そんな時期に酒を扱う特権商人が大金を手に司教と密会となると、あの金の出所はわかりやすいな」
銘酒と名高い献上品が主都に運び込まれて数日、酒絡みの特権商人が司教と共に金貨袋を間にして笑っているのだ。
断定するのはどうかと思うが、献上品の酒を横流ししたキックバックを司教が受け取っている絵として見るのにも違和感はない。
「時の涙を横流しして裏で売りさばいたお金が、あの机の上の金貨ってとこ?あれだけの額ってなると、随分派手に売ったんだね」
国への献上品に触れるには、司教クラスならそう難しいことではない。
検品や味見などと称して、酒瓶の一本程度ならその場で開けて口にするのも、褒められたことではないが辛うじて許される。
酒瓶一本が消えたとしても、そういった形での消費と思われるところだが、樽単位で消えたとなれば騒ぎにならないはずがない。
だがそこに司教が関わっていたとなれば、事態の隠蔽は容易であり、特権商人と手を組んで酒を横流しすればかなりの儲けが見込めることだろう。
それこそ、あの机の上にある金貨袋を膨らませるぐらいには。
「なんたって一級品の酒だからな。加えて献上品の横流しとなると、売る側も買う側も表立っては取引せず、かえって値が吊り上がったのかもしれん」
時の涙自体は高級酒として高値での取引は普通だが、その中でも献上品に選ばれるのは味も見た目も最高品質の超高級品ばかりだ。
一般には出回らず、極一部の権力者だけが口にできる酒だけに、裏ルートでも欲しがる人間は多いはずだ。
酒好きの欲と執念は、時に大金を動かすことも珍しくない。
「よし、決めたぞ。あの司教の周りを調べる。ひょっとしたら、酒絡みで弱み―じゃねぇや、困りごとを抱えてるかもしれん」
まだ確実にやった証拠もないのに、悪者と断定するのはよくない。
今はまだ、弱みになるほどの悪事と疑うのではなく、困りごとを探るという口実でいくとしよう。
「もう弱みって言っちゃってるじゃん。でもまぁ、確かに怪しいしね。探るだけ探ってみようか。それで悪者で断定したら、心置きなく利用させてもらっちゃおう」
パーラの方も大分クロに近いと睨んでいるようで、今朝方のあの渋りようから一転、司教の身辺調査に大分乗り気である。
経験を積んでスレてはいるが、元来正義感の強い女だ。
もしも聖職者が特権商人と組んで不正を働いているのなら、それを暴いてやろうという気概は元商人としての矜持でもあるのだろう。
やるべきことが決まったところで、噴射装置を使ってその場から立ち去る。
いきなり司教の屋敷に押し込むわけにもいかず、まずはアプローチの仕方から練らなければ。
夜中にコッソリ忍び込んで枕元で脅すというのも一つの手だが、それは最終手段にとっておこう。
可能な限り、穏便にいきたい。
何せ俺達は善良な市民なのだから。




