一歩進んで一歩下がる
人がその身を信仰に捧げるためには、己の内にある欲を制することが肝要とされる。
生きていくのに必要な食欲や睡眠欲はともかく、物欲や色欲といったものは時として簡単に人を狂わせるため、宗教では特に清貧が尊ばれる傾向にある。
そしてこれらの内、最もコントロールが難しいのがやはり性欲だろう。
特に男の方は下半身が本体とすら言えるほどで、世の女性達からしてみれば、男などズボンを穿いているおかげで辛うじて変態に見えていないという程度の生き物だ。
そんなのがうようよしている世の中であるがゆえに、女性が女性らしく生きられるべく男子禁制の場所が生まれるのは自然の摂理と言える。
よく女性しかいない修道院が人の寄り付かない僻地に存在しているのも、女性を守るためという目的なら理には適っている。
外界との接触を絶って修行をした果てに、信仰と信念が混ざりあって一廉の聖職者として完成される、というのがこの手の様式を存続させる材料なのだとか。
ヤゼス教における聖女もまた、この男子禁制が徹底された館で生活しているわけだが、もしそこへ男が無断で足を踏み入れるとどうなるか。
スーリア曰く、『男の体のままで外へ出ることは叶わない』とのこと。
薬物的か物理的かは分からないが、少なくとも男性の象徴とはお別れをし、その後の人生を女性かそれに準じた性別として生きる道しかない。
あまりにも恐ろしい場所だけに、普通の神経をしていれば近付こうとも思わないのだが、俺には女装をしてまでも潜り込む必要があった。
提案したのはスーリアだが、渋々ながらそれに乗ったのは俺の意思であり、最後までやり遂げる決意は当然持っていた。
持っていたのだが、思いのほかあっさりと聖女に女装を見抜かれてしまい、この窮地を切り抜ける策をひねり出すために今、俺の脳の97%がフル稼働している。
「こちらの日陰百合は、今年もいい出来なのです。私の自慢ですね。でも隣の鈎芍薬は、去年より少し小さく咲いてしまったのが残念です。次はもっと大きく咲かせたいものです」
「あ、はい」
男というのが露見した以上、さっさとこの場から逃げ出すのが賢い選択なのだが、それが出来ない事情がある俺はというと、先程から上機嫌で庭の花々を指さしながら語るリエットの言葉に、適当な相槌を返すロボットと化している。
しかしこの聖女、俺と話がしたいと言っておきながら、先程から勝手にしゃべり続けており、会話がちゃんとできているとは言い難い。
男子禁制の場に忍び込んだ男として裁くこともせず、ひたすら花のことだけを口にしているリエットの狙いがまるで分らず、いっそ不気味にすら思えるほどだ。
「以前来て頂いた庭師の方は、花よりも樹木の方が得意だったようです。勿論、花のことも全く分からないというわけでもありませんでしたが。まさか、野菜を花として育てていたとは、全く気付きませんでした。ディアナは……そう言えば、あなたの名前を知りませんね。男性であるのなら、ディアナというのではないでしょう?」
難しそうな顔で砂糖人参の蕾を突いていたリエットだったが、ふと思いついたように俺の名前を尋ねてきた。
スーリアが思いついたディアナという名前は誰が聞いても女性とわかるものであり、俺の性別が男とバレた以上、真の名があると考えるのは当然だ。
「…本来の名前はアンディと申します。ディアナとは、スーリアが考えた名前です」
「それでディアナと?うふふふ、スーリアもいい名前を考えましたね」
偽名を名乗るなら普通はバレないよう、本名からかけ離れたものを選ぶべきなのだが、あまりにも安直なネーミングにリエットが面白そうに笑う。
勿論、俺が男であることとアンディという名前を知っていなければ立派に偽名としては機能するのだが、両方を知ったリエットにしてみれば呆れと痛快さを覚えるのかもしれない。
「ですが、名を偽ってここへ潜り込むとは大胆なことです。よほどの命知らずか酔狂か…私以外に気付かれていれば、大変なことになっていますよ?」
「分かっています。ただ、そうせねばならない理由がありましたもので」
「あら、花の生育を指導する以外にも目的があったと?」
「花に関しては、別に俺が望んでいたことではありませんよ。それを恩に着せて、リエット様のお力を借りようとはしましたが」
ヤゼス教の信徒でもない俺としては、聖女の悩みを是非解決したい!と思うほどの敬意をここで発揮するわけがない。
リエットとしては、聖女に敬意を抱かない人間がいるのが信じられないとでも言いたげな様子だ。
役目の上でこの国の人間としか接していないとすれば、リエットのこの態度もおかしくはないのだが、世の中にはヤゼス教に対して必ずしもいいイメージを持つ人間ばかりではないことも、少しは分かってほしいものだ。
「飾らないそのもの言い、嫌いではありませんよ。しかし、私の力となるとやはり法術でしょうか?」
こんなところまで危険を冒してやって来たとなれば、目的を推測するのはさほど難しいことではない。
リエットは小首を傾げてはいるが、半ば確信しているのは間違いない。
「お察しの通り、俺の仲間の負った怪我を治していただきたく。既に一度、法術士には診てもらっております。しかし手には負えぬと言われ、件の法術士のリエット様ならばとの言葉を頼りにしてやってきました」
ようやく本来の目的へと一歩近付けたわけだが、ここからが本番だ。
パーラを治療してもらうためには、余人を介さずに聖女の協力を取り付けたい。
他人の思惑が混ざり込んで、複雑な御免だ。
「なるほど、法術士が手に負えないとなるとよっぽどの怪我ですね。どれほどのものか教えてくれますか?」
「剣で貫かれたことにより、左腕が不随を被っています。現状、傷口自体はほぼ塞がっていますが、神経を傷つけられたのか微塵も動かすことが出来ない状態です」
「剣で、となると荒事に巻き込まれたのでしょうか。怪我人は男性ですか?」
「いえ、女です。俺と同じぐらいの年齢の」
「そうですか。…では傷が残ってしまうのはかわいそうですね」
性別を知ってどうするのかと思っていたが、どうやらこのリエットは女の肌に傷跡が残るのに同情しているようだ。
なんとも聖女らしい慈悲深さではあるが、冒険者でもあるパーラはあまり傷跡を気にはしないだろう。
冒険者という職業柄、派手に傷を負った体を隠そうともしない女性と多く接してきた影響は大きい。
「念のために聞きますが、腕が動かなくなったのはその傷のせいなのですね?生まれつき動かなかったということは?」
「いえ、傷を負う前までは自由に動かせていました。なぜそんなことを?」
「私の力では、生まれついての障害を治すことはできませんから。魂に定められた形を変えるなど、唯人の手には余るもの。よく誤解されますが、私の力は元の状態へと回復させることしかできないのです。元々悪かったものを治したり、さらに身体の状態を上向かせるなどと、到底叶うものではありません」
そう自分の力の本質を口にするリエットは、困ったような笑みを浮かべている。
てっきり聖女の力は万能の回復術だと思い込んでいたのだが、今言ったことをそのまま信じるなら大分事情は違う。
聖女の力で治せないものは無いとまで言われるその癒しの奇跡は、噂だけならこの世の全ての病や怪我をたちどころに消し去ってしまうようなイメージを持たれている。
しかし実際は癒しというよりは復元という言葉が似合うとでも言うべきか。
生まれついての病や身体の欠損といった、遺伝的に由来するものに関しては異常として見なせないのだろう。
そのため、さっきはパーラの左腕の不随が生来のものかをリエットは知りたがったわけだ。
「まぁ怪我でそうなったというのなら、私の力で治せるでしょう。随分前のことですけど、切断された足を繋ぎ合わせた経験もあります。勿論、普通に歩きも走ったりもできる状態にです」
「ほう、それは切断してすぐの足を、ですか?」
「すぐといえばすぐでしょうか?私が見た時には、三日ほど経っていましたね」
時に気負うことなく言われたリエットのその言葉に、俺は思わず唸ってしまう。
外科的な医療技術が未熟なこの世界なら、切り離された手足の方を無事に保管するのも難しく、そもそも出血を抑えるために主たる身体の傷の方を真っ先に処置をしてしまう。
乱暴ながら主流ではある炎熱で傷口を焼く処置を先に施したとすれば、切り離された方の四肢を後からそこへ接合することなどまず無理だ。
だがリエットが言うように、それなりに時間が経っても足が繋ぎ合わされたのは、まさに奇跡の術だと言われても不思議ではない。
パーラのケースとは多少違うが、それでも神経ごと切断された足でも再び元通りに歩けたというのなら、これはリエットの癒しの術には期待してもよさそうだ。
「あの時は切り離された足を繋ぐのに苦労しました。ですが、刺傷による後遺症で動かせなくなっただけなら、どうとでもできます。アンディ、あなたの目的というのは、その方を私に治してほしいということなのでしょう?」
ここまでの話の材料の揃い方を考えれば、俺の目的に気付かないわけがない。
問いかける形ではあるものの、ほとんど確信しているのもリエットの目を見ればわかる。
「はい。聖女の癒しを得るのは大いに難しいと知った上で、こうして直接訴えかけるためにここまでのことをしています。どうか、パーラの傷を治してやっていただきたい。もし叶えていただけるのなら、いかようにも対価をお求め頂いても結構。伏してお願い申し上げます」
俺はその場で膝を着くと、頭を地面にこすりつけるようにして垂れる。
所謂土下座だ。
スーリアの策に乗って花の生育不良を解決はしたものの、それを対価に聖女の力を借りれるかといえば微妙なところだ。
だからこそ、こうしてもう一押しにと大した価値のない頭を下げて、最後には情に訴えるしかないのだ。
差し出せるものが他になく、これ以上の頼み込む形を知らない俺は、ただ顔を伏せて待つ。
「…本来ならば、助けを求める声に遍く応えることこそが、主ヤゼスの教えに沿うものなのでしょうが、残念ながら今のヤゼス教は見返りなく癒しの術を施すほど清廉ではありません。悲しいことに」
申し訳なさそうなリエットの声を聞き、やはりだめだったかと秘かに奥歯を噛みしめる。
覚悟はしていたが、やはりヤゼス教の高位の権力者達が聖女の力を恣にしているのがネックになっているのかもしれない。
ヤゼス教にとっての象徴である聖女の力は、個人の能力でありながら教会の思惑が複雑に絡む運用を強いられていると言っても過言ではない。
一般人を百人助けるよりも、金と権力を持ち合わせた人間を一人癒す方がヤゼス教にとって利益が多いからだ。
長い年月を重ね、組織としても肥大していったヤゼス教は、徳の高さよりも実利を求める人間が随分と増えていったはずだ。
始まりは清く正しいものだったとしても、人が運営する以上、時間の経過で腐らない組織などない。
リエットがこの辛辣な物言いをするのも、自分の力を望むままに使えないことへ思うところがあるのだろう。
少し話しただけでわかるが、この聖女はその役割に相応しいだけの心根の持ち主であり、宗教としての正道を信じて疑わない芯の強さも兼ね備えている。
堕落した聖職者など珍しくない中、ここまでの地位にいながら高潔さを捨てていないのは若さゆえか、あるいは教育が行き届いているかだ。
「今回の件のお礼として力になりたいところではあるのですが、こういったことには司教らの許しがいります。せめて私の方でも、そのパーラという方の治療を施す機会が作れないか上には尋ねてみましょう。…望みは薄いでしょうけど」
ここで『治してやるからコッソリここへ連れて来い』と言い出さないのは、教会全体の秩序を考えてのことだろう。
聖女の身分を高く振りかざして騒ぐのではなく、自分の影響力が及ぶ範囲で動こうという姿は立派だ。
とはいえ、この分ではあまり期待出来そうにはないか。
ヤゼス教の司教はどれも徳の高い僧侶であるというのは一般的な認識だが、同時に国を動かす権力者の頂点に位置する汚れた政治家でもある。
国家と教会の利益を考えた結果、一般人など助けるに値しないと、聖女の頼みですらバッサリ切り捨てても不思議はない。
リエットもそれは分かっているため、沈んだ様子を一瞬見せる。
彼女の働きかけでも望みが薄いとなれば、いよいよ俺は決断しなければならない。
すなわち、目の前の聖女を拉致して、パーラの所へ連れていくということを。
今は準備も出来ていないので、すぐに拉致するといことはできないが、それでも必要とあらば躊躇うつもりはない。
そんな決意を抱いた俺達の耳に、こちらへ足早に近付いてくる足音が届けられた。
「あら、二人が戻って来たようですね。…心配なさらずに。あなたが男性だというのは秘密にしておきましょう。今日のお礼です、ふふふ」
そう言うスーリアの視線を辿ってみれば、俺達のいる花壇へ続く石畳を歩いてくる人影が二つ見える。
どうやらドリーとスーリアが戻って来たらしい。
それほど時間は経っていないはずだが、そう長くかけずに諸々の手配を終わらせたか目途を立てたかできたのは、彼女達の優秀さの現われだろう。
砂糖人参のことぐらいで恩を感じてか、リエットは俺の正体を他には明かさないでいてくれるようだが、それでも長居する気には流石にならない。
冷静さは持っているつもりだが、男とバレたに対しての居心地の悪さは隠しきれているとは限らず、スーリアはともかくドリーにそれを察知されれば面倒なことになる。
今日のところはさっさと撤退して、今後のことをパーラと相談したいところだ。
「男ってバレちゃったって…なんでぇ!?」
「なんでって、俺も分からねぇよ。なんか聖女としての力とかですぐに気付いたんだと」
聖女の館を後にした俺は、手配してもらった馬車で帰る道すがら、一緒に乗り込んだスーリアに庭で聖女と話したことをいくらか教えてやる。
その流れで、リエットに俺が男だと見抜かれたと知った瞬間、スーリアは顎が鬼のようにシャクれそうなほど驚いていた。
「うわぁ…どうしよう、これ私もまずいよね?まさか、処刑されたりなんて…」
男を聖女の館に手引きをしたのがスーリアである以上、普通なら何らかの処罰はあって当然だ。
それを想像してか、スーリアは頭を抱えてしまった。
流石に処刑は一足飛びに過ぎるが、したことを考えれば全くないとも言い切れないのが宗教組織の怖いところだ。
とはいえ、その懸念についてはあまり考えなくてもいい。
「そう心配するなって。リエット様は自分の中だけに収めるって言ってくれた。この件でお前が罰を受けることはないさ」
「そう?そうかなぁ…?」
スーリアを含めて俺をどうこうしようというのなら、こうして馬車の手配までして館から無事に出すようなことはしない。
そうした上で何か深い謀があるなら話は違うが、別れ際のリエットの様子からすればそういったことはなさそうだ。
「リエット様は同い年の男と話したかった、みたいなことを言ってたんだ。ある意味、共犯みたいなもんだよ」
「そんなこと言ってたの?まぁ仕事柄、顔を合わせるのは大抵そこそこ歳のいってる偉い人がほとんだものね。歳の近い異性と言葉を交わすのなんて随分なかったと思うし、アンディ君とも話したかったってのはあるかも。ひょっとしたら、今の立場になってからは初めてだったりして」
男子禁制の館で暮らし、聖女としての仕事もヤゼス教のお偉いさんとしか接触する機会がなかったとすれば、年頃の少女としてはやはり歳の近い男と話す機会に飢えているのかもしれない。
「でも、結局リエット様に治療のお願いを聞き届けてはもらえなかったね」
「一応、ヤゼス教のお偉いさんに話はしてみるって言ってくれたが?」
望みは薄いとも言われているが。
「どうだろ、あんまり期待はしないほうがいいよ。教会の偉い人達って、どうにも腰が重いから。あーぁ、花の件での恩があれば行けると思ったんだけどねぇ」
「そもそも、その件だけで治療の対価とするのは無茶だったんじゃないのか?たかが花だろ」
「いやいやいや。あそこの庭園って、代々の聖女が世話をするのが仕来りみたいなものなんだよ?全部を完璧に管理するのは流石に無理でも、新しく自分が植えたのぐらいはちゃんと育って欲しいって、リエット様も随分気にしてたみたいだし」
「そういえば、庭の花を育てるのも聖女の仕事だってリエット様は言ってたな。なんでだ?」
二人きりでいた時間の中で、花の手入れが聖女としての自分の仕事だとリエットは語っていた。
勝手に一人で話していたとも言うが。
特に無理強いされているといった様子もなく、生き生きと草花に触れていたが、なぜそれが聖女の仕事となっていたのかは不思議ではあった。
「聞いた話だと確か、病気にかかりにくくするためだって。陽の光の下で草花に触れていると、何故か病になりにくいってのは昔から言われてるみたい」
なるほど、確かに日光を程よく浴びると健康にはいいと、地球でも言われていた。
こちらの世界でも経験則としてそれが知られて、それを聖女に習慣づけていたのだろう。
何事も健康でいることに越したことはないからな。
「法術もそうだけど、聖女の癒しも術者本人には効果が出ないし、健康のために普段からそうやって……あ」
そこまで話して突然、口を滑らせたと言わんばかりにスーリアが自分の口を手で押さえ、眉間に皺を寄せて視線を大きく逸らした。
なにやら口外してはいけないことを口走ったようだが、恐らく法術が術者本人には効果が出ないという点がそうだと思われる。
「へぇ、法術ってそういうもんなのか。法術士は自分の怪我や病気を治せないってのは不便だな」
法術とは違うが、水魔術の応用で我流の回復魔術を使う俺は、それで自分の体を癒せないということはない。
治せない怪我もあるにはあるが、それでも大抵の怪我には水魔術で干渉できる。
その一点だけなら、俺の魔術は法術に勝っていると言えそうだ。
「あー…のね、アンディ君。今私が言ったのって、その、言いふらされたりしたら困るって言うか…」
自分の迂闊さに身悶えでもしているのか、体を少し揺らすようにしていたスーリアがこちらを窺うようにそんなことを言ってきた。
やはり先程のは外部に広めていい情報ではないようで、俺に口止めをしたいらしい。
「別に言いふらしたりはしないさ。言ったところで俺に何の得もねぇしな」
「あ、うん、そう、そうだよね。うんうん!ありがとうね!」
若干落ち込んだ様子のスーリアだったが、俺がそう言った途端に満面の笑みに代わり、一瞬前とはうって変わって鼻歌を歌いだしそうなぐらいのテンションでシートにその身を預けた。
挙動不審から一転した様は、よっぽどの安堵を覚えたように見える。
ヤゼス教にとってそれがどれだけ秘匿性のある情報なのかは分からないが、この様子だとかなりのものだと思っていい。
知り合い相手とはいえそういう情報をあっさりと漏らすあたり、スーリアもわきが甘いとしか言いようがない。
まぁうっかり口が軽くなるぐらい俺に気を許しているとするなら、それはそれで友人としては悪い気はしないが。
そうしているうちに馬車が宿に到着した。
スーリアともそこで別れるつもりだったが、治療の目途についてパーラと話したいということで、二人で部屋へと向かった。
あまりいい報告を持ち帰れていないので、スーリアからのフォローも期待したい。
―やーめーろーよー!パーラー!
―いーじゃーん!ちょっとだけよー!グヘヘ!
扉を開けようとノブに手をかけた時、室内から男女の騒ぐ声が聞こえてきた。
この部屋に来るのは俺とパーラ以外だとシペアとスーリアぐらいなので、男女が騒ぐとしたら中にいるのはシペアとパーラだろう。
「…何やってんだ?こいつら」
「アンディ君ちょっとどいて」
「あっ」
なんとなく部屋に入るのを躊躇っていると、妙に目の据わったスーリアが俺を押しのけるようにして勢いよく扉を開ける。
すると室内の様子が明らかになったのだが、そこに広がっていた光景はある意味予想通りで、またある意味では予想外のものだった。
説明をするのも難しいが、一言で言えばスカートを手にしたパーラがシペアに馬乗りになっている図といった感じだ。
片腕が使えないパーラだが、単純な身体能力ではシペアを圧倒しているため、一般的な魔術師が相手ならああして制圧も難しくはない。
見たところ、シペアに女装をさせようとパーラが迫り、それに抵抗があってもみ合った結果がこうだと予想はつく。
なにせ、俺の女装を見てからのパーラは明らかに不穏であったため、その矛先がシペアに向けられてあの通りとなったは想像に難くない。
俺にしてみればおふざけの場面に過ぎず、呆れてそれで終わりとなるところだが、約一名、目の前の光景を冷めた顔で見ている人間がいた。
「なに、してるの?二人とも」
底冷えのする声でそう投げかけたのはスーリアだ。
どうもパーラ達の体勢が気に障りでもしたか、纏う空気には怒りと悲しみがあるようにも見える。
そしてそれをパーラ達も敏感に察知したようで、一瞬顔を見合わせると慌てたようにして馬乗りの体勢を解除し、床に正座をしてスーリアへと向き直った。
「いや、別に何してたってわけじゃ…なぁ?」
「そ、そうそう!私ら、ちょっとじゃれてたっていうか…」
まるで浮気現場を押さえられた人間のような言い訳をする二人だが、それでもスーリアの冷めた目はいっこうに揺らぐことはない。
奇妙なことに、当事者ではないはずの俺までいたたまれない気持ちになってくる。
まぁスーリアにしてみたら、惚れた男が友人とはいえ自分以外の女に押し倒されているのを見ては冷静ではいられないのだろう。
こいつがシペアに惚れてるのは、誰の目にも明らかだしな。
「あのさパーラちゃん、私とした約束覚えてる?」
「うっ」
変わらず凄味のある声のままスーリアが約束という言葉を口にすると、動揺からかパーラが大きく肩を跳ね上げさせる。
視線を逸らしつつ、時折スーリアの方を窺うようにして目を泳がせるパーラだったが、遂に観念したように項垂れてしまった。
「…ごめん、約束は忘れてなかったけど、つい我慢できなくなっちゃって。だってアンディのあんな姿見ちゃったからさぁ」
「はぁ…ダメじゃないの、パーラちゃん。シペア君を女装させるのは私と一緒にって決めたじゃないの。まぁ反省してるみたいだからもういいけど」
パーラが素直に謝ると、スーリアの態度も軟化して困り顔に笑みを浮かべる。
それにしてもこいつら、まさか俺以外にもシペアの女装化まで計画していたとは。
一体何がそうさせるのか、この一連で怒りと謝罪が発生する程に情熱があるのが怖い。
「本当にごめんね。スーリアも楽しみにしてたってのに、私だけ先走っちゃって」
「もういいってば。それより、シペア君の女装がまだ途中だよね?一緒にやっちゃおっか。ね」
「うん!」
女同士の友情というのは時として高速で分解するが、光速で修復もする。
その奇跡を目の当たりにして、俺はなんとも言えない気分で立ち尽くすしかなかったが、二人が肩を並べて立ち、シペアへ顔を向けたことで次に何が起こるか予想ができた。
「ひぇっ…アンディ!助け―」
察しのいいシペアはこの場で唯一の同姓に助けを求めたが、俺はそれに応えることなく廊下へと退避して今後にした部屋の扉を力強く閉めた。
これで俺は一人、安全地帯へと退避できたわけだが、少し遅れて中からシペアのか細い悲鳴が聞こえてきて背筋が震える。
きっと今頃、服を剥かれて女装化が進行しているに違いない。
俺も味わったその苦しみ、同士が増えるのなら歓迎しよう。
それに、シペアはスーリアが女装計画を打ち立てた際、助けを求めた俺を見捨てた罪がある。
ならば同じことをされても、文句を言われる筋合いもない。
恨んでくれるなよ?
俺達、友達だもんな。




