治療を得るには対価を失わねばならない法則
この世界に存在する超常の力の一つである魔術は、現在明らかにされているものだけでもその種類は多岐に渡る。
基本となる四大属性の魔術と、そこを基点に上位下位へ振り分けられる様々な属性をはじめ、使い手の数だけ分類が存在する固有魔術までとなれば、一口に魔術と言うには数える気すら失せるほどだ。
そんな魔術の中で、過去から現在までその分類が度々議論となるものがあった。
それは唯一、ヤゼス教だけが使い手を確保できると言われていた、法術の存在だ。
魔術の大半が魔力を用いて攻撃性の現象を生み出すのだが、それと対を成す様に、法術は人体を癒す慈愛の術などと言われている。
ちょっとした切り傷から命を脅かす病まで、使い手の技量次第であらゆる怪我や病気を治すことができるらしい。
昔の英雄譚などでは、瀕死の重傷を負った英雄が法術によって復活し、大敵を打ち滅ぼすというのが残っているほど、その歴史も古い。
魔術師に対し、法術士という呼ばれ方がいつからか広まって定着しているほどだ。
魔術の素養が遺伝では引き継がれず、個人の才能として発露するのに対し、どういうわけか法術だけはヤゼス教会が使い手を安定して確保できている。
ヤゼス教が秘匿する技術によって、法術士を生み出すか在野の者を見つけるかできるのではないかと思われるが、事実としては明らかになっていない。
法術士自体は特に秘密にされずに各国へと派遣されているのだから、ヤゼス教として秘密にしておきたいのはやはり法術士の数をキープする手段だろう。
独自の儀式や薬、魔道具などを用いて法術士を作り出せる可能性は外部の者も薄々気付いているものの、その方法がとんと見当もつかないとなれば研究の進みようもない。
ただ、ヤゼス教が抱える魔術師の数自体は他と比べてもそう抜きんでているわけではないため、件の独自技術と思しき手段では法術士しか増やせないのだと推測されている。
とはいえ、法術自体が代用が効かず、またペルケティア教国から外へ出される法術士の数も少ないとなれば希少性は高いままで、癒しの術を頼る権力者達にとっては藪を突くのもほどほどにしたいのが本音だろう。
薬等よりも即効性があり、効果も高い法術は権力者達が常に喉から手が出るほどに欲しており、それが自分達の手元から奪われるのを何よりも恐れている。
下手にペルケティア教国の機嫌を損ねれば、派遣されている法術士が自国から引き上げられかねないため、法術士の創出法はアンタッチャブルなものというのが各国の認識だ。
実はかつてある小国が、法術の秘密を解き明かそうと教会の法術士を捕えて拷問し、いかにしてその力を手に入れるかを暴こうと画策したとがあった。
この法術士はよっぽどの訓練を積んでいたのか、あるいは元々知らなかったのか苛烈な拷問にも口を割らず、結果として法術士の死亡と共に秘密は守られたのだが、遅まきながら事態を把握したペルケティア教国が件の国へと報復を行ったのは当然の帰結だろう。
この時、ペルケティア教国は遠征軍と共に聖鈴騎士序列上位者を特例として複数名派遣。
迎え撃つ敵軍に大打撃を与え、首都の目の前まで電撃的に攻め寄せることで自分達の意思と覚悟を示し、両国は休戦からの停戦協定を経て一応の落着となったという。
しかし、ヤゼス教の総本山と事を構えたという事実は件の国の内外へ悪い影響を残し、数年の混乱の果てに隣国へ併吞されたことで、以後法術士に手を出すことの禁忌を全ての国が記憶へ刻むこととなった。
この事件がきっかけで、国外へ派遣される法術士は派遣先の国が安全を保証するのが正式な条約として決められ、そのかいもあって今日の各国へ派遣される法術士は安全に活動を続けられている。
各国の教会で暮らし、要請があればその力を振るって病や怪我を癒す法術士だが、その恩恵に与るのは主に貴族や王族といったごく一部の権力者だけで、一般人が法術に接する機会というのはまずない。
稀に大金を積んだ商人が法術で治療されたりもするが、これは貴族の地位に相当する財力を存分につぎ込んだ結果であり、やはり普通のケースとは言い難い。
もう一つ例外として、大規模災害の際にはヤゼス教も慰安の名目で法術士を惜しみなく使うことはある。
以前、巨人との戦いで野戦陣地に法術士が派遣されていたのも、この大規模災害に相当すると判断しての措置だとか。
これはあくまでも例外の措置であり、特定の被害が終息したと判断されれば法術士は引き上げられるほど、ドライな運用だと言える。
そもそも法術士が治療を行うには、ヤゼス教会の許しがあった上で、相応の対価を示して初めて法術が施されるそうだ。
これは数の限られる法術士を、外交の一つとして使うと決めたペルケティア教国の方針がそのまま教会の活動へと影響を与えているせいだ。
本来なら自国だけで使いたい法術士をあえて他国へ派遣するのは、最高峰の治療というのが有効な外交のカードであるからだ。
そうなると権力者達が法術を独占するのが世の流れで、宝くじにでもあたる幸運がなければ下々の者が法術の世話になる機会はまず訪れない。
そして今、パーラの不随となった左腕のために、俺はこの法術での治療を求めてやまないわけだが、そのハードルの高さに法術への道を阻まれてしまっていた。
色々な騒動があってからしばらく経ち、パーラの体調もかなりよくなってきたタイミングで、新しく借りた宿へと俺達は塒を移した。
いつまでも娼館の一室を借りることの申し訳なさと、診察の度に薬師の婆さんがパーラへ向ける疑念の目が流石に厳しくなってきたせいもある。
娼館を離れる際のエメラは淡々としたものだったが、親交のあった娼婦や料理人からは別れを惜しまれ、特にガリーはパーラへの強い感謝の意として目に涙を浮かべて見送ってくれたほどだ。
イカれた暗殺者から命を救ってくれたことと、料理人として働くチャンスを手に出来たことへの恩を感じているようだ。
前者はともかく、後者は俺達は関係ないのだが、一つのきっかけを作ったとするならそうとも言えるかもしれない。
過剰とも思える感謝をもらいつつ、娼館を後にして宿を移したその日の内に、俺達の部屋へと来客があった。
引っ越し先はまだ誰にも伝えていないにもかかわらず、どうやって知ったのかチコニアが見舞いにやって来たのだ。
既に寝たきりから解放されているとはいえ、いまだ左腕をガチガチに固定しているパーラの姿にいたたまれない顔を見せたチコニアだったが、それも一瞬のことで、すぐにいつも通りの様子で談笑へと移っていた。
「―まぁなんにせよ、生きてるってだけで儲けものよ。…ところで、さっきからパーラは何やってるの?なんかゴチャゴチャしたのを解してるようだけど」
久しぶりに顔を合わせて積もる話でもあったようで、和やかに会話も弾んでいたチコニアとパーラだったが、その最中にもベッドに胡坐をかいて座っていたパーラはとある作業をしていて、それがチコニアの興味を引いたらしい。
「これはねぇ、アンディから頼まれたの。ちょっと前に使ってこんな状態になっちゃったから、元に戻さなきゃならないんだ」
そう言ってパーラは手元で弄っていた塊を目の高さまで持ちあげ、チコニアへ見せつけるように突き出す。
「なにこれ?へんな…剣かしら?」
パーラの右手に握られているものへ向けるチコニアの目は、まさにガラクタを見るそれだが、一応剣というところを見抜いた鑑定は正しい。
それは以前、灰爪との戦いで使った、可変籠手を二つ組み合わせて形成した連接剣の成れの果てだ。
実は可変籠手を二つ組み合わせて武器を作るというこの機能は、元々砲形態を想定した機能でしかなく、本来は連接剣のような複雑精緻で大型の武器を作ることを想定されていなかった。
なまじ汎用性に優れた高性能な武器なだけに、そこそこの融通が利いて連接剣を作れてはしまうものの、いざ戦いが終わって元の籠手へと戻そうとした途端、形状の回帰へ不具合が発生してしまい、こんがらがった糸と鉄の塊のような形で固定されてしまった。
「まぁそんなとこ。アンディが無茶な使い方しちゃって、それを元に戻すのが今の私の仕事」
そう言って可変籠手を解く作業へ戻っていくパーラは、それをほぼ右手一本だけで行っている。
実はこれは、パーラに課したリハビリの一環でもあった。
最悪の場合は使えない左腕を諦め、残された右手で日常生活を送る備えとして、薬師とも相談して右手のみで大半のことをこなせるようにと、このような訓練が必要となったのだ。
勿論治療をまだ諦めてはいないので、いつかは左腕も動かせるようにさせるつもりだが、当分は右手しか使えないので、この経験は決して無駄にはなるまい。
「…やっぱり左腕は動かせないのね。アンディ、どうにかなるの?」
作業に没頭するパーラから少し離れ、俺の耳元へ口を寄せたチコニアが声を潜めて尋ねる。
部屋へ通す前にあらかじめ触りを話していたのだが、こうして事実を目の当たりにするとチコニアの声も硬くもなろうというもの。
他の人間よりは信頼も出来、頼れる女でもあるチコニアには話してもいいと判断し、俺が法術に賭けることを明かす。
「…とまぁそんなわけで、パーラの治療には法術が必要なんです。一応聞きますが、チコニアさんは教会とかに伝手とかありませんかね?そこそこの大きさの教会の司祭とか」
「ちょっと、無茶言わないで。いくらなんでも私にそこまでの人脈はないわよ」
無茶な頼みとは思いつつ、色々と顔が広そうなチコニアならと頼み込んでみたが、たっぷりと呆れの籠った溜息が返された。
ダメで元々のつもりで尋ねたので、そう返されても落胆はない。
むしろせっかくパーラの見舞いに来てくれたのに、いきなりこんなことを尋ねて本当に済まないと思っている。
「天地会ぐらいの大店なら、法術士に伝手とかあったりしそうな気もするんですが。過去に大金を積んで、怪我を治してもらった実績があるとか、そんな感じで」
「それって大金を積んだ商人が法術で治療を受けたってやつ?あんなの与太話でしょ。貴族ですら、よっぽどの高位じゃなきゃ法術の治療は受けられないって話じゃないの。なのに商人が大金でーなんて、怪しいもんだわ」
権力者の中でもかなり高位の貴族だけが法術の世話になれる、というのは公然の秘密ですらない事実だ。
教会も表向き、法術は厳密に運用を検討すると公言しているが、実際は金と権力で意向が定まると誰もが知っている。
財力はともかく、権威だけはある貴族を差し置いて商人が法術にあやかれるなど、まずあり得ないと考えるチコニアの気持ちも分かる。
だが噂とはいえ、それらしい話が広く知られているのもまた事実。
「しかし、噂というのは何もない所に生まれはしないでしょう。少しでも可能性があるというのなら、それに賭けたいというのが人情というもの。伝手が期待できるなら俺の頭なんざいくらでも下げますし、それこそ対価になるならなんでもしますよ」
「ん?今何でもって……あぁ、いやいや。そりゃ気持ちは分かるけど、天地会がそういう方面の伝手があるなんて聞いたことないわよ。大体、ファルダイフにはその手の教会がないんだから、法術士を頼るにしても他の街に行かないと」
「一応、ファルダイフにも教会はありますけど。前に街の西側にあるのを見ましたよ」
「そりゃあ教会自体はあるわよ、形としてはね。でも、こんな街でしょ?ヤゼス教会もあんまり人を寄越したがらなくて、今あそこにいるのは歳老いた修道女ぐらいよ。たまに神父成り立てが派遣されてくるって程度。そんなところに法術士は常駐してないでしょ。いるとしたら、皇都とかの大きな街ぐらいよ」
そういえば、この街の教会に法術士がいるかを薬師の婆さんに聞くのを忘れていたな。
パーラの治療と宿を移すのに頭がいっぱいだったので、そこまでは気が回らなかった。
ギャンブルが主要な産業と言えるファルダイフは、ヤゼス教から見れば欲望に塗れて堕落した街にでも見えるのか、教会こそ置かれているがあまり規模は大きくなく、送られてくる人員もやる気に満ちているとは言い難いのだろう。
全体から見て重要視されていない教会だけあって、そもそも海外派遣される数自体が少ない法術士がそこに常駐していないのはなんらおかしい話ではない。
「正直、私なんかに頼るよりかは、あなた達が直接皇都の城に願い出た方がよさそうに思えるけど」
「俺達が直接とはまた…大丈夫ですかね」
法術に繋がる最大のコネと言えば、やはり貴族のルートではあるが、そういう意味では俺達はかなりの強いコネを持っている。
この国の王にはそれなりに親しくしてもらったこともあるし、宰相にも直接面会できる誼はある。
だが、法術は貴族や王族がいざという時に頼る切り札のようなものだ。
多少縁があるとはいえ、果たして一般人をそこに噛ませてくれるだろうか。
「法術の治療を受けられるかどうかは分からないけど、少なくとも話しぐらいは聞いてもらえると思うわよ。ダンガ勲章があるなら、ね」
そう言ってチコニアは、後押しをするように俺の肩を軽く叩いた。
貴族平民を問わず、現在発行されている勲章の中でも誉としては最上級に位置するダンガ勲章は、特定の条件下に限るが貴族と同等の権利が付与されている。
そこに法術の治療を受ける権利が付帯されているとは聞いたことはないが、王女の命を救った対価として与えられたのを考えれば、パーラの治療を頼んだとしても無碍にはされないはず。
となれば、この街に法術士がいないのなら、皇都まで飛んで行くのも吝かではない。
「そうですね、では皇都まで行くとしますよ。ここにいてパーラの訓練を見てるよりは、やれることをやりたいし。チコニアさんには申し訳ないんですが、受けていた依頼は正式に破棄させてもらいます。ご迷惑をおかけしますが…」
ファルダイフを離れるとなると、エメラに退職を願い出た俺はともかく、現在休職扱いになっているパーラの方は斡旋元であるチコニアに礼儀として断りを入れておかねばならない。
ペナルティの一つや二つ、甘んじて受け入れる覚悟はある。
「あぁ、いいのいいの。ちゃんと依頼は完遂したってことにしておくわ。報酬は満額出してあげる。実際、あんた達はよくやってたもの。それに、アンディはヒリガシニの首魁をきっちり仕留めてくれたみたいだし」
「…え?」
「え?」
お互いに認識に齟齬があるのか、疑問の声の応酬が急に発生してしまった。
俺からすれば、チコニアの言葉には一部、聞き逃せないものがあったのだ。
「いや、ヒリガシニの首魁を俺が仕留めたってのは何の話ですか?」
「何の話って…路地裏で死んでたアルメンはアンディの仕業じゃないの?」
「アルメンが?それは確かですか?」
「…そう言うってことは、アンディがやったわけじゃなさそうね。一昨日、住民が偶々路地裏で倒れてた死体を見つけて、衛兵がそいつの身元を検めたらアルメンってわかったみたいよ」
「心当たりは全くありませんね。俺は暗殺者の方が目当てであって、アルメンなんか今まですっかり忘れてたぐらいですよ。…死んでたのはアルメンだけですか?」
「らしいわよ。路地裏から運び出された死体は一人分だけだって話だし」
「そうですか」
灰爪との死闘があった夜、俺が襲撃した部屋には灰爪の他にアルメンとその護衛が二人いた。
死体がアルメン一人分ということは、護衛は雇い主を見捨てて逃げたか、あるいはその護衛がアルメンを見限って殺したというパターンも考えられる。
多分、その護衛達も今頃は行方をくらましているはずなので、真相は分からないままとなるだろう。
いずれにせよ、トップが死んだ以上はヒリガシニも規模を縮小した果てに解散を迎えるに違いない。
極一部の信心を持った人間と、うまい汁目当てのチンピラがファルダイフに解き放たれることとなるが、そこからはこの街の衛兵達の働きに期待しよう。
今まで忘れていた口でいうのもどうかと思うが、アルメンの死で今回の事件は俺の中で一応片付いたと思っていい。
パーラを直接やった灰爪は殺したし、大元の原因である暗殺者を呼んだ人間も死んだとなれば、この街を離れるのに憂いはない。
求める治療が皇都にあると知った今、心置きなく旅立つことが出来る。
パーラの体調も今はいいし、可変籠手を使っての訓練もあの様子だとそろそろ…―
「んにゃぁぁあああっ!もう無理!体力の限界ッ…気力も尽きて!」
突然叫び、ベッドへ背中から倒れ込んだパーラはそのまま足をばたつかせると、まるで引退する力士のような言葉を口にして動かなくなってしまった。
そこそこの時間、ああして訓練をしていたが、可変籠手を復元するよりも先にパーラの集中力が分解されたようだ。
あくまでもあれは訓練であり、なにより一日二日で終わる作業ではないのだ。
潮時だとして、今日のところはここまでとする。
若干不貞腐れた空気を出すパーラを宥めたら、この後はパーラも交えて、皇都への旅の計画を立てるとしよう。
それから旅の準備を整え、ファルダイフを発った俺達は皇都まで一直線で向かった。
飛空艇の旅は風にも恵まれ、予定した日数を幾分か短縮して目的地へ到着したその足で、すぐに宰相へと面会を願い出る。
ダンガ勲章はこういう時に効果は抜群で、さほど時間がかからずにハリムの下へと通された。
そこでファルダイフで起きた事件の触りとパーラの怪我のことを伝え、どうにか法術での治療を受けさせてもらえるように頼みこんだ。
いきなり訪ねてきても歓迎する雰囲気だったハリムだが、この俺の急な頼みはやはり容易なものではないようで、小さく唸ると黙考するように腕を組んで目を瞑ってしまった。
執務室の空気が少し重くなったまましばらく経ち、ようやく目を開いたハリムは、射抜くような鋭い目で俺達を見てきた。
「お前達がどれだけ理解しているかは分からんが、法術というのはこの国でも極一部の人間にしか与えられない恩恵なのだ。相応の対価を差し出して初めて、法術士を動かせる。わしが言う対価というのが、いかほどのものかは想像できるな?」
「多少は聞き及んでいます。金銭であったり、希少な鉱物や特殊な薬剤などを対価に求められることがあると。それを賄うことが出来た上で、ようやく治療を受けられるとも」
「左様」
法術が一般に開放されていないのは、権力者が独占しているのも一因だが、他にも法術士に多くの制限がかけられているからとも聞く。
それは特殊な術理によるなんらかの制限に加え、ペルケティア教国の意向によるものも相まった複雑なしがらみが法術士を縛っているらしい。
「金銭であればまだいい。高額であってもありふれた貨幣を差し出せばよいからな。しかし調達が難しいものを要求されると、とたんに難題が立ちはだかることとなる。ゆえに、一年の内で法術士の治療を受ける枠というものをワシらは決めておるのだ」
「その枠にパーラが割り込む余裕はないと?」
「うむ、現状では空きなど…いや、一つだけ手はあるな」
神妙な顔のハリムだったが、妙案を思いついたのか不敵な笑みを浮かべて俺を見てきた。
こういう時、大抵俺にとってはあまりいい話が出たためしはないのだが、一応聞いてみよう。
「それはどのような?」
「なに、簡単な話だ。アンディ、ソーマルガ皇国に仕官せよ」
「…どういうことですか?なぜ急に仕官の話を」
脈絡がない突然のハリムの言葉に、俺は一瞬宇宙を幻視しかけたが、なんとか気持ちを持ち直す。
せいぜい対価としての何か希少な素材を取りに行かされるぐらいは覚悟していたのだが、どんな絵図を描いてそんな提案が出てきたというのか。
「急な話ではないぞ。ワシは以前からお前をソーマルガに欲しいと言っていただろう」
「それは覚えてます。俺が言いたいのは、何故今その話を……なるほど、そういうことですか」
投げかけた疑問を途中まで言いかけ、ハリムの意図に気付いた。
「仕官すれば、俺はソーマルガ皇国では士分の扱いとなり、さらにダンガ勲章で身分は高位貴族に格にぎりぎり迫れる。さっきの枠にも押し込める希望はある、と?」
士分とはすなわち、騎士などのような貴族の入り口へ立つ身分のようなものだ。
普通ならここから下積みを経て、有力者のコネや分かりやすい実績を持って偉くなっていくのだが、俺はスタートダッシュを決めることが出来るアイテムとして、ダンガ勲章を持っている。
異例とはなるが、ダンガ勲章に付帯する特権を盾にごねればあるいは…。
「加えて、ワシが後見につけば各方面へ話は通しやすい。パーラの治療は期待していい。どうだ?ワシのこの案以外に手があるなら聞くぞ」
そう言われては、他にアイディアもない俺は黙るしかない。
俺達の希望を満たすには、現状では最適とも思える超えた絵とは分かりつつも、しかしすぐにそれへと飛びつくのが躊躇われる。
ハリムはこの件を使って、俺を自国へズブズブに取り込もうとしているのは間違いない。
以前もハリムから仕官を誘われたが、冒険者としての現状に満足し、国に仕える意義が薄かったこともあって断っていた。
だが今、パーラのためにはその道を選ぶ必要があるわけで、そこに誰かの企みが潜んでいるなら警戒もするのだが、選択肢が少ないとなれば他に選びようもない。
「…わかりました。仕官の件、何卒良しなに。ただ、それはパーラの治療に目途が立った上でと、お願いしたく」
「うむ、よかろう。よくぞ申した。正しい決断だ」
首を垂れ、仕官を受け入れることを伝えると、ハリムは満足そうな笑みで鷹揚に頷いた。
この狸爺めが。
そこそこの付き合いもあり、身内の情を絡めれば俺をコントロールが出来ると見抜かれてもいるため、まさに今回の件を上手く使われたわけだ。
「アンディ…仕官って、本気なの?もう旅はおしまいにするってこと?私のせいで」
それまで俺とハリムの会話を聞くだけだったパーラだったが、ここで初めて重苦しく言葉を吐く。
眉を寄せながら、動く方の手で俺の服の裾を握っているのは不安の現われか。
今日まで一緒に旅をしてきたのがここで終わることへの虚無感と、その理由が何かを自覚しての罪悪感でも覚えていそうに見える。
自分の怪我のために、相棒がその身を差し出すのに何も思わないわけはなく、しかし同時に、治療のあてが出来たことへの希望がパーラの心を複雑にかき乱しているのかもしれない。
「お前のせいって言い方は気に入らんが、国に仕えるってのはそういうことだ。冒険者家業はおしまい、さらば、自由を友とした大いなる旅よ!ってな」
沈んだパーラの表情が見るに堪えず、少し大げさな言い回しをおどけて言ってはみたが、効果はあまりなかった。
パーラのためというのは間違いないが、それでも決めたのは俺だ。
あまり気に病むことではないのだが、パーラはさらに顔を伏せてしまった。
こいつの性格的に、ここで気にするなと言ってもあまり効果はないか。
どう慰めるか言葉を選んでいたその時、パーラが決意のこもった表情を浮かべると、ハリムへと詰め寄るように身を乗り出しながら声を上げる。
「お願いハリム様!アンディが仕官するんだったら私も雇って!同じ待遇じゃなくていいから、せめて一緒に!」
まるで縋りつくような声は親から引き剥がされる幼子の悲鳴のようでもあり、そこには俺と共にいたいというパーラの分かりやすい願いが強く出ている。
その気持ちは嬉しく思うが、ハリムが求めているのはあくまでも俺であり、パーラを一緒に雇ってやる義理と理由が釣り合うかは流石に―
「ほう、なるほど…うむ、よかろう。アンディと共に、ソーマルガへ忠を捧げるがよい」
「やった!」
ないだろうと思っていたのだが、あっさりとハリムはパーラの願いを聞き入れてしまった。
そりゃまぁ俺だってパーラと一緒にいられるなら嬉しいが、だとしてもブラック企業も真っ青な宮仕えにパーラを巻き込むとなれば話が別だ。
「ちょっとハリム様、普通に承諾したらダメでしょう。俺だけだから腹を括れたのに、なんでパーラも道連れにしなきゃならないんですか」
ひどく簡単に俺の相棒の未来を闇に落とそうとするこの悪辣な宰相に、一言言わずにはいられない。
「道連れとはなんだ。本人が望んでいるのだからいいではないか」
「そりゃそうですけど、パーラのためにこの身を犠牲にした俺の覚悟ってものが…」
「ばかもん、本来なら仕官というのは願ってもそうそう上手くいかんものなのだ。それをお前は、請われているのを断るなど、どうかしているぞ」
それを言われたらぐうの音も返せん。
平民の仕官が狭き門のこの世界、普通なら勧誘がきただけでも末代までの誉れと小躍りするほどなのだ。
宰相直々の誘いを蹴っている俺が異例なだけだ。
「言っておくが、何もワシは適当に決めたわけではないぞ。あれでパーラも中々に得難い人材だ。優れた魔術師であることに加え、飛空艇の操縦士としての経験も豊富とくれば、使いどころはいくらでもある」
確かにパーラ個人として見れば、人材としての価値はかなりのものだ。
ハリムが言った通り、戦力としては勿論、飛空艇の操縦経験もこの国の正規パイロットに負けておらず、テストパイロットとしてならダリアが今すぐにでも欲しがるレベルだ。
それがまるで駄菓子のおまけのように俺とセットで手に入るのなら、ハリムも笑いが止まらんだろう。
今からどうにか撤回してもらうのも、この反応を見た限りでは難しく、これでパーラも俺と共にソーマルガの犬へとなってしまったか。
「さて、略式ではあるがこれよりお前達をワシの下につける。その上で、まずはパーラの怪我を法術士へと見せに行くとしよう。正式な治療はまだだが、先に診断くらいはしてもらえるだろう」
俺と話をしながら作っていた書類を二枚仕上げると、ハリムはそれを執務机の引き出しに大事そうにしまう。
きっとあれには俺とパーラの処遇が書かれているに違いない。
治療が済んだらどうにか盗み出して破棄することも考えたが、引き出しにしっかりと鍵がかけられたのを見てそれも諦める。
あの執務机はああ見えて魔道具の一種で、実はあそこの引き出しはこの部屋で一番厳重に守られている。
下手にこじ開けるのも難しく、重厚な執務机は移動させるのも一苦労となれば、もう手出しは出来ないと判断していい。
一仕事を終えた満足感からか、意気揚々といった様子でハリムが立ち上がり、執務室の外へ向けて歩き出す。
恐らく法術士がいる教会へ向かうのだろう。
その背中に、同じく上機嫌のパーラが続く。
怪我の治療もそうだが、俺と一緒に働くのが楽しみだとでも思っていそうなパーラに若干呆れながら、俺も二人の後をついていく。
ハリムが言った正式な治療とやらがいつ受けられるかは分からないが、その時までに身辺整理でも進めておくべきか。
色々と背負うものはあるが、一先ず治療の目途が付いたのはありがたい。
ただ心配なのは、パーラの治療に際して教会側がどれほどの対価を求めるかという点だ。
ハリムは金銭で事足りるなら容易いとは言ったが、その額については口にしていない。
希少な術を施すのに安い金額なわけもないだろうから、負担できるなら俺達がした方がよさそうだ。
特殊な素材や無理難題が出た場合は、その時にまた考えよう。
口座にはまだかなりの額が眠っているので、それで賄えるなら全部出してしまってもいい。
むしろそれを材料に、仕官の条件を色々と調整するのもありだな。
任期の短縮やら職務の軽減等、そこらを絡めてハリムとの交渉も念頭に入れておくとしよう。




