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世の中は意外と魔術で何とかなる  作者: ものまねの実


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全身の関節をフル駆動すれば突きは音速を超えるらしい

 暗殺者という連中は利便性の関係上、長柄の武器を使うことがまずない。

 秘かに対象を殺すという目的のために、寝静まった夜の枕元に立ったり、あるいは人影のない場所で背後からサクリとやるには、短剣やロープなどで十分に用が足りるからだ。

 携帯性に加え、長剣よりも短剣の方がコストがはるかに安いというのも理由の一つではあるが。


 だからといって暗殺者が全く長剣や槍を使わないというわけではなく、必要があれば得物を選ばず対象を殺すぐらいの柔軟さはあるし、技量も十分なものを持っている。

 神出鬼没で殺害の手口が特定できないことこそ、暗殺の恐ろしい点と言える。


 さらに言えば、暗殺の手口で誰がやったかバレるのは、暗殺者としては二流もいいところ。

 名前だけならまだしも、特徴的な殺害方法まで知られているのなら、ちょっと隠れるのが上手いだけの無頼の輩と変わらない。

 実在しないとされることこそが一流の証と言え、実在しないからこそ記録にも残らず恐れられるのが真の暗殺者だろう。


 その点で言えば、目の前の灰爪と名乗った男は、暗殺者としては一流とは決して言えない。

 武器も剣を好んで使っているようだし、戦い方もかなり派手だ。

 お前のような目立つ暗殺者がいるかと叱りつけたい一方、剣士として見るとこれがなかなか侮れないレベルの敵となる。


 多少荒いが整った剣閃を振るう灰爪は、明らかに剣術を修めたらしき匂いがあり、正面から戦うのならその実力は確かなものだ。

 突きを主体にしたスタイルは狭所における強みがあり、室内の暗殺でも上手く噛み合っていたに違いない。


 現に今、その高速で放たれる突きに身を晒している俺は、狭いバルコニーという場所もあって、攻め手に欠ける時間を強いられていた。

 これで灰爪が突きだけに頼っていれば話は違ったが、時折斬りと払い、拳や蹴りを使っての攻撃も織り込んできていて、一つの技だけを警戒すればいいというわけでもないのがまた厄介だ。


 中でも突きが最も脅威なのは確かで、他の攻撃は最低限の警戒でも十分だが、単体でも強烈な威力の突きは、特に防御と回避には気を使わなければならない。


 そして今、灰爪が振るった剣は一連の流れからパターンを変え、下からすくい上げる軌道で銃弾のように俺へと迫ってきていた。

 普通に受け止めては防御ごと食いちぎられかねない勢いの突きを、可変籠手の刃を交差させて作った即席のレールに沿わせていなすと、衝撃をいくらか軽減された灰爪の剣が、ギャリンという音を立てて大きく上へと逸らされる。


 たった一発の突きだが、そこに込められた威力はこれまで防いできた攻撃に比べると段違いで、ほぼ完璧に衝撃を逃がしたと思ったはずの俺の手には、無視できない痺れが残っているほどだ。


「ほう!今のを防ぐか!魔術師のくせに大した剣の腕だな!」


 手の痺れに顔が歪みそうになるのを気力でこらえ、なおも襲い掛かる突きを捌いていくと、灰爪の感心したような声が耳を叩いた。

 恐らく会心の一撃と言っていいのを防がれたというのに、焦りも落胆も見せずにむしろ俺の腕を褒めるあたり、こいつ自身にはまだまだ余裕があるようだ。


「魔術師だからといって、剣が不得手という理由にはならんだろ!あんた、今まで随分とぬるいのとしかやりあってきてなかったと見える!」


「そうかもな!俺とここまで戦えるほどとなるといつ以来か!それだけに!貴様を倒せる俺の強さの証明を想像すると、震えがきそうだ!はっはっはっはっはっは!」


 何が楽しいのか、口が裂けたような笑みで声を挙げながら、さらに剣速が上がる。

 奴は今強さの証明と口にしたが、恐らく俺を強敵として認めた上で倒すことにより得られるなんらかの快楽が、この攻撃の激化を促したらしい。

 こいつも戦いに快楽を見出すタイプだとは分かっていたが、敵を倒すことで己の強さを感じたいという、一種の変態だというのがこれで確信できた。


 そんな変態の上げる耳障りな声と共に繰り出される突きは、まるでマシンガンのようで、余裕をもって防げていた一瞬前とはうって変わって、防御の手が些か不足気味になってしまった。


 それに対応するため、両手を刃にしていた可変籠手の内、左手の方を盾の形態へと変える。

 向こうの速度が上がったため、刃で弾くだけでは零れる攻撃が出てくるのを恐れ、一部をこの盾で受け止めるスタイルへと切り替えた。


 そうしてほとんどの突きは刃でいなしつつ、防ぎきれないものは盾に受ける。

 盾で防ぐと衝撃ごと受け止めることになるため、あまり多く盾に頼ると見えないダメージが肉体に蓄積しかねないので、盾はあくまでも保険のつもりだったのだが、灰爪の技量の高さから盾の出番は多い。


「…その籠手、盾にもなんのかよ!?どういう仕組みだ?益々欲しくなってきたなぁおい!」


「うらやましいだろ!」


 戦闘中にも機能を求めて即座に形態を変えられる可変籠手は、戦いを生業にしている人間にとっては実に魅力的だ。

 特に、武器をそれと分からずに携帯できるという点は、暗殺者にとって垂涎の的に違いない。

 こいつが可変籠手に執着するなら、俺を殺して奪い取るという選択肢も普通に持ち合わせているはずなので、さぞやこの戦いにも気合が入ることだろう。


 まるで呼吸など気にも留めていないかのような間断が無い剣撃は、なおも俺の命を奪おうと暴れているが、こちらも盾で防御のバリエーションが増えたことによる若干の余裕から、灰爪のこの恐ろしく速い突きの正体がわずかに見えてきた。


 後ろへ引いた腕が前へと伸ばされることによる剣の速度は、下手をすればライフル弾にも勝るのではないかというほどで、魔術以外で人体が生み出せるエネルギーとしてはまさに破格と言っていい。

 このレベルの攻撃を操っているとなれば確実に身体強化は習得しているはずだが、その上でこれほどの威力を生み出すには、もう一手地力での何かがあるに違いない。


 どうやってそれを成しているかを考えるに、ここまでの攻防で向こうの体捌きを観察した結果、恐らくその秘密は下半身にあると推測した。

 灰爪が突きを放つ際、二発ごとに足先から腰と上半身が連動して動いているのが分かる。

 これはあらゆる攻撃においても共通するように、地面に接した足からスタートする回転が最終的に武器に勢いを上乗せする仕組みと矛盾していない。


 ただ、灰爪が行うその足先の動きはかなり複雑で、前に出した突き手が引き戻される間には既に次の攻撃のための運足が行われており、絶え間なく繰り出される攻撃はまさにこれのおかげではなかろうか。

 まるでタップダンスのような、高速でありながら規則性を匂わせる足の踏み込みには、明らかに何かしらの技術が含まれているとしか思えない。


(1…2…飛ばして4……だめか、リズムが変わりすぎてる)


 防戦一方の状況を打破すべく、踏み込み方から攻撃のパターンを読み取ろうと試みるも、視界の悪さもあって完全に読み切ることは出来そうにない。

 そもそも相手の足と手元を同時に視界に入れるには睨みあう距離が近すぎるし、何より全ての動作が早すぎる。


 辛うじて耳が捉える音と攻撃を受け流す際の手応えから何となく次の攻撃に予想は立てられるが、それでもこちらが打って出る材料には不十分だ。


 だがしかし、いつまでも防御ばかりしているわけにもいかず、どうにかして攻勢の切っ掛けが欲しいと悩んでいると、部屋の奥から騒がしい音が聞こえてきた。

 俺と灰爪はその音を聞き、どちらからともなく攻撃の手を止めると、相手の様子を窺いながら耳をそばだてる。


 ―宿泊客が一、賊が一の計二名!どちらとも判別できない以上、両方を捕縛だ!


 聞こえてきた声は、恐らくこのホテルの警備員だろう。

 アルメンらがここから避難した際、俺の襲撃をホテル側に伝えたのか、室内を鎮圧するためにやってきたらしい。

 明りの乏しい中、敵味方の判別が難しい以上は区別なく捕縛するのは正しい判断だ。


 だがそうすると、この部屋を襲撃した俺は確実に有罪なので、出来れば捕えられるのは避けたい。

 灰爪に関しては、後ろ黒いところはあるとしても、正式なホテルの客の一味なので、俺と違って捕えられたとて即座にお縄とはなるまい。


 つまり、今ここに警備員が踏み込んでくると一番困るのは俺ということになる。

 よもや職務に忠実な人間に手を出すなどと、良識ある俺にはできないししたこともない。


 どうするべきか逡巡していると、灰爪が大きく剣を振るうと一歩下がり、徐に剣を鞘に納めた。

 そして、深い溜息を吐くと、バルコニーの外へ指先を向けながら口を開いた。


「…いいところだったんだが、仕方ない。どうだ?場所を変えてやり直しといきたいのだがね」


 突然ここから離れることを提案してきた灰爪に、何か企んでいるかと疑いの目を向けるが、どうもそんな風でもない。

 何となく感じたが、本来なら賊である俺を警備員に差し出せばいいものを、この戦いを楽しみたいから邪魔はごめんだと、そんなあたりか。

 流石バトルジャンキー。


「へぇ、いいのか?今なら廊下の連中に俺を差し出したら、あんたの勝ちで終わるぜ?」


「そんなのを勝ちなどと呼べん。せっかくの楽しい時間だ。くだらん邪魔など入らない場所で、もっと楽しもうじゃあないか」


 俺自身、別に戦いを楽しもうというつもりはないが、この男に関しては絶対にシバくと決めているので、ここで誘いを蹴る方が損が大きい。

 ホテルの警備員とかち合う前に、場所を変えて仕切り直しというのはこちらとしても望むところだ。


「…いいだろう。場所は俺が決めても?」


 仕切り直しを言い出したのは灰爪の方なので、移動先の選定は俺に権利があってもいいだろう。


「構わんよ。好きな所で。あぁせっかくだ、人目の少ないところで頼む。また邪魔が入られてはかなわん」


「善処しよう」


 夜という時間では、そこらを歩いている人間など早々いないが、一応人目を考慮した上で戦闘に支障のない場所を選びたい。

 加えて、このバルコニー程度のスペースでは、超近接戦闘を強いられて俺に大きく不利だ。

 こっちに決定権があるのなら、せめてもう少し広い所がいい。


「まずは下に降りる。ついてこれるな?」


 バルコニーから身を乗り出し、眼下の暗闇を見る。

 地面までの高さはおよそ二・三十メートルといったところか。


 今の俺は噴射装置を身に着けていないが、これぐらいの高さなら問題なく着地できる。

 念のため、灰爪にも生身での降下の是非を尋ねてみた。


 場所を変えると言い出したのはこの男の方からだ。

 まさか、階段を使ってのんびり下まで行こうなどとは言うまいな?


「当たり前だ。これぐらいの高さで無様に死ぬほど軟じゃない」


 特に気負いもなく、事実だけを口にする灰爪のその言葉に、俺も特に何か反応することはせず、そのままバルコニーから空中へと体を飛び出させる。

 それに合わせるようにして、灰爪も俺の後に続く。


 俺達が飛び出すのとほぼ同時に、室内に大勢が立てる乱暴な足音を背中で聞いた。

 警備員がついに突入したようだが、間一髪のところで俺も灰爪もそこを離れていたため、きっともぬけの殻となった室内に首を傾げることになるだろう。

 こんな夜遅くに、お疲れ様。


 バルコニーを後にした俺は、重力に魂を引かれながら着実に地面へと向かっていく。

 夜の冷たい風が切り裂くように俺の顔を撫でるのを感じていると、不意に小さな金属音が聞こえてきた。

 この音は俺がバルコニーを飛び出すのとほぼ同時に下へ投げたナイフが、地面の石畳とぶつかって立てた音だ。


 その音を合図に、地面がもう目前だと判断して着地の準備に入る。

 両手の可変籠手を砲形態へと変えて、下へ向けると同時に衝撃波を一気に発射する。


 ボシパッという音と共に、ロケットブースターのように地面へ向けて放たれた衝撃波は人体の落下速度を大幅に減じる効果を十分に発揮し、俺の体はやや強めに両足を石畳へ打ち付ける程度のダメージだけで着地を果たすことに成功した。


 そんな俺の着地に少し遅れて、やや離れた位置に灰爪が落ちてきた。

 俺と違って特別な道具など持っていないと思われていた灰爪が、一体どんな風に着地を果たすのかと若干の興味を持って見てみる。


 落下の勢いそのまま、足先から順に、膝・腰・肩・背中と五点をそれぞれ地面に落としていって、最終的には地面を転がって衝撃を逃がすという、ある種究極に平凡な受け身による着地で見事に奴は降り立っていた。

 褒めるのは癪だが、実に見事な着地だ。

 あのレベルの五点着地なら、百メートルの高さでも無事な着地を保証できる気がする。


 そんな感心を抱きつつ、ふと奴が立ち上がるまでのこの隙に攻撃できないかという欲が湧き上がって来た。

 正々堂々にこだわりがない俺にしてみれば、わざわざ地面に身を投げ出しているその状態はチャンス以外の何ものでもない。


 電撃でも飛ばそうかと企んでは見たものの、その考えをすぐに捨てる。

 なぜなら、灰爪の奴は転がっていながらも腰の剣には手を添えており、このタイミングでも決して油断はしていないというのがよく分かったからだ。


 仮に今、雷魔術を発動させたとしたら、灰爪を感電させて戦闘不能にさせることは可能かもしれない。

 しかし同時に、雷魔術を躱されるか、あるいは発動を潰されて終わるという可能性も覚えてしまう。

 さっきまでの戦いでも十分に感じていた通り、こいつならそれをやりかねないという嫌な信頼がある。


 攻撃をすることなく、ジッと灰爪を見ていると、不意に奴の顔がこちらへ向く。

 フードに隠れて見えないはずの目が、俺に視線を合わせてきたような気がして、さらには微かに見えていた口元が笑みの形に歪んだ。


 どうやらこの男、今の隙に俺が攻撃してくることも、一つの可能性としては読んでいたらしい。

 それすらも楽しもうとしていたのか、俺が手を出さなかったことに物足りなさと同時に納得もしているのかもしれない。


 お互いに視線が一瞬交差し合い、しかし何か言うでもない僅かな時間が過ぎたところで、俺は顎をしゃくってホテルの敷地外へ延びる道の先へと移動を促す。

 魔力で強化した脚力により、高速で駆けだした俺の後を灰爪もまた平然と同じスピードで付いてくる。


 ここでもし、進行方向にいる俺が背後へ向けて魔術でも放てば…そんな考えが頭をよぎり、チラリと後ろを見た俺の目と灰爪の視線がまた合ったような気がした。

 顔が隠れているはずなのにそう感じたということは、俺のそんな考えなど当然のように看破されていると言っていい。

 二度企んで二度とも見透かされたような嫌な気分のせいで、このタイミングでは攻撃をする気もあっさりと失せてしまった。


 ホテルの敷地から出て真っすぐ大通りまで延びる一本道には、目立たないながらも無数の横道がある。

 その内の一本が、俺の目指す場所へと繋がる道だ。

 普段なら使うことはないであろう細い道をしばらく走り続けると、不意に視界が拓けた。


 辿り着いたのは、建物と建物の間に偶然生まれたような、周りを壁に囲まれた空き地だ。

 本来なら住民の憩いの場として活用されてもおかしくはないのだが、今この空き地には色々な資材が雑多に置かれていて、随分な散らかりようだ。

 動けないほどではないが、足の踏み場には少々困ってしまう。


「ふぅむ、少し散らかってはいるが、広さは十分か。ここでなら貴様も戦うのに不足はないということだな?」


 僅かに遅れてやってきた灰爪が周囲を見回し、納得したような声を出してこちらに顔を向ける。

 ここに来てすぐに剣の柄を握っていることから、既に戦闘へと気持ちは切り替えているようだ。


「さっきみたいに露台でやりあうよりはマシってだけだ。別にここになんかあるってわけじゃない」


「そうか?それにしては、なにか企んでいそうな顔をしている」


 灰爪の鋭い指摘に、ギクリとしつつも顔は無表情を保つ。

 確かに何の気なしを装ってここへ引き入れたがその実、この場所でこその企みが俺にはある。

 よもやこうもあっさりバレるとはこの男、剣の腕もさることながら、観察力もかなりのものだ。


「さて、どうかな。そう思うならそうなのかもな、あんたの中じゃ」


「なんだ、それは。気に入らん言い回しだな……まぁいい。どうせやることは変わらん。さぁ…続きといこうか!」


「ちぃっ!」


 こちらの目論見をどこまで見抜いているのか、灰爪に話しかけて探ろうと試みたが、すぐに戦闘態勢に入ってしまい、あまり情報は引き出せなかった。

 嬉々として剣を抜いて襲い掛かってきた灰爪を、こちらも可変籠手で迎撃すると、バルコニーでの戦いの続きが始まってしまった。


 相変わらず恐ろしく冴えた刃が襲い掛かってくるが、先程と違って今は回避手段の選択肢は改善されていた。

 周囲のスペースはバルコニーの時と比べてはるかに広く、狭い場所で強いられていたコンパクトな戦闘から解放されたことで、迫る剣に対処する手段も格段に増えている。


 この時点で、先程までの余裕綽々といった態度から一転、灰爪が身に纏う空気に焦りが滲みだす。

 場所が変わったくらいで自分に不利はないとたかを括っていたところ、俺の戦い方に明らかに大きな余裕が生まれていることで何かを感じ取ったらしい。

 あからさまに足元を気にしたような動きも見せていることからも、この場所での戦いは奴にとってあまり好ましいものではないようだ。


 一撃一撃は必殺の迫力を備えてはいるが、ホテルでの時よりかは脅威を感じられない灰爪の剣を可変籠手の刃で弾きつつ、周囲に置かれた資材を盾にしながら後退していく。

 すると灰爪はそれを嫌ってか、俺の動きに合わせて腕が伸び切るほどの突きで追ってくるが、周囲の色々な物が置かれている足場の悪さから、徐々に距離が出来る。


「くっ!」


 射程距離から外れる最後のあがきにと、灰爪は全身のバネを使った渾身の突きを放つが、残念ながらそれを決断するには一瞬遅かった。

 正確に俺の鳩尾を狙った突きは、しかしその正確さゆえに上体を少し逸らすだけで届くことはなく空振りに終わる。

 フードに覆われて見えないはずの顔が、悔し気に歪んだような錯覚を覚えたのはそう間違ってもいまい。


「どうした灰爪さんよぉ!随分と足元が不安そうだな!」


 灰爪と十分な距離が空いたおかげで、少しだけ一息ついたついでに、煽るような言葉をかける。


「ぬかせ!これぐらい屁でもねぇわ!くそが!」


 足元の悪さが随分と効いているようで、イラつきが隠せていない灰爪の声に、口元をニヤけさせてしまう。

 計画通り、と言わんばかりの顔をしている俺だが、実際はそんなことはない。


 実はこの場所は、ヒリガシニの連中を追っていた際に偶然見つけただけで、特にここで何かをしようと思ってはいなかった。

 ただ、バルコニーでの戦いで灰爪の剣術の肝は足裁きにあると見抜き、さらには向こうから場所の移動を提案した際に、ここでの戦いの有用性をあの瞬間に閃いたにすぎない。

 雑に言えば、ここを戦いの場に選んだ思い付きが上手く嵌ったというわけだ。


「はっはっはっは!そんな悔しそうに言うなよ!戦う場所を俺に任せたのはあんただろう!?だったらこの状況も受け入れろよ!そら!」


 動き回りながら、通り過ぎざまに壁際に立てかけられていた木製の杭を蹴り上げ、空中に浮いたそれを殴って前方へ飛ばす。

 俺を追ってきていた灰爪目がけて迫るそれは、当たればそれなりのダメージが見込める。

 しかし戦闘状態の灰爪がそれを食らうわけもなく、あっけなく剣で叩き壊された。


 今のを防がれたところで、特に驚きも落胆もない。

 牽制程度になればと放ったが、奴に通じるとは思ってもいなかったからだ。

 ただ、それによって生まれた一瞬の隙は何よりも価値がある。


 ほんのちょっぴりだけ出来た空白の時間に魔力を練り上げ、雷魔術を発動させる。

 奴が杭を迎撃したことで生まれた隙と、剣が届かない距離というアドバンテージを生かし、ここまでの戦いの中でようやく渾身の魔術を放つことが出来た。


 闇夜に煌めく一筋の閃光は、心許ないほどに細いものだが、そこに込められた威力は生物へ致命傷を与えるのに十分なものだ。

 どうあっても灰爪を捕えると確信していた電撃だったが、現実はそうはならない定めにあったようだ。


 魔術の発動を敏感に察知した灰爪は、すぐ傍にあった木材へ剣を突き立てると、それを手元に引き寄せて簡易の盾として俺との間に置く。

 威力よりも発動時間を優先した電撃は、多少厚みがある木材は貫通できず、灰爪へ何らダメージを与えることがないまま、霧散してしまった。


 電撃へ的確に対処した灰爪の判断に舌打ちをしてしまうが、反省はしても後悔は禁物だ。

 すぐに次の魔術の発動へと移り、今度は木材ごと撃ち抜く威力のためにより魔力を込めた魔術を準備する。

 発動までの時間はかかるが、幸いにして、俺と灰爪の間には視界を妨げる木材がいい壁となっている。

 邪魔されるよりも早く、強力な雷を放つことが出来るだろう。


 ―…九つ、暁闇を焼く羽……


 五指に電撃を溜めるように意識していると、目の前の壁の向こうで灰爪が何かを呟いているのが聞こえてきた。

 こちらに話しかけているというよりは、うわ言のようなその声に一瞬怪訝なものを覚えたが、すぐにその正体に気付いた俺の背筋に悪寒が走る。


 初めて聞く言葉ではあるが、その独特のリズムには覚えがある。

 灰爪が口にしているあの言葉は、まず間違いなく呪文の詠唱だ。

 加えて、姿は見えなくとも灰爪が纏う魔力の高まりが、離れている俺にも僅かにだが伝わってくる。

 この気配と詠唱の組み合わせとなれば、この後に魔術が発動されるのは確信できる。


 ―死灰を齎す炎鳥!


 驚きから僅かに身を強張らせてしまっていたその隙に、灰爪の詠唱は完成してしまった。

 まるで翼を広げた鳥のような形の炎が目の前の木材の壁を包み込むようにして広がり、一瞬でそれを灰に変えた勢いで俺へと迫ってくる。


 なんということだろう。

 この灰爪という男、てっきり生粋の剣士だと思いきや、実は魔術師でもあったとは。

 確かにあいつは自分を魔術師ではないなどと明言してはいないのだが、あの剣の腕で実は魔術師だったと思う人間がどれだけいるというのか。

 見事に騙されたわ。


 後悔と怒りを抱きつつ、迫りくる炎へ対処するために動く。

 炎への防御手段なら水魔術の一択だが、生憎この辺りには水場がない。

 少し探せば近くに井戸ぐらいはあるだろうが、ここまで水を呼び寄せて壁を作るには時間が足りない。


 土魔術で壁を作ろうにも、辺りには砂はあれど壁の材料になりそうな土は見当たらない。

 逃げようにもあの手の生物を模した魔術は追尾性能も兼ね備えてるもので、下手に背中を見せようものならあっという間に追いつかれて丸焦げにされる。


 …これはもう、どうしようもないな。


 いくつかの覚悟を済ませたのをまるで待ってくれていたかのように、ついに炎は猛威となって俺へと覆いかぶさって来た。

 視界を眩い赤で染め上げる炎が視界を埋め尽くし、俺の体は尋常ではない炎の中へと飲み込まれていった。

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[一言] >重力に魂を引かれながら ダカール演説!?
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