熊とシチューとフライ
ジネアの町から伸びる街道をユックリとバイクに乗って走る俺と、シペアが乗った馬についていく牛にヤギといった家畜の列がべスネー村を目指して一路進んでいる。
シペアから受けた依頼の報酬として、畑仕事に使うための家畜を貰うことになっていたので、それを今日べスネー村まで輸送することになった。
俺が一人でバイクで走った場合はほぼ1日で着いたのだが、今の速度だと4日はかかるだろう。
「あだっ!…っ痛ぅー」
シペアが先導する形で歩く動物の列を外敵から守るために、俺はバイクの機動力を使って周囲の索敵を行う必要があるため、街道ではなく脇の整備されていない場所を通るのだが、そのせいで時折車体が跳ねるような振動があると、俺の尻に走る痛みが嫌が応にも罪の意識を呼び覚ます。
「なんだ、まだ尻が痛むのか?」
シペアの操る馬に並走する形で追いついた俺に掛けられたのは呆れが混じった声だった。
「ついさっき叩かれたばかりだからな。昼までには腫れも引くかもしれんが、それまでは振動との戦いだな」
朝方に町を離れるとき、しっかりとオーゼルに見つかってしまい、昨日の罰として尻たたきの刑に処されて、その容赦のない張り手に俺の尻は爆弾を抱えた堕天使状態だ。
その光景をニヤニヤしながら見ていたシペアの様子に、俺を売り渡したのがこいつだと理解したが、よくよく考えれば昨日俺がしたことも大して変わらないかと思い、あまり強くは言えなかった。
とりあえず大人しく罰を受けたことでオーゼルの怒りも収まったので、晴れて自由の身となり町を離れて今に至るというわけだ。
「けど、姉ちゃんも一緒に来てくれればよかったのにな」
「仕方ないさ。オーゼルさんは遺跡の調査に加わるんだから」
一応オーゼルに同行するかを聞いたのだが、調査員との合流のために町を離れられないとのことだったので、俺とはしばしのお別れとなった。
シペアはジネアの町に住んでいるのでオーゼルと会う機会はあるだろうが、俺はべスネー村にいるから頻繁には会えないだろう。
ただ今生の別れではないのだ、また縁があれば会えると思うことで別れの辛さは耐えられる。
ユックリの移動というのは襲撃のリスクを考えるとあまりよろしくないのだが、道のりを考えると急ぐ事も出来ないので今の速度での移動が精いっぱいなのだ。
街道を通るとはいえ、獰猛な生物や魔物などの襲撃も十分にあり得るため、周囲の警戒は常に怠ってはならない。
今も進行方向では熊のような生き物が待ち受けており、完全に俺達を獲物として見ているため避けて通るのは無理そうだ。
熊の様な生き物といったのには理由があり、外見の特徴の大半から見ると熊なのだが、唯一腕が硬そうなうろこに覆われており、爪も鋭く長いものとなっているため実に凶悪そうなフォルムだ。
「今度は熊か。さっきの狼は俺がやったけど、今度はシペアがやってみるか?」
「うぇえ!?無理無理!見ろよあれ。あんなヤバそうなの俺には手に負えないって」
確かにいきなり自分の身長の倍以上もありそうな野生の獣とやりあうのは無謀だろう。
一応シペアにも実戦経験を積ませようと考えているのだが、本人は今まで荒事からは遠い生活だったため、いきなり言われても酷か。
ただまあ、先ほどから息を荒くしてこちらを睨んでいる熊にはそんな事情は関係なく、いつでも襲い掛かろうと姿勢を若干低くしているのがわかる。
そんな凶悪な生き物が多少離れているとはいえ、目の前にいては今連れている動物たちは怯えてしまっているので、早急になんとかしないといつ暴走を始めてもおかしくない。
「仕方ないな。なら俺がやるけど、よく見とけよ、水魔術ってのはこういう使い方もできるってことを」
一歩前に出て熊と目を合わせたままで対峙する。
向こうも俺が敵対行動をとったと判断したようで、意識が俺に集中したのが分かった。
今にも飛び出しそうな熊を対象に魔術を発動する。
「よう、どうした。随分息が荒いじゃないの」
通じるわけがないとはわかっていてとりあえず話しかけてみるが、当然反応が返ってこず、牙を剥き出しにして唸り声をあげている。
「今日は暑いからな。そんなんじゃあ喉が渇くだろう。一杯どうだい?」
ゴポオという音と共に熊の頭上から水を一気に顔の位置まで移動させてその位置をキープする。
実は歩いている内に水魔術を発動させ、作り出した水球を熊の頭上へとこっそり待機させていたのだ。
突然自分が水に落ちたかのような錯覚をしただろう熊はその場でもがくが、水の中にいるわけではないのでどうやっても浮かび上がることはない。
そうすると次は顔を覆っている水を手でどかそうとする動きに移ったが、流体を手で触れて動かすことは普通は無理なことだ。
話しかけていたのはあくまでも時間稼ぎ。
自分の身に何が起きたのかわからず、あっという間に顔全体を覆う水球によって溺れてしまった熊がその命を終えて大地に倒れ込む。
かなりの重量感のある響きがこちらまで届き、死んだと思われるがまだ水魔術は解除せずにそのまま維持しておく。
倒れたとはいえ、万が一まだ息があった場合を考えて暫くはこのままだ。
熊というのは意外と水中でも息が長く続くもので、この短時間でおぼれ死ぬことは普通はないのだが、今回は水魔術で操った水を口と鼻を通して肺にまで送り込むことで急速に溺死させたのだ。
「すっげー…。あんなヤバそうな熊でもこんなにあっさり倒せちまうんだな」
完全に死んだと判断したら早速シペアが死体に近付いて観察を始めた。
今回は外傷も無く仕留められたので毛皮が綺麗な状態で手に入る。
「生きている以上は呼吸をしている。水魔術でそれを妨害してやればどんな生物も倒せる。陸上に限るがな」
攻撃向きではない水魔術だが、俺の考えたこのやり方だとごく短時間で倒せるため、非常に暗殺向きだといえる。
シペアもその死に方から恐怖を覚えているようで、若干顔を青くしていた。
「もしも俺達にもこんな風にされたら死ぬしかないのか?」
心配する気持ちもわかるが、俺達に関してはその心配はない。
「顔を水が覆ったらそこに自分の魔力を流して操作すればいい。自分の魔力が混ざった水ならある程度の操作はできるだろうしな」
こういう理由から水魔術が使える人間にはこの手の方法は効かない。
そもそも、俺がやったように水球を維持して顔に張り付かせ続けるという技法は意外と高等テクニックだ。
考えたからすぐできるという代物ではないので、まず自分に使われてくるということはないだろう。
その他にも水魔術が使えなくても純粋な魔力を短時間で一気に放出するというやり方をすれば顔を覆っている程度の水なら散らす事も出来る。
もっと言えば、息がまだ続いている状態で術者に攻撃を仕掛ければいい。
普通の術者は攻撃を受けると集中が乱れて術の維持に支障が出るから、すぐに水は離れるだろう。
脅威が去ったことで家畜たちも落ち着きを取り戻し、再び街道を歩いて行く。
熊の死体は折り畳み式のリヤカーにのせて、牛に牽かせる形で持っていくことにした。
日が暮れるまで歩き続け、街道の途中に十分なスペースが確保できそうな場所があったのでそこで野営する。
牛馬ヤギのそれぞれ番で6組が入れるくらいに大きなカマボコ兵舎を2つ作り、そこにバイクと一緒に入れて餌と水を用意したら俺達が泊まる家の作成に入る。
こっちは遺跡のあった放牧地で建てたものをそのまま作った。
部屋が一つ余るが、いちいち人数に合わせて作り直すのも面倒なので、特にいじるつもりはない。
家に入る前にシペアにも手伝ってもらって熊の解体を済ませることにする。
血の匂いが散らばるのを防ぐために、ドーム型に囲った場所で行ったが、密閉した空間ではやはり匂いが凄いことになってしまい、辛い作業となった。
毛皮は綺麗に剥ぎ取り、なめすのはシペアがやると言ってきたので任せることにした。
肉の方は意外と量が取れず、今日食べる分以外は魔術で水分を抜いて干し肉にする。
色々試して何とかうまいこと作れるようになったが、正直あまり好んで食べたい仕上がりにはならない。
やはり干し肉は天然の風を使ってユックリ乾燥させるのが一番うまい。
脂身の少ない部分は干し肉に、それ以外は今日のスープにでも入れて食べようか。
内臓の使い道に関しては俺もシペアもわからないので、地面に埋めておくこととなった。
たしか熊の肝は薬になったと思ったが、こっちの世界でもそうなのかわからず、専門的な判断も出来ないので諦めよう。
この熊はどうやら魔物だったようで、意外と大き目な魔石が見つかった。
ビー玉ぐらいの大きさの魔石だが、綺麗な緑色の透き通った見た目からかなり純度が高そうだ。
「アンディ、毛皮の方は一通り処理できたぞ。あとは移動しながら出来上がりを見てこうか」
下準備を終えて報告をするシペアから手渡された毛皮を見ると、確かにしっかりと下処理が終わっており、裏側にも肉や脂肪が残っておらず、綺麗な仕上がりとなっている。
「ご苦労さん。こっちも肉を分け終わったから、こいつで夕飯にしようか。これだけあるんだから今日は豪勢になるぞ」
大量の肉を見てテンションの上がっているシペアと一緒に家に入り、早速調理に取り掛かる。
「アンディ、なんか手伝おうか?」
「お、そうか。じゃあこっちの鍋に水を頼む」
見ているだけよりも手伝った方が早く飯にありつけると判断したようで、率先して手伝いを申し出てくれたシペアに水の用意を頼むと、肉の処理に入った。
今回作るのは熊肉のシチューと熊肉のフライだ。
シチューは野菜と肉を切って鍋に放り込んで作るのですぐに煮込む工程まで行けた。
問題はフライの方だ。
パン粉が無いので、携帯食の堅パンを削ってそれっぽいのを作り、フライパンに解体で出た脂を入れて熱し、下味をつけた肉を投入して揚げ焼きのようにしていく。
卵が無いため衣の付き方が弱くなるが、それもまたいいだろうと思い次々と焼いて行く。
「見たことない調理法だけど、すげーいい匂いだな。あー…腹減って来たー」
漂う匂いにシペアなど涎が垂れ始めているのがしっかりと見える位だ。
皿一杯のフライとシチューが出来上がると今日の夕飯へと突入した。
まずはフライから頂くとしよう。
掌ぐらいある大きさのそれをフォークで指して目の前に持ち上げると、ずっしりとした重さがボリューム感を加速させ、一気に齧り付く。
サクッとした歯触りと、衣の離れがいいおかげで肉のジューシーさがダイレクトに口の中に広がり、熱い肉汁が跳ねるように口内へと行きわたっていく。
熊肉というのは季節によって味わいが異なるもので、今回のは甘味とフルーツのような爽やかな風味が特徴で非常に旨い時期のものだったようだ。
シチューも肉の旨味と野菜の甘さがしっかりと溶け込んでおり、一口すするとまた次をすぐに飲みたくなるほどに味わい深い物に仕上がっている。
今回は一緒に連れてきているヤギから乳がとれたのでそれを使ったクリームシチュー仕立てとなっているのだが、ヤギ乳の独特のクセが熊肉の旨味とマッチして何倍も引き立てている。
シペアは皿が置かれた瞬間からガツガツと食っており、真剣そのものといった顔で掻き込む姿を見るに、味が気に入らないということはなさそうだ。
旨い飯が食えて、安心できる寝床がある。
これで明日からもまた頑張れるだろう。