女心と異世界の夜
娼館のラウンジで客に拳骨を落とすという暴挙に出た俺に、エメラをはじめとして居合わせた誰もがショックを覚えてちょいとした騒ぎになりかけたが、パーラのことを説明してその場はどうにか治められた。
とはいえ、パーラがなぜここにきて、しかも俺を指名して買おうとしたのかはいまだ不明のため、事情を聞くべくエメラに娼館の一室を借してもらえるように頼んだ。
多分説教も加えそうなので、人目を避けたいのもある。
客が落ち着いたこともあり、厨房を少しなら離れても問題ないと判断したようで、微妙な表情のエメラから許可はもらえた。
ただし、なるべく早く済ませろとも添えられてしまった。
「で、お前はなんでこんなところに来たんだ?そっちの仕事は終わったのかよ?」
部屋に備え付けのソファにパーラを座らせ、その対面に座った俺はパーラがここにいる理由を尋ねる。
俺がここで働いているように、パーラもチコニアから紹介された先で働いているはずだ。
「そんなのとっくにだよ。今日の私の所は昼過ぎに終わったの。ていうか、大体の仕事って夜には終わるもんでしょ。娼館とか一部の業種が特殊なだけだって」
そりゃそうだ。
今の時間で開いてるのは酒場やら娼館といった、夜が本番という業種ばかりだ。
どうやらパーラは日が昇っている間の仕事という、俺とは真逆の世界で働いているらしい。
その生きざまは夜の世界の住人には眩しすぎる。
まだ初日だが。
「そういや、お前ってどこで仕事してんだ?」
「今朝話したじゃん。海側の港湾施設を仕切ってる商会の手伝いだよ、天地会と提携してるってとこの」
ファルダイフはカジノが有名だが、同時に大港湾都市としても知られている。
量産が難しい風紋船に比べ、数を揃えるのが比較的容易な帆船によって形成される流通網は、海を使った巨大なネットワークとしてソーマルガの動脈の一つとなっていた。
そのため、重要な港湾施設は国の管理下に置かれているのだが、港の規模が大きければそこに携わる人間の数も膨れ上がり、管理の手間もそれだけ増える。
ファルダイフの港湾でも重要エリアはソーマルガ皇国の管轄だが、それ以外に民間へ管理を委託している部分は少なくない。
そういった民間への委託先の一つが商人ギルドであり、天地会にも商人同士の繋がりで仕事が回され、チコニアを通してパーラが港湾施設へと派遣されたわけだ。
元商人の経歴もあり、現場の機微にも慣れやすいパーラをそちらに割り当てたのはチコニアの判断だろう。
「港ってぇと、俺はフルージで見たのが最後だが、こっちのもあんな感じか?」
「雰囲気は大体同じだね。規模は段違いでこっちのが大きいけど、そのせいで人手不足がひどくてさ。荷降ろしの人とかは結構いるからいいのよ。けど、現場の管理とか書類の作成なんてのはもう全然手が足りてないの。ちょっと計算が早くて書類の書き方も分かるぐらいの私に任せるぐらいだもん」
どうやらここの港では、所謂ホワイトカラーにあたる人材が不足しているようで、新参者であるにもかかわらず、パーラにも頼るほど深刻らしい。
あれだけの港を問題なく動かすには、末端の人間は勿論のこと、それを管理して操る人材もそれなりの数が必要となる。
商人ギルドから派遣されてくる人間なら、その手のノウハウを心得た人間も中にはいるかもしれないが、そうではないからパーラが愚痴る程度に便利使いされているわけだ。
「そっちも大変そうだな。そんな具合に今日一日色々と大変だったから、娼館で憂さ晴らしでもしようってか?」
初日からハードな仕事をこなしてきたと分かるパーラは、改めて見るとその様子から疲労の深さが窺い知れる。
冒険者として肉体的な辛さは耐性もそこそこついているが、精神的な部分には未だ弱いところがあるのだろう。
港で随分と気力を消費したのか、それを癒そうと娼館に来たというのは、流れとしてはおかしいものではない。
「え…―あ、あぁ、うん、まぁそんなところかな。あは、あは、はは」
しかしこの通り、俺の言葉に一瞬呆けるパーラには、そんな考えなどなかったというのは明らかだ。
もっと別の目的があってここに来たと思える。
誤魔化そうと感情の籠っていない笑いを零すその姿に、俺の口からはついため息が零れてしまう。
「はぁ~…ほんとは何しにここに来た?しかも俺を買おうとしやがって。どういうつもりだ?」
「…最初はさ、本当にちょっと様子を見ようかなって思ってたんだよ?アンディって、やらしいところあるじゃん?だから、娼館で働いたりなんかしたら、とんでもないことになるんじゃないかって…」
「俺は発情期の動物かよ。節度ぐらいあるわ」
性欲が全くないわけではなく、むしろ肉体年齢に相応しいものを持ち合わせているのは自覚しているが、それを御せる程度の自制心は持ちあわせている。
「まぁそれで店に入ってみたらそっち方面の男性も選べるってんで、じゃあアンディをって頼んだのよ。…今に思い返してみれば、ちょっと頭に血が上ってたのかも」
若干早口気味なのは気になるが、なるほど、なんとなく想像できた。
様子見に来ただけのパーラだったが、そのまま客として館に招き入れられ、女性ということから男娼を勧めてきた店の人間の言葉に乗って、俺の名前を出したといったあたりか。
娼館のラウンジは、性的な目的でやって来た人間が最初に集まる場として、少々特殊な雰囲気が漂う空間だ。
こういう所に慣れていない(はずの)パーラが、その雰囲気にあてられておかしな行動を取ってしまったのもわからんでもない。
それぐらい、娼館というのは日常から遠い場所なのだ。
「だとしてもお前、金貨三枚ってのは出しすぎだろ。俺の何にそんな価値を見出してんだよ」
こちらの世界の物価というのはかなり不安定な所もあるため一概には言えないが、円換算でおよそ三百万円をさくっと払おうとしたパーラはどうかしている。
もっとも、保有する資産からすれば大した金額ではないが、だからといって男娼を買うのに出すには額が大きすぎだ。
「だって、アンディの童貞がかかってるんだよ?私にとってはそれぐらいの価値はあるの」
むくれるようにそう言うパーラだが、こいつにとって俺の童貞が金貨三枚というのは、果たして高いのか安いのか微妙なところだ。
まぁ日常的に持ち歩くには最高額にあたる金貨三枚が、その時にポンと出せる最大の金額だっただけか。
しかしこいつ、俺を金貨三枚で買ってどうするつもりだったんだ?
まさか男娼としてそういうことをしようとしたんじゃあるまいな。
そのあたりを聞いてみたいところだが、これは男に対して『どこの店でどういうプレイをしたんだ?』と聞くようなもので、その恥ずかしさを想像すると追及するのが躊躇われる。
武士の情けだ、ここは聞かないでおいてやろう。
「とにかく、俺を買うとか考えるのはやめろ。そもそも、俺は男娼じゃなくてここの護衛として働いてんだからな。お前が駄々をこねるからこうして出てきただけだ」
そう諭すような俺の言葉に、パーラは唇を尖らせて不機嫌そうな顔を見せるが、少し間をおくと頷いてくれた。
こいつも悪気があって騒いだわけじゃなく、こういう場所で働く俺の貞操を案じてのことだというのは分かる。
俺としては、別にパーラとそういうことをするのが嫌だというわけではなく、ただ単にこういう場で客とキャストという形でことを迎えるのに抵抗があっただけだ。
今日まで長い時間を一緒に過ごし、家族と同じかそれ以上に親愛を築いているこの関係性に、一線を越えることで訪れる変化が怖いのだ。
臆病だと笑われたっていい。
だがせめてもう少し、今のこの関係性で過ごす時間に浸っていたい。
「アンディ、そろそろいいかい?客も増えてきたし、いい加減この部屋も使いたいんだがね」
気が付くと随分長くパーラと話していたようで、エメラが部屋へやってきて退室を求めてきた。
ラウンジの方では男と女が交わす愛の囁きがかすかに聞こえてくるほど、静けさは失われつつあるようだ。
「あぁ、すみません。すぐに出ます。…とにかく、お前今日はもう宿に帰れよ。男娼を買うってんなら…あれだ、俺がいない時か、別の店でしろ」
なんとなく、パーラが男娼を買うというのに嫌なものを覚えたが、それを強く制止する権利は俺にはないため、躊躇いを覚えつつ、せめて俺のいない時にやってほしいと伝える。
すると、それまで不満気ではあるが大人しかったパーラが、突然顔を赤くして立ち上がり、俺の胸ぐらをつかむ勢いで縋りついてきた。
「なんでそういうこと言うの!?私は男娼じゃなくてアンディが欲しかっただけなの!なんでそれが分かんないのさ!……もういい!私帰る!」
それだけ言うと、パーラは乱暴な足取りで部屋を出ていってしまった。
急に不機嫌になり、さらに怒りすら見せて去るパーラに俺は戸惑いを覚えるが、その感情の変化を正確に読み取ることのできない身としては、ただその背中を見送るしかできない。
すると、パーラが出て行ってすぐに、同じ扉からエメラが姿を見せる。
その視線はパーラの方を暫く見ていたが、次に俺へ向けられた顔には、分かりやすすぎるほどの呆れがあった。
「女心を分かってないねぇ、あんたは」
「はい?それはどういう…」
「どうもこうもないよ。あの子、随分と好いてるみたいじゃないか。わざわざここに来て、大金払ってまで惚れた男を手に入れようとした気持ちが分かんないほど、あんたは馬鹿なのかい?」
嘲るようにそう言われ、一瞬ムっとしてしまうが、しかしパーラが俺へ向ける思いに正しく報いているとは言えない現状、言い返す舌がない。
俺自身、鈍感な質ではないとは思っている一方で、向けられる純粋な好意に対して正面から応えるのに積極的とは言い難い。
「あんた、今いくつだい?」
「それが年齢を聞いてるなら、16と答えますが」
正確な年齢はともかく、ギルドに登録してある情報では16歳で間違いない。
「若いね。早いのだとそれぐらいでも所帯を持ってるが……いいかい、女が輝ける時間ってのは意外に短いもんさ。その中で好いた男と添い遂げられるなんざ、一体どれぐらいいるか」
人の感覚的に結婚適齢期が短いこの世界では、恋愛結婚というのは実はそう多くない。
貴族階級の政略結婚は勿論のこと、一般人でも当人同士の意志よりも先に、地縁血縁による婚姻が勝手に組まれているのも珍しくない。
中には下働きで仕える先の商人や貴族に見初められてというのもなくはないが、稀なケースだ。
特に冒険者なんかやっていると、特に男女ともに自立しているため結婚は遅くなる傾向にある。
俺達の知り合いだと、コンウェルとユノーがまさにそうだ。
「あのパーラって子も大体同じ歳だろう?好いた相手に真っすぐ気持ちをぶつけるのは、若い奴の特権さ。それにどうであれ応えるのは、思いを向けられた男の義務だと私は思うけどねぇ。それと……ほら」
しみじみと語っていたエメラだったが、手元をチラリと一度見ると大きく溜息を吐き、こちらへ何かを放って来た。
空中でランプの明かりを受けて輝いた三つの物体。
掴みとって見てみれば、それは金貨だった。
恐らく、パーラが支払っていたものだろう。
「知り合いに部屋を貸しただけで金貨三枚はもらいすぎだよ。次にあの子が来る時は、ちゃんと客としてこさせな」
そう言って、エメラは気だるげな様子で部屋を出ていく。
既に支払われた金を返す義理などないはずだが、パーラのことを思ってのエメラなりの気遣いだろうか。
実際は金貨三枚は俺達にとっては大した額ではないのだが、それを知らないエメラには、大金を握りしめてやって来たパーラに何か思う所があるのかもしれない。
パーラもアホなことをしたと俺がこのまま取り上げてもいいが、エメラに諭されるように教えられたパーラの気持ちも考えるとそうする気にはなれない。
後で宿に帰った時に少し話をして、この金はちゃんと返すとしよう。
開けっ放しになっている部屋の扉から、ラウンジの方で上がる歓声のような笑い声が聞こえてきた。
どうやら新しく客が入って来たようで、娼館の賑やかな時間はまだまだ続くようだ。
エメラにも言われたが、いつまでもこの部屋にいるのはまずいので、俺も自分の仕事に戻るとしよう。
娼館で働いて三日目。
美味い料理を出す娼館という、少し毛色の変わったところが噂として広がったおかげで、普段よりもずっと客の入りが増えた『愛のサーク』店内はここのところ賑やかな夜が続いていた。
元々いた馴染みの客に加え、噂を聞いた客が興味本位でやって来たことで、急増した客を捌くのに苦労するとエメラも愚痴を吐いていたが、売り上げとしては過去最高を叩きだしているらしく、嬉しい悲鳴だと思われる。
今日も厨房で調理をしている俺だったが、初日と比べて分かりやすい変化もあった。
それは、厨房全体の調理レベルが向上しているというところだ。
「アンディ、味見を頼む」
そう言って、出来たてて湯気を立てる小皿が俺の目の前に差し出される。
食欲をそそる芳しい香りは、ついさっきまで竈で作られていた料理で、それを作っていたのは元々この娼館で調理を担当していた者達だ。
今まで大した調理スキルが求められていなかったために、向上心もスキルアップのチャンスにも恵まれなかった料理人達だったが、初日に俺が出した料理の評判で客が増えるにつれ、自分達のやるべきことに意義を見い出し、俺に教えを請いつつ実地で料理の腕を磨いていたのだ。
俺より年上とはいえ、まだ若いと言っていい料理人達は、機会さえ与えれば意欲も育みやすく、熱心に仕事に取り組んでいた。
元々、食事と呼べるものを普通に作れるだけの腕はあったため、僅かな期間でも着実に料理人としての成長は見られる。
本来の調理の傍ら、一部任せていた調理の出来を確認するためにも、味見として出された小皿に注がれているスープを静かに呷る。
「…うん、いいですね。このままもう少し煮詰めてください。匂いに焦げ臭さが移らないよう、火加減には注意を」
「分かった」
上等とは言えない食材と、限られた設備でも工夫と手間暇さえかければなんとかなるものだ。
悪くない出来のスープに満足し、育ちちつつある料理人達に生暖かい目を向けてしまう。
あくまでも俺は臨時雇いの身であり、いつかはここを離れる時が来る。
そうなった時、ここを回すのは彼らの役目となるわけだが、料理人として成長したその腕を振るい、娼館を食で盛り立てていくという想像がなんとも面白い。
「はぁーお腹空いたぁ。ねぇ、なんか食べるものちょうだーい」
いつかよりも多少落ち着いたとはいえ、まだまだ調理に追われてる時間を過ごしていると、赤毛の娼婦の一人が厨房へと入ってきて、隅の方にあるテーブルへ着く。
ほんのついさっきまで客の相手をしていたのか顔には赤らみが残っており、事後の気配を感じさせるその姿は夜の蝶としての色気に満ちている。
慣れた様子でテーブルを独占するのは、実を言うと今日が初めてではない。
「またですか、ペトラさん。夕食はとっくに済ましてるでしょうに」
調理の手を止めないまま、すっかり見慣れた来客の姿に、料理をしていた男の一人が溜息とともに呆れた声を出す。
いつも食べ物を求めてやってくるこの女性はペトラといい、この館では比較的若い方の娼婦だ。
年齢は恐らく二十代そこそこ、整った顔立ちと眠たげな垂れ目、健康的な褐色の肌という組み合わせは、地球でいう所のオタクにやさしいギャルといった印象がある。
娼館で働く女性は稼ぎ頭だけあって、きちんと三食どころか、おやつすらつくほどに食事は優遇されている。
だがこのペトラはそれだけでは足りないと、客を取る合間にこうして間食をねだりに来るのだ。
それも毎日、決まった時間に。
「仕方ないでしょ、私ら男の上に跨って腰振ってんのよ?アンだけ動けばお腹だって減るっての」
グデリとした態勢でテーブルに身を預け、こちらを見ることなく吐かれた明け透けな物言いには流石の俺も眉が寄る。
娼婦にとっては日常のことなのでなんのこともないかもしれないが、未だ清い身の俺からすると奇麗な女性の口からそういうのを告げられるとなんだか居心地の悪さを覚える。
ただ、今のところ厨房まできて食事をねだるのはペトラだけで、他の娼婦は料理の注文を伝えに足を運んで来るぐらいだ。
勿論、客と一緒に食べているというのもあるが、それにしてもペトラは必ずやってくるのだから、どれだけ燃費の悪い体をしているというのだろうか。
とはいえ、このペトラの行動はいつものことなので、俺より前からここで働いていた料理人達はいつものことだと慣れた様子でとっくにペトラ用の食事を用意しており、彼女がテーブルに着いてすぐに料理は用意された。
湯気を立てておかれた皿には、店の客に出すのとは違い、食材の余りで適当に作っただけのシンプルな料理が盛られている。
それを見て、一瞬前までの萎れた表情が吹き飛んだペトラは生き生きとした様子に代わり、皿から漂う香りを胸いっぱいに吸い込む。
「お、来た来た。んー…いい香り。これこれ、こういうのでいいのよ、こういうので」
妙に真剣な顔をすると、ペトラがスプーンを手にして料理をがっつき始める。
よっぽど腹が空いていたのか、見ているこっちが気持ちいいぐらいの食いっぷりだ。
まさに今、ここでは厨房にいる一人の娼婦による、孤独のグルメが始まった。
「げるぇぇぇぇぇぇー…っぷぅ」
食事を終えたペトラが放ったのは、食事の感想や感謝などではなく、あり得ないほど長いゲップだ。
どうしたものか、この娼婦にマナーというものを叩き込んでやりたい。
エメラはどういう教育をしてやがる。
「あーおいしかった。なんか最近、料理がおいしくなったけど、これってやっぱりアンディ君のせい?」
「せいとはなんですか、せいとは。まるで悪いことみたいに」
丁度手の空いていた俺がペトラの皿を片付けていると、心外な言葉をかけられた。
非難しているわけではないが、その言い草たるや。
「悪いなんて言ってないわよ。前までが食べれるだけましってので、今はちゃんと美味しいのが出てくるのが嬉しいのよ。ねぇ、私らの寮の食事もアンディ君が作ってくれない?私からのお願い、ね?」
妖艶な目で自分の唇を軽くなでるような仕草をするペトラは、流石男を手玉に取る商売をしているだけあって、ねだり方は堂に入ったものだ。
そのちょっとした所作にも男として引き込まれるものはあるのだが、つい一瞬前までのクソだらしない姿を知っているだけに、その効果は半減している。
ただ、半減してはいても元の威力が高いため、強靭な精神力の持ち主でなければきっと靡いていたことだろう。
俺じゃなければ即死だった。
「俺は夜だけの雇われ料理人なんで、無理ですね。…というか、本来は料理人でもないんですが」
「そうなの?」
「ええ、元々この館の護衛で雇われてまして。館主から頼まれて、料理してるってだけです」
用心棒として雇われていながら、剣を振るうよりも鍋を振るっている時間の方が多いというこの矛盾。
ただ、俺がこちらで動いている分、酔っ払いや迷惑客の排除は他の用心棒が率先してやってくれているので、厨房で料理をしている方が気楽なのは確かだ。
「ふーん…兼業にしては大した腕ね。いっそ、料理人としてここにずっといたら?」
「魅力的な話ですが、冒険者はやめられませんよ。相棒も、一つ所に留まるよりもあちこち飛び回るのが好きみたいなんで」
正規の料理人とはいえ夜の営業となれば、かなり特殊な労働スタイルとなる。
あくまでも短期雇用だからやれているだけであって、これがこの先一生毎日となると、果たして勤め上げれるものだろうか。
安定した職業には魅力はあるが、冒険者というある程度自由が利く働き方は今の俺には合っている気がする。
「相棒って、前にここに来て騒いでた子よね?確か…パーラ?」
「ええ、その節はご迷惑をおかけして…」
娼館に来て料理人を男娼として指名したパーラは、ここではもうすっかり名が知られており、娼婦達の間では面白がられて度々話題に上がっている。
店で働く人間達が時折俺を指さして囁き合っている姿を見かけるほどで、正直恥ずかしい。
「そう畏まらなくていいのよ。深いところまで事情は知らないけど、ああいう情熱的なのは若い頃ならではよね」
「…ペトラさんにもそういう時期が?」
「んまっ、失礼しちゃう。私だって生まれつきスレた女だったわけじゃないわよ」
そう言って頬を膨らませるペトラだが、俺が言いたいのは若さゆえの情熱という部分があったのかというところだ。
正直、いつもぼへっとしてて食事の時にだけ目を輝かせる姿は、子供のまま大人になった典型としか思えない。
きっと、幼い頃と今のペトラにはそう違いはないと思うのは気のせいだろうか。
「それで、その子とはあの後ちゃんと話はしたの?なんか怒って出てったのを見てるんだけど」
「うっ」
「あら?その反応ってことは、あんまりうまくいってない感じ?なになに、どうしたの?なんかあった?お姉さんに聞かせてよ。ねぇねぇ」
急に眼を輝かせて迫ってくるペトラだが、何が面白いのか俺とパーラのことを聞き出そうとするその圧が凄い。
ただでさえ煽情的な恰好だというのに、無遠慮に近付いてこられるとリアクションに困る。
「…別になにもないですよ。ただちょっと、パーラとはあの後話せてないだけで」
女心を分かっていないとエメラに言われ、パーラとはちゃんと話をしようと思っていたのだが、実を言うと今日までそれは出来ないでいる。
なぜなら、娼館でのやり取りの後、パーラとは顔を合わせていないからだ。
あの日、俺が仕事を終えて宿に戻ると、パーラからの言伝が伝えられ、『しばらくチコニアと一緒に暮らす』とだけ言い残して以来、姿を見ていない。
娼館でのやり取りがパーラの何かに火をつけたというのは想像できるが、まるで家出のようなその行動に俺はどう対応したらいいのやら。
大人びていてもパーラはまだ二十歳にもなっていない少女であり、感情的に行動するのはこれが初めてではない。
時間をおいて落ち着けば、その内帰ってくるとは思う。
……多分。
一応、チコニアと直接会った際、当分は責任をもって彼女が預かるというので、同姓としてパーラへのフォローは期待したいところだ。
「フーン…でもその顔、女心が分からずに困ってますって顔よ?ちょっと私に相談してみたら?女の身からなにか教えられることもあるかもしれないでしょ?」
「うぅっ」
また俺の口からうめき声が漏れた。
俺の心を読んだとでもいうのか、まるで誘惑するようなペトラの言葉には一理を覚え、心が傾いてくる。
女性としての経験は職業柄豊富だし、確かに女心という点ではペトラにはアドバイスを期待してしまう。
ただ、俺とパーラのことを面白がっている節はあるので、果たしてこのまま相談してもいいのか、また新しいネタを提供するだけになるのではないかと、そんな不安は拭えない。
その一方で、ペトラへの相談という選択肢は、魅力をもって今俺の目の前で主張している。
笑い話にされるのを覚悟してパーラのことを明かすか、あるいは俺が自ら解決するか、悩ましいところだが…答えはすぐに出た。
ここは首を垂れ、パーラへの対応の正解へと導いてもらうとしよう。
俺なんかがウンウン悩むより、経験豊富で女心も男心もわかるペトラの力に縋るのが確実で手っ取り早い。
まさか娼婦にこういう相談をすることになるとは、意外ともそうでないとも思えるが、結局俺はペトラにマウントを取られるのも仕方がないという思いがどこかにはあった。
ゆえに、この流れも拒否感はない。
なにせ、五行相克でも、童貞は娼婦に勝てないと、かの陰陽師安倍さんも言っていたぐらいだからな。
知らんけど。




