娼館で働いても結局やることは同じ
人間が生きていくのに欠かせないものはいくつかあるが、文明の証として必要なものは主に二つだ。
それは美味い飯と性的なサービスだ。
美味い飯は言わずもがな。
多くの知識と閃きが積み重なった果てに完成する料理は、高度な文明を持つ人間だけが至れる境地と言っていい。
たった一品の料理が戦争を防ぐも引き起こすも有り得るほど、食にかける人類の思いは決して小さくはない。
イギリスのことは知らん。
そして、食欲と並んで人間が常に抱えているのが性欲であり、こちらもまた国の盛衰を左右するほど危険な欲求だ。
性欲がなければ人類は衰退していたのもまた事実で、それを力に変えて動くことも、また飲まれて全てを失うこともあるのは、不完全な人間ならではと言っていい。
生と死がご近所付き合いどころか肩を組んでいる世界で、性欲がいかに重大な働きをするかは考えるまでもない。
そこへ利を見出し、娯楽として性を提供する商売が生まれるのは自然の摂理だろう。
呼び名やシステムは違えど、娼館というものはどの国にも存在しており、大きな街なら四・五軒はあるそれぞれで異なる体験を味わえる。
支払いさえ問題なければ軽食やアルコールも提供されるため、外見だけを見ると派手な宿屋といったところだが、外も中も煌びやかな建物は人の欲望を体現していると言っても過言ではない。
所属する娼婦も普人種から獣人種まで様々で、非常に珍しいケースだがエルフが働いていることもあるらしい。
過剰な身体接触を含まない所謂キャバクラのようなものに始まり、とても口には出せないようなディープな性サービスに至るまで、金に糸目をつけなければ娼館ではあらゆる快楽を楽しめるだろう。
なお、男娼というのもいるにはいるのだが、こちらは大きめの娼館なら少数人は抱えているといったレベルの希少性だ。
どこぞのマダムが買い求めるかと思いきや、同性である男が足しげく通うケースが意外に多いとか。
これも多様性の一つの形だろう。
娼婦になるのに特別な資格や年齢制限などはなく、娼館に自分を売り込むかどこかの紹介で連れてこられるかの二通りが主な入門となる。
よくある異世界物だと奴隷がそのまま娼婦へとスライドすることがあるが、この世界だと奴隷は公的な財産であるため、奴隷自らがそう望まないと娼婦にはなれない。
これは法律で定められているため、違反がバレると当の奴隷と手配に関わった人間には厳しい罰が与えられる。
これにより、どこかから攫ってきた人を娼館に売りつけるということはまず起こらず、ある程度は良心的な職業選択の対象へと落ち着いていた。
勿論、世の中には法の抜け道を狙う人間は必ずいるため、非合法に売り飛ばされる人間を完璧にゼロにすることは出来ないが、被害を抑えることは出来ているはずだ。
体を売るという仕事に対するイメージというのはどの世界も似たようなもので、他の仕事に比べて下に見られがちな職業ではあるが故に、非常に多くの規制や法律が彼女・彼らを守っている。
そんな娼館の開店は、やはり日が落ちてからがスタートだ。
日中は閉ざされている扉が夜の訪れと共に開放され、客を誘うような妖しい光が灯された店内には、だらしのない顔をした客が訪れては、娼婦と共に個室へと姿を消す。
そしてしばらく時間が経って、客は賢者然として店を後にするわけだ。
特に法で定められているわけではないが、慣例的に娼婦が一日で取る客は四人から六人と決まっている。
それ以上は体力的にもきついため、店の方でも客の指名を絞って負担を調整するらしい。
単純に利益を求めるなら、使いつぶすつもりで一晩にもっと多くの客の相手をさせるのが手っ取り早いが、そうすると疲労がたまって接客の質が落ちるため、客の評判に響いてくる。
長く娼館を続けるのなら、キャストの体調管理は何よりも大事にするべきだろう。
一軒の娼館が抱える娼婦の数はそれぞれだが、大体はどこも三十人かそこらだとか。
最上位の高級店ならもう少し多いらしいが、ケアと管理にかかる手間を考えるとあまり数を抱えるのも難しい。
一つの街に娼館がいくつかあるのは、一店舗では面倒を見切れないのを分散させるためだろう。
店舗ごとに表に立てる人数を考えると、当然、人気の娼婦には指名が殺到するわけだが、一晩で相手をできる数が決まっているため、基本的には早い者勝ち。
大金を積むか何らかの力で事前に予約することもできなくはないが、かなり稀だそうだ。
娼館ごとにそれぞれ独自のルールはあるものの、大前提として支払いに滞りがないことと、娼婦へ危害を加えないという当たり前のことを守りさえすれば、誰もが一晩の愛を享受できるというわけだ。
もしもそれらのルールに違反するものが現れた時には、娼館が雇う用心棒の出番となる。
店舗として属しているのが商人ギルドだというのもあり、娼館の用心棒には傭兵がよく使われている。
冒険者を雇う場合もないことはないが、傭兵に仕事を回したい商人ギルドとしては斡旋するのはどうしても身内を優先しがちだ。
自然と娼館の用心棒は傭兵が担うことになるわけだが、ここに冒険者が全く食い込めないかといえば、実はそんなことはない。
単純に、商人ギルドを通さず、娼館側から頼まれて雇用されれば、冒険者であっても用心棒として働くことは出来る。
そして、今の俺は娼館の元締めである天地会から、チコニアを通して用心棒として雇われることとなっていた。
チコニアから仕事を頼まれた翌日、俺は昼間に愛のサークという娼館を尋ねた。
娼館は夜がメインということもあって、昼の店内は薄暗く静かなものだが、調度品や内装は城の一級品に勝るとも劣らぬ豪華さで、日が沈んでから明かりが灯るとさぞ煌びやかだろうと想像する。
ここのすぐ隣には寮のような建物が併設されており、店の人間はそちらで暮らしているそうで、この時間は全員が眠っているか夜に備えて英気を養っている頃だろう。
メインである娼館の建物自体は四階建てで、一階が客と娼婦が顔を合わせる場所となり、ここでペアとなった男女が二階と三階にある個室へ移動して男女の営みを始めるわけだ。
最上階である四階は館主の生活スペースと事務所のようなものとなっていて、俺はその四階にある一室で面接へと臨んでいた。
用意されていた椅子に座る俺の目の前には、しっかりとした造りの執務机を挟んで気だるげな様子で椅子の背もたれに身を預ける女がいた。
最低限の明り取りに窓が開いているぐらいの薄暗い部屋で、黒一色の薄手のドレスを纏う姿は、ともすれば魔女とと呼んでも差し支えない雰囲気がある。
彼女がこの娼館の主で、エメラと名乗った。
何となくだが本名ではない気がするのは、自分の名前を口にしたというのにどこか他人事のような気配が感じられたからだろうか。
編み上げた鈍い銀色の髪を、肩からざっくりと開いている胸元へと流している様には、妖艶さもさることながら、均整の取れた肉体を見られることになんら恥じることのない自信が溢れ出ている。
外見から普人種と分かるが、年齢としては三十代という、娼館を束ねるにしては些か若いように思えるものの、その身からは一つの集団を支配するのに分相応なオーラがある。
「ふぅー…白一級の、それも魔術師が来るなんてねぇ。それだけ上は警戒しているってことかい」
女館主はそう言ってこちらを一瞥すると、座っている椅子の背もたれへとさらに身を沈めるように体重をかける。
追加の護衛としてやってきたのが魔術師という、明らかに普段の娼館に詰めている用心棒よりも過剰と言える戦力であることに、今この街で起きている厄介ごとの匂いを改めて感じとったようだ。
「あんた、今のこの街の状況は分かってんのかい?」
こちらを見ることなく投げかけられたその言葉は、ここへ俺が送られた原因についてどれほど理解しているのかを探ろうというのだろう。
俺が持っている情報の鮮度によっては、ここでの採用を見送るのかもしれない。
「多少耳にした程度ですが。元々いた裏の人間と新興の非合法組織の勢力争い、と。片方の組織は天地会と付き合いもあるので、万一に備えて被害がでないよう、この娼館のような天地会系列の店には護衛を増員しているのだとも。そのぐらいですかね」
「ま、そんだけ分かってりゃいいさ。うちは最初に天地会の支援があって始めたから、どこと繋がりが深いかなんて誰でも知ってるし、別に隠してもいない。普通なら、裏の連中のいざこざなんざ知ったこっちゃあないけど、敵とつながりのあるのは全部攻撃しちまえってバカが出ないとも限らないしね」
店が掲げる看板には特有の模様や紋章を用いられ、自分の店舗が何を扱っているのかを示すと共に、どこかの商会の系列店ならそれを表す何かが刻まれている。
これは法律で決まっているとかではなく、商人同士が帰属を意識するために何となく始めたものが今も残っているだけだ。
この娼館にも、表の玄関の見えるところには天地会の関りを示す紋章か何かがあるはずなので、よほどのもの知らずでもなければ、天地会の息がかかっていることに気付かない者はいないだろう。
抗争の形は様々だが、最初の撃発は視野が狭く気が短い下っ端の構成員からであることが多い。
天地会への攻撃を無差別に行われた時、この店が狙われる可能性は決して低くはない。
「特にうちみたいな商売は色んなのが来るもんだから、一度何か起きればでかい騒動にまでなりかねない。だから護衛の増員を請いはしたけど……魔術師はちょっと大袈裟かねぇ」
ほとんどが男の客である娼館では、様々なトラブルが起きる。
目当ての娼婦を他の客に取られたとか、支払いを免れようとサービスにクレームを入れてきたりと、下半身で考えている生き物ほど娼館で揉め事を起こす。
そういうのは酔って気が大きくなった一般人による騒動であることが多く、普段から店側で十分対処できており、魔術師が出張るほどのことではない。
エメラの大袈裟という言葉はそのせいだ。
とはいえ、娼館で魔術師が用心棒をしている事実が他に知られれば、裏の連中が企む武力での嫌がらせに対するけん制にはなる。
今のこの街の裏の面に限っての不安定さに対しては、俺の存在は保険の役割としては軽くない。
「…まぁいいさ。何かあればあんたに頼るし、何もなければただの護衛として働いておくれ」
「それは俺を護衛として雇っていただけるということで?」
どうやらエメラのお眼鏡にかなったのか、用心棒として俺の採用は決まったようだ。
「もとからそのつもりだったよ。丁度少し前に護衛が一人、辞めちまってたからね。あんたにはその穴埋めをしてもらおうかしらね。早速だけど、今日から入れるかい?」
面接をして即採用、その日の内に仕事を始めるというのはこの世界だと珍しくない。
この店でも、今から俺の仕事が始まる。
「ええ、問題ありません。始業は夕方以降ですよね?」
「そうだよ。陽が落ちてから次の日の朝までがうちの稼ぎ時さ。護衛の連中には別に部屋があるから、何もない時はあんたもそこに詰めといておくれ」
用心棒が常に娼館の表に立つのは威圧としては効果はあるが、しかし同時に客が足を踏み入れるのを妨げる原因にもなる。
何か事態が起きるまでは、個別に部屋を用意してそこへ押し込め、姿を見せないというのも娼館の雰囲気作りとしては大事なのだろう。
「分かりました。俺以外の護衛は何人いるんですか?」
「三人さ。あんたを含めりゃ四人だね。そいつらはもう少ししたら店に来るから、その時に顔合わせでもしときな」
エメラの口ぶりだと元々四人の用心棒がこの店を守っていたようだが、一人欠員が出てそこに俺が入ることとなる。
娼館の規模を考えると四人は少ないように思えるが、逆に考えれば四人でなんとかなる程度しかトラブルが発生していなかったとすれば、客の行儀がよっぽどよかったのかその四人が鬼のように強いかのどっちなのか。
「あぁ、そうそう。ところであんた、荒事以外に何か得意なことはあるかい?」
「はい?」
他の護衛との面通しにどう臨むかを考えていると、不意にエメラが何かを思い出したようにそう尋ねてきた。
その口ぶりからして、魔術師としての戦闘能力以外の部分で何かを求めているようだが、具体的に何を必要としているのかまでは分からない。
どう答えるか一瞬迷うが、特に隠すことでもないので俺の出来ることを教える。
まずは農業の知識だな。
娼館にだって、花の癒しはあってもいいから、ガーデニングなら役に立てる。
次に手前味噌だが、DIYレベルでなら建物の修繕もできなくもない。
見た限りだと、この建物はボロいと言えるほどの痛みはないが、それでも短くない時間が経過している分だけ劣化の痕は見られる。
本格的なのはともかく、建具の修繕ぐらいならなんとかしよう。
後は…まぁ無難に料理か。
他にやる人間がいない時、主に旅の間なんかは俺が食事を作っていた。
勿論パーラも料理はできるが、レパートリーの豊富さではまだまだ俺が上を行く。
そこまで語ったところ、突如エメラの目が鋭さを増した。
「へぇ、そりゃあいい。丁度厨房に人が足りなかったんだ」
「え」
「あんた、ちょいと調理の方にも手を貸しとくれ。追加の給金は出すよ」
「ワ…ワァ」
護衛の仕事でやってきたら、料理人もやらされた件。
娼館で出される飲食物といえば、そこそこうまい酒・軽食と相場は決まっている。
目的が目的だし、別に腹を満たしに客が来るわけでもなし。
上等な酒を飲みたいのなら、それを提供するレベルの酒場に行けばいい。
必然的に出される飲食物は質も量も考えない、おまけ程度のもので落ち着いていた。
とはいえ、安くない金を落とす客に対してあまりにも質の悪いものを出すのも商売としては誠意にかけるため、最低限クレームの来ない程度のものを提供している。
愛のサークにも館内には厨房が設えてあり、そこで作られる料理が娼館の一階ラウンジや各部屋へと届けられるわけだが、お世辞にも美味い食事を出していたとは言い難い。
なにせ厨房にいるのが多少調理経験があるだけの若い男が三人という、真っ当な料理人とはとても呼べない人材の揃え方だ。
作れる料理のレパートリーも、食材をただ茹でるか焼くか、味付けは塩か酢だけとなんとも侘しいものばかり。
一般家庭でならば日々の食事として飽きることはないが、華やかさがある娼館で出すものとしては些か地味だ。
この現状は別に誰かの怠慢などではなく、単純にその程度の料理でも客から文句がなかったせいだ。
娼婦との楽しい時間をちょっぴり彩るには、酒さえあればいいとまで人によっては言ってしまうため、変に凝った料理などまず出番はなかった。
今日、俺が厨房に立つまでは。
エメラに頼まれ、人手の足りなかった厨房に入った俺は、まずそこにいた三人の青年と挨拶をし、普段娼館で出す料理について色々と話をしてみた。
正直、料理というのもおこがましいほどシンプルなメニューを聞いて眉が寄ってしまったが、それがここのやり方ならばと、特にこれとしって口を出すことはしなかった。
そうしていると客達からの酒と肴の注文が届けられ、まず腕試しでもということで俺に任された。
これがいけなかった。
酒の方は元から用意してあるのでいいのだが、おつまみに関しては特に明確に何を作るかは決められておらず、今調理台にあるものを焼くか似るかして味付けしたらそのまま出すだけといった感じだ。
俺もそうすればよかったのだが、ついいつもの癖で下拵えと調理に手間をかけた一品を作ってしまう。
それとちょっとした悪戯心で、持ちあわせていた荷物に忍ばせていた昆布で簡単な出汁を取ってもみた。
これが完成まで時間をかけすぎていれば止められていただろうが、これまでの経験が染みついている俺の手は効率よく動き、かなりのスピードで調理を終えた。
出来上がったのは俺からすればごく普通の、しかし娼館には似つかわしくないレベルの美味い飯だった。
そうして完成した料理が厨房から運ばれていくのを見届け、先輩料理人らの『一度料理の注文がきたら暫くは暇になる』という言葉を信じ、世間話に興じていると、ラウンジの方でちょっとした騒ぎが起きているのに気付く。
もしや客がトラブルでも起こしているのかと、断りを入れて厨房を離れる。
一応、厨房で調理をしている間は用心棒としての仕事は免じられることとなっているが、今は丁度暇ではあるので思考は戦闘モードへ移行しておく。
そしてラウンジへ入った俺が見たのは、ついさっき運ばれてきた料理を囲み、時折確かめるように料理をつまんでは唸る男達という、娼館ではまず見ることはないであろう奇妙な光景だった。
その様子から用心棒の出番となる事態ではないことはわかるが、娼館に来て娼婦ではなく料理の皿を見て悩ましそうにしている男達というのはちょっと普通じゃない。
何事なのかと近くにいた娼婦に尋ねてみれば、俺が作った料理を食べた客がその味に驚き、居合わせた他の客にも食わせてみると驚きは連鎖し、その結果が今の目の前の光景だというわけだ。
娼館で出される料理のレベルなどたかが知れていると、そう思っていたところに期待を大きく超えた美味さをぶつけられ、ああしてちょっとした騒ぎになっているのだろう。
あの程度の料理でこうもなるとは、普段どれほど雑な料理を出していたかが分かる一方で、深く考えずに昆布を使った迂闊さにも気付く。
出汁の味わいが昆布由来のものだと客が気付いているかは分からないが、普段からこの味を出せる料理がここではいつでも食えると思いこまれるのはまずい。
なにせ今回使った昆布は俺が持ち込んだものであり、この娼館では扱っていない食材なのだから。
ソーマルガでは近頃、昆布の普及がかなり進んでいるが、まだ一般人が手を出せるほど出回ってはいない。
俺はアイリーンとのコネで手に入れられるが、この店にそれは難しい。
もしこの料理に客が興味を持ち、大量の注文が入ると些かまずい。
手持ちの昆布もそう多くないし、同じレベルの料理をこの後も安定して供給するのは骨が折れる。
ここはしっかりと説明をして、料理は普段のレベルに戻すべきかと思っていたところ、ラウンジへ姿を見せたエメラが厨房に新しく人が入っていることを明かし、今日の客には美味い食事を提供する用意があることを宣言してしまう。
その際、俺の方を見てきたエメラと目が合うと、彼女は不敵な笑みを浮かべて厨房の方へと顎をしゃくって見せた。
どうやらこの騒動を鎮めるより、利用して客の満足度を上げる方向で行くつもりのようだ。
用心棒がやる仕事でもないが、雇い主の意向には逆らえないので、ここはエメラの思惑に乗せられるしかなさそうだ。
何より今の料理の味を知った人間の怨念染みた期待が空間に満ちているのを肌で感じてしまうと、下手に拒絶することに怖さを覚える。
とはいえ、昆布はもう手持ちがほとんどないので、同じクオリティをを求められるのは少々辛い。
まぁ厨房には食材も余分にあったし、調味料も意外と揃っていた。
どうにかそれらでやりくりして、客の舌を満足させるのを作るしかない。
なんたることか、調理の難易度が急に上がってしまったではないか。
護衛としてここに来たはずなのに、客に出す料理で頭を悩ますことになるとは。
この後の調理が地獄の忙しさになることは予想できるため、戦場となる厨房を生き抜くのと酔っ払いをあしらうのとどちらがきついか……どっちもどっちだろう。
この後俺達がいかに忙しくなるかを想像し、先輩料理人にどう説明したものかと憂鬱になる。
俺が余計なことをしたのは確かなので、まずは謝るべきか。
「アンディ君!注文よ!串焼きとバジャ、二人前ずつ!あと果物の盛り合わせ一皿!急ぎでお願い!」
ラウンジと厨房を繋ぐ通路から姿を見せたのは、娼館で働く娼婦の一人で、開店直前の顔合わせで見た顔だ。
いつも通りなら今頃は客と部屋でしっぽりとしているはずなのだが、今は客からのオーダーを厨房まで届けに来たらしい。
こんなウェイトレスの真似事は本来娼婦の仕事ことではないのだが、今日に限っては客と応対している人以外で手の空いている誰かがこうして料理の注文を伝えるべく動いている。
そうでもしないと捌ききれないほど、今日の客は食事を求めているのだ。
最初に俺の料理を食べた客が店を後にし、どんなネットワークがあるのかその口コミが次の客を早くも呼び始め、今日の愛のサークはいつもよりも客が入っているそうだ。
勿論、娼婦とのあれこれもしに来るのだが、それと同じくらいに料理目当ての客も多い。
「バジャはちょっと時間がかかります!先に串焼きから作るんで、出来上がったら持ってってください!」
バジャとは細かく刻んだ肉と野菜を味付けしたものをスライスしたパンに乗せて軽く炙るという、ブルスケッタと似た料理だ。
ソーマルガでは副菜やおつまみとしてよく食べられているため、酒を出す店ならどこでも出している。
一応この娼館でもメニューに載せてはいるのだが、ろくな冷蔵設備のない環境で作り置きしていたものを提供するため、味に期待してはいけないほどだ。
それを注文するとは、俺達は試されているのだろうか。
なお、果物の盛り合わせに関しては、この店で一番値段の高い料理となっている。
生の果物の希少性と保存の難しさからすれば当然のことだが、平気で注文するのは客の気が大きくなっている証拠か。
娼婦に気前のいいところを見せたいという思いか、はたまたおねだり上手な娼婦の功績かはわからないが、果物の盛り合わせに関しては大した調理工程がないのでありがたい。
今作っている料理の仕上げを行いつつ、新しく入った注文から次の調理の手順を想像していく。
娼館の厨房はお世辞にも立派とは言えず、竈も口が四つしかないため、限られた手数で効率的に料理を作らなくてはならない。
ここで何故か俺が厨房を仕切っているわけだが、これは色んな料理を手際よく作れるだけの腕が他の料理人にはないためだ。
焼くと煮るぐらいしかせずとも問題なかった厨房が、今日は色んな料理を作るためにフル稼働しており、俺以外の料理人はてんてこ舞いで、指揮権がポッと出の奴に取り上げられたことに文句を言う暇もない。
おかげでやりやすくて助かる。
「アンディ、バジャはこっちで引き受けた。お前は串焼きを頼む」
竈で鍋を振るう俺に、料理人の一人がそう声をかけてきた。
見ると、既に食材を細切れにする作業に入っており、調理の腕は劣るにしても三人がかりなら心配はなさそうだ。
「頼みます」
任せてもいいというのなら、俺は自分の作業を全うするだけだ。
鍋の中の料理を完成させるべく、仕上げの火加減と味付けを調整していく。
「ちょっと!さっきの私が出した注文通ってるの!?もうお客さんを随分待たせてるわよ!」
そうしていると、今度は別の娼婦がわざわざ文句を言いに厨房へとやってきた。
後回しにしたつもりはないが、注文が殺到している関係上、どうしても一部の客は待たせてしまう。
「はいはい!出来てますよ!持ってって!」
今作り終えた料理を皿に盛り、文句を言ってきた娼婦の眼前に着き出せば、ひったくるようにして皿を手にした娼婦が慌てて厨房を出ていった。
彼女はあの料理を客に届けたら、その客と個室へ移って仕事をするのだろう。
変則的な今日の店の仕様では、娼婦を買った客が料理の注文をしたら、その娼婦が厨房までオーダーを伝えるというのが流れとして出来つつあった。
「アンディ!注文お願い!」
「こっちもよ!アンディ君!」
去っていく娼婦を見送ることもせず、次の調理にとりかかろうとすると、また新しくオーダーを抱えた娼婦がやってきた。
一息つきたいなどという贅沢は言わない。
せめてオーダーは順番に来いやと、心の中だけで文句を吐いておく。
矢継ぎ早にやってくるオーダーにてんてこ舞いの俺達だったが、流石に客も無限にやってくるわけでもなく、時間とともに厨房は徐々に落ち着きを見せ出した。
休む暇もなく調理に追われ続けていた俺達に、ようやく希望が見えてきたこともあって、そろそろ賄いの用意でもと考えだした時、また娼婦の一人が厨房へとやってきた。
「アンディ君、ちょっといい?」
また新しい客からの注文かと一瞬身構えたが、その娼婦は何故かオーダーを告げることなく、俺を手招きして呼び寄せる。
「なんでしょう。何か変わった料理の希望でもありましたか?」
「ううん、そういうのじゃなくて…おかしな話なんだけど、君を買いたいって人がいるのよ。女のお客さんでね」
「…はい?俺を?なんでまたそんな…ここって男娼とかも扱ってましたっけ?というか、俺は護衛役として雇われてるだけですよ。……今は厨房で働いてますけど」
ここに来たのは今日が初めてだし、基本的にずっと厨房にいたから俺を知る客はあまりいないはず。
この料理を作った料理人を連れて来い!ってのならわかるが、どうも彼女の言い様だとそうでもなさそうだ。
「男娼はうちに常駐してはいないわね。一応、お客さんから要望があれば用意することはあるけど。一応、アンディ君はそっちの方で雇われてないって説明したんだけど、いいから連れて来いってうるさくて」
「店の営業に差しさわりがあるなら、護衛の出番じゃないんですか。彼ら…俺もですが、そのためにいるんでしょう?」
「まぁ普通ならそうなんだけど、別に暴れてるわけじゃないし、何より金払いがいいのよ。アンディ君を金貨三枚で買うって、ポンと出したんだから」
娼館の相場として、一人の人間を一晩買うのに金貨は破格の値付けだ。
男娼を求める有閑マダムならそれぐらいは簡単に出しそうだが、だとしても俺を指名してくる理由が分からん。
「エメラさんもそれを見ちゃったら断り辛くなったみたいでね、とりあえずアンディ君と会わせるだけってことで、こうして私が呼びに来たってわけ」
「いやちょっと待ってください。俺は男娼の真似事なんてできませんよ?」
「分かってるってば。顔を合わせるだけでいいの。そのお客さんの相手はしなくていいわ。引き合わせたのを盾にして、今日の所は一先ず帰ってもらおうってこと。これ、娼婦に入れあげた客によく使う手なの。さ、行くわよ!」
「えー…」
こちらの返事を聞かずに強引に腕を掴まれ、厨房から連れ出された俺はそのままラウンジへと直行した。
とりあえず今日の所は顔を見せるだけでいいとは言われたが、それはつまり、明日以降は客に買われるようになるという意味にもとれる。
娼婦の仕事を見下すわけではないが、俺を男娼として使おうとするのなら、激しく抵抗したいところだ。
俺だってそういう行為をする相手ぐらい選ばせてほしい。
本音を言うと今すぐにここから逃げ出したいところだが、社会人として雇用初日にいきなり仕事を放り出して逃亡するというのは非常識すぎる。
どうにか今日をやり過ごし、明日以降はこの仕事から離れるのがいいだろう。
チコニアには悪いが、俺にだってやりたくないことはあるのだ。
「来たかい。お客さん、あれがご所望のアンディだよ。ただ、今日の所は相手はできないよ。顔だけ見たら、それで満足しとくれ」
ラウンジへやってくると、テーブルの一つに座っているエメラが俺達を見つけて手招きする。
そして、同席している客へとそう声をかける。
こちらからは客の顔は見えないが、後ろ姿だけでの判断だが身綺麗な若い女性といった感じだ。
特に着飾っているというわけでもないが、かと言って粗末でもない。
普通の恰好だ。
わざわざ男娼の常駐しないここへやってきて、本来客を取る立場にない俺を求めるとはどんな奴なのか。
その面を拝んでやろうとテーブルを回り込んでみると、そこで目にした光景に俺は顎が外れそうになるほど驚いた。
「あ~ら、可愛い坊やだこと。気に入ぶぎゃん!」
そして次の瞬間、妖艶な女を気取った口調をしたその頭に、俺は魔力を込めた手刀を叩きつけた。
怪我をさせない程度に、しかし与える痛みは十分な威力のチョップだ。
『なにしてんの!?』
突然の俺の行動に、エメラとその周りにいた娼婦が素っ頓狂な声を上げたが、俺はそれを無視する。
小気味いい音と共に、無様な声を上げてテーブルへ突っ伏したその姿は、本来なら客に対する非礼を働いた決定的な証拠になるのだが、この客に限っては許される。
「き、客に対してこの仕打ち!この店は一体どんな教育をべう!」
痛みに震えながら反論してきた頭に、もう一度手刀を落とす。
二度も殴られては言葉も出なくなったのか、床を転がりながら呻くその姿を見下ろし、深い溜息と共に口を開く。
「おい、こんなところで何やってんだ?パーラ」




