ファルダイフの街
ソーマルガ皇国にて栄えている地はいくつかあるが、その中でも特にこれだと言える場所を三つ挙げよう。
一つは言わずもがな、国王がいる皇都であり、多くの人や物が集まる大都市としての姿は、まさに首都と呼ぶのに疑う余地はない。
近年では皇都の近くに飛空艇関連の施設ができたこともあり、天に舞う船が観光資源の側面も持ち始め、国内外から人がよく訪れるようになっていた。
二つ目は、砂漠の中心に位置し、風紋船の中継地として賑わうフィンディの街を中心とした一帯だ。
皇都に負けず、あるいは勝るとも言えるほどに物流の中心となっているフィンディは、商業における重要拠点の役目を果たすべく、日夜多くの商機が湧いては消え、経済活動が最も活発な土地だと言える。
そして三つ目、ソーマルガ皇国の最西端にあるコヨ地方のファルダイフという街が、ある意味では最も多くの人を惹きつけてやまない地ではないだろうか。
特にイーリスなんかは、ファルダイフに一度足を踏み入れたらもう終わりというぐらいに。
『名誉と金、それを求めるならファルダイフへ行け。全てを手に入れるか失うか、命と誇りをかけて挑め。この街は誰をも受け入れる』
成人しているソーマルガの人間なら誰もが一度は聞くことのあるこの言葉から分かる通り、ファルダイフは賭博をメインの産業としているため、さながらラスベガスを彷彿とさせる。
ギャンブルの知名度や砂漠の国にあるという点も似ている。
ファルダイフでは法を違えることさえなければあらゆるものに賭けが成立し、明日の天気から人の生き死にまで、様々な賭博が一つの街で複雑に行われているらしい。
まさに欲望の街と呼ぶのにためらいを覚えない一方で、レジャーランドとしての顔も持ち合わせているのがファルダイフの凄いところだ。
加えて、ギャンブルに興味のない人間でも楽しめるよう、歌劇に遊戯、アクティビティなども充実させ、一通り楽しむだけでもひと月はかかると言わしめるほど、ファルダイフは娯楽の街と呼ぶのに相応しいだろう。
そんな土地に、俺とパーラは飛空艇を駆って訪れようとしている。
なぜ俺達がそこを目指しているのかを語るために、少しだけ時を戻すとしよう。
ハリムから小型飛空艇を借り受けることができた俺とマトロは、用事が済んですぐにマルステル男爵領を目指して飛び立った。
初めて乗る飛空艇にマトロは興奮してやかましかったが、俺は久しぶりの空の旅で気分がいい。
改めて飛空艇に乗って分かるこの魅力は、他の乗り物では味わえない格別なものだ。
風紋船よりもずっと速くマルステル男爵領へと到着した俺達は、ジンナ村総出で歓迎された…ということもなく、村の日常に降り立った飛空艇はあまり驚かれることはなかった。
そのままアイリーンの所へ帰還の報告に行ったが、飛空艇で帰って来たこともちゃんと伝えたというのにドライな態度で左に受け流されてしまう。
別に大袈裟なリアクションを求めていたわけではないが、こうもあっさりとしたものだと寂しさを覚える。
「飛空艇の開発に間者が潜り込んでいたなどと、ソーマルガも随分と懐が広くなりましたこと」
俺達が運んできたハリムから手紙を一通り読み終えたアイリーンは、呆れの籠った溜息を吐く。
手紙の内容は分からないが、皇都で俺達が知ったことは確実に書かれているようだ。
威信をかけて開発された飛空艇に他国の魔の手が伸びていたという事実が、彼女に驚きと憤りを齎しているのだろう。
ソーマルガの貴族の一人として、スパイを防ぎきれていない飛空艇開発の現場に皮肉の一つも言わずにはいられないらしい。
「ソーマルガも大国ですからぁ、間者が一人もいないということはありえないかと~」
「飛空艇関連の深い場所まで入り込まれているのが問題なのです。今回は捕まえたようですけど、もしも次に技術流出が起きれば、どこまで責任を追及するのやら怖くなりますわよ」
マトロの言う通り、国の規模からしてスパイを完全に排除することが難しいとは分かっているが、それでも本当に重要な部分をどう守るかをアイリーンは案じて、こういうもの言いをしたと見える。
「そう言えばその今回捕まった間者ですが、何処の国の者かは俺達は教えてもらえてないんですよね。ハリム様からの手紙には、そのあたりのことはなんか書いてありましたか?」
皇都を離れるまでにハリムと話す機会があった時、スパイの身元に関してさり気なく聞いてはみたものの、政治的な問題が絡むことだからと教えてもらえなかった。
アイリーンに宛てた手紙になら、ひょっとしたらそのことも書かれているのではないかと、つい尋ねてみる。
「残念ながら、何処の国のといったような、そういったことは明確には書かれていませんわね。ただ、ソーマルガと不穏な関係を築いている国はいくつかありますし、宰相閣下がどこに目星をつけるかは私にも心当たりはありますけど」
「え、本当ですか?教えてくださいよ」
「おやめなさい、ことは高度に政治的な判断を要することもあり得ますのよ?知らないほうがよろしいかもしれませんわ」
「別にいいじゃないですか。あくまでもアイリーンさんの予想を話してくれるだけで、別に機密を明かすことにはならないですって。お願いしますよ、ハリム様は何も教えてくれなかったし、気になるんですよ。先っぽだけでも!」
別に知ったところでどうなるという話でもないが、興味があることには多少は食い下がりたい年頃なのだ、俺は。
どうしてもだめだと言われたら諦めるが、アイリーンの口ぶりからすると、押せば口を滑らせてくれそうな手応えを感じたので、勢いで頼み込んでみる。
「何が先っぽだけだって?」
色よい返事を待ちつつ、アイリーンの反応を窺う俺の背後から、地の底から這い出たような凄味のある声が聞こえてきた。
いつの間にか俺の背後にやってきていた誰かが発したその声は聞き覚えのあるもので、そしてそこに込められた怒りの感情に俺の背中は一瞬で冷たい汗をかく。
「よ、うパーラ…俺達、無事に戻って来たぞ。うっ」
ギシリという音がしそうなほどにぎこちない動作で振り返ると、俺を見る冷たい目と視線があう。
「うん、そうだね。おかえりアンディ、マトロさん。で?アイリーンさんに何のお願いしをしてたの?」
「い、いや、別にやましいことは何も…」
「本当にぃ?先っぽがどうとか言ってたのは?」
決していやらしい気持ちはなかったのだが、つい口にしてしまった言葉に反応したパーラの目は最早氷点下にまで届こうかというほどで、そんなものに晒されて気丈に振舞える人間などいるだろうかいやいない。
若干の理不尽さはあるが、こういう時は男がひたすら謝るのがルールであるのはどの世界でも変わらない。
なんとかパーラを宥めるべく、俺の膝が床へと堕とされた。
「へぇ、あの飛空艇って私らが好きに使っていいんだ?ほふっ」
「ソーマルガ国内でのみって制限は付くがな…あつっ」
パーラと同じタイミングで目の前で焼かれるたこ焼きに手を伸ばし、二人揃って一息に口へ放り込む。
球体のマグマと呼べるそれを、口の中で転がしながら味わう。
出汁が入った生地と弾力のあるタコのハーモニーは、魚介系の粉もの料理の一つの究極形だと言っても過言ではない。
あの後、じっくりと説明をしてなんとかパーラの誤解を解き、ダメ押しにたこ焼きで機嫌を取ろうとミーネに頼んでたこ焼きの用意をしてもらい、食堂でそれをつつきながら今後のことについて話をすることとなった。
「ふーん、まぁ飛空艇が使えるなら、なんでもいいけど。で、どうするの?」
「どうって?」
「これからのこと。せっかく飛空艇が使えるんだから、どっか他の所に行ったりとかさ」
「他って言ってもな…どこか行きたいところでもあるのか?」
「いや、特にはないけど。でもせっかくだし、まだ行ったこともない土地に足を運んでみるのも悪くないと思わない?」
ジンナ村にはバカンスのつもりで来ているので、別に飛空艇が使えるようになったからといってあえて遠出する理由はない。
パーラがどこか行きたいところがあるというのなら付き合うが、目的地もないまま飛び立つのはあまり気が乗らない。
なにせ、ついこの前にジンナ村から皇都へ行って、とんぼ返りに近い間でまた戻って来たのだ。
出来ればゆっくりしたいというのが俺の本音ではある。
「だとしても行き先を決めてからだ。あの小型飛空艇で当てもなく飛び回るのはちょっとな」
人を乗せて飛ぶという機能だけを満たしている小型タイプの飛空艇は、居住性がすこぶる悪いため、目的地のない長時間の飛行は精神的に好ましくない。
「でしたら、ファルダイフへ行ってはいかがかしら?娯楽という点では、我が国随一の発展ふあふほはっ」
それまで会話に加わらず、ジッと焼きあがるたこ焼きを見守っていたアイリーンだったが、最高にいい具合のをかっさらいながら案を出してきた。
しかし食べながら話すとは、レジルがここにいたら半泣きになるまで叱られそうな行儀の悪さだ。
だが気持ちはわかる。
もうじき夕食が控えていても、そこにたこ焼きがあれば手を延ばさずにいられないのが人というものだ。
「あ!それ私が狙ってたやつ!ずるいよアイリーンさん!」
「ひゅぼぼぼぼぼ…んん、こういうのは早い者勝ち。パクパクですわー」
これでお嬢様じゃなければ、関西人と間違われかねない言いざまだ。
「んもうー!」
「そう騒ぐなよ。すぐ次のが焼けるから落ち着け」
食い意地の張るパーラは目を付けていたのをアイリーンに取られて悔しそうにするが、どうせまたすぐに焼くのだから一々騒ぐこともないだろう。
鉄板の凹みに新しく生地を流し込みながら、先程アイリーンが言ったことを尋ねる。
「それでアイリーンさん、そのファルダイフというのは?」
「ソーマルガの西の端にある街の名ですわ。賭博と遊興がそのまま形となって存在したような街、と言っていいのでしょうね。どこかの誰かは『この世のあらゆる娯楽が詰め込まれた宝箱』と評したとか」
よもや彦〇呂が?
「そう言われても、別に私らそこまで賭け事はやらないけど。行って何しろっての?」
パーラの言う通り、俺達はあまりギャンブルには手を出さない。
やるとしても、その日の食事を一品賭けたりといった程度だ。
冒険者やアウトローな人間と関わるためのツールの一つとして嗜むことはあるが、基本的に金には困っていない現状、トラブルのタネになりそうなギャンブルは避けることの方が多い。
そのファルダイフがラスベガスのような街だと仮定して、ギャンブルこそがその街をもっとも楽しめるとなると、俺達が行ったとて楽しさは半減以下といったところか。
「別に必ずしも賭博だけをやりにいくこともありませんわよ。ファルダイフは観光にも力を入れていますし、賭博を伴わない催しも随分あると聞きます。少し前には、風紋船を模した張りぼてを、街の有志が引きながら道を走り回るという見世物があったそうです」
山車の引き回し的なものか?
日本のお祭りでもそうだが、その手のは見るのも参加するのもどちらでも楽しめるいいイベントだったことだろう。
「なにそれ、面白そう!アンディ、そこ行こうよ!すぐ行こう!ほぐ」
そしてそういうのにすぐに食いつくのは、いつだって派手とお祭り騒ぎが大好きな人種だ。
案の定、パーラもアイリーンの話を聞いて目を輝かせ始める。
しかしたこ焼きを食べる手を止めないのは流石の食い意地だ。
「すぐ行くったって、ここからどんだけ遠いんだ?俺は今日皇都から帰って来たばっかなんだぞ。ちょっとはゆっくりさせてくれ」
「大丈夫だって。飛空艇の操縦は私がするからさ、アンディは空で休めばいいじゃん」
「それは休むと言っていいのか?あの飛空艇の狭さはお前も知って―」
「アイリーンさん、ファルダイフの場所教えてよ。あと普通の移動でどれぐらい日数がかかるのかも」
「おい聞けよ」
「まぁまぁまぁまぁ」
もう気分はファルダイフへの旅に持っていかれているパーラは、俺の言葉など耳にも届かず、テーブルの上に地図を広げだす。
その様子にアイリーンも困った笑みを浮かべるが、ある意味では純真なリアクションを見せるパーラには弱いのもあって、地図に指を乗せて説明を始めてしまった。
西の端の街というだけあって、手持ちの大雑把なソーマルガの地図でもその位置は分かりやすく、とりあえず海が見えるまで西へ向かい、特徴的な地形を目印にすれば迷うことはないらしい。
なにより、飛空艇なら空から見下ろすことで街も見つけやすいため、海岸線を辿ればいずれは着くという分かりやすさがありがたい。
「とにかく娯楽を追求する街ですから、年を置かずに同じ催しはしませんわよ。去年やった風紋船の見世物も、今年はやることはないでしょう」
「えー…残念。見て見たかったのに」
「あくまでも同じものをやらないというだけで、また別の催しがありますわよ。それと、もしも賭博に興味が出たら、大きな店舗だけでおやりなさい。治安が悪いとは言いませんけど、観光客からイカサマで金を巻き上げようという博徒も多いと聞きますから」
親切で色々と教えてくれるアイリーンだが、妙にファルダイフの事情に詳しいのが気になる。
彼女の性格だと、ギャンブルにそれほどはまるタイプではないだろう。
意外と一般常識として知られているのなら、件の街は良くも悪くも有名になるべくしてなったと言える。
「そういうのはどこにでもいますね。気を付けますよ」
ラスベガスだってカジノはピンキリだし、上は高級ホテルに併設される大規模なものから、下はリカーショップにポツンと置かれたスロットマシンまである。
倫理観など簡単に振り切れるこの世界なら、観光客をカモにするイカサマ師がいても不思議ではない。
どんな理由があるにせよ、人を騙すなんて許せんな。
「まぁやるかどうかは別として、なんかあっちで流行ってる賭け勝負とかってあったりするの?最近だと私、ポルンカ以外やったことないんだよね」
「私もそれほど詳しいわけではありませんけど、『泥棒と酒屋』に『嘘つきの利き手』は知名度と人気から、今でも賭け事ではよく使われていると聞きますわね」
俺もこっちの世界で暮らしてそこそこ経つが、今アイリーンの言ったゲームは初耳だ。
単純に俺が知らないだけかと思いきや、パーラの様子を窺ってみれば首を傾げている様子から、あまり一般的なゲームではなさそうだ。
「へぇ、私はその二つとも知らないね。どんなやつなの?」
「でしたら少しやってみましょうか。嘘つきの利き手なら、私もよくやりますし」
「お、いいねぇ!やろうやろう!」
食堂で急遽アイリーン主催のカジノが始まった。
勿論金はかけないが、ゲーム性を肌で知るためにも真剣な表情で臨むパーラの様子に、もしこれにハマったらファルダイフで賭ケグルイになりそうで少し不安を覚える。
「アンディもいかがかしら?これは複数人でも遊べますわよ」
「いえ、まずは俺は見て覚えますから、パーラとやってください」
ジッとパーラを見ていた俺に何を思ったのか、アイリーンが参加を誘ってきたが、全く知らないゲームにはいきなりプレイヤーとして参加するよりも外で見ていたいものだ。
ここはパーラとアイリーンのやりあいを見学するとしよう。
そうしてしばらく見ていたが、嘘つきの利き手は思いの外戦略性のある骨太なゲームで、結局見ていた俺も興味を持って一緒にプレイし、気が付けば夕食時というぐらい夢中になってしまった。
この分だと、ファルダイフに行ったらこのゲームに手を出すのは確実だ。
アイリーンに言われた通り、イカサマ師を避けてしっかりとした店でプレイすると心掛けるが、とはいえ基本的にギャンブルは胴元が勝つように出来ている。
大損をこかないよう、俺もパーラも互いを見張るぐらいはした方がよさそうだ。
一番いいのは、ギャンブルに手を出さず観光を楽しむだけにとどめることなのだが…恐らく無理だ。
「はい、また私の勝ちですわね」
「くぅ~!もう一回!アイリーンさん、もう一回お願い!」
「今のはいい感じだったんだがなぁ…アイリーンさん、俺ももう一回いいですか」
「仕方ありませんわね。これで最後にしてくださいまし」
今日何度目かになるこれで最後というアイリーンの言葉に、俺とパーラは闘志を燃やして再び挑んでいく。
夜も遅い時間だというのに、飽きることなく続けられるこの嘘つきの利き手というゲーム。
こんな面白いもの、ファルダイフに行ったら絶対やってしまうに決まっている。
罠でもいい、罠でもいいんだ!
ジンナ村でアイリーンを相手にゲームの経験値を積み、若干鼻を尖らせながらファルダイフを目指して飛び発ってから数日後。
地図を頼りに迷うことなく順調な飛行が出来たおかげで、俺達はファルダイフを肉眼で捉えるところまでやってきた。
前のシートで操縦桿を握るパーラが、無事に姿を見ることができたファルダイフの街並みに安堵したように息を吐く。
「あれがファルダイフだよね?」
「地図の通りならそうだ。アイリーンさんから聞いた通り、街の東西にはでかくて目立つ建物も見えるし、間違いないな」
太陽の光を反射して輝く海を背に、その威容を誇る様に広がる大都市が俺達の見つめる先にあった。
海に面しているだけあって、かなりの規模の港湾設備が海側には広がっていて、風紋船ではない普通の帆船の姿もそこには見える。
物流の多くを風紋船に頼る内陸と違い、海の近くにある都市はああした帆船を使ったネットワークがよく発達していた。
発展度合ならソーマルガでも五指に入るだけあって、長大な外壁に囲まれた内側はかなりの広さであるにもかかわらず、これでもかと言わんばかりに詰め込まれた大小さまざまな建物が犇めいている。
その景色から、そこに住む人の数を超える雑然さが遠くからでも伝わってきそうだ。
街中には城並みから民家サイズまで様々な建物があるが、その中でも一際目立つのが街の東西の両端に塔のようにそれぞれ聳え立つ二つの巨大な建物だ。
この世界では珍しいかなりの高層建築と思われるそれは、ざっと見た限りでは最上階まで二十層はあろうかというほどだ。
高級ホテルと言われればそうかと納得してしまいそうで、また心なしかこの二つの建物は形も似通っており、双子の塔といった印象を受ける。
「…大きいね、あれ。何の建物なんだろ?城とかかな?」
「さあ、あれについてはアイリーンさんも教えてはくれなかったな。行ってみてのお楽しみだとか」
ファルダイフの街中にあるその目立つ高層建築物について、アイリーンは目印としてその存在だけは教えてくれていたが、それが何の建物かまでは教えてくれなかった。
なにか悪い物なら事前に知らせてくれたはずなので、あの建物自体はおかしなものではないようだが、だとしても何も知らないでいるのは些か怖い。
「ってことは、なんか面白いことがあるってことか。楽しみだね」
「お前はいつでも能天気だな。羨ましいよ」
これが未知の自然現象とかなら俺だって好奇心をくすぐられるところだが、あの建物は人が作ったもので、建っているのが欲望の街ということに、どうしても警戒心を覚えずにはいられない。
飛空艇でファルダイフへさらに接近すると、各地へと伸びる街道を歩く人の姿や、風紋船が直接乗り付けて客や荷物を積み降ろししている光景がはっきりと見ることができた。
大都市には風紋船が直に接岸することもあるため、ファルダイフもその例に漏れずしっかりとした風紋船の港湾設備が整えられている。
そんな中に、俺達の飛空艇へ向けて手を振る人の姿を確認した。
これは別にミーハーな人間というわけではなく、こちらへ合図をして飛空艇の着陸場所を教えてくれているだけだ。
その人物が指さす方向へ飛空艇を向かわせると、風紋船の船着き場とは趣の違う、しかし何かの乗り物が停泊するのだと明らかに分かるスペースが目についた。
眼下では管理をしている役人らしき男性が、着陸する場所を身振りで教えてくれている。
指示に従い、飛空艇を着陸させた俺達は諸々の手続きを行う。
この街に入る際には、どこでも必ず行うギルドカードなどを使った身元の確認は当然として、それ以外にも飛空艇の場合はその所属を示す書類か道具を提出する必要がある。
「おや?お二人は巡察隊の方じゃないので?飛空艇をお持ちなのに?」
俺達がギルドカードと共に提出したのは、ハリムから貰った飛空艇の貸与証明書というやつで、巡察隊が持つものではない。
ソーマルガ国内を飛ぶ飛空艇はどれも巡察隊の所属なので、フリーで飛空艇を乗り回す俺達はさぞ奇妙に見えていることだろう。
とはいえ証明書に不備はなく、違和感はあろうとも飛空艇の所有に関しての追及もそれ以上はなく、問題なく停泊が認められた。
停泊の際に支払う金も結構な額だったが、この街の物価が反映されているとしたら、流石はギャンブルの街だと納得すると共に恐ろしくもなる。
「はい、結構です。飛空艇はこちらで責任をもって預かります。ようこそファルダイフへ。こちらは初めてですか?」
「ええ、まぁ」
「でしたら宿泊は天地会という商会が運営する宿をお勧めです。大通りを歩けばすぐに見つかりますよ。値段は少し張りますが、きっと満足できるはずですから。それと、賭博をやりたいのなら、これも大通りの大きい店を選ぶと安心して楽しめますよ」
本来なら役人の仕事ではないはずだが、親切にもおすすめの宿とカジノを教えてくれたのは、初めてやってきた俺達へのサービス精神か。
公の人間なら旅人を騙す理由もメリットもないので、これは信用してもいいだろう。
礼を言ってその場を後にし、街へと繋がる門をくぐる。
飛空艇の停泊所は他とは隔離されているのか、途中で身分確認が一度あって、ようやく街中へと入れた。
殺風景な石造りの通路を抜けた先に広がっていたファルダイフの街並みは、当たり前だがソーマルガの様式に則ったもので、白い建材で作られた建物は陽の光の中で輝くように目立つ。
馬車どころか風紋船も通過できそうな幅のある大通りは、昼間の暑い時間にも拘らずごった返す人の群れで賑わっており、ファルダイフの街にこれだけの人が集まっているという事実に素直に驚く。
通りの左右に並ぶ店はどれもギャンブル場か酒場ばかりで、たまに土産物屋と見受けられる雑貨を扱う店もあるが、いずれも観光客をターゲットにしていると思しき店ばかりだ。
中には大道芸人が芸を披露する見世物小屋もあることから、単純に商店という枠にとらわれず、この通り自体が一つのアミューズメントパークとして存在しているのかもしれない。
「流石は娯楽の街、すごい数の人だね。これ全部他所から来たのかな?」
「そうだな。街の住民も勿論いるだろうが、身なりを見た感じでは外からの人間がほとんどかもしれん」
ギャンブルの街にやってくるのは、観光できる程度に裕福な人間か一発逆転を狙った人生ギリギリな奴がほとんどだ。
偏見と言われればそれまでだが、こうして見た限りでは大抵が観光をしに来た人間で、その中にひとつまみ、ギャンブルに命を懸けるギラついた眼をしたのが混じっているという感じだ。
「じゃあどうする?このままおすすめされた宿の方に行っちゃう?それとも少し歩いてみる?」
「俺としては一旦荷物を下ろして、それから散策ってのが望ましいが」
ファルダイフにはそこそこ長く滞在する予定なので、持ち込んだ荷物はそれなりになる。
これを背負ったまま歩き回るよりは、まずは宿で荷物を置いてからの方が身軽でいい。
先程役人から教えられた宿には、看板に特徴のある意匠があるそうなので、それを探して通りを歩いていく。
すると突然、俺達の進行方向右手にある建物の扉が轟音と共にはじけ飛び、そこから四人の人影が飛びだしてきた。
その人影をよく見ると、顔は布で覆っていて人相は分からず、手には剣やナイフといった凶器が握られている。
たった今強盗をして来たと言われれば納得できる姿だ。
そんな連中が姿を見せたのだから、通りを歩く人達からも悲鳴が上がる。
人混みをかき分けるようにして走る四人の人影…恐らく全員が男と思われるが、その進行方向は見事に俺とパーラへと向いていた。
このままだと、数秒もせずに接触してしまうだろう。
「…アンディ」
表情も変えず、声の抑揚も抑えて俺の名前を呼ぶパーラは、既に思考を戦闘状態へと移行しており、装着している可変籠手が小さな音を立てて変形を開始していた。
凶器を手にし、そして逃げるようにこちらへ向かってくる連中は明らかに普通ではないため、場合によっては力づくの対応も辞さないその覚悟は大したものだが、俺はそれをよしとはしない。
「俺達に直接攻撃してこない限り、こっちから手を出すな。この状況だと、連中が本当に悪いのかどうかの情報が少なすぎる」
単純に悪者なら手を出してもいいが、もしも逃げている連中がそうでないのなら攻撃するのはいかがなものか。
もっとも、どう見ても強盗をした帰りにしか見えないのだが、それでも万が一がある。
日本人的な考えとしては、向こうが手を出してこないのならあえてこちらから仕掛ける理由もない。
一応、俺達にも攻撃を加えてくる可能性を考え、いつでも反撃できるよう秘かに身構えるが、覆面達はそんな俺達など目もくれずに横を通り過ぎていった。
無駄な戦闘は起きなかったことに安堵しつつ、去っていく背中に何が起きていたのか疑問を覚えていると、今度は聞き覚えのある声が覆面達がついさっき飛び出してきた建物から聞こえてきた。
「くぉの下水以下の屑野郎共がぁ!どぉこいきやがったぁ!?」
女性の声でとても聴くに堪えない言葉を吐きながら姿を見せたのは、何と驚くことにチコニアだった。
最後に見た姿から全く変わらず、しかし憤怒の形相で通りを左右見渡す様子は、たとえ知り合いであろうと声をかけるのを躊躇うほどの凄味がある。
あんな顔した奴に声をかけたら、下手をすれば額に新しく決の穴が増えかねん。
「あれ?チコニアさんじゃん!こんなところでなにしてんの?」
だがパーラの肝は俺以上に太いようで、そんなチコニアにも恐れることなく近付いていき、親しく話しかける。
こいつのコミュニケーション能力は化け物か?
「あぁん!?…あら!パーラじゃないの!?アンディも!二人とも、なんでここに!?」
ヤ〇ザでもクソを漏らしそうな鋭い目を向けられたが、すぐに俺達に気付くとチコニアは驚きと喜びの混ざった顔に変わっていく。
女の顔とはこうも一瞬で変わるのかと背筋が寒くなる。
「私らはついさっきここに来たの。で、宿に向かおうとしてたら今の騒ぎでしょ?なんかあった?」
「あ!そうだわ!あなた達、さっきここから出てきた四人組がどこに行ったか分かる!?」
「それならあっちの方に行きましたけど…もう姿は見えませんね」
覆面達が去っていった方向を見るが、そこにはもう奴らの姿はなかった。
「チッ、あのビチグソ野郎共…大した逃げ足ね」
ギリリという音が聞こえそうなほど歯を食いしばって悔しそうなチコニアは、まだ汚い言葉が抜けない程度にはお怒りのようだ。
「なんかごめんね?さっき私らのすぐ傍を通った時に妨害くらいすればよかったよね」
どうやらチコニアはさっき逃げた連中を捕まえたかったらしく、事情を知らなかったとはいえスルーしてしまったことをパーラは気にしているようだ。
「ふぅー…いいの、あいつらのことは私の仕事なんだから気にしないで。それよりも、久しぶりね、二人とも」
最後に会ったのは何年前だったか。
今日まで知り合いが悉く変化を迎えていたせいか、久しぶりに見たチコニアはまるで変わっておらず、安心感を覚える。
「ゆっくりと話がしたいところだけど、まだ仕事中なんでね。後でゆっくり話でもしましょ。宿はどこを取ってるの?」
「ええ、構いませんよ。俺達が泊まるのは―」
泊まる予定の宿は名前も知らないのだが、天地会系列の宿だと言うとチコニアは納得したように大きく頷く。
「まぁこの街に来るなら、あそこが一番いいわよね。分かったわ、私が迎えに行くから…そうね、夕食時には宿にいてちょうだい。一緒に食べましょ」
そう言って、チコニアはすぐに剣呑な雰囲気を纏ってどこかへと走っていった。
この後も仕事だと言っていたが、あの様子だと逃げていった連中を追うために忙しくなりそうだ。
とりあえず、夕食時にチコニアと合流さえできればいいので、俺達は宿で荷物を下ろしたら、少し街を歩こう。
やって来てすぐに騒動とかち合うとは、イベントという意味ではいいのか悪いのかは微妙だが、ともかくせっかくの娯楽都市であるし、まずはどこで何を楽しめるのかを把握するための散策からだ。
忙しく働くチコニアには悪いが、俺達はファルダイフを満喫するとしよう。




