スパイは一匹見かけたら三十匹はいると思え
季節は冬であろうと、ソーマルガの空に雪は無縁だ。
気温は夏に比べれば幾分か涼しいものだが、それでも強い日差しの下では汗とは無縁ではいられない。
珍しくこの日は朝に雨が少し振ったせいか、若干だが涼しさの残る中、旅立つ者を見送るべく村の入り口に幾人かが集まっていた。
旅立つのはアイリーンから書類の入った鞄を受け取って、トライクの後部シートに腰を落ち着かせているマトロと、そのトライクを運転する俺だ。
砂漠を走るにはやはりトライクが楽だし、二輪の方はパーラが使う場合も考えて村に残していく。
そしてそんな俺達を見送るのは、マトロの同僚の技術者達と、ジャンケンでの勝負で皇都行きを免れたパーラだ。
「アンディ、これ食堂で預かってきたやつ。昼にマトロさんと食べてね。それと、荷車に新しい着替えも入れておいたから」
昨夜、どちらが皇都へ赴くかが決まった後は、俺は次の日に備えて早く休んだため、旅の荷物はパーラが用意してくれた。
背嚢からリヤカーに積まれたものまでしっかりパッキングしてくれたようで、何処に何があるのかは簡単に説明されただけで理解できたのは、長く旅を一緒にしてきたおかげだろう。
「マルザンさんが言ってたけど、明日からはまた熱くなるらしいから、体調に気を付けてね。私がいないからって、油断して変なもの食べちゃダメだよ?あ、お土産はいいからね」
「変なものってなんだよ。お前がいてもいなくても、食い物に油断はしたことないわ。それと土産は最初から考えてねぇよ」
旅に出る俺の体を気遣うパーラだが、その顔は晴れやかなもので、村に残れることがどれほど嬉しいのかが実に分かりやすくて腹が立つ。
幸運のグーなどと過信したのが悪いとはいえ、本当なら俺と今のパーラの立場は逆だったかもしれない。
しかしジャンケンで決まってしまった以上、そこに文句をつけるのはフェアじゃないね。
互いの同意の下行われた勝負の結果を、自分の我が儘で反故にするというのは…俺はいいよ?全然、俺は構わないけど、ANDYはどうかな?
「あ、そう?まぁお土産は本当にいいからさ。なんも気を使わないで。ほんと、お土産とかそういうのは、ね?」
「そうやってフリを効かせてるぐらいには期待してるのを裏切って悪いが、本当に土産は考えてないからな。それより、お前が村に残るんだから、あれの調達はちゃんとしとけよ?」
「ちっ……分かってるって。魚醤と昆布でしょ?ちゃんとアイリーンさんとミーネさんに頼んであるよ」
俺が村を離れている間、パーラがバカンス気分でのんびりしているのがなんか癪なので、この機会に魚醤と昆布を手に入れるのを任せるつもりだ。
昆布は今ソーマルガでも引く手あまたの人気商品だが、アイリーンのお膝元でコネを使って融通してもらう。
魚醤の方はミーネが作っている分から少量を売ってもらうが、こちらは大々的に知られていないだけで物としては十分な出来だと、昨夜の食事に出されたもので判断できる。
いずれも豊かな食事のためには欠かせない調味料なので、他所の土地へ移るまでにはしっかりとした量を確保しておきたい。
「ア~ンディ~くーん、そろそろ行こうよぉ」
トライクから少し離れて話し込んでいた俺達は気付かなかったが、いつの間にか同僚と話が終わっていたマトロから、出発を促す声が掛けられる。
「んじゃマトロさんが呼んでるから、もう行くわ」
「うん、いってらっしゃい。…お土産はほん―」
なおもしつこく迂遠な土産要求を口にするパーラを無視し、出発の準備が終わっているトライクに跨ると、マトロへ最終確認をする。
「マトロさん、お待たせしました。では出発しますが、よろしいですね?」
「ええ、構わないわよぉ」
マトロの方も出発に同意したので、ゆっくりとアクセルを開けてトライクを村の外へと向かわせる。
チラリと背後に顔を向けると、こちらへ手を振るパーラの姿が見えた。
それに肩越しに一度だけ手を振り返し、じっくりと速度の上がってきたトライクを操って北を目指して走る。
「あら~、ウチはこの手のは初めて乗るけど、意外と気持ちいものねぇ」
トライクに乗るのが初めてのマトロは、後部シートから顔を左右に揺らすような動きでそう口にした。
なんとなく背中越しに頭を揺らしているのが分かるが、これは上機嫌な証拠だろうか。
「ええ、飛空艇や風紋船も悪くはないんですが、風を肌で感じながら走る乗り物としては、馬とはまた違っていい物でしょう?」
「そうねぇ。飛空艇に力を注ぐのもいいけど、こういうのにももっと目を向けたら面白いのに。確か、第五研究室で作ってるやつがもう出来たとか聞いたけど、あれもこんな感じなのかしらねぇ」
トライクを気に入った様子のマトロの口から飛び出した言葉に、俺は多少の居心地の悪さを感じてつい黙ってしまう。
マトロは気付いていないようだが、今乗っているトライクが正にその第五研究室で作られたものだ。
そんな品を、以前盗んだも同然で持ち出した身としては、そこをどう伝えるべきか言葉に迷う。
現在はこのトライクもハリムから正式に貸与されてもいるので、何ら後ろめたいことはないのだが、それでも国の偉い人を騙して持ち出したというのをマトロに言うのは躊躇いを覚える。
上手くはぐらかして伝えることは出来るとは思うが、言わずともよいことというのは世の中にはいくらでもあるのだ。
ここはスルーしておこう。
その後、マトロの好奇心からのトライクに関しての感想や質問などに答えながら、バイクを飛ばして走ること約半日。
本来なら風紋船の船着き場まではバイクでも一日半かかるところを、速度とルートを効率一本でまとめ上げた走りの結果、夕方を迎える前に船着き場へと到着した。
ほんと、トライクの走破性は砂漠にて最強。
覚えておこう。
船着き場には停泊中の風紋船の姿があり、明日の朝一番での出航に備えてその身を休ませている。
「マトロさん、船着き場に着きましたよ。起きてください」
「んなぁ~?あっふわぁあぁー…もう着いたの?意外と早かったのねぇ。ついさっき昼食を食べたばっかりなのに」
バイクを停めて背後にかけた俺の声に反応し、モソモソと動きながらの欠伸交じりでマトロが返事をした。
「途中でマトロさんが眠ったんでそう感じてるだけです。実際はずっと走りっぱなしでしたよ」
今日の日中、走っている途中でそれまで楽し気に体を揺らしていたマトロが急に大人しくなったと思ったら、俺の腰にしがみついた形のままで眠りこんていたのには驚いた。
道なき道を選びもしたので、それほど乗り心地はよくなかったはずなのだが、この女も中々神経が図太いようだ。
「そうなのぉ?…あら~、ロープで体が固定されてる。これアンディ君が?」
「ええ、眠ったままだと危ないと思ったんで、ロープで結ばせてもらいました。今外しますよ」
走行中の安全のため眠るマトロと俺を繋いでいたロープだったが、目的地に着いたのとマトロの目が覚めたことでその役目を終えた。
「ありがとね~…ふぅ、今日はここで一泊するのよねぇ?宿はどこか決めてあるの?」
「いえ、それはまだ。この船着き場には宿泊に向いた施設がないので、さっさと風紋船の部屋に入って休んだほうがいいかと思いまして」
風紋船が停泊するだけあって、多くの荷物と人が動くこの船着き場は、物資を保管する倉庫に併設する形で簡易的な宿泊所は設けられているが、正直あまり環境のいい宿とは言い難い。
屋根と壁があるだけまし、けど食事は別というのを受け入れられれば問題はないのだが、それだったら風紋船から降りずに船室で寝る方が遥かにましだ。
マトロも俺の意見に賛同し、早速俺達は風紋船へと乗り込む。
船員にチケットを見せ、トライクを船倉へと収めた俺達は早速与えられた部屋へと向かう。
今回、俺達に与えられているのは、二等客室を使えるチケットだ。
目の前にある風紋船は、乗客が一等客室と二等客室、そして大部屋という三段階に分かれる客船仕様らしい。
風紋船のバリエーションの中では貨客船としてオーソドックスなものだが、多少裕福な人間なら無理せずに使える程度にはお手頃な部屋として二等客室が用意されているようだ。
俺達にチケットを譲ってくれた商人達も、本来はそこでのんびりとした船旅を楽しむつもりだったのだろう。
船倉から三層上へ上がった先にあるいくつもある扉の内の一つ、旅の間に俺達が使う部屋の扉を開けてその中へ足を踏み入れる。
六畳ほどの広さの室内にはベッドが二つに小さな机と椅子があるだけと、以前利用した一等客室に比べるとシンプルなものだ。
窓もあるにはあるが、その大きさは人の顔が辛うじて出せるかといった程度で、昼間の室内はかなりの暑さになるのを覚悟せねばなるまい。
「…思ったよりも狭いですね」
「そ~ぉかしら?十分広いような気もするけど」
ついつい一等客室と比べてそんなことを口走ってしまったが、マトロにはこれぐらいでも十分なようで、若干呆れの混じった目で俺を見てきた。
いかんいかん、まるで贅沢を当たり前に求めるボンボンのようだったな。
「今更なんですが、マトロさんは俺と同じ部屋でいいんですか?一応年頃の男女なんで、部屋を分けたいってんなら、俺は大部屋の方に行きますけど」
マトロも女性である以上、さほど親しくもない男と同じ部屋のすぐ傍のベッドで寝起きするのには抵抗もあるかと思う。
同性であるパーラが同行者であれば必要のない心配だが、マトロが望むのなら俺は大部屋へ移ってもいい。
「大丈夫、ウチは徹夜明けで男の技術者と同じ部屋で寝るなんてのもしょっちゅうだから、気にならないわよぉ。それに、アンディ君のことは信頼してるしね」
男社会とも言える技術者の中に紛れるマトロは、相応に女であることの特別を忘れることができるようで、俺と同じ部屋で寝起きすることもさほど気にはしないようだ。
マトロも研究のためとはいえ、こんな辺鄙な所にやってくるタマなのだから、それぐらいの気概はあるわけだ。
「あ、でももしウチの魅力に耐えられなくなったら言ってね?一人きりにする時間ぐらいは作ってあげるから」
こいつは何を言っているんだ。
男が一人になりたい時間というのは、確かに大事だ。
気配りは確かにありがたい。
だが、マトロの魅力に俺が我慢できなくなるだと?
こんな見た目チンチクリンの女にぃ?
「……フッ」
「あー!今鼻で笑ったでしょぉ!なに?私の魅力に文句あるのぉ!?」
「いえ、別に。ただ、マトロさんの心配は全くの杞憂だとだけは言っておきましょう」
「それどぉいう意味ぃ!?」
声を荒げるということは、俺の言わんとしていることは理解しているはずだろうに。
そのまま騒ぐマトロを無視し、今日の寝床を整える。
一応、護衛としての俺は扉に近い方のベッドを使うとして、マトロには窓際のベッドを使ってもらおう。
放っておくといつまでも文句を言いそうなマトロを何とか宥め、持ち込んだもので簡単に夕食を済ませると、俺達は眠りについた。
出航は明日の朝早くとなっており、俺達は眠ったままで船が旅立つ。
既にいくつかの土地を巡った後にここへ寄った風紋船は、この後は皇都まで一直線で向かう航路を取る。
特にトラブルもなければ、五日から八日ほどで皇都へ着けるだろう。
珍しいことに、途中でどこかの街へ寄ることなく皇都を目指すのは、マルステル男爵領の特産品である昆布が積み荷として追加されたからだ。
昆布自体、乾燥させたものを流通に載せるためそうそう腐ったりはしないが、下はちょっぴり裕福な一般市民から上は王族までと多くの人が求めているため、物流の中心となる皇都へ急いで届けようという思惑があちこち絡んでの直行便となったわけだ。
そのおかげで俺達は皇都まで短い時間で行けるのだから、これはアイリーンの偉業に感謝するべきか。
何があるか分からない風紋船の旅ではあるが、道中で船足が鈍る様なイベントも起きることなく、俺達は五日ほどで皇都へと到着した。
風紋船から降りたその足で皇都へ入ると、アイリーンから預かった書類をマトロごと城まで送り届ける。
ダンガ勲章を使って登城の手順を省き、飛空艇関連での報告としてマトロが先導して専門の部署へと向かう。
ここで皇都の外にある研究施設の方に行かないのは、この手の問題を報告するのはまず城の事務方を通すのが正規のルートだからだそうだ。
意外と言うか、マトロは城内ですれ違う文官などに頭を下げられることが多く、こんなのでもちゃんと偉いのだと改めて知る。
まぁわざわざ遺物船の研究でソーマルガ皇国の南端に派遣されるぐらいだし、地位が低いわけがないのだが、とはいえ道中の子供っぽい振る舞いを見ているだけに、そういう扱いを目にするとやはり感心してしまう。
「こんちわ~、マトロだけど室長いるぅ?」
そうして到着したどこかの部屋では忙しく動き回る文官達の姿があり、そこに勝手知ったるといった様子で気軽に足を踏み入れて声を上げるマトロに、執務机の一つで書き物をしていた若い男の文官が応対する。
「おや、これはマトロさん。もう帰って来てたんですね。生憎室長は今不在でして。私でよければ御用を伺いますが」
「んー、じゃあ君でいいや。あのねぇ、今起きてる例の飛空艇絡みの案件なんだけど、あれに関して大至急で報告したいことがあるのよ」
「そのことですか。でしたらまずはこちらの書類に署名をした後、報告書を提出していただければ―」
飛空艇の不具合に関する陳情やら報告を最初に受け取る部署だけあり、マトロからの報告にも型通りの対応として、机の引き出しから一枚の紙きれを取りだすとこちらへ差し出してきた。
普通なら指示された通り、サインをして報告書を渡すと後はおしまいとなるのだろうが、マトロはそれに対して首を振る。
「あ、待って待ってぇ。それは今はなしでお願いね。この件に関してはウチ、特務研究員の条項第二条を適用してちょうだい」
恐らく特務研究員というのはマトロのことを指すとして、条項二条とやらが何を指すのかは分からない俺は首を傾げるが、目の前の文官の男はそれを聞いて表情が急に変わる。
「…よろしいのですか?条項を適用するとなれば、生半な報告ではマトロさんの立場を危うくしかねませんが」
それまでの疲れた役人のようだったものが、今は老練な政治家のような雰囲気を纏った男がマトロに脅しに似た言葉をかけるが、言われた当の本人はどこ吹く風といった様子で頷く。
「別にウチの立場程度、どうにでもしてくれて構わないけど。それより、本当に重大な報告だから、なるべく上の方まで話が行くように手配してもらいたいのよぉ。お願いできる~?」
「分かりました、そう仰るのなら手配しましょう。少々お時間を頂きますので、向こうの部屋で寛いでお待ちください」
「ありがとぉ。じゃあ待ってるわね。行きましょ、アンディ君」
そう言って部屋を後にするマトロへと着いていき、先程男が指さした部屋へと入り、ソファに腰掛けるマトロの隣へ俺も腰掛ける。
護衛に過ぎない俺は先程のやり取りに一言も口を挟んでいなかったが、知らない情報がいくつか出てきたため、待ってる間の暇つぶしも兼ねてその辺りをマトロに尋ねてみる。
「マトロさん、さっき言ってた条項第二条ってのはなんですか?それを口にした途端、あの男の方も急に態度が変わりましたけど」
「あれはねぇ、特命の研究員に与えられる権限の一つなの。ウチもそうだけど、特殊な仕事をする研究員には色んな制約とかしがらみを無視して、最優先でソーマルガ皇国の上層部へ直接会って報告できる権利があるわけよぉ。それが条項第二条」
本来なら色んな人の手を経てお偉いさんに渡る報告も、直接報告書を作った人間が口頭で話した方が手っ取り早いし正確だ。
生で起きたことを知るスピードは勿論、伝言ゲームのような変異もそうだし、また悪意ある第三者によって情報を歪められる可能性も考えると、この条項第二条はマトロ達技術者にとっては必要な権利だと言える。
「ウチらみたいな下っ端が上層部に直接報告するってことで、大したことない報告をしちゃうと、この程度で手間をかけさせられたーって偉い立場の人の不興を買うこともあったのね。だからあんまり使うことはないんだけど、今回はアイリーン様から至急報告せよという指示があるから条項を適用したというわけねぇ」
「なるほど、それでさっきの方はマトロさんの立場が危うくなりかねないと言ったわけですか」
「そぉいうこと~」
下からの報告を直接受けた上層部の反応としては、現場からの貴重な意見として受け入れるか、小さな問題として捨て置くかのどちらかだろう。
こればかりは世界が変わっても、そうそう変わらないのかもしれない。
恐らく、過去に条項第二条を使って上層部から不興を買った人間がいたため、ああして忠告をしてくれたわけだ。
「しかしソーマルガの上層部への報告となると、ダリアさんとか宰相閣下に会ってということになるんですかね」
今のところマトロから話を聞いて俺が思い浮かぶ上層部の人間はその二人ぐらいなので、あの二人のどちらか、あるいは両方と面会しての報告となるのだろうか。
俺としては飛空艇が修復されている頃に戻ってくると言った手前、まだそうなっていないであろうこのタイミングで会うのはなんだか少し気まずい。
もっとも、俺はあくまでもマトロの護衛であり、その報告の場に立ち会うのは必ずしも必要ではないので、上手いこと二人に会わずに済むことも出来なくもないが。
「ん~…ウチぐらいの地位だとハリム様と顔を合わせるのはないわねぇ。ダリアさんとなら可能性はあるけど、あの人も忙しいし。多分、第一かその辺の研究室の室長あたりが出張ってくるぐらいよぉ」
マトロも技術者としてはかなり偉い方だとは思うが、それでもハリムと会うのは難しいわけか。
まぁ今日までの付き合いでマヒしているが、一国の宰相というのは大体そんなものだ。
「失礼します。マトロさん、先程の件に関してなんですが」
そうして話をしていると、先程の文官の男性が部屋へと入って来た。
どうやら上層部に飛空艇の件でマトロが報告する場が整ったようだ。
「あら、思ったより早かったわねぇ。会うのは第一研究室の人?それとも第二?」
「いえ、報告はハリム様が直接お聞きになさるそうです」
先程ないだろうと思っていた人物の名前が出たことで、マトロは立ち上がりかけた体勢のまま、ビタリとその動きが止まる。
「…ハリム様が?ウチに?なんで?」
身分的にハリムと面通しは出来ないと思っていただけに、報告をする相手が彼だと知ったショックは大きいのだろう。
ただ、飛空艇に関することはソーマルガとしても国を挙げて取り組んでいるだけに、小さな報告も宰相が直々に聞き取るというのは不思議ではないように思う。
つまり、身分など気にせず、今は飛空艇に関するどんな報告をも欲する、問題解決への国家の貪欲な姿勢こそがこの機会を生み出したのではなかろうか。
「なんでも、マトロさん以外にそちらの…アンディ殿が一緒にいるはずなので、ならば共に連れて来て自ら直に話を聞くと」
「…俺も?」
「はい、ハリム様からは貴方も連れてくるように仰せつかっておりまして…」
ダンガ勲章を使って堂々と城に入ったのだから、俺がここにいるのをハリムが知っていてもおかしくはないのだが、マトロの報告の場にまで呼び出されるとはどういう了見だ?
名指しされている以上、逃げることはしないが、だとしても俺はこの国の人間でもなければ技術屋でもないのだから、そんな場に立っても何ができると言うのか。
とはいえ、宰相の前に立つのに一人では心細いのか、マトロがこちらを縋るような目で見ているので一緒に行ってやるべきだろう。
短い付き合いだが、同じ部屋で寝泊まりして同じ飯を食った仲だ。
それぐらいの義理は果たしてやってもばちは当たらん。
ハリムから遣わされた案内役の使用人についていき、報告会の用意が既にされていたらしい会議室の一つへ入る。
そこには、ハリムを筆頭として見るからに高官と分かる連中が揃って俺達を待ち受けていた。
てっきりダリアもいそうな気がしたのだが、どうやらこの場には呼ばれていないらしい。
一瞬、俺を見て意味ありげな笑みを浮かべたハリムだったが、すぐに主役であるマトロへと視線を移す。
いずれも老齢に見合うだけのプレッシャーが込もった視線を向けられ、緊張で体を固くするマトロだったが、自分の仕事を思いだしてすぐに動き出す。
室内で一番偉いと分かるハリムに、アイリーンから託された書類を手渡すと、早速飛空艇に起きている不具合についての報告を口頭で行う。
部屋に入ってすぐのおどおどしていたマトロの様子も、技術者として報告をする時にはすでに落ち着いたものに変わっていて、報告会はそこそこの長い時間をかけて続いていく。
その間、手元にある報告書を回し読みするハリム達だったが、マトロが全て話し終えた段階で険しい顔を隠しもせずに周りと話し始める。
そんなのを見たせいで、マトロはまた不安そうな姿に戻ってしまったが、俺の見た感じでは今の場の空気だとマトロに叱責が及ぶような感じではないので、もっと堂々として欲しい。
―…に該当するものが一人、おりますぞ
―バカな、まるで最初から…
―しかし、あり得んとも…
どうやら件の部品に関して思い当たる何かがあるようで、焦りと困惑が混ざった顔を突き合わせてハリム達の内緒話はヒートアップしていく。
もう俺とマトロは放置されているが、流石にこの状態で退室を口にするのも難しい。
「…もうよいわ。このままでは埒が明かん。至急卿の言うその人物の身柄を押さえ、ここへ連れてまいれ。ワシが直々に聞き出す」
いつまでも続きそうな話し合いを打ち切る様に大きく息を吐き、何某かをここへ呼び出そうとするハリム。
例の部品に関しての何かを握る人物に、ハリム達は何かの疑いを持つに足ると思い至ったのか、いずれも緊張をさらに強めた顔を見せる。
「それは流石に無礼では……彼の者も魔道具の研究では功績を―」
「ワシがそうしろと言っておるのだ!ことは皇国への叛逆すら疑えると、何故分からん!?早急に引っ立てよ!」
『は、ははぁっ!』
呼び出す人物はこの国ではそこそこ功績のある立場のようで、強引に連れ出すのに難色を示した一人の言葉にハリムは怒号を響かせると、それを受けて他の者は一斉に席を立ってどこかへと駆けだしていく。
恐らく、彼らに与えられた権限で、件の人物を捕縛しにいったのだろう。
後に残った俺とマトロは、何が起きたのか理解できておらず、呆気にとられるしかないのだが、そんな俺達に気付いたハリムがバツの悪そうな顔をして声をかける。
「…すまぬな、お前達を放っておいてしまっていた。さてマトロよ、此度のその方の功績はワシが確と報いると約束する。今からは少々立て込む故、後日何らかの褒章を与えよう」
「ありがとうございます~。正直、先程のハリム様達のお話で、何が動いているのか分からない不安はありますがぁ、そう言っていただけただけで十分です」
「ふむ……ならば、少し話してやろうか。今、ワシらがなにを恐れて動いたのかというのをな」
チラリと俺を見たハリムが、一瞬悩むような仕草を見せた。
もしかすると、ここからはソーマルガ皇国の内情を含んだ話でもするためか、俺の存在が気になったのかもしれない。
「ハリム様、少々お待ちを。それは俺が聞いてもいい話なんですか?身内だけで話すのなら、俺は席を外しますが」
正直、面倒ごとに巻き込まれるなどごめんだ。
「いや、構わん。どうせお前に知られたところで大きな問題はない。それに、この手の話にお前を巻き込んでおくと、結果としていい方向に事態が進むかもしれぬしな」
なんだか俺を危険と見て管理下に置こうとしている風にも聞こえるが、とはいえ俺もハリムの話には興味があるので、ここは反論しないでおく。
「さて、何から話すべきか。まず言っておくと、此度、発覚したこの動力部に使われている部品の不具合だが、恐らく、他国の間者の手が入っておる」
ジャブすらなく、いきなり重大な話を始めるハリムに、俺とマトロは目が点になってしまう。
またスパイかよ。
よもやソーマルガの威信をかけて作られた飛空艇の部品に、スパイの魔の手が伸びていたとは。
機密に塗れた製造をしていたとしても、やはり人間が作っている以上、スパイを完全に防ぐことは出来ないのかもしれない。
以前のソーマルガには、ジンナ村までやってきて船を盗むついでに俺を殺そうとしたスパイがいた。
あの時の失敗をソーマルガは教訓として、国内のスパイ活動へ一層目を光らせているはずだ。
だというのに、こうして飛空艇の問題にスパイが関係していたとなると、ソーマルガの防諜はどうなっているのやら。
正直、またスパイかと口に出さなかっただけ、俺の自制心は鬼のように強力だと自負している。
さらに話は続くようだが、明かされるであろうこの問題の根はどこまで深いのか、興味はありつつも怖くもなってきた。
頼むから、俺の髪が禿げ上がるレベルの暴露は勘弁してくれ。




