ジャンケンを超える公平な決め方などない
マルステル男爵領はジンナ村。
その村の前に広がる湾内に置かれている遺物船テルテアド号は、未だ十全な出航に耐えられるレベルの修復には至っていないものの、それ以外は問題なく機能していた。
灼熱の国にいながら船内は涼しい環境が整えられており、重要区画以外は村人に開放されていることもあって、暑さがピークとなる昼間は涼みにやってくる人の姿が散見される。
いくつかある船室では、暑さを避けてきた人たちが集まって賑やかなものだが、一方で船の貨物区画は遮音性の高い扉を閉めてしまえば静かなものだ。
そして、その貨物区画では今、デンと置かれたモーターボートの船外機を囲んでの話し合いが行われていた。
立ち会っているのは、領主であるアイリーンとその護衛兼お目付け役としてマルザン、船外機のメンテナンスを引き受けていた当人であるロニ、この地でテルテアド号の研究をしている女性技術者のマトロ、そして俺とパーラの合計六人だ。
アイリーン達と再会を祝して乾杯などして一晩明けた今日、機密性などの観点からテルテアド号の貨物区画で低出力動力を流用して作られたこの船外機の検分を行う運びとなる。
ロニを含めた技術者二人によって丁寧に調査が行われた室外機は、やはり俺とパーラの見立て通り、何の不具合もないと太鼓判が押された。
「…やっぱり問題はなさそうですね~。まぁウチなんかは元々船舶が専門だし、深刻な不具合がもっと分かりにくい所にあったらどうしようもないんですけどぉ」
齧りつくように調べていた船外機から身を離し、作業を見守っていた俺達へ向けてマトロが間延びした声でそう言う。
このマトロは、この村に来ている技術者の中では俺は初めて見る顔で、年の頃は十代そこそこ、いっても二十代半ばぐらいの女性のドワーフ族だ。
身長は成人女性の平均より低い140cmほどと、身長だけならハーフリングの成人と遜色ないが、カリフラワーの擬人化かと見紛うほど毛量が多い髪に、小柄ながら衣服の上からも十分分かるほどの引き締まった筋肉は、流石ドワーフと言える。
ハーフリングと並んで手先が器用で、また優れたタフネスを有するドワーフもこういった技術者には向く種族だが、ドワーフといえば鍛冶師という勝手に抱いていた俺のイメージを裏切って、ソーマルガでは遺跡関連の技術者として多くが働いているらしい。
皇都から派遣されている技術者達の現代表を務めているため能力的には問題はないようなのだが、柔和な顔立ちと間延びした口調のせいか、話すのを聞いているとこちらの気が抜けそうだ。
とはいえ、今この村でこの手の高度な魔道具で最も見識ある技術者を求めるなら彼女が適任だとアイリーンが言うので、その言葉にはしっかりと耳を傾けるべきだろう。
「とりあえず一通り見たところで、動作的におかしいところはないし、正常だとウチは判断しま~す。ロニ君はぁ?」
「うん。僕もマトロさんと同じです。この動力に変な所はないと思う」
「そうだねぇ~。ロニ君は優秀だねぇ。いい子いい子」
一緒に作業をしていたロニを抱き寄せ、その頭を撫でている姿は姉弟のようで微笑ましくはあるが、同時に俺の隣に立つパーラが少し不機嫌そうな空気を出す。
姉代わりとしてロニを可愛がってきたのは自分が先だという自負があるからか、その立場を脅かしてきそうなマトロの存在に危機感でも覚えてるのかもしれない。
「ん゛ん゛ん゛!マトロさん、そういうのは後にして。今はアイリーンさんへの報告を」
「あら~、怒られちゃった」
パーラがあからさまな咳払いでアイリーンへの報告を促すが、それに対してマトロは困ったような笑みを浮かべてロニの傍から離れる。
本心としてはもう少しロニをかいぐりしたかったが、優先するものを分かっているマトロは、若干表情を引き締めてアイリーンへと向き直る。
「ということで、この動力機構には不具合はないようです。例の飛空艇で起きている不具合の話はウチも聞いてますから、そっちの問題から考えてみてもぉ、この動力に不具合が起きる予兆は微塵も感じられないですねぇ」
男爵相手にも変わらずの口調で話すマトロは、ともすれば無礼ともとられかねない態度ではあるが、幸いにしてここには小うるさい人間はいないので、特に咎められることはない。
「そうですか。そうなると、やはり世に出回っている動力で発生している不具合がない、興味深い資料として皇都へ報告するべきですわね。マルザン、急ぎ館に戻ってレジルと―」
「で~す~がぁ~」
マトロの報告に大きく頷き、ソーマルガの貴族としての決定を行動に移そうとしたアイリーンだったが、そこにマトロの声が割って入る。
「…なんですの?」
「その皇都への報告ですがぁ、一つ加えてほしいことがありま~す。これなんですけど、なんだか分かりますかぁ?」
そう言ってアイリーンへ突き出したマトロの掌の上には、小さな部品が一つ載っていた。
形としてはL字型に曲げられた小さな金属の筒といったところで、このタイミングで見せてきたということは今までの話に関わる重要なものだとは思うが、これだけを見せられても何のことかさっぱりわからない。
「分かりませんかぁ?分かりませんよね、う~ふ~ふ~ふ~ふ~」
何が面白いのか、掌の部品を弄びながら旧ドラえも〇のような笑い方をするマトロだったが、不意にその笑みをピタリと止めて語り出す。
「これ、さっき船外機を調べた時に見つけたんですけど、ソーマルガで作られる魔道具にはよく使われてる部品なんですねぇ。最近はもっと性能のいい物が出来まして、特にこの動力くらい高度な魔道具だと、優先的に置き換えられているべき部品なんです」
昨今のソーマルガでは、飛空艇の研究によって魔道具関連の技術が飛躍的に向上している。
高度な技術の塊である飛空艇から得られた技術を、既存の魔道具に一部をフィードバックするだけでも大幅な性能アップが見込めるからだ。
そういった新しい技術というのは、複雑で貴重な魔道具にこそ優先的に導入されるため、この小さな部品も本来なら飛空艇の動力などにはとっくの昔に置き換えられているはずだった。
ところが、モーターボートに使われた動力は以前俺が国と取引して手に入れたものなので、唯一現在の国の管理から外れている動力部品と言える代物だ。
そのせいで、国によって行われた部品の交換プログラムのようなものから漏れたと思われ、マトロが見つけるまで誰も旧式の部品のままだというところに気が付かなかったのだろう。
「それがなにかいけませんの?舟は今日まで問題なく動いていましたし、なにより先程あなたが調べた動力部は機能的に問題もなかったのでしょう?」
「仰る通り、問題はありませんねぇ。あくまでも機器の魔力伝達で効率がいい部品に置き換わるだけなので、普通に使うのにさして大きい影響はないでしょう。ところがぁ、この部品自体におかしなところはなかったんですけど、どうもその新しい方の部品に問題がありそうなんですよぉ」
マトロはそう言って、ポケットから別の部品を取りだし、掌へ新旧二つの部品を並べて見せる。
こうして見比べてみると、この二つは形としては似通っているが、旧型はL字の形状なのに対し、新型の方はZの形に近い。
魔力伝達を効率的にするという触れ込み通りなら、形状だけでどれほど効果があるかは疑問だが、何か素材や見えないところの仕組みなどで差別化が図られているのかもしれない。
「これがその新しい方の部品なんですけどぉ、せっかくなので交換もしようかなぁなんて思いまして、ウチの私物から持ち込みました。で、さっき実際にこっそり交換作業をやってみたんですよ」
「いつの間にそんなことを…」
恐らく善意からだとは思うが、管理者であるロニやアイリーンの断りもなくコッソリ作業をするとは、マトロも中々図太い女である。
よりいい物へ昇華するためという理念でもあったのか、こういう所があるから技術者は怖い。
アイリーンもちょっと引いているほどだ。
「新しい部品の方を早速取り付けてみたところ…なんと!動力部から微量の魔力が逆流してきたんです!凄くないですかぁ!?」
世紀の大発見でもしたかと思わせるほどの迫力で、掌を部品ごと握り込む勢いのマトロに対し、俺達はというと一歩引いた冷静さで話を聞いている。
「逆流、ですの?その…何が凄いのか、私にはよくわかりませんけど」
「凄いことなんですぅ、アイリーン様!確かに逆流した魔力は微量なので、この動力部に致命的な障害が発生することはありません。ですが、構造的に大幅な減衰ができるはずの魔力の逆流現象がもし、飛行中に想定を超えた規模で発生したとしましょう~」
専門外だとは言っても、そこはやはり優秀な技術者なのだろう。
障害が発生した際の流れを説明できる程度には、飛空艇の技術も頭には入っているようだ。
「ソーマルガが作った飛空艇は、高出力と低出力の動力を二つ積んでいます。飛行中は高出力の動力で動いているのですがぁ、ではその間は低出力の方が動いていないかというとそんなことはなく、多少は高出力の方にも影響も及ぼすぐらいには稼働しているらしいんですねぇ」
ここまで聞いて、マトロが言わんとしていることが朧気ながら見えてきた。
「供給される魔力は高速飛行時は増大し、低出力の動力の方へも多少は流入するでしょう。そして、その流入した魔力がある程度蓄積したところで、この部品を経由して一気に逆流する。もしもぉ、高速での飛行中に動力内での魔力の流れに異常が出たとして、果たして今ソーマルガが作っている飛空艇にはそれを修正できるほどの機能はありますかねぇ?操縦系も機関制御もまだまだ改善の必要があると、ウチは知り合いの技術者からよ~く聞いてますよぉ」
飛空艇はハード面ではよく模倣されているとは言えるが、ソフト面に関してはまだまだ未成熟だ。
それを補うために二つの動力を積んだのだが、しかし今回はそこに問題が発生した。
新しく搭載された部品は、魔力を逆流させるという不具合が潜在しており、それに気付かず飛空艇を飛ばすと、逆流した魔力は動力部に一気に流れ込み、動作不良を引き起こしたらしい。
ソフト面での安全装置などほとんど搭載されていない飛空艇では、動力部に発生した不具合をパイロットに警告するということはまずできない。
恐らく、低空でゆっくり飛行しているだけなら、多少は魔力も逆流するが問題になるほどではないのだろう。
だが高速で飛行する際に供給される大量の魔力に異常な流れが発生するからこそ、飛空艇は墜落してしまうわけだ。
「マトロ、つまりどういうことですの?飛空艇の不具合は、その新しい部品があるからこそ起きているという認識でよろしくて?」
「は~い。大体はその認識で間違いありません。ただし、これはウチの見立てなので本当はもっと別の原因がある可能性もまだありま~す。とはいえ、不具合の原因として最も有力なものを見つけたと言っていいでしょう~」
「はあぁ…なんということでしょう。よりよい部品を取り入れたからこそ、問題が起きていたとは」
魔道具に高い性能が求められる風潮のソーマルガでは、部品を更新するというのは更なる性能アップのためという大義名分染みたものが常に存在している。
ところがそれが原因で最先端の魔道具が墜落したという可能性を聞いてしまい、アイリーンは戦慄するようにその身を一度大きく震わせた。
「性能がいいからと新しいものを取り入れはしたけれど、あとから不具合が発生しましたぁなんて、技術者にはよくある話ですね~」
「暢気に言っている場合ですの?これは急いで皇都の方に報告を挙げませんと!マトロ、あなたも報告書を急いでお作りなさい。私のと一緒に上奏しますわよ」
「えぇ~?今からですかぁ?ウチ、これから船内での作業があるんですけど…」
「そんなものは後!今はこちらの方を優先させなさい!さあ、行きますわよ!」
「あ~れ~…」
果たして本当に船内での作業があったのか、面倒から逃げるための方便だったのかは分からないが、鼻息を荒くするアイリーンに首根っこを掴まれたマトロは、引きずられるままに格納庫から連れ出されてしまった。
少し遅れてマルザンがアイリーンを追いかけて行ったため、残されたのは俺とパーラとロニの三人だけとなった。
「…領主になって落ち着いたと思ってたけど、アイリーンさんは相変わらずだね」
知り合いの変わらぬ姿に呆れるパーラだが、その気持ちは俺もよく分かるので頷きで同意しておく。
「でも、まさかあんな小さな部品で飛空艇が落ちちゃうなんて、私ちょっと怖いよ」
「ま、複雑な造りになればなるほど、小さな部品が原因で大がかりな問題になるってのは十分あり得るだろう。今回のはそのいい例だな」
「いい例って言うか、悪い例だけどね。それにしたって、ソーマルガの技術者達はなんであの部品が原因って突き止められなかったのかな?マトロさんはすぐに気付いたのに」
「多分、色んな道具にあまりにも普通に使われているからだろ。あって当たり前、それが当然だとして機構を考えているからこそ見落としたってところか。今回マトロさんが気付いたのだって、船外機の部品を置き換えようとしての偶然ってぐらいだからな」
パーラの疑問はもっともだが、マトロのあの反応を見るに、飛空艇の動力が新しい部品に置き換わってそこそこの時間が経っているようだし、技術者からしてみればもう以前の部品を思い出すこともなくなっているとしても不思議ではない。
その上で、実は置き換わった部品の方に問題があるなどとわざわざ考えなければ、この問題が表に出ることはまずなかっただろう。
そう言う意味では、今回の発見はマトロの大手柄と言えなくもない。
「ねぇアンディ、僕ちょっと思ったんだけど、あの新しい方の部品って国の人達は安全かどうかの確認してなかったのかな?」
「そりゃあどういう意味だ?ロニ」
「だって、飛空艇ってソーマルガが一番頑張って作ってる魔道具なんでしょ?そこに使う部品なんだから、取り付けたらなんか変なことが起きるってことを考えないでいられるものなのかなって」
言われてみれば妙だな。
飛空艇の動力となれば、ソーマルガの技術力の粋がつぎ込まれた、いわば最先端技術の結晶とも言える代物だ。
そこに使われる部品で、しかも魔力の流れに関わる重要なものを、碌なテストもしないで置き換えるものだろうか?
少なくとも、経過観察のために部品を交換した機体とそうでない機体を比較運用するぐらいはしてもよさそうだ。
「…そうだな、普通ならちゃんと動作を確認して、安全だと認めた上で部品は置き換えるもんだ。特に飛空艇みたいな人の命に関わる乗り物だと、なおさらそこは重要視しているはずだ」
空を飛ぶものである以上、墜落は最も避けたいとして、組み込まれる部品はしっかりと選定されてしかるべきだ。
ところがマトロが見つけたように、旧型の方になかった問題が新型の方には発生しているとなれば、ソーマルガの技術者はまともな安全性のチェックができない集団ということになってしまう。
勿論、そんなおかしな集団ではないことは分かっているため、一層この部品への違和感を覚えるわけだが。
「うーん、普通に考えたら、その安全確認でも見つけられなかったのがこの部品ってことになるんじゃない?」
パーラの言うことも正しい。
どういう安全チェックがされたかは分からないが、特定の条件下では発生しない問題であれば見逃していてもおかしくはない。
全ての状況を網羅して、それに対応したテストを行うなど、万能ではない人間には不可能だ。
「とにかく、今こうしてあれが見つかったのはソーマルガに取っちゃいい兆しだ。アイリーンさん達が皇都にどう報告するかにもよるが、飛空艇の問題が完全に解明される日も近いかもしれん」
飛空艇の不具合に対しての一先ずの対処法は分かっているが、根本的な原因ははっきりとは分かっていなかったと聞く。
この先、同じ問題が再び起こる恐怖を抱えたまま、対処療法で飛空艇を動かし続けるのに比べれば、危険なパーツが判明したことの意義は大きい。
もっとも、原因がこのパーツ以外にもあるという可能性は残っているが、それでも一つの大きな進展となり得る発見は明るいニュースとなるだろう。
「まぁ後のことは、アイリーンさんとかハリム様みたいな偉い人がうまくやってくれるでしょ。報告書がどうとか言ってたし、私らの出番はないね。しばらくは村でゆっくりできそうだよ」
ここから先はアイリーン達のような貴族や官僚といった人間の領分だと、そう考えたパーラの気持ちはわからなくもないが、俺はこの先の流れが何となく思い浮かんでいる。
パーラはこう言っているが、果たしてこの後のんびりできるかどうかはアイリーン達次第だと思う。
「だったら僕と一緒に少し村を歩いてみない?アンディ達がいない間に、村の中も結構変わったんだよ」
ジンナ村に来てから俺達が立ち寄ったのは、アイリーンの館とこのテルテアド号ぐらいなので、村の中の変化というのはほとんど見ることはなかった。
ロニがこう言うとなると、きっと俺達がいなくなってから新しく増えた何かがあるのか。
「お、いいねぇ。じゃあ私らの知らないジンナ村をロニに案内してもらおうかな。アンディ、行こう」
「ああ、分かった。でもその前に、船外機だけは外に運び出させてくれ。終わったら舟の所に持っていくって約束してたからな」
モーターボートは若手の漁師達に引っ張りだこであるため、今日船外機を持ち出すことにも難色を示されたのだが、終わったらすぐに返すということでここへと運び込めたのだ。
検証も済んだので、今度はこちらが約束を果たさなければなければならない。
船外機は単体でもかなりの重さだが、身体強化を使えば持てないこともなく、またここまで運ぶのに使った台車もあるので運搬にさほど苦労はない。
舟への船外機の取り付け自体は難しい作業ではないので、引き渡してしまえばあとは漁師達に任せられる。
さっさと漁師達の下へ戻し、ロニとのジンナ村ツアーへとしゃれこむとしよう。
俺達が旅立ってからのジンナ村は、テルテアド号と昆布のおかげで領外から来る人も幾分か増えたおかげで色んな施設が増えており、それらを見て回るだけで楽しい時間を過ごせた。
半日近く村を歩き回った心地よい疲労を村の露店風呂で癒した俺達は、夕食後の穏やかな時間をアイリーンの館で過ごしていた。
するとそこへレジルがやってきて、俺とパーラを執務室へと誘う。
どうもアイリーンから俺達に話があるそうで、早速執務室へと行った俺達は、真剣な表情で机に向かって書類を作成している領主の姿を目にした。
昨日の仕事中に居眠りしていた姿は幻影だったのかと思わせるほどのその様子は、アイリーンがちゃんと領主をやっているのがよくわかる。
「きましたのね。二人とも、こっちに」
部屋に入って来た俺達を一瞥し、すぐに手元の書類へと視線を戻しながらアイリーンが執務机の傍へと俺達を招く。
「お呼びと聞きましたけど、俺達に一体何の用ですか?」
近くまで来るとアイリーンが書いている書類の内容が少しだが読め、そこには船外機の調査から発覚した動力の問題を告発する旨が記されていた。
恐らく昼間、テルテアド号で別れてからずっとこの書類を作っていたからだろう。
マトロの意見も取り入れているせいか、専門的な文言で嵩増しされた書類の束はかなりの厚みだ。
俺の呼びかけに答えず、そのまま手を動かし続けていたアイリーンだったが、しばらくして作業を終えると、書類を纏めて木製の書類ケースのようなものへと収納してこちらへと向き直る。
改めて面と向かって分かったが、その顔には若干の疲労の色があった。
「ふぅ…待たせましたわね。実は頼みたいことがありますの。これとこれ、あとこれ。この三つの書類を皇都へ届けていただきたいのです」
たった今出来上がったもの以外にも、既に作成済みだった書類の入ったケースが二つ追加され、計三つの書類ケースが机の上に置かれた。
「…それは昼間、テルテアド号で調査した動力に関しての報告書ですか。確かに皇都へ報告を上げるとは言ってましたけど、何故それを俺達に?言っては何ですが、俺達なんかよりもちゃんとした人に託したほうがいいのでは?」
「そうだよ。大事な書類なら巡察隊の人に預けた方がよくない?それなら飛空艇だって使えるからすぐに届けられるし」
「ええ、その方がいいとは私も分かりますわよ?ですが、届けるのは書類だけではありませんの。皇都には、マトロも一緒に連れて行ってもらいます。そのついでに書類も持っていくということで、どちらかというと、マトロの護衛が主な役目となりますわね」
どうやら事の重大さを鑑みて、マトロを直接報告に向かわせようと考えたようだ。
考えてみれば、この問題はソーマルガにとって非常に大きいもので、問題の品を直接検分して原因をその目で見た技術者が赴くことがやはり重要だというわけだ。
道中の万が一に備えて、マトロの安全を考えて護衛をつけようとしたのも、この件をそれだけ重要視している証拠だろう。
皇都までは風紋船で行くしかないが、比較的安全な旅とは言え何があるか分からないため、護衛を付けたいというアイリーンの気持ちはわからんでもない。
とはいえ、それでもやはりその役目を俺達に託すのは少し筋違いではなかろうか。
それだけ重大なことなら、尚更巡察隊にマトロを任せ、飛空艇で皇都へ連れて行かせた方がいいと思うが。
そうアイリーンに言ってみたところ、渋い表情で首を振られてしまった。
「巡察隊がこのあたりまで来るのはしばらく先です。確かに飛空艇を使えば皇都まではすぐですが、巡察隊を待つ時間を含めても風紋船で向かわせた方が早いでしょう」
今のソーマルガは稼働している飛空艇がかなり限られており、それに付随して巡察隊も活動域がかなり狭められるか、時間がかかるパトロール経路を選ぶことを強いられている。
アイリーンの領地など、ソーマルガ皇国としてみれば南端の辺境とも言える場所であるため、巡察隊もそうそう頻繁にはやってこない土地だ。
巡察隊が以前に来た時期から考えて凡その次回の来訪を予想し、アイリーンは風紋船でマトロを向かわせる方を選んだというわけだ。
「これはあなた達が最も信頼できると考えて頼んでいます。無論、報酬も十分なものを用意します。ですので、どうか引き受けてもらえませんか?」
最初は命令染みた要請だったが、今は懇願するような目で俺達を見るアイリーンに、その頼みを無碍に断る気が失せてしまう。
パーラの方も、困った笑みで俺を見ていることから、引き受けるつもりはあるようだ。
「分かりました、お引き受けします。皇都へはいつ頃の出発になりますか?」
「なるべく早くとは思っていますけど、すぐにとはいかないでしょう。レジル、風紋船の乗船券は手配にどれほどかかりますの?」
「通常であれば五日はいただきますが、お急ぎとあらばアイリーン様の名を使って…三日はかかるかと。ですが、二人分の乗船券であれば明後日には出発できるものをご用意しましょう」
ジンナ村ぐらいの辺鄙な土地で、急なチケットの手配に五日というのもかなり早いのだが、それでも三日でどうにか出来るというのは、アイリーンの権威を使うとはいえレジルの手腕が優れている証拠だ。
さらに、人数は限られるとはいえ明後日出発の乗船券を用意できると言い切るレジルは、いたいどんな切り札を持っているというのか。
「明後日とは随分と早いですわね。その乗船券はどこから出てきますの?」
「丁度、皇都近辺へ近々に向かう商人が二人、当地に滞在しております。少し無理を言って、その席を融通してもらいましょう。引き換えに礼金と、村での商いに多少の便宜はいりましょうが」
「止むを得ませんわね。商人には私の方からも後で礼状を出します。レジル、すぐにその商人の所へ向かいなさい」
「畏まりました」
この時間だと、村のどこかに宿を間借りしている商人は眠っている可能性は高いが、レジルを使いに出すという程度にはことを急ぎたいのだろう。
一礼して部屋を出ていくレジルを見送ったアイリーンは、再び俺達へと向き直る。
「さて、用意する風紋船の乗船券は二枚。一枚はマトロが、残りの一枚であなた達二人のどちらかが同行するということになりますわね。マトロが女性である以上、同行するのはパーラが望ましいのですけれど、まぁアンディでも構わないでしょう。あなたのことは信頼していますから」
「それはどうも。ですが、アイリーンさんの言う通り、ここはやはり同性のパーラの方が色々と気が利きますから、俺は村に残って…」
「いやいやいや、飛空艇のことなら、アンディも一緒に行ったほうがいいでしょ。技術的な話とか、向こうでなんかあっても対応できるじゃん。それに護衛としてなら私よりもアンディの方が向いてるし。村には私が残って、ロニと一緒にアンディの帰りを待つよ」
「いやいやいやいや」
「いやいやいやいやいやいや」
互いに乗船券を譲り合う俺達は、一瞬視線を交差して相手の真意を悟った。
こいつ、皇都まで行く面倒くささを押し付けようとしている、と。
そんなはずはないのだが、バチリと俺達の間に火花が散ったような気さえする。
俺達が皇都からジンナ村まで遥々やって来たのは、バカンスの側面が大きい。
だというのに、特に羽を伸ばすこともなくまた皇都へ戻るというのがなんとも嫌なのは、俺とパーラが共有している思いだろう。
だからこそ、相手にマトロの護衛を押し付け、自分は村でのんびり過ごそうとしているのがよくわかる。
「…仕方ない、ここはじゃんけんで行く方を決めよう。恨みっこなしだぞ、パーラ」
「おぉ、いいじゃん。やってやんよ。この勝負に勝って、私はロニとキャッキャウフフと遊ぶんだ!」
妙にフラグ臭いことを言うが、その凄味は大したものだ。
互いに少し距離を取り、腰だめに構えた拳に己の運命をかける。
パーラの構えと重心から、恐らく奴の出す手はグーだ。
こういう勝負事の時、力が入りすぎるパーラは絶対に初手でグーを―
「ちなみに私はチョキを出すつもりだよ」
「ぬ!?」
こいつ、いっちょ前に心理戦を仕掛けてきやがった。
敢えて手を明かすということは、そこに裏があるのでその裏を読んで逆に表なのか。
あるいは表と見せかけて裏、と見せかけて表のさらに裏の裏で表かもしれん。
…何を言っているのかもうわからなくなってきたな。
もういい、男は度胸だ。
俺は幸運のグーでいく。
それでいい、いやそれがいい!
「なんでもいいので、さっさと決めてくださいな。ほら、じゃーんけーん」
『ッッ!!』
一向にじゃんけんが始まらないのに業を煮やしたのか、勝手にスタートを切ったアイリーンにせっつかれ、俺とパーラはその場からジャンプをして拳を突き出す。
急なスタートだったが、勝負とあらば是非もない。
負けられない戦いが、ここにはある!




