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世の中は意外と魔術で何とかなる  作者: ものまねの実


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ベナト・フォン・ダナンクレアス

 その昔、人類が二つの陣営に分かれて長く戦争をしていた時代があった。

『具象大戦』と呼ばれたその大戦に関しては、今でも残されている異説や俗説の数が膨大で、また当時の権力者による伝承の改竄や抹消がなされた跡も多く見つかっており、大戦の発端となった事柄やその呼び名の由来も正確なところは分かっていない。


 しかし現在までに残る一級の資料には、具象戦争の狂気とそこから生まれた恐怖の象徴を、確実に後の世に伝えようとした当時の人達の執念染みた思いの籠ったものも決して少なくない。


 高度に発達した文明が故に、一つの大陸を丸ごと戦火の渦に巻き込めてしまったこの戦いは、ヒト種と呼ばれる全ての種族に被害を出し、一説によると大陸の全人口が半分まで減ったと言われるほど、長く激しい戦争だった。


 魔道具や魔術が今よりもずっと発展していたその時代は、優れた技術力故に効率的かつ残酷に多くの人間を殺した、『人類が最も愚かだった時代』だったと歴史学者は口をそろえて言う。


 残されている文献には多くの教訓や英雄が記されており、それを元にして作られた英雄譚は現代にも数多く伝わっている。

 そして、英雄が生まれるのと競うように、悪の象徴もまた戦乱の中で姿を現していく。


 具象大戦で記録に残っているほどの特徴的な兵器や武器、または大規模魔術などは枚挙に遑はないが、なんとも奇妙なことに、その中でも大量破壊兵器と同列に扱われるほど恐れ、忌み嫌われている人物がいた。


 それこそが、ベナト・フォン・ダナンクレアスと呼ばれる女傑だった。


 記録に初めて現れたのは具象大戦も終盤となるあたり。

 どこからやってきたのか、出自も来歴も分かっていないこの時のベナトはまだダナンクレアスを名乗っておらず、文献によれば年若く見目麗しい女性という記述があることから、美しさには特筆するものがあったようだ。


 そのベナトだが、歴史に登場するのとほぼ同時に、その悪名は高まっていくことになる。


 悪名を現在にまで残すことととなる所業はいくつかあるが、その中でも最も恐れられている事件が、『鮮血の夜明け』と呼ばれるものだ。

 これはベナトを語る際に必ずセットとなる事件で、短期間に単独で人間を殺害した数だけなら歴史上トップを未だに独走状態となっている。


 事件の概要としては、シンプルなものだ。

 ある時、この戦乱の時代では珍しくもない戦場にふらりと現れたベナトは、二つの陣営がぶつかるど真ん中で大規模な儀式魔術を使った。


 この儀式に関して残されている記述によれば、通常ならば優れた魔術師が五十人と、魔力の純度と量を高める特別な触媒を用いて行う儀式タイプの魔術であったと推測されている。


 それをベナトは個人で、しかも何の事前準備もなく儀式として正しく成立させたことにより、規格外の魔術師として歴史に名を遺した最初の出来事となる。


 ここまでのことなら、優れた魔術師が戦場で力を振るっただけで終わる話だが、ベナトはこの儀式魔術で、戦場とその周辺にいた兵士と非戦闘員の合わせて三万人の命を奪ったという。

 兵士だけならまだしも、たまたま近場にいた一般人すらも殺すという残虐さは確かに酸鼻の極みだが、ベナトが恐れられる理由はこの時の殺し方にあった。


 後にこの地を訪れた者が見たのは、大地を埋め尽くす異形の死体だった。

 斬られも打ちくぼみも、また射られたでもなく、真っ当な魔術でもない何かによって殺されたと思われるその者達は全て、つま先から頭のてっぺんまでを、捩じられて絶命していた。

 死体を少し調べたところ、生きながらにして体をまるで雑巾を絞るように捩じり上げられ、体内の血液を一滴残らず絞り出されたと判明した。


 肉と骨だけになったこれらの死体は、その血液をどこへやったのか。

 その疑問はすぐに晴れる。


 三万人の大虐殺があってしばらく経った頃、夜空に三つの月が現れた。

 この世界の月が二つだけなのはいついかなる時でも変わらないが、そこに新しく月が一つ加わったのは異変以外の何ものでもない。


 事実、その月はベナトの魔術によって作り出されたものだった。

 昔からある二つの月とは異なり、血よりもなお赤い光を放つ三つ目の月は、ベナトが三万人分の人間の血液を集めて生み出したもので、まるでこの世の全てに向けた怨嗟を放つような悍ましさがあったという。


 この赤い月が生み出された理由はたった一つ、ベナトが自らを別の存在へと進化させる糧とするためだった。


 多くの人間が見つめる中、ベナトが赤い月にその身を浸すように吸い込まれていく。

 そこから長い時間の経過とともに果実が熟すように月が赤さを増していき、ついに赤い月は弾け、辺り一帯に文字通りの血の雨を降らせた。


 夜明けの時間と重なったこともあって、朝焼けの中に降り注ぐ血は大地を赤黒く染め上げた光景を、居合わせた人間達は口をそろえて『鮮血の夜明け』と呼んだそうだ。

 勿論、いい意味ではない。


 そして、赤い月が消えた後の空に浮かんでいたのは、新しく生まれ変わったベナトだった。

 肌は死人のように青白く、髪の毛は血を吸ったように赤いその姿は、元々の美貌もあるが人ならざる妖艶さを放つ、ただそこにいるだけで人の心を乱す存在だと、伝承では語られている。


 多くの死を糧にして変性したベナトこそ、後の研究者により新たな種と定義される『吸血種』がこの世界に降り立った最初の存在となった。





 吸血種に関して伝わる情報は多岐に渡る。

 見た目は普人種とさほど変わらず、しかし明確に違う種だと対峙する者に意識させる何かを備えた存在だったという。


 エルフに匹敵する長い寿命を持ち、独自の魔術を操る吸血種は、新しく発生した種族でありながら、その時点で他のどの種族よりも強い力を持ち合わせていた。

 一説ではヒト種に限るという推測はあるが、それらの血を吸うことで対象を眷属とし、支配下に置いて操るという能力も備えている。


 また、クロウリーの体が小さな虫に分裂したのも、吸血種固有の能力だ。

 虫になるか蝙蝠になるかなど、個人差はあるが、総じて自分の体積を意図的に分割できる能力は、潜入に攪乱、移動と攻撃全てに応用出来る広範さがあり、吸血種を代表する力の一つと言える。


 なお、発生した当初は陽の光を恐れるという習性はあったが、時間の経過とともに適応していき、最終的には昼間は身体能力的に若干弱体化する程度にまで克服したらしい。


 また、吸血種の中には流水を恐れる傾向の者もみられたが、あくまでも一部がそうだっただけで、全ての吸血種に当てはまるとは限らない。

 総じて弱点の見つからない、ヒト型のものとしては最強の生物だったと、現在の学者達は見立てている。






 新たな姿へと変わったベナトは、まず最初にその場にいた人間達に襲い掛かり、ほとんどを自らの眷属へと変えてしまう。

 その際に対象の体の一部に噛みつく様子から、吸血種と名付けられたとも言われている。


 一方的な虐殺とも違う、まるで麦を刈り取る様にひどくあっさりと人間から別の存在に作り替えられていく様は、運よく逃れた者達のほとんどが精神に傷を負うほどの凄惨な光景だったと言われている。


 こうして新たな種として眷属を増やしていき、次第に勢力を拡大していったベナトは、ついに具象大戦における敵対する二つの陣営に対して、宣戦布告をするにまで至る。

 この時より、自らを吸血種の王と名乗り、名前もベナト・フォン・ダナンクレアスと改めている。


 当初、具象大戦に新たな陣営が参戦したとみなされ、三つ巴の争いが始まるものとばかり思われていたが、人類側は戦えば戦うほど数を減らすのに対し、ベナト陣営は戦った相手を眷属化することで数を増やし、何度かの衝突を経て、遂には勢力のパワーバランスがベナト側の一強へと変わっていく。


 ここでようやく人類は真の敵を一つと定め、それまで戦争をしていた陣営が和平へと動き、多くの時間と人的資源を無為に消費した具象戦争はようやく終結した。


 この一点のみを捉え、人類同士の争いに嫌気を指したベナトが、あえて自らが脅威となることで平和への道筋を作った、という説をまことしやかに囁く学者もいる。

 だが、今日までに伝わるベナトの非道さゆえに、その説を支持する声はほとんどない。


 具象大戦が終結を迎えたが、次に控えていたのは吸血種と人類との戦いだ。

 ベナトは人類側との交渉を一切持たず、ただひたすらに虐殺と眷属化を繰り返していき、世界はついに吸血種かヒト種のどちらかの滅びを選択する段階まできてしまう。


 元々具象大戦で人類側の数は激減しており、ベナト陣営に対抗するには力が足りているとは言えなかった。

 このまま人類は吸血種へと飲み込まれる運命にあるかと、厭世的な空気が満ちていた中で、人類は偶然にも吸血種を滅ぼす毒を開発できた。


 当時の技術力は今と比べても格段に高く、倫理にさえ目を瞑ればあらゆることを可能にしたという。

 数少ないながら捕虜としたベナトの眷属を使い、とても人道的とは言えない実験を繰り返した果てに完成した毒は、吸血種が体内に摂取すればたちどころに体組織を崩壊させるほどの劇物だった。


 しかし作ったはいいが所詮毒は毒、それ単体で自在に敵に向かっていくものではない。

 人の手で敵に対して打ち込む必要がある。

 これをベナトらにどう摂取させるかが問題だったが、それを解決したのが吸血種の習性だ。


 食事か眷属化の目的にもよるが、吸血種は人間の血を好んで吸うため、事前に毒を体内に取り込んだ人間の血を吸血種に吸わせることで、間接的に吸血種へ毒を飲ませることができる。

 この毒は普通の人間に致命的な害は無いと言われているが、吸血種に噛まれる前提で毒を受け入れるのは並大抵の覚悟ではない。


 だが滅びの際に立つ人類には他に手はなく、嘘と脅迫を用いて強引に集めた()()()()()()()()()()により、ようやく人類は吸血種へと一矢報いることができた。


 多大なる犠牲と挺身によって人類は反撃への糸口を手にし、その後、具象大戦よりも長い時間をかけて人類はようやく吸血種を打ち負かすまでに至る。

 眷属が次々と討たれ、最早勢力の維持すら困難となったベナトは、いつか人類へと逆襲することを宣言しつつ、側近たる一部の吸血種を従えて歴史の闇へとその身を潜ませた。






「―とまぁ、こういう伝承があるから、ベナトは恐れられているわけだね」


 俺が求めて語られたベナトに関する言い伝えは、元々膨大な量があっただけに長い講義となったが、その甲斐あっておおよそのところは一先ず理解できた。

 元研究者だけあって、エランドの語り口は客観的で耳に入りやすくて助かる。


「ここまで話したのはあくまでも一部で、詳しく語るともっと長くなってしまうんだ。正直、この後に食事を控えていると辛くなるほどに凄惨な話も多いんだ。だからこれぐらいでやめておこうか」


 ベナトがしたことは色々とあるが、歴史上で重要と思われる点だけをチョイスしたおかげで、思ったよりもグロい表現はなかった。

 この後に俺達が夕食を食べることに配慮してくれただけで、実際は色々と酷い逸話も多いようだ。


 長い講義を終え、空に浮かぶ月を眺めて長く息を吐く。

 血のような赤い月などない、いつも通りに二つの月のみがある空を見ると、さっきの話を聞いたせいか妙に安心する。


 今はクロウリーを撃退してから少し経ち、すっかり日が落ちて夜となっている。

 人の気配がまるでなかったカーチ村だが、それはクロウリーを恐れて息を潜めていたせいで、それがいなくなったことでヤエルカがあちこちの家に声をかけ、村人も姿を見せはじめた。


 商隊の馬車が村の中に入ってきたこともあり、広場では夜の闇を焼く篝火に照らされながら、久方ぶりの再会を喜ぶ姿もちらほらと見られる。

 どうやらクロウリーの影響は長くこの村に不安の影を落としていたようで、外から来た知人に安らぎを感じている人は多いようだ。


 今この村で起きていることについては、アッジの口から説明されるのを待てという指示が出ている。

 そのアッジは村長宅で事情を聞き出している最中だが、とはいえ人の口に戸は立てられぬ…というやつで、一足先に村人から話を聞いて顔を青ざめさせている商人の姿も少しずつ増えてきていた。


 おかげで護衛の人間にも情報は少しずつ降りてきているみたいだが、俺はエランドからベナトについての講義を受けていたので、まだ詳しい事情はまだ分かっていない。

 せいぜいクロウリーがカーチの村に対して何かしているというぐらいで、それはエランドも一緒だが、そこから先の情報はパーラやクプルあたりが集めてきそうなので、それを待ってもいいだろう。


「しかし意外と言っていいのか、ベナトに関する伝承はかなり詳しく残ってるみたいですね。この手の人類の恥部とも言える歴史は、長い時間の経過で色々と欠けが出るものと思ってましたが」


「いや、君の言うことも間違っちゃいない。事実、いくつかの伝承は失われたというのも分かっている。それでもこれだけ詳しい伝承が残されているのは、ベナトの恐ろしさを残すべく尽力した人間が多かった証拠だ」


「まるでベナトがまだ生きていて、それに備えろと言っているようですね。…まさか、生きてませんよね?」


 先程までのエランドが語った話では、ベナトが死んだという所までは言及していなかった。

 吸血種というのが俺の知る吸血鬼のそれと同じものだとしたら、永遠に近い寿命により今日まで生き残っていても驚きはしない。


「それは大丈夫だ。さっきの続きになるけど、ベナトはその後二度、歴史に姿を現すんだ。その二度目の際に人類はベナトを完全に殺している。これはあらゆる文献にも残されているから、間違いない事実だ」


 その言葉にまずは胸を撫で下ろす。

 明確な数字は分かっていないが、それでもベナトが生きていたのは千年や二千年では効かない大昔だ。

 流石にそんな長い時間を生きて暴れていれば、今頃人類はもっと明確な苦境に晒されているだろう。


「ただ、ベナトが死んでもその眷属、とりわけ力の強かった連中はその後も歴史上に現れては人類に戦いを仕掛けてきたんだ。まぁそれも大抵は退治されているんだが、その連中こそが赤月の二十華族というやつでね」


 つい先ほど聞いた覚えのある言葉が、エランドの口から出てきた。

 クロウリーが名乗った時に口にした赤月の二十華族というのが、まさにこれのことだという。


 ベナトを筆頭にして、最も力の強い吸血種二十人が吸血種全体を支配していた流れで、そのままそれぞれが好き勝手に家名を名乗りだしたところ、誰が付けたのか赤月の二十華族という呼び名がいつの間にか定着したらしい。

 この赤月の二十華族は、ベナトが死んでからも吸血種を率いて度々人類に牙を剥き、その度に人類は一致団結して抗うことで、長い年月をかけて吸血種の全てが駆逐されたはずだった。


 だが今日この場にその二十華族の一つ、それもダナンクレアスという最強最悪の家名を引っ提げる者が現れたことで、歴史の彼方に埋もれていた脅威が、俺達の前に実体を伴って現れたわけだ。


「子供の頃、悪さをしたらベナトが攫いに来るってのはよく使われる脅しでね、もう死んだはずのベナトが未だに言われるのは、それだけ恐怖の対象として大きかったせいだ。学者でも、何年かに一人はベナト生存説を唱える者がいるくらいさ」


「ベナトを知れば知るほど、亡ぶとは思えないという強迫観念に駆られるわけですか」


 既に過ぎさったものであるがゆえに、そこには恐怖と憧れがあり、きっとそうに違いないという願望を声高に叫びたくなるのも分からんではない。

 地球で言う所の、UMAやUFOを研究する人間の心境に近いものがありそうだ。


「そうかもしれないな。ベナトは死んだ、それは確かだが、しかし調べれば調べるほど、それを疑いだす者が必ず現れるのは研究者の性とも言える」


 何か思うところがあるのか、そう言って視線を逸らすエランドの横顔には、疲れによる影が差したように見える。

 ちょっぴり好奇心がそそられ、追及するべきか迷っていると、護衛の人間が一人、俺達に声をかけてきた。


「お話の所失礼するぜ、エランド。ちょっといいか?」


「ああ、構わないよ」


「アッジさんがお呼びだ。村長宅まですぐに来てくれってよ」


 そう言って自分が今来た元である背後の家屋を指さす。

 村の中心を通る道の行きつく先、そこに建つ一際大きな家がカーチ村の村長が暮らす家だ。

 アッジ達は今、そこに詰めて会議のようなものを行っており、そこからエランドを呼ぶべく目の前の男は遣わされてきたのだろう。


「僕を?なんの用でとは聞いてるかい?」


「いや、そこまでは。ただ、なんかについてあんたの考えを聞きたいとか、そんな感じのことを言っていたよ。ここにいる連中の中じゃ、一番学があるのはあんただしな」


 村長宅に集まっているのは、アッジを含めた商隊を率いる商人達だ。

 その彼らがエランドを呼ぶということは、その見識を頼りにしてと容易に想像できる。


「そうか。わかった、すぐに行こう。…ふむ、アンディ、君も来たまえ」


 歩き出そうとしたエランドだったが、一旦足を止めて俺を見つめると、手招きをして俺へ同行を求めてきた。


「俺も?呼ばれたのはエランドさんだけでは?」


「そうではあるが、構わないさ。今のところ警戒の目は他の者で足りているし、君もこうしているだけでは暇だろう?」


 俺達がアッジから与えられた周辺警戒の任務は、商隊が村の中に入ったことで他の人間が今は引き継いでいる。

 先程一戦やらかした俺達の疲労を考え、何かあった時のためにと休息を貰っていた。


 そういう意味では休んでいるのも仕事の内だが、暇であることは確かだ。

 パーラ達もまだどこかに行ったまま戻ってきそうにないし、ここはアッジの所に行くのも悪くない。


 エランドの提案に乗り、俺も共に村長宅へ向かうと、建物に入ってすぐの広間でアッジ達がテーブルについて神妙な顔を突き合わせていた。

 村長とヤエルカの二人は沈痛な面持ちで、それはクロウリーという存在に狙われた村の住人としては正しいものだ。

 対してアッジ達はというと、こちらは不思議な表情だ。


 村長達には同情的な視線を向けてはいるが、しかし同時に呆れが含まれた困惑の顔をしている。

 カーチ村の必要性をを考えれば、アッジ達もクロウリーへの対策を共に考える立場にあると言え、その危機感は共有しているはず。

 だというのにこんな態度を見せるとは、一体どうしたことか。


「アッジ、僕を呼んだようだけど、何用かな?」


 そんな一種奇妙とも言える空気の中、呼ばれて来た以上はただ突っ立っているわけにもいかず、エランドがアッジへ声をかける。

 するとアッジ達はその声で意識をこちらへと向け、今俺達に気付いたかのようなリアクションを見せた。


「おう、来てくれたか。…なんだ?アンディも来たのか」


 呼んだのエランドであり、そこにおまけとして付いてきた俺が意外だったのか、片眉を跳ね上げさせたアッジと目が合う。


「僕が連れてきたんだ。いけなかったかな?」


「いや、構わん。なにもそこまで秘匿することでもないからな。エランド、少しお前の知恵を借りたい」


「ふむ、呼ばれた時点でそうであろうとは思っていたけど、僕の知恵というと?」


「吸血種に関する…習性とでもいうのか、そういったものが少し知りたくてな。その前に、今この村で起きていることと、あのクロウリーとやらについての話をしようか。それを知った上で、知恵を出してほしい」


 そう言ってアッジが話したのは、カーチ村にクロウリーが現れてから今日までの経緯だった。


 クロウリーがカーチ村に姿を見せたのは今から二十日ほど前の夕暮れ時だった。

 カーチ村はその立地から、ぜいせいメアリ商会のようなソーマルガを目指す商人達が年に何度かやってくるぐらいで、たった一人、それも陽が落ちてからやってきたクロウリーは珍しくはあったが奇妙なものではない。


 ほぼ手ぶらと言っていいほどに軽装の姿は今にして思えばおかしいとは分かるものの、その時はとりたてて疑いは持たず、クロウリーは普通に宿を求めて訪れた旅人として村内に迎え入れられる。


 カーチ村はワイン造りの真っ只中にあり、去年作ったワインの中でも出来損ないの物を処分するのも兼ねて、小樽一つ分のワインがクロウリーにも振舞われた。

 旅の話などをつまみにしようと、村の人間に囲まれていたクロウリーは笑顔で応じていたが、その席で突如自分の正体を明かす。


 太古に人類と敵対したベナトの血を引く吸血種であることをカミングアウトし、居合わせた村人達にある要求をした。


「ある要求?まさか、生贄を?」


 ここまで話を聞いていたエランドだったが、堪えきれずといった様子で漏らした疑問の声でアッジの言葉を遮る。


 あれが俺の知る吸血鬼とどこまで同一かは分からないが、しかし血を吸うという習性だけを考えれば、この手の連中が要求するものは相場が決まっている。

 すなわち、食料としての人間の血か、処女の花嫁のどちらかだ。

 俺の知る吸血鬼は大概そうだったしな。


 クロウリーもそうだろうと考えていたが、アッジの口から出てきたのは予想外の言葉だった。


「いや、そういうのじゃあない。クロウリーが要求したのは、なんと言うか…所謂笑える話というやつだそうだ」


 …笑える話とな?

 話しの脈絡としては随分とかっ飛んだ言葉のように思えるが、しかしアッジの顔はいたって真剣だ。


「……それは何かの比喩かい?」


 エランドも俺と同じ疑問を抱いたようで、声に戸惑いが混じっているのは、それだけ今聞いた言葉が意外だったせいだろう。


「まぁそういう反応になるよな。私もそうだった」


 俺達の反応からバツが悪そうな様子になったアッジだったが、村長達から聞き出した話によれば、クロウリーが求めているのが笑える話ということで間違いないらしい。

 凶悪で知られる吸血種が、よもやこんなところまで足を運んでスベらない話を求めるなど、予想外に過ぎる。

 それを聞いた俺もエランドも、なんとも言えない顔になってしまうのは仕方がない。


「何故クロウリーはそんな要求を?」


 本当はもっと言いたいことはあるのだろうが、それをぐっと飲みこんで話を進ませようとするエランドは立派だ。

 その疑問に答えたのは、これまで口を開いてこなかった村長だった。


「無論、ワシらもそれは尋ねた。だが返ってきた答えは、『暇つぶしだ』と」


 クロウリーがそれを言った時のことを思い出してか、村長がブルリと身を震わせる。

 吸血種と相対して吐かれる言葉としては、得体の知れなさも相まって恐怖を感じたに違いない。


「村の者も最初は吸血種など言われても信じず、変人の戯言に付き合ってやろうと考えた。酒も入っていたしな。とにかく適当に笑い話をいくつか語ってやったのだが満足はしなかったらしい。…その場で何人か殺されてしまったわ。あっという間だった」


 流石吸血種、人間など屁とも思っていないようで、戯れにも似た気安さで村人を殺したようだ。

 殺された村人の顔でも目に浮かんだのか、村長の顔にかかる影が濃くなる。


「その時はそれで終わって、クロウリーの姿がまるで霧のように消えての。呆気には取られたが、恐怖は去ったと、死んだ者には悪いが安堵した。だがそれから二日ほど空けて、クロウリーがまた村に来た。今度はしっかり笑える話を聞かせろとな」


 殺された人間を見ている以上、クロウリーに笑い話を聞かせてやろうと前に出る村人はおらず、そのことに失望したクロウリーが今度は村の若い娘と子供を二人、攫って行った。

 何のために攫っていったのかは考えるまでもない。


 それからは二日おきに現れてはスベらない話を求めて現れるクロウリーに村人を攫われるという日々が続いた。

 当然、村人側もただやられるままをよしとせず、何度かクロウリーを倒そうと立ち上がった者はいたのだが、やはりあっさりと殺されてしまう。


 今のカーチ村はクロウリーに攫われるか殺されるかして村人の数は減り、活気も失せて恐怖におびえる村人だけが残っているのみだ。

 おかげでブドウの収穫も大幅に遅れ、人手不足はそのままワインの仕込みにも影響し、今年のワインは去年の半分も作れるかどうかだそうだ。


「ひどい話だね。しかしそれなら、他に助けを求めればよかっただろうに。近くの村や、何だったら領主を頼ったらどうだい?吸血種の出現となれば、国も動きそうだけど」


「やってないわけがねぇだろ。クロウリーが現れてから最初の日に、村の外に使いを出したさ。だが、クロウリーにすぐ捕まっちまったよ。そしたらそいつは殺されちまったし、下手に人を出すにもいかねぇだろ。奴はこの村から一人として逃がすつもりはないんだ」


 エランドの問いに答えたのは、ヤエルカの悔しそうな声だ。

 吸血種が現れたとなれば、一つの村の中だけで解決できるレベルの問題ではない。

 他所に救援を求めるのはいの一番にしたが、クロウリーによって妨害されたわけだ。


 既に一度伝令で被害者が出たせいで、次の被害者を出すのも躊躇い、今日までのカーチ村の惨状が外に漏れなかったわけだ。


「…俺達はアッジさんに宛てた手紙を見てここに来てますけど、それはどこから?」


「あぁ、それは確かに俺が書いたやつだ。最初に使いに出した奴が持ってた手紙が、どういう風にか賊に拾われたらしいな。クロウリーも伝令役を捕まえるのに満足して、荷物は放っておいたんだろう」


 俺達が倒した賊達が手紙を持っていたのは、そういうわけか。

 領主や他の街に宛てた手紙のうちの一つが、アッジへのものだったと。


 本来なら届くはずの無かった手紙が、賊に盗まれたことでクロウリーの目をかいくぐってアッジにたどり着いたのだから、偶然の妙というのには唸らされる。


「話は大体わかったけど、それで僕の知恵が必要だってのは一体どういう…まさか」


 カーチ村で起きていることの凡そを聞き、エランドは自らが呼ばれた理由を再度尋ねたが、すぐに答えに思い至ったらしく、苦虫を嚙み潰したような顔を浮かべた。

 俺もここまで聞いて、何となくは察していたので、隣に立つエランドには同情の目を向けるしかない。


「察しがいいな。お前にはクロウリーを満足させる笑い話を一つ、用意してほしい。どうも普通の笑い話じゃ無理みたいだしよ。どこかで聞いたものでもいいし、何だったら今新しく作ってもいい。お前の出来のいい頭で、何かうまいこと頼むわ」


 やはり、と俺もエランドも呆れの溜息を揃って吐き出す。

 既に一度撃退しているクロウリーだが、次にまた来ると宣言している以上、戦いは避けえない。

 ならば、スベらない話を聞かせてやって向こうを満足させて、事を済ませようというアッジの考えは理解できる。


「そんな無茶な…僕はそういうのは得意じゃないよ」


「無茶と知った上で頼む。外に助けを呼べない以上、俺達もこの村と運命を共にするしかないんだ」


 アッジ達の期待するような目を受けてたじろぐエランドだが、他の方法を思いつくわけもなく、渋々だが了承した。


 なんとも無茶な振り方をするものだとは思うが、相手が相手だけに正面切って戦うのは避けたいという気持ちはよくわかる。


 クロウリーを撃退した時は、こちらが前衛ありの魔術師三人で何とかといった感じだった。

 正直、弱点を突けたから撃退できただけで、次にまともにぶつかったら結果はどうなるか分からない。

 恐らく、俺の殺虫魔術にも対策をしてくるはずだ。


 それは傍で見ていたアッジにも十分理解できていたようで、どうにか戦いを抜きにして解決しようとするのには賛同したい。

 これが苦肉の策だとしても、アッジ達がそれに期待するのなら、俺も乗っかるべきだろう。


 なにより、エランドの最高に面白い話というのも気になるしな。


 しかし、スベらない話を所望する吸血鬼とはまた、なんとも奇妙な奴がいたもんだ。

 一体どういう経緯があってそんなものを求めてカーチ村に来たのか。

 吸血種という謎の多い種族だが、クロウリーはそれに輪をかけて謎の行動をしていると思うと、不気味さが増していくのを覚えた。

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