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世の中は意外と魔術で何とかなる  作者: ものまねの実


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クロウリー・ロード・ダナンクレアス

 闘争の開始には前兆がある。

 対峙する者同士が放つ気配の変化、審判による合図、全く無関係なところから起きる何かなど、必ず戦いの始まりには切っ掛けが存在する。


 俺達の場合、切っ掛けは矢だった。

 放ったのはこの場で唯一弓矢の扱いに心得があるリーオスだ。


 手練れの弓使いにふさわしく、構えから発射までが一秒にも満たない時間で行われ、弦が鳴るまで、矢が飛んでいったということを近くにいた俺達にすら悟らせない手際だ。

 普通の人間なら、矢の存在にも気付かずに射抜かれていたであろうその一撃は、しかし宙に浮かぶ男には容易に対応できる程度のものだったようで、男の右手にあっさりと矢は握られてしまった。


 だがそれはこちらとしても織り込み済みだ。

 リーオスの矢はあくまでも合図、鏑矢のようなもので、既に大地を蹴って宙へ飛び出したクプルが手にした剣は、敵を求めて今にも振るわれようとしている。


「なにし―」


「伏せてろ!」


 突然始まった戦いにアッジが動揺の声を上げるが、すぐにリーオスによって膝裏を蹴られて地面に転がされた。

 護衛対象に対するものとしては乱暴なやり方だが、一先ず危険から遠ざけようという判断としては悪くない。


 下から救い上げるように走る剣閃だったが、しかし先程のリーオスの矢がそうだったように、その剣もまた、今度は男の左手によって防がれた。

 人差し指と中指の二本だけで剣を挟み込み、しかもなんの力も込めていないような気軽さで抑え込んでいる様子からは常識外れの膂力が窺える。


 剣を止められたことでクプルが大きく舌打ちをするが、同時に好機でもあると動く者もいる。

 俺とパーラ、そしてエランドの魔術師組だ。


 両手がふさがっている今なら防御の手段もろくにないだろうと、土の弾丸、風の刃、水の鞭と三つの魔術が敵目がけて殺到する。

 勿論、それぞれが他の魔術に干渉しないようにだ。


 前衛を務めるだけあって機を見るに敏なクプルは、俺達の魔術が発動した時点で、敵に握られている剣はさっさと諦めて地面へ体を逃がしている。

 俺は味方へ当てるヘマはしないが、魔術の余波が及ぶ範囲にクプルがいなくなったのは有難い。


 事前の打ち合わせもない即席の連携としては最上、いっそ芸術的といっていい攻撃だった。


 だがしかし、残念ながらそれらは目標に届く前にいずれもが霧散してしまう。

 防がれる可能性を考えていなかったとは言わないが、それでも身じろぎ一つなく魔術を消されては、驚愕を覚えずにはいられない。


 カーチ村で遭遇したこのクロウリーという存在、こいつが何をしたかはなんとなくわかる。

 俺が放った土の弾丸が崩壊する際の手応えから、瞬間的に放たれた指向性を持った高密度の魔力の波と言えるものが、俺の土魔術に干渉して形を崩したと推測する。


 理論上は可能だ。

 魔術は魔力によって起きる現象であるため、強い魔力で干渉することはできなくもない。

 実際、俺も似たようなことはやろうと思えばできる。


 しかし、それには莫大な魔力を必要とし、今の俺達三人の魔術をいっぺんに消すほどの干渉力となれば、それこそドラゴンブレス並みの魔力が要求されるだろう。

 それを平然とやってのけたということは、目の前の存在は少なくとも人間以上、ドラゴンに迫る魔力の持ち主ということになり、つまりそれは人間を超えた存在だと言える。


『なんと無礼な連中だろうか。出会ってすぐに攻撃してくるとは。これだから人間は……あぁ、これはお返ししよう、お嬢さん』


 クロウリーが煙でも遠ざけるような軽い動きで手を振ると、その手に持っていた剣が鋭い軌道を描いてクプルに飛んでいく。

 普通の人間ならそのまま剣が刺さってしまいかねないが、クプルは自身に迫る高速の刃を難なくつかみ取る。


 そして、そのまま双方睨みあう。

 今の撃ち合いだけで、向こうの化け物っぷりは俺達の間で認識を共有できたはずだが、それでも恐慌に陥らずに対峙できしているクプル達の精神的な強度は、並の人間を凌駕しているのではなかろうか。


『やれやれ、外からの新しい人間かと勇んできてみれば、思ったよりも手練れの戦士が揃っている。ヤエルカ君、この人らは君の知り合いかな?』


「ひっ」


 気安い態度でヤエルカに声をかけるクロウリーだが、かけられた当の本人は完全に怯えてしまっている。

 無理もない。

 その存在感といい佇まいといい、明らかに人ならざる者と分かる相手だけに、戦いを生業としていない人間ではその恐怖心に立ち向かえるとは思えない。


 俺自身はまだ言葉を交わしてもいないが、クロウリーには会話をする余地もなく、ただ戦って抗う以外の選択肢を選ばせないほどのプレッシャーを感じてしまう。


『ヤエルカ君?私は知り合いか、と聞いているのだよ?』


 重ねて尋ねるその口調は先程と同じ声色のはずだが、質問に答えねばという強迫観念を聞く者に強いてくる。


「そ、そっちの二人は知らないが、後の四人は知り合いだ」


『ほう、外にいる馬車の群れからして、商人が来たとは思っていたが…。恐らく、転がっているのがそうなのだろう?他の五人は護衛か』


「あ、ああ、そうだと思う」


『ふむ、であるならば、私は名乗るとしよう。いきなり斬りつけられて不愉快ではあるが、こちらは礼儀を弁えているのでね』


 当然ながら突然攻撃されたことに対しては何も思わないわけがなく、たとえ傷を負っていないにしろ、こちらに対する心象は決して良くない。

 だが紳士的な言い様を貫いているあたり、向こうはまだまだ上位を誇れるだけの余裕があり、俺達は何ら脅威にもなっていないということか。


 クロウリーは俺達一人一人の顔を吟味するように見渡すと、大袈裟な動きで一度天を仰ぎ、軽く腰を折って胸に右手を当てながら口を開く。

 所作としては正式な貴族の挨拶の仕方ではあるが、人外と思われる存在がそれをすると妙に不信感が膨れ上がってくるのは何故なのか。


『お初にお目にかかる。私はクロウリー・ロード・ダナンクレアス、赤月(あかつき)の二十華族がひとつ、ダナンクレアス家の当主である。いや、元か』


 丁寧な態度で名前と部族らしきものを語ったクロウリーに、エランドとリーオスが大きく体を震わせるという動揺を見せた。


「バカな、ダナンクレアスだと?」


「おいおい、騙りじゃあねぇだろうな?」


『失礼なことを言わないでくれ。私は正真正銘、始祖ベナトの血を引くダナンクレアスの一族の一人だ』


 疑問と驚愕が混ざった声を上げる二人に、クロウリーは一瞬ムっとした顔を見せたが、すぐにそれを引っ込めて誇らしげに話した。

 始祖やらベナトやら、俺には訳の分からないワードが登場したが、他の人間はそれを聞いてそれぞれに反応を見せていることから、またしても俺の知らないこの世界の常識が関係しているようだ。


 未だ地面に転がっているアッジに至っては、その名前を聞いてからは立ち上がりかけた足を再び畳むほどに、相手に対して再度の恐れを抱いたらしい。


「…エランドさん、そのダナンクレアスっていうのは?」


 知らないものは知らないと、尋ねるのは決して恥ではない。

 驚いている人間の中で、一番知識のありそうなエランドにそう声をかけると、思ったよりも俺の声は響いたのか、この場にいる俺以外の全員から丸い目を向けられてしまった。


 なんでそんなことを知らないんだ、お前どんな育ち方をしたんだというこの手の視線も、もう慣れっこだ。


「アンディ、まさか君、ダナンクレアスを知らないのかい?」


「ええ、ちょっと聞いた覚えはないですね。有名人ですか?」


「有名というか…」


 やはり俺が知らないことでエランドは大分引いてしまい、クロウリーを前にしながら意識を完全に俺へと向けるぐらいには驚きを見せている。


『なん…だと。そこの君、ベナト・フォン・ダナンクレアスの名に聞き覚えはないと言うのか!?』


 しかしエランド以上に驚きを見せたのは、ダナンクレアスの名を持つ当のクロウリーだった。

 ベナトと言うのは恐らくクロウリーの先祖であり、家名であるダナンクレアスにエランド達が反応する程の何かを成した人物だということだろう。


 それを俺が知らないのが、クロウリーには我慢ならないのか、先程までの紳士面から一変して、犯人を前にした刑事ばりの形相で問い詰めてきた。


『鮮血の夜明け!飛翔する徒花!死と並んで歩く者!いくつもある呼び名すら、よもや知らないと!?』


 なんだ、その中二病くさい呼び名は。

 勿論俺はそんなものは知らないため、何のリアクションも取らずにいると、大きく深い溜息を吐いたクロウリーは、肩を落として落ち込んだ態度を見せる。


『…我が祖先の名は遍く全ての人間に畏怖を与えていたと思ったが、どうやら思い上がりだったか』


「死と並んで歩く者ベナトって言えば、子供が悪戯した時にも使う脅し文句で有名なやつよ?知らない人間なんていないでしょ、普通」


「ごめん、アンディって変なところで常識知らずでさ」


 呆れた様子のクプルに、パーラが何故か俺の代わりに謝りだす。

 確かにこっちの世界での常識に一部疎い俺だが、とはいえこの手の幼い頃の教育に使われる脅し文句ともなれば、積極的に調べない限りは大人になってから出会うことはまずないのだ。


「俺らの若い頃とは違う、ってわけでもないか。パーラは知ってるみたいだしな」


「ベナトがしたことを子に教えない親なんかいないさ。伝承に残る中では、最も恐れられている人物だからね」


 よっぽど俺がベナトとやらを知らないのが意外なようで、リーオスとエランドも呆れが籠った目でこちらを見てくる。

 本来俺には悪いところなどないのだが、揃いも揃って同じ表情でこう言われると、謝るべきかと思えてくるのだから不思議だ。


 しかしエランド達それぞれの言葉を繋いで考えると、どうもベナトと言うのはかなり昔に存在した人物で、伝承に残るほどの何かをした者のようだ。

 ただ、その名を口にする人間は誰もが大小はあれど嫌悪感を隠せていないので、善良な偉人ではないのだろう。


 俺がこっちの世界で書物から学んだものも、現行で脅威になりそうなのを中心としていたため、子供でも知っている過去の怖い存在が絡む話というのは意外とスルーしてきていた。


『…我が祖先の名がこうも力を発揮しない人間というのは初めてだよ。ほとんどの人間は、私の家名を聞けば例外なく恐れる姿を見せたというのに、君からはそれを欠片も感じられない。どうやら本当にベナトとその所業を知らないのだな』


 複雑そうな顔をするクロウリーの視線は、いつの間にか俺に向けて固定されており、自分の先祖を恐れない人間には思うところがありそうだ。

 その感情を大雑把に分類するなら、やはり怒りだろうか。


 どうも名誉やらそういったものにこだわるタイプのようで、俺のこの態度が奴の何かを刺激してしまったようだ。

 少し話してみての判断ではあるが、こいつは頭のおかしいアブない奴といった感じなので、この後の行動も何となくわかる。


 僅かにだがクロウリーの体から漏れ出始めた魔力には、攻撃の意図が含まれているのを感じとれる。

 クロウリーの気配の変化は当然ながら俺以外の人間も感じ取っており、漂う魔力や殺気といったものに反応したエランド達は、相手からの攻撃に備えるべく態勢を整えていく。


 どんなのを仕掛けてくるかは予想するしかないが、先程の戦闘から尋常ではない強さは身をもって分からされた俺達は、最大限の警戒を絶やさずにいた。


 そうしていたおかげで、相対している俺達の全員が〝来る〟と察することができた。

 目には見えない予兆と共にクロウリーの放つ魔力と気配が膨れ上がり、一瞬でその体が解けるようにして細かい粒に変わると、不快な羽音を伴ってこちらへその小さな影が一斉に蠢き出す。


 どこか俺の雷化に似た変容だったが、実態はかなり違っている。

 その影の正体は小さな羽虫だった。

 まるでクロウリーの体を構成していたのがこの羽虫だったかのように、人型の分量だけある虫が明確な意思を持ってこちらに迫る光景は、虫嫌いでなくともトラウマになりかねないおぞましさを覚える。


「全員そのまま!動くな!」


 予想とはいきなり違った攻撃手段に、驚く仲間達を守るべくそう声を発し、俺は地面に手を着いて土魔術を発動させた。

 瞬間的に練り上げられるだけの魔力をありったけ込めて、地面から土の壁を次々に生やしていき、虫の襲撃から守るためにドーム型の防壁を作る。


 この間、一秒未満という早業だが、それだけに土壁の強度は十分とは言えないものの、虫程度の質量なら何百匹とぶつかっても壊れることはない。


「これは…」


「大丈夫、アンディの土魔術だよ」


 この中では唯一俺達のことを詳しく知らないヤエルカが、突然土壁で周りを覆われたことで不安そうな声を出すも、パーラが俺の代わりに説明してくれた。


「こりゃまた、随分と立派な防御壁だ。やる方だとは思っていたが、想像以上の魔術師だったらしいね、君は」


 クロウリーの姿が一時的にとはいえ見えなくなったことで、多少は気を持ち直したエランドが周りにある土壁を見ながら感心を口にする。

 実際の被害はまだないが、明確な攻撃に出たクロウリーから守られているということが、多少の安心感を与えたらしい。


「ほんとにね。私の知る土魔術師なんて、一息だとせいぜいが人一人の半身を覆える土壁を作れるぐらいよ」


 エランドとは違って魔術の素養はなくとも、クプルも俺の作った土壁がかなりの出来と分かるようで、手にしている剣の先で壁を興味深そうに突っついていた。

 多少一息付けたと思ったのか、僅かにリラックスした空気が出来たところに、リーオスの緊張と焦りの混ざった声が上がる。


「…なに暢気してやがる、お前ら。耳を澄ましてみろ!あの野郎、この壁を削ってやがるぞ!」


 言われて音に集中してみれば、微かに壁の向こうからザラザラという規則的な音が聞こえていた。

 そしてその音は次第に大きくなっていて、遂には土壁の一部が内へ弾けるようにして崩壊してしまう。


 空いたのは小さな穴だが、虫が通るには十分なサイズがあり、そこから水が滲み出るようにして虫が中へと侵入しだした。


「痛っ!ちょっとこの虫、齧ってくるわよ!?」


 徐々に土壁の中で数を増し始めた虫は、遂に一番近くにいたクプルの体にとりつき、露出していた肌に牙を突き立てだしたらしい。

 見ると、クプルの頬にはとりついた虫による傷が作られだし、出血も始まっていた。


「くそが!あの野郎、虫に化けて俺達を食い殺すつもりだぞ!」


「流石ダナンクレアスの一族だ!やることが一々残酷でおぞましいよ!」


 クロウリーの体が変化して生み出されたいう時点で普通とはいえず、さらには肌を食い破ってくる虫ということもわかり、脅威はさらに増したと言っていい。

 悪態をつきながら纏わりつく虫を払おうと体を動かすリーオス達だが、数が多すぎる虫には焼け石に水といった様子だ。


 唯一、エランドが操る水は虫の動きを牽制できているが、それでも水筒一つ分の水では全員をカバーするには足りず、完全に防ぎきることは出来ていない。

 一応、非戦闘員に数えるアッジとヤエルカは陣形を組んだ中心で守っているが、そこにいてもいずれ虫に食らいつかれるのは時間の問題だ。


「アンディ!壁を!」


「ああ、分かってる!」


 このまま狭い空間内で虫が充満するのはまずいと、そう判断したパーラの声に俺も反応し、先程とは逆のプロセスで土壁を崩壊させる。

 作るのも一瞬なら壊すのも一瞬で、俺達を守っていた壁は即座にただの土へと戻り、同時に狭い空間に押し込められていた虫達も解放されたように辺りへと散り始める。


 だがそもそもの狙いは俺達である虫は攻撃をやめることはなく、多少密度は減ったが未だに塊となって迫る虫に、対処する手の弱い俺達は攻めあぐねていた。


「火だ!誰か火を熾せ!あんな虫けら、焼き殺してやる!」


「無理よ!手元には燃やせるのは何もないのよ!?それにあの数だと、ちゃちな火じゃ効果も薄いわ!それよりエランド、もっと水を増やして私らを囲めないの!?」


「そうしたいところだが、手元に水は多くない!せめて井戸か川に近付ければ…」


 徐々に増える体に齧りついてくる虫の数に、リーオスが焦ったように火の使用を提案してくる。

 やはり虫への対抗策の定石である火に頼る判断は正しいものではあるが、燃料となる油と薪が手元にないのがまずい。

 どこかの家にはさすがにあるとは思うが、それを探しに行く暇もない。

 エランドの水魔術も、近場に水が大量にあれば虫への壁を作れるだろうが、残念ながらそれも難しい。


「私の風魔術なら!」


「待て!それよりもいい手がある!俺がやる!」


 パーラの風魔術で暴風の壁でも作れば、虫もいくらかは弾き飛ばせるかもしれないが、それでも今俺達の体に食い込んでいる虫を引き剥がすには、多少の風では威力が足りないはずだ。

 それならば、もっといい手を使って虫を追い払ったほうがいい。


 そう判断し、俺は雷魔術を発動させて掌を周囲へと向ける。

 使うのは以前、ソーマルガの村で異常発生した虫を追い払った、あの電磁波もどきだ。


 虫に化ける前がクロウリーという超常の存在ではあるが、今こうして俺達の周りを飛び回っているのは虫であることに変わりはない。

 実際、いくらか潰した死骸は虫そのものであり、そうであるならば特性や性質といったところもまた虫そのものだと言っていいはずだ。


 ジリジリと腕全体が帯電しながら魔力の波長を整えていくと、宙を飛び回る虫の一部に変化が起きる。

 それまで俺達を品定めするように回遊していた虫達が、俺の掌を向けられて明らかに嫌がるような動きで遠ざかっていく。


 これがこの虫に対して効果的な波長だと判断し、そのまま魔力をさらに放出させながら両手を思いっきり叩く。

 すると、拍手の音が力を伴って辺りへ響きわたり、飛び回る羽虫は俺と中心にして次々と力を失くして地面に落ちていった。


 俺達の肌に噛みついていた虫も例外ではなく、ポロポロと剥がれるようにして離れていった。


「…なにこれ?アンディ、あなた何をしたの?」


 突然虫が齎していた痛みから解放され、呆気に取られていたクプル達だったが、直前の言動からそ俺が何かしたのだと理解したらしい。

 訝しそうな顔はこちらに向けられている。


「虫が嫌がる魔力を放った、といったところですかね。効果は御覧の通りで、なんとか無力化させることはできたようです」


「そんな魔術が使えるのか…まさか、こうなることを予見して?」


 おあつらえ向きのように危機を脱した魔術の存在に、エランドが俺の予見を恐れるような態度を見せるが、当然そんなわけがなく。


「以前、大量の虫型の魔物と対峙したことがありまして、その時に使った魔術がたまたま生かせただけです」


「そうか…」


 エランド達に開示していた俺の魔術は、土と水の二つの属性だ。

 だが今虫を駆逐したのは雷魔術なので、これを知らないエランドには奇妙な現象に思えたに違いない。

 それ以上追及してこないのも、真似できるものではないと魔術師としての本能が悟ったからだろう。


『ぐぬぅっ…がっぱはぁ!』


 その時、どこからか苦悶の息が聞こえてきた。

 音の大きさからそう遠くない位置からで、そちらへ視線を向けてみれば、暗がりの中にありながらなおも黒い物体がもぞもぞと蠢いているのが見えた。


「こいつ!」


 死骸となったと思っていた虫が一か所に集まり、徐々に人間大の形を作り始めていくと、そこに体の所々が欠けているクロウリーの姿が出来上がった。

 すぐさま警戒のために武器を向けたクプル達だったが、とても五体満足とは言えないその様子に、戸惑うような仕草を見せる。


『はぁ…はぁ…まったく忌々しい。まさか、私の体に特効を持つ魔術があるとは。ヒト種の魔術師と侮ったのは慢心だったか。ぐぅっ、はぁ…これは、少々まずいな』


 荒い息を吐きながらも、僅かずつにでも虫を呼び戻しながらその体に取り込んでいる姿は、とてもついさっきまで余裕綽々に先祖自慢をしていたものとは違いすぎている。

 相変わらず顔は影になっていて見えないが、その消耗している様子から、さぞや苦々しい表情をしていることだろう。


『…こうなってしまっては、君達と語らうのも辛い。今日の所は引き上げるとしよう。すまないねヤエルカ君、体を万全に直して出直すとするよ。そうだねぇ…三日後、その頃にまた来るよ』


 口惜しそうな声で紡がれた言葉に、向けられた当の本人であるヤエルカの体がビクリと跳ねた。

 今日はこのまま去るが、三日後にはまた来ると、問題を先送りにしたことへの安堵と諦観からの震えだろう。


「そ、そんな!」


『三日後だ。それまでに用意はしておいてくれよ。そっちの君達も、また会おう』


 何やら密約か、あるいは強請られてでもいるのか、俺達にはわからないやり取りをすると、クロウリーのまだ欠けのある体が再び細かい虫に分解されていく。

 去ると言った以上、こちらに攻撃はしてこないだろうが、しかし羽虫の動きはどこかちぐはぐとしたものがあり、まだ俺の雷魔術によるダメージは抜けていないらしい。


 とはいえ、この場を去るだけなら十分に回復していたようで、細かく分かれたクロウリーの体は、その色を活かして夜の闇に溶け込むようにして空へと立ち上ると、低い羽音と共に遠ざかっていった。


「…行ったか」


 誰が呟いた言葉か、しかしこの場の誰もがそれを耳にした途端、全身から力を抜いて地面に座り込む。

 緊張が続いた反動もあって、クロウリーが去ったという事実は俺達の体に麻薬的な安ど感を齎す。


 最後に俺達との再会を口にしていたが、果たしてそうなるかは商隊の動き次第なので、あまり気にしないでおく。


「あのダナンクレアスと一戦交えて、よく全員生きてられたもんね」


「向こうがこっちを侮ってたおかげだ。初見からいきなり殺す気だったら、今頃僕達は皆死んでる」


 クロウリーとの遭遇がいかに想定外で危険なものだったのか、肉体も精神もひどく疲れた俺達のこの有様を見ればわかりやすい。

 ドラゴン相手とはまた違う、得体のしれない恐怖と対峙した人間の疲労というのは、他のどんなものよりも深く濃いと言えるだろう。


「しかし、なんであんなのがこんなところに…。言っちゃなんだが、カーチ村はいたって普通の村だぜ?」


「さて、その辺りのことは知っている者に聞くべきだろう。どうにも先程のやり取りからして、ヤエルカが何も知らないわけもなさそうだしね」


 恐らくここにいる全員が抱いていた、なぜこんなところにあんなヤバい奴が?という疑問を改めて口にするリーオス。

 そして、クロウリーが言っていた用意という言葉から、この村とクロウリーの間で何かが行われていると判断し、茫然と天を見上げるヤエルカをエランドは睨むようにして見つめていた。


「ヤエルカ、一体何があってこうなったのか、話してくれるか」


 ヤエルカの哀愁漂う背中に言葉をかけたのは、アッジだった。

 短い間に目まぐるしく状況が動き、怪我すらも負いながら労るような声をかけられるのは、この村が置かれた状況を薄々とだが感じ取ったからか。

 クロウリーという存在がこの村に対して何かを強いていると察し、とにかく詳しい話を聞こうとしているのだろう。


「アッジ……ああ、そうだな。お前達を巻き込んでしまったのも、俺のせいだ。話すよ、全部。その前に、他に商隊の人間もいるんだろう?いつまでも外に置くのもなんだし、村の中に入れてくれ」


「分かった。いつものところを借りるぞ。エランド、クプル、一緒に来てくれ。リーオスとアンディとパーラ、お前達はクロウリーが戻ってこないかを警戒しててくれ。あれもああ言った以上、来ないとは思うが」


 あんな目にあった以上、万が一に備えての警戒を欠かさないのは当然の判断だ。

 アッジの指示に了解を返し、それぞれが動き出す。


 この村の置かれている状況はまだまだ謎が多く、これからアッジがヤエルカから聞き出す内容によっては、商隊の今後の方針も変わってくる。

 あのクロウリーが再訪を口にした以上、カーチの村に居合わせた身としては何もしないわけにはいかない。


 僅かな時間の対峙で向こうの脅威は身に染みているので、できればどこかに助力を求めたいところだが、次に来るのが三日後となれば、時間は足りず、恐らく俺達だけで対処することになる。

 本音ではとっとと逃げたいのだが、アッジ達は善良な人間なので、ヤエルカを見捨てることは出来ないはず。


 俺達はさっきの戦いで奴に目をつけられてもいるし、ここで戦うという選択肢も急激に存在感を増してきている。

 短い時間での戦いだけでも脅威は十分に味わっただけに、一体どう戦ったものかという悩みはあれど、しかしただ座して死を待つだけというのは受け入れがたい。


 ヤエルカの話を聞いてアッジ達はどう判断するのか、全てはそれ次第となるだろう。


 最悪のケースを考え、俺とパーラの死を偽装でもして逃げるという手段も考えておくべきか。

 エランド達を見捨てるようで心苦しいが、それでも俺とパーラが生き抜くことを優先したい。


 まったく、この世界ではトラブルに事欠かんとは分かっちゃいるが、もう少しレベルの低いトラブルでも俺は一向に構わんのだがな。

 運の巡りを担当してそうな神の慈悲が欲しい今日この頃。


 …そういや、この世界の神は碌なのがいなかったな。

 なら仕方ないか。

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― 新着の感想 ―
また逃げる逃げる詐欺だな いつも逃げると言いながら自分から過剰に危険に突っ込んで危険な目にあってるよなぁ 実際に逃げた話はないようだしなぁ
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