その丞相、知りたがりにつき
「ほう、ではリズルド共の集落も水不足からは解放されたか」
「はい。ここ数日の雨量で、集落のため池も十分に溜まったようでして。これもディースラ様のお力のおかげでございます」
「雨が降るのは自然の摂理よ。我は知らせたに過ぎぬ。我の力などとは言うまいよ」
「それでも、ディースラ様のお言葉がなければ、儀式によってこの河は血に濡れていたことでしょう。本当に感謝の言葉も有りません」
桟橋を管理する代表の人間が、そう言って改めてディースラへ礼を示す。
リビへと俺達が着いたのは、砦を発った次の日の昼過ぎだった。
筏が運河へと入ったあたりで、川の流れが若干穏やかになり、移動速度を幾分か上げることができたおかげだ。
それでもまだ流れの速い川を筏が逆走してくるという、そんな光景に不審を抱かない人間はおらず、桟橋で作業をしていた人間の注目を浴びながら上陸すると、ディースラの姿を確認した代表者が駆けつけ、早速リズルド達のことを尋ねてみた。
予想通り、彼らの集落の水不足は雨で解消され、つい先日にはリズルド達から迷惑をかけたことを謝罪されたという。
彼らなりに追い詰められた末の行動ではあったが、港で騒いだことには悪かったと、水不足が解消されたことで、冷静に自分達の行動を振り返った上での謝罪だったわけだ。
こういう礼儀を欠かさないあたり、下手な人間よりも真っ当だと思えてしまうのは、頑固ではあるが義理堅いという種族だからだろう。
「リズルド達も、以前はディースラ様に無礼な態度をとったと反省しているようで、帰りの道でこちらへ立ち寄られるのであれば、詫びを入れたいと言っておりました。よろしければ、今からリズルド達の集落へ使いを出して、こちらへ呼びたく思いますが」
迷惑をかけられた側がリズルドへ配慮するようなことを言うのは、ひと悶着あったとはいえ近くに住む者同士、協力し合おうというのがあるのだろう。
異なる種族、それも村や集落が互いに近いのならば、良好な関係を築けるに越したことはない。
「不要だ。あれらもあの時は追い詰められていただけのこと。気にするなと伝えておけ」
「しかし」
「我らも急ぐ身だ。火急の問題もないのに待ってはおれん」
リズルドがディースラに働いた無礼というものに俺は見当はつかないが、謝罪を受け入れるのも上に立つ者の度量だろうに、それを断るとは流石ドラゴン、配慮の疎さは太鼓判を押せる。
とはいえ、ワイディワ侯爵領から半ば逃げてきた俺達だ。
急ぐ旅というのは間違いではなく、目的を果たしたのなら早々に離れたいというディースラの考えは理解できる。
ディースラが決めた以上、強く引き留められることもなく俺達は再び運河を遡っていく。
川が荒れている現在の状況では運河を使う船もいなく、水の亜精霊に筏を押されて高速で進む道のりは何にも止められることなく実にスムーズなものだ。
途中、損傷が出た筏の修復で時間を使ったが、それでも行きより圧倒的に短い時間で首都まで戻ってきた俺達は、正に今ワイディワ侯爵領へ向かう船とすれ違っていた。
多少時間が経ったことで川の流れも落ち着き、兵力と物資を潤沢に揃えたニリバワに続く援軍のようだ。
何故船を見て援軍だと判断したかというと、船縁に並ぶ兵士達の中に、見知った顔を見つけたから。
ゴードンにミラとフラッズの三人だ。
「なんだ、お主ら今から出発か。向こうの事件なら、もう片付いておるぞ。残っておるのは国同士のこまごまとした話し合いだ。剣の出番などない、退屈な仕事を精々がんばれよー」
「はあ!?出番がないって、俺様は戦いがあるから行けって……あ、おい!ちょっと待―」
互いに近付き、そしてすぐに遠ざかっていく船の上から、ディースラが煽る様な答えを返す。
こちらへと疑問を投げかけるゴードンだが、あの船はバックすることができないので、あっという間にこちらの声が届かない距離まで行ってしまった。
「変ですね。あの人の反応を見るに、ワイディワ侯爵領からの情報はまだ首都まできてないんですかね?」
既にジブワ達は処刑されており、今回の事件はもう終わったと言っていい。
今あちらで行われているのは損害賠償の額を決める話し合いで、普通なら派遣されるのは交渉事に向いた外交官などであるべきだ。
見たところ、そっち方面の能力は高くなさそうなゴードンが行ったところで、役に立つかは疑問だ。
となると、まだ首都まで事件解決の報は届いておらず、上層部は未だ戦闘要員を送る必要性を誤解しているのではないだろうか。
「さて、どうであろうな。ジブワらが捕まり、その報を持った伝令が侯爵領を発ったのが大体十三日前。我らと違い、陸路しか選びようがない伝令が首都まで着くのに早くて五日。さらに続けて伝令が送られていたことも考えれば、ゴードンを動かせるだけの地位のある者が情報を得ていないとは思えんな」
「つまり、もう事件は解決したとスワラッドの上層部は分かっていながら、あの人らを派遣したわけですか。…なんのために?」
「騒動が起きたことで、更なる隣国の動きを警戒して国境を固めたかった、というのはあり得る話だ。ただ、ことはもっと単純なのだろう。ゴードンはあれでも伯爵家の倅だ。既に解決した事件とは言え、そこに駆け付けることの意味はあろう」
「なるほど、実績作りですか」
「恐らくはな」
ゴードンは腕っぷしはともかく、為人は問題のある人間だ。
しかもまだ若く、大きな実績もない。
一応、あんなのでもスワラッドでは将来を嘱望される一人ではあるようだし、国境を騒がせた事件の解決に一枚かんだという実績を持たせたいという、どこかの人間の思惑が働いたのかもしれない。
プレモロ伯爵家、あるいはその派閥の何者かはわからないが、色々とマイナス要素の大きいゴードンで政治のパワーバランスを調整したいという思惑も何となく透けて見える。
もっとも、先程のゴードンの反応からして、この辺りのことは本人には知らせないまま企みは動いていると思われるので、それに乗って上手く飛躍するか全てをぶち壊すかはゴードンの振る舞い次第だ。
俺としては、全てを斜め上にぶっちぎる勢いで期待を裏切ってくれるのを見てみたいものだが。
「あれも政治の機微を多少でも分かっておれば、向こうでうまく立ち回れよう。当人はともかくとして、脇を固める人材は優秀であるしな」
「人材というと、ミラとフラッズですか」
「うむ。ミラの方は少々固い性格だが、フラッズは中々頭が回る。あの二人が上手く手綱を握れば、ゴードンも下手な手は打つまい。まぁあれらのことはもうよいわ。それよりも着くぞ」
ドラゴン視点での人物評は中々含蓄のあるもので、もう少し聞いてみたいところだったが、目的地の到着によってその話は中断となった。
最期にここから発ったのはまだ二週間ほど前のことだというのに、こうして川から眺める港湾施設には不思議と懐かしさを覚えるのは何故なのか。
水の亜精霊の助けを借りての旅であるため、ようやくという言葉を使うのは躊躇われるが、あえて言おう。
俺達はようやく、あの混迷する国境地帯を離れ、首都サーティカへと戻ってくることができたのだと。
筏から見る首都サーティカが抱える港は、当然ながら最後に見た時とほとんど変わらぬ姿で、唯一違う点といえば水面の高さが上がっているぐらいか。
ここも雨による増水の影響からは無縁とはいかないようで、越水こそはしていないものの、この先も雨が降り続けば首都が水に浸かる事態もあり得るほどだ。
「どうやら、先程のゴードンらの船で桟橋が空いたようだ。どこにでも停め放題とは都合がいい」
先程ゴードン達の乗った船を送り出したばかりのせいか、いくつもある桟橋に船の姿はほとんど見えない。
荒れた川を避け、陸に上げられている船がいくつかあるぐらいだ。
ディースラの言う通り、これなら停泊場所に困ることはない。
とはいえ、船着き場は役人がきちんと管理している場所なので、ガラガラに空いているからと言って適当に停めていいわけではなく、俺達の筏もしっかりと誘導されて指定された桟橋へと収まった。
荒れた川を遡ってきた筏には役人から不審な目を向けられたが、乗っているのがディースラだと分かると、それも改まる。
「くぁー!やっと帰って来れたねぇ」
真っ先に桟橋へと飛び移ったパーラが、全身を伸びに伸ばして感慨深げに言う。
そのさも長い旅だったかのような口ぶりは、短期間で起きた濃厚な事件に携わったが故に出たものだろう。
かくいう俺も大体同じ気持ちだ。
「そうだな。なんだかんだ、ここまで一気に来たからな。まずはゆっくり休みたいもんだ」
「だねぇ」
基本的に筏に揺られていただけだが、ワイディワ侯爵領からここまでほぼノンストップで来たため、身体的なものよりも精神的な疲れが多い感じだ。
俺達はこの後、海へ出ることになるが、その前にこの首都で一息入れるのも悪くないだろう。
「―…では筏の処分の方は頼んだぞ」
俺達の乗ってきた筏は、最初から片道のみの使い捨てであり、正直いつまでも桟橋にとめておくものでもないため、ディースラは役人にその処分を頼んでいた。
本来なら船の管理が仕事の役人に頼むものではないのだが、ドラゴンから直接頼まれたとあっては断ることもできないようで、若干困った様子ではあったが承諾してくれた。
「よし、それでは二人とも、城へ向かうぞ」
筏の処分が出来て身軽になったからか、足取りも軽くディースラが俺達のそう告げて城の方へと歩き出す。
休む間もなく城へ向かうとは、随分勤勉になったものだと、少し訝しく思うが、置いていかれても後が怖いので、急いで後に続く。
「城へ向かうって、到着の報告でもするんですか?」
「そのようなものだ。戻ってきたら、城へ出頭することを約束させられておってな」
「約束って誰に?」
「丞相だ。現地で起きたことの顛末、それらを我の口から聞きたいらしい。本当ならニリバワに丸投げするつもりだったが、ここにおらぬのではな」
さもニリバワがいないことを嘆いているかのようだが、そもそもニリバワを置いてきめたのはディースラだ。
そうである以上、丞相への説明はディースラがして当然のこと。
「やっぱりニリバワさんを連れてきたほうが良かったって、後悔してませんか?」
「多少はな。だがおらぬものは仕方あるまい」
面倒なことはやりたくないというディースラだが、それでもニリバワを置いてくるほどに侯爵領での話し合いは退屈極まりないものだったと思われる。
「そういうことなら、私らは先に休ませてもらおうよ」
丞相への説明ならディースラ一人で事足り、俺とパーラは特にいなくても問題はない。
むしろ、身分的な問題で丞相の部屋に入ることもはばかられるため、いない方がいいくらいだ。
ここはパーラの提案に乗り、俺達は一休みさせてもらおう。
前まで貸してもらっていた城の部屋があればそこでいいし、だめなら街中の宿でもいい。
「それもそうだな。ディースラ様、俺とパーラはどっか適当なところにいるんで、終わったらー」
「何を言っておる。お主らも我とともに来るのだぞ」
『はい?』
手刀でも切りながらその場を離れようとした俺達だったが、ディースラから告げられた言葉に揃って間抜けな返事を返してしまう。
「共にって、俺達がですか?」
「なんで?丞相に会うならディースラ様だけでよくない?」
「ばかもん。ジブワと直接刃を交えたのはアンディ、お主だぞ。お主がおらんでは真に迫った話はできんだろう」
「顛末を語るのにそんな話し方、いりますかね…」
丞相を相手に、する話だろう?
リアリティは大事だとは思うが、客観性の方を重視したほうがよさそうな気もするが。
「あって困ることはなかろう。パーラも、我と共に行動しておった故、一応な」
「えー?私ってそんな扱い?」
ディースラの言う一応という言葉に反応して、パーラは唇を尖らせる。
「気を悪くするなよ?我では見逃していても、人であるお主ならば気付くこともあろう。それを期待しておる。では行くとしよう」
こちらの返事など待たぬと、スタスタ歩きだしたディースラに、仕方なく俺達もついていく。
無視したらしたで後が怖いし、他にも俺達が支援の部隊に組み込まれたのには丞相に根回しをしてもらった件もある。
勿論、魔術師を一人でも多く送り込みたいという向こうの目論見とも合致した結果ではあるが、それでも多少なりとも労を負ってくれたのだから、事件の説明ぐらいは直接した方がよさそうだ。
城へ向かった俺達は、当然ながら最初に門衛とかち合うことになる。
ジブワ達の事件は解決したとはいえ、まだ不測の事態に備えて警戒は続いており、門衛も俺達がここを離れた時よりも数が増えて、おまけに重武装に変わっていた。
一直線に近付いてくる俺達に一瞬警戒したようだが、すぐに先頭を歩くディースラに気付くと、今度は別の意味で緊張して出迎えてくれた。
「これはディースラ様!過日見送って以来でございます」
門衛のリーダー格と思われる一人が、まず一歩前に出てディースラへとそう話しかけた。
この口ぶりだと、俺達が侯爵領へ出発する時にも門に立っていたようだが、生憎今はフルフェイスの兜を付けたままなので気付かなかった。
相手がディースラとはいえ、門衛が武装を解かないその姿勢は正しいもので、任務に忠実だと感心できる。
「うむ、門の守護、大儀である。三人通るぞ、構わぬな?」
「はっ、どうぞお通りください」
当然ながら特に身元の確認などされず、あっさりと城へと入ることができた俺達は、城内を歩いていた文官に丞相の居場所を聞き、教えられた場所へと向かう。
この時間、丞相は執務室で仕事をしているらしい。
城の奥まったエリア、その一角にある重厚な扉の前まで辿り着くと、おもむろにディースラはその扉を力強く開けてしまった。
「遥々東の地より我、参上!」
マナーというものを叩き込んでやりたいな、このドラゴンには。
アポイントもないのに来たのもどうかと思うが、一国の行政のトップがいる部屋に、ノックも声掛けもすることなくズカズカと入り込んでいく姿は、まさに並の人間にはできない芸当だ。
「…ディースラ様、前にも申しましたが、入室は穏やかになされませ。今更声掛けなど期待はしませんが、せめて扉ぐらいは静かに開けていただかねば」
部屋の一番奥に置かれた執務机に座っている男が、頭を抱えながら深い溜息と共にそんなことを言ってきた。
どうやらこの入室スタイルは丞相にとっては初めてのものではないようで、驚きはしていないが
こうして面と向かって顔を合わせるのは初めてだが、あれが丞相で間違いない。
以前、この部屋の前でディースラが勢い良く開けた扉で俺が気絶させられた際、チラリとだが見た顔だ。
その時よりも多少顔色が悪いように見えるのは、ここしばらくの国境での騒動で疲れているからだろうか。
「心配するな、扉が壊れない程度に力は抑えておるわ」
「そういう意味では…いえ、今は無事の御帰還をお喜びいたしましょう。それで、なぜここに?」
「何故も何も、お主が言うたのではないか。戻ってきたら報告を聞かせろと」
「……あぁ、その件でしたか。ええ、勿論覚えておりますとも、ええ。ではお話をお聞かせ願いましょうか。どうぞこちらへ」
一瞬怪訝な顔をした丞相だったが、すぐにそれをかき消して妙に作り物めいた笑みでディースラをソファの方へと誘導した。
この反応、まさか忘れていたとは言わないよな。
少し疑いつつも、俺とパーラもディースラに促され、丞相と対面するようにソファへと座る。
そこでようやく俺達に気付いたかのように、丞相がこちらへと声をかけてきた。
「それでは改めて、ディースラ様。この度はご助力いただき感謝いたします。騒動がこうも早く収まったのは、ディースラ様のお力もあってのこと」
「ふん、今回の件の解決には、我はさして貢献してはおらぬ。ほとんどはグルジェ…こちらに味方したラーノ族の者達が手柄となっただけ。もっとも、その後に出張って来た神がまともだったのは運がよかったがの」
丞相の言葉にディースラは少し不機嫌そうな顔を浮かべてたが、ジブワらの捕縛は実質的にエスティアンの手柄と言えるものなので気持ちは分からんでもない。
「報告は聞いています。なんてもエスティアンという神だとか。正直、私は聞いたこともない名ですが」
「まぁ名前は知られておらぬだろうな、その名だけは」
少し含みのあるディースラの言葉は気になるが、そこそこ歳のいっている丞相が知らないということは、やはりエスティアンという神はこちらの世界ではメジャーではないようだ。
「しかし神であることは確かな以上、やはりスワラッドとしては接触しておきたかった。ニリバワにはもう少し粘ってほしかったものです」
「無茶を言うな。留まるも帰還するも、そう決めた神の意思を曲げるのは容易ではない。あの時のニリバワに出来たことなどないわ」
本来の仕事ではない神への説得など、現場指揮官に過ぎないニリバワには荷が勝ちすぎた仕事だ。
首都からの指示もろくにない中での立ち回りとすれば、あの時のニリバワはよくやった方だろう。
「無論、承知しておりますとも。まさかあのような場所に神が現れるなど、誰が予想できましょうか。現場に居合わせていない我らに、ニリバワを責める資格はありません。…ところで、そのニリバワはどちらに?一緒に帰ってきたのでしょう?」
丞相もニリバワがあの時に置かれた状況には思うところがあり、責めるよりもむしろ同情的な反応を見せたが、同時にこの場にニリバワがいない疑問を口にした。
言われたディースラはというと、丞相の視線から逃れるようにして顔を少し逸らす。
「…いや、あれは共に戻ってきておらん」
「はい?それは一体…あの者はディースラ様の護衛と世話の任も帯びておりますので、帰還の折には同道するのが……まさか」
何かに思い至った様子の丞相は、ディ―スラを見る目が徐々に胡乱気なものに変わる。
対するディースラはというと、ニリバワを見捨ててきたことに対するうしろめたさが態度に出ており、その姿はとても誇り高いドラゴンとは言えない情けなさだ。
「なるほど、よくよく考えれば、連合との交渉が続いているというのに、あのワイディワ侯爵がディースラ様の帰還を認めるはずがない。となれば、ディースラ様、さては勝手に逃げ出してきましたね?」
一国の差配を任される立場にいるだけあって、読みの鋭さは伊達ではないか。
まるで全て見ていたかのように言い当てているのは、ディースラの性格も把握しているからかもしれない。
「…流石よのぅ。いかにも、我はこの二人と共に、侯爵に無断でここへ来た。なにせ、あのままあそこに我がいては、連合との交渉がいらぬ圧力でまともな―」
「そのように飾らずともよろしいですよ。大方、人間同士の交渉が見るに堪えないと、嫌気が差したのでしょう?そちらの二人、アンディとパーラだな?君達のことはシャスティナから聞いている。私のこの予想は間違っているかね?」
眉を寄せて困り顔になった丞相が、それまで放置気味だった俺とパーラへ突然水を向けてきたので、一瞬答えに窮したが、しかし全く的外れな予想を口にしてはいなかったので、揃って俺達は無言で首を振っておく。
「やはりか。…困りますな、ディースラ様。人間同士の交渉事の醜さにあてられたのはお察ししますが、こちらへ戻ってくるならせめてニリバワも連れてきていただきたかったものです」
「し、仕方なかろう。ニリバワの周囲には侯爵の手の者が常におったのだ。我が去ると伝えれば、うっかり侯爵にまで漏れて対策をされかねん。ゆえにニリバワは切り捨てた。あやつは尊い犠牲だった」
そんな死んだみたいに言わんでも。
その苦しい言い訳に、丞相は深い溜息を吐いてしっかりと頭を抱えてしまった。
「できればニリバワの口からも報告を聞きたかったのですが、致し方ありますまい。ディースラ様、例のかき氷の件、少々滞ることになるのはお覚悟召されませ」
「な、なんじゃとー!?なんでそうなる!お主、言うたではないか!事件が解決し、我が戻って来たらかき氷の件は前向きに検討すると!」
そうだろうとは思っていたが、やはりディースラは丞相にかき氷で便宜を図ってもらう約束を取り付けていたか。
俺が半ば無理やりに連れ出しはしたが、タダでは動きたくないというディースラが丞相に対価を提案していても不思議ではない。
「ええ、申しましたな。ですが、それには現地指揮官…つまりニリバワの指示に従うことという条件も付けておりました」
「それがなんだ!我はニリバワの指示にちゃんと従っておったわ!アンディ、パーラ!お主らからもこやつに言ってやれ!我はいい子であったと!」
いや子供か。
なんだよ、いい子って。
まぁ確かにニリバワの指示には基本的に従ってはいたし、特に迷惑をかけていなかったと言っていいだろう。
一応弁護しようかとも思ったが、こちらを見た丞相の目がそれを押し止め、俺達は口を噤んでしまう。
「現地ではそうだったとしましょう。しかし最後の最後にニリバワを置いてきたことはいただけませんな。物事と言うのはたとえ大半が上手くいったとしても、最期の詰めを誤れば全てが無に帰すものです。この度のこともそうだったと、ご理解ください」
「理解などできるか!ええい、なんとかならんのか!?アンディ!何かないのか!?」
キッパリと言われて、しかしそれで諦めるつもりのなりディースラは、よりにもよって俺へと打開策を求めてきた。
「いや、そんなこと俺に言われても」
「なんかあるであろう!?ほれ、リズルドの儀式をいなした時のような、あんな感じの!」
丞相の説得と儀式のすり替えを一緒にするのはどうかとは思うが、それだけディースラも必死なわけか。
「ほう、リズルドの儀式に遭遇したのかね?しかもディースラ様の口ぶりから察するに、あの儀式に介入したようだな」
それまでむっつりとしていた丞相だったが、ディースラの口にしたリズルドの儀式という部分には妙に食いついてきた。
好奇心からか、俺を見る目は輝いてみるようにも見える。
「え?ええ、まぁ。現地へ向かう運河の途中で、たまたま遭遇しまして。失礼ながら、閣下はリズルド族の儀式についてご存じで?」
「詳しくとはいかないが、多少のことならばな。これでも私は若い頃、民族固有の風習を研究していた時期があったのだよ。リズルド族の儀式も僅かだが調べたことがある。君達はそれを見たわけだな?是非とも詳しく聞かせてほしい」
どうやらこの丞相、若い頃に民俗学でも齧っていたのか、リズルド族の儀式と聞いて研究者魂に火が付いたようだ。
ディースラへ対する非難染みた態度からうって変わり、爛々とした目をこちらに向けてくる姿はまるで少年のようでもある。
話を請われて、どうするべきかとディースラへと視線を向けてみれば、何故か首が取れそうな勢いで縦に振っている。
これは話してやれという意味のようだ。
このままでは、丞相からかき氷の件の取りやめを覆させるのは難しいと判断し、何かしらの突破口を探ろうとでもいうディースラの狙いが透けて見える。
まぁ別に儀式のことを話すぐらいは構わないのだが、目の前にいる好奇心の塊に対して、果たしてそれだけで済むのだろうか。
えてして研究者と言うのは、好奇心の赴くままに暴走する生き物だ。
更に詳しく詳しくと、延々と話し続けることのないよう、適当な切り上げどころも探っておくとしよう。




