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世の中は意外と魔術で何とかなる  作者: ものまねの実


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竜殺しのかき氷

 今年の竜候祭では、見事試練を突破したという話が、瞬く間に街中に広まっていった。

 その報を受けてビシュマの街は朝早くから大騒ぎとなり、今日までの中で一番と言っていいほどに祭りは盛り上がりを見せている。


 実は試練が終わったら祭りも即終わりというわけではなく、どうもディースラが海へ帰るまでが祭りということにしているらしい。

 例年でも、ディースラは試練が終わって二・三日はビシュマに滞在し、祭りを満喫してから海に帰るそうで、少なくとも明後日までは祭りも終わらないだろう。


 遠路やってきている商人たちは祭りの終いを見据え、ここぞとばかりに商品を売り切ろうと値下げを始めたため、あちこちから聞こえる個人から卸まで売り買いによる怒号に似たやりとりで賑やかだ。

 そんな中、通りの流れを滞らせるほどに一際人を集める店があった。


 そこは先日、あまりにもやり口が酷いと、行政側から一発退去を食らった悪徳商人が使っていたスペースで、その後も他の商人に使われることがなかったのを、ある人物の鶴の一声でテイクアウトの飲食店として再利用されていた。

 祭りでは様々な料理や食材を扱う店があるのだが、この店では他にない特別な料理を出すということと、先に言ったそのある人物が店先に立って接客していることで、物珍しさと怖いもの見たさの二つの効果で繁盛している。


「さあさあ!皆、存分に味わってくれい!あーこれこれ、ちゃんと並ばぬか。慌てずとも売り切れる心配などないぞ」


 接客というには些か態度は大きいが、ドラゴンがこうして店先で客を捌く姿というのは中々に新鮮で、むしろそれを楽しむような客も多い。

 大勢が集まったことで自然と行列ができ、それを通行の邪魔にならないように整理するのも彼女の仕事だ。

 この街で効いているカリスマ性は、こういう時に使い勝手がいい。


「あー!ディースラさまだ!」


「ほんとだ。ねぇーなにしてるの?」


 楽し気に通りを歩いてきた子供の集団が、店に立つ人物めがけて駆け寄ってくる。

 勢いだけで言えば、突撃してきたと言ってもいい。


 ビシュマでは子供ですら知っているドラゴンのディースラが、売り子のようなことをしているのが気になったのだろう。

 怖いもの知らずというか、底知れぬ純粋さがなせる業に、その場の誰もが頬を緩ませる。


「おぉ、童ども、よう来た。見ての通り、店で物を売っておるのだ。せっかくだ、お主らも食うていけ」


 意外にもディースラは子供相手には笑顔で接しており、恐ろしいドラゴンも人間の子供相手にはそういう顔を見せるのかと少し驚く。


「くう?たべるもの、うってるの?」


「左様。んっん…ここにあるは霜天氷刃が作りし至極の氷!それを薄く削り、果物を煮詰めた甘い汁を絡めて食べる、至高の味わい!その名も、竜殺しのかき氷!…どうだ、甘くてうまいぞ?」


 ディースラが大袈裟な言い回しで子供達に紹介したのは、今日の午前に試練で自身が味わった敗北の味であるかき氷だった。

『その味わいで舌を惑わす罠の先に、生まれてこの方、味わったことのない痛みに襲われた』と評した彼女により、史上初めて料理に竜殺しの称号が与えられた。


 本来、竜殺しはドラゴンを討伐した者に国が与える称号で、勝手に名乗っていいものではないのだが、当のドラゴンがそうなのだと言い張ってしまうといかんともしがたい。

 まぁかき氷にはノリと冗談で付けているだけなので、大目に見てくれるだろう。


 大仰な言い回しの迫力に一瞬体をのけ反らせた子供達も、甘いという言葉に目を輝かせる。


「あまいの?たべる!あ…でもおかね…」


「はっはっはっは、童から金など取れるか。我のおごりだ、心配せずに食え」


 基本的に甘いものというのは安くなく、しかもビシュマではまずお目にかかれない氷を使ったスイーツとあって、かき氷も高いものだと思い込んだ子供達は落ち込むが、ディースラが笑って心配無用というのを伝える。

 実際、今までここで売ったかき氷は、大人からは金はとるが子供にはタダで提供していた。

 この子達に代金を求めるつもりは端からない。


「いいの!?やったー!」


「ディースラさま!ぼくもたべていい!?」


「おう、食え食え。童はなんぼでも食うてよい。アンディ、シャスティナ!この者達の分を急いで作ってやれい。かき氷四つだ」


 子供達に群がられて嬉しそうにするディースラが、日除けの覆いの下、必死でかき氷を作る俺達へ無慈悲な言葉を投げてきた。


 さっきからディースラがかき氷を作って売っているかのように振舞っているが、実際に作っているのは俺とシャスティナで、ディースラがしているのは列の整理以外ではせいぜい客に出来上がった品を渡すぐらいだ。

 ハッキリ言って、仕事の量は俺とシャスティナの方が圧倒的に多い。


 そもそもここでかき氷を売っているのは、試練が終わってすぐのディースラが、俺の用意したかき氷を食べながら突然、一般市民にも食わせてやりたいと言い出したのは始まりだ。


『これほど美味いものを自分以外が知らないのはつまらん。ついでに、かき氷頭痛の痛みも体験させたい』と。


 美食を共有したいという志は尊いが、そこにかき氷頭痛で苦しむ人間の姿を見たいというしょうもない理由がくっついている以上、やる価値はほぼ無いに等しいのだが、こんなでもドラゴンであるため、役人に一声かけて動かしたことで、急遽場所を設えてかき氷屋が誕生してしまった。

 憎らしいことに、この世界の役人は、日本の役人の一億倍は有能で仕事が早い。


 当然、かき氷を作るのに欠かせない人間としてシャスティナと俺はこれに付き合わされ、シャスティナは魔力の続く限り氷を作り、俺はそれに合わせるシロップを急いで作るという仕事に従事させられている。


 ディースラが店を出したということと、試練で食べてあまりの美味さに降参したという謎の噂話が効いたようで、客の入りは上々も上々。

 最上と言っていい。


 暑い時にいはかき氷が飛ぶように売れるというが、ビシュマの住民には氷を初めて口にするという者も少なくないため、あちこちでその冷たい甘さに驚き、そして頭痛でうめく姿が見られるが、皆一様に楽しそうではあった。


 ドラゴンが竜殺しの名を冠する甘味を売っているというのも、客の受けに一役買っているようではある。


「…急いでと言いますがね、まず先に受けた注文を捌くのが先ですよ。それと、かき氷食べ過ぎるとお腹を壊しますから、いくらでも食べていいとは…」


 子供に食べさせたいというディースラの気持ちは尊重したいが、商売である以上、順番を守っている人達を差し置いて先に注文を受けるというのはよくない。


「なんだグチグチと、やかましいなお主は!子供が欲しがっておるのだ!食わせんで如何とする!」


「その思いやりをシャスティナさんに少しでも向けてあげてくださいよ。もうずっと氷を作り続けてて、大分へばってますよ」


 もしその優しさの一欠けらでもシャスティナのためにあったのなら、朝からひたすら氷を作らされた疲労で顔色が悪いシャスティナのこの姿はもっとましなものだったに違いない。


「い、いえ、よいのです、アンディ。ディースラ様がお求めならば、それに応えるのが私の使命なのですから…」


 今にも膝から崩れそうになりながらも、その手は桶の水を凍らせる作業を止めず、どんな使命感が彼女を突き動かしているのか、見ていて不安を覚える。

 ディースラに弱みでも握られてるのかと思わせるほどの尽くし方だ。


 客足がもう少し少なかったら迷わず休ませているところだが、生憎シャスティナ以外にこの場で氷を作れる者はいないので止めるに止められない。


 俺も果物を煮詰めてシロップを作るのと、氷を削って皿に入れてシロップをかけて客に出すという仕事で忙しいが、シャスティナは俺以上に消耗が激しい。

 やはり高度な魔術だけあって、短時間に連続して使うと精神的な疲労も大きいようだ。

 ズバ抜けた保有魔力量があろうとも、絶え間なく使い続けていれば尽きるのも早い。


「うむ、シャスティナはようわかっておるな。ほれ、これもこう言っておるのだ、ジャンジャン作らんか」


 絵にかいたような傍若無人っぷりのディースラに言いたいことはあるが、客を待たせていることもあってとりあえずそれは一旦飲み込んで作業に没頭していく。

 今まで受けていた注文に割り込む形で子供達の分もとなると、喋る暇も惜しい。


 やつれた顔でシャスティナが作ってくれている氷を無駄にしないためにも、この暑さで溶ける前にかき氷を作っていかねば。


 それにしても、かき氷屋は利益率が高くておいしい商売だとよく聞くが、異世界でやるとこんなにつらいとは。

 こういう時、現代日本がいかに恵まれていたかを痛感してしまうな。


 いかん、それを考えては心が挫ける。

 この世の無常は今に始まったことじゃあない。

 無心だ、無心で作るんだ。


「あー!アンディまたなんかやってる!美味しいものでしょそれ!」


 かき氷を作るためだけに生まれた心無きマシーンへと堕ちた俺だったが、突然遠くから聞きなれたやかましい声を掛けられて人間に戻ってしまった。

 巡回をしているパーラが行列の先にいる俺を見つけたようで、しかも甘い匂いまで嗅ぎつけたのか目が爛々としている。


 あいつに見つかるとは面倒な…いや、この際だ。

 パーラにも店を手伝わせよう。

 どうせあいつも見回りの仕事は午前までだし、道連れ…もとい、人手はあるにこしたことはない。


 あの反応なら、かき氷の一杯でも食わせてやれば手を貸すだろう。

 よもや嫌とは言うまい?だって俺達、相棒だもんな?





 陽が落ち、かき氷を求める客もいなくなった頃にようやく店を閉じることができた俺達は、ディースラが寝起きする館へと誘われた。

 普段は客など来ることのないその館は、国賓と言っていいディースラのために用意されただけあって、使用人もそれなりの数が揃った立派なものだ。


 普段ディースラが食事を摂っているであろう食堂らしき場所に通された俺達を待っていたのは、長テーブルの上に用意されていた様々な料理と酒といった豪華な晩餐だった。


「いやぁー売れた売れた!我は商売のことはようわからんが、半日ほどの稼ぎにしてはかなりのものではないか?そのせいか、今日の酒はまた美味いな。さあ、お前達も飲め飲め!」


 杯を満たしていた酒を一気に飲み干し、今日の成果に上機嫌なディースラは、周りにいる人間にも酒を勧める。

 俺とシャスティナの目の前に置かれた、見るからに上等なものだと分かる酒と料理に思わず喉がなる。

 酒はともかく、今日は昼食もろくに取らずにいたせいでかなりの空腹だ。


「…ではありがたく」


 勧められて口をつけないわけにもいかず、酒を軽く舐めるように口をつけるが、本来ディースラに出されている酒だけあって香りも味もそこらの酒とは比べ物ならないほどにいい。

 隣ではシャスティナが笑みを浮かべて酒を飲んでいる。


 ついさっきまでゾンビ状態だったシャスティナが、酒を飲んだ途端に生気を漲らせているのは、それだけ彼女が酒好きだからだろうか。

 こんな顔もするのかと、今日までの中で初めて見せる嬉しそうな顔だ。


「いやぁ、なんかすいませんね。こんな豪華な夕食に私まで誘ってもらっちゃって」


 申し訳なさそうに言いながらも、遠慮を欠片も見せずに料理へ手を付けていくのはパーラだ。

 こいつもディースラに声を掛けられ、一緒に来ていた。


「なぁに、構わんさ。途中からとはいえ、パーラもちゃんと店で働いたろう?働いた奴は食ってよいのだ」


「ま、確かにアンディにはいいように働かされました。巡回終わりで疲れてたのに」


 仕事が終わってそのままかき氷屋をやらされたパーラは、俺を非難するようにジトリとした目を向けてくる。


「もういい加減機嫌直せって。かき氷おごってやったろ」


「おごったって一杯だけでしょ。あれっぽっちじゃ全然割に合ってないね」


「仕方ねぇだろ。お前の分で丁度シャスティナさんの魔力が底をついたんだから」


 間に休みを挟みつつ、魔力を回復させながら氷を作り続けたシャスティナだったが、最後の客がいなくなってからパーラの分を作った時点で限界を迎えた。

 ギリギリ気絶しない程度には魔力は残っていたが、それでも魔術を発動させるのは不可能な状態だった。

 その状態のシャスティナにもう一杯作ってと求められないのは、パーラも分かっていたはずだ。


「よいではないか、パーラよ。確かにかき氷は美味いが、あまり食いすぎると腹を下すそうだぞ。今日のところは、この晩餐で我慢せぬか」


「…まぁこれはこれで美味しいけど」


 この場では最上位者であり、晩餐に招いたホストにそう言われてはパーラもそれ以上は噛みつくことを止め、その代わりと言わんばかりに、テーブルの中央に鎮座していた海老を鷲掴みにすると、殻ごと一気に齧り付く。


 伊勢海老ともロブスターとも微妙に違うその海老は、前に聞いた話だとあまり獲れない高級品で、成人男性の腕程もあろうかという大きさともなれば、丸々一匹を出しているのもかなり奮発したと言える。

 丸ごと焼いたかボイルしたかのシンプルな料理のようだが、サクサクと殻を噛み砕いているパーラの様子から、サワガニの素揚げのような料理なのだろうか。


「…我もよう食う方だが、パーラの食い方は清々しいな。それになんとも美味そうな顔をする。これだけ食うてくれれば、作った者も嬉しかろう」


 大きさからして一人で食べるものではないのか、パーラの健啖家ぶりをディースラは面白そうに見ている。

 招いた側としては、遠慮されるよりはよく食べよく飲んでくれた方がいいというところか。


「時にシャスティナよ、我は少し考えたのだがな」


「んぐ、ぷぅ…はっ、なんでしょう」


 パーラの姿に満足したように大きくうなずいたディースラが、ハイペースに酒を飲んでいたシャスティナに水を向ける。

 このドラゴン、何やら企んでいるような顔だ。


 というか、この短時間でテーブルの上に会った酒の大半がもうシャスティナによって消費されているのだが、どんだけ飲む気だ?

 表情の薄い顔は多少赤みが差している程度だが、まだまだ意識がしっかりしている様子から、酒にはかなり強いのだろう。


「今日かき氷を売ってみて思ったが、これはスワラッドの名物になるのではないか?誰でも食べられるよう、大々的に売ってみるのはどうだ?」


 スワラッドの名物になるなどとよく言ったものだ。

 かき氷のことを話すとき、ディースラの目が蕩けたようになることからも、本音の所は自分がいつでもかき氷を食べたいからだというのが透けて見える。


「…仰りたいことは分かります。今日の様子を見るに、名物となるだけの魅力はあるでしょう。ですが、まず氷の調達が容易ではない以上、名物までになるのは難しいかと」


 シャスティナの言う通り、かき氷をこの国の名物とするにしても、残念ながらあれは氷雪魔術が欠かせない以上、気軽に作れるものではない。

 シロップの方は、俺が作っているところをしっかり見られていたため、特別な材料も製法も使っていないので簡単に真似できるとしても、やはりネックは氷の方だろう。


「ふむ……この国で氷雪魔術を使えるのはお主だけだったか?」


「いえ、確認されている限りでは私を含めて六人おります。ただ、貴族が秘匿している可能性も考えれば、それなりの数がいるかもしれません」


 氷雪魔術は引く手数多であるため、国にその存在を知られれば召し上げられるのは確実だ。

 この亜熱帯の国で暮らす以上、人間クーラーのいる快適な生活のためにも、秘かに貴族の手元に置かれている氷雪魔術師はいてもおかしくはない。

 というか、確実にいるはずだ。

 人間の欲と疑心は目に見えないだけに計り知れない。


「なんだ、それほどおるのならかき氷も作り放題ではないか」


「そういうわけにはいきません。氷雪魔術の使い手はいずれも任を与えられている者ばかり。私とてディースラ様の試練に臨むという名目があればこそ、こうして動けているのです。かき氷を名物にというお気持ちはお察ししますが、氷雪魔術師をそれだけに専従させるのは我が君も認めないでしょう」


「ぬぅ、なんとケチくさい。されば、我が直接話を通してやるべきか…」


「おやめください。ディースラ様がいきなり乗り込んでは、宮殿が混乱してしまいます。せめて先触れを出して、その後に動かれますように」


 ビシュマを見ればわかるが、国民からは敬われてはいても、やはりドラゴンというのは本来恐怖の対象だ。

 敵対していなくとも、宮殿に押しかけられては騒ぎになるに決まってる。

 シャスティナが止めるのも当然だろう。


「なにを大袈裟なことを。ちょっと行って話すだけよ。今玉座にいるのはエンブルドーだったな?」


「…はい。生憎この度は体調がすぐれず、ディースラ様に会えぬことを悔やまれておりました」


「なんと、殊勝なことを言うではないか。そういうことなら、今から我が会いに行ってやっても―」


「ですから、宮殿が混乱するのでおやめくださいと、この身は申しておりますので」


「…ダメか?」


「ダメです」


 キッパリと言われ、肩を落とす姿のディースラという珍しいものを見れた。

 シャスティナは基本的にディースラに対してはイエスマンのように振舞っているが、スワラッドのことを第一に考えるのが根底にあるようで、天秤にかけてダメなことはダメとハッキリ言う気概はあるようだ。


 かき氷に関しては、今のところ氷雪魔術師の協力無くして作ることは困難であり、この時点でディースラの企みは先行きが暗い。

 しかし一方で、シャスティナの言を噛み砕いてみれば、国が認めるならば氷雪魔術師の協力が得られるということでもあるため、ディースラの交渉次第ではスワラッドがかき氷の国と呼ばれる可能性は無きにしも非ず、といったところか。


「失礼ながら、俺から一ついいですか?」


 二人がかき氷のことで話している最中、ふとあることを思い出した俺は割り込む形で会話に加わることにした。


「ぬ?なんだ、なんぞ氷の調達するにいい案でもあるのか?」


「いえ、それは俺にはどうしようもないんで、ディースラ様が上手い手を考えてください。それとは関係ないんですが、ディースラ様?俺とパーラと初めて会った時に言ってたことを覚えてますか?」


「言ってたこと?はて…」


 そう言って目を閉じ、腕を組むディースラの様子から、あのことはどうやら覚えていないようだ。

 だが本人はそうでなくとも、俺とパーラはしっかりと覚えているし、なんならあの時の店にいた人間も証人にできるかもしれない。


「…お忘れのようですね。以前、ボロロを食べていた時、巡回終わりの俺とパーラが出会った時です。あの時ディースラ様はこう仰っていました。『八日目を迎える前に試練を突破されでもすれば、我はなんでもやってやるわ』と」


「お?おぉおぉ!言ったな!そういえば!すっかり忘れておったわ。…我、なんでもって言った?」


「はい、なんでもと」


 合点がいったと晴れやかな笑みを浮かべたディースラだったが、同時に自分が広げた風呂敷にも気付いたようで、一転して顔を曇らせてしまった。


「そ、そうか。察するに、アンディよ。今それをこの場で口にするということは、お主、我に何かさせようというのではあるまいな?」


「そのつもりですが?」


 あの時は試練を突破されるわけがないという余裕と、祭りの楽しさからくる勢いだったのだろうが、軽々しく何でもすると言った以上、試練を突破した俺がその恩恵にあずかっても文句はないはずだ。


「ぐ…ぬぅ、我に一体何をさせようと……は!?まさか、そういうことか?し、仕方ない。チューまでだぞ?」


「違います、そんなの求めてません」


 何を勘違いしたのか、唇を尖らせて目を閉じるディースラ。

 いつ俺がそんなもんを要求した?


「…アンディ?」


 これでパーラはジットリとした目を向けてくるんだから、このドラゴンは本当にろくなことを言わねぇな。


「待て。今のは俺は悪くないだろ。勝手にあっちが勘違いしただけだ。おいおいおい、その手に持つナイフは料理のためにあるもので、人に向けるもんじゃあないぞ」


 パーラの手にあるナイフの先がツツと俺に向くが、今のくだりで俺に悪いところは一切ないので、その感情を少し抑えてほしい。


「なんだ、違うのか?その年で我のような美女とのウッフンアッハンを望まぬとは、枯れておるな」


「変なことを言わないでください、俺は健全です。そうではなく―」


 もうディースラの言葉に一々突っ込むのが面倒になってきたので、さっさと本題に入らせてもらう。


 俺がディースラに頼みたいことというのは、あちらの大陸に向かう船に俺とパーラを乗せてもらえるよう、この国の偉い人に便宜を図ってもらいたいということだ。

 試練が終わったことで大陸に向けて船が出ることは確定したが、少し聞いた話では強力なコネでもないと一般人がその船に乗るのは無理だそうで、だったらディースラを頼ろうと考えたわけだ。


「なんだお主ら、あっちの大陸に行きたいのか?」


「ええ、まあ」


 実は元々あっちの大陸から来ましたというのは言う必要はないので、そう返しておく。


「確かに外海を渡る船ならば、我が言えばお主ら二人ぐらいなんとかなるやもしれぬが…シャスティナ、いかがだ?」


「はっ、ディースラ様がそう仰れば、断る者はおらぬかと。それに、アンディは今年の試練を達成した功労者でもあります。この二つの要素があれば、船に乗ることは許されるでしょう。ただ、それらの船は客船ではないので、荷物同然の扱いとなるでしょうが…」


 快適な船旅とは程遠いことをほのめかされるが、それでも船に乗れるなら一向にかまわない。

 俺達はとにかく、あちらの大陸に行けさえすればいい。


「船に乗せてもらえるなら、それぐらい我慢しますよ」


「そうですか…ではディースラ様、アンディ達の乗船の手配、私に任せていただいても?試練の結果と合わせて、我が君に報告すれば話は早いでしょう」


「うむ、その方がよかろう。アンディにパーラ、船の件はシャスティナに任す。後のことはこやつを頼れ」


「分かりました。シャスティナさん、お願いします」


「ええ」


 シャスティナもスワラッドではそれなりの地位にいるためか、船の手配は彼女に任せることでスムーズにまとまってしまった。

 我が君がどうのと言っていたのは、恐らく国王あたりへの報告をしてからだろうから、今日明日に船に乗れるということはないので、しばらくは時間がかかるだろう。


 思い返すと今日までずいぶん時間はかかったが、ようやく外海を渡る目途も立ち、これで先に進めると少し安堵できた。


「うむうむ、ではこれで、我が言った何でもするというのは果たされたということだな。いやはや、一体何をさせられるかと思ったが、この程度で―」


「いえ、それはシャスティナさんがやったことなので、ディースラ様はまだ何もしてませんよ。よって、まだあの件は果たされてませんね」


 さも乗船の手配でディースラの言った、何でもするというのが果たされたかのような雰囲気だが、それはシャスティナが主に動くことになるため、正直ディースラは何もやっていないも同然だ。


「何ぃ!?ば、バカな!我が言うたからこそ、シャスティナは船の手配を請け負ったのではないのか!?」


「だとしても、ディースラ様はほとんど何もしてないじゃないですか。そんな状態で、あの時吠えた何でもするというのを果たしたと言っていいんですか?いやいや、誇り高きドラゴンがそんな、まさか…」


 やや悲し気に、失望したといった風情でそう吐くと、ディースラがわかりやすい反応を返す。


「むっ!ばかもん!我がそんな器の小さいことを考えるわけがなかろう!左様、確かにお主の言う通り、我はまだなにもしておらん。頼みごとの一つも叶えねば、竜としての沽券にもかかわる。さあ、何でも言うてみよ!」


 ちょっと煽るだけですぐに乗ってくるとは、なんというチョロゴン。

 しかもまた『なんでも』という言葉を使うのだから、人知を超える存在というのも大したことはないな。

 こうまで言うのだから、何かディースラにしかできないことを頼みたいところだが、生憎それが思い浮かばない。

 ここはひとつ、先延ばしにする方向でいくとしよう。


「おぉ、流石はディースラ様。お気持ちは大変ありがたく。しかし、今は俺もこれといってお頼みすることも思いつかないので、何か必要がありましたら改めてということでいかがでしょう」


「我は一向に構わんッッ!ならばその時にはこのディースラの力を貸してやろう!光栄に思え!」


「ははぁ!」


 恭しく頭を下げながら、俺は自分の顔がウププとなるのを抑えきれない。

 これで俺は強力な手札を一枚きりだが手にしたことになる。

 何かあればドラゴンを使えるというのは、この上なく心強い。

 使いどころを見極め、有効に活用するとしよう。


「…な、なんという邪悪な笑みをするのでしょう」


「あぁ、大丈夫だから、シャスティナさん。アンディってたまにこういう顔するのよ。まぁこんなだけど、あんまり悪いことにはならないから見逃してあげて」


 何やら俺の笑顔に対してひどいことを言っている人間が二人いるようだが、今の俺は機嫌がいいので見逃してやろう。

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