ドナ・スケア・サニエリ
「さて、そろそろ出発だ。アンディ君、かなり窮屈だろうけど許してくれよ。君はまだ厳密には罪人ではないが、暴れられたら面倒なんでね」
景色を楽しむ余地をどこへ置き忘れたのか、窓すらろくにない頑丈な造りの馬車に一人押し込まれ、手足を拘束具で固められた状態の俺に申し訳なさそうに声を掛けてきたグロウズだが、その言葉に軽さしか感じられない辺り、本心ではそう思っていないのが分かる。
グロウズの答えに睨みだけを返すと、肩をすくめられて馬車の扉を閉められた。
立ち去ったのを見計って両手足を拘束する革紐を解こうと挑んでみるが、丈夫に出来ていて鍵も紐自体もビクともしない。
魔術が使えれば話は別だが、今俺に嵌められた首輪のせいで魔力操作はほぼ全て封じられていて、拘束を破るのはかなり難しいだろう。
捕まった時に装備も全部外され、武器や解錠に使える道具類も一切ない。
赤い金属製のこの首輪は、装着した者の魔力を封じる魔道具で、ペルケティアだけが極少数を所有している非常に貴重で強力な魔道具だそうだ。
今回、俺を力づくで捕縛する可能性を考え、指令を出したヤゼス教のお偉いさんがわざわざグロウズに持たせたらしく、こうして身をもって体験すると凶悪極まりない。
外へ放出するタイプの魔術は勿論、身体強化を試みてもほとんど効果がないという、魔導器とはまた別の魔術師殺しと呼んでいい代物だ。
グロウズの口ぶりから数が極端に少なく貴重なものだということなので、ホイホイと使われることがないのだけは救いだろう。
今いるのは元々護送車として手配していたであろう馬車で、広さはそれほどではないが乗客が俺一人ということもあって、思ったよりも窮屈さは感じていない。
ただ、これから俺が向かうのは、ペルケティア本国にあるヤゼス教の総本山とも言える場所なので、馬車の速度を考えると長い旅になることだけが気を重くさせる。
拘束さえどうにかなればすぐに逃げだしたいところだが、そうなると今度はグロウズが一切の手加減無しで殺しにかかる恐れもある。
出発する前にガイバと少し話したが、あれでもグロウズはまだ手加減していた方で、その気なら俺はもっと早く死んでいただろうと言うのだから、世の中にはまだまだ恐ろしい人間が大勢いるもんだと、思わず遠い目にもなる。
恐らく、今度は手足を斬り飛ばされるだけでは済まないだろうと、拘束用の布に包まれている自分の両手をジッと見る。
昨日の騒動の際、斬り飛ばされた俺の手足だが、今は普通に繋がって動かせている。
これは別に治療で手足を繋げたというのではなく、単純にあの一瞬だけ体を雷化させることに成功していただけだ。
グロウズの鞭を手足に食らった瞬間、残り僅かな魔力を絞り出すようにして体を雷化させたことで、実体が切断されるのは避けられたが、初めて自分の手足が雷と化して分離するという体験を味わったのは妙に怖いものがあった。
分離した手足は溶けるように雷へと変わり、すぐに俺の体へと戻ってきたが、それを見た時の目が点になったグロウズの顔は、今思い出しても笑える。
ただ、それによって俺の魔力は完全に空っぽとなり気絶してしまったようだ。
実はあの日、バイクで帰る途中に街道を大岩と土砂が塞いでいる場面に出くわし、それをレールガンの連射と土魔術で排除したため、グロウズと戦った時点で魔力の残りは半分を切っていた。
もう少し魔力を温存していれば、また違った結末もあっただろうが……いや、言い訳だな。
グロウズの強さは本物だったし、どっちにしろ俺は捕まっていただろう。
目覚めたのを聞き付けたガイバから色々説明を聞いたが、結局俺がペルケティアに送られるのは避けえないこととなってしまった。
これで俺が爵位の一つでも持っていれば話は違ったのだが、生憎平民の身ではどうしようもない。
だが一人、こんな俺のために動いてくれたアシャドル王国の役人がいた。
迷宮遺跡の現場責任者的立場として派遣されていたセインだ。
セインは俺の捕縛についてグロウズに強く抗議したようで、残念ながらそれはグロウズに突っぱねられる形で聞き届けられることはなかった。
今のグロウズは、一時的にこの地でのヤゼス教の全権を委任されている立場に近く、セインでは身分が足りなかったため、正式なルートでの抗議をするべく、セインは朝から動き回っているそうだ。
知り合ってまださほど経っていない俺なんかのために、そうして骨を折ってくれているとは、申し訳ないとともに有難くも思う。
ガイバも自身の伝手でどうにか悪いようにはならないよう各方面へ働き掛けるそうだが、商人ギルドの仕事も抱えてここを離れられないガイバにどれだけ期待していいものか。
それと、ガイバにしか頼めないこととして、後からここに来るであろうパーラに宛てた伝言を託す。
内容としてはちょっとペルケティアに行ってくるということと、ディケット辺りで待機しているようにというものだ。
パーラのことだから、俺が捕まったと知ったら暴走しかねないので、こちらから連絡を送るという体でディケットに留め置くことにした。
同じペルケティア内の都市だし、最悪の場合はどうにかしてそこまで逃げて飛空艇に乗り込むつもりだ。
それと、バラバラになったバイクを回収して、保管しておくこともガイバには頼む。
こっちは修復できるかどうかクレイルズの所に持ち込んでみないと分からないが、直せるなら直しておきたい。
ついこの前直したばかりだというのに、今度は完全に分解された状態でクレイルズに見せるのは心苦しいが、全部グロウズが悪いので恨みと文句は奴に行くよう誘導できたらいいな。
今の状態はグロウズが最初から想定していたか分からないが、こうして拘束具や魔力を封じる首輪を用意していた辺り、穏便に済まないという考えはあったのだろう。
俺の乗っているのを含めた十台ほどの馬車と、騎乗した修道騎士が数十名という大所帯は、さながら重罪人の護送のようではある。
ここからペルケティアまでの距離を考えれば、この規模はおかしいものではないが、仰々しいのはやはりグロウズが率いる集団だからだろう。
聖鈴騎士の中でも上位に位置するグロウズは、やはりそれなりの格というものが求められるようで、必要かどうかはともかく、この旅の間の安全のために修道騎士を大勢連れて移動するのが当然となる。
そこへグロウズや修道騎士達の身の回りを世話する人間が加わる為、商隊でもないのに馬車十台の集団へと膨れ上がったわけだ。
イアソー山麓を発ったのは、朝というには遅く、昼というには早い微妙な時間だったが、旅程に加わる全員が馬車か馬に乗っていたため、その移動速度はかなり早く、この日の目的地と定めていた場所には夕暮れを迎える前にたどり着くだろうとのこと。
それを誰に聞いたかというと、今俺と同じ馬車に乗り込み、わざわざ対面に腰かけて先程からずっと話し続けているグロウズだ。
「だからさ、せっかくペルケティアの外に出たんだから、やっぱりその土地の物を食べたいわけ。なのに、ちょっと他の場所に行こうにも必ず誰かしら付いてくるし、おまけにガイバ君の所からあまり離れたらダメだって言われるしで、あんまり楽しめなかったんだ」
昼の休憩を迎えた頃、俺の分の昼食を持ってきたグロウズは立ち去らずにそのまま居座り、愚痴めいたことをずっと吐き出していて正直うざい。
「ヘスニルってとこで流行ってるハンバーグってのは是非食べたいところでね、どうにか僕だけでも抜け出して行けないもんかと思ってるんだが……まぁ今は無理だと思ってるからもう諦めたよ」
「そうかい。んじゃ食事は終わったからとっとと出てってくれ。ハンバーグ、いつか食べられるといいな」
空になった大皿を突き返し、グロウズを外へ出そうと手を振る。
食事を運んできてくれたこと自体には礼を言ってもいいが、その後の行動が俺の口からそれ以上の言葉を奪う。
「なんだ、つれないなぁ。退屈してるだろうと思ってわざわざ話をしに来てあげたのに」
「退屈してるのはあんたの方だろ。さっきから自分のことしか言ってないし、人と話がしたいってよりは言いたいこと言って時間をつぶしたいって感じだ」
「…はっはっはっはっは。まぁそんな狙いもないことはないね」
視線を逸らし、バツの悪そうな顔で渇いた笑いを上げるグロウズの態度に、俺の指摘は見事に当たっていたと分かる。
この集団の中で一番偉いグロウズは、補佐する人間も多く揃えているため、周囲を警戒することも人の動きに気を配る必要もなく、相当暇を持て余していることだろう。
どこか享楽的な気質を備えているグロウズのことだ。
俺への昼食の配膳を買って出たのも、退屈しのぎを探しての行動に違いない。
「なら今度は君の方から何か話のタネでも提供してくれよ」
「はあ?なんで俺が…」
「いいじゃないか。どうせお互い、話すぐらいしかやることはないんだ」
「だからってあんたと―…いや、だったら聞きたいことがある」
「お?なんだい?」
正直、出会いからここまでの経緯で好印象を持てる相手ではないので、あまり同じ空間にいたくはないのだが、一向に出て行く気配がないので、ここは開き直ってこいつから情報を引き出してみるのも悪くない。
「今回の顛末、その詳細をあんたが知ってることを全部順を追って説明してくれ」
「…なるほど。そう言えば説明は不完全だったか。いいだろう。話せないこともあるが、納得できるように説明はしてあげよう。いやぁ、わざわざ捕まえた相手を納得させるための説明をするなんて、僕って親切だよね?」
「説明は捕縛した側の義務だろ。あと、首輪を外してくれれば心底そう思えるがな」
「それは無理だ。君ほど優秀な魔術師の封印を解くなんて、そこまで僕も呑気してないんでね」
「だろうな。言ってみただけだ」
あわよくばにすら期待しないで口にした首輪からの解放だが、当然ながら却下された。
向こうにしても、最小にして最大の効果を発揮している首輪を外すわけがないので、落胆はしていない。
今はまだ欲張ってはいかん。
ここは情報を引き出せるだけでもよしとしなくては。
「―てのが、僕の受けた指令の大体だ。これ以上詳しくは流石に話せないし、ここまでが君に話せる全部ってところかな」
昼の休憩時間も終わり、馬車が動き出しても途切れることのなかったグロウズの長い説明で、ガイバから聞いた以外の情報も色々と手に入れることが出来た。
やはり俺を連れて行くのは例の土砂崩れに端を発した死者蘇生でのことが理由で、ヤゼス教のお偉いさんの前に直接引き出し、そのことに関連して何やら確認したいことがあるようだ。
その何かは教えてもらえなかったが、かなり重要なことだというのはグロウズの口ぶりからなんとなく分かる。
ここまで聞いて、俺は思ったよりも大きな騒動に巻き込まれているのではないかと、ぼんやりとだが自覚してきた。
ほとんどの国に信者がいる、最大規模の宗教と言えるヤゼス教でかなり高位の立場の人間が、わざわざグロウズのようなものを派遣してまで身柄を確保しようとしたのは、それだけ重要な事態だからだろう。
あの捕縛の時も、俺の手足を斬り飛ばすとグロウズが言っていたのは、穏便な連行の必要はないと、その司教とやらが仄めかしていたのかもしれない。
結果として、俺の手足は無事だったが、聖職者とは一体なんなのかという疑問もまた覚えた。
「向こうに着いたら、君はさる御方に会ってもらう。その方が君と面談して、それで処分が決まる」
「処分…」
「あぁ、こりゃ言葉が悪いね。処遇って言った方がいいか」
「どっちにしろ、ヤゼス教の人間が俺の未来を握ってるってことだろ。ゾッとしないな」
この世界じゃどうか分からないが、地球では宗教ってのは表に出にくいだけで結構黒いことに手を染めていた。
破戒僧だらけの宗教法人やキリスト教のある宗派の腐敗など、ほとんどが都市伝説染みた話ばかりだが、何もないところに煙は立たないもので、宗教という属性で考えると、ヤゼス教も清廉な組織だと一概に考えないほうがいい。
現に今、俺の目の前には聖職者のくせに血の気が多いヤバい奴もいるし。
「お?なんだい、そんなに見つめたりして…もしかしてそういう趣味?一応助言すると、ヤゼス教では厳密に禁じられてないけど、陽の下を歩くには辛い道だよ?」
誰が歩くBLだ。
「違うわ。百億割違うわ。俺は普通に女が好きだ。いつもエロいことを考えてるぐらいにな」
「それはそれでどうだろう?」
何を言うか。
男ってのはそういうもんだ。
ペルケティアを目指して旅を続けておよそ二十日。
およそというのは、途中からあまりにも暇すぎて丸一日眠りこけるという日が何度かあり、感覚的に数日は誤差があることだろう。
実は移動を開始してすぐの時は、適当なタイミングを見計らって馬車から逃げようとも思っていたが、グロウズから話を聞いたあとだと、今逃げて追手を掛けられるのが面倒だと気付かされた。
それよりも、さっさとお偉いさんとの面談とやらを済ませ、何もない一般人だとの認定を受けて大手を振って帰るのが一番いいと思えたのだ。
簡単な話ではないだろうがな。
そうなると、大人しく連行されるままに任せようと、外の景色もろくに見えない馬車に引きこもって過ごしていたのだが、拘束されていると寝る以外にやることもないわけで。
結果、食事も半寝の状態で済ましたりして時間の感覚が大分鈍ってしまていた。
グロウズに旅の経過日数を尋ねるというのも手ではあるが、ここ最近は顔を見せていないので使えなかった。
一応、世話をしてくれる使用人っぽい人がこの馬車には付いているのだが、何度か食事を運んできただけであまり口を開かないので、なんとなく聞くのが躊躇われた。
まぁ移動に何日かかろうが特に大きい問題でもないので、今が何日かはさほど気にしていない。
馬車に設けられた、本来は換気用の小窓から少しだけ覗く外の景色に、二階建て以上の建物の姿がチラホラと見えだしたことと、尻に響く振動が大分前から和らいだことで、恐らくペルケティアの主都マルスベーラへと着いたのだろうと推測する。
グロウズからマルスベーラで司教と引き合わせると聞いていたため、ようやく着いたかという安堵感と共に、初めて来た街を自分の足で歩いて回ることすらできない今の立場を口惜しく思う。
旅を楽しむことがこの世界を生きる上での目標としている俺だが、こうして不自由なままに新しい土地へとやってくることのなんと無情なことか。
今から主都見物に出かけるから拘束を外してくれと言ったところで、あのグロウズがはいそうですかと許すわけがない。
仕方ないので、聞こえてくる喧騒と窓から僅かに見える街並みに思いを馳せ、これからをやり過ごす活力を蓄えるとしよう。
俺、全部終わったら都見物するんだ…。
それからしばらく移動して、馬車は喧騒から離れて恐ろしく静かな場所へとやってきた。
どうやら城かそれに近い建物の門を潜ったようで、一緒にいた修道騎士は解散してどこかへと行き、俺の乗った馬車一台だけが移動を続けていたが、唐突にそれも終わる。
「アンディ君、到着だよ。さあ、降りてくれ」
馬車の扉が開かれ、グロウズがそう告げる。
足の拘束が外され、馬車を降りると自分が今いる場所がなんとなく理解できた。
目の前には石垣に囲まれた神殿のような建物があり、辺りには俺達以外の人の気配がほとんど感じられない静けさが厳かな雰囲気を作り出していて、この光景にはヤゼス教の総本山だと言われれば納得できるものがある。
今は昼を大分過ぎた時間のはずだが、頂点から傾いた陽の光が石垣に遮られ、開けた頭上に広がる澄んだ青空と、影になっているこの場所の対比が妙な寒気を感じさせていた。
「こっちへ。僕に付いてくるんだ」
そう言って歩き出したグロウズに俺も少し遅れて歩き出すと、先程から目に入っていたあの神殿のような建物ではなく、そこから少し離れた場所にある古びた館へとグロウズが向かっている。
どうやら今回の件で動いていた司教がそこにいるようだ。
さほど時間もかからずに館へ着くと、グロウズは迷うそぶりもなく扉を開けて中へと入り、俺もそれに続いていく。
中は外観から裏切られることなく普通に古びた様子だが、一応管理は行き届いているようで、埃っぽさはあまり感じられない。
「この先で司教が待ってるんだけど、先に簡単な作法だけ教えておこう」
館の奥を目指して廊下を歩きつつ、こちらを振り返ることなくグロウズが口を開いた。
心なしか、いつもより声に硬さがあるように聞こえるが、もしかしてグロウズも緊張しているのだろうか。
あの軽薄が服を着ているような男が…と少しだけ意外に思った。
「と言っても、二つだけ覚えていればいい。まず一つ、許可なくしゃべってはいけない。何か言う時は直接司教にじゃなく、僕を経由して発言するんだ」
そういうのは偉い人、特に王族なんかとの謁見の時のルールとしてよくあるので、特に思う所はない。
司教ともなれば、そういうのにもうるさい人間なのだろう。
「次に、君は跪いて司教の登場を待つことになるが、その際、足先を司教に向けてはいけない。片膝を突くと自然とそうなってしまうから、膝を揃えて床に着けておくんだ」
「足先?なんでまたそんなことを」
最初の方はマナーとして納得は出来るが、二つ目の方は全く意味が分からず、首を傾げざるを得ない。
なぜそうするのか理由が推測できない辺り、
「そういう仕来りなんだ。君がヤゼス教の信者として多くの寄進をしているなら話は別だが、そうじゃないだろう?だからこれには従ってもらわないとね」
司教との面談の際、ヤゼス教に寄付をしているかどうかでルールが一つ加わるのは、果たして妥当なものだろうか。
まぁ日頃からヤゼス教の熱心な信者と、それ以外を区別するのがこういう時のことだとしたら、なにもおかしいものではないな。
そうしている内にグロウズが一つの重厚な扉の前で立ち止まる。
「この部屋で司教と会うことになっている。中に入ったら一段高いところに椅子があるから、それを正面に見て五歩分は離れて跪くんだ」
中へ入る前の最終確認のようにグロウズがそう言い、俺も無言で頷いて了解とし、二人そろって扉の向こうへと歩みを進めた。
室内に入ってまず目についたのは、周りの壁一面を覆っている暗い青色のカーテンだ。
防音か装飾か目的は分からないが、一種異様な物に見えるのは圧倒的に光源が乏しいせいだろう。
ここまでの廊下もそうであったように、陽の光がほとんどない室内は夜のような暗さで、申し訳程度に用意されている照明のおかげで困らずに済んでいるが、どこか神秘さと不気味さの同居する雰囲気には息を呑んでしまう。
かろうじて光が届く範囲で推測するに、部屋の広さが20帖はあろうかというほどだが、見えないだけで室内には俺とグロウズ以外の気配がいくつか感じられ、それらはここで会う司教の護衛とかなのだろう。
そんな中、先にグロウズから聞いた通り、部屋の一番奥に大き目の椅子が置かれているのを見つけ、その手前5メートルの当たりで正座の形で座り込む。
それを確認してか、グロウズは椅子の方へ近寄り、どこかへ向けて小声で何かをつぶやいた。
すると、壁に垂れている布の一つが大きく動き、そこから銀糸をふんだんに使った豪奢なローブを纏う一人の老女が姿を現した。
どうやらあそこには扉があったようで、控室のような場所に通じていたのだろう。
杖を突いて歩く白髪痩身と、老いが十分に見て取れる老人だが、チラリとこちらを見た目には十分な生気が宿っており、この世界における俺の経験則から、一筋縄ではいかないタイプの老人と判断した。
目の前にある椅子までやってくると、傍に立ったグロウズの手を借りてゆっくり座ると同時に、俺を鋭い視線が貫く。
やはり先程俺が抱いた感想とそう違わず、老いてなお衰えない覇気とでも言おうか。
何とも言えない圧力に襲われた。
「……ヒューイット、この子が話にあった者だね?」
「はい。件の死者復活を成したと噂される者、名をアンディと申します」
グロウズをヒューイットと、しっかり名前で呼ぶ辺り、そこそこ親しいのかと一瞬思ったが、答えるグロウズの声は畏れが含まれており、明確に立場の違いが伝わってくる。
薄々気づいていたが、この老女が俺をここまで連れてこさせた件の司教で間違いないだろう。
「そう……普通ね。もしやヤゼスの生まれ変わりかとも期待していたけど、神々しさは微塵も感じられない。そこらにいる人間と変わりないみたいだが」
期待外れだと言わんばかりに深く息を吐き、こちらを見る視線に籠っていた圧力も急激に緩んでいった。
あの強い視線は俺の正体を見極めようとしていたもので、その結果が先程の落胆の息だったわけだ。
しかしグロウズもそうだったが、俺を見て普通普通と言うのは失礼だと説教してやりたい。
勝手に期待して勝手に落胆するのも、断じて俺は悪くない。
確かに俺はイケメンでも不細工でもない、無難な顔だと自覚しているが、まるで雑草のような扱いで評価されるのは流石に腹が立つ。
雑草という名の草はないというのに。
まぁグロウズから聞かされていた作法の関係で、これを今言うタイミングではないので甘んじて受け入れるが、これで魔術が使えたらただじゃおかんところだった。
命拾いしたな。
「確かに外見は平凡なものですが、実際に魔術師としての腕は飛びぬけて優秀です。恐らく、今いる聖鈴騎士の中で、このアンディに勝てるのは上位の者数人だけでしょう。これは一戦交えた僕が保証します」
「おや、それほどかい。あんたがそう言うのなら大したもんだ。となると、死者復活も魔術に頼ったものになるのかね?どうなんだい?」
「えひ?」
それまで蚊帳の外といった感じで放置されていたのに、急に話を振られて思わず変な声が漏れ出てしまった。
「ん゛ん゛っ!アンディ、サニエリ司教の質問に答えなさい」
咎めるように強い咳払いを立ててグロウズがそう言ったということは、どうやら俺は司教への直答が許可されたらしい。
というか、今になってこの司教の名前が分かったわけだが、できればもっと早い段階で名前を教えててくれてもよかったのではないかと、今になってグロウズへの抗議の感を覚える。
ここまでの旅で時間はかなりあったはずなのに、司教の名前を教えなかったのは、単純にグロウズの怠慢だろうに。
色々と思うところはあるが、とりあえず今はサニエリの疑問に答えるとしよう。
何せ、今この場を支配する一番偉い人間だ。
機嫌を損ねていいことはない。
「はい。仰る通り、魔術で蘇生を行いました」
「そうかいそうかい。その辺り、もう少し詳しく話しておくれないかい?」
「……では。あの山崩しの際、自分は救助活動に加わっていました。その時、土の中から心臓が止まっていた遺体を見つけました。肉体の損傷も大きくなく、心臓さえ動けば息を吹き返すと思い、賭けに出ました。結果、賭けには勝ち、何人かが同様の手法で蘇生させることが出来たという次第です」
ざっと簡潔にまとめたが、実際あの時はもっと大変で、見つける遺体のほとんどが電気ショックや水魔術による治癒では手の施しようのないものばかりで、全体から見たら生き返ったのは一割にも満たなかった。
「その雷魔術を使えば死んだ人間は生き返るのかい?」
雷魔術を実際に見知っていないであろうサニエリは、俺の話を聞いただけではそう思ってしまうのも仕方ないことだが、それにはノーと言わせてもらおう。
「いえ、先程も言いましたが、肉体に致命的な損傷がなく、心臓だけが止まっている死体、それも死んでから時間のそう経っていないものにたいして、雷で心臓に刺激を与えて再び活動するよう促す、という感じになります」
雷自体は知っていても、人体に電気が常に流れているとは知らないこの世界の人間にとっては、この説明では今一ピンとは来ないだろうが、こればかりは俺も口で説明するのは難しいので、これで勘弁してほしい。
実際、原理を知っているから出来るというものでもないし、あの時も生き返った人間は運がよかっただけだと言いたい。
「ふーん、なんだか要領を得ないねぇ。こりゃあ実際にやって見せてもらった方が早い。ヒューイット、適当に死にたての死体を用意できるかい?」
まるで朝食を手配するように、サニエリはとんでもないことを口にした。
死体を用意する…、まさか聖職者の口からこんなおぞましい言葉を聞く日が来るとは。
「は、ただちに」
そしてそれに何の疑義も挟まずに答えるグロウズ。
まぁこいつはそう言う人間だと思っていたからショックはあまりないが、それでもこの一連の流れには背筋に走るものを覚える。
本来、人の死に寄り添っていくのが宗教であって、その集団のトップに近い人間がこうも死を軽々しく扱うとは、ヤゼス教とはもしや本来そういう宗教なのか?
絶句している俺を余所に、グロウズが指示を出して暫く経つと、手に木製の枷を嵌められた襤褸を纏った少年が連れてこられた。
入ってすぐ室内の様子を探り、俺を見て訝しげな顔をした後、グロウズを見て犬歯をむき出しにして睨みつけている様子から、この少年とグロウズの間には何かしらの因縁があるようだ。
「やぁ、ティム。こんなところで再会するなんて悲しいね」
「てめぇはっ」
グロウズにティムと呼ばれた少年は、先程よりもさらに険しさを増した激しい表情を浮かべ、視線で殺さんとしているかのような目をグロウズへと向けている。
この二人の間に何があったか知らないが、俺としてはグロウズが嫌いなのでティムを密かに応援したい。
「わざわざ来てもらったのは他でもない、君の処分が決まったよ。それをこれから執り行うことになる。強姦6件、強盗27件、殺人11件、窃盗は数知れず。随分と罪を重ねたようだが、ヤゼス教の神官を殺したのはまずかったね」
「弱ぇ奴から奪って何が悪いってんだよ。俺は好きな時に奪って、好きな時に犯って、好きな時に殺す!そう生きてきたんだよ。その神官も、大人しく金を寄こしてりゃ殺さなかったぜ。多分な」
前言撤回だ。
このティムという少年、とんでもなく悪い奴だった。
グロウズは嫌いだが、犯罪者はもっと嫌いな俺としては、ティムに向けていた同情の念はすっかり消え失せてしまった。
本人もこう言っているし、冤罪とかではなさそうだしな。
「そうだね。だから君も殺される。好きに生きたんだから、誰かの好きに殺すという行動の犠牲になる覚悟はあっただろう?」
「あ?なん…ぉ」
そう言って、酷くあっさりと、何の感慨も躊躇いもなく、グロウズはティムの心臓へとその手に持っていた短剣を突き刺す。
トプンという、水の詰まった入れ物を揺らすような音だけが妙に耳へ響く。
飛び散る液体と籠った絶叫が室内を支配する中、何の感情もなくそれを見つめるグロウズとサニエリの姿は、聖職者の定義を考え直すに十分なものとして俺の目には映っていた。
確かに犯罪者ではあるかもしれないが、それでもまだ幼いと言っていい少年だ。
それが目の前で虫けらのように殺されるのを見て、何も思わないわけがない。
感情の高ぶりに任せて非難の声を上げようとしたが、こちらを一睨みするグロウズの迫力に口が開かなかった。
サニエリへの直答は許されているが、今非難の声をあからさまに上げるのは許さないというわけか。
グロウズも随分と躾の行き届いた犬だこと。
完全に息の根を止め、横たわったティムの姿に、何故か満足気な顔をしてサニエリが口を開く。
「さて、それじゃアンディ。死体の準備も出来たようだし、早速復活させて見せなさい」
「……わざわざそれをするために人を殺したのですか?」
「そうさ。実際に見る必要があると思ったなら、死体を用意しなくてはね」
いくら犯罪者だからとはいえ、そのためだけに人一人の命を奪うとは、一体この女はどんな精神構造をしているのだろう。
それに平然と従うグロウズもだ。
今も、ティムの血が付いた短剣を拭いながら、半笑いを浮かべているグロウズの姿は、これまで見てきた悪人共のどれとも違う、うすら寒い何かを感じさせた。
「さあ、アンディ」
玩具を強請る子供のような、いっそ無邪気とも言える声音で迫るサニエリだが、ティムの死因からして俺から言えることは一つだけだ。
「無理です。俺は止まった心臓は動かせても、切り裂かれた心臓を治して動かすことは不可能です」
厳密に言えば、水魔術で心臓の傷を塞ぎ、電気ショックを使えば生き返るかもしれないが、他人の臓器類はどういうわけか治癒の魔術が効きにくく、心臓ともなれば恐らく完全に塞ぐのにかなりの時間がかかる。
その間に蘇生のタイムリミットを迎えるので、助けることはできないだろう。
「?心臓なら止まってるじゃないのさ」
ほらとティムの死体を指差すサニエリは、どうも俺の説明を間違えて理解しているようだ。
「…言い方が悪かったようですね。俺が蘇生できるのは、傷もなく止まった心臓だけです。こういった、刃物で切り裂かれた心臓は治しようがありません」
「傷もなく止まるって?ふーん、そういうこともあるんだねぇ。ヒューイット、あんたなら外傷もなく、心臓も傷付けずに停止させられるかい?」
中々無茶な注文だ。
それをできるとすれば、人体を知り尽くし、衝撃で内臓だけを攻撃する特殊な技術が必要だ。
「は、やってやれないことはないと思いますが、百人手にかけて一人といったところでしょう」
やれるんかい。
かなりの才能と修練が必要だと見込むが、それをやれると言い切れるグロウズの強さはどんだけなのか。
「そりゃあ無理だね。それだけの罪人を手配するのはちょっと面倒だ。実際に見たかったが、仕方ない。もういいさね。結論は出た」
諦観と納得。
不思議と矛盾していない感情を声に載せてサニエリが俺の処遇を口にする。
「アンディの成した死者復活は奇跡の御業に非ず。よって聖人として認定はされないものとなる」
驚いたことに、どうやらこの面談で俺の聖人認定がかかっていたようだ。
まぁ死者蘇生をしたとなれば、そういうこともあるとは思うが、当事者への説明が足りないままに進めるのは権力者の悪いところだ。
「しかし、死者復活はヤゼス教における重要な秘蹟であることも事実。よって、その身柄はこの私、ドナ・スケア・サニエリの名において、ヤゼス教の管理の下とする」
「……は?」
思わず呆けた声も出るというもの。
先程までの話の流れだと、てっきり無罪放免、その足で都見物に行けるだろうと踏んでいたのに、この決定に至るとは、このババアはどうかしてるぜ。
予想していた最悪ではないが、斜め下にいくようなその決定に、俺は自分が締まらない顔をしているのを自覚していても、それをやめる気力がわかない。
それほど意外な決定が今、俺の目の前で下されたわけだった。




