おや?山小屋の様子が…
「ヘイお待ちどうさま!テーブルまでは自分で運んでくださいね。うちはそういう店なんで」
カウンター越しに待っていた客へスープの詰まった鍋を手渡し、引き換えに代金を受け取る。
この客はパンがいらないそうだから、その分を引いて数えて問題のないことを確認した。
「ああ、分かってる。ここは3回目だからな」
「おや、そうでしたか。ごひいきして頂いて、ありがとうございます」
そう言われてみれば、顔を見た記憶はあるような無いような…。
「なぁに、礼を言うのはこっちだ。あんたらがいるおかげで、美味い飯と補給に困らねぇ。出来れば、迷宮探索が続く間は、長い付き合いでいたいもんだ」
「おい、終わったんならどいてくれ。こちとら腹ぁ減ってんだ」
「おっと、わりぃな」
少し談笑している間に次の客がせっつき、鍋を持った客が離れていく。
見ると、カウンター席の傍には列が出来ていた。
気付かなかったが、どうやらまた新しい客が来たようだ。
「いらっしゃい。今日はナメ芋の鍋とパンのセット、一人前で大銅貨7枚ですよ」
入れ替わりで目の前に立った大柄な男に、今日のメニューと代金を告げる。
日毎に違う料理を提供するため、代金も日毎に違う。
今日はナメ芋という里芋に似た芋を使った鍋だ。
「じゃあそいつを12人分頼む。それに保存食と、金属用の補修資材、灯火油も欲しいんだが」
「毎度あり。食事以外は別の場所で取り扱ってますんで、そっちの方へどうぞ。あぁパーラ、小売りの方を頼む」
客のはけたテーブルから食器類を回収してきたパーラに声を掛け、物資の販売を行っているスペースでの接客を頼む。
「はーい。さ、お客さん、こっちへどうぞ」
「隊長、俺が行きます」
「おう」
男の部下であろう背の低い男が列を離れてパーラについていった。
あっちはパーラに任せて、俺は12人分の料理を用意しなくては。
今日一番の大口の注文に、大鍋から小鍋へ小分けにしたものをいくつか用意する。
まだ朝も早い内から一気に忙しくなったが、これが俺達の送っている日常だったりするわけで、ライオ達が来た日を境にして始まった日常でもあった。
少しだけ時を戻そう。
山小屋を作って最初の客であるライオ達に、俺は値付けの価値観の違いを知らされた。
「この辺りまで食材と薪を持ってきて、調理して食べさせるってだけで倍の値でも安いって感じるだろうよ」
「しかも、暖かい場所で休むってのにも価値はあるわね。調理に使う分とは別に、暖房用の薪なんかも代金に上乗せしてもいいくらい」
ライオとアイーダに懇々と説かれ、俺もなるほどと思わされる。
すっかり忘れていたが、この辺り位の標高だと薪に使える木も見つけにくい。
食事と暖を取るという目的のために人が来るとして、もう少し食事の値段が高くするのも不思議ではない。
「利用する側にしてみたら、安いのはいいことだわ。けどね、あんまり安いのもなんかあるんじゃないかって、不安になるでしょ?」
神妙な顔のラスが言うことには、俺もパーラも頷かざるを得ない。
飛空艇という反則級の輸送手段があるからこそ、この値段を設定していたが、こんな場所で妙に安いものは却って不安を煽るのは常識で考えればすぐにわかることだ。
どうやら俺達は、飛空艇にすっかり慣れてしまったせいで感覚が狂っていたと、今更ながらに気付かされた。
世の中にある適正価格というのは、それを売るまでにかかった労力が上乗せされており、それを無視すれば俺達以外の人間が迷惑する事態になりかねない。
例えば、本来登山に必要な食料を売っていた商人が、頂上付近に出来た山小屋が品物を安く売っているせいで商売が成り立たなくなるといった具合にだ。
この辺り一帯の商業を牛耳るつもりならともかく、商人でもない俺達が他の商人を潰してでも自分達の利益を上げることはあまりにも危険すぎる。
下手をすれば商人ギルドに目を着けられて、酷いペナルティを背負わされることも考えられるため、やはりライオ達の言う通り、この場所に適した値段設定を心掛けるのがいいだろう。
「なるほど、よく分かりました。そういうことなら、もう少し値段設定は考えてみます」
「おう、そうするのがいいな。…まぁここまで色々と言ったが、感謝してるんだ。遭難しかけてた俺達が今生きてるのも、この店があったおかげだからな」
「そう!ライオの言う通り!私なんかその凍傷ってやつ?で、手足を切るかもってぐらいだったんでしょ?文字通り、命の恩人って言っていいぐらいだよ」
ムーランが包帯代わりの布を巻いた手足を高く上げ、朗らかに笑いながら言う。
手足の血行は戻ったようなので、今はああして保温と固定の処置をしてあるが、一晩もぐっすりと眠れば大分回復していることだろう。
「迷宮の攻略はまだまだ続く以上、他の冒険者なんかもここを見つけて、利用するようになる。そうなった時、変にこじれて店を畳まれるのは俺達も困るんだ。美味い食いものと補給が見込めるってなれば、こんなに助かることはない」
「そんなこと言って、ラッチってば、単にここの味が気に入っただけでしょ?人一倍食べてたもんね」
「俺だけじゃないだろ。皆も、普段よりよっぽど食ってたぜ」
アイーダがラッチをからかい、それを聞いた他の面々も照れくさそうな顔をする。
腹が減っていたとはいえ、かなり激しい食事風景だったことは覚えているし、アイーダなんかは一回喉を詰まらせて死にかけていたぐらいだ。
あの時の姿を恥ずかしいと思う気持ちもわからんではない。
「それで話は変わるんだが」
「あ、はい」
空気を変えるためか、少しだけ声の調子を落としたライオが改めて俺に向き直る。
「さっき見せてもらったあっちにあるやつな、あれで全部か?もっと量はあったりするか?特に携行食なんかだ」
どうやら先程パーラに案内させた先で見た携行食なんかを、もっと量を欲しているようだ。
この山小屋では食事をメインにしており、小売りの方はあくまでもついでだ。
調理用のフレッシュな食材の方を多く揃えたせいで、携行食自体は飛空艇に積んである分を合わせてもそう多くはない。
「それならもう少しなら在庫はあったかと。今あそこにある分以外に、倉庫の方にもありますが」
「そりゃいい。あるだけくれ。言い値で買おう」
「あるだけ、ですか?6人で消費するとして、30日分はありますよ?」
俺が仕入れたのは味は二の次、カロリー摂取優先の携行食だ。
水分を抜いて圧縮しているとはいえ、携行食も30日分ともなればかなりの量になる。
6人で持つには少し苦しいのではないだろうか。
「迷宮に潜るのにはそれぐらい欲しいんだ。あぁ、運搬の問題はないぞ。ここから迷宮まではそう遠くないし、俺達男3人はかなりの荷物を背負えるしな」
ライオとミッチ、ラッチは獣人族で体格もいいが、他の女性陣はそうでもないし、ましてムーランはハーフリングだ。
必然的に重量物のほとんどは男が持つことになるが、本当にあの量を持っていく気なのだろうか。
まぁ欲しいというのなら断る理由はないが、在庫分も全部出すとなると、明日にでも飛空艇を飛ばして補充してこなくては。
携行食の方も追々適正価格を考えるとして、今回は一先ず現行の売値を6割増しという、ボッタくり並みの値段を提示してみたのだが、ライオは特に不満そうな様子も見せることなく支払ってくれた。
もしかして、この金額でもまだ安いのか?
だとしたら、雪山価格とはどれだけ吹っ掛けられるのか一つ試してみたくなるな。
いや、いかんな。
これは欲だ。
やりすぎると身を滅ぼしてしまう。
しかしこの感じだと、今後も客足が増えると仮定したら、携行食の仕入れを増やしたほうがいいかもしれないな。
ライオ達の一パーティでこれだけ買っていくんだ。
幾つかのパーティが訪れた際、取り合いにならない量を用意したい。
一か所から買い占めると一地域で品薄が発生してしまうが、飛空艇を使える俺達は各地を回って少しずつ買い集められる。
その強みを生かして、明日辺りにでも飛空艇を飛ばして仕入れに行こう。
親切にも色々と教えてくれたライオ達に、礼代わりというわけではないが今夜の宿として二階を提供することにした。
外はもう陽は落ちたというのに、未だ吹雪が弱まる気配もないし、ムーランもあの状態では一晩ゆっくり休ませたほうがいい。
二階スペースが宿となっているので、そこへライオ達を案内する。
一階とほぼ同じ広さだが天井は低いため、圧迫感は覚えるだろうが、壁の断熱性能と一階からの暖かい空気が上がってくるおかげで、凍える心配はない。
「ここが宿泊に提供している場所です。御覧の通り寝台もないので、寝心地はあまり期待しないでください」
「なぁに、屋根のある場所で寝れるだけで充分さ」
流石に何台ものベッドを用意するのは無理だったので、利用者には雑魚寝を強いてしまうが、こんなところに来る人間なら硬い地面で寝るのも慣れているはずだ。
一応、言えば毛布なんかも貸し出すつもりだが、寝具も持ち歩かずに山を登るわけがないので、あまり需要はないと見ている。
素泊まりだと一晩大銅貨3枚といったところだが、これに関しては妥当な値段だとライオ達から言われた。
元々ここに来る人間は野宿を想定してきているので、あんまり高値で設定してしまうと利用しようとは思わなくなる。
これでベッドと布団付きなら話は変わってくるが、雑魚寝スタイルならこれぐらいが文句の出ないボーダーラインだとも言える。
なお、今回は初回のお客さんということと、色々とアドバイスも貰ったこともあって、宿代は貰わないことにした。
食事代と携行食の代金に比べると安いものだが、感謝の思いは伝わることだろう。
ライオ達が自分の荷物で寝床を作り出したところで、トイレの場所などを教えておく。
実はこの小屋の売りは、トイレにあると言っても過言ではない。
何千メートルもの高さの山にもなると、人の排泄物の処理にとにかく困る。
標高が上がって気温も低い場所だと、微生物の活動が鈍り、本来平地では普通に行われる糞便の分解が進まなくなってしまう。
エベレストなどでは、登山客が残す排泄物が雪解け水に溶け込んで汚染されるのが問題になり、排泄物は持ち帰ることを呼びかけられているそうだ。
この世界ではまだそういった活動が本格的に動いていないので、迷宮攻略にやってくる人間はそこらで用を足してしまうが、いつかエベレストのように問題となる日がやってくるかもしれない。
俺一人が動いても効果は限定的だが、せめて小屋の周りに排泄物が散乱することぐらいは避けようと、わざわざ飛空艇からトイレのユニットを取り外し、小屋の中に設置したわけだ。
ただ、このトイレは完全に飛空艇から切り離したわけではない。
用を足した後の排泄物が乾燥と分解がされ、無臭の土と化したものが飛空艇のタンクへと送り込まれるダクトと、トイレ自体の稼働に必要な動力を伝達させるケーブルなんかを延長し、かなり強引に小屋の方まで引っ張ってきた形だ。
飛空艇の方のトイレが移動したので、俺達も用を足すときは山小屋の方に行く必要はあるが、よくショッピングモールのトイレなんかは、『従業員が保安のために利用する』という張り紙があるので、俺達が利用するのもおかしなことではないはず。
次に来る客のためにも、トイレの案内板と共に従業員利用の旨を書いたものをどこかに掲げておくとしよう。
「ありあとやーっした!」
食事を終えた最後の客を見送り、俺達以外がいなくなった室内でようやく一息つけた。
今日は久しぶりに泊りの客もおらず、俺とパーラの二人だけとなる。
ここ最近忙しかったこともあって、客が完全にいなくなったことについ開放感を覚えてしまう。
今はまだ昼を少し過ぎたぐらいだが、なんとなく今日はこれ以上客は来ない気がしている。
この何日かで身に着いた経験則だ。
あれからライオ達がこの小屋のことを口コミで広げてくれたようで、すぐに大勢の登山客が訪れるようになり、食事や宿泊は勿論、今までは物資が尽きると山を下りていた連中がこぞって利用するようになったため、ここ数日は俺もパーラも働き詰めだ。
迷宮の攻略で食材や雑貨がバンバン売れているおかげで、商品補充のために飛空艇も日を置かずに飛ばしている。
パーラは山小屋と平地にある街を何度も往復していたし、俺も久々の店舗運営に四苦八苦だった。
まぁメインは食い物屋の方だし、宿も金を貰ったら後は適当にどうぞというスタイルなので、宿屋業務などおまけみたいなものだが。
商人ギルドにも一応話は通し、商人ギルドの抱える物資を山頂で委託販売するという形を取っているおかげで、山小屋内の販売所もお目こぼししてもらっている。
ちなみに、ここで一番売れているのは当然携行食だが、次に売れているのは意外にも土だ。
この土はそこらの地面を掘り返したものではなく、例のトイレで排泄物を乾燥させて作る無臭の土っぽいもので、厳密には人糞の粉と呼べるが、完全に無臭なのでそうと言われなければ分からないため、俺はあえて土と呼んでいる。
最初は売るつもりもなく、一時的にただ置いていたものに誰かが目を付けて、はじめに少量が買い取られただけだったが、しばらくすると他の客にも売れだしたのだ。
何故土がと思われるだろうが、迷宮内での探索中に用を足した際、その場にただ排泄物を放置すると臭いで魔物なんかを呼び寄せることがあり、これまではその処理に困っていたらしい。
今までは手持ちの水で軽く流していたが、迷宮内では貴重な水をそういうことに使うのが勿体ないと常々思っていたそうで、俺の小屋で目に付いた土を試しにと使ってみたら効果は抜群だったというわけだ。
用を足した後に、液体だろうが固体だろうがこの土を掛けておくと、臭いは抑えられる上に、迷宮の掃除屋と言われるスライムがどういうわけか優先的に食べて分解するため、魔物に追跡されて寝込みを襲われることが格段に減ったと喜ばれている。
元の素材がアレなので、値段を高くしていないのもあって用意するとすぐに売れてしまい、手に入れられなかった客に愚痴を言われることも何度かあったほどだ。
「お疲れ、アンディ」
そんなことを考えていると、飛空艇の貨物室に通じる扉からパーラが姿を見せた。
パーラには残りの客が一グループだけとなった時点で、貨物室の物資の残りをリストアップしてもらっていたのだ。
こうして出てきたということは、その作業が終わったところなのだろう。
「そっちこそな。で、在庫の方はどんな感じだ?携行食なんかはもうけっこう出てるけど」
「んー、大体前と同じ減り方だよ。携行食は大体予想通りに売れてるし、補修材もそこそこ出だしてるね」
「そうか。水の方はどうだ?」
「あんましだねぇ。元々そこらにある雪を溶かして水を手に入れてるから、わざわざうちから買っていこうって人はまずいないし」
パーラの言う通り、雪が周りにあるおかげで、迷宮に入るまでは水の入手先に困らないだろうから、わざわざ樽で用意した綺麗な水にはあまり興味を持たれない。
まぁこれは俺が調理用にも使うので、売れなければそれで構わないと言った感じだ。
「んじゃ明日の買い出しはいつも通りにな。あ、薪はちょっと多めで頼む」
「了解。薪ってそんなに消費激しいの?」
「ああ。ここ何日か特に寒かったろ?それで結構使ったから、今ある分がちょっと心許なくてな」
下界じゃ春を謳歌しているというのに、高所じゃまだ寒さが厳しくストーブが欠かせない。
特にここ何日かは風が結構強く吹いたせいで、気温はかなり下がって薪の消費が増えてしまった。
それに加え、登山客の中にも薪を欲しがっていた人間にも売ったため、予定よりも減りが早い。
すぐに底をつくというほどではないが、多く使ってしまった分を早めに補充したいところだ。
「なるほどね。…あぁそうだ。アンディ、また例の人達来てたよ」
手元の在庫リストを一度眺めたパーラが、ふと思い出したように口を開いた。
「わかってるよ。俺も直接顔を合わせてるからな」
パーラの言う例の人達というのは、ここ何日か姿を見せるようになった集団で、身形と振る舞いから冒険者というよりも、どこかの騎士と従卒と言った感じの奇妙な連中だ。
何か特別なことをするでもなく、食事をしては帰っていき、また何日かしたら姿を見せる。
まるでミシュランの調査員のような感じではあるが、特に悪さをするわけでも無いので放置している。
「ちょっと不気味だよねぇ。話は変わるけど、例の件、どうする?受けるの?私はアンディの決めたことに従うよ」
「前向きに考えてはいる。ただ、悪い話じゃないとしても、ホイホイと承諾して軽く見られるのもどうなんだかな」
例の件というのは、少し前にパーラが買い出しで山の麓に行った時に接触した、商人ギルドの職員と、現地にいたアシャドル王国の役人に持ち掛けられたとある話のことだ。
その話というのは、この山小屋を商人ギルドとアシャドル王国の管理下に置きたいというものだ。
正式な要請や交渉などはまだだが、商人ギルドかアシャドル王国の偉い人がこの山小屋を視察のために送り込んだのが、先程の妙な客達だと俺は睨んでいる。
ライオ達からスタートした口コミは、俺の想像よりもずっと広がりを見せて、この山に来る冒険者のほぼ全員が山小屋の存在を知るようになり、それは迷宮攻略を支援しているアシャドル王国にまで届いた。
パーラが最近麓に仮設された商人ギルドの出張所で買い付けの手続きをしていたら、アシャドル王国の役人に山小屋の件で声を掛けられたそうだ。
迷宮攻略を支援しているアシャドル王国だが、山の険しさから中腹への補給地点の設置が急務とされていた中、突然冒険者達の間で話題となって現れた山小屋の存在に、そこを補給地点としてしまおうと考えたわけだ。
一から補給地点を作るよりも既にあるものを利用しようと考えるのはおかしなものではない。
おまけに、俺達が飛空艇を所有していることも知られてしまい、山の上への補給も容易であると判断され、その時に横で聞いていた商人ギルドも一枚噛むというまでに話は進んだ。
まだ現場レベルの話だが、その役人が言うには、山小屋に併設する形で国が管理する建物を作り、そこに商人ギルドが一元で物資を供給し、一気に攻略の歩みを進めたいとのこと。
ここまで聞くと、俺達が一から作ったものにおんぶに抱っこに肩車で乗っかってくる、国の悪いところが出た話のように聞こえるが、そこはちゃんとこちらにもメリットが提示されていた。
そのメリットというのが、商人ギルドからの従業員派遣だ。
現状、この山小屋は俺とパーラの二人で回しており、慢性的に人手が足りていない。
今の段階でこれなのだから、この先客が増えたらどうなることか。
そこで、商人ギルドから人員を派遣させ、人手不足を解消するという提案があったのは、非常にありがたい。
恐らく、山小屋の忙しさと人員の少なさを先に聞いていたからこその提案だろう。
ここで俺はもう一歩踏み込んでみたいと思っている。
すなわち、山小屋の運営自体を商人ギルドかアシャドル王国に丸投げするということだ。
そもそも、この山小屋を作ったのは迷宮攻略者達を相手に儲けようとしたのもあるが、最大の狙いは迷宮帰りの連中から、迷宮内の様子なんかを聞きたいという狙いもあったのだ。
命の危険は極力避けたいが、未知の冒険には憧れるという、矛盾した想いを抱えた俺が導き出した妥協案が山小屋経営でもある。
ここらで商人ギルドに店舗の営業を任せ、俺は山小屋のオーナー的な立場に退くという選択肢はそう悪いものではない。
迷宮攻略が加速するのはいいことだし、経営に四苦八苦することなく冒険譚を聞かせてもらえるとなれば、先の提案を受け入れるのも吝かではない。
「今の所、向こうからの接触はあの一回きりなんだろ?」
「うん。仕入れに行ったら挨拶はするけど、その話が出てくることはないね。なんかギルドも役人もまだ上役に話を通しただけって言ってたし、本格的な話はもうちょっとかかるんじゃない?」
「行政の動きが遅いのはいつものことか。ま、俺達はいつも通りに過ごして、その日を待つか」
民主主義だろうが王政だろうが、末端から出た話が上に行くまで鈍重極まりないのが国というものだ。
いいと思って上奏しても、途中で腰の引けた誰かが待ったをかける。
巧遅と言えば聞こえはいいが、それも過ぎるといかがなものか。
「てことは、山小屋を手放すの?」
「まあな。元々長く使うつもりはなかったんだ。迷宮攻略の話を色々と聞くついでに、金も稼げれば面白いと思っただけだし。飽きたらやりたい奴を探して譲るってのは当然考えてたから、それがかなり早まっただけさ」
「早まったって、まだあんまり経ってないじゃん」
確か今日で二カ月弱ってとこか。
まぁ確かにパーラの言う通りだが、こういうのは時間じゃあないんだ。
当人同士の気持ちの問題で、心からの思いがあれば温かく見守って成り行きに任せるべき。
そうして愛を育み、幸せな家庭を……なんの話だっけ?
まぁいいや。
ともかく、俺達が冒険者を続ける以上、いつかはこの山小屋から離れて旅の空に戻る時が来る。
あるいは、ここを終の棲家とする可能性も無いことはないが、今のところは考えていない。
例の話の詰めがいつになるかは分からないが、その時までは真摯に山と向き合って生きるだけだ。
この山小屋を頼りにしている人間も大分増えているようだし、適当な経営だけはするべきではないと肝に銘じるとしよう。
山小屋経営に乗り出してから二カ月と半分ほどが経ったある日、俺達はアシャドル王国の役人と商人ギルドの職員の連名で呼び出された。
用件はやはり例の山小屋の管理に関する件で、直接俺と話がしたいという先方の希望に応じた形だ。
事前に連絡があったため、この日は山小屋を閉めると前々から客には伝えおり、休業の立て札を立てて山を下りた。
俺としても、全く顔を合わさずに話を進めるつもりはなかったし、山小屋まで来てもらうのも大変だと分かっているため、こちらから出向くことにした。
パーラはよく来ていたが、俺は山小屋を建てる際に立ち寄って以来になるが、山の麓にあったちょっとした集落程度の集まりは、少しだけ拡大して小さな町ぐらいの大きさに成長していた。
山頂付近とは違い、麓は普通に春の景色と言った感じで、暖かい日差しを浴びて草花の香りを感じていると、なんとも気持ちがいい。
この地に集まってくる人や物が入るためのテントが周りには多く見られ、その中に時折見られる石と木で作られた家屋は、アシャドル王国の役人にギルドの職員といった、所謂お偉いさんが使うためのものだ。
そこにあるうちの一つが商人ギルドの建物で、その中で話し合いが行われるため、早速飛空艇を適当な場所に降ろす。
何度かパーラが来ていたおかげで、注目はされるが変に目立つことがないのは気が楽でいい。
しかし、飛空艇を降りて外へ出た途端、俺達は武装した十人近い人間に囲まれる。
もしや話し合いの場に行くまでの護衛兼案内をわざわざ用意してくれたのかと、こんな土地でもおもてなしの心を感じて少しだけ感動しかけたが、その中の一人が告げた言葉に俺の心は凍り付いた。
「アンディとパーラだな?返答はいらん。これより貴様らを拘束する!」
そう言うと、俺達の逃げ道を塞ぐように槍の穂先がズラリと並ぶ。
荒事にも何度か臨んでいることもあって、武器を向けられる経験もそこそこあるのだが、多数の武器を向けられるのはやはり慣れないものだ。
しかし、こうも声高に拘束を宣言されるのは、強制依頼で連行されるとき以来か。
前の時は対外的にも必要な措置だったわけだが、今目の前にいる武装した兵士たちの目には、本物の犯罪者を見るような鋭さがある。
そこから誤解や演技といった可能性が限りなく低く思え、面倒なことになりそうな予感を覚えた。
「アンディ、またなんかやった?」
「知らんな。どっちかというと、よくここにくるお前の方じゃないのか?」
仕入れに来る頻度を考えれば、そうトラブルに会う機会は多くないとは思うが、なにせパーラは無自覚に人を煽るところがあるからな。
知らずに恨みを買っていないとも言い切れない。
「んなバカな。ちゃんとここじゃ行儀よくしてたって」
なら普段は暴れん坊ってことになるが、まぁ今はそれはいい。
とにかく、俺もパーラも心当たりはない拘束ということか。
そうしているうちに、俺とパーラの手首はそれぞれ縄で縛られ、さらにその上から木で出来た枷が嵌められる。
俺達を魔術師と知っての厳重さと思うが、わざわざこんな重たい枷を持ってくる辺りに、向こうの本気度が窺えた。
見たところ、この兵士達は山出しなどではなく、アシャドル王国の正規兵か高位の貴族の私兵といった感じなので、下手に逆らわない方がよさそうだ。
「よし、付いて来い。下手な抵抗はするなよ。我らは特別な命令を受けている。貴様らを殺すのに躊躇はしない」
兵士達の隊長格と思しき男性がそう言い、歩き始めると俺の背中が押された。
いつの間にか後ろに回っていた兵士に促され、先を行く男についていく。
進行方向にはここらでも一際でかい建物があるため、俺達をこのまま牢屋にぶち込むということはないだろう。
きっとあそこには偉い人がいるだろうし、色々と弁明したいことは向こうでするとしよう。




