軍師ルフマ
どうしてこうなった。
正にそんな感じの空気で臨む対戦だが、今俺はヨルンから駒の動かし方を教わった所だ。
基本的なルールは将棋と似ているが、駒の種類と動かし方がとにかく多彩で、戦略的な考え方を持てない人間だと瞬殺されるんだろうなと思う。
俺はどちらかというと行き当たりばったりのアドリブ派だから、何手先を読むかという駆け引きは苦手だ。
そんな俺でも、今目の前のチェス盤の配置がもう手の施しようのないほどに詰んでいることぐらいはわかる。
これを昔の軍師は崩せると言い残しているのだから、もしかしたら何か突破口があるのかもしれないが、圧倒的に情報が少ない俺としては、まずは情報収集から始めよう。
とりあえず、サビニアとの会話から探ってみるか。
「サビニア嬢、君はこの陣を残した軍師のことには詳しいのか?」
この遊戯で対戦者から話しかけられるのは珍しいのか、一瞬目を見開いて驚く仕草を見せたが、すぐに気を取り直して、質問に答えてくれた。
「はい。私は学院生の頃に軍師ルフマの研究をしたことがあります」
件の軍師の名前はルフマというのか。
「私はこの国の出ではないので、ルフマのことについて少し聞かせてもらえるかな?趣味趣向に為人とか、なんでもいい」
一向に駒を動かさず、話をするだけの俺に観客が少し騒ぎ出したが、気にせずサビニアから情報を引き出す。
俺の問いに一瞬考え込んだが、すぐに頷き返し説明をしてくれた。
軍師ルフマについてわかっていることは多くない。
生まれも育ちも判然とせず、ある日突然歴史の表舞台に立つ。
当時、反乱を起こした地方領主の鎮圧に向かった王国の将軍が苦戦を強いられているところにふらりと現れて、苦戦から一気に完勝へと巻き返した手腕を認められ、王国の参謀本部にスカウトされる。
この辺りの話は学院で教科書に載っているぐらい有名な逸話となっているらしいが、今はあまり興味をそそられないので細かい所は省いてもらった。
その後も何度か訪れる開戦の危機に、策謀を駆使して戦を回避させ、遂には王国の軍師と祀り上げられるまでになったそうだ。
ルフマの為人についてはさらに知られていない。
唯一、彼の一番弟子が残した手記にルフマの日常に関しての記述が出てくるのだが、数々の逸話に語られる軍師とはかけ離れた破天荒な生活に、少し前までは手記の真偽が疑われていた。
サビニアはこの手記を研究することでルフマの性格を把握し、彼の功績から推測して手記が本物の可能性が高いと踏んでいるとのこと。
「そのルフマの性格からして、これを崩すには何が必要かわかるか?」
期待はしていないが、万が一の可能性も考えて、聞いてみる。
だが、やはりサビニアからは俺が今欲しい言葉は出てこない。
「いいえ、ルフマの残した指南書にも、彼の弟子が残した手記にもそういった記述はありませんでした。ただ、ルフマが晩年、よく口にしていた言葉に『盤外からの侵略』というものがあったそうです。これがアーミー・チェスのことを言っているのか、それとも他のことについてなのかは分からずじまいだったようですが…」
…ほぅ、面白いことを聞いた。
どうやらそのルフマという男は中々性格の悪い奴だったようだ。
あえてシンプルな言葉が伝わるように意識したのだろう。
恐らくこの愚者の問いも普通に解かせる気はなかったと思える。
これから俺がやることをヨルンに小声で聞いてみると、一瞬驚かれたが特に禁止されていることではないと確認できた。
「サビニア嬢、君は自分がこのアーミー・チェスを熟知していると言えるかな?」
「…ええ、まあ。自慢になりますが、私はこのアーミー・チェスこそがルフマを知る為の重要な要素だと思っていましたから、学院生の頃はかなり打ち込んで、同年代に敵はいないほどでした」
少しムッとした顔をしたサビニアの言葉だが、俺の言っていることの深い意味までは読めていないようだ。
「では聞くが、このアーミーチェスの駒の動かし方は果たしてこれで全部なのか、と疑問に思ったことはないだろうか」
「一体何を言って―」
サビニアの言葉を遮って、盤上の俺の陣地とは別の場所に新しい駒を置く。
これは盤の脇に置かれていた駒の入った小箱から取り出したものだ。
俺の行動に周りからは一層大きなざわめきが起き、サビニアは驚愕に見開かれた目で盤上を凝視している。
「アーミー・チェスは盤上の駒を取り合い、相手の本陣を陥落させるか降伏で勝負を決めると聞いた。私はこれを聞いてまるで戦争の縮図のようだと思ったが、ならば何故追加の駒を使わないのかな?戦場で援軍が来ないとでも?」
将棋によく似ているくせに、取った駒を打つことができないのには納得がいかない。
ヨルンに聞くと特に禁止されてはいないが、これまで誰もやろうとはしなかったらしい。
「盤外からの侵略。これはこうした外から駒を追加するという意味ではないだろうか。まるで援軍が現れるように」
未だ声を発することが出来ないサビニアにさらに言葉を重ねていく。
これからいうことはあくまでも俺の推論であり、事実がどうかはわからない。
だがそれでもかなり確度の高い情報だと俺には思える。
「ルフマの残した指南書、と先ほどサビニア嬢は言ったが、もしやその指南書には意図して失われた情報があったのではないかな?例えば、相手の駒を取った後のことについて…とか」
周りのざわめきがさらに大きくなり、サビニアもなにやら思い当たる節があるのか、考え込む仕草を見せた。
俺をこの場に放り込んだルドラマですら、真剣な顔で何やら誰かと話をしているようで、思ったより波紋が広がっていく。
異国の人間が、偶然参加したパーティで、偶然席に着いた遊戯で歴史に残る軍師の残した難題を解いてしまった。
しかも、伝統的な遊戯にルールの不備があったことを暴露することになるかもしれないのだ。
何も感じない人間はこの場にはいないだろう。
結局、愚者の問いは俺の解答が一応の決着となって幕を下ろした。
増援は想定されていなかったようで、サビニアは動揺してしまい、あっさりと降伏した。
愚者の問いを解いた俺は席を離れる際に称賛の拍手をもらった。
ふと目が合ったマクシムも笑顔で頷いて来たので、軽く頭を下げて答えておいた。
「すごいな、ジェームズ!まさかお披露目パーティの席で、歴史の解明の場に立ち会えるとは思わなかったぞ」
「私もまさかこんなことになるとは思いもしないさ。ただ思い付きを話したら図に当たっただけだ」
横を歩く興奮気味のヨルンをなだめながら、飲み物を取りに行く。
一応アルコールの含まない物も用意されているようだが、俺がそれを取るのは男らしくないようで、レプタントから渡されるのはワインばかりだった。
仕方ないのでそれでのどの渇きをいやしていると、一人の女性が俺達の方へと近づいて来る。
先程アーミー・チェスで対峙したサビニアその人であった。
「これはサビニア嬢。我々になにか用が?」
一応、俺から尋ねると、目線は俺に合わせられており、ヨルンの方は見向きもしない。
「先程のアーミー・チェスの席は感服させられました。少しお話の機会を頂きたいのですが……」
「そいうことなら私は少し席を外そう。…向こうのテラスがおすすめだ」
サビニアがそこまで言うと、ヨルンが察したようで離れていった。
その際に俺の耳元にテラスを勧めてくるあたり、気の利かせ方が上手い。
俺が先導する形でテラスへと続くドアをくぐり、サビニアを連れ出した。
着いた先のテラスは石畳の敷き詰められた小道が無尽に走っており、所々に手入れのされた花と木々の近くに休憩用と思われるベンチやテーブルが用意されている。
そのうちの一つにサビニアと一緒に着く。
先程から無言だったが、席に着いたところで、サビニアから話しかけてきた。
「先ほども言いましたが、愚者の問いの解答、大変素晴らしかったです、えー…―」
「リンド。ジェームズ・リンド。私の名前だ。名乗っていなかったね。こちらの国の出ではないので、身分にこだわりはない。好きに呼んでいい」
しりすぼみになった言葉に、こちらの名前を知らないのだと思い、自己紹介しておく。
某英国紳士のスパイ風のこの名乗り方が実は結構気に入っている。
「ではリンド卿と。御存知のようですが、私はサビニア・イムワーンといいます。伝承書記官をしています」
やはり着ている服装から身分を高くみられるようで、卿を付けられてしまうか。
「リンド卿、率直にお尋ねします。あなたはあのアーミー・チェスの本来のルールをご存知だったのではないですか?」
どうやら俺が打ったのが有効な手だと理解しているがための確認がしたいようだ。
「そうだな。だが、私の知っている物とこの国の物は少し異なる。だからあれが正解と確信は持っていなかった。もっとも、ヨルンに確認した限りでは問題はないとは思っていたがね」
俺の答えに満足したのか肩の力を抜いて息を吐き出したサビニア。
「とすると、ルール改変を行ったのはルフマ自身だったということですか?」
「私はそう考えているよ。ただ、あくまでもルフマが行ったのは、取った相手の駒の使い方を後世に伝えなかっただけで、悪意を持ってやったとは思えない」
あれからサビニアとアーミー・チェスとルフマの話で討論会じみたやり取りをしていた。
悪い雰囲気ではなく、お互いの疑問と推測に対する意見の交換をする場という意味合いが強い。
恐らくルフマは考える力を養わせるために、あえて駒の利用法を制限したのだろう。
そうすることで限られた手で対抗する方法を考えられるように、さらには自分が隠した方法での解答にたどり着くようにとも意味が込められているような気がする。
そのことをサビニアに伝えると、学院生の時にしていた研究から、ルフマの性格なども含めて矛盾しないと言われた。
「ルフマは常に自ら考える力を持つ人材を育てるようにしていたといわれています。そう考えると、アーミー・チェスを使って多くの人物に影響を与えた彼の企みは成功したと言えるかもしれません」
恐らく、彼は自分が楽をするために優秀な人材を揃えようとしたんだと思う。
本や学校で教えるよりも、ゲームという概念からの教えを受け取る方がその人の力になりやすいだろう。
与えられたものではなく、自ら勝ち取ったものにこそ人は価値を見出しやすいからだ。
アーミー・チェスという既に存在していたものに、愚者の問いという形で企みを埋め込んで世に広げる、これだけで彼の頭の良さがわかる。
同時に、自ら直接後進を育て上げようとするつもりもないことがわかるだけに、手間暇を嫌う彼の性格も伝わってくる。
書物はいずれ失われるか、正しく伝わらない可能性もある。
その点、遊戯というのは長い年月を経ても根本は変わらないものだ。
これを使って人を育てることを考えつくルフマはまるで太公望のような、大局を超えた1000年の計を視野に入れることができた稀代の軍師だったのだろう。
怠け者の気が感じられるあたりからもそう思える。
すっかり話し込んでしまったようで、座っていたベンチのエリアにかかる木の影が大分伸びてきていた。
「さて、そろそろパーティに戻るとしよう。サビニア嬢はどうする?」
「私はこの後やることがあるので、これで失礼させていただきます」
そう言ってこの場で別れることになった。
去っていくサビニアの背中を見送ってからパーティ会場へと戻っていく。
少し小腹がすいたな、まだ料理は残っているだろうか。
SIDE:サビニア・イムワーン
今日の出会いはおそらく一生忘れることはないだろう。
エイントリア伯爵家の嫡男の遅い初お披露目となる場に、愚者の問いを設けるとガレアノス殿下から要請があった。
かなりの急な要請で、室内にいた中で一番位の高かった父がそれを奉戴した。
ちょうど手の空いていた私にその役目が回されたのだが、私だって時間が空いたらやりたいこともあったのに。
正直あまり気は乗らなかったが、殿下の直々のご下命とあっては無碍にすることもできない。
急いでパーティの始まる前に準備に走り、なんとか間に合わせることができた。
エイントリア伯爵のパーティ開催の口上のあと、私は用意したテーブルに着き挑戦者を待つ。
何人かは愚者の問いに興味を持ってテーブルの上の盤を見たが、すぐに顔を顰めて遠巻きに見る役に回る。
当然だろう。
今日用意したのは軍師ルフマの問いの中でも最難関と言われている『半円状包囲外掛り』、俗称『アシュターパ』だからだ。
生み出されて180年、未だ攻略者のいないそれに挑むにはそれなりの勇気がいるはず。
現に遠巻きに見ている人達の中から聞こえてくる声には言葉同士の対局が囁かれているが、どれも攻略に至るものではない。
ただ席に着くだけという退屈な時間にうんざりしていた時に、遂に対戦者が現れた。
20歳ほどの青年が進み出てきて席に着く。
薄い笑みをたたえた顔は自信に溢れているようで、今まで負けを知らずに育ってきたのかと思うぐらいだ。
最初の一手は凡庸なものだった。
この配置の中で打てる最初の手はさほど多くない。
アーミー・チェスに自信があるのか、お手本に応用を加えたものはなかなか上手いものだと少し感心する。
だがそれだけだ。
青年が打った手が悪いわけではないが、それでもそこから派生する状況を何通りか推測していくと、やはり10手ほどで向こうが詰む。
攻略の糸口を見つけたとしても、数手進むとそれがすぐに無駄だと分かってしまう。
それほどルフマの編み出したこの布陣は完璧なのだ。
1手打つ度に青年の顔から余裕が消え、険しさで強張ってくる様子を見て、降参の確認をする。
私の目から見てもここから巻き返すのは不可能だ。
案の定、青年から降参が宣言された。
肩を落として席を立った青年を見ることもできず、盤上の駒を配置しなおしていく。
彼の自尊心を打ち砕いたのはルフマの残した陣だが、それを動かしたのは私だ。
役目とはいえ、あまりいい気分になれない。
また退屈な時間を送ることになりそうだと思った時、エイントリア伯爵が一人の男性をテーブルへと押し出してきた。
見たことがない珍しい服装だったが、その男性に不思議と合っているように感じてしまう。
20歳ほどの見た目なのだが、どこか子供の様であり、また年を経た大人のような不思議な空気が同居している気がした。
異国の客人らしく、アーミー・チェスの指し方を知らないため、隣にナルリッキ侯爵が補佐として付くことになったが、2人の間にはかなり親密な間柄を想像させる雰囲気があった。
…もしかして、もっと深い仲に、とかもあるのかしら?
ちょっとその辺りを詳しく聞きたい衝動にかられるが、今の私は役目があるし、相手の男性も恐らく高位の貴族と思わせる身なりから、話しかけることは出来ない。
非常に口惜しいが、今はこの役目を全うすることに集中しなくては。
相手の動きを待つが、一向に指そうとはせず、突然話しかけられた。
意図を探ろうと相手の顔を思わず凝視してしまったが、まるでその顔が作り物であるかのように、私にはその思惑を読み取ることができない。
アーミー・チェスの場では親しい間柄であれば普通に会話をしながら指すこともあるが、対戦相手と面識がない場合は自分の癖や表情の変化を悟られないようにと、あまり話をすることは無い。
異国の人間にそれを察してもらうのは流石に酷なので、そのまま会話に応じることにした。
当たり障りのない会話から始まって、次第に話はルフマのことについてのモノへと移っていき、男性も時折頷きを返したり、考え込む仕草も増えていった。
話すうちに私も学院生の頃の記憶が思い出されてきた。
あの頃は楽しかった。
友人もできたし、恋だってした。
勉強も頑張ったが、それ以上にルフマの研究に打ち込んだことは今の私にとっては誇りとなっている。
だが、私のそんな気持ちも男性の一言で一気に冷めていく。
「アーミーチェスの駒の動かし方は果たしてこれで全部なのか、と疑問に思ったことはないだろうか」
彼が何を言っているのか一瞬理解することができなかった。
アーミー・チェスはルフマの研究と並行して行ってきた。
対局もいくつも経験してきたし、最近では負けも無かった。
この国でも指し手としては上位に入るという自負もある。
そんな私が知らないことがあるのかと一種の憤りのような感情が芽生えだしたその時、彼の打った手に衝撃が走った。
一切の躊躇いも迷いもなく、盤のそばに置かれた小箱から駒が持ち上げられるのをただ見ていた。
すでに出来上がっていた半包囲の外側に、盤外から新たに駒を投入してきたのだ。
一瞬反則という言葉が頭に浮かんだが、すぐにそれが打ち消される。
どのアーミー・チェスの指南書にも駒の追加に関して禁ずる記述は載っていない。
それどころか、アーミー・チェスの指南書の一番最初に出てくる項目、『ルールに反しない限り、後に禁ずる手以外の全てが可能性の賜物として許される』というのがこの一手を肯定してしまう。
何百と存在する禁止項目のどれにも当たらない以上は、これは有効なのだろう。
事実、この一手で盤上は一気に形勢を変え得る。
180年、守られ続けた壁は、援軍という単純なものであっさりと崩されていった。
ルフマの残した盤外からの侵略という言葉の謎が今、私の目の前で詳らかにされていく。
さらに彼のはなった言葉は場の混迷を加速させるものだった。
指南書の消された一部の存在が匂わされては仕方ないことだろう。
たしかに原初のアーミー・チェスの指南書には失われた項があった。
しかし研究者は前後の項の内容からさして重要ではないと判断していたのが、それこそが愚者の問いには最も大事なことだったのだ。
これによっては多くの愚者の問いが正しい攻略法で解かれていない可能性も出てくる。
彼の言った言葉に思考を割かれ、目の前の盤に視線と心を奪われ、周りの喧騒に気付いた時にはあの男性は席を立ってどこかへと歩いていくところだった。
彼と話がしたい、ただその一念で椅子を蹴り飛ばすように席を立ち彼の後を追った。
もしかしたら、彼は現在、唯一ルフマの考えを理解できる人間なのかもしれない。
歩幅の違いで彼に追いつくために小走りになってしまうが、だんだん胸の鼓動が高まって行くのに合わせて、走り出してしまった。
ついでに、ナルリッキ侯爵との関係も確認できないだろうか。
男と男の友情を超えた絆…、あると思います!
SIDE:OUT
ストック切れにつき、ストックが溜まるまでは不定期の投稿となります。長い目で見守ってやってください。




