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世の中は意外と魔術で何とかなる  作者: ものまねの実


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砂糖人参

「こっちが日陰で置いてたやつ、こっちは午後だけ日陰になる場所で置いてたやつね」


 台の上に置かれた小瓶をそれぞれ指さしながら、パーラが満足気に言い放つ。

 現在、屋敷の調理場に集まった俺とパーラは、魚醤の出来具合を見るためと称して、サンプル的に持ち出した少量の魚醤が小瓶に詰められて置かれたのを眺めている。


「大体これでひと月ぐらいは経ってると思うけど、最初の頃は酷い臭いに苦しめられたもんだよ。でも、日が経つごとに段々臭いも薄れていって、今だとこうして蓋をすれば臭いは封じ込められるぐらいにはなってる」


「なるほど。なぁパーラ、俺の想定よりも発酵の進み具合が早い気がするんだが、お前らなんかした?」


 醤油造りとしては明らかに進行の度合いが早く、こっちの世界の菌が持つ性質意外にも、パーラ達が何かしたかもというのを疑ってしまう。


「いんや?特別なことは何も。アンディに言われた通り、環境の違う場所に分けて保管したぐらいで……あぁでも、ミーネさんに言われて、時々私の魔術で空気の入れ替えはしてたよ。ほら、さっき言ったけど臭いがさ」


 顔をしかめるパーラの様子を見るに、やはり魚醤の製造には臭いとの闘いが一番の試練となるのかもしれない。

 発酵食品を作る上では臭いはつきものであるため、ゴールとなる完成品を知っているのといないのとではモチベーションも大分違う。

 その点、醤油に魅了されたミーネであれば、多少辛いことがあろうとも突っ走ってくれると信じている。


 しかしこうまで言われると、逆に魚醤の臭いというものが気になって来るな。

 今こうして目の前に置かれている状態では、臭いというのはほとんどしない。

 若干時間のたった生臭さらしき匂いはするが、それほど酷いようにも感じない。


 これはいよいよ嗅いでみる必要がある。

 というわけで、早速小瓶を一つ手に取り、その蓋を取って臭いを確かめることにした。


 念のため、直接瓶の口に鼻を持って行かず、立ち上る臭いを仰ぐようにしてこちらへと送るという、よく理科の実験などで行われる手法をとる。

 なにせあれだけ脅される形になったのだ。

 ちょっとビビってしまうのもおかしくはないだろう。


「…んんっ、確かに独特の臭いだな。だが嫌いじゃない」


 漂ってきた臭いが俺の鼻に届けられると、何とも言えない感想しか口にできない。

 例えようのない何かではあるが、強いて言えば夏場にバーベキューをした後の残りを炎天下に放置したような感じか?

 まぁこっちの方はそれよりも大分ましだが、それでも大豆から作る醤油とは臭いの質が大分違うのは、やはり動物性のものを素材としているからだろうか。


「中身はかなり濁ってきてるな。それに身もかなりブヨブヨになってる」


 鼻の次は目で確かめようと、瓶の口から中を覗き込む。

 元は魚だった物体は、ギリギリ原型を留めてはいるものの、発酵が進んだおかげで身がかなり柔らかくなっているように感じられる。


「どう?なんか変なところとかある?」


「うーん…実際の魚醤造りは俺も初めてだからなぁ。とりあえずカビとかの類は見えないし、この液の濁り具合からすると変な発酵はしてないと思う。まぁどっちにしろ試行錯誤は織り込み済みなんだ。このままやってくしかないさ」


 初めて味噌を作った時もそうだったが、この世界では発酵食品というのはこまめに様子を見るしか対処法がない。

 明らかなカビだとかが無い限りは、経過を見守っていくだけだ。

 差し当たって対処の必要を見出せないこの魚醤に関しては、引き続きミーネが管理を行っていくことになるだろう。




「そういえば聞いた?ここの船のほとんどにアウトリガーが付けられたって話」


 小瓶に蓋をしながら片付けていくパーラが切り出してきたのは、最近ジンナ村で流行りに流行っているアウトリガーについてのことだった。


「ああ、知ってる。一昨日桟橋に行った時、並んでた船を見たからな」


 ワンズ達があの古い船にアウトリガーを取りつけて走らせた日から今はもう二週間ほど経っている。

 その間、アウトリガーを欲しがった他の漁師達の要請に応えて、村にあった船の補修材までも放出してアウトリガーの量産が進められ、信じられないほど短い期間でアウトリガーは村の船に行き渡っていた。


 船の安定性が高められたことで、まだ経験の浅い若い漁師が船を動かすのも容易になったと、若いのからベテランに至るまでの漁師達には好評だと聞く。

 言い出した人間としては、好意的に受け入れられているのを聞くと鼻が高くなるってもんよ。


 なおこの件に関して、アイディアを提供した俺に何かしらの報酬が支払われるということはない。

 正式な依頼があったわけでもないし、漁師達の話にちょっと口を挟んだ程度で見返りを欲しがるほど俺も狭量ではない。


 ただ、多少なりとも恩義を感じてくれるのなら、今後昆布を手に入れる際の便宜を多少なりとも図ってくれると嬉しい。

 あくまでも個人的な話だからほんと、気持ちだけでいいんで。

 いや、ほんとに。

 …え、そう?じゃあそこまで言うなら…となってくれるのを期待しているわけでもない。

 断じてない。


 台の上を片付け終え、調理場を後にした俺達はその足で屋敷の玄関へと向かう。

 今の時間は朝と昼の間ぐらいで、これからパーラはサンプルをミーネの元へと返しに行き、俺は昼食までの間、村をブラつくことにしている。


 なに?仕事はいいのかって?

 笑止、今日の俺は休みなのである。

 ここのところ事務仕事で働きづめだった俺は、アイリーンに直訴すること丸一日、ようやくこうして休日をもぎ取ることが出来たのだ。


 このたった一日の休日を得るために、俺がどれだけアイリーンとレジルの前で駄々をこねたことか。

 あの雄姿は正直誰にも見られたくないほどのものだ。

 執務室の床が柔らかい絨毯だったおかげで、ゴロゴロ転がるのが捗ったわ。

 あの時のアイリーンの蔑むような目は今思い出しても辛いが、俺は今日も元気です。


「じゃあ私こっちだから。アンディ、村を歩き回るなら、水分はこまめに摂りなよ?あと時々日陰で休むことも忘れないようにね。それと、危ないところには近づいちゃダメだよ。あ、ハンカチは持った?」


「オカンかよ。いいからもう行けって」


 玄関先でこちらを心配するその姿は、まるで子供を学校へと送り出す母親のようである。

 炎天下の中歩きまわるであろう俺を心配するのはおかしいことではないが、子供扱いするのはやめて欲しいものだ。


 とはいえ、パーラも半ば冗談でそう言っただけのようで、あっさりとその場を後にしたのを見送ると、まずは場所を決めずに歩くことにした。


 それにしても、ジンナ村にはもう一カ月以上滞在しているため、こうして歩く景色にもすっかり見慣れてしまった。

 娯楽も特にないこの村では、やはり足が向く先は自動的に浜辺になってしまうのも仕方がない。


 浜へと続く道を歩く途中、ふと気が向いて桟橋の方へと進行方向を変えてみた。

 さっきパーラとの会話に出たアウトリガー云々というのが気になったのもあるが、そもそも桟橋の方へ行ったことが無かったことに今更になって気付いたからの行動だ。


 遠くから見た程度でしか桟橋の状況は知らなかったが、実際に足を運んでみると、まぁ当然ながら想像した風景とそうかけ離れたものではなかった。

 既に朝の漁が終わったこの時間帯では、桟橋に係留されている船はかなりの数となっており、その光景は昔ならテレビの中でしか見たことが無かったもので、こうして実際に目にするとちょっとした感動を覚える。


 人影のない桟橋を少し歩いてみると、船のどれもが既にアウトリガーを実装されているのが分かり、この短い期間によくここまで浸透したものだと感心してしまう。

 年季の入った船体に、新品の木材で出来たアウトリガーが後付けされているせいで、継ぎ接ぎ感が際立って見える。


 このアウトリガー自体は単純なものであるため、そう遠くない未来に誰かが思いつくか、どこかから伝わってくるかしたかもしれないが、それでも俺の手によって変化が加速されたと見ると、どうも歴史を動かしたような気になるのは言い過ぎだろうか?


 桟橋を離れ、今度こそ浜へと向かおう来た道を引き返していくと、村の広場で喧騒の気配を感じた。

 浜ではなくこっちに村人が集まっているようで、それが気になった俺は広場へと向かうと、村人達が集まった賑わいの原因に気が付いた。


 広場には急遽日よけの布が張られ、その下に数頭のラクダが荷物を括りつけられた姿のままで膝を突いて休んでいる姿が見える。

 どうやら行商人辺りがやってきたようだ。

 村人達に品物を手渡している商人らしき男達は、この村で見たことのない顔触ればかりだ。


「おや、アンちゃんも来たのかい?」


「どうも。何やら賑やかだったもので、つい釣られてしまいました。行商ですか?」


 俺の姿に気付いた村の老婆が声を掛けてきたのに応え、その隣に立って広場の賑わいに着いて尋ねてみる。


「半分はそうだね。もう半分は三の村の人間だよ。時折こうして行商人の荷物運びに同行して、三の村で作った品物を売りにくるのさ」


 普段であれば、ジンナ村と三の村の間を行き来する人間に荷物や手紙なんかを託したりするのだが、こういう風紋船から降りてやってくる行商人がいると、三の村の人間が同行してちょっとした市のようなものを開くのだそうだ。


 完全に不定期であるため、サプライズ的に村人が喜ぶ一種のイベントと化しているわけか。

 まぁこの村で買い物をするような場所と言えば、小さな雑貨屋が一つあるぐらいで、こういう大掛かりな市というのは村人にとっていい気晴らしにもなるのだろう。


 話しに付き合ってくれた老婆と別れ、俺もその市を少し見て回ることにした。

 ラクダなどから荷物を降ろしている傍らで、ジンナ村の人間と品物をやり取りしている姿を横目に歩いていると、色々分かって来るものがある。


 その一環として、この領の外から風紋船でやってきた行商人と、三の村から来た人間とでは扱っている品物の違いから簡単に見分けがつく。


 服飾品や香辛料などを多く扱うのが外から来た商人で、野菜や穀物などを中心に、ちょっとした雑貨などを扱うのが三の村の人間だ。

 もっとも、扱っている品物以外にも身なりや肌の焼け具合などからも簡単に見分けもつくのだが、中には日差しを嫌って肌を極端に露出していない人もいるので、複合的な要素で判断するのが正しいかもしれない。


 日用品から食料品に至るまで、中々バラエティに富んだ品揃えを見せてくれるのを楽しんでいると、ふと目に着いたのは、三の村の人間が品を揃えていた一角だ。

 ここも食料品を扱っているようだが、そのラインナップは少々意外なものだ。

 つい気になって、店番をしている中年女性に声を掛けてみた。


「こんにちは。ここにあるのは人参ですか?」


「あら、いらっしゃい。兄さん、始めて見る顔だね。そうだよ、ウチの畑で作った砂糖人参さ」


「…砂糖人参?大根ではなく?」


「なーに言ってんだい。砂糖とつく野菜は人参以外あるわけがないだろうに」


 女性が呆れた眼でこちらを見るが、サトウダイコン、つまりテンサイというものが日本にはあるし、それを知っている身としては砂糖人参というものに耳なじみがないのは当たり前の話だ。


 人参として見れば、この砂糖人参は一つ様子が違う。

 普通、人参と言えばオレンジ色の肌を想像するのだが、この砂糖人参は薄く黄色みがかっているだけだ。

 頭に着いている葉っぱはちゃんとにんじんのそれなので、全く別の種類というわけではなさそうだ。


 確か沖縄の方だかでは黄色い人参が作られていると何かで聞いた覚えがあるので、もしかしたらそれに近い品種だったりするのかもしれない。


「見なよ、この太さ。ここまでにするのはそりゃもう大変なんだ。どうだい、一本買ってきなよ」


「確かに、よく育ってますね。この人参から砂糖が取れるんですか?」


「そうらしいよ。まぁあたしは作るだけの人間だから、これがどう砂糖になるのかはわかりゃしないがね。別に砂糖云々を抜きにしても、美味しく食べられるんだからそれでいいじゃないか」


「なるほど、その通りですね」


 サトウキビもテンサイもそうだが、必ずしも作る人間が加工まで請け負う必要はない。

 そりゃあ知ってて損はないだろうが、餅は餅屋、加工は工場でいいというのが農家の立場から見た意見だと俺は思っている。


「これは食べるとしたらどういう風に調理をすれば?」


「そうさねぇ、こいつは生で食べれるぐらいには甘いけど、煮込むとより甘くなるのさ。ここらだと、小魚と一緒に煮込んだらいいかもね。ちょいと酢を利かせればより美味しくなるだろうよ」


「ふむ、そうですか」


 三の村ほど野菜や穀物は豊富とは言えないジンナ村の状況を判断し、こうしてその土地に合わせたレシピをすぐに提示できるのは実に頼もしい。

 自分の作ったものを本当に理解し、そして誇りに思っている農家の人間ならではの声と言っても過言ではない。


 調理法も聞けたので、砂糖人参を5本ほどとアスパラを束でいくつか、ニンニクを籠にある分だけ貰うことにした。


「いっぺんにこれだけ買ってくれると嬉しいねぇ。支払いはどうする?何か交換できるものはあるのかい?」


「いえ、支払いは貨幣でお願いします」


 この女性が言った交換というのは、この村では基本的に貨幣を使うことがほとんどないため、価値さえ合えば物々交換も受け付けている。

 実際、先程からそこかしこでは物々交換でのやりとりが行われているぐらい、ここでは普通のことなのだ。


「おや、珍しい。えーっと全部で…大銅貨7枚でいいか。端数はまけとくよ」


 かさばらない貨幣での支払いが嬉しいのか、気前よくおまけをしてくれた女性は手際よく品物を纏めだす。

 砂糖人参とアスパラを麻紐でまとめて巻くと、ニンニクを手早く鈴生りにして括り付けるという、熟練の技を見せつけられてしまった。


 麻紐一本で完璧にパッケージングされたそれを受け取り、礼を言ってその場を離れて少し市を見回ってみたが、それ以上興味をそそられる物も無かったため、戦利品を小脇に抱えて屋敷への帰路へと就く。

 腹の隙具合からそろそろ昼食の時間だと予想していたため、流石にこれからこの砂糖人参を昼食とするのは無理でも、今からミーネに頼めば夕食には出してくれるだろう。


 というわけで、昼食の準備中でいい匂いを漂わせている調理場に顔を出してみると、そこでは当たり前なことに、忙しく動き回っているミーネの背中を見つけた。

 この香ばしい匂いからすると、今日の昼食は焼き魚がメインかな?


「ミーネさん、お忙しいところすみません」


「ん?おぉ、アンディか。昼食ならもうちょっと待っておくれよ。今急いで作っているからね」


 一瞬だけこちらを見て、すぐに手元の鍋に視線を戻したミーネ。

 なんだか意図せずに急かさせてしまったようで申し訳ない。


「今日は焼き魚ですか?」

「ああ、今朝獲れたばかりのいいのが手に入ったもんだから、香草焼きにでもしてみようと思ってね」


 言われてもう一度匂いを嗅いでみれば、香ばしさの中に微かな酸味の混ざった清涼感がある。

 レモングラスとかを使っているのだろうか。

 あれは濃厚な魚の脂とも相性がいいハーブなので、期待できそうだ。


「いい匂いですね。楽しみにしてますよ。それはそうと、ちょっと見てもらいたいものがあるんですが、よろしいですか?」

「今すぐかい?…分かった、ちょっと待ってなよ」


 ミーネは料理を仕上げにかかるようで、こちらからは見えないその手元で何やら作業を行うと、鍋を火からおろしてこちらへと向き直った。


「それで、見てもらいたい物ってのはなんだい?その手に持ってるやつ?」


「ええ、まあ。今日村の広場に行商人が来てたんですけど、そこで買った野菜をミーネさんに調理してもらえないかと。あぁ、勿論この後の昼食に出すのでなく、夕食か明日の朝とかで構いませんので」


 一瞬、眉間に皺の寄りかけたミーネに、食い気味でそう畳みかけて、何とか誤解されるのを回避できた。

 貴族家お抱えの料理人というのは、一日のメニューというものを予め決めてある人種がほとんどなので、こういうイレギュラー的に食材を持ち込まれるのを嫌う者も多い。


 幸い、ミーネはその辺りが柔軟な思考を持っているようだが、さっきの俺の言いようだと昼食のメニューにこの野菜を使った一品を追加で割り込ませろと受け取られてもおかしくはなかった。

 やれと言われればやるだろうが、いい気分にはならなかっただろう。


「そうかい。今更昼食に一品加えろなんてのじゃなきゃ、まぁ考えてもいいよ。で、何を買ってきたんだい?」


「砂糖人参ってわかりますか?あれとアスパラ、ニンニクってとこですね」


 台の上に野菜の束をおき、紐を解くと砂糖人参が台の上にバラバラと転がっていく。


「砂糖人参か。今は旬じゃなかったと思うけど…うん、いい太さだ。アスパラの方はちょっと硬めだね。まぁなんとかなるか。ニンニクは……こりゃまた小振りだね」


「そうですか?普通はこれぐらいでしょう」


「ここの屋敷じゃもうちょっと大きい方が色々と使いやすいんだけど、まぁいいか」


 野菜を一つ一つ品定めをするミーネに、砂糖人参とアスパラは合格を貰えたのだが、ニンニクはあまりいい顔をしてくれなかった。

 俺の見立てだと、多少小振りではあるがちゃんとニンニクとして見れる出来なので問題ないとは思うが、そこは農家の視点と料理人の視点での違いがあるのかもしれない。


「砂糖人参の方は夕食のスープに具材として使おうかね。アスパラは…そうだね、白身魚の身で一本を丸っと巻いてから焼こうか」


 焼きアスパラ!その手があったかぁ。

 アスパラは焼くとべらぼーに美味いからな。

 しかも肉巻きならぬ、魚肉巻きというチョイスもいいじゃないか。


 いかんな。

 昼食がこれからだというのに、もう夕食が楽しみで仕方がない。

 果たして俺はこの後、昼食をちゃんと味わえるのか不安になってきた。

 今から夕食を楽しみにしている俺がいるとは、なんとも人の食欲というのは業が深いものだ。






 そして時はぶっ飛ばされる。


 日が落ちて暫く経った頃、食堂に集まった俺とパーラ、そしてアイリーンの三人が着いたテーブルの上には本日の夕食が並べられていた。

 昼にミーネから聞いていた通り、メニューは砂糖人参と魚を一緒に煮込んだ具だくさんのスープ、アスパラの白身魚巻きにサラダという普段とさほど変わらないものだが、今回は砂糖人参がどれだけの味を出すのか楽しみである。


「これは…今日のスープ、一味違いますわね。この甘みは、砂糖人参かしら?」


 まず最初にスープに手を付けたアイリーンがその味の違いに気付き、感嘆の息を吐いた。

 一発で砂糖人参の存在に気付いたのは優れた味覚のなせる業か、はたまたそうと分かるほどに砂糖人参というのは存在感のある食材なのか。

 まぁ食べてみればわかるだろう。


 早速俺もスープを一掬い口へ運ぶと、その味わいに圧倒される。

 普段のミーネが作るスープもかなり美味いのだが、砂糖人参が加わった途端、甘味がスープの塩気と共に舌に襲い掛かってきた。

 今夜のスープは貝が具材となっているようだが、その旨味とも丁度よく砂糖人参は共存しており、深い味わいが口に広がっていく。


「美ん味ぁっ!なにこれ、超美味しいんですけどぉ!?」


 パーラなんかは現代日本の若者みたいな口調になるぐらいに驚いている。

 しかしこの味を知ったらそういう反応もおかしくはない。

 それほどに、砂糖人参はスープの味を一段も二段も引き上げているのだ。


 続いてアスパラの方にも手を付けてみる。

 こちらはいわゆる肉巻きアスパラの肉の部分が白身魚に置き換わったもので、味もある程度想像が出来る。

 実際、一口食べてみると当たり前のように美味い。

 焼いたアスパラは香ばしさと甘味もプラスされているし、若干硬めのこのアスパラも焼くことで歯触りがサクサクと軽くなって、ふんわりとした白身との対比で食感も楽しい。


「この砂糖人参というのは凄いですね。三の村でしか作ってないんですか?」


「砂糖人参自体はソーマルガの各地で作られていますわよ。けれど、ちゃんと美味しく作れる土地はそう多くないとも聞きますわね。出来が違う理由は土が原因なのか、それとも水が原因なのか未だに解明されていませんの」


 土か水が変われば野菜というのは微妙に味わいも変わってくる。

 恐らくこの砂糖人参は環境の変化に敏感な野菜なのかもしれないな。

 この手の問題は、元の栽培されていた土地の環境を再現することで解決できるが、まだまだ謎の多い野菜では簡単なことではないだろう。


「限られた土地でのみ作れる、と。ソーマルガの外では作れないんですか?」


「ずっと昔に、他の国にも種を譲ったことはあるそうですが、上手く育たなかったと聞いてますわね。一説によると、強い日差しは欠かせないとも言われているとかいないとか」


 ソーマルガと他の国との違いを考えると、やはり第一に強い日差しというのには行き当たるか。

 他の土地でこの環境を再現しようとするなら、やはりビニールハウスは必須だ。

 この世界にビニールがない以上、ガラスを使った温室がいいだろうな。


 まぁ砂糖人参という野菜は、まだまだ分からないことだらけらしいし、他の要因も考えておくべきだろう。

 しかし未知の野菜というのは、元農家としてはそそられる。


「作ってるとこ見たいな…」


 と、つい漏れ出てしまったのは、元農家としての欲望だった。

 やはり未知の野菜となると、一度は見てみたいものだ。


「あら、それでしたら丁度、三の村に手紙を届ける仕事がありましてよ?私の名代として行ってらしたら?」


「え、いいんですか?」


「ええ。実は今日の昼に、三の村から村長の名代が来てましたの。その方と例の昆布についての話をして、取り決めを後日正式な書面で手渡すことを約束したものですから、誰かしら三の村に行かせるつもりでした。アンディ、あなた行ってきなさいな。ついでに砂糖人参の畑なんかも見てきたらよろしいでしょう」


 おぉ、なんと素晴らしい提案なのだろうか。

 アイリーンの名代としてなら、不審がられることなく三の村で砂糖人参の栽培を見て回ることが出来る。

 久しぶりに農に触れることが出来ると思うと、オラワクワクすっぞ。


「アイリーンさん、その名代の件ですが、是非もありません」


「そうですか。まだ日取りは決まっていませんけど、その時はお願いしますわよ」


「ねぇねぇ、私は?一緒に行っていいの?」


 それまで会話に加わっていなかったパーラが、ここと見定めて主張してきたのは自分が同行できるかどうかについてだ。


「俺は別にいいけど、お前がいなくても魚醤の方はいいのか?」


「そっちは大丈夫。もう私がいなくても何とかなるってミーネさんも言ってたし。まぁいたほうが助かるとも言われたけど」


 今のところ、魚醤の方は特に問題も起きてないし、発酵食品を作るというのは基本的に待ちの仕事だ。

 パーラがいなくても何とか回せるのなら、一緒に連れて行ってもいいだろう。


「そうなのか。じゃあ一緒に行くか」


「うん!」


 ははっ、いい笑顔で返事をしよるわ。

 愛い奴よ。


 というわけで、まだ正式にいつとは決まっていないが、俺とパーラの三の村行きが予定として決まった。

 多分、その日まで俺は書類仕事でこき使われることになるだろう。

 なぁに、砂糖人参の栽培を見られるのだから、それを支えに頑張れるというものだ。

 早くその日が来るように祈りつつ、とりあえず明日からの仕事に精を出すとしよう。


 まったく、この世界の事務仕事は地獄だぜ!

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― 新着の感想 ―
>「アイリーンさん、その名代の件ですが、是非もありません」  相手からの提案を乗り気で承諾する場合に「是非もありません」という慣用句を充てるのは誤用です。正反対の意味になります。「是非もありません」…
[一言] 「パースニップ」って野菜があるんですね、初めて知った。 煮崩れしないため、ポトフやシチュー、ボルシチなどの煮込み料理に適しているとか。
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