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世の中は意外と魔術で何とかなる  作者: ものまねの実


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ゲッシュ

元来、騎士というのは兵科の一つに過ぎない。

徒歩で敵に近づき、戦闘を行う歩兵に対し、馬などの騎乗動物に跨って戦う人間を騎兵、あるいは騎士と呼称していたわけだが、馬というものが貴重なことと、騎兵が上げる戦功の大きさから、次第に騎士というものが特権階級へと変わっていったという説がある。


騎士という存在が強力な味方であると理解している一方で、もし敵に回られた場合の脅威もまた覚えた権力者は、騎士叙勲の儀式の際、自分への忠誠とともに、一つの誓いを立てさせるということを決める。

この誓いというのが所謂ゲッシュと呼ばれ、『誓いを立てすぎてるせいでうまいことやれば倒せるんじゃね?』で有名な英雄、クーフーリンの逸話が地球にはあるが、こっちの世界におけるゲッシュも大体同じような感じで、大抵は誰それを打ち倒すとか、なにそれを決して行わないなど、一生守る約束や生涯をかけた目標を掲げるものが多い。


「そういった信念や矜持といったものを口に出して主君の前で宣言することにより、騎士として自覚を改めて芽生えさせるという目的があるのだよ。私も陛下の前で誓いを立てたのは大分前のことだが、今でもあの時の光景はありありと思い出せるぐらい、騎士にとって大事なものというわけさ」

『へぇ~』


ゲッシュというものをよく理解していない俺とパーラのために、わざわざネイがそう説明してくれた。

もともとゲッシュ自体、騎士か貴族ぐらいしか縁のないものであり、普通に暮らしている俺達が知ることがないこういったものは聞いていて実に面白い。

おまけにエドアルドが理性あるアンデッドとなった原因がこのゲッシュにあるという仮説に繋がるのだから、世の中にはまだまだ不思議なことが多いものだとしみじみと思う。


「それでネイ、そのゲッシュがどうしてエドアルド殿を正気に戻したことに繋がるの?」

「あくまでも私の推論になりますが、エドアルド卿が正気に戻った状況を考えるに、恐らく彼の立てた誓いはナルガ王の命の危機には自らの身を盾にして死ぬというものだったと思われます。ダルカン様の外見はナルガ王と瓜二つとエドアルド卿自ら申していたそうですね?であれば、ダルカン様が騎士叙勲の場面を再現したことによって、エドアルド卿は自らが立てた誓いを呼び起され、本来の意識が浮上してきたのではないか、と私は考えます」


騎士が立てる誓いというのは、あまり言いふらすものではないそうで、事実、エドアルドほどの有名な騎士であっても、その誓いに関する言い伝えのようなものはほとんどなく、今回のケースはエドアルドの人柄と実際の状況からネイが推察したに過ぎない。


「うーん…確かにエドアルド殿もそんな感じのことを言ってたなぁ。けど、アンデッドの本能を抑え込むほどにゲッシュって効果があるのかな?」

「ダルカン様、これは同じ騎士である私だから言えることですが、ゲッシュとはたとえ自分の命が失われることになろうとも破らない―いえ、破ろうと思えないほど重いものです。はっきりと申し上げて、気高き精神で謳われたエドアルド卿であれば、ゲッシュを糧にして自我を取り戻したと言われれば納得できてしまう、それほどのことなのです」


俺からしてみればネイの仮説はかなり根拠となる材料が弱いものだと思えるのだが、それと同時に妙な説得力もまた覚えた。

人の精神というのは時として理解を超えた現象へと至ることがある。

ましてや、この世界には魔術という超常現象が存在しているのだ。

エドアルドという人間の精神力が巻き起こした奇跡ということで納得できないこともない。


普通の人間には分からない感覚だが、同じ騎士という観点で見たネイにはエドアルドが正気に戻ったことを理解しており、またそれによってダルカンの身の安全が確保され、こうして無事に戻ってこれたのだから何も問題はないのだろう。


「しかし、私もエドアルド卿と直接話が出来ればもう少し分かることも多かったと思いますが…。浄化をもう少し遅らせるよう説得出来なかったのですか?」

「そりゃあ僕達だって説得はしたよ?けどさ、エドアルド殿はアンデッドになった自分を他の騎士に見せたくないって」

「む……まぁ確かに、私がその立場だったとしたら同じことを思ったでしょうが…」


騎士の心を持っているからこそ、アンデッドでいることが耐えられないと語ったエドアルドの気持ちをネイは理解できると言うのだから、騎士がアンデッド化するのは俺の想像以上に耐え難いものなのだろう。


ただ、ネイの立てた仮説はあくまでも仮説だ。

実際は何か俺達が想像もつかない事象によってエドアルドが意識を取り戻したということもあり得るため、ネイの言う通りエドアルドから直接話を聞いて研究する機会が失われたのは確かに痛い。


もっとも、エドアルドを研究したからと言って必ずしも解明につながるとは限らず、むしろ研究の途中でアンデッドとしての本能に再び飲み込まれることも考えられるため、自らの浄化を願い出たエドアルドの決断は正しかったとも俺は思っている。


結局ネイの仮説が今のところ一番しっくりくるように感じるのは、まだまだアンデッドという存在に関して分かっていないことが多すぎるからだ。

いずれ研究が進んで、エドアルドという人間が一つの例として取り上げられる日が来るとすれば、世界の不思議がまた一つ解き明かされることになるだろう。


その時にはエドアルドという時代を超えた傑物が、ゲッシュを糧にしてアンデッドとして蘇り、忠義を果たしたという新たな逸話も生まれることになるはずだ。

果たして俺達の存在がその逸話に組み込まれるかは分からないが、エドアルドの名誉が傷付けられないような話が出来上がるのならそれでいいと思った。





「…よし、灼銀鉱は十分な量があるな。ダルカン様、これで試練は達成できましょう」


洞窟内での話題はエドアルドから灼銀鉱へと移り、荷車から降ろされた灼銀鉱の詰まった籠を調べるネイがそう零す。

必要量は事前に明かされていても、一般的な鉱物における金属の含有量を考えれば、自分の目で見るまでは安心できなかったのだろう。


「そうだね。じゃあ後は帰るだけでいいのかな?」

「ええ、そうなります。とりあえず今日はここで疲れを取っていただき、明日の朝にでも出発したいと思います。ひとまず夕食まではお休みください。アンディ君とパーラ君は明日の打合せをしよう」

「わかりました」

「はーい」


ダルカンをテントに残して俺達は外に出る。

見張りに立っている騎士にダルカンの世話も頼み、マティカを引き連れて別のテントへと向かう。

中に入ると置かれていたテーブルの周りに自分達で椅子を持ってきて座った。

室内にはネイとマティカ、俺とパーラの四人だけがいるため、さながら秘密会談のようになっている。


「さて、それでは明日のことについて話をしよう。マティカ、明日の朝にここを発つとして、野営地の撤収は間に合わせられるか?」

「少々部下達を急がせることになりますが、問題ないかと」

「よし。持ち帰る物資を纏めたものを書面にして後で私のところに持ってこい。アンディ君、君達は疲れているだろうから撤収には加わらなくていいが、代わりにダルカン様の護衛と世話を頼む」

「わかりました」


撤収作業は主にマティカが指揮を執ることに決まり、ネイは各所の連絡を纏める役を務めるという。

この野営地を構築するのに使った物資には使い捨てを前提にしたものもいくらかあるため、この地に破棄していくものと持ち帰るものとをリスト化するのもマティカの仕事になった。


「それと、こちら側に与する以外の騎士達の様子はどうだ?」

「大人しいものです。エドアルド卿のことで少々話が盛り上がっているようですが、それ以外は普段通りでしょう。…ただ、ヘンドリクス殿下の息のかかった騎士達が気になる行動をとっていますが」

「気になる行動?」


途中までは満足気にうなずいていたネイだったが、最後のマティカの言葉を聞くと、途端に表情を引き締めて同じ言葉を返した。


「ダルカン様が試練よりお戻りになられてすぐ、何人かが馬を駆ってここを出ていきました。王宮へ状況を伝える伝令にしてはその数が多かったのが気になりました」

「ふむ…お前がそういうのなら普通ではないのだろうな。となると考えられるのは」

「ええ。明日の帰還の途にでも仕掛けて来るでしょう」


ネイとマティカのやり取りを隣で聞いていたが、状況はあまりよろしくないようだ。

ヘンドリクスの送り込んだ人間が、ただ試練の行く末を見守るだけとは当然思っていなかった。

ダルカンが青風洞穴の中で亡くなることを期待していたであろうヘンドリクス側としては、試練を無事に終えて戻ってきたダルカンを狙うなら、城へ戻る道中が最後のチャンスだと言える。


マティカが睨んだ通り、ここを出ていった騎士というのはまず間違いなく俺達の帰還の道中に刺客として潜むためのものだろう。


このいなくなった騎士の数は大したものではないが、最寄りの街などから領兵や貴族の私兵などをかき集めて数を揃えられると十分に脅威だし、残っているヘンドリクス側の騎士が呼応して内側から掻き乱されると一気に集団は瓦解しかねない。


試練をクリアして気が緩んでいる帰りの道で襲うというのも理に適っている。

行きよりも戻りのほうが気力も体力もすり減っているからだ。

つまり、仕掛ける側にとっては非常に条件のいい状況で俺達は帰還しなければならないわけだ。


「マティカ、地図を。……待ち伏せを避けて道を変えるというのはどうだ?」

「こちらに残っている者が経路の変更を向こうに伝えると意味がありませんよ。いっそ馬を潰す勢いで人里まで駆け抜けるというのは?一番近いダースイ男爵の領地まで行ければ―」

「無理だな。ダルカン様の体力がもたん」


どんなに全力で馬を走らせたとしても、ここから人里まで二日はかかるはず。

休みもとらずに二日間走り続けられるほど人間は頑丈ではないし、ましてやダルカンは体力的にどうしても劣る。

現実的ではないマティカの案にネイも否を出す。


「俺から一ついいですか?」


ほとんど会話に加わらずにいた俺とパーラだったが、ネイとマティカのやり取りが一旦止まった隙に口を挟む。


「おや、アンディ君。何かいい案があるのかな?」

「いい案かどうかは分かりませんが、囮を使ってはどうでしょう。殿下の恰好をさせた囮を先行させ、その先で襲撃を受けたら人里まで一気に逃げる。一方の殿下は少し遅れて野営地を発ち、別の道を使って進む、といった感じです」

「囮か……悪くないが、うまく引っかかってくれるか?連中、野営地に仲間を残しているせいで、後発の殿下の存在を見抜かれるとまずいぞ」


先に出発した刺客が囮に食いついたとして、野営地に残る連中が遅れて出発するダルカンの存在に気づいたら、そいつらが刺客となって襲い掛かってくる。

さらに、囮と見抜かれないように人も多く割く必要があるため、どうしても護衛の人数は少ないものになってしまう。


ダルカンの身の危険を思うと、囮作戦に今一つ乗り気になれないネイの気持ちも分かる。

これもダメかと思い始めた時、マティカが妙案を思いつく。


「ではこうしたらどうでしょう」


囮作戦にマティカなりのアレンジが加えられ、聞いている俺達からしてもダルカンの安全が確保でき、成功率も高そうだという見立てがこの場にいる全員の共通認識となったところで、作戦は密かに実行へと向けて動き出した。










SIDE:レアノス



一夜明け、粗方の撤収が済んだ早朝の野営地には多くの騎士達が出発に向けて最後の準備を行っていた。

先程ダルカン殿下による試練の達成と首都への帰還を宣言されたこともあり、場の空気は随分緩いものだ。


王族の護衛を無事に果たした達成感が緊張を和らげ、首都へと帰れることへの安堵感がそのまま辺りに漂う空気として外に出てくるのは仕方がないとして、特に咎められることなく過ごしている。


だが我々にはヘンドリクス殿下より受けた密命がある。

この空気に当てられることなく、武器を磨き、ダルカン殿下のお命を頂戴するための準備も着々と行っていた。


上役から受けた指示は三つ。

一つは試練の行方を見守ること。

道中は護衛としての任を果たし、青風洞穴にダルカン殿下が入るのを確と見届ける。


二つめはダルカン殿下が青風洞穴で死んだという確実な証明が出来るだけの材料を持ち帰る。

死体の一部でもあれば最上だが、同行している騎士達の見立てが得られればそれでもいいと言われていた。


三つめ、これはまずないことだと念を押されていたものだが、万が一にダルカン殿下が試練を達成した時、その道中に刺客を配して命を奪えというもの。


王族を手にかけるなど、騎士にあるまじき行為だが、上役が言うにはヘンドリクス殿下のご意向に沿ったことだとのことで、不承不承で任を受けた。


既に刺客となる騎士を数名、昨日のうちに出発させたが、どこでしかけるかはこちらからの情報次第だ。

大前提として、夜に決行という話はしてあるが、それよりもいい機があればこだわる必要はない。

この集団の行動はユーイ卿が取り仕切っているため、それとなく彼女に行程を尋ねておきたいものだ。


諸々の荷物を馬車に積み終え、騎士達が乗るための馬が集められると、ユーイ卿が出発の号令を上げた。


「総員騎乗!これより帰還の途につく!警戒は怠らずに進め!第一分隊!先行しろ!」


よく通る声によって指示が浸透していき、次々と騎士達が馬へと跨る中、ダルカン殿下の姿を見ると、目深にかぶったローブ姿が気になった。


(今日はかなり暖かい日なのに、随分と厚着をしているような…?)


さらに、未だ撤去の手がついていないいくつかの天幕と、かなりの人数が出発の列に加わらないこともまた妙だ。

色々と気になることが多く、詰問する勢いでユーイ卿に声をかける。


「ユーイ卿、これより出立とのことだが、いくつか天幕と人員を残していくのはなぜか?」

「あぁ、ダルカン殿下の護衛として雇った冒険者の怪我が思わしくなくてな。足手纏いにならぬよう、しばらく回復を待ってから後を追わせることにした。残るのは冒険者2名と、彼らの護衛として志願してくれた騎士12名だ」

「そうか……念のため尋ねるが、残るのは冒険者で間違いないのだな?」

「そう言っている。何か疑心でもおありか?」

「い、いやそのようなことは…失礼する」


念押しに尋ねた私をユーイ卿の鋭い視線が貫く。

もう少し問い詰めたいところだが、まるで抜身の剣のような目で見られては引き下がるしかない。

背中に視線を感じつつ、足早に仲間の下へと向かう。


「レアノス、どうだった?」

「天幕は冒険者の治療で残すそうだ。人員も護衛としてのものだ」

「そうか。では予定通り、夜を待っての奇襲と伝えてこよう」

「うむ。……いや待て!」


そう言って一人が馬首をめぐらし、今から先行する部隊に混ざろうとしたのを止める。


「ぬ、どうした。なぜ止める?」

「ユーイ卿を見ろ」


抗議の声を抑えこみ、ユーイ卿に注目させる。

凝視はせず、窺い見る程度で済ませるが、それでも分かってくれるだろう。

視線の先では馬に跨り、先発した騎士を見送ってはいるが、時折視線は気遣わし気に別のところに向いていた。


「…何も変わったところはないようだが?」

「そうだろうか。先程からユーイ卿は隣におられるダルカン殿下ではなく、怪我をした冒険者がいる天幕を何度も見ているのだ」

「それがなんだというのだ?残していく者の身を案じているだけではないか?」

「違うな。あの顔、まるで天幕にいる者こそが―っそうか、替え玉か!」

『替え玉?』


妙だと思っていた。

ユーイ卿といえばダルカン殿下に妄信的な忠誠を示していると有名だ。

その彼女が隣にいるはずのダルカン殿下ではなく、ああも天幕にいる人物を案じる仕草を見せるということは、すなわち、あそこにいるのはダルカン殿下の替え玉となる人間。

線の細さと身長で見れば、冒険者の少女がダルカン殿下と近く、身形を整えて替え玉として馬に乗っていると考えればどうか。


ユーイ卿を始めとしたダルカン殿下の側近達であれば、試練の達成によって我々のような刺客の存在が浮かび上がってくるのは十分に予想できるはずだ。

であれば、帰還の道中にありえる襲撃に備えて、替え玉を用意したとしてもなんらおかしくはない。


今我々の目の前に姿を見せているダルカン殿下は、変装した替え玉。

そして本物のダルカン殿下は、天幕に隠れているに違いない。


「……いや、流石にそれは考えすぎでは?」

「同感だ。仮にその替え玉が本当だとして、いくらなんでも、ダルカン殿下をあんな少人数の護衛だけで残していくか?」


説明を終えたところで返ってきた反応は実に薄い。

確かに試練を達成し、王となる未来がほぼ約束されたも同然のダルカン殿下を、たった10名強の騎士だけで守らせるなど考えられない。

だが逆に、それすらも思い込みとして利用するとしたら効果的だと言える。

現に、目の前の同僚は替え玉を否定していることが、その策にはまっているという証拠だ。


「違っていたらそれで構わない。当初の予定通りの奇襲を行うだけだ。だがもし、あの天幕にいる人間こそがダルカン殿下だったとしたら、我々は任務を果たせずに逆賊の汚名だけを被ることになるのだぞ。念のため私と共にこの野営地を遠くから監視するだけでいいんだ」

「…わかった、付き合おう。その代わり、一日だけだ。一日経って何もなければ別動隊と合流する。いいな?」

「あぁ、それで構わん」


あくまでも私個人の疑念を晴らすためではあるが、万が一を考えて同僚達にも一緒にいてもらいたい。

仮に私一人で見張っていて、替え玉が真実だった場合、他の仲間へとそれを伝える手段は必要だ。


渋る同僚を何とか説き伏せ、私達は出発する集団から密かに逸れて野営地を遠くに臨む小高い丘の上に身を潜めた。

遠くに去っていく砂塵は、偽のダルカン殿下一行のものだ。


野営地を出発する直前、ユーイ卿は残される天幕へと何度も視線を向けていた。

その際、心配の色が滲んでいたその目を見た私は確信した。

あのユーイ卿の忠誠心を知っているからこそ、あの目線が本当のダルカン殿下がどこにいるかを雄弁に語っていた。


密かに監視をしてどれくらいの時間が経ったのか。

丘の上にいる私達の体が日差しに温められ、顔中に汗が滲み始めた頃、ついに天幕から外へと出てきたダルカン殿下の姿を捉えた。

離れた場所から覗いていたとはいえ、あの顔立ちと透けるような白い肌と髪は見間違えようがない。


「本当にダルカン殿下だ…。なんということだ。レアノス、お前の予想通りだったな」

「すまん、レアノス。私はお前の言葉を疑っていた。お前こそが真実を見抜いていたというのに」

「気にするな。私が同じことを言われたとしても、そのまま鵜呑みにはしていなかっただろう。それよりも、これからどうするかを考えよう」


律儀にも先程の言葉を謝罪してきた仲間だが、今はそれよりも目の前のことに集中したほうがいい。

天幕を出てから護衛の騎士と何やら言葉を交わし、手早く荷物を纏めるとすぐに用意された馬に跨って野営地を出る気配を見せた。


今ダルカン殿下が話していた相手はワシューだ。

奴はナスターシャ殿下の子飼いだとは知っていたが、まさかユーイ卿に変わってダルカン殿下を護衛する任務を任されるとは、つまりナスターシャ殿下とダルカン殿下は手を組んだということになる。


ナスターシャ殿下はヘンドリクス殿下と共にダルカン殿下を王位につけないよう工作していたと思っていたが、もしかするとそれは欺瞞行動だったのかもしれない。

よく思っていなかったヘンドリクス殿下を王位につけるよりはダルカン殿下を、と考えての行動だろう。

今回、見事に試練を達成したのを鑑みると、我々には知りえない、ダルカン殿下に期待する何かがあってのことだと思われる。


「いかん。このままではダルカン殿下が出発してしまうぞ」

「仕方ない。俺が一っ走りして仲間を連れてくる。お前達は殿下を追跡し、道中に目印を残せ」


そう言ってすぐに出発するべく動きを見せたのはリケだ。

この男とは騎士団に入ってから今日までの付き合いで、いつも一緒に行動していたおかげで今では相棒ともいえる存在だ。


「よかろう。ただ、なるべく急いでくれよ。こっちは5人しかいないんだ。万が一追跡がバレたらすぐに捕まってしまう」

「分かっている」


丘を下って馬の準備をし、野営地を抜け出る集団の姿を確認してから追跡を開始する。

迂回してユーイ卿達と合流するためか、途中で何度かの休憩を挟みながらかなりの速足で駆けるのに合わせて移動し続けること半日。

日が暮れ始めたことでこの日は合流を果たさずに野営をするらしく、焚き火の用意が始まっているのを見ていると、ようやくこちら側の手勢が合流してきた。


ダルカン殿下達に見つからず、なおかつ監視もしやすいということで選んだ遠く離れた木立の中に、馬蹄の音を警戒して馬を降りた騎士達が姿を見せた。

それぞれ完全に武装しており、世闇に紛れるために体の各部を黒い布で覆っている姿は、いつでも王族の夜襲という騎士にあるまじき行動へと移れるものだ。


「待たせた」

「いや、丁度いいところだ。見ろ、向こうは野営の準備に入ってる」


焚き火の明かりがつき始めた向こう側の野営地を指さすと、隣に滑り込むようにしてリケが寝転がる。


「随分早い、が丁度いい。辺りが暗くなったらすぐに仕掛けよう」

「そうしよう。…何人連れてきた?」

「全員だ。夜襲に参加する予定だった者をそのまま全員だ」


背後を振り向いて見える範囲にいる人数を数えると、40人ほどが実際の戦力として存在している。

元々青風洞穴へと引き連れていた20人の他に、万が一の試練達成に備えて近くまで呼び寄せていた20人を加えたこの40人が、今夜ダルカン殿下とその一行を殺す。


あの中で警戒するべきなのはワシューだが、それもリコがほんの少しの時間だけでも押さえこんでくれれば隙をついて私がダルカン殿下を狙える。

何も不安はない。






すっかり日も暮れ、辺りが暗闇に包まれた頃を見計らって襲撃を実行に移した。

奇襲ということを考慮して、全員が馬を降りて徒歩で接近する。

ある程度歩いて進み、距離的に十分詰まったと判断したところで指笛を鳴らす。


それを合図に、身を低くしながら移動していた私達全員が、遠くにある焚き火の明かりを目がけて一斉に駆け出す。

先頭に立つのは私とリコだ。

この集団の中で戦闘能力という一点のみを見れば、リコを頂点にして次点に私、残りが同程度といったところであるため、こうして私とリコが率いる形になるのは自然なことだった。


焚き火の周りにある人影が微塵も動かないのを好機として、気合の籠った雄たけびも名乗りも上げることもせず、ただ静かに襲い掛かろうとする私達だったが、剣を抜いて走る速度を上げようとした瞬間、何かが破裂するような音と暗闇に走った閃光にほんの少しだけ注意を奪われたと同時に、全身を貫く激しい衝撃によって地面へと叩きつけられてしまった。


動かない体のまま視線を辺りにめぐらせると、私と同じように地面に倒れ伏す仲間達の姿があった。

少し離れた場所に倒れているリコを見ると、こちらを見る目と視線が合い、とりあえずお互いに生きていることだけは分かった。

しかしそれ以外の者は体をピクリともせずにいる様子から完全に意識を失っているようで、この中で意識があるのは私とリコだけと考えられる。


何が起きたのかを理解するよりも、まず頭によぎったのは奇襲の失敗という事実だ。

私を始めとした誰もが動けずにいることと、奇襲に反応していなかったはずのダルカン殿下側の人間が完全武装で姿を見せたことで、そもそもこの奇襲が読まれていたことを物語っていた。


そんな中、ダルカン殿下とワシューがこちらへと近づいてくると、私の目の前に並んで立った。

倒れる私を見下ろすその目は、今回の奇襲を私が主導したということを見抜いているようだ。


「ワシューさん、この方が?」

「ああ、指揮官のレアノスだ。この隊を率いるならこいつだろう。そっちにいるリコってのは剣の腕はいいが、性格的に指揮官向きじゃないからな」

「なるほど、ではこの人から情報を聞き出すとしましょう。誰か、縄を持ってきてください」


目の前で行われるやり取りに、私は奇妙な違和感を覚える。

派閥は違えど、王族であるダルカン殿下へ敬う姿勢を見せないワシューと、そのワシューに対して下位の立場の人間のように接するダルカン殿下の姿は、双方を知る身としては不自然さが際立っている。


「アンディ、もう奇襲は防いだんだからその顔をやめていいだろ。いつまでもダルカン殿下の顔で下手に振る舞うのは落ち着かん」

「そうですか?まぁワシューさんがそう言うのなら構いませんが」


ダルカン殿下をアンディと呼び、何やらよく分からないことを話したかと思うと、ダルカン殿下が首元を探るようにして撫でた次の瞬間、わが目を疑うようなことが起きた。

なんと、首の皮が伸びながら上へと剥がされていき、まるで蛇の脱皮のようにしてダルカン殿下の顔の下から別の顔が現れたではないか。


その顔には見覚えがあった。

ユーイ卿がわざわざ国外から招き、ダルカン殿下の護衛として据えたあの冒険者の青年だ。

なんということだ。

我々が替え玉だと思っていた方こそが本物のダルカン殿下だったということになる。


騙されたという思いはあるが、卑劣だと罵ろうという気持ちにはならない。

それ以上に王族を暗殺しようという我々の行動の方がより卑劣であるからだ。

むしろ、こうまで見事に欺かれてはいっそ清々しい。


「あれ、ワシューさん。このレアノスって人、意識ありますよ。あ、こっちの人もだ」

「ほう。お前さんの電撃を食らったら普通の人間はまず昏倒するんだったな?やっぱり第五団の俊英は違う」

「電撃への抵抗力が高いんですかね?」

「鋼体法かもしれんな。第五団はまず最初に鋼体法での防御手段を叩きこまれると聞いたことがある」

「へぇ、そういうのもあるんですね。ま、とりあえずしっかりと気絶させときましょうか」


そう言うダルカン殿下(偽)の手が私に触れるのと同時に、今日二度目となる強烈な衝撃が体を襲い、そのまま意識を失ってしまった。


SIDE:OUT

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