決闘とプロレスは似てる
リッカと別れたその場所で一晩を過ごし、翌日には日が昇ると共に俺達は帰り支度を始めた。
当初の予定では、ウォーダンも妖精との接触はあまり期待しておらず、せいぜいが痕跡を見つけるか妖精の気配だけでも感じられれば御の字と思っていたそうで、今回のリッカとの邂逅は御の字を通り越して望外の成果だと喜んでいる。
元々文献として残されていた数少ない妖精に関する情報の真偽が確かめられたのみならず、新たに分かったこともまたあり、ウォーダンが言うには学会で発表するのに不足のないほどだそうだ。
遠学で来ている以上、三日という期限がついてはいたが、まさかここまでの収穫を得られるとは思っていなかったウォーダンのホクホク顔は、強請っていたおもちゃを手にした子供のようにも見える。
森の中を通って来た行きの道のりとは違い、帰る時は湖に沿って移動すれば迷う事も無く、昼前には学生達の野営地へと辿り着くことが出来た。
昼食の準備をしている学生達の間を抜けて、初日に作った家へと帰ると、ウォーダンとはここで別れることになる。
「今回は世話になったね。十分な成果も得られたことだし、アンディ君達には相応の報酬を支払わせてもらうよ。シペア君とスーリア君も。遠学での評価は最優秀を約束しよう」
よっぽど気をよくしたのか、最初に話を持ち掛けられたときは優秀の判を保証すると言っていたが、調査を終えてみれば最優秀にまで格上げしたのがウォーダンの気持ちだということだろう。
シペア達はそれを聞いて喜んでいたが、俺の方は少し考えたいことが出来た。
「ウォーダン先生、報酬の方ですが、可能であれば金銭以外でお願いしたいのですが」
ぶっちゃけ、今の俺達は金にはさほど困っていない。
もちろん、あって困るものではないとは分かってはいるが、そこそこの貯えもある現在は、執着が過ぎることもないのは確かだ。
「金銭以外?それは構わないが、私に叶えられる範囲で頼みたいものだね」
「どうでしょうね。ウォーダン先生なら出来るかもしれない、と思っての頼みです。実は―」
学園の教授であり、今回の妖精との接触を手土産とすれば、あるいは特例的に認められる可能性もと見越して、あることを頼んでみる。
「…うーん、どうだろうかね。出来ない事も無いが、なにせ君達を学内に入れるというのも難しいんだが…。まぁなんとかやってみよう。無理だったとしても恨まないでくれよ?」
「勿論です。こちらも無茶を言っていると理解していますから」
確約とはいかないまでも、手ごたえのありそうな答えに一応の満足は覚える。
それぞれの報酬を約束され、ウォーダンと別れた俺達は家へと戻り、明日の出発に備えて体を休めることにした。
ここでの滞在は三泊四日の予定なので、明日の朝にはここを発つことになる。
比較的あっさりと目的を果たせた調査ではあったが、森を歩いてきた疲労を完全に抜くために、今日の所はこのままゆっくりと過ごしたいものだ。
「決闘ですわっ!」
ズビシッという擬音が似合いそうなほどの勢いで俺達を指さすのは、シペア達と同じ魔術学科に所属する、チェルシーという女子生徒だ。
金髪碧眼で縦ロールの髪型は正にお嬢様といった姿で、その口調もアイリーン以来、久々に耳にするお嬢様言葉だった。
中々気の強そうな碧眼で俺達を睨みつける様子からは、どうにも話し合いで解決できそうにないほどの怒りが伝わってくる。
さて、なぜこんなことになったのかを説明するのに、少しばかり時間を戻す必要がある。
あれは昼食から随分経った頃で、もう1・2時間もすれば空にも赤みが挿そうかという時間帯のことだった。
この日の残りの時間は俺達も各自好きに過ごそうということになり、家の中で寛ぐパーラ達をよそに、何日か布もかけずに放置していたバイクの様子が気になった俺は、簡単なメンテナンスをしていたのだが、そこに数人の女子生徒が近付いてくるのに気が付く。
進行方向には俺達の家以外に彼女達の用事がありそうなものは無く、何か用事でもあろうかと思っていると案の定、シペアとスーリアを呼んで来いと言われた。
随分上からの物言いに気分がいいとは言えなかったが、一応建前上では俺とパーラはシペア達の世話をする形で雇われているので、ここはそういう気持ちを顔には出さず、言われた通りシペアとスーリアを呼びに行く。
呼ばれたのは二人だけだが、なにか面白そうだからとパーラも付いてくる形となり、結局四人共がその女生徒達の前へと姿を現す。
「げっ、チェルシーじゃねーか。めんどくせぇ…」
「知り合いか?まぁ同じ学生ならおかしくはないが」
ボソリと呟かれたシペアの言葉に顔見知りかと思い、関係を尋ねてみる。
返ってきたのは同じ学科の生徒であることと名前、簡単な人物評といったところだったが、どうもシペアとはあまり仲が良くなさそうなのは口調から容易に想像できる。
「あの後ろの女生徒は?」
「チェルシーの取り巻きだよ。あいつ、魔術の腕が滅法立つもんだから、色んな奴が集まるんだよ。あの5人はしょっちゅう一緒にいるもんだから、俺達は影でメイド衆って呼んでる」
第一声と立ち姿を見るだけで気が強いだろうというのは気付いてた。
しかしまぁ、こうもベタにお嬢様とその取り巻きを目にする機会が訪れるとは、少しだけ感動を覚える。
同じお嬢様言葉と言えばアイリーンもいたが、なんとなくこっちの方は上品さが洗練されているとは言えないのはなぜだろう。
「シペアさん、スーリアさん!あなた方、先程どこかから戻ってきたようですけど、遠学での課題はどうなさったのかしら?」
案の定、棘のある声でシペア達に話しかけるチェルシーだが、主にその視線はスーリアに向けられているように感じる。
若干怯えた様子のスーリアを庇うように立つシペアもまた、棘のある声で返した。
「んなことお前には関係ねーだろ」
「ええ、そうですわね。関係ありませんわ。…ですが、わたくし達が課題をこなすために必死で駆け回っている間、あなた方の姿を一向に見かける機会がありませんでしたでしょう?気になって他の先生方に聞けば、お二人はウォーダン先生の実地調査へ同行するおかげで課題を免除されたと言うではありませんか!」
両手を広げて天を仰ぐようなするチェルシーの仕草は、なんだか鬱陶しい。
「相変わらず鬱陶しい奴だ」
隣に立つシペアがボソリと呟く言葉に、俺の受け取った印象はどうやら普段のチェルシーそのものだと分かった。
そこからチェルシーが並べたてるのは、自分達がいかに苦労したのかということと、それをせずに課題を免除されたシペア達への非難の言葉だった。
とはいえ言い分を聞く限りでは、どうも自分達ほど苦労していないであろうシペア達がずるいという、なんとも子供の駄々とさほど変わりがないようなものだ。
彼女達に与えられていた課題がどういうものかは分からないが、少なくとも簡単なものではなかったであろうことは想像できる。
容易にクリアできるものを課題にするわけがないからだ。
「…それで?俺達をわざわざ呼び出したのはそんな文句を言うためってだけでもないんだろう?」
ひととおり話を聞き終え、若干のイラつきが滲んだ声色のシペアに返ってきたのは、不敵な笑みをたたえたチェルシーのよく通る声だった。
「決まっていますわ。生徒同士が意見をぶつけ合ってなお解決出来なかった時にとる手段言えば一つだけ」
「はぁ~…やっぱりそれかよ」
「ええ、よくわかっておいででしょう?すなわち、決闘ですわっ!」
そうして指さされたシペアは、再び先程以上に盛大なため息を吐きだした。
そんなこんなで、急遽決闘が開かれる運びとなったわけだが、学園の生徒が行う決闘というシステムが分からない俺は、シペアとスーリアにその辺りを聞いてみたところ、まぁ想像していた通りのものだった。
なるべく深刻な怪我を負わせないことというもの以外に明確なルールはなく、勝敗を決めるのも殴り合いから徒競走まで好きに決められる。
ただし、決闘を受けるのも受けないのも自由で、それを強制することは出来ないのだが、申し込まれた決闘から逃げるのは恥だというのが学園での風潮なのだそうだ。
「おい、シペア。もしかして、お前決闘の経験あるのか?」
妙にスラスラと淀みなく答えるものだから、そんなことを考えてしまう。
「ああ、何度かな。学園の生徒は身分の上下はないってことになってても、やっぱり貴族は平民を見下すもんで、そういうのに歯向かってたらちょいちょい決闘をふっかけられることもあるさ」
「ほぉ~う。ちなみに戦績は?」
「全勝。大抵は平民だってんで舐めてかかってきてくれるから、その油断を突いて速攻で倒してきた」
流石だ。
短い期間ながら、冒険者の魔術師に師事してたこともあったし、俺も効率的な水魔術の使い方をいくつか教えたこともある。
実戦経験などないに等しい学生相手、しかも正々堂々の決闘となればまず負けることはないだろう。
「ならあのチェルシーって生徒が相手でもなんとかなるか」
無敗と聞いたら、同じ学生であるチェルシーとの決闘にも不安は無くなった。
だがそんな俺とは対照的に、シペアの顔は険しいままだ。
「いや、そうでもねぇよ。チェルシーは火魔術の使い手なんだが、正直、学園でも上から数えた方が速いくらいの強さだって聞いてる。実際、俺は相手したことないけど、決闘を挑んだ学生の中には負けてそのまま自主退学したって奴もいるらしい」
「怪我でか?」
「いや、心を病んだって話だ」
決闘相手にトラウマを植え付けるほどの強さってどんだけよ?
これはちょっと不安になってきてしまったな。
「そろそろよろしくて?こちらの準備はとうに出来てましてよ」
話をしている俺達に向けて、準備を終えたチェルシーが話しかけてきたため、そちらへと意識を向けると、先程は持っていなかった長い杖を持っているのに気付く。
全体が金属で覆われた1メートル半はあろうかというその杖は、先端に取り付けられた赤い宝石が目立つ、なんとも美しいものだった。
魔術師が持つのだから、あの杖は魔術の補助のための、いわゆる発動体というやつだ。
一般的な魔術師が持つ杖よりも大分長いそれは、恐らく自前で用意したのだろう。
シペアやスーリアをはじめとした魔術学科の生徒には、入学と同時に腕輪型の発動体が貸与されているそうだが、装身具としての見栄えはあまり考慮されておらず、さらにはお世辞にも高性能とは言えないせいで、自前でもう少し性能のいい発動体を持ち込むのは貴族の学生には珍しくないそうだ。
その点で言えば、チェルシーの手にある杖は美術品としての価値もさることながら、なによりも先端の赤い宝石が火属
性の魔石を加工して何かしらの効果が付与されているとしたら、火魔術との相性はかなりいいはずだ。
道具からして差があるシペアとの決闘に、さらなる不安を掻き立てられるが、いつの間にやら決闘を見物しようと集まった生徒達が遠巻きに見つめる中に歩みだしたシペアを止めるには、少し遅かった。
「パーラ、スーリア。ちょっと」
不測の事態に備え、せめてシペアのみの安全だけは確保しておこうと思い、パーラとスーリアを呼んで仕込みをしておく。
使わないに越したことはないが、万が一を考えておくのも無駄ではない。
「―って具合でどうだ?」
「私はいいけど、スーリアは―」
「ううん、やろう…―でいい?」
冒険者ではないスーリアには危険かもしれないが、現状取りうる作戦の中ではスーリアの魔術に頼るところが大きいため、迷うことなく乗ってくれた彼女には感謝したい。
SIDE:シペア
一歩ずつ歩いて行った先には、俺を待ち受けるチェルシーの不敵な笑みがある。
手に持つ発動体である長杖を自慢するように、時折地面を杖の尻で叩く姿は、なんだか処刑執行人が罪人を待つかのようにも見える。
チェルシー自身、男という生き物を見下しているのは同じ学年の誰もが知っているが、誰彼構わず決闘を挑むような人間ではないと思っていた。
だがこうして目の前に立つチェルシーの目には、獲物を前にした捕食者のような爛々とした輝きが見える。
この手の目をする人間は、大抵腕試しの機会に飢えているということが往々であり、どうやらチェルシーもまたそういう人種の一人だったようだ。
それにしても、あの口調で火魔術の使い手となるとあの人を思い起こさせるが、ぶっちゃけ淑女として見ればチェルシーはグンと格が落ちる気がするのは、やはり苛烈な性格のせいだろうか。
「先に聞いとくけど、勝敗はどちらかが降参するか、戦闘不能と判断した周りが止めたらおしまい。それでいいな?」
「ええ。…それにしても、わたくしを前にしていささかの怖気もないとは、それだけ自信があるのか、それともわたくしの実力をご存知ないのか」
「お前が前に誰だかと決闘したのは見たことがある。その上での自信だと受け取ってくれて構わない」
知った上での態度だと言うと、それを受けてチェルシーの顔に獰猛な笑みが浮かぶ。
元が整った顔をしているだけに、そういう顔をすると一層怖い。
「それは重畳。実を申しますとわたくし、あなたが入学した時から目をつけてましたの」
「ほう、伯爵令嬢様に目をかけていただいて光栄の至り…とでも言って首を垂れたほうがいいかな?」
「そうしたいのでしたらお好きに。シペアさん、入学の翌日に決闘騒ぎを起こしてましたわね?あの時の…誰でしたかしら?まぁ覚えていないということは大した方ではないのでしょう。その時に見せたあの水の鎧、あれは見事なものでしたわ」
入学してすぐの決闘の話をしているようだが、その時相手にしたのは同じ魔術学科の人間で貴族の男だったが、確かそいつはそのあとチェルシーにも決闘を挑んで、負けて自主退学したと記憶している。
あの時は、男も火魔術の使い手ということで水を体に纏って攻撃を無効化し続けて、相手の魔力切れをもって勝ちとなっただけだ。
正直、決闘も面倒臭いと思っていたから、こちらから手を出さずに終わらせたに過ぎないのだが、一体あれの何を見てチェルシーの興味を惹いたのか理解できない。
「まだ魔術の基礎すら習っていない段階で、平民に過ぎないあなたがああまで完璧に制御された水の鎧を使ったことは、素直に称賛して差し上げましょう。その上で、わたくしの魔術であれを破ってみたいという羨望!その思いを遂げさせていただきますわ!」
そう言って大きく一歩後ろへと下がると、杖を前に構えて詠唱をし始める。
火魔術の中でも詠唱文が短い、発動までの速度を重視したものを選択したのは小手調べの意味も込められているのだろう。
杖先から発生した火は一瞬大きく広がったが、すぐに火球へと形を変えて俺の方へと飛んできた。
迫る火球に対し、俺の水魔術によって湖から呼び寄せられた大量の水を盾状に固め、射線上において火球を防ぐ。
普通の火魔術師が使う火球よりも巨大なそれは、しかしながら水の盾を突破するには重さも無いため、あっさりと水に溶け込むようにして姿を消した。
水の盾は維持したまま、まだまだ余裕の顔でチェルシーを見ると、彼女もまた焦りも驚きもしていない。
やはり火球が防がれることなど承知の上ということだったようだ。
「お見事。詠唱ではなく、意識発動での魔術ながら、これだけの精度で水を操る…、愚かで下劣な男ではあっても、魔術の腕前だけは認めざるを得ませんわね。」
緩く弧を描いた口元だけで笑みを作ったその顔は、甚だ不本意であると言わんばかりだ。
「…前から聞きたかったんだけどよ、何でそんなに男を嫌う?男全部が悪い奴ばかりじゃないし、女の中にだって嫌な奴はいるだろ」
ただ男嫌いというだけにしては、チェルシーの男に向ける嫌悪の感情は激しすぎる。
何か原因あっての今を形作っているとしか思えないので、つい聞かずにはいられなかった。
こうして決闘の場で向かい合った機会であれば、互いの心の内も見えるような気がしたからだ。
「さて、どうでしょう?確かに下劣な人間というのは性別関係なくおりますけど、とりわけ男にそういう人間が多いと思いませんこと?」
「思わんね。そういうのは完全に個人の資質だ。男女で比べてどちらがというのは計れるもんじゃない」
「見解の相違ですわね。もう結構。無粋な問答もこの決闘には不要。…本当はもう少し技の応酬を楽しみたかったところですが、じきに日も落ちましょう。次の魔術はわたくしの持てる最大のものをお見せしたいと思いますけど、受けていただけるかしら?」
チラリと目線を上に向けるチェルシーにつられ、見上げた空には夕焼けの赤さはもうかなり星空に食われている。
日が落ちてしまえば決闘も続けられそうにないため、チェルシーの提案には俺も賛成だ。
「いいだろう」
その返答を聞き、チェルシーの顔にはさらに深い笑みが浮かび上がる。
「んふっ…うふふ、やはり男ですわね。こう言えば必ず乗って来る。実に手玉に取りやすい生き物ですこと」
ぐるりと大きく杖を一回転させ、その先端は地面へと静かに降ろされる。
「よくって?これから使う魔術は『巨人の炎拳』と言いますの。火魔術でも高等の部類に入りますが、学年が進めば習うことが出来る魔術ですわ。今のわたくしが使えるのは、家中の魔術師から入学前に習っていたからということですのであしからず」
わざわざ今からどんな魔術が俺に向けられるのかを説明してくれるとは、ただの親切心だけとは思えない。
恐らくよほど危険な魔術であるため、頑張って防げという意図が込められているのだろう。
「所詮火魔術師の使う魔術、水で防げるだろうなどと思わないようになさいまし。この杖を依り代にし、わたくしの魔力をありったけつぎ込んで発動する巨人の炎拳は尋常ではありませんわよ?だから…防ぎ切れないと思ったらすぐ真横にお逃げなさい。命だけは助かるでしょうから」
脅し文句にしては妙な重さを感じる言葉を吐き終わるのと同時に、詠唱を始めるチェルシーを見据えたまま、俺はじりじり湖側へと近付いていく。
やはりそれなりに高等な魔術だけあって、詠唱文も相応に長いため、はっきりいって詠唱中のチェルシーは無防備そのものだ。
これが命のやり取りなら、この隙を逃すはずがなく、とっくにチェルシーは殺されている。
だがこれは決闘であるため、俺はじっと攻撃を待ち受ける。
別に決闘だからと皆がそうするわけではない。
単に俺が自分に課している作法がそうさせているだけだ。
正面から攻撃を受け止めた上で反撃をするというのは、ずっと以前に模擬戦をした時にアンディから聞かされた言葉だ。
確か『ぷろれす』の作法だとか言っていたが、ぷろれすとやらが何か分からない俺にはどうでもいい。
ただ、尊敬する人間が俺に見せたその姿勢は、俺の心に今も深く焼き付いている。
だから、あいつが見ている前では、せめてその作法に乗っ取った勝ち方を見せつけてやりたい。
ほんの小さな我儘だが、それでも男なら持っておきたいそんな小さな誇りを捨てたくないのだ。
長々と詠唱が続くうちに、チェルシーの足元からは湯気が立ち上り始める。
と同時に、水分を失った地面がひび割れ始めると、今度はこちらにまで熱風が届いてきた。
肌寒さを感じ始めていた夕方の空気を押しのけるようにして迫る熱気は、それだけこれから放たれる魔術の規模の大きさを予感させる。
全ての詠唱が終わり、薄目でこちらを見ているチェルシーの雰囲気は、いっそ神々しい。
ただし、その神々しさは立ち上る湯気と霞む周囲の景色から齎された、死の幻視をも孕んでいる。
不意に持ち上げられた杖の先が俺を捉えた瞬間、チェルシーの前方にある空間が歪み、空気の震えと共に莫大な炎の塊がこちらへと押し寄せてきた。
ざっと見て直径3メートルはあろうかという炎の塊はなるほど、言われてみれば巨人が振るう拳のように見えなくもない。
直線で進み続ける炎の拳を迎え撃つべく、先程作っていた水の盾へとさらに水を追加していき、厚みと大きさをどんどん増やしていく。
今の俺の魔力操作で支えられる限界量ギリギリの水で盾を作り、炎の拳を受け止める。
先程の火球とは違い、明らかに重さのあるその拳は、水を触れあっているというのに一向に消える気配がない。
それどころか、水を次々に蒸発させていくほどで、次第に水の盾は厚みを減らしていく。
水を足して盾を補強しようとするが、それよりも蒸発して消えていく速度の方が速い。
恐らくそう長くない内に盾は役目を果たせなくなるだろう。
そうなればあの炎の拳は俺を焼き尽くし、灰すら残らない未来が容易に想像できた。
SIDE:END
「シペア君!逃げて!」
「アンディ!やばいよ!介入しよう!」
俺達が見守る先では、巨大な炎の塊を辛うじて水の盾で支えているシペアがいる。
スーリアとパーラは水の盾が薄くなり始めているのに気付き、シペアを助けにはいろうとしている。
「待て。まだだ。あいつは諦めてない。今助けに入ったら、あいつの決闘を侮辱することになる」
チラリとこちらを見たシペアと目があい、その目から自分はまだやれるという意思が伝わってきた。
「そんなこと言ってる場合!?もうあれ以上は無理だよ!盾の水もほとんど無くなってるんだから!」
パーラの言う通り、あのままのペースで水の蒸発が続けば、あと5秒もせずにシペアは完全に無防備になる。
「よく見ろ。まだ湖からの水の供給は続いてる。もうしばらくは持つ」
僅かずつではあるが、盾にはまだ水が流入し続けており、その分だけ盾が削られる速度は抑えられている。
とはいえ、それも文字通り焼け石に水状態であり、完全に蒸発して盾が消えるのはもう目に見えてる。
このままであれば、の話ではあるが。
「……待って、パーラちゃん。水の盾がなんか動いてる。ううん、盾の中に流れが出来てるんだよ、あれ」
俺に詰め寄るパーラとは違い、シペアをじっと見つめていたスーリアが最初にその変化に気付く。
言われて俺達も盾の中に視線を集中させてみると、確かにスーリアの言う通り、盾の中を水が高速に循環するようにしている動きが見えた。
炎と接する盾の面と、その奥側の水が入れ替わるように円環を描いているのが横から見ている俺達からははっきりと見え、それと同時に水の盾が小さくなるのも止まっているのに気付いた。
「…拮抗してる?さっきまでは押されてたのに何で?」
「なるほど、考えたな」
「何か知ってるの?アンディ」
「要は蒸発する前に、熱っされた水を手前側に戻して、冷たい水を炎との接触面に押し出す。再び熱くなった水と冷たい水を入れ替えるというのを繰り返して、蒸発する水を減らしたんだよ」
あの炎は優に1000℃は超えているようだが、魔術的な効果のせいか輻射熱は意外なほど少ない。
そのせいか盾との接触面以外への熱伝導は低いこともあり、ああして狭い範囲内であっても水を循環させることで熱を拡散できているのかもしれない。
水の沸点は100℃だが、そこに達する前に他の水と混ざることで温度が下がり、あの水の盾を持ち直すことが出来たというわけだ。
それでも完全に水の蒸発は防げているわけではなく、今も少しづつではあるが蒸気が立ち上っているが、同時に湖から供給している水の存在もあり、危険な状況からは遠ざかり始めているとみていい。
あとは炎の塊を維持するだけの魔力が尽きるのを待つだけだと思い、チェルシーの方を見た瞬間、俺は背筋が凍った。
なんと、チェルシーは息を荒げて膝をついており、地面に刺した杖を支えに辛うじて身を起こしているという状況だったのだ。
元々火魔術というのは高威力を誇る宿命ゆえにか、他の属性魔術に比べて魔力の消費が圧倒的に多い。
チェルシーが使った炎の拳が、あの威力からしてまだまだ未熟な若い魔術師が個人で賄える魔力量で収まるとは到底思えない。
加えて、想定よりもシペアが防御で粘ったせいで、チェルシーも維持する魔力が嵩んだ結果が今のチェルシーの姿だろう。
シペアの方は問題ない。
あのまま防御に徹する限り、魔力切れで倒れるのはチェルシーの方が先だからだ。
しかし、問題なのはチェルシーが炎の拳を解除せずに、制御を手放してしまった時のことだ。
そうなれば、拳の形に纏められている熱量が一気に開放され、周囲に集まる生徒達に熱波となって襲い掛かることになる。
熱風は人の体を焦がし、吸い込まれた気道と肺を焼く。
生き残れるのは僅かだろうし、その生き残った者も呼吸が出来ずに窒息死は免れない。
大惨事を想像し、周囲に集まっている生徒達を散らせようと声を上げるよりも早く、チェルシーの体が大きく傾く。
「スーリア!炎を吸い取れ!パーラ、スーリアを守れ!」
全ての猶予が失われたと判断し、俺はかねての打ち合わせ通りに二人へと指示を出す。
もともとはシペアを守るために用意していた最後の策だったが、事ここに至っては最善の備えだったと思えてならない。
俺の声に反応して真っ先に動いたのはパーラの方で、スーリアの体を抱えるようにしてシペアの方へと飛び出していき、それに少し遅れてスーリアも召喚陣を掌に作り出し、水の盾と拮抗している炎の塊へとその手を向けた。
「シペア!緊急だ!盾を動かしてスーリアの方に炎をずらせ!」
「はぁあ!?なんだよ急に『いいから!』―チッ、わぁーったよ!」
突然動き出した俺達に怪訝そうな顔をするシペアだったが、三人同時に吐き出された言葉に叩かれるようにして水の盾を操作していく。
押しとどめる形だった盾は、その面をやや後ろへと受け流すように角度を変え、それによって向きが変えられた炎は細くスーリアへと迫っていき、召喚陣の中へと吸い込まれていく。
この魔術は術者が制御を手放してからも少しは形を維持しようとするらしく、スーリアが炎を完全に収納するまでは周囲へと拡散することはなかった。
続けて、今度は俺が土魔術で目の前に縦長の穴を掘り、そこへとシペアが作った水の盾の水を落とし込む。
かなりの深さに作った穴に、かなりの量に水が敷き詰められたところで、その穴に向けて先程スーリアが収納した炎を吐き出す。
ある程度の勢いと出す方向を制御できる召喚魔術の特性を利用し、穴へと吐き出された炎はそのまま下へと目掛けて落ちていき、すべて出し終えたスーリアを穴から遠ざけるのとほぼ同時に、轟音を伴って水しぶきが穴から噴出していく。
底の方に溜まった水と炎がぶつかり合い、その熱量と勢いによって引き起こされた水蒸気爆発が、穴の出口へと向かって放出された結果が、今俺達の上に降り注いでいる温水というわけだった。
荒く息を吐いて地面に横たわる俺は無事にことを収めた達成感はあるが、シペアをはじめとした他の人間には何が起きていたのかは理解できていないことだろう。
ひとまずこのまましばらく休ませてもらってから、他の連中にも命の危機にあったことを説明をしなくてはならない。
ただの決闘騒ぎから見物人の大量死へと繋がる恐れに発展しようとは、まったく、異世界はクセが凄い。




