やあやあ、あれに見えるはいずこの軍か
ギルナテア族の集落に世話になって何日か経った。
ここ数日のうちに村の防衛体制も大分変わり、これまで村の男衆が総出で外壁に詰めていたのが、今では見張りとして3人ごとにローテーションを組むだけとなっている。
今現在の昆虫系統で構成された魔物の群れだが、虫の特性はそのまま残っているらしく、気温が高すぎても低すぎても活動は鈍るようで、気温が最高潮に高まる正午と零度近くまで下がる夜間は魔物が攻めてくることは無い。
まるで時間が決まっているかのように午前と夕方、一日に二回攻めて来る以外は動かないため、近頃は追い払うのもルーティン化していた。
毎日ほぼ時間通りに外壁へと近付いて来ようとする魔物に、雷魔術による電磁波を浴びせかけると、それだけで魔物は尻尾を巻いて逃げ出すため、ここ数日は戦闘らしい戦闘は発生していない。
魔物の群れに対して追い払い効果のある魔術を使える俺だけはどうしても外壁を離れることは出来ないが、それでも少し前までの全戦力で魔物を押し返していた時よりは、人手も手間も雲泥の差で少なくて済んでいる。
そんなわけで、最近の村の雰囲気は多少の緊張感は孕みつつも、ある程度は村の日常が戻りつつあった。
期待されている役割柄、俺は連日外壁に詰めているわけだが、長い時間を過ごすこ場所の環境も整えたいと思い、外壁の一角に日除けの布を張り、イスとテーブルも用意した。
環境が出来上がったことで食事もここで摂るようになり、一日の殆どはここで過ごしている。
流石に寝る時は飛空艇に戻るが、それでも大半の時間ではここの主となっていた。
「―まぁ私も二属性持ちなんだけど、ソーマルガじゃ風魔術の方が需要があるじゃない?だからそっちの技術だけ上げてきたせいで、火魔術はちょっと苦手なのよねー…っと、はいこれ」
チコニアが手に持ったものをこちらに放って来たのをキャッチし、そのままの流れで足元に置いてある籠に落とす。
籠の中には既に中身がいくらか入っており、新しく迎え入れられたものとぶつかり合い、カキンという甲高い音が鳴る。
「はいどうも。次はあっちに転がってるのをお願いします」
「はいはい、任せなさい」
そう言ってチコニアは門の向こうに向けて風魔術を使う。
俺達は既に午前の魔物の襲撃をしのぎ切り、今は暇な時間となっているのだが、ただボーっとしているのも手持無沙汰が過ぎるので、先日まで倒してからそのままにしてあった魔石の回収を行っていた。
魔物の追い払い役として外壁にいる俺とは違い、チコニアやパーラは万一の攻撃要因としているだけなので、比較的魔力に余裕のある彼女たちは回収されずに残っていた魔石を風魔術を使って拾い上げている。
つい先日まで魔物の攻勢に耐えるため、門を開けるなどもっての外。
仮に魔物が攻めてこないタイミングを狙って魔石を回収しようにも、万一門が開いたのに呼応して攻勢を仕掛けてきたらと考えると、外に散らばる魔石を拾いに行くということは微塵も思えなかった。
ところが今は俺が一人でいれば魔物の攻勢を跳ね返せるため、それまで戦力として魔力の無駄遣いが出来ずにいたチコニア達の手が空き、こうして風魔術で魔石を拾うという作業も出来るようになっていた。
回収した魔石に関しては村と俺達での半々で受け取るということで話は通してある。
ここ数日の間、村は完全に封鎖状態で物を売るのも買うのも出来ない状態だったため、何かしらの損失があった場合、魔石を売った金でいくらか埋められることだろう。
それを提案したことで村長からは過剰な位に礼を示されたが、俺達にも利益はあるため、その礼もほどほどの所で切り上げさせてもらった。
そんなわけで、村の外壁に沿って散らばっているであろう魔石は風魔術を使うことで拾い上げる作業をすることになったわけだが、魔石自体はかなり小さいものが多く、ピンポイントで魔石を俺達がいる外壁の上まで持ち上げるのは結構コツがいるとはパーラの言だ。
魔力量がそこそこあるパーラだが、小さな魔石を狙って動かすというのはまだ難しく、そこはチコニアに一日の長があり、回収の手際はチコニアが一番上手い。
結局魔石の回収は主にチコニアが行い、パーラはそんなチコニアの傍で風魔術の勉強をしているというのが今の日常の光景だった。
ちなみに今日はパーラが村の方行っているためここにはおらず、チコニアが延々と話し続けるのに俺が付き合わされていた。
「何回か貴族からの勧誘もあったんだけど、最初は魔術師として勧誘に来ても、会えばすぐに妻妾にってなるのよ。それがいやで私もずっと冒険者やってるわけで……あら、大きいのが釣れたわね。純度もいいわ。これ、別にして」
話しながらも作業効率は落ちることはなく、さらには俺には判断できない魔石の質を見る目も確かで、こうして魔石の分別もこなしてくれているチコニアの話を聞く役ぐらいは務めてみせよう。
魔石を入れる籠も二つ用意しており、品質のいいものとそれ以外で分けており、今チコニアが拾った魔石は上質なものが分類される籠へと落とされた。
「でもチコニアさんぐらいの美人なら男も放っておかないですって。美人税みたいなもんですよ」
「あら、嬉しいこと言ってくれるじゃない。美人税って言葉はいいわねぇ。…まあ私も流石に身を固めるってのを意識する歳なんだけど、なかなか相手がいなくって」
「そうなんですか?チコニアさんなら相手も選び放題って気がしますけど」
「選び放題って言ってもその選ぶ相手に魅力を感じなきゃ選びようがないわよ」
ハードルが高すぎるのか、もしくはチコニアに寄ってくる男がどうしようもない奴らばかりなのかは分からないが、結婚まではまだかかりそうだ。
段々と愚痴が多くなり始めたチコニアの話に、村人の上げる声が割り込んできた。
「旗だ!誰か村長を呼んできてくれ!チコニアさん、こっちに!」
「あら、援軍かしらね。ちょっと行ってくるわ」
颯爽と見張りのいる一段高い場所へと向かうチコニアを見送り、俺も外壁の向こうへ目を凝らす。
救援が駆けつけるまでは十日ほどと見ていたが、こうして遠くで微かに見える旗は6本を数えることが出来る。
以前ルドラマから聞いたことがある兵力の配置がこの国でも適用されるとしたら、旗一本につき100人の兵士が集まっており、その旗が6本あるということはおよそ600人程はいると予想する。
その規模から考えると、威力偵察や偶然通りかかった部隊といった可能性はほぼ無く、まず間違いなくこの村への援軍だと見ていいだろう。
旗に描かれた紋章で援軍がどこの領地のどんな人が率いているのかを判断できるのは村長かチコニアぐらいなもので、今見張りの一人が呼びに行った村長が来るまではチコニアが援軍の正体を推測しなければならない。
とはいえ、援軍がいる位置が村からはまだまだ遠い為、旗頭が分かったところで連絡のしようはなく、あくまでも誰が来たのかを知るだけだ。
チラリとチコニアの方を見てみると、どういうわけかその顔は険しい。
何か問題でもあるのかと思い、見張りと幾つか言葉を交わしてからこちらへ歩いて来たチコニアに声をかけた。
「チコニアさん、何だか顔色が優れないみたいですけど、あの救援に何かまずいことでも?もしかして援軍じゃなかったとかですか?」
「あぁ、それは大丈夫よ。あれは確かに救援部隊で間違いないわ。旗の紋章から判断して隣の領主、コーヨル子爵直属の騎士団ね」
「隣の領の?この村が属する領ではなく?」
「そこは距離的な問題よ。ここの領主のいる街よりも、隣の領主がいる街までの方が近いから最初からそっちに援軍の要請を出してたってわけ。まぁ元々ここと隣の領主は仲のいい間柄だから、どっちに頼んでも大した軋轢も出ないって村長が判断したんでしょう。…言っては何だけど、生きるか死ぬかの時に助けを求める先を選ぶ余裕はないものよ」
軍というのは出陣が決まったら即出発できるほど動きが速いものではない。
兵力となる人を集め、必要な物資を計算して調達し、目的地までの適切なルートと場合によっては通過する街や村などへ行軍の目的を告げるための書状も用意しなければならない。
なので、動くと決めてから実際に動き始めるまでの時間をどれだけ短くできるのかで、その領の人材の優秀さと富み具合が分かる。
しかしどれだけ軍の出立を早められたとしても、移動にかかる時間だけは極端に短縮することはできない。
チコニアの言う通り、自領の村を守るのは領主の義務ではあるが、救援に駆けつけるまでに村が滅んでいては元も子もない。
それならば、最初から近い距離にある他の領主へと助けを求めるというのは緊急避難的な意味でも仕方ない事だと理解できるだろう。
これが仲の悪い領主同士なら自領への侵攻や軍事行動の妨害などと諍いにもなろうものだが、都合のいいことに隣同士良好な関係を築けているのであれば、領民を助けてもらったことを一筆にて感謝するという形で話は落ち着く。
ちなみに今回のケースのように、隣同士の領で仲がいいという例は意外と多くない。
大抵の領は水資源の取り合いや領境の設定などで何らかの問題を抱えており、敵対こそしないものの肩を組みあって酒を飲むといった間柄というのは血縁関係以外ではそうそう見れない。
今回は隣に関係良好な領があるおかげでこの村は救われたと言っていいのかもしれない。
しかしそれにしてはチコニアの暗い表情が気になる。
今の説明ではその陰をさしている顔の原因には足りない。
「そういうものですか。…それで、チコニアさんが浮かない顔をしているのは何故なんですか?」
「うーん…まぁこれは私個人の問題だから、そんなに心配しないでよ。村に迷惑は掛からないから」
「だとしてもそんな顔をしてれば気になりますよ。言いたくなければ構いませんけど、よかったら話してみませんか?」
個人的な問題で人に話し辛いというのは心情的には理解できるが、俺の中では既に友人という位置づけにあるチコニアがここまでテンションが低い姿を見せられては放って置く気にならない。
「…ま、そこまで言うなら。さっき見たコーヨル子爵の旗の中に、知り合いのものも混じってたのよ。丁度真ん中にあったから全体の指揮を執ってるんだろうけど、その知り合いってのがちょっとね」
騎士が掲げる旗は自分が仕える主を示すものとともに、同じ旗の余白に自分の紋章を描く場合もあり、それでどこそこの貴族に仕える何某という風に見分ける。
「何か恨みでもかってるとか?」
「ある意味ではそうかもね。昔、そいつから求婚されたのをこっぴどく振ったことがあるのよ。でもそいつったら諦めないで何回も求婚してくるもんだから、思いっきり引っ叩いて逃げてね…」
黄級の冒険者であるチコニアがここまで顔色を悪くするとはどれだけのトラブルかと思ったら、意外としょうもないものだったことに逆に驚く。
男と女のやり取りなのだから当事者にしか分からないが、こうして聞く限りでは痴情のもつれとも呼べない程度のトラブルだったのではなかろうか。
「…ちなみにそれってどれぐらい前の話で?」
「4・5年前かしら」
確かチコニアは今年で28歳だとユノーから聞いていたから、23・4歳の話になるわけか。
それだけ前のことなら流石に忘れているか、自分の中で折り合いをつけて恨みも水に流しているんじゃないかと思うが。
そのことをチコニアに話すと、その顔は再び顰められる。
「根に持つとかじゃなくて、多分あいつは今も私を見つけたらまたしつこく求婚してくるかもしれないのよ。私はそれが怖い…」
「いやいや、5年も経てば流石に他に好きな人でもできるんじゃないですか?騎士なら女性にももてるでしょうし」
「アンディはあいつを知らないからそんな風に言えるのよ。…ともかく!私は顔を出さないから、向こうとのやり取りは村長とアンディでお願い」
そう言い残し、俺の返事を待つことなくチコニアはそそくさと外壁から立ち去ってしまった。
これから起こるかもしれない戦いに備えてパーラを呼びに行ったのだろうが、ほとんど逃げるようにして村へと駆けていく背中には悲壮感すら感じる。
それほどまで顔を合わせたくない相手というのが逆に気になるな。
チコニアがいなくなったせいで魔石の回収作業は出来なくなったが、救援が来たことであとは魔物がいなくなれば人の手で回収できるため、まずは村の門の解放に向けて動くことになる。
援軍を確認しに来た村長の証言からもコーヨル子爵の騎士団であることが確定し、あとは向こうが魔物の群れへと攻撃を仕掛けるのに呼応し、俺達も外壁から援護をするということでその場は纏まった。
ただその魔物の群れだが、未だ数は多いものの、籠城当初からパーラ達が着実にその数を減らし続けていたおかげで、600人の兵力と腕利きの魔術師3人にかかれば殲滅も可能な程度に残存個体数は少ない。
実際、村の入り口へと続く一本道の辺りに屯する魔物の数を見て、援軍の部隊もすぐに攻撃へと移るために横へと広がり始める。
村と相対するようにして援軍の部隊が布陣する中、左右へ腕を広げるようにして展開する騎馬の群れが、何かの合図を受けてか魔物の群れへと一斉に駆けだす。
広げられた腕が閉じられるように、駆け出した騎馬が外側へ大きく膨らむルートを取りつつ、まず魔物が集中する村へと続く一本道の麓へと突き進む。
そのまま左右の騎馬が真中へ集まるとぶつかり合うのではないかと思ったが、そこは流石馬を駆って戦う騎士たる者達で、絶妙な間合いでお互いをすり抜けるようにして走り去りつつ、魔物へと攻撃を加えていく。
攻撃を受けた魔物も反撃をしようと追いすがるが、馬の方が足も速く、さらに別の騎馬を追いかける他の魔物とぶつかり合い、整然と走り去る騎馬とは対照的に、魔物の群れはごちゃごちゃとした混乱が巻き起こっていた。
そこに騎馬から遅れて陣形の中央から進み出てきた歩兵が槍を構え、動きが制限されている魔物の群れへと襲い掛かる。
騎馬で魔物を中心へと押し込め、そこへ歩兵による槍衾で殲滅する。
戦術としては取り立てて珍しいものではないが、相手が知性ある魔物ではないため、あっという間に打ち倒していってしまう。
当然俺達もただ見ているだけではなく、味方を避けつつ狙いやすい魔物を弓矢や魔術で狙撃していく。
チコニアとパーラはそれぞれ風を刃状にして飛ばす魔術で戦っているが、生憎俺は手持ちの魔術では射程が足りないか過剰威力で援軍を巻き込んでしまう恐れがあるため、パーラから借りた銃でコツコツと魔物を倒している。
パーラほどではないが、俺も銃の腕はそこそこある方なので、魔術と比べると派手ではないが着実に魔物を葬っていった。
時間にして1時間ほどだろうか。
統率された兵力を適切に運用し、魔術師と弓矢で挟撃することで魔物の群れはようやく殲滅され、村の門はようやく凱旋の下に開かれる機会を得ることが出来た。
援軍に駆けつけた部隊の全てを収容するには村の広さは足りず、魔物の再度の襲撃を警戒するのも兼ねて兵力の殆どは村の外周で待機しつつ、天幕の設営も始まっていた。
援軍はそのまましばらくここに留まり、遅れて来るここの領主の軍と交代で引き上げる手はずになっているのだろう。
そんな中、数人を伴った指揮官らしき騎士が村へと入ってくる。
門を少し入った所で出迎えるは村長と俺とパーラの3人。
他の村人は遠巻きにしながら見守っているが、その顔はどれも騎士達への感謝の念を、満面の笑みで表していた。
遠くから見えていたが、くすんだ灰色の髪を坊主頭に借り上げたその容貌は厳めしい顔つきと相まって厳格な騎士そのものといった感じだ。
「お初にお目にかかる。我が名はプライアス、ニルボルト・バームスト・コーヨル子爵に仕える者。此度は援軍の要請を受けて参ったものだ。貴殿が村長殿であろうか?」
きつく引き結ばれた口元と吊り上がった眉から、まさか怒っているのだろうかと思わせるが、丁寧な口調と落ち着いた調子から元々そんな顔なだけで特に怒ってはいないようだ。
「はい、私がここの村の代表を務めておる者です。この度は村の危機を救っていただき、何とお礼を申せばよいか…」
「気にするな。コーヨル子爵はこの地を治める領主殿とは好誼を結ぶ仲だ。救援を求めてきたのなら応えるのが当然というもの。それに我らに助けを求めた青年もよい判断をした。距離を見ても我が方がいち早く駆け付けることが出来たのだしな」
「恐れ入ります。それで倅は…使いに出した者はどうしているのでしょうか?」
「む、あの青年はご子息であったか。いや心配ない。休まず馬を駆けてきたせいで消耗していたが、命に関わるような怪我も無かった。今は子爵邸にて休ませている。折を見てこちらへお送りいたそう」
救援要請に出した使者とは村長の息子だったらしく、これまで使者を心配する素振りを見せなかったのは村長としての立場があったからだろう。
だがこうして救援が来たことで、息子を心配する親心の方が出てきたようで、プライアスの言葉を聞いて胸を撫で下ろしていた。
「…ところで村長殿。ここにチコニア殿がいると聞いているのだが、どちらにおいでかな?」
急にソワソワとした態度に変わったプライアスの言葉を聞き、この場にいる全員の動きが止まる。
チコニアがプライアスと顔を合わせたくないということは既に村中に知れ渡っている。
これまで村を守ってくれたチコニアに恩を感じている彼らとしては、その気持ちを汲み取っていないものとして通そうと思っていたところに、プライアスがチコニアの存在を既に知っていることを聞かされてはこういう反応にもなろう。
とはいえ、プライアスも村を救ってくれた恩人であるし、おまけに黄級とは言え一冒険者と子爵に仕える騎士ではその権力は比べ物にならない。
「あ、あの…プライアス様、チコニア殿のことはどちらでお知りになられたのでしょうか?」
下手に隠し立てするのは流石にまずいというわけで、恐る恐る村長が尋ねるのはチコニアに関しての情報源だ。
「おお!やはりおられるか!いや、実はその使者、つまり村長殿のご子息から村を守る戦力に関して聞かせてもらった折、チコニア殿の名前が飛び出たのでな。長らく会う機会を失していた相手と巡り合えると胸が躍ったものだ。ついつい勇んで飛び出そうとしたところを主に見つかって大目玉をくらったわ。はっはっはっはっはっは!」
「そ、そうでございましたか…うぅ」
シュンと肩を落とす村長だが、その気持ちはわかる。
チコニアのことを秘密にするという村民たちの総意は、使者として送り出した息子にまで伝わるわけもなく、その方面からチコニアの存在がばれるとはなんとも居た堪れないことだろう。
豪快に笑うプライアスから視線を外し、何とも申し訳なさそうに俺を見た村長に頷きを返すと、パーラにチコニアを呼びに行かせる。
どこかに隠れているであろうチコニアを説得して連れてくるのはパーラの方が適していると判断しての人選だ。
決してしょうもない理由で隠れているチコニアを呼びに行くのがかったるいとかではない。
多分ごねるチコニアを説得するのに時間がかかると思うので、俺と村長でプライアスの相手を務めて時間を稼ぐ。
「なるほど、魔術師がいたおかげで今日まで死者の一人も出さずに済んだというわけか。正直、ここにくるまでどれだけの怪我人と死者を数えるのかと覚悟していたが、来て見れば怪我人すらいないとは驚いたぞ。貴公はよほど優れた魔術師なのであろうな。もし仕官を望むならコーヨル子爵領に来るといい。魔術師はいつでも歓迎だ」
村人には俺が魔術で治療したことは内緒にしてもらうように頼んであるので、救援が来るまでの間に村を守っていたであろう魔術師にかける勧誘の言葉としてはこんなもんだろう。
それに対して俺は曖昧な返事を返すだけだが、向こうもそれ以上強く誘うことはないので、何となくお互いにその話はここまでという感じで落ち着く。
そうしていると、遠くの方から不機嫌さが滲み出ているような荒い足音が聞こえてきた。
音の主はムスっとした顔のチコニアだった。
大股でこちらへと歩み寄ってくる姿を見て、プライアスの顔は花が咲くように笑顔へと変わっていく。
「おぉ、チコニア殿!よもやこのようなところで再会できるとは!」
「プライアスうるさい!大声出さないで!」
両手を広げてチコニアとの再会を喜ぶプライアスに、チコニアの返しは刺々しいものだ。
周りの目がなかったら掴みかかっていそうなぐらいに機嫌が悪そうだが、プライアスはそれに気づかない様子で話し続ける。
「あいや、これは失礼!しかし、チコニア殿とお会いできては喜びに声も張ろうというもの!…改めてチコニア殿、どうか私の妻となることを考えてもらえまいか?」
再会してすぐにプロポーズとはプライアスもやりおる。
その急展開具合に驚くよりも、男として感心してしまう。
「…相変わらず話が急すぎる人ね。答えは前と同じ、あなたと夫婦になるつもりはないわ」
でしょうね。
タイミング、場所ともにプロポーズが受けられるとは俺も思えない。
「そこをなんとか!もう一声!」
値切りをするようなことを言いながら、縋るようにして求婚するプライアスとそれをすげなく断るチコニアを横目に、パーラへと話しかけてみる。
あれほどプライアスの前に姿を見せるのを嫌がっていたチコニアをどうやって連れてきたのか気になっていた。
「パーラ、よくチコニアさんをここまで連れてこれたな。かなり渋ったんじゃないのか?」
「うん、まぁちょっと説得に時間はかかったけど、最後は自分から出てきてくれたから」
「へぇ…、なんて言って説得したんだ?」
「別に変わったことは言ってないよ。プライアスって名前とチコニアさんがいることを知ってるってことを伝えただけ。それを言ったらすぐに衣装箱の中から飛び出してった」
衣装箱の中に隠れてたのか。
チコニアも自分が隠れたままだとプライアスが村中をひっくり返してでも家探ししかねないと判断して、村人の迷惑にならないためにもこうして出てきたのだろう。
実際あの情熱を見たらそれぐらいはしそうな男だと俺も思う。
ワーワー言いながらのやり取りは、チコニアが上げた声で終焉を迎える。
「―いいから!私のことは忘れて他の人と結婚なさい!いいわね!」
女性とは思えない男前な台詞を吐きつつ立ち去るチコニアだったが、そのついでに俺とパーラを小脇に抱え上げて飛空艇へと向かって駆け出す。
あまりに急なことなので、俺もパーラも抵抗する暇もなく引っ張られていく。
「そんな!チコニア殿!私はあなた以外を妻になど―お待ちを!」
呼び止めようとするプライアスだが、人を二人抱えているとは思えない逃げ足を見せるチコニアに、一拍遅れた動きでは追いつけそうもない。
あっという間に飛空艇へと乗り込み、俺とパーラを放り出すと急いで扉を閉める。
「アンディ!急いで船を出して!」
「…いいんですかね?相手は曲がりなりにも騎士なんですし、ああいう態度はまずいのでは?」
救援に駆けつけてくれた騎士への対応としてはかなり酷いものだと思う。
「いいからとっとと出しなさい。なんだったら飛空艇を乗っ取ってもいいのよ?」
「いやいや、乗っ取ってもどうせ操縦できない―っすぐに出発します!」
いかん、目がマジだ。
この場で飛空艇を操縦できるのは俺だけなので、乗っ取ったところで飛べはしないが、それはそれとして何をするかわからない凄味のようなものがチコニアにはある!
背中に感じるうすら寒い何かに急き立てられて操縦席へと向かい、急いで飛空艇を起動させる。
数日も飛空艇を動かさないでいると、流石に船体に砂埃が積もっていたようで、浮上するのに合わせて辺りで砂煙が巻き起こる。
一応飛び立つ際の安全確認のために見える範囲で周囲を確認すると、地上ではプライアスがこちらを指さしながら何かを叫んでいる。
恐らく村長に飛空艇のことを尋ねているのだろうが、説明もせずに逃げるように飛び去るのはなんだか居た堪れない。
村長にはいらぬ手間をかけさせてしまうのもまた居た堪れなさを助長させる。
高度を十分に取り、左右上下に障害物のないことを確認したら、船をゆっくりと発進させる。
眼下では村人をはじめ、村の外周で作業をしていた人たちまでもこちらを注視しており、口を開けたまま見上げる顔のどれもが呆気にとられているのがわかる。
巨大な物体が飛び上がる光景というのは、この世界の人達にとって日常ではありえないものだ。
飛空艇が着陸するのを見ていた村人達も、やはり飛び立つ際の迫力には度肝を抜かれていたし、援軍として駆けつけてきた人達の目にも、突然村の中から何かが飛び立っていく絵というのは現実感が薄いものとして写っていたに違いない。
そういった多くの目を引きはがすように、徐々に速度を上げて村を離れていく。
一週間ほど世話になった村を後にするには、少々別れの挨拶も足りていない気がして物寂しい気持ちがある。
しかし、本来の俺の目的であるパーラとの合流が出来たのだから、胸に達成感は確かにある。
操縦室には俺の他に誰もいないが、パーラは初めて飛空艇が飛ぶのに感動しているだろうし、チコニアは遠ざかるプライアスの姿に安堵しているのが容易に想像できる。
村一つを救ったはずの身が、なぜ逃亡者のようにして飛び去らなければならないのか思うところはあるが、原因であるチコニアには落ち着いたら愚痴の一つでも言わせてもらおう。




