古代文明浪漫譚
『古代文明浪漫譚』という書物がある。
書かれた時代、著者共に不明ながら、古代文明の遺跡を独自に考察した内容が非常に秀逸であり、現在の遺跡研究者達にも少なからぬ影響を与えた書物だと言われている。
この書物の面白い所は、未発掘だったはずの遺跡に関する考察も載せられている点で、新しく発掘された遺跡を調べていく時に、この古代文明浪漫譚との符合する点が多かったこともあり、これを書いた人物が砂に埋もれたままの遺跡にどうやって立ち入ったのかという、まさに卵が先か鶏が先かの論争が巻き起こったことがあった。
そのミステリーめいた逸話のおかげで、ソーマルガでは写本が大量に作られ、この国の人間であれば大抵一度は目にしたことがあるというほどのロングセラー本となっている。
グバトリアもこの本を所有しており、愛読書となっているこの本に関してのことなら内容のほとんどを諳んじることも出来るほどに読み込んでいるらしい。
「この本に書かれている天翔ける方舟。これこそがアンディ、お前が持ち込んだあれのことなのだろう?」
土下座の体勢を何とかやめさせたグバトリアとソファーで向かい合い、ハリムの入れたお茶を啜りながら差し出された本に目を向ける。
かなり古びた装丁ではあるが、王の持ち物というだけあって中々大事に扱われているようだ。
差し出された本のあるページにグバトリアが指を差し込んでおり、そこを開きながら本を受け取り、内容を読んでいく。
書かれている文字が共通語ともパルセア語とも違うものなので、挿絵だけを拾っていく。
何かの壁画のスケッチだろうか。
非常に精緻な模様と横長に伸びる絵には、確かに空を飛ぶ船と思しき意匠が見受けられる。
奇しくも、そのデザインは飛空艇と似ており、なるほどこれを見ていたら湖に浮かんだ船の正体を看破することもありえそうだ。
「…確かにここに描かれている船と俺の船はよく似ていますね。ですが、これだけではあれが空を飛ぶ船だとは断定は出来ないでしょう。そう思われたのには何か理由がおありなのでは?」
「うむ、実はな、あれが天翔ける方舟だと見抜いたのはクヌテミアだ。あれもこの古代文明浪漫譚を愛読していてな。俺よりも朝早く湖に浮かぶあれを見て、そうだと推測していたのだ」
てっきりグバトリアが鋭いのかと思っていたが、本当に鋭かったのは王妃の方だったようだ。
クヌテミアは毎朝、目が覚めたらすぐに湖を見に行くのを習慣としており、そこで湖に浮かぶ飛空艇を見つけたそうだ。
皇都にある湖には複数の川が繋がっており、船が湖に来るにはこの川を使うのが一般的だ。
だが、あの船が通れるだけの幅と水深の川となると存在せず、それなら陸を通って来たか空を飛んできたかでないと説明できない。
陸を通ってくるなら必ずどこかで人の目に付いて噂話なりになって城の兵士にも話がいっていたはず。
ところがあそこに浮かぶ船ほどの巨大な物体が城に接近しているという情報は全くなかった。
となれば一夜のうちに湖に姿を現したことからも、空から舞い降りてきたではないかと考えたのだそうだ。
普通なら突拍子もない推理だと思われるだろうが、今の誰も正確な事態の把握が出来ていない状況においてはクヌテミアの推理は強烈な説得力を持ってしまったわけだ。
そして、その推理は全く持って間違っていない。
以前クヌテミアと食事を共にとした時に持った印象としては、子煩悩な母親と正妃としての立ち居振る舞いが同居しながら、どこかポワっとした雰囲気のある女性だと思っていたが、今の話からだと鋭い感性を持った政治家としての印象も感じられた。
「クヌテミアの言葉を聞けば聞くほど、あれが天翔ける方舟だと思わされた。いや、仮に天翔ける方舟ではなかったとしても、陽の光を受けて白く輝く姿を見ては、それはそれで手元に置きたくなったというわけだ。…して、返答は?」
ソファーから立ち上がり、窓の傍に立つと湖の方へと目を向け、グバトリアが先程の答えを求めてきた。
飛空艇なら当然欲しいが、たとえただの船だとしても、変わった形で白一色の船というのもグバトリアの所有欲をくすぐるようで、顔は見えずとも何としても手に入れようという思いは伝わってくる。
「仰る通り、あれは確かに空を飛ぶ船です。天翔ける方舟という呼び方は知りませんでしたが、俺はあれを飛空艇と呼んでます」
「おお!やはりか!ならばもう一度頼もう。あの天翔ける―いや、飛空艇をこのソーマルガにくれ!もちろん、タダでとは言わん。あらゆるものとの引き換えを約束しよう」
「陛下!そのようなことを軽々しく…!」
軽々しく何とでも交換すると言ってしまったグバトリアの言葉にハリムは慌てるが、すぐにグバトリアに手で制されてしまう。
「ハリム、お前もわかるだろう。あの飛空艇の価値は多少の宝物などと比べ物にならないほどだ。あれを手に入れるためなら俺はどんな手段でも取るぞ」
どんな手段にはもしかして俺を暗殺することも入っているのだろうか?
「…仰る言葉は分かります。しかしアンディに何を対価として差し出すつもりですか?この者は爵位すら要らぬと突っぱねる男です。王位ですら要らぬと言いかねませんぞ」
ハリムの言葉は正しい。
実際、俺は王位をくれてやると言われても断るだろう。
貴族の地位を面倒だと思っている俺が、どうして王位を欲しがると言うのか。
「なんだか飛空艇を譲るという前提で話が進められていませんか?俺はそんなこと一言も言ってませんけど」
先程からハリムもグバトリアも飛空艇の対価について話をしているが、そもそも俺は譲るなどと一言も口にしていないというのに、皮算用もいいところだ。
「…確かにそうだが、ではもう一度頭を地に擦り付けよう。それで考えてはくれまいか?」
「陛下、流石にそれはおやめください。宰相閣下の額に青筋が浮かび始めています」
再び土下座の体勢を取ろうとするグバトリアをハリムも流石に見逃すわけもなく、俺が止めていなければ特大の雷が落ちていたことだろう。
「あの飛空艇を譲ることは出来ませんが、その代わりに他の飛空艇がありそうな場所をお教えするというのはいかがでしょう?」
「他の?…それはつまり、アレ以外にも飛空艇は存在するということか?」
「はい、陛下。全く同じものという保証は出来かねますが、あれと同じ古代文明の遺物が眠る場所に心当たりがあります。恐らくそこには飛空艇同様、古代の人達が使っていた乗り物も多く眠っている可能性が高いのです」
俺が見つけた飛空艇は元々博物館に展示される予定の物だった。
前世でも大型の乗り物を展示する博物館というのはそう数も多くないため、世界中から資料的価値のある乗り物、例えば第二次世界大戦時に使われていた航空機などは、アメリカの航空宇宙博物館などに集められていた。
この世界でも恐らくそれは同じはずで、古代の文明が博物館というものの存在を匂わせる記述が残されている以上、それがあった場所を調べれば他の飛空艇も発見できるはずだ。
あの飛空艇を俺が所有することを認めさせるために提示する交換条件ではあったが、グバトリアの予想以上の食いつきの良さに、博物館の情報は価値の高いものだと考えられる。
「ハリム、アンディの言うことを信じるなら、これは早急に探し出す必要があるな」
「はっ、私も同じ考えです。今準備を進めている遺跡の再調査団に飛空艇の探索も並行して行わせましょう」
「いえ、ハリム様。それには及びません。飛空艇がありそうな場所には大凡の見当がついています」
逸るグバトリアに同調したのか、ハリムが飛空艇の探索のための準備に動こうといそいそとソファから立ち上るところを止める。
「俺が乗って来たあの飛空艇は、元々博物館に飾られる予定だった物でしたが、不慮の事故で長い年月放置されていたものを偶然見つけて使っているわけです。飛空艇にはその博物館の位置が記された地図も残されていましたから、それを使えば闇雲に探すこともないでしょう」
色々と経緯を省いて説明したが、別に俺が依頼で流砂に飲み込まれて遭難したということを説明する必要はない。
「地図があるなら助かるな。調査団を派遣する費用と時間が抑えられる」
ハリムの言う通り、最初の手がかり発見に費用と時間がかかる遺跡の調査において、地図があるというのは大きく手間を省けることになる。
宰相としての立場から、ハリムは資金的にも人的リソースの観点からも地図の存在に喜んでいるが、グバトリアは対称的に憮然とした顔だ。
「…地図があるのは確かにいいことだが、遺跡を探しに旅に出るという浪漫が…」
「陛下、浪漫より実をお取りください」
遺跡を求めて砂漠を旅するというのに浪漫を抱くのは分からんでもない。
恐らく調査団からその旅の話を聞くのもグバトリアの楽しみであるのだろう。
だがハリムの言う通り、遺跡の発掘にかかる費用や時間を考えると、それらを浪漫などといったもので削らないという理由にはならない。
そんなハリムの言葉にグバトリアは何も言い返す言葉を持たない。
「それにしてもアンディよ。その博物館とやらは一体何なのだ?言葉の響きから察するに、飛空艇を大量に保管する場所のようだが」
「……はい?博物館をご存じないので?」
グバトリアの言葉を一瞬理解できなかった俺は、ついつい不遜な言葉を返してしまったが、今この場にいる人間にそれを気にする者はおらず、ソーマルガのトップ二人は大きく頷いて返事を返した。
この世界には博物館というものは確かに存在しない。
そもそも歴史的に価値のあるものは一般に公開せず厳重に保管されるので、グバトリア達に博物館というものの意義を説明するのに随分骨が折れた。
「それは宝物庫とは違うのか?貴重な品を保管しているのだろう?」
「いえ、陛下。それだと民衆に公開されるというアンディの説明と異なります。アンディ、それは恐らく観劇のように誰もが見られるのではないか?」
「ハリム様の仰る通りです。巨大な建物に警備のための人材と設備を導入し、そこに芸術や歴史などの観点から価値のあるものを集め、入場料を徴収して一般に開放されているものとお考え下さい」
グバトリアが宝物庫と理解したのはあながち大きく外れてはいないが、ハリムの指摘通り、秘蔵するか一般開放するかの違いから博物館とは違うものだと言える。
ハリムは流石に理解が早く、博物館の大凡の姿を理解し始めていた。
この世界にも存在する観劇に例えたのは非常に分かりやすかったようで、グバトリアも納得した顔で頷いている。
「そんなものが大昔にあったとはな…。アンディ、よく知っていたな。それもお前の故郷にあったのか?」
「…ええ、まぁ。それほど数は多くありませんが、気軽に見に行ける施設だったことは確かです」
まさか前世であったものを知ってますとは言えないので、ハリムの言葉にもそう返すしかなかった。
「あの飛空艇もそこにあるというのだな?」
「確実にそうだとは…。ですが、俺の飛空艇がそこへ運ばれるはずだったことからも、同様に飛空艇が集められている可能性は高いと考えます」
博物館と言うからには展示するのに飛空艇一台だけということは無いはずだ。
俺は古代文明の人間でもないし、ましてや古代人がどういう思考をするのか100%読み取れるわけでもない。
ただ、今まで見聞きして来た遺跡の情報から、古代文明は俺がいた現代日本とそうかけ離れたものではないと思う。
どこに眠っているか分からない飛空艇を探すより、場所が分かっていて飛空艇が集められていそうな博物館を目指す方がましだろう。
「ならばその博物館の場所をハリムに教えろ。ハリムはその情報を元に調査隊の編成と物資の手配に動け」
「はっ」
グバトリアが指示を出し、それにハリムが応えたこのタイミングは、全てが動き出す始点となるもので、今この時こそが俺の要求を通す好機だ。
「陛下にお願いがございます。もしそこに飛空艇があった場合、それらの情報を提供した功で、俺があの飛空艇を所有することをソーマルガ国王としての立場から許すとお言葉を頂きたいのです」
「…ふむ。どう思う?ハリム」
「よろしいのではないでしょうか。ただ、あくまでも他の飛空艇が見つかった場合に限るということであればですが」
「そうだな、俺も同じ意見だ。…というわけだ。件の博物館で飛空艇が見つかったら、お前の飛空艇は所有権をソーマルガ皇国が保証しよう」
「…なんというか、ひどくあっさりとお決めになられましたね。飛空艇の個人所有を認めるのは国としては問題がありませんか?」
正直、もう少し喧々囂々のやり取りを覚悟していたのだが、こうもあっさりと条件付きであるが許可の約束を貰えたのは意外だった。
「意外か?だがな、アンディ。これはお前だから許されたのだ。他の人間には到底許可されることではないぞ」
「陛下の仰る通り、お前にはミエリスタ王女殿下をお救いした功績がある。その褒美の一環として、お前が見つけた遺物の所有を保証するということで話は付けられる」
「褒美でしたら既に勲章を頂いていますが?」
「それだけでは足りていなかったということにすればいい。実際、勲章は国王としての立場から送ったが、父親としての俺からは何もしていない。その分を今回の件で与えるということにしておけばいい」
実際のところ、俺が今回齎した博物館に眠る飛空艇の情報はかなりのものだが、それでも個人で飛空艇を所有するのに十分な功績に足るかどうかは微妙な所だ。
なにせ飛空艇の数はそのまま国の軍事・政治のどちらの力にも成り得る。
それを個人での所有を許すとなると、他の貴族連中から確実に苦言が飛び出すことだろう。
ところが俺に関して言えば、以前ミエリスタ王女の誘拐を防いだという実績に、爵位に相当すると言われていた褒美も勲章で済ませていたのは身分ゆえのことだったが、もう一つ褒美を上乗せしてもいいという考えになって飛空艇の所有を許可した、というストーリーが組み立てられる。
この辺りの面倒くささは国という大きな仕組みの中で、俺という個人に出来る限りの配慮をという一人の父親としてのグバトリアなりに恩を返そうとした結果だ。
国王としての立場と父親としての恩義、その二つを何とか両立させようとした苦肉の策とも言える。
なんにせよ、これで俺が大っぴらに飛空艇を持つことが出来そうな算段もたったことだし、早いとこ博物館の位置を教えてしまおう。
発掘は調査団が行うだろうから、結果が分かるまでの間、しばらく皇都に滞在することにしよう。
ギルドに生存報告もしなければならないし、飛空艇の内装も色々といじりたい。
早速ハリムと共に飛空艇へと乗り込み、タブレットを使って地図データの更新を試みる。
一緒に何人か遺跡の研究者達も同乗を求めてきたので、いちいち断るのも面倒だと思い、兵士に身元を確認させて問題ない人間なら好きに入らせることにした。
操縦室には俺とハリムの他に数人の研究者だけが残り、あとの人達は思い思いに飛空艇の中を調べ回っている。
未知の遺物に研究者が取る反応としては理解できるつもりだが、ああいう人種は熱中すると何をしでかすか分からない。
なるべくなら壊さないで貰いたい。
予めタブレットに取り込んでもらっていた地図データは、操縦室に入った瞬間に端末との同期が始まり、すぐに飛空艇のデータベースの地図情報は現在のものに書き換えられた。
ただ何度かデータ形式の変換らしき工程が間に挟まっていたということは、やはり文明にも洋の東西、新旧の差のようなものがあったのかもしれない。
ディスプレイに表示された地図に博物館の位置にマークを起こさせてみると、それを見たハリムが唸るような声を上げる。
「む?ここは確か…84号遺跡じゃなかったか?」
一緒に来ていた研究者の誰かに答えを求めての発言だったようで、次々にハリムの言葉を肯定する声が出てくる。
「確かにそうです。84号遺跡ですね」
「けどあそこは15年前に調査が完了したと宣言されてますよ?」
「いや、あの時と今じゃ状況が違う。当時はわからなかったことも今ならわかるかもしれん」
「タブレットがあるからか…。となると、壁画付近が怪しいか?あそこは異様に硬い石材が組まれてたな。何かあるとしたらあそこだろ」
ハリムの言葉に応えていた声はやがて研究者達による遺跡調査への考察の応酬へと変わり、俺とハリムは置いてけぼりを食らった感じだ。
「それにしてもこの飛空艇というのはかなり大きいな。おまけに閉め切っていてこれだけ涼しいのは素晴らしい。これなら重要人物が乗る時の安全性も確保できる。素晴らしい、実に素晴らしい」
勝手に話し合いを始めた研究者達をそのままに、ハリムが飛空艇の評価を口にし始めた。
これから手に入るであろう飛空艇がどれほどのものかを知るために、俺の飛空艇で事前に体験しておこうという魂胆なのだろうが、なんだかその言いようだとこのまま飛空艇を没収されそうな気がして少し落ち着かない。
「この飛空艇はどれだけの人数が乗れる?積載できる物資の量は?どれくらいの速度で飛ぶのだ?」
「座席自体は20席ほどですが、床に座ったりすればもっといけますね。積載量はおよそ満載した荷馬車で4つ分ほどかと。速さは…そうですね、空荷で人も載っていない状態でフィンディ近郊から王都まで一日で到達します」
「ほう、それほどか。想像以上だな。速さも積載量も。…ふむ、これならいけるな」
「はい?いけるとは何がでしょう?」
満足気に何度も頷くハリムがこぼした言葉に反応して聞いてみたが、何となく嫌な予感がしている。
「なに、これなら件の84号遺跡に向かう調査団も楽に運べると思ってな」
なん…だと…。
こやつ、飛空艇を早速足に使うつもりでいやがる。
「ちょいとお待ちを。この飛空艇は俺のなんですけど」
「そうだな。だからお前には依頼と言う形で船を飛ばしてもらいたい」
やっぱりか。
何となくそうなるとは思っていた。
「え~…。これでも色々とやることがあるんですけど…」
具体的にはパーラに生きていることを知らせるためにフィンディまで一っ飛びとか。
「やかましい。こっちを優先しろ。飛空艇が見つからんとお前にこの飛空艇の所有を許すことは出来んのだぞ。こういうことを手伝っておけば、後々便宜を図りやすくなるのだが?」
それを言われちゃあ断れない。
とはいえ、この依頼を受けておけば仮に新たに飛空艇が見つからなかったとしても、何かしらの便宜で飛空艇かそれに準じた移動手段を貰える可能性も出てきた。
具体的には風紋船とか。
砂漠の移動専門と言える風紋船だが、この広大なソーマルガの国土を移動するのに風紋船はとてつもなく便利な乗り物だ。
最悪の場合は飛空艇の代わりに風紋船を要求するのもありかもしれない。
あぁ、パーラに無事を知らせるタイミングが遠ざかる…。
もういっそ生還のサプライズとか考えず、手紙でも送った方がいいのか?
「わかりました。調査団を送り届ける依頼、受けさせてもらいます」
「おぉ、そうか!やってくれるか!お前ならそう言うと思っていた。いやぁ、これで移動の時間と費用はかなり削れるな」
やり手のハリムのことだ。
この依頼を断ろうとしても、あらゆる手段を用いて受けさせようと動いてたに違いない。
そう言う意味では面倒なやり取りを省けた分だけ、精神的に疲れなかったことを喜ぶべきか。
「よし、なら今から城に戻って色々と話を詰めるとしよう」
「わかりました。…この人たちはどうしましょう?」
城に戻ることを決めたハリムだが、それとは別に研究者達がどうするのかを聞いておく。
先程まで84号遺跡に関する話をしていた研究者たちも、今はもうこの飛空艇の調査に夢中の様で、邪魔をしたら面倒なことになるだろうとは薄々感じている。
「…どうせかじりついてでもここに残ろうとするだろう。迷惑でなければこのまま彼らに船の中を見させてやってくれないか?」
「構いませんよ。ただ出来れば何か壊すといったことは無いようにしてもらいたいのですが…」
「その危惧は尤もだ。何人か監視の兵を残しておく。監視の目があればよほどのことも起きないだろう」
研究者達なら好奇心のままに突っ走って何かやらかす可能性もあるが、兵士達の目があれば事前に暴走の予兆も止めてくれるだろうと信じて城へと向かえる。
飛空艇から小舟へと移り、城へと向かって湖を渡っている途中、ハリムに色々と頼み事をしておく。
「調査団の人員を飛空艇に乗せるとして、少し座席の手直しが必要です。家具職人か大工が何人か、あと魔道具職人も船に連れてきてもらいたいのですが」
一応貨客船としての名残か、大勢が座れるだけの座席が船の中には存在している。
念の為に補修が必要な個所はないかの点検と、可能であれば色々と手を加えたい。
流石にマッサージチェアとしての機能は無理でも、リクライニング機能ぐらいは付けられないだろうか。
短い間だが、俺の船に乗る以上は快適な空の旅を提供させてもらおう。
「うむ、手配しよう。それと調査に必要な物資も手配出来次第、飛空艇に積み込みたい。その際はお前にも立ち会ってもらうぞ」
「わかりました」
俺と違ってハリムは色々と手配に動く必要があるが、諸々の準備が終わるのが今日明日ということはないだろうから、その間にギルドでの生存報告と、フィンディにまだいるようならパーラに手紙の一つでも送りたい。
今日はハリムとの打ち合わせが長引きそうなので、ギルドに顔を出すのは明日になるかもしれない。
それに色々と装備も整えたい。
武器や道具類はパーラが預かってくれているだろうから、とりあえずは間に合わせで揃えよう。
ハリムと打ち合わせをしながら、やることリストも作っていくと、なんだか色々と忙しくなりそうな予感がしてきた。
だが、数日前までは流砂の底からの脱出に苦悩していただけに、こういう忙しさは生きている実感があって嬉しいものだ。
「―長い期間の調査も視野に入れて、物資は余裕をもって用意しよう。具体的には……アンディ、どうした?顔がニヤついてるぞ」
「おっと、失礼しました。何でもありませんよ」
どうやら知らず笑みを浮かべていたらしく、それを指摘されたが誤魔化しついでに視線を目の前に置かれた書類へと向ける。
なんだかソーマルガに来てからは冒険者としての活動よりも、こういう事務仕事をしていることが多くないか?
やっぱり冒険者なのだから未知への冒険というのを楽しみたい。
飛空艇がらみの問題が片付いたら、飛空艇であちこち飛び回ろう。
そう密かに決意を固め、目の前の書類へととりかかる。
「それにしてもやはりお前は文官向きだな。書類を読み解くのも早いし、結論もわかりやすくまとめられている。やはりお前をどうにかして我が国に召し抱えたほうがいいかもしれん」
「勘弁してください。そういうのはもっと他に優秀な人を育てた方がいいですよ」
主に愛国心の観点から。
再び起こったハリムの勧誘攻撃をのらりくらりと躱しながらの打ち合わせは、結局深夜にまで及んだ。
一通りの目途が着いたところで下がろうとする俺に、ハリムは城へ泊ることを勧めてきたが、それは丁重にお断りして飛空艇へと戻ることを告げる。
正直、整った設備のある飛空艇に比べたら、城で寝泊まりするのに魅力はあまり感じられない。
飛空艇へと戻ると研究者たちはとっくに引き上げており、上部ハッチの周りで見張りをしていた兵士達に挨拶をして俺は飛空艇へと入っていく。
見張りの兵士には、ハッチを閉めれば内部は安全なので見張りは不要と伝えたが、一応船の周りには監視の名目での兵下達は配置されたままだ。
これは俺が飛空艇でどうこうするというのを心配しているのではなく、外から飛空艇に取り付かれないようにするのと、こうして見張っていることで市民には安心を与えるという効果を狙ってのことだそうだ。
城で貰って来た食事で簡単に夕食を取り、シャワーを浴びたらすぐに寝床へと入る。
今日も色々とあったが、予想以上に体は疲れを覚えていたらしく、あっというまに眠気に包まれた頭は明日の予定を考える暇もなく、瞼を閉じたのとほぼ同時に眠りの底へと一直線に意識は沈みこんでいった。




