一方その頃的なヤーツ
SIDE:ローキス
『ヘスニルに行くなら何をおいてもまずハンバーグを食べろ。特にびっくりアンディのハンバーグは死ぬまでに一度は食べるべき価値がある』
ヘスニルに訪れる旅人や商人にそう噂されているらしいことは以前から耳にしていた。
大通りから目立たないこの店に連日客が入るぐらいには話題にはなっているのだろう。
ハンバーグを出す店がそれなりに増えたヘスニルでも、まず名前を挙げるならびっくりアンディからというほどの知名度だ。
一応看板は分かりやすいように大通りから見えるように工夫はしているが、それでも隠れるようにして存在するこの店を探すのに苦労したという一見の客の言葉はしょっちゅう聞かされる。
こればかりはここに店を作ったアンディに文句を言いたいところだ。
夏が近づく今の時期は、日中の暑さも気になり始めるため、ハンバーグよりも冷たい麦茶で作るお茶漬けが良く出る。
ヘスニルでも最近になって出回り始めた米を使ったこのお茶漬けも、真似をする店もちらほらと出始め、ハンバーグに続いてヘスニルの名物料理になる日も近いのではないかと思わせるぐらいに人気の料理だ。
各店舗独自の調理法や材料で色々な工夫をこらしたお茶漬けがあるため、こちらも新作を生み出す刺激になっている。
うちでも普通のお茶漬けの他に、ミルタが考案した柑橘系の皮を細かくしたものを入れた爽やかな風味のお茶漬けが女性を中心にうけているようだ。
暑くなるこれからの時期はお茶漬けの方が多く出るのを見越して、米の仕入れ量は普段よりも増やし、ハンバーグもトッピングに辛さや酸味のある野菜を中心に揃えるつもりだ。
「ローキス、こっちは掃除終わったよ?厨房の片付けってまだかかりそう?」
これからのことを考えていると、カウンターからこちらを覗き込んできたミルタと目が合う。
今日の営業が終わって、僕とミルタは掃除をして店を閉めるところだった。
「あぁいや、もう終わったよ。…よし、じゃあ店を閉めようか。僕は夕食の準備があるから、ミルタは先に風呂に入りなよ」
アンディから託されたこの家に備え付けの風呂だが、僕達だけとなった今ではそう頻繁にお湯を沸かすことが出来ないでいる。
以前まではアンディが水汲みから湯沸しまでを魔術でいっぺんにこなしていたため、毎日風呂に入っていた。
しかし今は井戸から汲んだ水を湯船まで何往復までして溜め、そこに焼いた石を投入してお湯を沸かすといった手間を全て自分たちでやらなければならない。
いなくなって初めて恵まれていた環境を思い知らされてしまった。
そんなわけで、今では風呂に入るのは3日に一度、次の日が休みの時だけとなっていた。
一応アンディからは、食べ物を扱う店をやる以上は常に清潔を保つようにと何度も言い含められていたので、これでも普通の人達と比べたらよく風呂に入っている方だ。
今日も仕事の合間に湯船に水を運び、営業を終えた竈からよく焼けた石を取り出そうとしたところでミルタが更に声をかけてきた。
「あ、待って。今日はさ、外に食べに行かない?ローキスも今から夕食の準備するのも面倒でしょ?」
「まぁ別に面倒じゃないけど、ミルタがそうしたいなら構わないよ。そう言うってことは何か気なる店でもあるんでしょ?」
僕を気遣っているような言い回しだが、ミルタが何かを企んでいるのは長い付き合いで分かる。
「やっぱりローキスにはわかっちゃうか~。…実はさ、ロメウスさんのとこで出す新しい料理の試食に誘われてるんだ。ローキスも一緒にって言われてるから今夜はあそこで食べようよ」
試食という言葉を口にした時、ミルタの目が僅かに細められたのに気付く。
なるほど、ミルタの目的はそれか。
過去にはハンバーグの作り方を巡って少し思うところもあったが、アンディがいない今では一番頼りにする大人だと思っている。
店のことを含めてロメウスには色々と世話になっているが、ハンバーグにハンバーガー、最近ではお茶漬けまでと似たような料理を出す店として競合相手という認識は消えていない。
そんな店で出される試食となれば、警戒するとともにうちで出す料理に何か使えるかもしれないという思惑も混ざっているのだろう。
そういう点でミルタは僕なんかよりもずっと強かだ。
ロメウスからのお誘いならば堂々と敵情視察も出来る。
それなら早速とミルタと一緒にロメウスの店へと足を運んだ。
風呂は…まぁ明日沸かせばいいか。
ヘスニルでも五指に入る大きさであるロメウスの店の前に着くと、やはりその大きさに何度見ても感嘆の息が漏れる。
店の入り口には魔道具製と思われる明かりが大通りへと放たれており、それに誘われるようにして今も店の入り口を誰かが潜っていった。
夜の中にあってこの明るさに安心を覚えるのは、やはり人間としての性からだろうか。
店内に入ってみると、外から窺えた以上の賑わいが僕達を出迎えた。
ウチの店と比べるのもどうかと思うが、びっくりアンディの優に二倍はある広さの店内は、どこのテーブルも客で埋まっている。
家族連れから仕事終わりの職人に、冒険者や街の衛兵といった姿まで見える。
料理を味わう傍らで、エールやワイン等の酒を楽しむ光景はうちの店では見られないものだ。
「おーう来たな。こっち座れ」
入り口で立ち止まった僕達に気付いたロメウスの声に導かれ、カウンター席の一角へと通される。
そこの椅子とカウンターの間に木の板が立て掛けられており、書かれている文字から察するに、どうやら席を用意してくれていたようだ。
ロメウスがカウンター越しに伸ばした手によって木の板がどかされ、空いたその場所にミルタと一緒に座る。
「よく来てくれた。もう少し早く来てくれればテーブルを一つ用意出来たんだが、生憎今日は客の入りが良くてな。見ての通りテーブルは埋まっちまってる。カウンターの一部を確保するだけで勘弁してくれ」
カウンターからこちらに顔を突き出すロメウスが申し訳なさそうに言うが、同業者である僕からすると客の回転率の観点からもテーブルを一つ遊ばせることが勿体ないというのは理解できるのであまり気にしないで貰いたい。
「いえいえ、ここで十分ですよ。それよりも今日は新作の試食と聞きましたけど?」
「ああ、これから暑くなるからな。俺んとこでも夏向けにお茶漬けを出してみようって話が出たんだよ。んで、元祖お茶漬けをメニューに出してるお前らに試食をしてもらおうってわけだ」
「あれ?でもロメウスさんのとこってもうお茶漬け出してなかったっけ?」
ミルタの言う通り、ロメウスもかなり早い時点でお茶漬けを扱っていたはずだ。
アンディがいた頃に僕と一緒に直接指導してもらったから覚えている。
以前はうちの店だけで出していた麦茶も今ではどこの店も出すようになっていて、それを使ったお茶漬けもまたそれぞれの店で独自のものが作られていた。
「ミルタが言ってるのは熱いお茶漬けだな。夏になるとやっぱり冷たいものが喜ばれるから、試作してんのは冷やし茶漬けってやつだ。まぁとりあえず持ってくるから感想聞かせてくれよ」
「はーい。私達お腹減ってるから急いでねぇー」
厨房へと向かうロメウスの背中にミルタの遠慮のないそんな言葉が投げかけられる。
ロメウスも特に気を悪くすることなく、笑いながらその言葉に応じて調理へと取り掛かっていった。
もう少し行儀よくするということをミルタは覚えた方がいいと思う。
「あぁ~食べたぁ~」
「ミルタは食べ過ぎだよ。ロメウスさんが用意した試食品以外もあんなに食べて」
「だってロメウスさんがドンドン食べろって言うから。それに残したら勿体ないじゃん」
家に戻った僕たちは居間のソファーに腰かけ、お茶を飲みながら一息ついている。
ロメウスの用意した試食の冷やし茶漬けも食べ、感想を言ってお暇しようとしたのだが、せっかく来たのだからとロメウスが腕を振るった料理を次々と僕たちの前に並べ始めるとミルタが暴走してしまった。
既に試食品を食べていた僕はそこそこお腹が膨れていたのであまり食べなかったが、その分ミルタが次々と皿を開けていくのを見て、胸焼けを覚えてしまった。
どう見ても5人前はあった料理を全て平らげたミルタだが、元々食が細いというわけでもない彼女がここまで大食いになったのはパーラの影響が大きいと思う。
パーラもあんな細い体のどこにと疑問に思うほどによく食べていた。
アンディは僕達が食べる日常の食事量を丁度よく配分してくれていたのだが、その食事以外にもパーラはよくミルタとマースを連れて食べ歩きをしていたため、それに引きずられるようにしてミルタも大食いになっていったようだ。
パーラの陰に隠れていたが、こうして見るとミルタも相当食べる。
普段は別に異常な量を食べるわけではなく、少し多めに食べるぐらいなのだが、こうして好きに食べていいと言われると加減が無くなるらしい。
「試食って言えばさ、ロメウスさんのとこで出す冷やし茶漬けはうちとは客層を取り合うことはないんじゃない?」
まん丸になったお腹をさすりながらそう言うミルタに頷きを返す。
「うん、僕もそう思う。鶏肉と塩だれであっさり味っていうのは悪くないけど、やっぱり暑い時に食べるには少し重いかな。せめてもう少し鶏肉の脂を落とせばいいのに」
「でも職人さんとかだとあれぐらいはないと物足りないと思う。それに鶏肉と一緒に野菜も千切りにして添えてあったから意外とペロリかもよ?」
ミルタの言う通り、職人や冒険者といった体が資本の仕事をしている人達にとっては、あっさりしすぎてもあまりうけないだろう。
ガッツリと腹持ちのいいものが好まれる傾向にある職業の人達にはあれぐらいの方が好まれる。
反対に女性や老人といった夏にサッパリしたものを求める人達はうちで出す柑橘系の冷やし茶漬けの方へと来るはず。
食いでのある肉を欲しがる人達はロメウスの店へ、サッパリしたものが食べたい人はうちへと住みわけが出来そう点が今回の試食での収穫と言えるかもしれない。
「……ねぇ、アンディって結局何者なのかな?」
「いきなりどうしたのさ、ミルタ?」
「だってさ、ハンバーグにしろ、お茶漬けにしろ、全部アンディが考えたものでしょ?私達と同じぐらいの歳なのにこんな新しい料理をポンポンと生み出して、しかも本人は凄腕の魔術師で白ランクの冒険者。伯爵様とも付き合いがあるし、あのバイクだって発案したのはアンディだって言うじゃない。それにあの避難所もほとんど一人であっという間に作ったって聞くし、もう何が何だか…」
自分で言ってだんだんと頭を抱え始めたミルタだが、その気持ちは分かる。
僕達はトレント変異種に追い出されるようにしてビカード村からヘスニルに逃げてきた。
最初は命が助かったことを素直に喜んだけど、両親の浮かない顔を見ている内に先のことに不安を覚えていった。
ヘスニルに着いたところで知り合いのいる人はいいが、それ以外の人達は住む場所も仕事も探さなくてはならない。
疲れたままの体でヘスニルに着いたところですぐに安全な場所で眠れるとは思っていなかった僕達の予想はいい意味で裏切られた。
着いた先で通されたのは一家族が寝泊まりするには十分な広さと快適さが確保された建物だった。
しかも避難所にはその当時全く未知のものだった風呂まである。
それだけではない。
この風呂は確かに入っても素晴らしいものだが、運営を村人達の手で行うことで仕事を生み出し、そこから得られる収入で村の復興に備えることまで出来た。
この仕組み自体は領主側の役人達の手で作られたものだが、そもそもの風呂を作るということを決めたのはアンディだというのだから、彼の目はどこまで見通していたのだろうと感動を覚えた。
その後、ビカード村に巣食っていたトレント変異種はアンディ達の手で討伐され、村の復興にかかる時間は大幅に短縮を見せた。
この時から、僕はアンディという人物に興味と憧れを抱き始めた。
ヘスニルの人に聞けばアンディのことは簡単に知ることが出来た。
街の未曽有の危機に際し立ち向かった英雄の一人に数えられ、領主が王都へと赴く際の護衛に抜擢され、ビカード村の危機を救い、そして新しい料理を広めた。
これだけでもちょっとした英雄譚が作られそうなぐらいだが、恐るべきはこれを成したアンディがまだ10を幾つか過ぎたぐらいの歳だということだろう。
「正直、僕らと同じ歳ぐらいとは思えないぐらいの偉業だとは思う。もしかしたらアンディには僕達が想像もできない秘密があるかもしれない。でも、アンディと過ごしてみると、少し変わってるけど普通の人だって分かったろ?」
「まあね。時々すごいバカなことをするけど、平穏に暮らしたいって本人も口にしてたし」
アンディもあれだけの才能を持っているのに、あそこまで無欲なのも珍しいと思う。
普通なら名誉とか栄光を求めるものなのに、本人はまるで興味がない。
むしろ料理を作っている時は本当に楽しそうにしているのだから、もしかしたら魔術師としての顔よりもそっちの方が本来のアンディなのかもしれないと思ったぐらいだ。
ミルタが言い出したことだが、こうして思い返してみると、アンディの正体を想像すると一種の不気味さのようなものを覚える。
ただ、その正体を知ったところで、僕達との関係が変わることは無いだろうとは思っている。
「色々とアンディのことで思うところはあるかもしれないけど、でもそれでアンディに悪い思いを抱くことは無いよ。僕達は友達なんだから、本人が言わない限りは追及しないし、たとえ知ったからってこれまでに築いた信頼は変わらないさ」
「むっ!ちょっと、ローキス。その言い方だとなんだか私がアンディを疑ってたみたいじゃない!私は別にアンディを不気味とか胡散臭いとか思ってないんだからね!」
「そりゃあ僕だってそうだよ。でもあの言い方ならそう捉えられても仕方ないって」
心外だと言わんばかりに声を上げるミルタを宥めつつ、ふと燭台の蝋燭が短くなっているのが見え、もうかなり夜も遅い時間になっていることに気付く。
「さて、それじゃあそろそろ寝ようか。ミルタは明日早いんでしょ?早く寝ないと起きれないよ」
「え?明日ってお店も休みでしょ?別に早起きしなくてよくない?」
キョトンとした顔でこちらを見てくるミルタに思わず溜息が漏れる。
「何言ってるのさ。明日はセレン様に呼ばれてマースとお茶をしに行くことになってるって…忘れてたの?」
「あ…あ、あぁーあれね。うん、そうそう、そうだった。セレン様と女子会だったね。もちろん忘れてなんかないよ、うん。……ハァ…」
妙に早口に言い訳染みた言葉を口にし、そして最後には肩を落として重い息を吐き出すミルタ。
この街の領主であるルドラマの奥方であるセレンに、パーラがいなくなったことで身代わりというわけではないが、寂しさを埋めて差し上げるためにミルタとマースが時々お茶をしに行くことになっている。
ただ屋敷に行ってお茶を飲んでお話をするだけのその集まりは、アンディが名付けた女子会という名称で呼ばれており、最初の頃はミルタも楽しそうに足を運んでいた。
だがある時からミルタはこの女子会に向かうのを内心で嫌がるようになっていた。
まぁ、内心を隠しきれてないのはミルタだからしょうがない。
どうもマースから聞いたところによると、普段からお転婆なミルタを見かねたセレンが女子会の度に色んな服を着せ替えして遊ぶようになり、最近ではマースも一緒になってミルタを着せ替え人形にしているのが原因らしい。
女子会がある日の前日は妙に気落ちしたミルタが見られ、その珍しい姿は僕からしたらなんだかおもしろい。
目から光が失われているミルタを部屋へと追い立て、今の片づけをしてから自分の部屋へと戻る。
壁を隔てた向こう側にいるミルタがたてる溜息と唸り声を聞きながら、今日の売り上げを紙に書き起こしていく。
一枚の紙に売り上げと仕入れに使った金額が書き込まれたのを見ると、自然と大凡の純利益が出てくる。
建物の減価償却費という概念を最初に聞かされた時は何のことかあまり理解は出来なかったが、こうして店をやってみるとその考え方になるほどと唸らされる。
これらを表にして一枚の紙にまとめるやり方もアンディから教わったが、これ一つとってもアンディの頭の良さというのがわかる。
やり方を覚えてしまえばこれほど使い勝手のいいものはない。
色々と書き物を片付けていると、壁の向こうから聞こえていたミルタの呻き声もいつの間にか消えているのに気付く。
いつの間にか眠ったようだ。
テーブルの上を片付け終わると同時に襲い掛かって来た眠気に逆らわず、いつもの寝間着に着替え、寝台へと移動して横になる。
明日はミルタが女子会でいないし、どうしようか。
久しぶりに一人で避難所の方に顔を出してみようかな。
ビカード村の復興の方に結構人も行っているが、僕の家族はまだ避難所に残っているから、ハンバーガーを持って訪ねてみよう。
瞼が自然に閉じかけた時、ふと思いだしたのは今の店が抱える人手不足の問題だった。
ヘスニルで有名な店となったおかげで客の入りは毎日好調だ。
その弊害で流石にそろそろ二人だけでは辛いことも出てきている。
アンディは全部決めるのは僕達だと言い切っていたので、僕達の手で人を探して新たに雇うことも考えなくてはならない。
繁盛していることで出てきたこの問題は、いつかのアンディ達が辿った通過点だ。
そのおかげで僕とミルタがこの店で働くことが出来るようになったのだから、今度は僕達がその問題を解決する番になったというわけだ。
この手のことは商人ギルドに相談した方がいいかもしれない。
近いうちにまた顔を出してみようかな。
そんなことを考えている内に思考は徐々に朧気に変わっていき、僕は深い眠りへと落ちていった。




