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世の中は意外と魔術で何とかなる  作者: ものまねの実


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とあるパーラの日常生活

今回はパーラサイドのお話です。

冒険者の朝は早い。

と言っても低ランクの冒険者にとってはという意味でだが。

高ランク冒険者がことさら遅いというわけでは無いが、冒険者というのは低ランク者が大多数として数えられており、どうしても依頼の方が少ないために奪い合いになってしまう。

本来であれば私もまだ黒ランクではあるのでこの奪い合いに加わるのだが、幸運にも店の給仕として働くことがあるのでそれほど切羽詰まって依頼を求める必要はない。

そういう点で私は恵まれている。


私は自然と朝早く目覚める質ではあるが、最近は新しく加わった同居人によって起こされることが多い。

いや、この言い方は正しくないか。

朝が弱いミルタを起こすために、ローキスがミルタの部屋のドアを叩いて呼びかける声が私の部屋にまで届くため、それに合わせるように私も起きるようになってきてしまった。


寝間着から普段着に着替え、部屋の外へと出ると、ミルタの部屋のドアを叩いているローキスとまずは挨拶を交わす。

「おはよう、ローキス」

「おはよう、パーラ」

このやり取りは毎朝のことで、相変わらずミルタは朝からローキスの世話になっているのを見ると、普段はミルタがローキスを引っ張っている印象だったが、最近はどうもローキスがミルタを支えているらしい認識に変わりつつある。


「アンディはもう起きてる?」

「いや、まだだよ。僕が起きた時にはまだ誰もいなかったから。今日は休業日だからもう少し遅くまで寝てるんじゃない?」

「ふーん。…あれ?じゃあなんでローキスはミルタを起こしてるの?」

せっかくの休みなんだから、ミルタももう少し眠らせてあげればいいのに。

「ほら、ビカード村の調査団が明後日出発するってアンディが教えてくれたから、僕らも一度村長の所に顔を出しに行こうって話になったんだ。これ、ミルタが言い出したんだけどね…」


そう言えば2人はビカード村の出身だったっけ。

それなら確かになるべく朝の早いうちから避難所に行けば、家族との時間も多く取れるだろう。

尚もミルタの部屋のドアを叩いて呼びかけるが、一向に起きる気配がない。


ローキスがこうして部屋の中に入らないのには理由がある。

以前どうやっても起きないミルタに痺れを切らして室内に入ったローキスだったが、それがミルタの逆鱗に触れたらしく、ひどく怒ったミルタによって頬に真っ赤な手形を作ったことがあった。

以来、ミルタが眠っている室内に許可なく入室を禁じることを厳命させられてしまい、こうして部屋の外から呼びかけるだけとなっていた。


少しやりすぎじゃないかとミルタに言ったことがあるが、どうもローキスに寝顔を見られるのが恥ずかしかったらしく、そっぽを向いたまま口を尖らせて白状した。

私は赤の他人ならともかく、アンディとかに寝顔を見られるのは恥ずかしくないが、その辺の感覚は人それぞれなので軽く宥めるだけにしておいた。

この2人の関係が続く限り、この朝の光景は恐らく変わらないのだろう。


―んにゃぁああー!

いよいよもって私がミルタの部屋に入って起こすのを提案しようとしたその時、ドアの向こうから猫の鳴き声のような物が聞こえてきた。

声はミルタの物だが、別に何か問題が起きて上げた物ではない。

実はこの声は二度寝しないように、目が覚めてからまず上げる気合の声だとミルタは言う。

なぜこんな猫のような声になるのかは、本人を含め誰もわからない。

「あ、起きたみたい」

「私が起こす必要も無かったね。んじゃ私はギルドに行くから」

「うん、いってらっしゃい。…あ、そうだ。居間のテーブルの上にサンドイッチが用意してあるから、持ってきなよ」


背中にかけられるローキスの言葉に短く礼を言い、テーブルの上に置かれているサンドイッチを一切れ口に咥え、もう二切れを片手に持ってギルドへと向かう。

サンドイッチを食べながら小走りで移動しながら近所の人達からの挨拶に返事を返しているとあっという間にギルドに着いた。


朝も早くから賑わうギルド内では、冒険者が依頼を奪い合う様に掲示板の前でひしめき合っている。

私は体格の小ささを生かして、人混みを縫うようにして掲示板のすぐ前まで辿り着き、依頼を一通り見てみたが、どれもいまいちなものばかりだったので、早々にその場を離れ、適当なテーブルに座って一息つく。


なるべく近場で済む依頼が欲しかったが、そういうのはやはりすぐに他の冒険者が取っていくので、私が来た時にはもうほとんど残ってはいなかった。

仕方ないので今日は依頼を受けずに、ギルド併設の訓練場で軽く体を動かすだけにしよう。


訓練場への入り口で木剣を一つ拝借し、既に中にいた顔見知りの女性冒険者の何人かと簡単に挨拶を交わして、空いている案山子の前に移動する。

ボロボロの革鎧を巻かれ、使い古された様子の案山子に正対すると、まずは剣で斬りかかる。


人間に見立てて首・脇の下・太腿・踵と順番に剣の刃を滑らせるようにして斬っていく。

大人に比べて力が劣る子供の私でも、敵を確実に仕留めるために太い血管が通っている部分を狙うのと同時に、動きを鈍らせるために足の腱を狙う。

そして相手からの反撃があったと仮定して、左右へ体を揺らしながら縮こまり、後転しながら案山子から距離を取る。

腱を斬られた相手は立ち上がることが出来ないので、こちらに近付けないままその場で出血を強いられ、放っておくだけで死ぬ。


という感じで戦闘は推移したと仮定したところで、構えを解く。

実戦はこう上手くいくとは限らないが、それでも体に覚え込ませておくだけでも、いざその時になって動きが鈍るということは少ない、とはアンディの言である。


これらは何らかの理由で魔術が使えない状況でも戦うための方法であり、同時に自分がどこを優先的に守るかを意識するための練習だ。

人間を相手にした時、向こうの弱点はそのまま自分の弱点にもなるので、こうして攻撃をするとともに防御の方法も考えておけと、これもアンディに教えられた。


敵は人間だけとは限らず、動物から魔獣まで相手をすることもあるので、人型の案山子とは別の四足で佇む案山子にも斬りかかる。

こちらも先ほど同様、太い血管を狙うのだが、四つ足の生き物というのは人間とは違って高速で移動するものが多い為、最初に足を狙って動きを鈍らせるのが有効だと別の冒険者に教わった。

相手がまっすぐ私に迫ってきていると仮定し、左斜め前方に姿勢を低くしながらすれ違いざまに前足と後ろ足の通過する場所に剣を置くようにして通り過ぎる。


実際は私だけが地面に倒れ込むようにして案山子の足に剣を当てただけだが、実戦を想定すると敵の足の半数に傷を負わせることが出来たので、機動力はかなり削ぐことが出来たと判断し、あとは止めとして肩のあたりから心臓の位置に剣先を差し込むようにして突き立てる。

もちろん木剣であるし案山子も全身が木で出来ているため貫通しないので、あくまでもそうなったと仮定するだけだが。


剣でのやり方はこれぐらいにして、次は魔術を使った訓練をする。

右掌に発動した風魔術は、球状に空気の塊を圧縮したもので、このまま対象に叩き付けるだけでも十分な威力があるのだが、アンディ監修の元、一工夫加えることでさらに威力が上がると教えられた。

球体内の空気を高速で乱回転させることで、球の中に小さな嵐が生まれ、それをさらに圧縮させることで効果範囲を狭め、無駄な破壊を生み出さずにその威力を集中させることができる。


仕組みと効果は分かっているのだが、これがなかなか難しい。

アンディが水魔術で生み出した水球を使って手本を見せてくれたが、それでもまだまだ完成までは程遠い。

現に今、手にある空気の球の内部をかき混ぜるようにして動かしているが、空気の渦はまだまだ激しさが足りないせいで威力不足、おまけに形を維持するだけでもかなり集中力が必要で、これを実戦で使うには実用的ではない気がする。


先程の獣型の案山子に、右手に発動させたその魔術を一気に叩き付ける。

掌で空気が破裂する手応えがあり、辺りにバシューっという音が響き渡った。

一瞬で辺りに舞った砂埃が風に流されると、たった今攻撃した案山子には微かな抉れた跡が残り、その跡の周りに引っかいたような細い傷が走っている。

この傷は余計な力が他に逃げた証で、完全に威力を目標の場所に留めたとは言えず、期待していた結果にはたどり着けなかった。


とはいえ、これでも生き物が相手であれば十分な威力があるので、当たればデカイ一撃だと自分を慰めることは出来る。

アンディにそう言うと志の低さを説教されるかもしれないので、あくまでも胸の内に収めるだけだ。


訓練を切り上げようと振り返ると、その場にいた冒険者たちの目線が私に集中していた。

少し派手にやりすぎたかと反省。

そそくさとその場を立ち去ろうとする私に、知り合いの女性冒険者が声をかけてくる。

訓練が終わったなら少し話をしようということだったので、一緒にギルドの中に入りテーブルを一つ占拠した。







「―んで、あんまりしつこいから『あんたが貴族にでもなれたら抱かれてやる』って言ってやったわ」

「それって絶対いやってことじゃないの。可哀想じゃない。一回ぐらい相手してあげたら?」

「そうねぇ…。せめて黄ランクぐらいには上がったら考えてもいいかな」

「確かそいつって今黒1級だっけ?」

「どっちにしろ難しいことには変わりないわね」

笑いあいながら世間話に花を咲かせるのは私を含めた四人の女性冒険者達で、今は言い寄って来た男性冒険者をあしらった時の話をしているが、どちらかというと私は男性の方への同情の思いが強くなるのは間違っているのだろうか?

ただ内容自体は大人の女性の話という感じなので興味深く聞ける。


「もう少し大きくなったらパーラちゃんは絶対美人になるからね、男に言い寄られても自分を安く見せちゃだめよ?」

「え、あ、うん。気を付けます?」

ただ聞くだけだった私に突然話を振られ、不意を突かれて思わずそう言ったが、実際その時になったらどうすればいいのか想像できないので、疑問の色が混じった答えになってしまった。


「まあでもパーラちゃんにはアンディがいるしね」

「そうねぇ。あの子はきっと大物になるから、一緒にいるパーラちゃんに粉かける人間もそうそう出ないんじゃない?」

確かに皆の言う通り、アンディは普通とは違うところが多いから、もしかしたら貴族とかになっちゃう気がする。

「あぁ…そうかも。…パーラちゃんはアンディのこと好き?」

急にアンディのことを聞いてくるが、特に迷いなく答える。

「うん、好きだよ」

これは私の偽らざる本心だ。


「へぇ!どんなとこが?」

今度は向こうが興味津々といった様子で、テーブルに身を乗り出すようにして耳を傾けている。

なんだか熱気を感じた。

「優しくておいしいご飯を作ってくれるから」

そう言うと一気にその場の空気が冷めていくような錯覚を覚える。


「…うん、まあまだ子供だしね…」

「そう言う感じの好きかぁ」

呆れ交じりの達観した様子で溜息を吐かれてしまった。

勿論男の子としてのアンディは好きなのだが、それをこんな大勢の前で言うのはなんだか恥ずかしかったので、さっきのような言い方をしただけだ。

それに言ったら言ったで絶対イジられるのは分かり切っているから、この人たちの前では本心は絶対に言わない。絶対にだ。


「あぁ、そんな不安そうな顔しなくていいのよ。勝手にこっちが盛り上がっただけだから。そのうちパーラちゃんも分かる時が来るからね」

そう言って頭を撫でられる。

何か子ども扱いが過ぎる気がしたが、頭を撫でられるのは嫌いじゃないのでされるがままにしておいた。


ムム、中々撫で方が上手い。

これは脱力した息が出てしまう。はふん。

「あらやだ。可愛い」

「ほんと、猫みたい。よーしゃよしゃよしゃ」

何故か撫でる手が増えた。







ギルドを後にして家に戻ると、なぜか店の厨房にローキスがいた。

今日は休みのはずだが、何をしているのか聞いてみる。

すると、今度出す新メニューを考えているのだという。

これから暑くなる時期を見越した新メニューを開発するとアンディが言っていたのは覚えているが、それを今ローキスが一人でやっているのは何故なのだろうか。


「ねぇローキス、アンディは?一緒にやってないの?」

「さっきまで一緒だったけど、セドさんが来て詰め所に連れてかれたよ」

「連れてかれた?アンディなんかやったの?」

ヘスニル守備隊の隊長セドが直々に連れて行ったとなると、よっぽどだろう。

「違うよ。アンディに手伝ってほしいことがあるからって。罪人として捕まったわけじゃないから安心して」

なるほど、アンディは常連客であるタッドと仲がいいし、以前ちょっとした騒ぎを起こした縁でセドとも顔見知りだと言っていたから、そういうことがあってもおかしくはないかも?


どうやら深刻な事態になっているわけでもないようなので、暇をつぶすためにもちょっとアンディを追いかけてみよう。

「ちょっと私も詰め所に行ってくる」

踵を返す私の背中に、ローキスが待ったをかける。

「あ、ちょっと待って!ついでにアンディの分の昼食も持って行って。向こうでパーラも一緒に食べてきたらいいよ」

「ん、了解」

カウンター越しに手渡された籠を受け取り中身を見てみると、朝に食べたのとはまた違う種類のサンドイッチと、木の皮で作った入れ物に入ったフライドポテトが入っている。

ちゃんと2人分あるのを確認してから店を出て、アンディと一緒にどこで食べようかと考えながら詰め所へと向かった。


詰め所に付くと私の姿に気付いた衛兵の一人に中へ通され、勧められた椅子に座って待っていると、いくつかあるドアの一つが開いてセドがやってきた。

「やあパーラ。君が詰め所にくるということは、目的はアンディだろう?」

「うん。ローキスからアンディがここに行ったって聞いて、お昼を届けに来たんだけど、いい?」

手に持った籠を目線の高さに上げて、昼食の存在をセドに示す。

「あぁ、そうか。昼のことを考えてなかったな…。実はアンディには仕事を手伝ってもらってるんだが、今は別の部屋にいるんだ。呼んでくるから少しここで待っててくれるか?」

「あ、ちょっと待って」

そう言って今出てきたドアへと戻ろうとするセドを呼び止める。


「アンディのしてる仕事を見てみたいんだけど、ダメですか?」

守備隊の詰め所で、しかも隊長のセドが直々に呼ぶほどの重要な仕事をしているとは思うが、無理を承知で頼んでみる。

もしかしたら私なんかが首を突っ込んでいいことじゃないかもしれないが、ただ待っているよりもアンディが何をしているのか見てみたかった。

「うーむ…本当は部外者をあまり関わらせるのはよくないんだが、…まあ今更か。見るだけならいいだろう。一緒に来るといい」

拍子抜けするぐらいにあっさりと同行が認められ、ドアの向こうへと歩みを進めるセドの後を追った。


石造りの通路を歩きながら、今回アンディに頼んだ仕事のことを話してくれた。

少し前に夜の酒場で暴れた男を守備隊が捕縛したのだが、この男がどうも貴族の従者である可能性が出てきた。

その身元を探ろうとするが、取り調べに協力的ではないため、ほとほと困り果てていたのだそうだ。


「別に身元を知らなくても罪は問えるんじゃないの?」

「普通はそうなんだが、これが貴族が関係しているとなると少し事情が複雑になる。ヘスニルの領主であるエイントリア伯爵家よりも家格が低ければさほど問題ないが、それでも貴族の従者を一言の断りもなく罰したとなると、あとで何を言われるかわかったもんじゃない。もちろん、罪は罪で裁かれるが、それでも相手に知らせるぐらいはした方が揉めることも少ないんだ」

こちらからはセドの顔は見えないが、それでも声からはうんざりしているのが感じられる。


ヘスニルを治めるルドラマと友好的な貴族家であれば、それを盾に配慮を求めるだろうし、敵対している貴族家ならそれを口実に嫌がらせぐらいはしてくる可能性も無いことも無い。

やっぱり貴族というのは面倒なんだなぁ。私、平民でよかった。


そして、その男の口を割らせるのに今回アンディに協力を求めたのだそうだ。

なぜアンディに協力を?と思ったが、聞くと以前アンディはアプロルダの卵をヘスニルに持ち込んだ犯人を言葉巧みに誘導して自白させたという。

あぁ…、アンディは確かにそういうの得意そう。

それを知っていたセドが今回もアンディにその男の口を割らせる協力を頼んだということだった。

一応衛兵以外にも、冒険者や市民にも協力を仰ぐことはあるが、実際にこうして尋問を任せることはあまりないそうで、それだけアンディ個人を買っているということになる。


「さあ着いたぞ。あくまでもパーラは私に付き添ったというていを装うんだ。くれぐれも騒がないようにな」

「了解です、隊長殿」

ビシッと胸に水平にした腕を当てるという、本来は騎士の礼だがこの場のノリでやってみた。

セドの苦笑を引き出したが、すぐに表情は厳めしいものへと変わり、ドアの取っ手に手を伸ばす。

すると、それと同時にドアの向こうから男の悲壮な声がと聞こえてくる。


―やめろぉ!それ以上はやめてくれぇい!

―ええ、すぐにやめますよ。あなたの身元を明らかにしてくれれば。…さあ、親指と人差し指はもう終わりましたから、次は中指にしましょう。

―ひぃ!待て!わかった!言う!言うからもうやめ―

―おや、そうですか…つまらないですねぇ。まあ中途半端なのはいやなんで、爪の方はやってしまいましょう。

―うぉおおおぉおっ!


「…セドさん、中では拷問が行われてるみたいですけど?」

聞き覚えのない男の声と、アンディの楽しそうな声が聞こえてきたが、男の声は恐怖の色に染まっており、とても普通の尋問が行われているとは思えない。

「いや、平時の拷問は国法で禁じられているし、ちゃんとそうアンディに言ってある。これは拷問の声じゃないんだが、…まあ見ればわかる」

指や爪をどうこうとかどう聞いても拷問をしているとしか思えないのだが、セドは違うと言うし、とにかく見てみるしかないかと覚悟を決め、セドが開けるドアの向こうの光景を、僅かな覚悟を抱いて見つめる。


「よし、出来ましたよ。どうです、綺麗なゲンゲでしょう。親指の月と併せて儚げな風景という感じが演出できてますね」

「はぁ…はぁ…はぁ…」

そこでは椅子に縛り付けられ、ひじ掛けに乗せられた腕を固定された状態で荒い息を吐く男と、その男の爪に何やら器具を当てて作業をしているアンディがいた。

やはり爪に対して拷問をしているのかと思ったが、よく注目すると爪には出血や傷のような物は見られず、それどころか綺麗な月と白い花をあしらった模様が描かれていた。

それは芸術には疎い私から見ても、実に繊細で美しいものだった。


「わぁっ、凄いキレイ。アンディ何これ?」

「お?パーラか。なんだ、来てたのか」

思わず駆け寄って男の爪に顔を近づけてしまった私にその時初めて気づいたようで、アンディが少し驚いたような顔になっていた。

大方詰め所に私がいることに驚いているのだろうが、そんなことよりもこの爪のことを聞くべく、説明を求めた。


「これはネイルアートっていうんだ。爪に粘着力のある液体を塗って、その上に細かい石とか色付きの砂とかを載せて絵を描くんだ。どうだ?女の目から見て」

「女らしさが引き立てられる感じで、凄く魅力があるね。でも男がやるのはどうかと思うよ?これ、本当は女性向けなんじゃない?」

「正~解~。そう、これは本来女性がするお洒落なんだよ。男がするにはちょっと…ね」

やっぱりそうなんだ。

私も化粧とか色々と見てきたけど、爪にこういうことするのは初めて見た。

アンディはこういう発想をどこから…―


「…女らしい…俺が…」

爪の主が呟いた言葉につられて顔を見て気づいたのは、この男性の目が虚ろなものになっていることだった。

確かに爪に何かされてはいるが、これは痛みがあるわけではないだろうに、なぜそんなに憔悴しているのか理解が出来ない。

そんな風に思っているうちに、アンディがセドと何やら小声で話すと、私を連れ立って部屋を出ることになった。


部屋の外でアンディから話を聞くと、あの男と会話をしてみたところ、どうも男らしさというものを自分の芯に据えている、極端な男尊女卑主義者のようだったので、自白を引き出すためにまずはそれを砕こうと考え、女性向けのお洒落だということをしっかりと説明した上であのネイルアートを施した。

当然、最初は何ともなかったのだが、徐々に爪に描かれていく内に段々と焦る様に騒ぎ始め、完成した絵をアンディがひたすら女性的だと褒めることでさらに男を追い詰めたが、止めになったのは私が言った言葉だったそうだ。


子供とはいえ女の私の口から綺麗だと、女性向けだと言われたことで男の持つ、男たるものかくあるべしといったものが崩れたのだそうだ。

あとはセドが引き継ぐだけで必要な情報は聞き出せると判断したので、私を連れて部屋を出たということだ。


こうして聞いてみると、またアンディが変なことをしていると思ったが、それでもちゃんと結果は出せている以上は有効な手段だったとわかる。

だが手放しで褒めるには少しの抵抗を覚えるのはなぜだろうか。

効果的でしかも効率のいいやり方だとわかってはいるが、それでも常識的かと言われると違う気がする。

そんなやり方を考えつくアンディは、頭のいい変人というのが評価としては合っている気がする。

これを言えばアンディは落ち込むだろうから、私の胸の中にだけ収めておこう。

でもアンディに関わった人間は多分みんなそう思っていると思う。


その後は一応セドの尋問が終わるのを待つために、詰め所の休憩室で持って来た昼食を一緒に食べ、無事に男の身元を引き出せたとセドから聞いた私たちは一緒に帰ることにした。

「ねえアンディ。あのネイルアートってやつなんだけど、私にもやり方教えてよ」

「んーまぁいいけど。なんだ、パーラもお洒落に目がないようになってきたな。うんうん、いいことだ」

笑顔で頷いているアンディだが、残念ながらネイルアートを施すのは私にではない。

とは言えそれを言っては今の嬉しそうなアンディの顔が消えてしまう気がするので黙っていよう。


茜色が顔をのぞかせ始めた空の下、久しぶりに2人きりで歩く道は、なんだかすごく懐かしいような、それでいて落ち着かないようなそんな不思議な気持ちにさせる。

ただこの気持ちは嫌なものじゃない。

むしろ嬉しいような、そんな感じがする。






「へぇー。いいわね、これ。今まで爪には顔料を塗るぐらいしかしたことがなかったけど、これならすごく見栄えがいいわ。パーラちゃん、あとでウチの使用人にもやり方教えてもらえるかしら?」

「セレン様、教えるのは了解しましたから、指を動かさないでください。ちゃんと描けませんよ」

後日、お茶の席に呼び出された私は、アンディから教えてもらったネイルアートをセレン様の爪に施してみた。

まだそれほど細かく絵が描けない私だが、それでも猫の顔や肉球、月に花といったものは練習の末、何とか書けるようになっていた。

今回は右手の親指から始まって小指へと、朝から夜に変わる時間の推移を模した月と太陽の変化を描いてみた。


そのネイルアートはセレン様に大好評で、先程からいろんな角度で爪先を見て微笑んでいる。

喜んでくれたようで私も嬉しいが、今現在左手の爪に取り掛かっている私にしてみれば、あまり動かされると変にかいてしまいそうなので、喜ぶにしても動かないようにしてほしい。


今のところネイルアートを施したのはミルタとマースだけで、いずれも喜んでくれたが、セレン様のような貴族の女性にはどうなのかというのを確かめるためにも、今日のお茶会でこの話を持ち掛けてみた。

結果は非常に手応えを感じており、これなら他の女性にも受け入れてもらえそうだ。


このネイルアートは爪の上に極小さな宝石なんかも張り付けることができるとアンディは言っていたので、貴族の女性を相手にはそれを選択肢として提示するのもいいだろう。

その辺りは出せる金額で差別化を図れるし、素材を持ち込んでくれれば手数料だけを取ってもいいかもしれない。

とりあえず手始めに冒険者ギルドで女性冒険者相手にちょっとやってみて、反応を見てみよう。

女性冒険者は職業柄、化粧っ気が薄いので、ネイルアートなんかは目新しさもあって興味を持ってくれると思う。


「あ、パーラちゃん。それ終わったら足の爪もやってくれる?」

…足の爪?

なるほど、そういうのもありかも。

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