9話 それでも僕は愛してる
奥様の名前はアリス。旦那様の名前は竜斗。
ごく普通の出会いをし、ごく普通の恋をした二人でしたが、一つだけ、回りとは違う事がありました。
そう、奥様はリングア・グルット。宇宙人だったのです……。
いやいやいやいや! 待て待て待てぇい! という感想を抱いた人は、是非とも僕と握手をしよう。仲良くなれる気がする。
取り敢えず、強烈すぎるカミングアウトの末に僕がとった行動は、その場に立ち尽くすこと。これしか出来なかった。混乱する僕の心情を察したように、アリスは何処か悲しげに笑う。長い長い舌を隠しもせず、僕からのどんな言葉も受け止める。そんな空気が見てとれた。
毅然とした。それでいて危うくも儚い佇まい。
それを見ていたら、僕の頭はいつのまにか冷静さを取り戻していた。
「私たちはね。悪食で有名なの。有機物であれば、基本何でも食べられちゃうし、好き嫌いもなく消化できてしまう……そんな生き物よ」
淡々と、自分をそう評するアリスに、少しの壁を感じる。
もしかしたら、話した事で、彼女の中の何かが変わってしまったのかもしれない。
そんな一抹の不安を抱えながらも、僕は今までの事を振り返っていた。
そもそも、いくら味覚があれでも、僕が毎回昼休みにトイレに駆け込むような凄い……。いや、個性的な料理を、彼女も同じように食していた。この事実が問題である。
洗剤だって普通に使ってた。
錬金術みたいな課程を経て出来たお味噌汁。生ハンバーグに、何か凄い色のシチュー。会社の皆をノックアウトさせたミネステローネ。極めつけは僕の宿敵、カキフライだ。
鋼鉄の胃袋(自称)の僕が、新婚生活二週間でダウンしたのだ。同じものを食しているアリスがピンピンしている点がおかしかったのである。
「私の先祖達は、結構な昔からこの星に集団で降り立ってるの。地球は美味しいもので溢れてるから……。美味しいもの足す美味しいもの。で、凄く美味しいもの。それが私達の理念よ」
いや待て。その理屈は何かおかしい。例えばカレーとシチューを混ぜたら? 焼き肉とアイスを混ぜたら? ラーメンにオムライスをぶっ混んだら?
凄く……エグいです。胸焼けするに違いない。
僕の考えが顔に出ていたのだろうか。アリスは悟ったような顔で僕を見ていた。
「そう、なのよね。私達と人間は違う。分かってはいたわ。だから、人間の料理を覚えれば大丈夫。そう思ってた。けど……今まで外食以外はお母さん――。同じリングア・グルットの料理を見て、食べていた私が、普通の料理なんて、出来る筈もなかった……」
突然だが、料理下手特有の二つの不足分をご存じだろうか?
まずは、技術不足。
語るまでもない。作り方を知らなければ出来ないのは当然だ。だが、これは勉強すれば問題ない。
だが、そこに技術不足な人が陥りやすい要素――。レシピ無視というとんでもないものが紛れてくる。
さぁ、考えてみよう。料理方法が分からない。材料が分からない。調理器具の使い道も分からない
基本がなってないにもかかわらず隠し味などのアレンジといった応用に走るのだ。
隠しきれぬ隠し味とはよく言ったものだ。
二つ目にして最後。常識の不足。
前者の不足分以上に大きなウエイトを占める原因であり問題だ。
食材を洗剤で洗う。
入れすぎた調味料を別の調味料で中和させる。
等が代表的な例だろうか?
普通なら、米は洗剤で洗えない。何故なら洗剤は食べられないから。といった考えに行き着くだろう。
だが、この手の人にはそれが通用しない。
お米の炊き方を知らない。だけならばまだしも、洗剤を食べたらよくないという事を知らないのだ。
大学時代にサークルでキャンプに行った時の事。飯盒に、野菜洗いに事あるごとに洗剤を混ぜようとした女の子がいたことを思い出す。
「だって綺麗に洗わなきゃ」が、彼女の言い分だった。
……あの子は今頃一体どうしているだろうか?
「アレンジしちゃうの。どうしても。竜斗がそれでも美味しいって言ってくれたのをうのみにして。本当は苦しかったんでしょう? 辛かったんでしょう?」
そんな回想やら考察に耽っていると、アリスはうつむきながら、震える声を絞り出す。
僕はただ、それを離れた所で……ただ見ているわけはない。
「……え?」
驚いたように、身体を強ばらせるアリス。
駆け寄って、抱き締めてみて。改めて認識するものというべき事がある。
僕を越えるまでは行かなくとも、女性として高身長に分類されるであろう背丈。
優しい石鹸のような香りと、ビックリするくらいに柔っこい身体。
でも、そんなこと以上に込み上げてくるのは、ただ溢れんばかりの愛しさだった。
「アリス。はっきり言うよ。君の料理は……不味い。ああ、そうとも。驚くような不味ささ」
僕の言葉に、アリスの身体は小刻みに揺れる。それは、きっと恐怖だろうか?
僕にさよならを告げられる事への恐怖。――もしそうだとしたら、この状況で何をと言われるかもしれないが嬉しいの一言に尽きる。
だってそうだとしたら、彼女は僕と同じ気持ちだろうから。
「けど、不思議だよね。食べる度に身体は悲鳴を上げているのに。お昼休みなんか毎回毎回トイレに駆け込んでいるのに。僕はね、信じられないかも知れないけど、心底君の料理が〝嫌だ〟と思った事は、一度たりともないんだよ」
息を飲む気配に答えるように、僕は抱き締めていた妻から、そっと離れる。潤んだ瞳が、僕を見上げていた。
「だって嬉しいじゃないか。他ならぬ君が、僕の為に作ってくれたんだよ? 嫌なはずない」
「……不味くても?」
「不味くても」
迷いない僕の答えに、アリスはスンと鼻を啜る。
僕とは裏腹に、彼女の目には迷いがあった。
「でも……ダメよ。私は……こんなのだから。今はいいわ。けどいつかきっと……竜斗は私が嫌になる。ズレが出来るわ……。竜斗にそれを告げられるのが……」
私は怖い。
ポツリとそう呟くアリスに、僕は否定するまでもなく頷いた。
僕は人間で。正直信じがたいけど、アリスは宇宙人。ズレはあるだろう。
現にこうして、僕らは妙な事になっている。
だけど……。
「ねぇアリス。僕らは何だい?」
謎かけでも何でもない問いに、アリスは息を詰まらせる。
シンプルな答えなのにな。何て思いながら、僕はそっとアリスの頭を撫でる。
「君は、そう、調味料やら材料やらを間違えた。僕は僕で、夫として間違った配慮をしていた。互いにもっと話すべきだったんだ」
だって僕がお腹を壊して倒れた時、アリスは悲しんでくれた。
悲しむアリスを見るのが、僕は辛かった。
「互いにいい所は知っていこう。悪いとこは言い合おう。僕らは……夫婦なんだから」
たとえ料理が不味くても……。
たとえ妻が宇宙人でも……。
それでも僕は、アリスを愛しているのだ。
※
とある街の高台で、抱き合う奇妙な夫婦がいた。
妻は黙っていたら凄い美人なのに、今や恥も外聞もなく、子どものように泣きじゃくっていた。
びぇええぇん! 何て、おおよそ漫画でしかお目にかかれないような叫びを上げて。
見るからに普通なスーツの男は、それを優しく抱き止めて。……顔が蒼いのは、何かに耐えているからなのかはわからない。
何があったのかは、当人達にしかわからないだろう。
だがそれでも、一つだけ言えることがある。
夫婦はとても、幸せそうだった。