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8話 隠しきれない隠し味

 結婚するときの話だ。アリスのお父さんに挨拶に行った時の出来事は、今も覚えている。

 英国紳士を絵に描いたかのようなカイゼル髭のお義父さんは、僕を見るや否や顔面蒼白でアリスを見て、ただ一言。


「――正気か?」


 そう言ってのけた。


 直後、アリスの怒号やらアリスのお母さんの背負い投げやらがお義父さんに決まっていたりしたが、それは大した事ではない。

 ただ、分かっていることが一つ。

 多くの人が祝福してくれたアリスとの結婚。

 だがそれに対して、唯一難しい顔をしていた人こそ、アリスのお父さんだ。


「君は本当にあの子でいいのか? 君は全て知っているのか?」


 今だからこそ、気づく。お義父さんは、あろうことか娘のアリスではなく、僕を心配していたのだ。


 いつかこうなることを、予見していたのだ。

 僕がアリスの、全てを知る時。

 何かが、決定的に変わる――。と。


「思い出に浸ってる場合じゃないか……」


 街角で、小さくため息をつく。

 探しに探した。


 まずは僕達の家。

 二人の行きつけの喫茶店、『モチモチの木』

 アリスが大好きな雑貨屋さん。

 近くの公園。

 最寄り駅。

 

 だが、愛しの妻の姿は見えず。

「て、バカか僕は」

 そこまで来て、僕はようやく思い至る。夫婦が喧嘩(?)したら、どちらかが実家に帰るのが相場ではないか。

 すぐさまアリスの実家に連絡しようと、スマートフォンを取り出す。

 そこで、僕ははて。と、硬直した。

 思い浮かぶのは、アリスが最後に漏らしていた言葉だ。


「やっぱり……お父さんが言った通りになって……違うって。きっと大丈夫だって……バカだ……もう少しで……竜斗を……」


 少しだけ考えて、僕は走り出した。もしかしたら……。

 日は傾きかけていた。もうすぐ夕焼けが見えるだろう。暗くなる前にはどうにか見つけたい。

 祈るような心境で、僕は再び走り出した。


 ※


 とうとう来てしまった。

 そんな心境のまま、私はため息をついた。

 思い出すのは、初めて夫――。竜斗と出会った時。

 なんてことない、偶然だった。行きつけの喫茶店で出会い、最初はただの他人。ただ、何度も顔を合わせるうちに自然と話すようになって、気がつけば恋に落ちていた。

 竜斗は正直一目惚れだったと私に言うけど、私だってそう。魅了されたのだ。彼の鎖骨のラインに。……これは夫には内緒だが。

 ともかく、互いに一目惚れな形で始まり、見事にゴールインを果たした私達ではあったけど、それはまだスタートラインに過ぎなかった。

 だって、私はまだ、彼に全てを話していない。私が抱える事情というやつを。

 彼といると楽しくて、幸せで。だからこそ怖かったのだ。

 全てを知られたら、何もかも壊れてしまいそうで。

 彼から離れたくなくて。結果は、この有り様だ。

 もしかしたら、取り返しのつかないことになっていたかもしれないのに、私の下らない保身のせいで……。

「竜……斗……」


 嗚咽混じりに、大切な人の名前を呼ぶ。ここは、私にとっては特別の場所だった。彼は覚えていないかもしれないけど、ここは……。


「懐かしい。お付き合いする前に、一緒にここに来たことがあったね。モチモチの木のコーヒーをテイクアウトして、君に導かれるままにここへ」


 背後から聞き覚えのある声がする。優しくて暖かい声。

 ぶわっと涙が更に溢れそうになるのを必死に堪えた。


「モチモチの木でコーヒーを飲んで、テイクアウトにもう一杯。そうしてこの場所に来るの。町全体を見る事が出来る、この高台に。私のお気に入りの場所よ。案内したのは……竜斗が初めて」


 涙を袖でぐしぐし拭うと、後ろからは「光栄だね」と、何処か誇らしげな呟きがもれた。ゆっくりと振り返る。

 高台を吹き抜ける風が、私達を隔てていた。対峙しているのは、愛しの旦那様。


「やっと見つけたよ。アリス」


 スーツ姿。いつも見慣れているはずのそれは、何だかまるで別のもののように見えた。覚悟を決めた、男の人の姿。それを感じた時、私は静かに決意した。


 取り乱した。

 頭も冷えた。

 彼に、全てを話そう。


 それが全てを壊すものであっても、私はどんな運命だって……。


「竜斗……話したいことがあるの」

「奇遇だね。僕もだ。どちらかというと確認だけど」


 こうして、戦いは始まった。

 何か微妙に違う気もするけど、これって夫婦喧嘩に入るのだろうか?


 ※


 アリスお気に入りの場所。僕ら住むの街が一望できる高台。

 夜景として楽しむもよし。昼間の街並みをアフターヌーンティーと共に眺めるもよし。隠れた名スポットだと僕は思う。

 何となく思い浮かんだ、付き合う前の思い出にそって来てみたら、ビンゴだった。

 僕に見えないように涙をぐしぐし拭うアリスの可愛さに身悶えしそうになりながらも、僕達は話し合う。

 ちょっとズレているかもしれないが、これは初の家族会義というやつなのだろうか。


「アリス。これから僕の推測を話すよ。もしかしたら、失礼な事を言うかもしれない。先に謝っておく。君は――」


 考えていた。アレだけの料理を作る本人。味見はどうしているのか。

 大抵の料理をしたならば、味見はするだろう。それが美味しく出来たか。味は濃いか、薄いか。色々な理由で。

 だが、それをして尚、出てきたものが個性的な味だったなら? 答えは、自ずと出てくる。


「自覚があるかどうかはわからないけど、味覚障害……その中でも、〝異味症〟と、呼ばれるものがある。アリス。もしかしたら君は、それなんじゃないのかい?」


 僕の言葉に、アリスの目が大きく見開かれる。

 味覚障害。

 原因は主に亜鉛不足やストレス。薬の副作用などさまざまだが、思いの外、これに苦しめられている人はたくさんいる。

 一くくりに味覚障害といっても、その症状にも色々とあり、何を食べても味を感じない。何を食べても不味く感じる。甘さ、辛さ、酸っぱさ、塩辛さ。そのうちどれかだけ全く分からない。甚だしいものでは、何も口に入れていないのに、何らかの味を感じてしまうものまでいると聞く。

 そんな中でも珍妙なのが、僕が推測した味覚障害の一つ。異味症だ。

 読んで字のごとく、本来ならば甘いと感じるはずのものが、全く別の味に感じられてしまう。

 極端な話だが、ご飯を食べているのに味はパンだったり、味噌汁がコーンスープの味になったりと、色々なものがあべこべになってしまうのである。


 アリスは、いつもニコニコしていた。味がなくて、虚無に陥る訳でもなく、何もかもが不味くて苦虫を噛み潰したかのような顔になるわけでもなく。

 外食だって僕とご飯を食べるのが嬉しいというように笑ってたし、それは僕ら夫婦で囲む食卓でも同じ。

 では、どうして? 

 こうは考えられないだろうか?


 アリスにとっての美味しい味が、あの料理だとしたら?

 味見して、彼女にとっての最高の出来が、あの味だとしたら?


 そう考えるのが、自然なのだ。


「……アリス。君は、君の舌は人と少し違う。そう考えれば、辻褄が合うんだよ」


 僕の言葉に、アリスはうつむいている。が、やがて、彼女が小さく頷いた事で、僕は答えを得た。


「竜斗の言う通りよ。おかしかったのは……私」


 自重するように、アリスはそう告白する。涙の浮かんだ瞳が僕を見る。

 止めてくれ……。そんな何もかもを諦めたような目は止めてくれ。

 別の味に感じる? それが何だというのだ。僕は――。


「アリス。よく聞いて。軽く調べたんだ。味覚障害は、治すことが出来る。一生そのままな重いものもあるけど、他にも色々やりようは……」

「違う。竜斗、ごめんなさい。先に私の話を聞いて。あのね。舌が違うのは認めるけど、私は竜斗の言う、みかくしょうがい? ではないの」


 ……え?

 たっぷり数十秒間、僕の中で時間が止まった。僕が固まっているのを見て、アリスは苦笑いしながら、僕に一歩だけ近づくと、よく見ていてね。とだけ告げた。

 直後、その可愛らしい唇から、べーっと、これまた可愛らしい舌がひょっこり現れる。あ、ヤバイ末期だ。悪戯っ子みたいに舌を出すアリスマジ可愛い……。

 色ボケた思考は、そこまでだった。

 アリスの舌が伸びに伸びてお腹の辺りまで……。


「――――――ファッ!?」


 思わず変な声を出す僕に、アリスは哀しげに微笑んだ。


「この舌と消化気管以外は体組織的に人間と殆ど変わらないの。〝リングア・グルット〟それが、私達の種族の名前」


 確かにそこにあったのは、普通とは違う舌だった。というか……。


「隠しててごめんなさい。竜斗、私ね……地球外生命体なの。竜斗達、人間側の言葉を使うなら……宇宙人よ」


 ほっぺをつねる。痛い。現実だ。


「……マジで?」


 これは流石に、一緒に治していこうだなんて言えなかった。

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