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2話 愛妻弁当は腹痛と共に

「いや、もうそれ素直に言っちゃえばいいじゃないですか。お前の料理不味いって」

 呆れた顔のまま金平牛蒡を口に運びつつそう宣うのは、僕の後輩、四谷美紀(よつや みき)だ。黒髪のセミロングに、少しつり目の冷ややかな目差し。会社で隠れたファンが沢山いると、もっぱらの噂の美人さんだ。

 そんな隠れファン持ちのクールビューティ後輩に、僕は無言でデコピンをぶちかました。

「……痛いです先輩」

 リアクションこそクールだが若干涙眼で額を押さえる美紀。そんな彼女を、僕はプルプル身体を震わせながら睨む。

「ふざけるなバカ野郎! アリスにそんな事言えるわけないだろう!」

「……私、野郎じゃないです」

「ふざけるなバカ婦女子! これでいいかい?」

「……ごめんなさい私が悪かったです」

 僕の言葉にハァーとため息を付きながら、美紀は僕の手元を見る。

 時刻はお昼休み。

 僕の手元には愛しのアリス作の愛妻弁当があった。結婚して以来毎朝早起きして、一生懸命作って、恥ずかしげに渡してくる妻の可愛さに毎度心の中で悶えるのは内緒だ。

 尚、食べるたびに別の意味で悶え苦しんでいるのも当然内緒である。

「見た感じは普通……でもないですね。何かあり得ない色の具もありますし」

「愛があればカバーできる」

「いつも出来てないじゃないですか先輩。最近お昼休みギリギリまで青い顔してるの知ってますよ?」

 ええい、目敏い女だ。僕は咎めるような顔で彼女を見ると、その手元に視線を移す。

 筍ご飯にひじき、金平牛蒡、昆布巻きに、里芋の煮物。

 若い女性の昼食としては超絶渋いそのメニューは全て美紀の手作りである。僕も以前ご馳走になったことがあるが、まるで高級料亭に出ているかのような非の打ち所のない絶品だった。

「交換しろって言われてもあげませんよ?」

「アリスの愛の手料理を僕が交換に出すとでも?」

「先輩、冷や汗が凄いです。そんなにヤバイんですか? そのポテトサラダ」

「……うん、苦い」

「ポテトサラダがですか!?」

 ちなみに今日のメニューはその苦いポテトサラダ、異様に辛いほうれん草の……これはおひたしだろうか? 酸っぱい麻婆豆腐に、タコさん……にしようとしたのであろう油が半端ない(使用したのは多分ゴマ油)ウインナー。何か凄い味の……何だろうこれは?

「唐揚げじゃないですか? もしかして。どう見ても揚げれてないですけど」

「ああ、唐揚げか」

 ようやく納得して僕はもう一個を口に放り込む。うん、こっちは生だった。

「まともなのはご飯だけですね〜」

「………………」

「先輩?」

 美紀のコメントに僕は何ともいえない顔で返す。何故かって? 察してくれ。

 僕の態度を不審に思ったのか、美紀はそっと僕の白米に顔を近付ける。

「……何か、フルーティな香りですね。このご飯」

「うん、そうなんだ。どうやったらこんな香りが付くんだろうね?」

 口に入れると渋い味がした。

 白いご飯がだ。我が家の炊飯器には魔法でもかかっているのだろうか?

「新婚何日目でしたっけ?」

「今日で丁度一週間だね」

「慣れましたか?」

「アリスがいつも可愛いから毎日が新鮮だよ」

 僕が真顔で答えると、美紀は呆れたように肩を竦める。何だろう? そんなに変なこと言っただろうか?

「わおー。ストレートにノロケましたね。私が聞きたいのは料理のことですよ」

「……………………」

「無言で泣かないでくださいよ」

 美紀の顔が……というか、視界全体が歪んでいる。

 ついでに胃腸が捻れているかのように痛い。

「奥さん……イギリスの方なんですよね? だから料理が……その、凄いんでしょうか?」

「む、美紀。それは偏見だよ。イギリスは言われる程メシマズの国じゃないんだ。周りのフランスやイタリア……その他の国の料理が美味しすぎて相対的にイギリス=メシマズの国になってしまったんだよ。試しに食べてみるといい。意外と普通だよ」

「へぇー。まぁなかなかイギリス行く機会なんて無いでしすから確かめようがないですけど」

「うん、まぁ、そうだよね……」

 美紀の苦笑いに此方も苦笑いで返す。というか、どうしたことだろう? 苦笑いの状態から表情が戻らない。

 具体的にはウインナーとおひたしを食べた辺りから。

「……先輩、残すとか……」

「それはダメだ」

 見かねたような顔で美紀が口を開くが僕はそれを遮る。

 言わんとしている事は僕にも分かる。

「自分が作ったものならいいさ。でもこれはアリスが僕の為に作ってくれたんだ。どんなに酷い味でも残したり捨てたりは……絶対出来ない」

「……何故そこまで。奥さんLOVEだとはいえ、幾らなんでも……」

「あ、奥さんLOVEは否定しない。けどね。それだけじゃないんだ。それは……」


 思い出すのは小学生の頃。

 僕は凄まじい偏食だった。

 乾燥させたバナナ、所謂バナナチップが大好きだった。てか、主食がそれと言っても過言ではなかった。

 嫌いな食べ物は野菜は勿論、魚、肉、牛乳……等々。

 正直、食べられる物より食べられない物の方が圧倒的に多い。

 そんな子どもだった。

 母はそんな僕にめげることなく、毎日色々な料理を出した。僕はいつもそれを残したものだ。

 そんな時、学校でお弁当の日という当時の僕からしたら地獄のようなイベントが開催された。その日は給食無しなので、皆さん親御さんからお弁当を作ってもらいましょう! ……そんなイベント。

 当然、僕は絶望した。

 そんなことになったら母はこれ見よがしに僕の苦手なものを入れてくるに違いないと……。

 予感は的中した。

 皆一口サイズ(今思えばすばらしい母の配慮だった)にした、僕の食べられないものの目白押し。浅はかな小学生であった僕はそのお弁当の中身だけをこっそり捨てた。軽蔑してくれていい。いや、されねばなるまい。僕は僕の為に母が作った料理を捨てたのだ。

 そして……。


「それは……? 何ですか? 先輩」


 僕が回想に浸っていると、目の前で美紀が首を傾げている。

 フム、回想していた事を話してやってもいいのだが、どうやら時間が来たようだ。

 今から行かねばお昼休み終了までに帰って来れない。

「すまない、美紀。ちょっとパソコンのメンテナンスをしてくるよ。午後の仕事に支障が出てしまうからね」

「……はいはいわかりましたよ。メンテナンスですね。行ってらっしゃい先輩。ところで……偶然にも、ぐ・う・ぜ・んにも私、お弁当を食べきれませんでした。このまま捨てるのは勿体無いですし……先輩、後で食べてくれませんか」

「ああ、また残したのかい? まぁ、せっかくだし頂こうかな」

 願ってもない。

 午後はお腹が減るのだ。貰えるならばわざわざコンビニに行かなくてすむし、コンビニの食べ物なんかより、美紀の料理の方が断然旨い。

「どうせ出すもの出したたらお腹減っちゃいますでしょうし……」

「……? 何か言ったかい?」

 ボソリと美紀が何かを呟いたようにも見えたので尋ねてみると、何故か呆れたように溜め息を付き美紀は首を横に振る。

「何でも。それよりいいんですか? メンテナンス」

「うん、そうだった。行ってくるよ」

 手を振り、僕は美紀には見えないようにお腹を抑え、一目散に走る。

 走って走って目的地に着くと、僕は部屋に鍵をかけ、密室の中でズボンを下ろす。お腹がギュルギュル鳴っている。


「ぐぉおおおおおおお!!」


 え? メンテナンスはどうしたのかって? 何意味不明な雄叫びを上げているんだって?

 察してくれ。どのみちこのままじゃ午後に行動できなくなる。〝メンテナンス〟であることにはかわりないんだ。


 ※


 夜――。

 仕事を終えて帰って来た僕を妻は熱いキスとハグで出迎えてくれた。

 うん、やっぱり僕は幸せ者だ。

「竜斗! お帰りなさい!」

「ただいまアリス。何か変わったことはなかったかい?」

「あっ、そうそう! 洗濯機が壊れたの! 洗った洗濯物に白いゴミがたくさん付いてて……」

 多分ポケットティッシュを入れたまま洗濯したんだろうな……。

 必死で説明する妻の話を聞きながら、僕はバックからお弁当箱を取り出す。当然、完食済みだ。

「アリス。今日もありがとう」

 僕からお弁当箱を受け取ったアリスは中身を確認し、途端に満面の笑みになる。

 それを僕は幸せと愛しさと。ちょっとした過去の胸の傷みと共に見ていた。


 そう、この笑顔。これが僕が偏食から脱したきっかけだった。

 小学生のあの日。何食わぬ顔で母に中身を捨てた弁当箱を返した僕。

 空の弁当箱を見て、母は本当に今まで見たことがないくらい嬉しそうに笑っていた。

 当時の僕の偏食っぷりは相当母を悩ませていたのだろう。

 えらいね。よく頑張ったね。と……。

 その時僕は曖昧に頷くことしか出来ず、後に子どもながらに覚えた罪悪感のあまり、部屋で一人落ち込んだ。

 それ以来、僕は出されたものを何がなんでも食べることにした。色々なものを食べられるようになるまで随分と時間を要したものだ。

 当然最初の方は耐えられず吐いたこともあった。

 今思えば、夕食の度に涙目で野菜や魚やら、それまで嫌いだったものを口にする僕を見て、多分母はあの日の真相に気づいてはいたのだろう。

 でも母は何も言わなかった。

 誰かの為に作る料理とはそれだけで素晴らしいものなのだと僕が気が付いた瞬間だった。

 だから……。


「美味しかった?竜斗?」


 ほんの少しだけ不安気に問いかける妻に僕は笑顔でこう答える。

「勿論さ!」

 愛してるからこそ言えないこともある。

 でも少なくとも、僕は幸せなのだ。

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