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エピローグ たとえ料理が不味くても……

「ただいま~」


 仕事で程よく疲れた身体を引きずるようにして、僕は我が家に帰宅する。

 その言葉に反応するように、リビングからパタパタと音を立てて、小さな影が僕の元へ飛び込んでくる。


「パパっ、おかえり!」


 妻譲りのブロンドヘアに、白い肌。毎日顔を会わせる度に思うのだ。ああ、ここに天使がいる……! と。


 葛城マリア。今年小学一年生になる、僕の娘だ。


「ご飯にする? お風呂にする? マリアと遊ぶ?」

「よぉし! 全部だ!」


 勿論マリアと一緒にね。

 ん? 親バカ? 知るかバーカ。世の父親がどうかは知らないが、少なくとも僕ならば娘の為なら、たとえ火の中水の中。どんな環境でも戦えるのだ。三十路でも。


 そんな魂の叫びを心で上げながら、玄関でマリアと騒いでいると、足音がもう一人分。

 マリアとは対照的な落ち着いたそれと共に現れたのは、今も変わらぬ美貌を誇る僕の愛妻。


 葛城アリス。その人だ。


「おかえり竜斗! ご飯、出来てるよ!」


 元気に僕の首もとに抱きついてくる仕草がもうヤバイ。

 今の僕ならば、『妻と娘が可愛すぎて困ってる』なんて手記が書けるに違いない。


「ありがとう! 今日は何だい?」


 僕の質問に、妻はフフン。と得意気に笑いながら、胸を張る。


「今日はカキフライよ!」


 楽しげに笑う妻にほっこりする僕。

 そう、〝ほっこりするだけ〟だ。

 前みたいに「う、うわぁい。嬉しいなぁ」何てバレバレなリアクションをする必要などない。つまりは――そういう事である。


 ※


 唐突だが、あれから八年たった。

 あのあと正露丸が切れて再び病院に担ぎ込まれたりとか。

 医者に何か物凄く怒られたりとか。

 何故か会社にまで連絡が行って松さんの指揮の元で社員皆が僕の捜索を行ってたりとか。

 何だかんだで元の鞘に収まった僕らに他皆が「このリア充がぁ!」何て結婚以来の罵声混じりの祝福を浴びせてきたりとか。


 まぁ色々あったけど、アリスが終始笑顔だったので、結果オーライ。何の問題もなかった。社長と松さんには後で謝ったけど。まさか仕事ほっぽってまで心配してくれるとは思わなかったので、嬉しいやら申し訳ないやらで複雑だった。

 拳骨二人分で済んだのは奇跡だ。


 美紀はというと、「まぁ、分かってましたよ。どうせ仲直りするって」何てドライに笑いながらも、小さな声でおめでとうございます。と、呟いてくれた。

 正露丸の恩は忘れないと心に誓いながら、大学からの先輩後輩コンビは、今も続いている。


 というか、今や僕の先輩として威厳はなく(元からあったかどうかはさておき)、もはや美紀には足を向けて眠れなくなってしまった。

 その理由とは……。


「夕御飯よぉ~!」

「わ~!」


 ダイニングテーブルに夕食を並べる妻と、お箸片手にテーブルを叩く娘。

 ああ、何と癒される光景か。そして……。


 次々と並べられる、食卓の彩り。


 ご飯、味噌汁。フキと人参の煮物。グリーンサラダ。そして、カキフライ。


 以前のような禍々しいオーラなど欠片もない料理がそこにあった。


 美紀師匠によるアリスのちょっと遅めの花嫁修行の成果である。

 主にサンドバックは僕の胃袋だったが、徐々にしっかりとなっていく妻の料理に感動の余り泣いてしまったのは、いい思い出だ。


 もう美紀には頭が上がらないなぁ何て話したら、「じゃあ側室にでもしますか?」何て笑えない冗談が返ってきた。

 昔から冗談が洒落にならない鋭さを持っているとは思っていたが、アリスの師匠を引き受けてから、それがさらに悪化している気がする。

 てか、最近は休日にアリスとマリアと一緒に買い物にまで出掛けてたりする。

 何か僕より馴染んでないか? 何て思えるのは、きっと僕が男だからだ。女にしか分からないものがあるからだ。そうだとも。別にたまにくる寂しい休日に涙している訳じゃないさ。……ふんだ。


「パパ~? 食べないの?」

「ん? いやいや食べるとも! ママの絶品料理を食べない訳ないだろう!」

「あらあら、お上手ね」


 頂きますの言葉と共に、今や僕の大好物になったカキフライを口に頬張る。

 カリッ、ジュワッとはこの事だ。 流石は海のミルクと呼ばれるだけはある。……幸せな味だ。


 ふと、アリスと目があった。悪戯っぽく笑う理由を僕は知っている。

 今日は記念日。アリスの秘密を知って、色々な意味で夫婦として第一歩を踏み出した、僕達には忘れ得ない日。

 マリアは、今のところ普通の人間と変わらない。舌がちょっとだけ長い程度。アリス曰く、リングア・グルットは、そんなに強い種族じゃないんだとか。

 まぁ、強い弱いは関係ない。どんな形であれ、妻と娘と共にあり、守る。それはマリアが生まれた時も、アリスの秘密を知った時にも誓った事なのだ。


「竜斗! あ~ん!」


 そう言って僕の口にフライを運ぶアリス。もう、僕の顔が不味さで歪む事はない。ああ、素晴らしきかな妻の料理……。


「パパ! マリアもマリアも! あ~ん!」


 うん、娘もまたよし。僕幸せ過ぎて死ぬんじゃないか……。



 ザリュ。と、口の中であり得ない音を聞いた。

 口に広がる、何とも言えぬ味。甘いの辛いの酸っぱいの苦いのがいっしょくたになったような味に、僕の思考が停止する。

 あれ? 何だこのデジャブ?

 視線を娘に移す。娘の手には、可愛らしい装飾の施された小さな袋がちょこんと乗っている。


「ま、マリア……? それは、何だい?」


 恐る恐る僕が問い掛けると、マリアの満面の笑みが花開く。


「あのね! 今日お家で作ったの! ママと美紀お姉ちゃんの横で、マリアも作ってみました!」


 クッキーだよ! と、主張するマリア。手渡された袋には、どうみてもかりん糖か何かにしか見えない物体と、小さなメッセージカードが二つ。


『パパへ いつもありがとう マリア』

『先輩へ すいません。少し目を離しらこうなりました。多分色々な意味で、奥様以上の逸材かと(笑) 美紀』


 かっこ笑いじゃないよバカァ! 何て叫べる訳もなく、僕は何年かぶりかのひきつった笑みを浮かべた。

 アリスの顔も、珍しくひきつっていた。


「ねぇパパ! 美味しい? 美味しい?」


 男とは、たとえ幾つになろうとも戦う生き物だと僕は考えている。

 妻と娘。同じ家族だけど、違う。何でも娘に言うべきかといえばそうでもなくて。故に……。


「ハハッ! も、勿論さ!」


 告げる言葉は、やっぱり決まっているのだ。


 僕の鋼の胃袋(自称)が、再び幸せのアップを始めたようである。

 誰が何と言おうとも。たとえ娘のお菓子が不味くても……幸せったら幸せなのだ。



~Fin~

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