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警察に声をかけられた瞬間、異世界に召喚された俺の話

作者: 深海周二
掲載日:2026/04/02

「ちょっといいですか?」

背後から声がかかった。

心臓が止まる。

振り向く前に分かる。

制服の気配。

革靴の音。

間違いなく警察だ。

終わった…

アパートの前で、彼女の帰りを待ち伏せしていた時間、三十分。

いや、もっとかもしれない。

「君、そこで何をしていたの?」

説明できない。

しかし逃げることもできない。

あの夜のことを思い出す。

最初は偶然だった。

終電で隣になった。

吊り革を掴む手首。

細くはなかった。

だが、骨が見えた。

一瞬だけ。

それだけだった。

次の日、同じ時間の電車に乗った。

確認のつもりだった。

その次も乗った。

気づいたら、待つようになっていた。

改札の外。

見えない場所から。

ただ、通り過ぎるのを。

理由は、なかった。

最初から、なかった。

振り向こうとした、その瞬間。

視界が白く弾けた。


そして俺は異世界に召喚された。


月が三つあった。

見たこともない植物があった。

獣の耳を持つ者がいた。

俺の目は、そのどれにも止まらなかった。

俺の目線を絶え間なく奪って止まなかったのは、侍女の手首だった。

白い、だが細すぎない。

水差しを持つとき、わずかに浮かぶ筋。

あの筋が、妙に気になる。

そのたびに自分に言い聞かせる…やめろ!と。

また同じことを繰り返すつもりか、と。

だが、視線は勝手にそこへ向かう。

廊下の向こう。

銀の盆を運ぶ時の、袖口からほんの一瞬だけ覗くあの手首を。

ただ、ひたすら。

いや、やめろ!

もう二度と、こんなことはしないと誓ったはずだ。

だが気づくと、足音を覚えていた。

軽い靴音。

規則的に聞こえながら、時折ほんの少しだけずれる。

少し内股だからだろうか。

そのずれに、三日目で気づいた。

四日目には、音だけで分かるようになった。

たぶん、王宮内でそのことに気づいているのは俺だけだ。

昼、食堂の窓際。

彼女は座る前に、必ず髪を耳にかける。

右手で。

必ず右手で。

その時、耳の後ろの白さが見える。

ほんの一瞬。

白磁は、その名前に反して少し青みがかっている。

その侍女とて同じ。

俺はその青みがかった白さの上を汗が滑り落ちるのを想像する。

やめろ!

これじゃあ前と同じだ。

中庭。

井戸の横。

彼女は水を汲むとき、少しだけ背筋を伸ばす。

その時、首筋が見える。

影が落ちる。

その境目が妙に気になる。

召喚から六日目。

俺は、その時間を覚えた。

七日目。

先回りしていた。

頭では分かっている。

だが体が先に動く。

アパートの前で、窓の灯りが点くのを待っていた。

カーテンが揺れた。

それだけだった。

だが動けなくなった。

そして今・・・

「勇者様」

呼び止められた。

異世界の現実に戻る。

衛兵が立っていた。

「陛下がお呼びです」

血の気が引いた。

終わった。

俺は、また同じことをした。


玉座の間は、石の匂いがした。

古い石。

湿気を含んだ冷たさ。

扉が閉まる音が、背後で響いた。

王が、俺を見ていた。

目だけが動いた。

首は、動かない。

一歩、踏み出す。

靴音が響きすぎる。

天井が高いからだ。

分かっている。

だが、響きすぎる。

止まった。

頭を下げた。

視線を上げることができない。

紙の擦れる音がした。

一枚。

また一枚。

「召喚から、七日」

声だけが届く。

低い。

余計な感情が、ない。

「北回廊。通行回数、二十三」

心臓が、一度だけ跳ねた。

「食堂。窓際。滞在、平均十一分」

やめろ。

「中庭。井戸。六日連続」

言葉が刺さる。

一つずつ。

丁寧に。

「侍女の動線」

喉が塞がった。

「護衛の交代時刻」

手の先が、冷えていく。

「北柱から三番目。死角」

知っている。

俺が気づいていた。

王宮内で、俺だけが気づいていた。

沈黙。

紙が、置かれた。

「見事だ」

顔を上げた。

王が頷いていた。

ゆっくりと。

一度だけ。

その瞬間、侍女の手首を思い出した。

水差しを持つ時の、あの筋を。

やめろ、とは思わなかった。

「七日でここまで把握するとは」

俺は何も言わなかった。

言えなかった。

だが、今度は違う理由で。

「勇者よ。なぜ、あの侍女を観察した」

答えは、ある。

言えない。

沈黙が続いた。

王が、また頷いた。

「良い」

文官が何かを言った。

騎士が何かを言った。

聞こえていたが、入ってこなかった。

「王女の護衛兼観察役だ」

息が止まった。

「お前の目は、信用できる」

廊下の侍女のことを思った。

軽い靴音。

規則的で、時折ほんの少しだけずれる。

内股だからだ。

俺だけが知っていた、あのずれを。

これが、諜報だったのか。

違う。

俺はただ、見ていた。

理由など、なかった。

最初から、なかった。

前世でも、そうだった。

「ちょっといいですか」

あの声。

振り返れなかった、あの夜。

視界が白く弾けた、あの瞬間。

王が言う。

「期待している」


・・・俺は前世と何も変わっていない。

ただこの世界で、許される立場に、なっただけだ。

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