イカサマ
〈肉體が呼ぶよ陽春受け止める 涙次〉
【i】
尾崎一蝶齋、カンテラ一味きつての閑人である。そんな事は自慢にもならないが、事務所に朝、出所してから、夕刻帰宅する迄、たゞ漫然と各部署を冷やかす存在に成り下がつてゐる。そんな尾崎が、一味を離脱したいとカンテラに云つて來た。
【ii】
理由は、牧野舊崇について、尾崎が「良からぬ奴」と目してゐる、その事で、である。牧野は「開發センター」勤めなので、滅多に尾崎と顔を合はせる事はないのだが、それでも尾崎、「ヤクザ者と同僚だつてのは、俺の恥なんだよ」と云つて聴かない。牧野はご存知の通り、「センター」管理人に兼ねて、武闘派ヤクザ・* 駿河本組の組長をも任されてゐる。
* 當該シリーズ第61話參照。
【iii】
尾崎はヤクザに對し、不當な程の差別心を持つてゐた。その譯は、と云ふと、彼が* 自分の道場を賣却した際、散々地上げ屋のヤクザに買ひ叩かれた、そのせゐである。地上げ屋のやうな「經濟ヤクザ」と、駿河本組を始めとする武闘派では、その性質・職掌が丸きり違ふ。カンテラ、その事を尾崎に説明したが、それでも尾崎、「駄目なものは駄目なのだ」と、聴く耳を持たない。だうやら、任俠道と云ふ言葉を、知らないらしい。
* 前シリーズ第80話參照。
【iv】
カンテラとしては、尾崎の處遇に困り果てゝゐた矢先の事であるし(たゞ來てぶらぶらしてゐるだけでは、他の所員に示しが付かない)、いつそ尾崎を馘首してしまひたかつたのだが、それが出來ない或る思惑があつた譯で-
【v】
* じろさんの弟子・昂太の件で、水晶玉の魔術に依り、5・6年先の一味の様を観たカンテラだが、其処には尾崎の姿も垣ひ間見え、彼を一味から外すと** タイムパラドクスが起きてしまふのも體驗濟み。さう云ふ事で、尾崎を一味メンバーとして、仕方なく容認してゐたのである。
* 前シリーズ第49話參照。
** 當該シリーズ第8話參照。
※※※※
〈血圧の上がる朝よと思ひきや夕刻までもカラダ阿呆らし 平手みき〉
【vi】
たゞ、一味にとり本當に必要なのは、駿河本組であり、尾崎ではない。こと戰闘に関する劃りでは、尾崎の厄介者振りが、明らさまになつて來る。然も、尾崎、心に期する何かゞある時、決まつて【魔】や亡靈を呼んでしまふ。彼は所謂「依り代體質」の持ち主だつたのだ。
【vii】
嘗て尾崎は、* ザ・コブラと云ふ【魔】に憑依され、また**「天才豚」のとんちやんの亡靈にも取り憑かれた。放つて置けばまた災ひを呼び込んでしまふだらう。然し、カンテラには、當面牧野を尾崎から遠ざけるぐらゐしか、良い方策は思ひ浮かばなかつた。
* 當該シリーズ第1話參照。
** 前シリーズ第79話參照。
【viii】
そんなカンテラの悩みを聴いて、じろさん「カンさん。こゝは俺に任せてくれないか?」と云ふ。カンテラ「何か妙案があるのかい?」-「むふゝ、それは秘密だよ」。取り敢へずカンテラには、じろさんにこの問題を「丸投げ」するしか道はなかつた譯で-
【ix】
じろさん、尾崎を焚き付けた。「牧野と決闘するんだ、尾崎さん。あんたも『武の名門』の生まれなら、一介のヤー公に負ける筈はなからう。これはあんたにとり、武門での生存を賭けた、一大決戰つて事なんだよ」。
【x】
で、尾崎は木刀で、牧野はドス一丁(無論、チャカは處持してゐない狀態)で、その對決の幕開けとなつたのだが- 牧野には、じろさん、因果を含めてあつた。「フル、惡いが負けた振りしてくれ。こゝは、タイムパラドクス回避と云ふ事で、一つ宜しく頼むよ」-牧野「合點承知」。
【xi】
じろさんが審判となり、この「闘ひ(?)」の火蓋は切つて落とされた。勿論、尾崎にはこれが「イカサマ」であると云ふ事は、看破出來なかつた。だが、丁々發止彼らがやり合ふ内に、知らず知らず、牧野の秘められた闘爭本能が目醒めてしまつた。
【xii】
「ま、參つた」尾崎は負けた。じろさん、カンテラ、尾崎がこゝ迄ヘタレであるとは、正直知らなかつた。牧野「申し譯ない。勝つちまつたな俺」。カンテラは來たるべきタイムパラドクスについて、覺悟を決めなければならなかつた。
※※※※
〈やゝ愁ひ殘せどそつと二月去る 涙次〉
【xiii】
牧野の責任は問はなかつた。カンテラ・じろさん、その責務を引つ被つたのである。尾崎は悄然としてゐる。彼は、カンテラ一味を(自らの捻くれた望み通り)追放された。カンテラ、自由氣まゝに剣が揮へたあの頃を懐かしんだ、と云ふ- 二月も終はる日の事であつた。
誰にも通じまいが
俺にとつてはクロワッサンの朝が二月だつた
三日月ばかりが心にある
朧ろな滿月を
ちつとも見なかつた
嗚呼春は
ぼやぼやしてゐる内に深まる
梅・桃・櫻
氣付かぬ儘散つてゆく花よ
團子ほどの価値もない
朝食のパン程も
花は多弁ぢやないらしい
二月、まだ
羽撃くには
早い、早い
たゞ三日月とクロワッサンの形狀とを掛けた、單純な詩である。梅の季節を迎へ、はや心は桃・櫻を渉猟する。小鳥逹のシーズンでもある。私も羽撃きたい。廣大な世界に向けて。永田。お仕舞ひ。




