会心の一撃
その日、僕は急いでいた。
人は急ぐと、判断力を失う。
これは科学的にも証明されているし、少なくとも僕の人生では何度も実証されている。
改札まで残り三分。
自販機の前。
指先は冷え、頭は半分寝ていて、心はすでに会社に捕まっていた。
本当は、いつものお茶を買うつもりだった。
緑色のラベル。
目をつぶっても押せる、あの安心感のあるやつ。
だが、押した。
押してしまった。
ガコン、という無慈悲な音。
落ちてきたペットボトルは、見慣れない色をしていた。
いや、見慣れてはいる。
ただ、選んだ記憶がない。
コーン茶。
その瞬間、血の気が引いた。
間違えた、と思った。
返品不可。
時間もない。
僕はそれをバッグに突っ込み、走った。
コーン茶を罪のように背負いながら。
そして朝の電車。
揺れ。
人。
喉が渇いた。
仕方なく、という顔をしてキャップを開けた。
仕方なく、という態度で一口飲んだ。
──うまい。
いや、待て。
違う。
これは「うまい」じゃない。
「裏切られてない」だ。
思っていたより香ばしく、思っていたより静かで、思っていたより優しい。
何も主張してこない。
「僕、間違えて選ばれたんで」とでも言いたげな控えめさ。
二口目で、僕はもう負けていた。
完全敗北。
選択ミスだと思っていたものが、人生からの気遣いだった可能性が浮上する。
コーン茶は、朝に強い。
眠気を殴らない。
覚醒を強要しない。
ただ「起きてるだけで偉いよ」と言ってくる。
なんだこの飲み物。
お前、会社より優しいぞ。
気づけば、電車が目的地に着いていた。
コーン茶は半分減っていた。
後悔はなかった。
反省もなかった。
あるのは、薄い感動だけだった。
それからというもの、僕は時々コーン茶を選ぶ。
いや、選んでいるふりをしている。
本当は、あの日の間違いをもう一度なぞりたいだけだ。
朝の自販機で、わざと一瞬だけ目を逸らす。
指が少しずれる。
そしてまた、ガコン。
人生は大きく変わらない。
でも、間違える勇気が少しだけ増えた。
今日も僕は急いでいる。
そして、また間違える。
コーン茶を手にして、少しだけ勝った気分になる。
──全部、あの朝のミスのせいだ。




