「大切にしたいんだ」と言った夫が私ではない女とばかり夜を過ごしていたので、小説(挿絵入り)で真実を公にする事にしました。
私は平民でありながらオクリーヴ伯爵家へ嫁ぐ事になった。
長年の財政難を抱えていたオクリーヴ伯爵家は、商人として大成した我が家の人脈や財力を期待して嫡男との婚約を求めたのだ。
そしてオクリーヴ伯爵家に籍を入れ、正式に嫡男デイヴィッドの妻となった初めての夜。
身綺麗にし、貴族となった女としての義務を全うしようと寝室に立った私は、彼にこう言われる。
「大丈夫、今日はただ同じベッドで寝るだけさ」
「え?」
「カイラはただでさえ俺達の家の都合に巻き込まれてやって来たんだ。初日から貴族の仕来りになんて巻き込めない」
デイヴィッドは端正な造りの顔に優しい笑みを浮かべた。
「大切にしたいんだ」
正直、貴族に嫁ぐと決まってから私の覚悟は決まっていた。だから仮に何事もなく夫婦としての務めをする事になったとしても困りはしなかっただろう。
けれどこの時の彼のこの言葉が――私は本当に嬉しかったのだ。
***
それから、一年の月日が経った。
彼とは未だに――一度も寝ていない。
ここで言う寝るというのはつまり、夫婦としての務めを果たすという意味なのだが……そもそも彼は貴族同士の付き合いなどと言って夜出かける事が多かった。
その為、そもそも寝室で共に寝る機会が少なくなっていた。
ご両親の目もあるし、社交界でも平民上がりの伯爵夫人として奇異の目に晒されている立場である以上、そろそろ子を成さなければ夫婦揃って笑い者になるかもしれない。
そう言って何度も話を持ち掛けようとはするのだが……その度に話題が逸れてしまったり、デイヴィッドが用事を思い出したりと、上手く話す機会を見つけられない。
そんな中漸く捕まえられたと思った時には。
「まだ早いよ」
と苦い顔をされた。
「まだ? でも貴族では遅くても二年以内には一子を出産するのが普通だって」
「でも君はまだ貴族としての生活に慣れ切ってないだろう? 俺もまだ伯爵を継いだわけでもないし、子を急ぐ必要もない」
「でも、私のせいで家の評判が落ちてしまうのは」
「社交界なんてのは、好き勝手に話を誇張する奴らばかりなんだ。気にしなくていい。……言っただろ? 君を大切にしたいんだ」
「……わかり、ました」
爽やかな笑みで肩を叩かれ、そう返されてしまえば何も言えない。
けれど私の胸は不安でいっぱいだった。
それから、あるパーティーでの事。
挨拶回りでデイヴィッドが私の元を離れた時、ひそひそと笑う令嬢達の声が聞こえて来た。
「ねぇ、あの方。例の成金の……」
「やぁね、暢気にパーティーに参加なんて。あの様子じゃあ子供の一人だって授かる様子がないわ」
「それは無理な話よ。だって、オクリーヴ伯爵家のデイヴィッド様と言ったら――」
未だに慣れない社交界。
どうしたって他人の声――特に嘲笑は気になる。
そんな中耳にした陰口に私はハッと息を呑んだのだった。
***
或る晩。夜も更けた頃合い。
貴族御用達の匿名性の高い高級飲食店。
その客席で二人の男女が同じソファに座って酒を嗜んでいる。
一人はデイヴィッド、もう一人はマージェリー・クレンショー侯爵夫人。
二人はひそひそと囁き合い、時折無邪気に笑っている。
「ねぇ、奥さんは良いのぉ?」
「何度も言ってるだろ。あんなの、俺は妻として認めてない」
「えー、奥さんかわいそぉ」
「だって平民だぞ? それも地味でみすぼらしい。あーあ、せめてマージェリー位可愛ければ抱いてやれるのになぁ。乗り気がしない」
「ちょっと、私はどこかで簡単に見つかりそうな見た目の女って事?」
「ジョークだよ、ジョーク。君が一番可愛いさ」
「もう、すぐ調子の良い事言って」
「愛してるよ、マージェリー」
「私もよ、デイヴィッド」
デイヴィッドはマージェリーの肩に手を回していた。
そうして彼女の体を抱き寄せ、それから――
――二人は唇を重ね合わせる。
何度も、何度も。
徐々に深くなっていくキスを繰り返した後、デイヴィッドはマージェリーを店の奥に用意されている個室へと促した。
彼らは体を密着させ、会話を弾ませながら店の奥へと消えていった。
その一部始終を二人の傍の席で見ていた私は、静かに涙を流す。
それから一人で席を立って、彼等とは真逆の、店の出口へと向かった。
その日は実家へ帰った。
そして沢山泣きながら両親にこの事実を伝えた。
悲しかった。苦しかった。
でもそれ以上に――悔しかった。
私は彼の掌で踊らされ、見下されていた。
そしてそんな彼の思惑にまんまと嵌り、道化のように彼へ焦がれていた。
愛がある結婚を望んだわけではない。両親とも話し合って納得した政略結婚だ。
だが――こんなにも蔑ろにされる為に嫁いだわけではない。
政略結婚を望んだ両親とてそれは同じ気持ちで、私以上に怒ってくれていた。
それから、離婚してしまおうと言ってくれた。
我が家と娘の地位が上がり、より安定した未来を掴めるならばと考えての結婚だった。けれどその結果得る物が娘の不幸ならばそんなものは不要だと、父は言った。
こうして私はデイヴィッドとの離婚を決意する。
元より庶民としての幸せを知っている身だ。
貴族にならずとも幸せを掴む事なんてできる。
だが――大商人ワイアットの家に生まれた私がただ舐められたまま、笑われたまま引き下がるわけにはいかない。
私は最後にこの屈辱を晴らすべく、動き出した。
その為に私が手にしたのは――一本の筆だった。
それから数ヶ月後。
巷ではとあるシリーズ物の短編小説が流行り始めた。
内容はとある伯爵子息が平民上がりの妻を見下し、他の既婚者と不倫に走る物語。
そのやけに綿密な内容は主に女性からの関心を集めていた。
本という媒体ではなく、新聞の隅や口頭などで市民の間で広まったこの小説。
それはいつしか吟遊詩人の歌となり、オペラやミュージカルの演目となり――そして本となり。
貴族の目にも留まるようになって漸く、その物語のおおもと――所謂元ネタの話が浮上した。
社交界は噂好きの集まり。そして人を蹴落とすことで悦に浸る者達の集まり。
あっという間に元ネタは特定され、不倫相手までもが浮き彫りになった。
因みにこの頃、私は既にオクリーヴ伯爵家に「実家に帰らせていただきます」と置手紙を残して実家で悠々自適な生活をしていた。
怒り狂ったデイヴィッドやその遣いが家にまで来たらしいが、家族が頑なに通さなかった。
何なら父は近所に聞こえるほどの大きな声でオクリーヴ伯爵家の名を叫び、周囲の注目を集めたりしたらしい。
お陰で市民に対するオクリーヴ伯爵家の評判がやや落ちた。
さて、安心して生活できる場所を手に入れた私は心の安寧を得たまま、最後の仕上げに取り掛かる。
ある日の事。
私はある画家の家へ訪れた。
「はぁい」
ノックをすれば出てきたのは紺色の髪に長身の男。
ぼさぼさの頭をしており、サイズの合っていない大きな丸眼鏡をしてはいるが、それだけでは顔のパーツ一つ一つの美しさまでは誤魔化せない。
身なりを整えれば大層な美青年が生まれるだろうと内心で思いつつ、私は自身の身柄を明かし、ここを訪れた理由を端的に話した。
彼は初め、気だるげな顔をしていたものの、徐々にその目は見開かれ、最後にはいたずらっ子のような顔の輝きを見せた。
「……面白い。中で詳しく聞こう」
「ありがとうございます」
床や壁、天井にまで絵具を飛び散らせ、画材道具があちこちに散らかした部屋。
その中から丸椅子を引っ張り出した男性の名はアール・ベレスフォード。
巷で有名な画家だ。
彼の絵に対する才能は多岐に渡るが、人物画のリアリティさならば現代の画家で彼の右に出る者はいない。
また彼にはネームバリューもあった。彼の名を騙る偽物が出回る程なのだ。
こんな素晴らしい人材を使わない手はない。
「それにしても、俺の家まで調べ上げるとはな。流石大商会のお方と言った所か」
「あら、ご存じだったのですね」
「この辺で知らない奴はいないだろ? 貴族に成り上がったが、クソ旦那に当たったせいで実家に逃げ帰った可哀想なお嬢さんの事を……の割にはピンピンしてるじゃないか」
「もう吹っ切れましたから」
「そうかい。で? 吹っ切れついでに舐め腐った旦那に痛い目を見せてやろうって?」
「その通りです」
話ながらコーヒーを二杯淹れた彼はその内一つを私へ差し出した。
礼を言いながらそれを受け取ってから私は本題に入る。
「私の書く小説に、絵を充てて欲しいんです」
アールがニヤリと口角を上げた。
「つまり、アンタの小説の内容のシーンを切り取ったような絵をいくつか描けと」
「はい。本のページに合う大きさでお願いしたいです。それを該当のシーンが描かれたページと隣接するように差し込み、本として売り出します」
「なるほどな。上手くいけばその差し込んだ絵の複製だけでも金になりそうだ」
「はい。本は高価ですから、一般市民には簡易的に複製した絵だけを売り捌き、独自解釈を織り交ぜながら口頭で語り継いでもらう形になるかと」
「口が動けば自然と話題になる。お貴族様の間では文章だけではない、絵が差し込まれた斬新な本として話題を産む事間違いなし。現在の話題性も考えれば――とんでもない儲け話だ」
「製本側には伝手があるので、アールさんには絵を描く事に専念していただければ問題ありません。請け負っていただけますか?」
「勿論。だが……少しばかり、文章の方にも口出しさせてもらってもいいかい?」
「文章の方に?」
聞き返せば、アールが不敵な笑みをより妖しく深めた。
「人の陰口悪口ってのは、話の構造の工夫や誇張するだけで一層面白くなるってもんだ」
愉悦の孕んだ声。
一層面白さに磨きが掛かればより多くの者の興味を惹くことが出来る。
そうすれば私達は儲かる上、デイヴィッドへの大きな報復へと繋がる。
そして今の口振りからするに――アールは人の気を引く創作の仕方を熟知しているようであった。
流石は大人気の画家と言った所だろう。
「寧ろ心強いです。よろしくお願いします」
「じゃあ決まりだな。早速始めよう」
***
それから私は毎日アールの家を訪れ、夜まで創作に携わった。
互いに凝り性だったので話が熱中し過ぎて口論になる事もあったが、それは裏を返せば本音で話し合える仲に発展していたという事になる。
彼と過ごす時間はとても充実していて、そして気が楽だった。
そして半年後。
恐ろしい速度で依頼していた挿絵を全て完成させたアールのお陰で、私達が作った本は世に出回る事となった。
元々話題になっていた短編の総集編、そして結末まで記された完全版。更に完成度の高い挿絵まで織り込まれた本という概念を作り替えるような本。
それは貴族の中ですぐに話題の中心となった。
「これで漸く一息吐けそうだわ」
「おっと。気を緩めるのはまだ早い。……そうだろ?」
私は長らく着ていなかった上質なドレスに身を包んでいる。
そしてそんな私を見据える彼も、眼鏡を外し、長い前髪を上げ――同様に正装に身を包んでいた。
「なんてったって、これからがクライマックスなんだからな」
「ええ、そうね」
彼はキザな振る舞いで私に手を差しだす。
私はそれを取って微笑んだ。
向かう先はクレンショー侯爵の誕生日を祝うダンスパーティーだ。
パーティー会場である大広間の奥がダンスの為の空間となっており、手前が挨拶などを交わす社交の場となっていた。
その中に紛れたアールは周囲を見渡し、ある人物を見つけると私の手を取ってずんずんと歩き出す。
そして傍らに女性を従え、正面に立つ男性と話していた紳士――クレンショー侯爵の前まで躍り出る。
「クレンショー侯爵」
「おお! アールか! 待っていたぞ!」
それまで穏やかな笑顔を貼り付けていた彼はアールを見ると顔を輝かせた。
私はクレンショー侯爵にお辞儀をしてから傍に立つ外の二人を見やる。
彼の傍に居たクレンショー侯爵夫人――つまりマージェリーと、正面に立っていた男、デイヴィッド。
久しぶりに見る顔はどちらも青ざめ、強張らせていたものだった。
「か、カイ――」
「お久しぶりです、クレンショー侯爵」
デイヴィッドが我に返り、私の名を呼んで手を伸ばそうとする。
しかしそれは笑顔でクレンショー侯爵に挨拶をするアールによって阻まれた。
彼は挨拶をしながらもさりげなく私を片手で庇い、デイヴィッドから遠ざけた。
「またまた。最近の夜会にだって顔を出していただろう」
「おや、それもそうですね。侯爵が御贔屓くださるものですから、ここ半年程は何度も社交界へお邪魔する機会がありまして」
「気にするな。君の話は軽快で愉快だからな。いくらでも顔を見せてくれ……と、ああ、そうそう、忘れるところだった」
クレンショー侯爵はすっかりご機嫌な様子で私やデイヴィッド、マージェリーを見た。
「こちらはアール・ベレスフォード。巷で有名な画家でね。長年に渡る私のお抱えなんだ。そしてこちらは妻のマージェリーと、こちらはデイヴィッド・オクリーヴ氏。そしてこちらが……おっと、皆様ご存じですな」
「お久しゅうございます、クレンショー侯爵」
わざとらしく一人ひとりを紹介していくクレンショー侯爵は私を見ると何かを企んでいるような笑みを見せた。
彼とは社交界で何度か顔を合わせた事があった。何度か挨拶をし、互いに顔と名前が一致する程度の関係ではあったが。
さて、そんなクレンショー侯爵には更に続ける。
「カイラ夫人は何でも最近流行りの小説を手掛けた作者だそうだ! そしてこのアールこそ、初めて小説に絵を載せた画家なのだ」
デイヴィッドとマージェリーが目を剥く。
二人の視線が集まる中、アールは無言で笑みを浮かべていた。
デイヴィッドとマージェリーは気付いたようだ。
――何故、平民が手掛けたはずの挿絵が、自分達そっくりに描かれていたのかを。
アール・ベレスフォードは平民でありながら、何名もの貴族から気に入られる超売れっ子の画家だ。
そしてクレンショー侯爵もその一人。
アールは挿絵を手掛けるにあたって、自身のコネ――今回で言えばクレンショー侯爵の力を借りて何度も貴族のパーティーへ潜り込んではデイヴィッドとマージェリーの顔を頭に叩き込んでいたのだ。
そしてこの事実に気付いたのは何も二人だけではない。
私達を取り巻く、数えきれないほどのパーティー参加者。その全ての視線が私達へ向けられている。
「あ……あ…………っ」
マージェリーは震え上がり、膝から崩れ落ちた。
クレンショー侯爵は笑顔だが、視線は酷く冷たく彼女を見下ろすだけで、助けようとはしなかった。
ここがパーティー会場である事を忘れてしまいそうな程の静寂が訪れる。
「さあ、カイラ」
その中で、アールがこっそりと私に耳打ちをした。
「舞台は整ったぞ」
背中を軽く押され、私はデイヴィッドの前に出る。
そしてドレスの裾を掴み、深々とお辞儀をした。
「デイヴィッド」
「……っ」
ここまでの怒涛の展開に頭がついて来ていないのか、デイヴィッドは顔を引き攣らせるだけで何も言えずにいた。
その中で私は続ける。
「私と離婚して」
私と離縁するという事は、平民にすら頼らざるを得なかったオクリーヴ伯爵家の財政を支える存在が完全に消えるという事。
デイヴィッドとてそれは理解しているのだろう。
「い、いや……カイラ、一度話を――」
「もう無理よ。分かるでしょう?」
先に裏切ったのは彼の方だ。
ゆっくりと首を横に振る彼の声を遮った。
「そもそも、既に支援は打ち切られているはず。両親も貴方の家に手を貸す気はもうない。それに……ここで私の申し出を拒絶する事が本当に最善なのか、よく考えた方が良い」
私は周囲を見渡す。
「この場にいる方々はそんな貴方を見て、『自ら妻を捨てた男が、己の保身の為だけに妻の自由を奪う』最低な人間だと思うでしょう。今後ともに社交界に顔を出すだけで、私を隣に置いているだけで貴方は睨まれ、私は同情され続けるでしょう。……それは貴方の家の立場をより悪くするだけだという事はわかっているのかしら」
もうすでに遅い話ではあるが。
少なくとも私と夫婦関係を続ける事が困難且つ悪手である事は伝わっただろう。
デイヴィッドは周囲の視線に怯えるように頭を抱えて項垂れ、それから――
「………………わか、った……離婚する……」
と掠れた声で言った。
するとクレンショー侯爵がぱち、ぱちと手を打つ。
それにつられるようにして、周囲の観客たちも次々と拍手をした。
「すごい! まさに小説の通りよ!」
どこかでそんな女性の声が飛んだ。
「こうしちゃいられん! 今すぐ曲の用意を!」
クレンショー侯爵は上機嫌に笑いながら、用意していたオーケストラへ指示を出す。
大広間の静寂の記憶を打ち消すように、優雅な曲が流れ始める。
「さあ、カイラ夫人……いや、もう夫人ではありませんな」
クレンショー侯爵は周囲に目配せをし、広間の奥――ダンスフロアまでの道を観客にあけさせる。
そして私へ向かってウィンクをした。
「カイラ嬢、アール。あの物語が全て真実であると、私達に証明してくれ」
「お任せください」
アールは恭しくお辞儀をすると、私の手を取る。
何をするつもりなのか、勿論私は知っていた。
私は彼にエスコートされ、ダンスフロアへ向かう。
「私と踊って頂けますか?」
私の手を取ったまま、向き合ったアールの言葉を聞いて私は小さく吹き出した。
「馬鹿ね。こういうのは、手を取る前に聞くものなのよ」
「そいつは失礼。流石元お貴族様だ」
「やめて頂戴」
軽口を交わしながら、私達はステップを踏む。
私達以外、誰も踊らない、広々としたダンスホール。
その中央で踊る私達は、長年貴族の教養を積んで来た者達から見れば随分お粗末な姿だっただろう。
その不格好で、けれど型に囚われない自由なダンスは、私達の性にとても合っていた。
一曲が終わり、互いにお辞儀をする。
割れんばかりの拍手が、私達の物語の終わりを祝福していた。
***
帰りの馬車に揺られながら私はデイヴィッドとマージェリーの顔を思い出す。
ワイアット家からの支援を得られない上に今回の騒動によって深刻化するだろうデイヴィッドの悪評。オクリーヴ伯爵家は近々没する未来を辿る事だろう。
マージェリーに関しては……クレンショー侯爵との離婚は避けられまい。
また今回の件で彼女の貰い手は激減するはずだ。恐らくろくな嫁ぎ先は残されないだろう。
社交界から消えるか、もしくはこれまでの生活では考えられないような扱いを受ける日々が待っているか。どちらにせよ不幸は免れないはずだ。
「貴方が未来の事まで書いてしまおうと言った時は驚いたけど、案外何とかなるものなのね」
「クレンショー侯爵はこういう事が大好きなお方だからな。ノリノリだったろ」
「ええ。……成功してから思えば、これは確かに最も話題を生む方法だったわね」
「大本がノンフィクション作品だからこそ使える手ではあるがな」
お陰で儲けに繋がる、と親指と人差し指でお金のマークを作るアール。
それを見て私はくすくすと笑った。
アールは私の小説が最も話題を生む――つまりは、私の報復が最も大きな形で達成される方法として、事実を描いた物語の結末に未来の話を書こうと提案した。
『パーティーに参加する夫と不倫相手の前に突如現れる主人公。
彼女は自分を味方してくれる男性と共に、夫と不倫相手へ報復し、離婚を突き付ける。
その後主人公は本当に自分を愛してくれる人と共にダンスを踊り、多くの祝福を浴びた。
そして――』
提案を受けた私はこのような結末を付け足した。
そしてクレンショー侯爵の協力のもと、私達はまるでその小説が予言書であるかのような演出を大勢の前で行ったのだ。
「楽しかったわ、本当に。どうもありがとう、アール」
デイヴィッドやマージェリーへの恨みはすっかり消え、私の心は晴れていた。
とてもすっきりとした心地の私が笑顔で礼を言うと
「おっと。まだ物語は終わっていない――そうだろ?」
アールはそう返した。
その言葉の意味を、作者である私は勿論理解している。
「いや……その、読者受けの為にって話で確かに……言う通り書いたけど…………流石にここまで付き合ってとは言えないというか」
「どうして?」
「私達、仕事仲間としてやって来たでしょ? これ以上は貴方の生活を縛って迷惑になり兼ねないし」
「本当にそうなら俺から提案するわけないだろ? ……なあ、わかってて言ってるだろ」
黄色の瞳が私を真っ直ぐに捉える。
それから逃げようと顔を背ければ、席を立ったアールはの手が鼻先を通過して壁に付けられ、私を馬車の隅へと追い込んだ。
「おーい、こっち見ろ。おいってば」
目を瞑って頑なになっていると頬を抓まれる。
それから彼は、ハハッと愉快そうに笑った。
「俺はアンタと一緒にあれこれ考えたり言い合ったりするの楽しかったけど? アンタは違うのかい」
「……違わない」
「俺と一緒にいるのは嫌かい」
「嫌じゃない」
「俺もだ。ならなーんも悪い事ないだろ。ん?」
私は小さく頷くと観念して目を開ける。
眩しい笑顔がそこにはあった。
「これからも俺の事楽しませてくれよ。……一生な」
「浮気しないでね」
「しねーよ! 何ならアホほど可愛い子供を一緒に育てよう」
「…………うん」
何故だか鼻がつんとして泣きそうになる私の頭をアールはもみくしゃに撫で回した。
それから私達はそっと唇を重ね合わせる。
初めてのキスは温かくて、とても甘かった。
***
そして――
――二人は口づけと共に愛を誓い、慎ましくも幸せな家庭を築きましたとさ。
最後までお読みいただきありがとうございました!
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それでは、またご縁がありましたらどこかで!




