第1章:召喚される天才(召喚、分析、そして戸惑い)
この物語は、究極の論理を追求する一人のシステムエンジニア、ソフィアの旅を描きます。彼女にとって、世界は完璧に最適化されるべきデータであり、感情はただのノイズに過ぎませんでした。しかし、予期せぬ次元の歪みによって異世界へと召喚された彼女は、そこで自身の論理が通用しない「不合理」な現実と直面します。この章では、彼女が完璧な世界から混沌の異世界へと引きずり込まれ、初めて「戸惑い」という感情の片鱗に触れる瞬間が描かれます。彼女の知的な探求は、この予測不能な出来事によって、新たなステージへと導かれていくのです。
未来都市の喧騒は、分厚い防音壁の向こうで遠く響いていた。研究室は、まるで深海の底のように、完璧な静寂に包まれている。壁一面に広がるホログラムディスプレイには、複雑なアルゴリズムやデータフローが、星の瞬きのように明滅していた。その光の中心で、ソフィアは最後のバグ修正に没頭していた。彼女の指先がタッチパネルを滑るたび、数兆行にも及ぶコードが最適化され、無駄なプロセスは容赦なく排除されていく。
ソフィアにとって、この世界は膨大なデータで構成されたシステムだった。生命とは精巧なアルゴリズムであり、感情はただの非効率なノイズに過ぎない。論理とデータこそが、世界の真理を解き明かす唯一の鍵だと、彼女は固く信じていた。彼女が開発する究極の効率システムは、人類が抱えるあらゆる非効率性を排除し、資源の最適配分、紛争の根絶、そして無限の繁栄をもたらすはずだった。残るは最後のバグ一つ。それはシステム全体に微細な遅延を引き起こす、ごく小さな歪みだった。それを修正すれば、システムは完璧な状態へと到達するだろう。
「エラーコード:0x7B8F。原因:外部からの不規則なマナ流入。影響:システムコアの不安定化、次元間ゲートの偶発的生成。」
ディスプレイに突如として表示された警告に、ソフィアの眉が微かに動いた。予測外の変数だった。彼女のシステムは、この世界に存在しないはずの「マナ」という概念を検知している。それは単なる偶発的なエラーではない。彼女の究極の効率システムが持つ未知の共鳴特性が、異世界の根源的なエネルギーと相互作用した結果であるかのようだった。
──この現象は、既存の物理法則と一致しない。解析不能なエネルギーパターン。予測される結果は、システムの完全な崩壊か、あるいは……──
ソフィアの思考がその結論を導き出すよりも早く、研究室全体が激しい光に包まれた。足元の床が脆く崩壊し、重力から解放された体が、制御不能なシステムと共に、未知の空間へと引きずり込まれていく。まるで、巨大なブラックホールに吸い込まれるような感覚だった。時間の概念すら歪むような、不可解な加速が彼女の全身を襲った。
★ ★
次にソフィアが意識を取り戻した時、彼女は石造りの冷たい床に横たわっていた。周囲には、見たこともない甲冑をまとった兵士たちが、まるで古い絵画から抜け出してきたように立っている。その傍らには、いかにもファンタジー然としたローブを身につけた魔術師たちが、驚きと困惑の表情で彼女を見下ろしていた。空気は土と草の匂いが混じり合い、遠くで鳥の鳴き声が聞こえる。未来の地球では考えられない、極めて非効率で、原始的な環境だった。
その時だった。彼女の視界の端で、一人の兵士が致命傷を負い、血を流しながら倒れた。老魔術師が慌てて呪文を唱えると、光の粒子が兵士の傷口を包み込み、瞬く間に傷が癒えていく。ソフィアのシステムは、この現象を「未解明なプロセス」として認識した。しかし、その回復の速さ、そしてマナの消費量と回復量のバランスが、彼女の知るあらゆる物理法則やエネルギー保存の法則に反していることを、即座に検出した。それはデータとして認識できないノイズだった。彼女の論理体系ではバグと定義しようにも、そのバグが世界の根幹を成しているかのような、理解不能な奇跡のように映った。ソフィアの完璧な知性は、初めて真の意味での戸惑いを覚えた。──これは、予測不能なエラーか、それとも、私のシステムがまだ認識できない、新たな法則性なのか?──
「おお、真理探求者よ! 我らが召喚に応えてくださったか!」
一人の老魔術師が、感動に打ち震える声で叫んだ。ソフィアは、その言葉の意味を即座に解析する。「召喚」という現象は、彼女の持つ科学知識では説明できない未解明なプロセスである。しかし、彼女のシステムはすでに周囲の環境データを収集し始めていた。大気中のマナ濃度、重力加速度、周囲の生物の生態パターン。そして、兵士たちの無駄の多い装備や、勇者パーティの連携の取れていない戦闘訓練、さらには人々の行動原理や社会構造に潜む非論理的な慣習や感情的な矛盾までもが、彼女のデータとして取り込まれていく。全てが、彼女の知る地球の法則とは異なっていた。
彼女の感情は動かない。驚きも、恐怖も、混乱もない。ただ、目の前の状況を「最適化されていないプロジェクト」として、システムエンジニアの視点から冷静に分析していた。
「この世界のシステムに存在するバグを修正できるか?」
それが、彼女の最初の興味だった。目の前の勇者パーティらしき集団は、明らかに非効率な装備と、無駄の多い動きをしている。彼らの会話から、この世界が「魔王」という存在によって歪められているという情報を得た。ソフィアのシステムは即座に、魔王の存在を「世界の根源的な法則に存在するバグ」と仮定し、その修正可能性を演算し始めた。しかし、そのバグが単なるシステム上の欠陥ではなく、異世界の文化や信仰、あるいは倫理観といった、データだけでは解析しきれない非論理的な要素と複雑に絡み合っている可能性も、彼女のシステムは示唆していた。そして、先ほど目にした奇跡が、この非論理的な要素が生み出すものであり、それがこの世界の「強さ」や「美しさ」の源である可能性までをも、彼女のシステムは示唆し始めていた。
召喚元の国は、彼女の膨大な知識と分析能力を「真理探求者」という役割に誤認し、勇者パーティに組み込もうとする。ソフィアは、その提案を拒否する論理的な理由を見つけられなかった。むしろ、この「プロジェクト」に参加することで、より多くのデータを収集し、この世界のバグの全容を解明できると考えた。彼女の知的な探求心は、新たな未知のシステムへの挑戦に、静かな高揚を覚えていた。それは、彼女が「感情」と定義していたものとは異なる、純粋な知の喜びだった。しかし、その知の喜びの奥底には、自身の完璧な論理が通用しないかもしれないという、微かな予感が芽生え始めていた。──この世界は、私のシステムを、どこまで進化させられるのだろうか。──
第1章では、ソフィアが自身の論理が絶対であると信じる世界から、予測不能な異世界へと召喚される衝撃的な導入が描かれました。彼女の完璧なシステムが初めて「未解明なプロセス」や「戸惑い」に直面し、その知的な探求心が新たな方向へと向かう予兆が示されています。この異世界での経験が、彼女の「感情」に対する認識をどのように変え、彼女自身のシステムをいかに進化させていくのか、今後の展開にご期待ください。